てがみ

はじまりはじまり

朝、窓の向こうの景色を見るのが楽しみな季節になった。 ロールスクリーンを上げて、雪がどのくらい積ったかをチェックする。 雪はまだ、降っては解けて、降っては解けてを繰り返しているので、苔の上にうっすらと積もる程度だけど。 ある朝いきなり目の前の世界が真っ白に染まるのは、ひと冬でたった一回きりだから、あと何回その瞬間に立ち会えるか。 絶対に、見逃したくないのである。 これはもう、まごうことなき冬の空だ。 山からのぼる朝焼けを、毎日、固唾をのんで待ち構えている。 いつからか、冬が一番好きな季節になった。 森で、気持ちがいいのは夏だけど、美しいのは断然冬。 空気がパリッとして、目に入る景色が凛として見える。 今もものすごく風が強くて、厳しいのは厳しいのだけど、その中にポツポツと喜びの種が植っている。 視界に常緑樹が一本あるだけで、うんと勇気づけられる。 ここから先は、冬ごもりだ。 2回冬を過ごしてみて、自分なりにどうすればストレスなく日々を送れるかがわかった。 まずは、極力予定を入れないこと。 ずっと雪に閉ざされているわけではないのだけど、約束をしてしまうと、その時間に合わせて車を出さなくちゃいけなくなる。 夜のうちに大雪が降って、もしも除雪車が来ないと、出られない。 前回の冬は、予定を入れてしまったばっかりに、自力でスコップで雪をかきながら車を前に進めなくてはいけないことが何度かあった。 間に合うだろうかと心配したりするのも、心臓に悪い。 だから、なるべくスケジュール帳を空っぽにしておく。 そんなわけで、真夏同様、真冬もまた読書の時間となる。 春と秋は、わりかし外でやる仕事が多いのだが、真夏と真冬は山小屋の中にこもって過ごす時間が長くなる。 しんと静まり返る中、夢中で本を読んでいると、自分が満ち足りていくのを実感する。 読みたい本は、すでに目の前にうず高く積み上げられている。 ひと冬で全て読み切れる気がしないけど。 山の上空から白砂糖を振るみたいに、毎日少しずつ山が白くなっていく。 その山に夕陽が映ると、ほんのり桜色に染まる。 そんな光景にたまたま出会えると、ものすごく得したような気分になる。 冬至に向けて、陽はますます短くなる。 私の場合は、活動できる時間が限られてくるので、効率よく動かないとすぐに日が暮れてしまう。 最近は、夕方5時を過ぎると真っ暗だ。 でも、数日前、暗闇で車を降りて外に出たら、ちょうど頭上を流れ星が通った。 夕方の5時なのに、もう真夜中かと錯覚するくらい、星がたくさん輝いている。 今日は、誰もまだ通っていない真っ白い雪道を、ゆりねと歩いた。 ただそれだけのことなのに、生きていることそのものが、ものすごく愛おしく感じてくる。 これもまた、冬の魔法かもしれない。 山小屋で過ごす3度目の冬の、はじまりはじまり。

酸ヶ湯デビュー

ちょっと前になるけれど、青森へ取材に行った帰り、念願の酸ヶ湯温泉に行ってきた。 山奥にひっそりと佇む秘境かと思いきや、駐車場には大型の観光バスが何台も連なっている。 夕方まではお客さんもひっきりなしで、大いに賑わっていた。 この温泉が、いまだに混浴なのだ。 男女別のお風呂もあるけれど、やっぱり目玉は大きな大きな混浴のお風呂。 せっかくはるばるやって来たのだから、千人風呂に入りたいではないか。 おっかなびっくり様子を見に行ったら、男女別の境界も設けてあるし、衝立もあるし、それほど怯える状況でもない。 ベルリンの男女混合裸族サウナの方が、よっぽど破廉恥だ。 破廉恥なんて言葉、久しぶりに使ったけど。 というわけで、日帰り客が少なくなる時間帯を狙い、いざ千人風呂へ。 一応、男性も女性も、黒い水着みたいな湯浴み用の服の用意があり、借りることもできるのだが、私はどうもあれ、苦手だ。 水着で入る温泉は、サウナにあるテレビ同様、居心地の悪さを感じてしまう。 プールじゃないんだし、温泉は生まれたままの姿で入りたい。 逆に言うと、服を着てまで温泉に入りたくない。 お湯は白濁しているし、大きなお風呂は薄暗くて、別にそんなに気にすることは何もなかった。 それに、肩まで浸かっていて熱くなったら、女性の更衣室につながる衝立のこっち側にいれば、向こうからは見えない。 やっぱり、広々としたお風呂は、最高だ。 特に、お客さんが少なくなった夕暮れ時は、静寂に包まれて、非現実的な夢のような時間を過ごす。 お湯が、最高だった。 こういう硫黄の匂いのするお湯、好きだなぁ。 夜の女性専用タイムにも行ってみたのだが、逆に女性だけになると、途端に姦しくなる。 要するに、はしゃいだりしてキャーキャーうるさいのだ。 女性専用だから、混浴の時には行けない打たせ湯などにも安心して行けるという利点はあるものの、私としては静かな混浴の方に一票を投じたい。 それに、こう言っちゃなんだが、ある程度の年齢を過ぎれば、男も女も、遠くから見たらそんなに違いはない。 あー、すっかり酸ヶ湯ファンになってしまった。 また行きたいな。 酸ヶ湯に向かう道中、岩木山神社にお参りした。 初めて行ったけど、ものすごく神聖な気配に満ちた、とても気持ちのいい場所だった。 岩木山は、お天気があんまりでなかなか全貌を見せてくれなかったけど、本当に美しい姿をしている。 裾野には、延々とりんご畑が。 あまりにおいしそうなので、岩木山神社の近くの無人の販売所で、りんごを買ってその場で齧った。 そのみずみずしいおいしさが、今でも忘れられない。 あんなにおいしいのなら、もっと買えばよかった。 長野県民になって、私はりんごが大好きになった。 それまでもりんごは食べていたし、それなりにおいしいりんごを食べていたはずだけど、それでも、味が全然違うのだ。 最近思うのだが、果物全般、甘すぎる。 糖度ばかりが高くなり、なんだかお砂糖を舐めているみたい。 でも、岩木山神社の無人販売所にあったりんごは、ただただ甘いだけじゃなくて、香りもよく、歯応えもパリッとして新鮮そのものだった。 食感は、梨とりんごの中間のようで、色は黄色。 段ボールに、マジックで「きおう」と書かれていた。…

高雄市立図書館

高雄に2泊、福岡に1泊という、なかなかの強行スケジュールで、トンボ帰りでお山に戻ってきた。 久しぶりの海外旅行で、粗相がないか緊張したけど、なんとか全ての工程を滞りなくこなせた。 まるで、スタンプラリーのような旅だった。 高雄市立図書館は、日本円にして100億円を費やした、地下1階、地上8階建ての立派な図書館だった。 建設にあたっては、世界中の図書館を視察して、参考にしたという。 隣接する五つ星ホテルとも渡り廊下でつながる、度肝を抜く構造だった。 夜になると、きれいにライトアップされる。 その10周年イベントに、招待していただいたのだ。 図書館と聞いていたので小規模なイベントを予想していたら、とんでもなかった。 会場は500人入るホールで、その席がいっぱいに埋め尽くされていた。 トークのお相手をしてくださったのは、台湾で旅のガイドブックなどを出版しているdatoさんで、なんと、台湾で『食堂かたつむり』が翻訳されて出版される際の編集を担当してくださったとのこと。 お土産にとくださった京都のガイド本なんか、私より全然詳しくて、しかもとてもセンスがいい。 次回京都を訪ねる時は、datoさんのガイドを参考にしたい。 トークの後は、サイン会。 抽選で選ばれた100人の方が、それぞれお手持ちの本を持ってきてくださった。 本当は、500人の方全てにサインをしたかったけど。 ちょうど一週間前に、『椿ノ恋文』の翻訳が出たばかりで、その本を持ってきてくださる方も多かった。 このシリーズの装丁は、本当に素敵。 通訳さんが入ってくださったので、日本のサイン会と同様、お一人お一人の方とお話をすることができた。 海を超えた物語が、異国の地で、現地の言葉で、ちゃんと伝わっていることを痛感する。 台湾の読者の方と直接お会いできた私は本当に幸せで、まさに夢のようなひと時だった。 『ツバキ文具店』や『ライオンのおやつ』を読んで、実際に鎌倉や瀬戸内に行ったという読者の方も非常に多く、びっくりした。 改めて、台湾と日本との距離が本当に近く、隣人であることを実感した。 私の父は、台湾で生まれた。 父自身にその頃の記憶はほとんどないようだったけど、祖母はよく、台湾の人たちにとてもよくしてもらったと話していた。 子どもの頃、祖母が住んでいた仙台の家に遊びに行くと、祖母は必ず大皿にビーフンを作って待っていた。 台湾の人から作り方を習ったというそのビーフンは、絶品だった。 いくらでも食べられた。 だから、私は勝手に台湾に対して親近感を抱いていた。 東日本大震災で日本が窮地に立たされた時も、誰よりも多くの支援を寄せてくれたのは台湾の人たちだ。 台湾の人たちの明るさと優しさは、一体どこから来るのだろう。 台湾もまた、日本同様、少子高齢化や子どもの不登校など、同じような問題を抱えている。 それでも、日本と違うのはそのことに前向きに積極的に取り組んで、問題を解決しようとしている点だと思う。 ジェンダー問題に関しても、徹底的な教育の力で、生きづらさを抱えている人の割合は日本よりずっと少ないのではないかと想像する。 多様性を認める姿勢は、日本が見習わなくてはいけないもののひとつだ。 自由や民主主義を自分たちで守っていかなくては、という気概も、一人一人から感じた。 ちなみに、台湾での投票率は70%を超える。 多様性を大切にする姿勢は、図書館にも現れていた。 まず、図書館を利用する子どもたちにもアドバイザーになってもらい、彼らの意見にちゃんと耳を傾けている。 点字の本も、たくさんあった。…

冬支度

ノラコヤに植えたツリーバジルが、ぐんぐん伸びてきた。 ツリーバジル、またの名を、ヴァナ・トゥルシーと言い、トゥルシー同様、とても神聖な植物だ。 インドでは、聖なるハーブとされていて、アーユルヴェーダでよく使われる。 トゥルシーは、ホーリーバジルとも呼ばれている。 とにかく、私はこのお茶が大好きなのだ。 飲むと、胸がスーッとする。 なぜかこの春、別々のルートで3人から、ほぼ同時期にホーリーバジルのお茶をいただいた。 偶然とは思えない確率で、みんながみんな私にホーリーバジルをくれるので、私はすっかりその味に魅了されてしまったのだ。 きっと、その時の私にホーリーバジルが必要だったのかもしれない。 畑ができるようになったら、まずホーリーバジルを植えようと思っていた。 それで、いつも買いに行く苗屋さんに行って探したのだが、ホーリーバジルは品切れで、葉っぱから同じような香りがするというツリーバジルがあったので、それを2本買い、すぐに植えたのだ。 行くたびに背が伸びていて、一体この子たちはどこまで大きくなるんだろう、と脅威にすら思っていた。 そのツリーバジルの葉っぱを、この間の大潮の日、ありがとう、の感謝の気持ちを伝えながら、摘み取った。 そして、山小屋に持って帰って、ザルに広げて乾燥させた。 生の葉っぱはそんなに匂わないので、ちゃんとお茶になるのか半信半疑だったけど。 今日、東京からお客様が3人いらした。 それでふと、食後にツリーバジルのお茶を飲んでみようかと思って、やってみたのだ。 いい感じに葉っぱが乾いたので、手で細かくしてから、急須に入れて熱湯を注ぐ。 飲むと、びっくりするくらい、おいしかった。 スパイシーで、ほのかに甘い。 ツリーバジルとはまた少し違う味わいだけど、やっぱり飲むと胸がスーッとしずまる。 なんて美しい味わいなんだろう。 来年はもう少し本数を増やして、ツリーバジルを育てよう。 それにしても、なんだか忙しい。 森、ノラコヤ、ノラコヤ、森、と日々やることがたくさんある。 特に森の山小屋の方は冬が迫っているので、今まさに冬支度をしなくちゃいけないのだ。 ずっと出しっぱなしにしてあったホースを片付け、薪の整理をし、薬草たちが冬ごもりするための落ち葉のお布団をかけてと、仕事はいくらでもある。 外に出していたテーブルもいったん畳んで定位置に戻さなくちゃいけないし、U字溝に詰まった落ち葉のかき出しもしなくちゃいけない。 1日が、あっという間に終わってしまう。 先日の雨で、森の葉っぱたちはすっかり落ちてしまった。 夏の間は葉っぱで見えなかった遠くの山の稜線も、窓からはっきり見ることができる。 山の姿が見えるようになると、冬が来るのを実感する。 あ、車のタイヤも、スタッドレスに変えなくちゃだ。 それでも、秋はゾッとするくらい美しい景色を見せてくれる。 晩秋はちょっと心が淋しくなるけど、その分、光の美しさが際立つ。 冬至に向けて、日に日に活動できる時間は短くなるが、その分、夜は長くなる。 今日は、郵便局に荷物を出しに行ったりしていたら、温泉から戻ってくるのに5時を過ぎてしまった。 5時15分くらいに山小屋に着くと、裸になった梢の向こうに、細い細い三日月が浮かんで、ものすごく綺麗だった。 思わず、エンジンを止めずに、その時かかっていたピアノの曲を最後まで聴いた。 それから外に出て、もう一度、月を見上げた。…

種を蒔く

日曜日は大工さんもお休みなので、ノラコヤへはなるべく日曜日に行くようにしている。 今日は、ご飯を炊いて(新米!)、舞茸と椎茸の混ぜご飯を作り、おにぎりにした。 保温ポットに、熱々のお湯をたっぷり入れて持って行く。 もちろん、おやつも忘れずに。 今日を逃すと、明日から連日の雨マークだ。 階段が出来ている。 山小屋の時は東京にいたので、途中経過があまりよくわからなかった。 確か、一回だけ現場を見に来たけど、ほとんど地鎮祭の後は引き渡しだった。 でもノラコヤは、近くにいるので、ちょくちょく見に行ける。 ほほぅ、こうやって家はできていくのか、というのがパラパラ漫画のように理解できる。 大工さんが、とても丁寧にお仕事をしてくださっている。 汚さないよう、そーっとそーっと出来立ての階段に足を乗せた。 2階から見渡す景色が、本当に気持ちいい。 完成したら、富士山も、見える、はず。 今日は、種を蒔いた。 そして、球根も植える。 球根は、チューリップとユリだ。 私の経験から察するに、球根はとてもとても義理堅い。 約束をちゃんと律儀に守って、春になると地面からひょっこり顔を出す。 植えた方は、どこに植えたか半分忘れちゃっているので、しっかりとした芽を見つけるたびに小躍りする。 球根で咲く花は、とてもかわいい。 冬を越して、色とりどりの花たちが咲き乱れる畦道を想像する。 意識して深く植えながら、球根は春に向けてのご褒美だなぁ、としみじみ思った。 球根から比べると、種はそうそううまく育たない。 山小屋では寒さとシーで、種の開花率はほぼゼロに近い。 でもノラコヤだったら、もう少しあったかいし、シーもそこまでたくさんはいないから、種を蒔いたら花が咲くかもしれない。 そんなことを夢見ながら、種を蒔いた。 蒔いたのは、ミックスフラワー。 ノラコヤの一角が、お花畑になったら嬉しい。 種は、諦めずに蒔き続けること。 そうしたら、いつか、忘れた頃に、一輪の花が咲くかもしれない。 大切なのは、自分自身が腐らないことだ。 そんなにすぐに思うような結果が出なくても、、、 諦めてしまったら、そこで可能性はゼロになってしまうから。 私もあの時、物語を書くことを諦めなくて、本当に良かったと思う。 自分の視界には届かない場所で、人知れず、自分の蒔いた種が芽吹いているのかもしれないし。 本日は、畑でフィーバーフューとラディッシュとスダチを収穫。 フィーバーフューは、偏頭痛やPMSに効果があるという。 苦いけど、なんだか体には良さそうな味がする。 私は、細かく刻んでカレーに混ぜていただいた。…

クリタケさん?

突如として、庭の切り株にキノコが出現した。 ここ数日、いろんな場所でキノコを見かけるけど、どうもこのキノコにはオーラがある。 もしかすると、クリタケ、かもしれない。 もしかすると、クリタケじゃない、かもしれない。 発見以来、頭の中で絶えず逡巡が続いている。 私は明日から出張なのだ。 今食べて、体調が悪くなったり、最悪の場合、死んでしまったりしたら、あまりにも周りにご迷惑をかけてしまう。 でも、食べたい。食べてみたい。 だって、こんなにおいしそうなのだもの。 しかも、このまま放置したら、食べ頃を逃してしまう。 とは言え、私はキノコに関してド素人だ。 スーパーで売られているナメコやエノキダケやエリンギや椎茸はわかるけど、野生のキノコとなると完全に未知の世界。 写真を撮ってご近所さんに送ったら、クリタケには見えるけど、さて? とのお返事が。 あなたはクリタケさんで間違いないですか? それとも、クリタケモドキさんですか? はたまた、ニガクリタケさんなんてこともありえますか? ニガクリタケは、毒キノコだ。 やっぱり今日死ぬわけにはいかないな、と思っていたら、山暮らしの先生でもあるご近所さんが、本物のクリタケを持って現物を見に来てくださった。 見た目は、本物に瓜二つ。 匂いも、変わらない。 まぁ、クリタケでしょう、と私が自分で判断し、自己責任でいただくことにする。 ご近所さんのアドバイスで、念には念を入れてしつこく加熱した。 まずは、お醤油味のお吸い物で。 なんと、美味! だって、ついさっきまで生きていたのだ。 そして残りは、ゴボウのカレーに入れて。 あ〜、幸せ。 庭のキノコが食べられるなんて。 こんな日が、私の人生にやって来るなんて。 感無量である。 目標は、一年にひとつずつ、野生のキノコを覚えること。 一昨年は、ジコボウ。去年は、タマゴダケ。そして今年は、クリタケ。 そうやって、この子は絶対に大丈夫! を増やしていきたい。 柿も栗もそうだけど、足元に食べ物があるというのは、とてもラッキーなことだ。 お店で買えば、それなりのプラスチックゴミも発生するけど、身近なところからいただいてくれば、輸送のエネルギーもかからず、無駄なゴミも出ない。お金もかからない。 浮いたお金は、他に回すことができる。 この春屋根につけたソーラーパネルも、今は買っている電力より売っている電力の方が上回っている。 初期費用はそれなりにかかったけど、なんだかとっても気持ちいい。 これから寒くなって床暖房を入れると、売買の比率が逆転する可能性は高いものの、おそらく、年間を通して見れば、プラスになるはず。 これで車をプラグインハイブリッドにできれば、晴れて私は太陽光発電によるエネルギーで移動できることになる。 本日も、柿たちは朝から日光浴に忙しい。…

柿仕事

ずっと気になっていた、ノラコヤにもともとあった大きな柿の木。 その実は、甘いようで渋く、渋いようで甘い微妙な味なのだが、せっかくあるのでまずは干し柿にしようと一念発起する。 里の友人が貸してくれた高枝切り鋏を持参し、柿もぎに挑んだ。 実家にも、とても立派な柿の木があった。 秋になってそれを収穫するのは父の仕事で、採った柿を、父が焼酎につけて渋抜きし、よくおやつや食後に食べていた。 実自体は小さいものの、甘くて、私は実家の柿の実が大好きだった。 実家はもう跡形もなく消滅したけど、柿の木と桜の木は残っている。 会えば懐かしいような、でも胸の奥がツーンとして悲しみに似た痛みも感じる。 同じ木ではないけれど、こうして私は再び柿の木とご縁ができた。 そのことが、ものすごく嬉しい。 友人が貸してくれた高枝切り鋏は、切った枝をばさりと下に落下させず、枝を掴んだまま下まで降ろすことができる。 何度か操作ミスで実をいきなり落下させてしまったものの、概ね無事に地面まで運ぶことができた。 それでも、鋏が届くのは下の方だけで、上の高い所になっている実は、どうしたって届かない。 できる限りの範囲で収穫した。 向こうには、うっすらと富士山が見えている。 こういう作業を、楽しんでやっている自分がまたおかしかった。 その場で葉っぱを切り落とし、ヘタのところの枝をTの字に揃える。 まだまだ木にはたくさんの実が残っているけど、大ザル一杯分の収穫があり、持ち上げるとずっしりと重い。 これを山小屋に持ち帰って、今度は一個ずつ皮をむいて。 あまり考えると、気が遠くなってしまう。 本当は、すぐにやるつもりじゃなかったのだ。 でも、天気予報を見たら、この後二日間晴天が続く。 このタイミングを逃すと、間に出張が入ってしまい、まただいぶ先になってしまう。 結局、もう、このままやっちゃえ! と気合を入れ、夕飯後、皮むきの作業に取りかかった。 むき終えた柿は一個ずつ紐に通し、更に熱湯に5秒間つける。 こうすることで、雑菌の繁殖がおさえられ、腐らない。 確かに、去年もそうしたけど、ダメになった柿は一個もなかった。 それを、お天気の良い日は外に干して風と光に当てる。 そうすると、渋かったはずの柿が甘くなるのだ。 小さい頃、干し柿はそんなに好きな食べ物ではなかったけど、最近はやけに干し柿がおいしい。 干し柿は、冷凍保存もできる。 そして今日は、産直に寄ったらついカリンを見つけてしまい、反射的にカゴに入れていた。 柿が終わったら、次はカリン。 秋は実りの季節なので、毎日毎日忙しいのだ。 この時期は、休む暇がない。 ついに、明日の朝の最低気温が1度の予報。 でも、今日同様、きっとピカピカの青空だ。 干し柿作りには、もってこい。 たくさん、日光浴してもらおう。 冬が近づき、少しずつ、山が膨らんできた。…

初収穫

朝5時半に起床し、お茶を飲み、お祈りをし、ヨガをして、ゆりねにご飯をあげ、新聞を読んで、お弁当を作り、身支度を整え、いざノラコヤへ。 小屋はまだできていないけど、邪魔にならない場所でちょっとずつ野良仕事を始めている。 見上げた空は快晴だ。 少なくとも一週間に一回は、思いっきり野良がしたい。 私が里におりている間にも、雑草たちはのびのびと育っていた。 自分の植えた苗と雑草の区別が全くつかない。 最近知り合ったカメラマンの女性が、ずっとモロヘイヤだと思って食べていたのがただの雑草だったという笑い話をお披露目してくれたけど、私の畑もまさにその状態。 面白いと思うのは、季節によって顔を出す雑草も入れ替わるということ。 ずーっと同じメンバーが居座るのではなく、そこは交代制(?)になっていて、夏はあんなに蔓延っていたヒョウ(スベリヒユ)も、今はもう跡形もなく消えている。 そんなんだったら、もっと収穫しておけばよかった。 お休みだから大工さんもいないだろうと思って行ったら、働いていらっしゃる。 お仕事の邪魔にならないよう、そそくさと隅の方から手をつけた。 やることはいっぱいある。 どこから始めて良いのやら、途方に暮れてしまう。 今日は、先日ゲットした、オリーブと金柑と月桂樹とレモンとリンゴの木を植えた。 以前植えたものの、ちょっと植える場所を間違ったかもしれない、という木に関しては、別の場所に引っ越してもらう。 アフリカン・ブルーバジルが、ものすごい勢いで広がっている。 山小屋では、こんなふうに植物がわーっと元気よく成長するということはまずあり得ないのだ。 やっぱり、里では植物がよく育つ。 少し前に植えたラディッシュも発見した。 雑草をかき分けると、地面の上にひっそりとラディッシュが横たわっていた。 その姿の美しいこと。 あんな小さな種が、こんなに見事なラディッシュになるなんて! すぐに、水で洗って齧ってみる。 ものすごく瑞々しくて、素晴らしい味。 初収穫だ。 11時、お腹が空いてきたので、外に椅子を出してお弁当を広げる。 野良仕事は、お腹が空く。 レンチンしたご飯に、焼いたお肉をのせただけの、本当に本当に恥ずかしいくらい可愛げのないお弁当だけど、外で食べると美味しいのだ。 数日前茹でた枝豆も、美味しい。 食後は、山小屋から持ってきたお湯でコーヒーを作り、これまたちょこっとだけ残っていたシベリアを食べ、ひとりニンマリ。 風景が美しいというのは、最高の贅沢だ。 この土地を選んだのも、里の景色が美しかったから。 私はなるべく、美しいものを見て人生を終えたいと思っている。 その点に関しては、かなり貪欲な方かもしれない。 午後、せっせと道路際の地面を手鎌で整えていたら、ご婦人に声をかけられた。 どうやら、ご近所さん。 ピアニストだそうで、彼女の家からはいつもピアノの音が聞こえる。 以前、旦那さんとは言葉を交わしたのだが、彼女と話すのは初めてだ。 彼女が下の名前で自己紹介をしたので、私も下の名前をお伝えする。…

小鳥とリムジン

本日、配本。 ということで、温泉から戻ってから、ひとり静かに物語の誕生を祝して乾杯した。 思い返せば、ここに辿り着くまでに、本当に色々あったなぁ。 もう次の作品は書けないんじゃないかと、本気で思っていたし。 『小鳥とリムジン』は、この山小屋で書いた物語、第一号だ。 どんなに順風満帆に追い風を受けながらルンルン気分でスキップしていても、すっ転ぶときはすっ転ぶ。 どんな人もそう。 すっ転んだり、穴に落ちたり。 そのときは、もうダメだ、生きていけない、と思う。 血を流し、たんこぶを作り、アザができて、痛くて、苦しくて、もう二度と笑ったりできないんじゃないか、と人生を悲観する。 私も、そうだった。 思いっきりすっ転び、ズボッと穴にはまって、身動きがとれない時期があった。 それでも今、私はご機嫌で森で暮らしている。 その現実を、あの頃の自分は全く想像できなかった。 でも、奇跡みたいなその現実が、実際に起きている。 多分これが、自然治癒力なんだと思う。 私は、大自然に本当に本当に助けられた。 そして、大自然が私に教えてくれた多くのことが、物語に反映されている。 人間関係で苦しんだり、自分が病気になったり、大切な人を失ったり、どうしたって人生には思わぬ辛苦がつきものだ。 もう、そういうのはあって当たり前と、はなから想定しておいた方がいいと思う。 でも、避けられる苦難は、出逢わないに越したことはないはず。 小鳥の人生は、相当に過酷だ。 これまで書いた物語の主人公の中でも、群を抜いている。 それでも、私は小鳥に幸せになってほしかった。 ハードな人生を背負わされたけど、思いっきりハッピーになってほしかったのだ。 どんなに大変な人生でも、最後、笑って死ねたら、もうそれでその人の人生そのものが肯定され、良きものになると信じているから。 生まれたからには、誰しもが幸せになる権利がある、と思うから。 私たちは、幸せになるために誕生したのだと思いたい。 今は、本当に過酷な時代だと思う。 自然環境もそうだし、社会もそう。 国内もそうだし、地球規模でも、もう何が起きても不思議じゃない。 日々、最短で最大の成果が求められるような息苦しい世の中で、心身の健康を損なわないでいること方が難しいんじゃないだろうか。 誰しもが、どこかに不調を抱えながらギリギリのところで生きている。 だから、自然治癒力が大事なんじゃないか、と思うのだ。 他人の力に頼るのではなく、自分で自分の傷の手当てができたら、もっと楽になるはず。 自然治癒力や生命力は、本来誰もが持って生まれてくるのだと思うけど、自然から離れた現代的な生活を続けると、どんどん目減りしていってしまう。 物語は、良いイメージトレーニングになる。 自分の癖を、物語を読むことによって、修正したり、選択肢を増やしたり、することができる。 私は、そんな物語の力を信じたい。 物語を書くことは、私にとって、聖域中の聖域に足を踏み入れるようなもの。…

バッハを聴きながら

朝、山小屋の玄関のドアを開けると、やっぱりうにうにがいた。 あっちにもこっちにも、うにうに、うにうに、うにうに、うにうに。 もう、そこらじゅうに、うにうにがいる。 正式な名前はヤスデだそうで、クリーム色の体に脚がたくさん付いているから、最初はムカデかと思って身構えた。 でもムカデとは違い、刺してきたりはしないというから安心した。 ムカデは肉食性だが、ヤスデは腐植食性で、毒のある顎も持たない。 じめっとした薄暗い場所を好むらしく、雨上がりの朝は、集団でうにうにしている。 8年に一度大発生するそうで、今年はその当たり年(?)なのだ。 前回の8年前は、あまりの発生ぶりに在来線の電車を止めたらしい。 見ていて可愛いとはなかなか思えないが、まぁ、家の中とかには入ってこないので、温和な性格(性質?)をありがたく思っている。 それにしても、なぜ8年に一度なのか。 一体何のために、大量発生するのだろう。 自然界は、本当に神秘に溢れている。 うにうにをなるべく踏みたくないので、最近は下ばかり向いて歩く私。 それでも、うにうにを踏まずに歩くのは至難の業だ。 久しぶりに雨が上がってゆりねとお散歩に行きたいけど、うにうにロードをどうやって歩こうか、真剣に考えている。 昨日は、里の友人と久しぶりに会ってランチを楽しんだ。 お互い、まるで名刺交換するみたいに、自分で作った栗のお菓子を交換し合う。 私は出来立ての渋皮煮を、彼女は栗きんとんを。 どちらも、買った栗ではなく、自らが拾った栗だ。 彼女の森にある栗は山栗で、とてもとても小さい。 そんな小さな栗をせっせと剥いて、作ってくれた。 しかも、ゆりね用に砂糖を入れない、小さいサイズも作ってくれるのだ。 去年も、一昨年も、ゆりちゃん用と糸ちゃん用、2種類作って持ってきてくれる。 ベジタリアンの彼女と外でご飯を食べるときは、大体この店だ。 野菜だけで作られているとは思えないほど、ずっしりとボリュームがあって、いろんな味が楽しめる。 私も、森暮らしをしてから、お肉もお魚もほとんど食べなくなった。 だから、たまに里におりて、いわゆる「豪華なご馳走」を前にすると、驚いてしまう。 まるで自分が、殿様にでもなったようで、なんだかちょっと居心地が悪い。 昨日は、開け放った窓から金木犀の香りがした。 古い民家を美しく整えた、とても居心地の良いお店。 店主の男の人がひとりで切り盛りしているから、ついお手伝いをしたいような気分になる。 ランチプレートに、食後のデザート(モンブラン)とコーヒーもお願いし、すっかりお腹が満たされた。 帰りにノラコヤに立ち寄り、小雨が降る中、もう一度彼女と栗拾い。 今年は栗が豊作らしい。 どんぐりも豊作らしいから、山の熊たちはさぞ喜んでいるに違いない。 秋は実りを収穫して、それを保存すべく加工しなくてはいけないから、何かと忙しいのだ。 大量の栗仕事は、バッハを聴きながらやったら思いの外はかどった。 私が山小屋でかける音楽のほとんどは、バッハだ。 バッハの曲は、ベタベタと感情に訴えてこないのがいい。…

野良栗

食べ物が落ちていると、つい拾ってしまう。 今日は、栗と目が合った。 ノラコヤの打ち合わせに行き、終了後ぐるりと周辺を見回っていたら、落ちている、落ちている。 正確には、ノラコヤの敷地に生えている栗の木ではなく、お隣さんとの境界線にある栗なのだが、隣家にはもう誰も住んでいないし、こっち側にもたくさん落ちているので、気づいたら夢中で拾っていた。 なんて楽しいのだろう。 トングを持ってくれば良かった、と後悔しつつ、車に積んであるゴム手袋をはめて、一心不乱に栗を拾う。 縄文の人たち、きっと楽しかったはず。 足元に食べ物が落ちているって、本当に幸せだ。 ちょっと拾っただけでも、バスケットがずっしりと重たくなった。 母は、運動会の度に栗ご飯を作ってくれた。 私は、運動会そのものより、お昼に食べられる栗ご飯のお弁当が楽しみだった。 だから、私にとっての運動会は、栗ご飯。 大人になって、母が亡くなり、誰も私に栗ご飯を作ってくれる人がいなくなった。 仕方なく自分で栗ご飯を作ったら、なんて大変なんだろう、と途中で癇癪を起こし、栗を放り投げたくなった。 鬼皮を剥いて、更に渋皮も剥いて。 指先には、ナイフで切った小さな傷跡がたくさんできた。 その時、母がどんな思いで私に栗ご飯を作ってくれていたのか、ようやく理解し、号泣した。 もう二度と栗とは格闘するまい、と心に誓うのだけど、秋になって栗を見ると、去年の苦労をすっかり忘れ、つい買ってしまう。 でも、今年はその栗を拾うことができた。 多分、私がノラコヤでやりたいのは、こういうことだ。 私が拾わなかったら、きっと栗たちは、また分解されて土に戻るだけ。 だから、私が拾って、食べ物にする。 こんなにも美しいものを育み、分け与えてくれる地球に感謝しかない。 何分の一かはお世話になっているご近所さんにお福分けし、残りはこれからせっせせっせと栗仕事。 まずは山小屋で一番大きい鉄鍋にお湯を沸かして、そこに入れ、鬼皮を柔らかくしている。 今日拾った栗を全部お手入れするのに、一体何時間かかるのか。 果てしのない作業だ。 昨日は、トリスタンとピクニックをした。 例の如く、前日の夜にメッセージが来て、用事があって明日来るという。 ちょうど私も時間があったので、気持ちのいい森でピクニックをしようということになった。 近くのパン屋さんに行ってサンドイッチやらスープやらをゲットし、あとはいつも車に積んであるピクニックセットをそれぞれ持って、秘密の場所へ。 そこからは、遠くに滝が見えて、ちょっとしたスペースもあって、いい感じに光が降り注ぐ。 山小屋にあったリンゴやプルーンも、外で食べればまた格別の味になる。 わざわざ高いお金を払ってお店でランチなんかしなくても、これだけで十分。 森にいれば、こういう豊かな時間の過ごし方ができる。 トリスタンに、出来立てホヤホヤの『小鳥とリムジン』を手渡した。 最終的な本という形で読む読者は、おそらくトリスタンが第一号だ。 新刊の出版にあたり、私は久しぶりに緊張している。 どうなんだろう? どんなふうに届くんだろう?…

火の力

里での仕事と用事を大急ぎで済ませ、速攻で山に戻ってきた。 一体、海と山の往復で、何度(宇多田)ヒカルちゃんの曲をリピートしたか。 長時間運転する時は、彼女の声でないと気持ちが乗らないのだ。 ふだん家にいる時は、まず聞かないのに。 山小屋に戻ったら、すっかり秋が進んでいる。 窓から見えるカエデの木の葉が真っ赤に色づいて、森全体が秋めいている。 たった半月会わないだけだったのに、自分の庭がとても懐かしい。 みんな無事だったかな、と庭と森の植物たちに目をこらす。 あぁ、やっぱりここは特別に美しい場所だと自画自賛した。 雨を受けて、苔たちが一際大きな歓声を上げて喜んでいる。 山小屋を建ててから、家もまた生き物だと感じるようになった。 たとえるなら、巨大な獣。 寡黙だけど、あったかくて、優しくて、頼もしい存在だ。 時には甘えたり。 だから、こちらがかまってあげないと、すぐにすねる。 毎日毎日、それこそゆりねと接するように、撫でたり、さすったり、かわいいね、と声をかけたり、そういう気持ちが大事で、その気持ちがなければ、家は生き物ではなく、ただの容れ物になってしまう。 どんなにお金をかけていい素材をふんだんに使った立派な家でも、住んでいる人から愛情をもらえなかったらいじけるだろうし、逆にどんなに粗末な掘立て小屋でも、住んでいる人が絶えず愛情を注いで自らの自慢のお城のようにかわいがれば、そこは唯一無二の魅力的な空間になる。 同じ空間でも、愛情次第で、全く違うものに変容するのだ。 だから、やっぱり家はそこに誰かが住んで日々大切にしなくては、いじけてしまう。 今回の里暮らしで、そのことをしみじみと実感した。 家は、住んでこそ、血の通った温もりのある「家」になると。 そこが、二拠点生活の難しさかもしれない。 どうしたって、体はひとつしかないのだから。 夜になり、寒くて薪ストーブに火を入れた。 今シーズン初の薪ストーブ。 やっぱり生の火は、見ているだけで心が落ち着く。 炎を見ていたら、しばらく頭が空っぽになり、動けなくなった。 冬の匂いがする。 いよいよ、本格的な寒いシーズン到来だ。 海辺の町のアパートは川沿いにあったので、常に水の音が響いていた。 そこから較べると、山小屋は本当に音がしない。 久しぶりに完璧な静寂に包まれて、脳が思いっきり覚醒している。 今年はどんな冬になるのかな。 その前に、球根を植えなくちゃ。 明日はノラコヤに会いに行こう。

抱擁力

先週末から里にいる。 ほほぅ、これが噂の「酷暑」かとすぐに納得した。 確かに、室内から一歩外に出れば、そこはミストサウナ状態だ。 車でおりてくる時、北欧から一気にハワイにやって来た気分になった。 海、そして椰子の木。 海外旅行をしているような、ふわふわした気持ちが続いている。 里に来る少し前、友人に精油を送った。 歳の離れた、大切な大切な心の友が、旅先で怪我をして骨折したという。 骨折にはヘリクリサムとミントの精油が効くので、とにかく試してみてほしかった。 一緒に、彼女の大好きなイランイランのクリームも作って準備した。 イランイランは、心にできた深い傷を大きな愛で優しく包むように癒してくれる。 送るのにちょうどいい小さな箱がないかと探したけれど、見つからない。 それで丈夫な作りの紙袋に入れ、その隙間に庭のタイムをたっぷり詰める。 目もダメージを受けているとのことだったので、あえて、メッセージカードも手紙も添えず、取り急ぎ、それだけを送った。 どうか少しでも彼女が楽になりますように、と願いを込めて。 翌日、彼女からラインでメッセージが届いた。 タイムに顔をうずめ、初めてひとりで涙を流したという。 ずっと堪えていた感情が、タイムによって出口を見出したのだと思う。 ただ、私はプチプチの代用品として、そばにあったタイムをわっと入れただけだったけど。 タイムたちが、私の気持ちを言葉以上に巧みに運んで、彼女に伝えてくれたのかもしれない。 改めて、植物の持つ抱擁力を感じた。 正確には、包容力。でも、今回の場合は「抱擁力」とした方がしっくり来る。 私に代わって、植物たちが彼女を慰めてくれたのだ。 本当に、植物たちの力は偉大である。 『小鳥とリムジン』で描きたかったこと。 それは、人間の持つ生命力や、自然治癒力について。 本来、誰しもが生まれながらに持っているものだと思うけれど、意識してそれを守っていかないと、現代のような生活スタイルでは、知らず知らずのうちに目減りしてしまう。 人が、本来持っている底力のようなもの。 自分で自分の傷を癒す力。 植物たちは、それを促すというか、後押ししてくれる存在なのではないだろうか、と森で暮らすようになってから多くの場面で感じるようになった。 偉大なる植物たち。 私はすでに、森の木々たちや草花が恋しくて恋しくて仕方がない。 早く、森に帰ろうと思う。

小さなお守り

秋だ。 風が吹くたび、はらりはらりと葉っぱが落ちてくる。 ブルーベリーに始まった果物リレーは、桃から葡萄へ、更に葡萄から林檎へとバトンが渡されつつある。 林檎の顔を見ると、秋の気配をますます強く実感する。 今は、葡萄が真っ盛り。 さすが、山梨県。葡萄がおいしくて、おいしくて。 見ると、お財布の中身も気にせずに、つい連れて帰ってしまう。 体調がものすごく悪かった時も、葡萄なら食べられた。 わざわざ皮をむかなくてもいいし、好きな量を好きな分だけ口に含むことができる。 葡萄って、体が弱っている時の強い味方だ。 そういう意味では、苺やさくらんぼも、お見舞いには持ってこいだ。 昭和の時代は、それがバナナだったのかもしれない。 あと、今回ダウンしていた時、むしょうに桃の缶詰が食べたくなった。 生の桃ではダメで、欲していたのは甘いシロップにどっぷり浸かった缶詰の桃。 これからは、常備しておくといいかもしれない。 誰かがそばにいて甲斐甲斐しく看病してくれるならいいけど、そうじゃない場合は、林檎とかをお見舞いにいただいても、正直、皮をむく気力がない。 パイナップルなんて、絶対に無理だ。さばけない。 最近、私の周りで体調を崩している人がたくさんいる。 というか、心身共に健康な人の方が、少ないかもしれない。 そりゃ、そうだ。 連日の猛暑、雷雨、台風、地震。気が休まる時がないのだもの。 今は、ものすごく過酷な時代だと思う。 その日を生きるだけで、精一杯。 健やかでい続けるのは、本当に本当に大変なことだと思う。 だから、体調や心のバランスを崩して疲れている人に、私はせっせと葡萄を送っている。 葡萄なら、それほど痛むのも早くないし。 そのくらいしかできないけど。 これからは、自分で自分をいかにケアするかが、ますます重要になってくる。 人に頼っていては、追いつかない。 体調が回復するのを待ち、今日は朝からサイン。 来月、新刊が出るので。 製本前の紙だけを送ってもらい、山小屋でせっせと自分の名前をサインする。 窓の向こうには、朝の光に耀く森。 森は、本当に笑うのだ。 特に、雨上がりの朝は、あふれんばかりの笑顔になる。 タイトルは、『小鳥とリムジン』。 どうか、この物語を必要とする人の手に届きますように。 誰かさんにとっての、小さなお守りになれますように。 そんな願いを込めながら、一枚一枚の紙にサインする。 紙もまた、木からの贈り物だ。…

ひょっとして?

里で野良仕事をしていて、おや? と気になる植物を見つけた。 似ているのだ、ヒョウに。 正式の名はスベリヒユ。全国どこにでも生える雑草である。 その雑草を、食糧難を乗り越えるため、上杉鷹山が食べるのを奨励したので、以来、山形ではヒョウを食べる習慣ができたらしい。 日本でヒョウを食べるのは、山形と、あと沖縄だけ。 葉っぱがぷくっとしていて、茎が赤みを帯びている。 これはヒョウだよな、間違いなくヒョウだよな、と思いながら、その場で葉っぱを齧ってみた。 山小屋に戻ってもう一度ちゃんと調べたら、やっぱりヒョウだった。 山形の人は、ヒョウを食べる時、「ひょっとして、いいことがあるかも?」という願をかけるそうだ。 その控え目な感じがいかにも山形の人だなぁ、と微笑ましく思う。 ヒョウは、お浸しにして食べるのが一般的で、私もうっすらとだが、幼い頃に食べた記憶がある。 ちょっと滑りがあって、ほんのり酸味がある。 そっか、だからスベリヒユを漢字で書くと「滑莧」なのか、な? ものの十分もつむと、カゴがヒョウでいっぱいになる。 これだけあれば、十分だ。 山小屋に戻り、さっそくゆがいた。 お浸しはもちろん、私はごま油で和えてナムルにして食べるのも好き。 お味噌汁の中に入れてもいいし、モヤシの代わりにラーメンに加えるのもアリかもしれない。 実は、ちょっと前、ヒョウがノラコヤの畑にあったらいいな、と思って、どこで苗が手に入るのだろう、と考えていたのだ。 もしかすると、山形の道の駅とかに行けば売っているのかな、と。 わざわざそんなことをしなくても、そこに生えていたのだから、嬉しい嬉しい。 これから、食べ物がなくなって困った時は、ヒョウをつんで食べればいい。 初夏に植えたイチジクの苗木にも、小さな実がひとつついているし、この先、果樹が大きく育つのが楽しみだ。 そして、もうひとつの、ひょっとして? は一昨日の夜のこと。 9時ちょっと前、もうそろそろ寝る準備を始めようかと思っていたら、窓の向こうでバサバサと大きな音がする。 何? と思って見たら、明らかに生き物の顔があるのだ。 三角の耳がピンと立っているので、最初は猫かと思った。 でも、いくら運動神経抜群な猫でも、階段も梯子も使わずに、2階の窓までは上がれない。 え、ひょっとして、あなたは?!? お目目がまん丸で、ものすごくかわいい。 窓のところで羽をばたつかせながら、興味深そうに山小屋の中を覗き込んでいる。 視線の先にいるのは、まどろむゆりねだった。 こんなに近くでフクロウを見るのは、初めてだ。 夜、鳴き声も聞いたことがなかったから、まさかフクロウが身近にいるとは思っていなかった。 もしかして、森の木に巣をかけたら、フクロウが住んでくれるだろうか。 またひとつ、やりたいことが増えてしまった。 もしや、ヒョウが運んできた「ひょっとして?」は、フクロウだったのかな。 また会いたいな。 でも、夜の明かりは野生動物を混乱させてしまうのかもしれないので、夜になったらロールスクリーンを下ろしておいた方がいいのかもしれないな。

たべもの先生

ようやく昨日くらいから、普段の暮らしができるようになってきた。 お盆の頃、夏風邪を引いてしまったのだ。 最初に喉がやられ、丸3日食事もできずにダウンしていた。 ちょうどお盆休みでお医者さんはやっていないし、たとえやっていてもあのコンディションで自力で車を運転するのは逆に危ないし、手元にある漢方薬を飲み、とにかくひたすら寝て過ごす。 症状が一番ひどい時は、何をやっても焼石に水なので、本当なら、ちょっとおかしいぞ、という段階でやれることをすべて実行すればよかったのだけど、遅かった。 少し動けるようになってからやって効果的だったのは、大好きなバニラアイスにプロポリスをたっぷりかけて食べるのと、葛湯にかりん飴を溶かして飲む、そのふたつ。 せっかくなので精油も試したかったのだが、精油の蓋を開ける元気すらなく、それをオイルと混ぜたりなど、できる状況ではなかった。 改めて、プロポリスや葛の偉大さに気づかされた。 冷凍庫にアイスが残っていたのも、不幸中の幸いだった。 こんなに体調が悪くなるのはいつ以来だろう、と考えて、あ、インドのヒマラヤで具合が悪くなった時もこんな感じだったぞ、と思い出した。 あの時も夜中に喉が痛くなり、あれよあれよという間に、起き上がれなくなった。 そっか、あの時はこんな状態で登山したのだ、と気づき、よくぞあの状況で登ったものだと自分を褒めたくなった。 で、今だから明かせるけど、とにかくあの時は臭くて臭くてたまらなかったのだ。 ここに居て一日臭い思いをするくらいなら、山登りでもした方がいい、と判断した結果である。 その宿は、人から出る排泄物を農業に利用する循環型の暮らしを試みていた。 それ自体は、本当に素晴らしいことだと思うし、日本でも、そういう暮らしを実践している人たちがいる。 自分ではそこまでできないので、実際にしている人たちを私は心から尊敬する。 ただし、衛生面に気をつけて、気持ちよくそういう仕組みを取り入れなくては、意味がないと思うのだ。 そのインドの宿では、食堂のすぐ横にトイレがあって、しかもドアも常に開けっぱなしで、食事をしている時も臭いが筒抜けだった。 ハエも凄くて、居て当たり前という状況。 だんだん、気分が悪くなって、せっかくおいしい食事が出されても、おいしく食べられなくなっていた。 そんな環境下で、具合が悪くなったのだ。 そもそも、高山病がずっと続いていて辛かったし。 それでも登れたのは、やっぱりよほど臭かったのだ。 まさしく、耐え難い臭さだった。 今回、具合が悪くなってそんなことをリアルに思い出した。 やっぱり私、臭いのは嫌だ、と切実な気持ちになる。 普段、当たり前のように体を動かしているけれど、具合が悪い時は、山小屋の階段を上るだけでも息がハァハァになってしまう。 体が、私の命を生かしてくれているのだ。 なんてすごいことなんだろう。 体が元気じゃないと、ごはんもおいしくないし、音楽も聴く気になれない。 お酒だって飲みたくない。 だから、いかに体が日々の幸せを支えてくれているか。 具合が悪くなるたびに、身に沁みる。 昨日はようやく野良仕事に行けた。 約2週間ぶりだったけど、雑草たちの生命力にただただ圧倒された。 黙々と草を抜く。 そして今日は森のお手入れ。 自然は、疲れた心だけじゃなくて、弱った体も癒してくれる。 多分、もう大丈夫。…

整理整頓

気の早い葉っぱが、もう色を変え始めている。 一枚、また一枚と落ちてくるのを見ていると、季節は確実に秋へ、そして冬へと向かっているのを感じる。 友人が山小屋を訪ねてきたり、ノラコヤの上棟があったり、植物たちに水をやりに朝野良をしたり、湧き水に水をくみに行ったり、この夏は目まぐるしく時が過ぎていく。 気温が上がりそうな日は、里に下りると暑いので、温泉にも行かず、ひたすら森にこもっていた。 真冬と真夏は、山小屋から出ない日が多くなる。 冬同様、夏もまた読書が進んだ。 森暮らし3シーズン目を迎え、森と私の呼吸が合ってきた。 ここの空気が、すっかり自分の肌に馴染んでいる。 庭の植物たちは、去年よりはずっと健やかに成長している。 花が咲くと、やっぱり嬉しい。 花は、その植物の、「ここにいるよ!」の合図だと思う。 去年植えた植物たちと再会できるのは、最高の喜びだ。 もちろん、柵をしていないので、今年もシーに食べられている。 葉っぱが茂ってきて、もしやこのまま大きく成長するのでは、と期待に胸を膨らませていると、翌朝、あっさり丸坊主にされている。 木苺なんて、もう2回も丸坊主にされた。 それでも、恨みつらみを言うわけでもなく、いじけるでもなく、食べられても食べられても、また健気に葉っぱを芽吹かせる。 その姿が、本当に偉いなぁ、と感心する。 森の管理で大事なのは、整理整頓だ。 森の木々は、強い風が吹くと途中で折れて地面に落ちたり、枝の途中で引っかかったりする。 秋になれば大量の落ち葉も出るし、草取りをすれば、抜いた後の草がこんもりとした山になる。 でも、それらは決してゴミではない。 私が悲しいと思うのは、落ち葉を袋に詰めてゴミとして出す行為で、ちゃんと土に戻してあげれば、それは腐葉土となって地球に返っていくのになぁ、とはがゆくなる。 というか、ゴミ扱いされる植物が、本当に気の毒でならないのだ。 落ちた枝だって、ちょっとした手間をかければ薪になるし、柵にしたり畑の道具として使ったり、工夫次第でいくらでも使い道がある。 抜いた後の雑草だって、また抜いたところに戻しておけば、土の乾燥を防ぐのに役に立つ。 時間が経てば、また土に戻っていく。 そうやって、姿形を変えながら地球の巡りが成り立っているのに、人が余計な横槍を入れることで、その循環が途絶えてしまう。 森は、ほったらかしにしておくと、やがてヤブ化して、手がつけられなくなる。 だから、ヤブにならないよう、落ち葉は落ち葉、枝は枝、石は石、などとジャンル分けして、それらをまとめて置いておく。 それだけで、森はぐんときれいになって、気持ちよく風が通るようになる。 整理整頓ができるのは、人間だけの才能。 そんなにきっちりやらなくても、なんとなく場所を決めてくだけで、森がヤブになるのを防げる。 ということに、この夏私は気づいた。 大事なのは、緩やかな整理整頓である。

一日一桃

桃、真っ盛り。 車で走っていると、あっちにもこっちにも、「もも」ののぼりがはためいている。 果物王国の山梨県が近いので、夏は桃が食べ放題だ。 硬い桃、柔らかい桃、黄色い桃、大きい桃、小さい桃、ハネ桃、いろんな桃が楽しめる。 少し前に、歳上の友人が彼方へと旅立った。 出会ったのは、私がまだ二十代の前半で、社会人になったばかりの頃。 こんなに素敵な生き方をしている女性がいるんだと、目から鱗が落ちるような鮮烈な出会いだった。 以来、彼女はずーっと私のお手本であり、憧れでもあった。 自由で、でもちゃんとしていて、人との距離感が絶妙だった。 彼女に対して、一度だって嫌な感情を抱いたことがない。 思えば、私が作家になるずっと前から、応援してくれていた。 元気がない時はご飯を作って食べさせてくれたり、映画の試写会に連れて行ってくれたり、とにかくたくさんのことを教えてくれた。 親と言ってもいいほど歳は離れていたけど、常に「友人」だった。 物語が書きたいのになかなかその道が見出せず悶々としていた頃、自分の書いた文章をプリントアウトして彼女に読んでもらっていた。 今から思うと、かなり恥ずかしいのだけど。 そんなもの、渡された方だって困っただろうに。 でも、そんな幼い振る舞いも大らかに受け入れてくれる人だった。 そして、適切なアドバイスをくれた。 だから、『食堂かたつむり』の出版を誰よりも喜んでくれたし、その後も、ずっと応援し続けてくれた。 相手が大丈夫そうな時は遠くから見守り、何か助けが必要そうな時はサッと近づいて手を差し伸べてくれる、常にそういう感じだった。 彼女が亡くなった日の朝、里の友人がわざわざ山小屋までそのことを知らせに来てくれた。 とてもとてもきれいな青空の日で、彼女の旅立ちに相応しかった。 最後の方、体は相当ダメージを受けていたはずだけれど、最後の最後まで彼女の魂は健やかなままで、それが本当に素晴らしいと思った。 あんなふうに人生を終えられる人は、なかなかいないだろう。 共に彼女にお世話になった同い年の友人ふたりと涙して、でもそれ以上にたくさん笑って、彼女を見送った。 私の山小屋にあるベンチも、ソーイングテーブルも、デスクも、彼女から譲り受けたものだ。 ものすごくセンスが良くて、かっこよくて、今でも私のお手本だ。 私は、本当に多大な影響を受けている。 もう会えないんだ、と思うともちろん悲しいけれど、それ以上に出会えたことが喜びだし、心の中には感謝の気持ちがあふれている。 その日は、友人と、近くの滝壺に行って、桃を冷やして食べた。 心の中で、彼女の名前を呼びながら。 だから、桃を食べるたびに、亡くなった友人のことを思い出す。 桃は、そのまま食べる以外にも、サラダにしたり、パスタにしたり、コンポートにしたり、ジャムにしたりといろんな食べ方があるけど、最近のお気に入りは、近くのおいしい湧き水を寒天にして、それとあんこと桃と一緒にし、あんみつ風にしていただく食べ方だ。 これだと、食欲のない暑い日でも、スイスイ食べられる。 今日は、どのタイミングでどこでどうやって桃を食べようか。 毎朝、そのことを考えるのが密かな楽しみになっている。 この夏は、一日一桃と決めているのだ。 桃を食べる私の横に、彼女がいるような気がする。 いや、きっといる。 そして、空を見上げながらタバコをふかしている。…

信州夏旅

立て続けに2回、旅行に行ってきた。 前半は、新潟から北信、富山と巡る日本海側へ。 一度山小屋に戻り、再び北信へ。 森暮らしを始めてからすっかり出不精になり、旅といえば、長野県内を楽しむのが主流になった。 海こそないものの、長野県は広大で、表情も豊か。まるで小さな国のよう。 美しい自然も、おいしいものも、温泉もたくさんあるから、県内だけで十分楽しめるのだ。 海がないとはいえ、北の端まで行けば、日本海はもうすぐそこ。 日本海側を巡る旅では、氷見まで行ったので、最終日に足を伸ばし、能登へ。 一本杉商店街がどうなっているのか、この目で確かめに行く。 地震の傷跡が、まざまざと残っていて胸が痛くなった。 しら井昆布店はまだ営業しておらず、鳥居醤油店も本格的な営業再開には至っていない様子だった。 白井さんにも鳥居さんにもお会いできないまま、能登を後にする。 能登に活気が戻る日を祈るばかりだ。 新潟の糸魚川では石拾いに没頭し、湖のほとりでサウナも満喫した。 普段は口にできないようなおいしいものをたくさんいただき、最高の夏旅だった。 気がつくと、7月もあっという間に半分以上が過ぎ、私はもうすでに夏の終わりを感じ始めている。 この後はもう大きなイベントもないし、来月控えている大仕事に向けて、また少しずつ気持ちを整えていこう。 山小屋に連れて帰った糸魚川の石たちは、丸くて、どの子も愛らしい表情をしている。 ヒスイ海岸は、噂の通り、宝の山だった。 拾っても拾ってもキリがなく、自然の力だけでこんなに美しいものが誕生することに、改めて感動した。 石たちは、いきなり高いところに来て、びっくりしているだろうか。 海抜ゼロメートルの所から、標高1600メートルの山の中へ。 でも、不思議だけれど、かつてはここも海だったのだ。 私の行動範囲は、ほぼフォッサマグナ内に収まっている。 友人らが帰り、久しぶりに静かな朝を迎えた。 立派なタマゴダケを見つけて、嬉しくなる。 夜はこれでパスタを作ろう。

ひかりあふるる

今日はノラコヤの地鎮祭。 まさか、人生で2回も、しかもこんなにすぐにまた地鎮祭をすることになるとは、自分でもびっくりだ。 朝まで降っていた雨がピタリと止み、山小屋を出る頃には青空が広がっている。 自慢じゃないが、私はかなりの晴れ女だ。 地鎮祭は、してもしなくてもいいのだけど、やっぱりやると気分が晴れる。 神主さんに土地の神様をお呼びしてもらい、工事がつつがなく終わることをお祈りする。 何より、そこで働く大工さんたちに怪我などがありませんように。 気持ちの問題だけど、やるかやらないか、心理的には大きいのではないかと思う。 祭壇に並べられた魚や野菜。 やっぱり、日本の伝統的な儀式というのは、いいものだな。 地鎮祭の間中、鳥の声が響いていて、なんだかとても幸せだった。 参加者の中には、数日前にパリからやってきたという工務店で働くインターンの方もいたけれど、きっとものすごく珍しい風景だったんじゃないかしら。 お米をまき、お酒をまき、塩をまき、場を清めた。 いよいよ、本格的な工事がスタートする。 それにしても、雑草の勢いが凄まじい。 前回行った時よりも、明らかに成長している。 遮るものが何もなく、日当たりがいいので、もう好き放題だ。 この雑草たちとどう向き合うかも、これからの大きな課題である。 好き嫌いをせず、どんな草でもせっせとおいしそうに食べる、かわいい山羊が、いてくれたらなぁ。 少し前に植えた果樹は、どうやら根っこがついたようで、以前より逞しくなっていた。 もう自力で、天からの恵みの雨だけでやっていけるだろうか。 あまり甘やかしてもいけないと思いつつ、これからの暑さに耐えられるかがちょっと心配。 7月いっぱいと、8月の半分は夏休みにしたので、これからは、まだ涼しい早朝のうちに野良仕事に出かけよう。 夏休みは、朝から本を読んだり、野良仕事に汗を流したり、暑くなったら滝のそばで涼んだり、森でビールを飲んだり、夕暮れ時に瞑想したり、友人と楽しい夜を過ごしたり。 だって、森の夏は短いのだ。 この夏の光を、思う存分楽しまなくちゃ。 ノラコヤの敷地の一角に生えている梅の老木に、たった一粒だけついていた梅の実は、今、梅ジュースにすべくはちみつに漬けている。 うまく剪定をして、来年はもっと実がついてくれるといいけどな。 どんな夏になるか、楽しみだ。

森のお茶会

朝、外に出たらコメツガの大木の下で雨宿りをするシーの親子がいた。 母鹿と、仔鹿。 仔鹿はまだ小さくて、背中に白いかのこ模様が点々とある。 私の存在に気づいたらしく、颯爽と森の奥へ駆けて姿を消した。 そう、その方がお互いにいいからね。 どうか、人や車に慣れませんように。 最近、立て続けに車にはねられた野生動物を見た。 この間は、猫。その前は、狐。そして、昨日は狸か何か。 そういう姿を見て、心の底から可哀想と感じるようになった。 都会で猫が道路に死んでいるのを見ても、以前だったら、ただ気持ち悪がって避けて通るだけだったと思う。 でも今は、本当に気の毒だと思う。 できることなら、それ以上車に潰されない、道の横に動かしてあげたい。 はねる方だって、はねたくてはねたわけではないだろう。 でも、そんな形で生涯を終えざるを得なかったその生き物が、可哀想でならない。 せめて、命を全うし、最期は土の上で迎えて欲しかったと思う。 人の暮らしが動植物たちの住処を奪っているのは明らかで、これ以上奪ってはいけないのではないか。 そういう場面に遭遇するたび、強く思う。 昨日は大雨で、道路一面に、獣の骨や内臓が散らばっていた。 なるべくなるべくひかないように、車を走らせたけど。 ごめんなさい、と思う気持ちは今も続いている。 大雨の中出かけたのは、お茶のお稽古に行くためだった。 友人に先生を紹介してもらい、昨日がそのお稽古の日だった。 お茶のお稽古は、もう20年近くご無沙汰している。 その間に、ほぼほぼ忘れている。 でも、20年前は理解できなかったことも、今ならできるかもしれない、と思ったのだ。 昔は、うわぁ、めんどくさくて絶対にこれは無理、とはなから作るのを諦めたお菓子も、今レシピを見ると、あれ? そんなにめんどうじゃないかも、となって、すんなり作れたりする。 車の運転だって、おそらく私が二十歳の頃だったら、できなかっただろう。 いろんな経験をし、分別もつくようになった今だから、自分を信用できるようになり、運転もできるようになった。 だから、お茶の世界も、今だとまた違った感性で入れるかもしれない。 先生は、確か89歳。 田んぼに囲まれたお寺で、マンツーマンで教えてくださる。 月に一度、心静かにお茶を飲みたい、そのついでにお稽古もしたい、というのが私の希望だった。 そのことを正直に話して、それでもいいですか? と尋ねたら、いいですよ、とのことだったので。 ちなみに、一回のお稽古代は、一千円だ。 個人授業なので、私以外に生徒がおらず、自分でたてたお抹茶を自分で飲む。 一口飲んだところで、先生が、おいしいでしょ? とおっしゃった。 確かに、自分でたてて言うのもなんだが、本当においしいお抹茶だった。 水がいいからね、お茶もおいしいの。 確かに。 全体的に水のおいしい場所だけれど、この辺りは特に、水がおいしいのだ。…

ずっと、いつまでも

夏至の晩、寒くて薪ストーブを焚いた。 もうさすがに今シーズンは出番がないだろう、と思っていたのだが。 また少しずつ、冬へ向けて陽が短くなっていくと思うと、とても寂しい。 その前に、思いっきり夏を謳歌しなくては! ゆりねは今日で、10歳になる。 夏至の頃に生まれた彼女は、本当に太陽の分身みたいに、その場を明るくする。 ひねくれたところが少しもなくて、まさに天真爛漫そのものだ。 わが家に来たのは、ゆりねが三ヶ月の頃だったから、まだ丸10年一緒にいるわけではないけれど、ゆりねと共に歩んだこの10年は、私にとっても激動だった。 本当に、あっちに行ったりこっちに行ったり、振れ幅の大きい飼い主の人生に、よくぞ付き合ってくれていると思う。 10年は、あっという間だった。 これからも、ずっと、いつまでも一緒にいたい。 そう思うけれど、命には必ず区切りがあるから、私のその願いは叶わないだろう。 いつか、は必ず訪れる。 でも、その「いつか」に怯えて日々を送るより、それまでの共に過ごせる時間を、思いっきり味わい尽くしたい。 その時はその時で、ドーンと悲しみを引き受ければいい。 と思いつつ、でもやっぱりそろそろもう一匹、という考えがないわけでもない。 よく、人間に例えると何歳、という言い方をする。 一般的に、犬の10歳は、人間でいうと74歳となるらしい。 でも、私は最近つくづく、その考え方って現実にあっていないというか、ナンセンスなような気がしてきた。 確かに、肉体的にはそうなのかもしれないけど。 犬の10歳は、10歳でしかないと思うのだ。 ゆりねの行動なんかを見ていると、人間の10歳児と、中身はほぼほぼ変わらないんじゃないかと感じる。 だんだん知恵もついて、場合によっては悪知恵なんかもついて、処世術が身について、好き嫌いもはっきりして、自己主張が強くなる。 最近のゆりねは、私から出すマテの指示を、完全に無視するようになった。 マテの意味は、もちろんわかっている。 でも、対象が大好きなパンだったりすると、私がいくらマテを出したところで、しれっとパンを口に入れる。 おそらくこの10年で、ゆりねは学んだのだろう。 マテを守らなくても、別に何も悪いことが起こらない、と。 だったら、さっさと口に入れちゃっても問題ない、と。 母が入院していて、久しぶりに会いに行く際、何か食べたいものある? と聞いたら、間髪入れずにケーキと答えた。 ずっと、食べられなかったのだろう。 それで、ケーキをふたつ買って持って行ったのだが、はい、と渡すと、母は私が何かしている間に、いただきますも何もせず、黙々とケーキを食べ始めていた。 ふたつのケーキを、母はあっという間に平らげた。 よっぽどケーキが食べたかったのだと思う。 犬も人間も、歳をとるとそうなっていくのかもしれない。 ゆりねが私のマテを無視するたびに、私はあの時の母を思い出して、懐かしくなる。 今日はゆりねのバースデーだというのに、私は泊まりがけの仕事で出かけなくてはいけない。 お土産においしいパンでも買ってきて、お誕生日は明日改めてお祝いしよう。 どこにゆりねを預けようか真剣に悩んだ挙句、今回は、ここ何回かお世話になっているトリマーさんにお願いすることにした。 なんと、トリマーさんも今日がお誕生日なのだ。…

メイ・サートン

雨に閉じ込められたので、メイ・サートンの『夢見つつ深く植えよ』を読む。 彼女の作品を読むのは、『独り居の日記』に続いて2冊目。 書いた順番としては、『夢見つつ深く植えよ』の方が先とのこと。 雪や雨で外に出られず山小屋にこもって文字を追っていると、言葉が体の細胞に沁みてくるようだ。 至福の時間を味わった。 それにしても、今の私の森暮らしは、半世紀ほど前のサートンの独居生活を再現しているようで驚いてしまう。 考え方、人付き合いのあり方、自然に対しての驚き方、書くことへの思い、なんだか怖いくらいに似ている。 これほどまでに親近感を覚える作家に出会ったのは、初めて。 「体験は私の燃料だ。私はそれを燃やしながら生きてゆくだろう。生涯の終わりに、燃やされなかった一本の薪も、作品に使われなかったわずかな体験も残ることのないように。」 この文章なんて、もう完全に、私が日々感じていることの生き写しというか、そのまんまだ。 私は、こんなに的確な言葉で表現することはできないけど。 読んでいて、ゾクゾクする。 『独り居の日記』は大雪の日に、『夢見つつ深く植えよ』は雨の日に出会った。 大親友と遭遇したような心境だ。 彼女も、片田舎に引っ越したことで庭仕事に没頭する。 その気持ちが、痛いほどよくわかる。 私は、自分の好きにできる土地を持つことは、とても価値のあることだと思っている。 ドイツ人にはクラインガルテン(直訳すると、小さな庭)があるし、ロシア人にはダーチャがある。 自分の家とは別の、庭。 そこで、週末を過ごしたり、夏の時間を過ごしたり。 それがあるかないかで、人生の歓びは大きく違ってくる。 東京の新築マンションの平均価格が一億円を超えているとか。 驚いてしまう。 ただ地道にコツコツ働いていては、買うことのできない値段だ。 土地の値段が大きく反映されているのだろうが、大体、土地に値段があること自体、私はあまりよくわからない。 でも、大都会で土地を所有するのは難しくても、地方だったら、もっとずっと安い値段で土地を得ることが可能だ。 何に価値を置くか、何をもって人生の歓びとするかは人それぞれだけど、選択肢のひとつとして、サートンや私のように、片田舎に土地を所有し、その場所で好きに戯れるというのはアリだと思う。 今は、リモートでだいぶ働き方も変わってきている。 妻は都会でお金を稼いで週末だけ田舎に戻り、その間に夫は田舎で子育てをする、とか、そういうことも可能な時代になってきた。 先日、取材を終えて山小屋に戻る際、途中の駅まで担当編集者を車で送るという任務があった。 電車の時間を調べると、うーん、ギリギリ間に合うか、もしくはギリギリ間に合わないか、どちらかというかなり際どいタイミング。 その電車を逃すと、次は一時間後になってしまう。 安全運転を心がけつつ、出せるところではスピードを出して駅に向かった。 駅に着いたのが、ちょうど電車の発車と同じ時刻。 でも、ホームにはまだ電車の姿がない。 「とにかく最後まで諦めずに走ってください!」と声をかけ、送り出した。 結果、間に合ったという。 途中で諦めていたら、そこで可能性はゼロになる。 でも最後まで諦めなければ、決して可能性はゼロにはならない。 いくばくかでも、可能性は残る。…

野良はじめ

夏至が近づき、夜明けの時間が早くなっているせいか、ゆりねが朝4時半くらいから運動会を始める。 1階と2階で分かれて寝るようになってから、私は一切、目覚まし時計がいらなくなった。 毎朝、ゆりね時計に起こされている。 今朝も、夜明けと共に大運動会。 おそらく、朝ごはん! 朝ごはん! お腹空いたから、早く起きて!のメッセージだろう。 ソファから飛び降りては、またソファに飛び乗って、その繰り返しで、ドタバタドタバタ騒いでいる。 5時前に起きて、朝を迎えた。 少しだけ、雨が降っている。 車にせっせと苗を積み込んで、6時過ぎに山小屋を出た。 普段はこんな時間に運転することはほとんどないけど。 ひたすら山を下りて、里を目指す。 里で、野良仕事をすることにした。 森暮らしでは、シーと寒さで、庭と畑はほぼできない。 一応、庭も畑もできる範囲ではしているけど、常にシーのことを念頭に置かないといけないのだ。 だから、もっと標高の低い場所に土地を見つけた。 今度はそこで、庭と畑をやり、敷地の一角に野良仕事をするための作業小屋を建て、そこを冬の住処とする。 結構、壮大な計画なのだが、どうせいつかやるのなら早い方がいいと判断し、年明けから動いていた。 もう、八ヶ岳南麓エリアから出たくないし、行動範囲を狭くしたい。 色々思うことがあり、決断した。 今日は、野良仕事第一日目。 まずは、果樹の苗を植える。 今年ほど、梅雨の到来を待ち侘びたことはない。 できれば、翌日に雨が降るタイミングで、苗を植えたいのだ。 そうすれば、わざわざ水やりに行かなくて済む。 なのに、待てども待てども、梅雨が来ない。 このままで大丈夫なのだろうか、心配になる。 でも、もう苗たちもスタンバイしていることだし、今日、植えに行くことにした。 庭に果物のなる木があったらいいな、と前々から思っていた。 その夢を、ようやく叶えることができる。 ゆず、いちじく、さくらんぼ、プラム、あんず、ラズベリー、ブラックベリー、びわ、桑、柿、梅。 その環境でどんなふうに育つかわからないから、まずは植えてみる。 その土地は近くの小学校の通学路に面しているので、道路側はかわいいお花畑にしたいし、鶏も飼えたらいい。 本当はロバを飼いたいのだが、現実的に難しいだろうか。 妥協して、ヤギもいいかな、なんて思っている。 どこまで実現できるかはわからないけど、とにかく、少しでも多く、自分の糧を自分で育てられたら嬉しい。 無事に苗を植え終えて、山小屋から持って行ったなけなしの水を少しずつあげて、頑張るんだよ、と一本ずつに声をかける。 まだ、ミツバチアパート以外なーんにもない土地に山小屋から椅子を運び、古い梅の木の下に置いた。 枝が伸び放題の梅の木には、なぜか本当に一粒だけ、ものすごく立派な梅がなっている。 そこに座ってお茶を飲みながら、さくらんぼをつまんで種を飛ばした。 山小屋の周辺は原生林なので、私が手を加えられる部分はほんのわずかだが、里の土地は今、全くの白紙の状態だ。…

雨上がりの朝の森

昨夜から降っていた雨が上がった。 朝、外に出て森を見ながらお茶を飲む。 苔がキラキラ、葉っぱがキラキラ、お花もキラキラ。 梢からは春蝉の声が降り注ぎ、遠くから鳥の囀りが響いてくる。 雨上がりの朝の森ほど、美しいものはない。 地上のきらめきをギュギュッと凝縮みたいだ。 朝、森を見ながらお茶を飲みたいばかりに、一時間早く起きて、一時間ぼーっと過ごす。 至福のひととき。 ようやく、外でお茶を飲んだり本が読めような季節になった。 最近、木にもそれぞれ性格があるんじゃないかと思うようになった。 この春、合計何本の木を庭に植えたのか、数えていないのでわからないけれど、彼らを見ていると、そう強く感じる。 これまで、木は木でしかなかった私にとって、大発見である。 もちろん、犬も犬種によってその性質があるように、木にもそれぞれ、日向が好き、とか木陰が好き、とかその種の特徴はあるだろう。 でも、同じ犬種でもその子の性格があるように、木にも一本一本個別の性格を感じる。 陽気だけど、ちょっとおっちょこちょいの木。 人懐っこい木。ビビりの木。内向的な木。用心深い木。ちょっとひねくれた性格の木。 かまってもらうのが好きな木もいれば、ほっといてほしい木もある。 なかなか心を開いてくれないけれど、一度心がつながったら、ものすごく信頼してくれる木もある。 だから、それぞれの木の性格を把握した上でお付き合いすると、より関係が深まって、結果として木はうまくその場所に根を張ってくれるのではないかと思うのだ。 私は今、もっともっと木と仲良くなりたい。 日々があまりにもさらさらと、気持ちよく過ぎていくので、あれ? もしかして私、すでに死んでいるのではないのかな、と思う場面が時々ある。 私が生きているのは、死後の世界なんじゃないかと、本気で思うのだ。 全てに調和がとれていて、ストレスを感じる場面がない。 考えてみると、私は今、自分が嫌だと思うことをひとつもやっていない。 掃除をするのが嫌だからしない、とか、そういうことではなく。 魂の意志に反することはしない、ということ。 もちろん、突発的に厄介なトラブルが発生したりはするけれど、それも、まぁなんとなく片づいてしまう。 書くことは、ものすごーく楽しい。 イヤイヤ書いた文章なんて、ひとつもない。 好きだから書いている、ただそれだけ。 特に、物語を書きながら共に過ごす時間は最高に幸せだ。 こんなふうに肩の力を抜いて暮らせているのは、やっぱり森のおかげだろう。 森が、私の中に芽生える嫌な感情を、瞬時に吸い取ってくれるから。 本当に、ありがとう! と心から思う。 雨上がりの朝の森を周りの人たちにも味わってほしいと思うのだけど、今だよ! というときは、たいていゲストはおらず、結果的に私だけが恩恵を受ける。 これから梅雨を迎えるから、森はますますべっぴんさんになる。 森が、本当に輝くのだ。 もうすぐ10歳になるゆりねも、光り輝いている。

乙女百合ちゃん

台風の影響で雨が続き、丸2日、森と庭に出られなかった。 その間に、乙女百合が咲いた。 まさかと思って女石さんの前まで行ってみたら、たった一輪、乙女百合が咲いていたのだ。 またの名を、姫小百合。 山形県を含む東北の一部にしか自生していないユリで、淡いピンク色の可愛い花だ。 数あるユリの中でも、私はこの乙女百合が一番好きかもしれない。 森で暮らすようになってから、ユリが大好きになった。 それまで、ユリの花は匂いが強いし、どうも仰々しくて、あまり好ましく思っていなかった。 でも、夏のある日、森の奥で、木漏れ日を受けながら人知れず咲く一輪のユリの花と出会って、ユリの花に対する印象がまるで違うものになった。 もうこの世のものとは思えないほどの美しさで、清楚で、かつ凛として、そうか、これが本来のユリの姿なのかと悟った。 お花屋さんのガスケースに高級花として売られているユリは、同じユリでも意味が違うのだ。 ユリは断然、大自然の中で、しかも森の中に咲くのがふさわしいと思う。 乙女百合は、絶滅危惧種とのこと。 どうか、この星から姿を消さないでほしい。 ところで、私は自分の敷地の森を、自分にとっての聖地にしようと思っている。 大きな石がたくさんあるが、その中でも特に神々しい石を三つ選び、女石、男石、子石と名づけて敬っている。 きっと、昔の人たちもそうだったんじゃないかと思うのだ。 先日、用事があって出向いた先の近くの小さな神社に立ち寄ったら、苔むした大きな石の上に、小さな石の祠がのっていて、その祠もまた同じように苔むしていた。 どのくらいの時間をかけてそうなったのかはわからないけれど、おそらく先人たちも、なんとなくこの石には神々しい気配を感じるから、これを神様にしようと決め、そしてそれを長い年月をかけて崇め続けた結果、そこが聖地になったりしたのだと思う。 男石と子石に関しては何も手をかけていないけれど、一番のリーダー(?)格である女石に関しては、女性でもあるので、石の周りや上に花を植えている。 乙女百合ちゃんは、その中でも一番大事な場所に植えた大切な花だ。 去年は植えてすぐシーに食べられた。 だから今年は、万全の体制で、シー対策に励まないと。 これからしばらくは、乙女百合ちゃんを守る会の活動が忙しくなる。 明日は一日なので、女石様に日本酒を捧げ、月一度の正式なお参りをする。 石の周りをきれいにし、お酒を供えると、なんとなく、女石さんも喜んでいるように感じる。 そうやって、月日を重ね、祈り続けていれば、いつか、聖地になるんじゃないかと。 雨が続き、森の木々だけでなく、石や苔たちも、大喜びしている。

スモールファーム

ハルゼミが鳴き始めた。 気温が上がってくると、森全体から賑やかな声がする。 夏の蝉より、ほんの少しお淑やかな鳴き方だ。 初めて聞く人は、カエルの合唱と思うかもしれない。 ハルゼミが鳴くと、梅雨が近いのを感じる。 ハルゼミは松林に生息するらしく、各地で絶滅危惧種となっているとか。 今年から、庭の一角に小さな菜園を作っている。 畳一畳にも満たない狭さだが、これがなかなか重宝している。 植えているのは、ジャーマンカモミールとレモンバーム、ルッコラ2種、ミツバなど。 最近になって、トマトとズッキーニの苗も追加した。 完全な砂地だし、どう育つのか育たないのかも未知数だけど、とりあえず、今のところはシーにも食べられず、順調だ。 シーがなるべく近づけないように、山小屋に一番近い場所を菜園にした。 食事を作っていて、ちょこっと何か足りない時は、迷わず菜園へ行くようになった。 行くといっても、ただ外に出ればいいだけ。 台所のすぐ近くに菜園があるのは、とてもありがたい。 昨日は、ルッコラとケールと椎茸を摘んできて、スープに加えた。 椎茸、去年ホダ木を3本作ってみたのだけど、明らかに多かった。 近頃はひょいひょいひょいひょい顔を出すので、食べるスピードが追いつかない。 どうやら、シーも食べない模様。 嬉しい悲鳴だけれど、来年からは1本で十分かも。 今、いろんな椎茸料理を試している。 今日、チョコアイスを作っていて、ふと、もしかしたら山椒と合うかもしれない、と閃いた。 だって、チョコとミントは仲良しだ。 だったら、山椒もいけるかも。 去年植えた山椒の木に、今、たっくさんのかわいい新芽が出てきている。 葉っぱからは、爽やかなものすごくいい香りがする。 利用しない手はない。 このままだと、ただ葉っぱが成長してしまうだけだ。 果たして結果は、大正解! 山椒チョコ、世の中にはすでにもうそんな商品があるのかもしれないけれど、私としてはヒットだ。 早速、紙のカップに入れたチョコアイスの上に山椒の葉っぱをのせて、冷凍した。 季節は、どんどん先へ先へと進んでいく。 一体全体その葉っぱをどこに隠していたのか、と不思議になるほど、森は今、初々しい新緑に彩られている。 朝はお茶を飲みながら森を愛で、夕暮れはワインを飲みながら再び森を愛でる毎日。 去年、私はシー対策として、たくさん薬草を植えた。 鹿が食べない、とされる薬草だけを植えたつもりだけれど、ネットの情報とかに頼ってはダメなのだ。 そこの鹿が食べないだけで、ここの鹿は食べる、というケースがほとんどだった。 だから、ここの場合はどうか、というのは、実際に自分でやってみるしかない。 そして、更に言うと、そのシーは食べないけど、このシーは食べるとか、個体によっても違うのだ。 当たり前だけど、一概には言えないのである。…

お庭熱

水仙の花を見ていたら、涙が出てきた。 じんわりと涙が滲む、というレベルではなく、洟を垂らしながら号泣した。 かわいくて、かわいくて、世の中にこんなにかわいい存在があったのか、と初めて気づいたような感覚だった。 そこにゆりねがいっぱいいるような。 秋の終わりに植えた球根たちが、冬の間じーっと冷たい土の中で耐え、春になってお日様の合図でみな一斉に顔を出す。 なんと健気で、愛おしいのだろう。 植物たちは、冷たい雨が降れば寒そうにキュッと体を閉じて、お日様が出れば伸び伸びと嬉しそうに葉っぱや花をリラックスさせている。 世の中には、植物たちの言葉がわかったり、コミュニケーションのとれる人がいるというけど、私はそういう人が羨ましく羨ましくて仕方がない。 私も、緑の友達と話がしたい! ゆりねに明確な意識があるのと同じように、緑の友にも意識を感じる。 去年、里から連れてきて森に植えて、すぐさまシーに丸裸にされたレンギョウ。 もうダメだろうと当然のように諦めていたら、春になって小さな葉っぱを芽吹かせ、そのうち一輪だけ黄色い花を咲かせた。 わーっと満開に咲くのも見応えがあるけれど、一輪だけ、そっと咲いた奥ゆかしいその姿に目が離せない。 窓の向こうは、日に日に緑色が深まっていく。 朝起きて、お茶を飲みながら、ただただぼーっと庭や森を見ていると、一時間なんかあっという間に過ぎてしまう。 本当は、一日中見ていたい気分なのだ。 それくらい、愛着がある。 私は完全にお庭熱に浮かされている。 一番よく通っている温泉の途中にも、お庭熱にやられている人がいる。 春になると、満開のお花畑が出現するのだ。 水仙、チューリップ、そして今は真っ赤なポピーが満開だ。 お庭の一角には簡素な見晴らし台まで作り、そこには、「××ちゃんの庭」という看板までつけてある。 じっくりとお庭を拝見したいのだけど、いかんせん、そこはものすごい急カーブを利用した土地で、なかなか車を停めたりすることができない。 あぁ、もっとちゃんと見たいのになぁ。 毎回、その横を通るたびに、××ちゃんはよっぽどお花が好きなのだろう、と想像する。 木こりさんによる樹木の伐採は、つつがなく終了した。 最後は、枯れてしまった太いダケカンバを根元から切っていただく。 因果関係が科学的に証明された訳ではないけれど、どうやら枯れた原因は、浄化槽の設置にあるらしい。 山小屋を建てるに当たってどうしても浄化槽を作らなくてはいけず、それを作ったがためにダケカンバの根っこが傷つけられ、立ち枯れてしまったようなのだ。 本当に可哀想なことをしてしまった。 何年も、何十年もかけてそこまでの大木に成長したダケカンバに、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 自然は、本当に絶妙なバランスで、互いに互いを支え合いながら、様々な命がひしめき合って現状を維持している。 都会の街路樹だって、人工的に人の手によって植えられたものでも、木そのものは自然だ。 植物の存在無くして、私たちは息を吸うことも食べることもできない。 私たちがお腹を空かせれば木の実を恵んでくれるし、寒かったらその体を燃やすことで熱を恵んでくれる。 多大な恩恵をもたらしてくれているのに、私たち人間は、自分たちの勝手な都合で、そこに木を植えたかと思えば、邪魔だからと簡単に木を切り倒そうとする。 その木がそこまで成長するのにものすごい時間がかかっているのに、目先の経済だけで、その時間をいともたやすく反故にする。 なんて傲慢な存在だろう。 リニア中央新幹線を作るためのトンネル工事の影響により、周辺の井戸やため池の水が減っているという。 その事実に、胸が痛む。…

春たけなわ

どうやら、今年は筍が豊作らしい。 連休中、2日連続で筍を頂戴した。 しかも、採れたての初々しい筍だった。 新鮮な筍は、刺身にして生でも食べられるほど。 あく抜きも、米糠を入れずにただ茹でるだけでいい。 まずは、私にとっては定番である、豚肉と白滝との炊き合わせ。 お財布に余裕があれば、豚肉を牛肉に変えてももいい。 それに、筍ご飯と筍汁。 下の硬いところはサイコロ状に切り、シウマイ弁当に入っている筍を真似して、筍の甘辛煮。 それでも食べ切れない分は、お揚げと炊いて筍ご飯の素を作り、その状態で冷凍しておく。 筍と山菜で、カレーも作った。 これは、ご飯だけではなく、蕎麦やうどんにも合う。 こんなにも筍を満喫できたのは、数年ぶりだ。 掘り立てだから繊維が柔らかくて、アクもない。 これはもう、山に住んでいる者の特権だ。 山に住んでいる者の特権と言えば、タラの芽もそう。 先日、車で走っていたら、おじさんふたりが路肩に軽トラを止めて、何やら怪しげな行動をとっている。 ひとりのおじさんは細長い剪定鋏を持ち上げ、もうひとりのおじさんは下に布を広げている。 おじさんふたりの視線の先にあるのは、タラの芽だった。 そっか、あそこにタラの木があるのか! そうやって見ると、あっちにもこっちにもタラの木がニョキニョキ生えている。 よし、場所を覚えておいて、帰りに私もいただいて帰ろうと実行した。 でも、取りやすい場所の芽は、もう全てが摘まれた後で、上の方の高い枝先にしか残っていない。 きっと近所に住むおばあちゃんたちが、今か今かと目を凝らし、一番いい場所のは最高のタイミングで採っているのだろう。 私も、来年はもう少し早く出向いて、タラの芽狩りに参戦しよう。 その日、ほんの少し、手が届く範囲で摘んだタラの芽は、すぐに天ぷらにしていただいた。 でも、ちょっと酸味が出ていた。 あの、ほろ苦い独特の味は、最初の頃のタラの芽にしかないのだと改めて勉強になる。 そのことがあって以来、自分の目が、タラの芽を探すモードになった。 まさに「タラの目」で、その目で見ると、あるわあるわ。 あっちにもこっちにも、タラの木がある。 なーんだ、ここに来ればわざわざお店で買わなくたっていっくらでもタラの芽が手に入るんじゃん! と少し拍子抜けした。 それくらい、道路沿いはタラの芽の宝庫になっていた。 つい数日前は、女性が軽自動車を路肩に停めて、何かを摘み取っている。 手にしているのは、おそらくワラビ。 そっか、そういう季節になったか、と教えてもらった。 私も早々に摘みに行かなくちゃだ。 山菜は、あっという間に成人になってしまうので、タイミングがとても大事。 昨日は、椎茸を発見した。 ちょうど去年の今頃、ご近所さんの手ほどきを受けながら仕込んだホダ木に、ひょっこり、椎茸が顔を出していた。…

手巻きピザ

連休が終わり、静かな日常が戻ってきた。 山を下りると混んでいるので、私は森にこもってひたすらひたすら土に触れて過ごす。 ようやく若葉が芽吹き始め、清々しい爽やかな風を感じながら地面に触れていると、自分が満ちていくのを実感する。 都会で暮らしている時は、満たされる、という感覚だった。 つまり、誰かや何かに、満たしてもらう。 自分を満タンにするのは他の誰かで、疲れた時は誰かにケアしてもらうのが当たり前だった。 でも、森で暮らすようになってから、自分で自分を満たすことができるようになった。 ケアも、人にしてもらわなくても、自分で自分でケアできる。 そうできるようになったのは、自然がすぐ近くにいてくれるからだ。 夢中で草取りをしていると、自分の中に紛れていた嫌な感情やモヤモヤした気持ちが、全部地面に吸い取られていくような感覚になる。 このままずーっと庭仕事だけしていけたらどんなに幸せだろう、と想像する。 植物たちは、自分でちゃんと衣替えをして、花を咲かせたかと思えば、新緑を芽吹かせ、時期が来れば潔く葉っぱを落として冬に備える。 人生のお手本だ。 草取りは、料理人にとっての皿洗いみたいなものなんじゃないか、と思う。 別に私も、闇雲に雑草が憎くて草取りをしているわけではない。 もしかしたら、取らなくてもいいのかもしれないし、雑草には雑草の役割もあると承知している。 草取りに関しては、もう完全に私の自己満足でしかない。 私以外、誰ひとり、草を取る前と取った後の違いはわからないだろう。 それでも、草を抜くと、ちょっと、地球が喜んでいるような気がするのだ。 雑草は、地球のムダ毛みたいなもの、というのが今の私の持論で、そのまま生やしていても問題はないけど、でもツルツルスベスベのお肌はやっぱり気持ちがいい。 もちろん、モジャモジャが好きなら、モジャモジャのままでもいい。 大事なところに毛が生えるのと一緒で、ここはそのままにしておいた方がいいだろう、という場所も当然ある。 草を取りつつ、いろんな発見がある。 新芽が出てきたことに気づいたり、ふわりと香ばしい土の香りに出会ったり。 遠くから見ているだけではわからない、地面のすぐ上で現在進行形で起きていることを目の当たりにすることができる。 そして、てっきり自然消滅したとばかり思っていた植物の芽がひょっこり顔を出しているのを見つけると、本当に本当に嬉しくなる。 自分が無知のせいで、去年、植えてすぐシーに食べられてしまい、可哀想な思いをさせてしまった木も、もうダメかと諦めていたら、ここにきて、小さな小さな葉っぱを芽吹かせている。 改めて、生命力の強さを感じた。 そういう子たちは、また同じ痛い目にあわせまいと、シーの嫌がる植物のそばに移植したりしている。 庭仕事がいいのは、決して終わりがないことだ。 例えば、本の場合は、ある程度、ここで区切り、ここから先はもう手を入れられません、というタイミングがやってくる。 でも、庭仕事には際限がない。 相手は生き物で、変化し続ける。 草取りもそうだけど、やってもやってもキリがない。 だから、永遠にやり続けてしまうのだが。 だいぶ陽が長くなってきたとはいえ、私は夜になって庭が見えなくなると、とてもつまらないと感じてしまう。 早く朝が来て、私の植物たちを愛でたい。 夜の間に、せっかく芽吹いた葉っぱがシーに食べられやしないかとハラハラする。 朝起きて窓の外をチェックし、植物たちの生存確認するのが日課になった。 シーとの知恵較べは以前として続いており、私がほぼ全敗しているけれど、それでも、シーに対するちょっとした嫌がらせを思いついては、日々、実行している。…

ひとり時間

T子に会いに松本へ行ってきた。 ゴールデンウィークに入っていなければ車で行ってもよかったのだけど、今はちょっと道の状況がわからないので、あずさで行く。 松本は、すごくすごく好きな町。 東京に出るんだったら、私は松本に行って用事を済ませたいと思う。 松本は、ただ歩いているだけで楽しくなる。 ふだん、T子は九州に住んでいる。 私は歳上の友人が多いのだけど、そんな中でT子は貴重な存在だ。 歳下で、しかも私が呼び捨てで呼ぶ唯一の友人かもしれない。 ものすごくエネルギーが強くて、生々しくて、なんか、球根みたいな子だ。 この間、過去の手紙を整理していたら、T子からもらった手紙がたくさん出てきた。 とてもとても魅力的な人。 今回、T子はひとり旅。 結婚し、子育てをし、10年ぶりに「ひとり」の時間を過ごすという。 その旅先に、信州を選んでくれたことが嬉しい。 ひとり時間を満喫し、エネルギーを充填し、キラキラどころかギラギラ輝くT子と再会した。 前回会ったのは、石垣・黒島の旅の時だったから、3年前になる。 とはいえ、会える時間は2時間弱しかない。 T子は、夕方松本からバスで松本空港に向かい、そこから福岡へ帰るという。 まずは、駅の改札近くにあるコインロッカーにT子の荷物を預け、そこからお蕎麦屋さんへ向かう。 途中で一軒、私の好きな店が開いていたので、そこに立ち寄って、お揃いでバングラデシュのカゴを買った。 大きなカゴをふたりで持って、てくてく歩く。 私は群れるのが好きではないし、特定の誰かと常に連絡を取り合ってベタベタするのも性に合わない。 会う時は会う、会わない時は会わない、というメリハリのある関係の方が心地よく、だから数年間連絡もせず会いもしないという友がほとんどだ。 それでも、一度しっかりと絆を結んでしまえば、たとえ数年ぶりに会っても、またすぐに時間が巻き戻って、そこから更に関係性を深めることができる。 もちろん、中には疎遠になってしまう人もいるけど。 お互い異なる時間の中で、違う人間関係の中で生きていれば、価値観や生活環境が変わったりもするから、それはそれでどうしようもない。 そんな時は、無理して関係を続けず、自然消滅でいいのでは? と思っている。 遠い未来に、また友情が復活するかもしれないし。 自然の流れに身を任せるしかない。 T子が今回行ってみたいとリクエストしたお蕎麦屋さんは、私の大好きな店だった。 ものすごく着物の似合うかっこいい女将のいる店で、その店の暖簾をくぐるたびに、私は神聖な気持ちになる。 松本に行く時はなるべくそこでお蕎麦を食べるのが常で、私にとって、松本といえばそのお蕎麦屋さんなのだ。 粗相のないよう、ちょっと緊張しながら日本酒を飲み、静かにお蕎麦を食べてサクッと帰るのがいつものパターン。 こっそりと女将さんの所作や着物の着こなしを見つつ、短いが静謐な時間を過ごす。 どうやら、T子と女将さんには共通の知人がいたらしい。 いつもはただお蕎麦を食べて帰るだけなのに、昨日は女将さんと初めてお話することができた。 そして、あっという間に時間が過ぎる。 驚いて腰を抜かしそうになったのだけど、嬉しいことに、女将さん、私の本を読んでくださっていた。 それも、一冊だけじゃなくて。 これ以上は長居できないというギリギリの時間に店を出た。…

木こりさん

大体朝の9時くらいに木こりさん夫妻がやってくる。 同じ村人で、とても感じのいいご夫婦だ。 おいしいお茶やお菓子を物々交換するのが恒例になっており、私もつい、これは木こりさんがお好きなのでは? と想像してプレゼントするのが楽しみになっている。 高所での作業ゆえ、集中力を要する。 木に登って作業するご主人と、その作業を地上でサポートする奥さん。 息がぴったりだ。 普段はお昼前後に作業を終了するのだけど、先週、仕事量が多い日があって、いつもより労働時間が長くなった。 気温も急に上がったりして、少し無理をされたのだと思う。 翌朝、電話があり、「ごめんなさい、ふたりとも体調を崩してしまって」とのこと。 「本当に情けなくて、ご迷惑をかけてしまって」と涙ながらに訴えるので、もうこちらはこれっぽっちも迷惑など被っていないし、本当にご無理のないように時間をかけて作業をしていただければいいのです、とお伝えした。 とても繊細な仕事内容だし、状況がいつもとほんの少し違うだけでも、体はそれを敏感に感じ取って、警報を鳴らすのだろう。 もしその体の声を無視して無理をしたら、ますます大変な結果を招く。 体が仕事道具なので、とにかく日々体のメンテナンスを怠らず、養生しなくちゃいけない。 私が森暮らしで大切にしているのは、 「できることだけ、やる。できないことは、しない。」 という、とてもシンプルなこと。 本当に当たり前のことなんだけど。 なんでも自分でやろうとするのは、逆に効率が悪くなる。 だから、自分でできないことは、潔くできる人にお願いしてしまうのが、森で気持ちよく暮らすコツのような気がする。 つい頑張ってやりすぎてバッテリーをゼロにしてしまうと、ゼロからフル充電するのには結構時間がかかる。 でも、少し余力を残しておくと、また次の日スムーズに仕事が始められる。 今、私が夢中になっている庭仕事も、義務じゃないから楽しいのであって、これが義務になったら、面白さが半減する。 ようやく、コブシの花が開いた。 この花が咲くと、やっと春本番だ。 森のカラマツたちも、昨日あたりから、小さな小さな新芽を出し始めている。 同じ道でも、昨日と今日では色彩が変わるし、朝と夕方でも、緑の見え方が違う。 今は、グレーとモスグリーンを混ぜたような、本当に本当に淡い緑色で、これが日に日に色を濃くしていく。 里に暮らす友は、この微妙な春の色が一番好きなのだとか。 ゴールデンウィーク中は、木こりさんたちがいらっしゃらない。 お会いできないのは少しさみしいけれど、どうか、じっくりと体と心を休めてほしい。 また伐採木が新たに増えたので、私はせっせとそのお世話をして過ごそう。 水仙が咲き、原種のチューリップも咲き、クロッカスももうすぐ咲きそうになっている。 花たちは、お日様が出ると、本当に笑う。 これが、今朝の発見である。

春本番

水仙の花が咲いた。 里では一月にもう川べりで咲いていたから、やっぱり三ヶ月も季節が遅いということになる。 去年植えた球根が冬を越して、花開いたのだ。 一冬越さないと根付いたとは言えないから、これでようやく一安心。 それにしても、去年植えた時の身長の、半分以下だ。 まるでミニチュアみたいに背が小さくなった。 それだけ、環境が過酷で、これ以上大きくはなれないのだろう。 だからこそ、より愛おしく感じる。 よくぞ、あの厳しい冬を乗り越えて再び顔を出してくれた。 原種の黄色いチューリップも咲き始めた。 本当に本当に小さい。 爪楊枝ほどの大きさしかないけど、これが元の大きさなのか、それとも寒さでより小さくなったのかはわからない。 とにかく、シーに見つかりませんように! 毎日祈るような気持ちだ。 朝起きて、外を見て、ちゃんとお花たちが定位置にいると心底ホッとする。 昨日ムスカリも植えて、私の庭は俄然賑やかになった。 もう、この可愛らしさをどう表現したらいいのかわからない。 嫌なことがあっても、お庭を見れば全てが帳消しになってしまう。 毎日毎日、幸福度が更新される。 今日も、ちょっとした嬉しくない出来事があった。 せっかく車で一時間も走って行った日帰り湯が、なんとなんとまさかの臨時休業だったのだ。 メンテナンスのためだという。 もう、出鼻をくじかれガッカリだった。 だけど、夕方山小屋に戻って、お庭を見ながら白ワインを飲んでいたら、そんなのどうでもいいやと思えた。 春を迎え、お庭にお花たちが増えると、日に日に愛おしさが増してくる。 ぼんやりと外を見ている時間が長くなる。 もうオキシトシンがじゃぶじゃぶで、私自身がその海に溺れそうなくらいだ。 植物たちが可愛くて可愛くて、可愛くて可愛くて仕方がない。 地球の主役は、植物だ。 だって、植物がなかったから、動物の生命は成り立たない。 いざという時、人間を支えてくれるのは植物たちだ。 例えば、寒かったら薪になって火を提供してくれる。 お腹が空いたら、その実を分けてくれる。 植物の存在なくして、私たちは生きていけない。 生命を維持するために必要な酸素を恵んでくれるのも、植物だ。 なのに人間は、自分たちの都合で木を植えたかと思えば、今度はそれをいとも簡単に切ってしまう。 本当に傲慢だ。 でも、それに対して木々は何も抗議できない。 植物たちを、もっともっと大事にして、共に生きる仲間だと伝えていかないと、近い将来、とんでもないことが起こるだろう。 めでたく、薪だながいっぱいになった。 これで、もう当分、薪の心配をしなくて済む。…

野原の味わい

週末、里に暮らす友人と、春を満喫した。 まずは里まで友人を迎えに行き、一緒に野原で野草を摘む。 春になってようやく顔を出した新芽を摘み取るのは心が痛むものの、そのパワフルな生命力をいただいて、冬の間に体に溜まった毒を外に出したい。 田んぼの畦道でタンポポの花と葉っぱを摘み、友人のお庭(森)にあった土筆や山ウド、小さな小さな山椒の芽も摘み取る。 春蘭も出ていたそうで、そんな可憐なお花もカゴに入れた。 コゴミも見つけた。 友人は食べたことがないという。 鮮やかな緑色の、クルンと先が丸まった山菜は、私の大好物だ。 間違いなくコゴミなので、嬉しくなって夢中で摘み取る。 野原を歩きながらその日の晩ごはんを調達できるなんて、最高に幸せ。 途中温泉に寄って、夕方山小屋に戻った。 外に出したテーブルで、シードルを飲みながら乾杯する。 春の到来が、しみじみとありがたい。 再びこんなふうに外で過ごせる季節が巡ってきて、私としては感無量なのだ。 山小屋周辺の芽吹きはまだ先だけれど、よく目をこらせば、地面からはちょこちょこと球根が芽を伸ばしている。 春になったねぇ、としみじみ語り合いながら、シードルを飲む。 寒くなったので中に移動して、晩ごはんの支度。 私がコゴミをおひたしにする間、友人にはピザ用の生地を伸ばしてもらう。 そう、今夜はピザ。 トッピングは、昼間摘んだ野草たちだ。 まずはタンポポのピザを。 タンポポの花は初めて食べたけれど、思いの外癖がない。 葉っぱは、ほんのりほろ苦い。 初めてにはしては、上出来だ。 お次は、納豆ピザに挑戦する。 トマトソースはつけずに生地を焼き、ひきわり納豆とチーズをのせて再度焼き、刻んだパクチーをたっぷりとかけて食べる。 納豆とパクチーの組み合わせが、新鮮だった。 口の中が、爽やかになる。 更に、トマトソースとチーズの組み合わせに、生のルッコラをたっぷりのせる。 私はそこに、生ハムも追加した。 友人が頑張って薄く伸ばしてくれたおかげで、生地がカリカリになり、文句なくおいしい。 最後は、ドライイチジクとルッコラで、甘い味のデザートピザを楽しむ。 シードルの後、ジョージアの赤ワインを開けたら、ワインの歴史を感じさせるふくよかな味わいで、ピザにとてもよく合った。 ジョージアでは八千年も前から葡萄の栽培が行われていたそうで、ワイン発祥の地と言われている。 ピザは、みんなでワイワイ楽しみながらやれるし、生地さえ仕込んでおけば、あとはその場で作れるし、簡単でとても楽。 本当は薪ストーブで焼くのが一番だけど、温度調節が難しいから、今回はオーブンを使った。 次の冬までにはピザを極め、薪ストーブでもうまく焼けるようになりたい。 翌日は早起きし、近くの湧水までハイキングに出かけた。 私のリュックには、ケリーケトル。 友人のリュックには、昨日マーケットで買ったケーキが入っている。…

お日様の力で

忙しい。 雪がとけて春になったら、俄然やることが増えた。 一日が、あっという間に終わってしまう。 今日は、山小屋の屋根に太陽光パネルを設置した。 後付けするより、最初からつけておけばよかったと後悔するが、仕方がない。 この先、自然災害や世界情勢次第で、エネルギーが簡単に手に入らない時代が来るかもしれない。 能登での地震を受けて、太陽光パネルで自家発電することにしたのだ。 エネルギーを巡って人々が争ったり、誰かが犠牲になることを、少しでも減らせたらと思う。 全体として見ればほんの小さな一歩に過ぎないけれど、私個人としては大きな一歩だ。 電気の使用量自体をなるべく少なくしたいとは思って暮らしているけれど、やっぱりゼロにするのは難しく、電力なしでは暮らしが成り立たない。 それでも、自分の家の屋根で多少なりとも太陽の力で発電ができるというのは、頼もしい。 太陽光では昼間しか発電できないし、山小屋にはまだ蓄電池がないから、電気はなるべく昼間使うように心がけよう。 基本的にずっと家にいる私にとって、それは特に大変なことではない。 理想を言えば、太陽光で生み出された電気を車に貯めて、それで運転できるようにしたい。 将来的には、それを目指している。 太陽光パネルを設置するにあたり、屋根にかかる木の枝を特殊伐採で切ってもらうことにした。 先週あたりから、その作業をお願いしている。 木を根本から切ってしまうのではなく、必要最小限の枝だけを切り落とす方法だ。 ハシゴを使って木に登り、そこから少しずつ枝を落としていく。 危険を伴うし、集中力もいるので、毎日、数時間ずつしか作業ができない。 そして、その切り落とした枝を薪にするのが、今の私の課題である。 そのために、チェーンソーも買った。 最初はすぐにチェーンが外れてしまって難儀したものの、今日あたりから随分スムーズに作業ができるようになった。 手動のノコギリで切っていた時とは、雲泥の差だ。 やっぱり、電動だと効率が全然違う。 スパッと枝が切れると、本当に気持ちいい。 切り落とした枝も、なるべく無駄にすることなく、最後まで使い切ることが、せめて私にできること。 おそらく、今回伐採する分で、来シーズンの冬はおおむね越せるだろうと見込んでいる。 空っぽだった薪だなに、少しずつ薪が増えていくのが幸せだ。 しっかりと乾燥させれば、どんな木だっていい薪になる。 昨日、用事があって里におりたら、桜が満開だった。 あっちにもこっちにもふわふわの桜の木があって、目移りする。 山の方は、まだまだこれから。 ようやく、去年植えた球根から、芽が出てきたくらい。 春を探しながら森を歩いていると、幸せが込み上げてくる。 去年植えた植物たちとまた会えることほど、嬉しいことはない。 庭仕事も始まって、久しぶりに土の香りを嗅いだら心底ホッとした。 山小屋の庭と森が愛おし過ぎて、頬ずりしたくなる。 春は、再会の季節。 少しでも多くの緑の友だちと、この森でまた会えますように。

春の兆し

先週は一週間ほど里で過ごした。 それまで、私が目にしていたのはほぼモノトーンの雪景色。 そこからいきなり里に下りたので、色とりどりの花の色彩がまぶしく感じる。 世界にはこんなに色がたくさんあったのかぁ、としばし呆然とした。 里に行った主な目的は、ふたつ。 ひとつは、私の作品の多くの韓国語訳をしてくださっているナミさんにお会いするため。 もうひとつは、里のご近所さんたちとのお花見会。 里の住まいの窓から、桜並木が見えるのだ。 まだ満開にはならなかったけど、親しくなったご近所さんたちと昼酒を楽しみ、春の到来を祝うことができた。 そして、再び山に戻ると、あんなにあった雪がなくなって、春の兆しが! 去年の秋に植えたスノードロップが、顔を出している。 福寿草も、黄色い花を咲かせている。 ようやく、遅い春が巡ってきたのだ。 ひかりも、冬から春に衣替え。 今は、森全体がすっぽりと霧に包まれている。 この乳白色の景色も、春ならではのもの。 美しい雪景色は、次の冬までお預けだ。 わーい、春。 待ちに待った、春が来た。 共に冬を乗り越えた常緑樹の一本一本に、ハグをして感謝の気持ちを伝えたい気分だ。 あなたたちがそばにいてくれたから、私も厳しい冬を耐えることができた。 ナミさんの背中を押したのは、私がメールに書いた一言だったという。 ソウルに暮らすナミさんにとって、日本で春を過ごし、思う存分桜を見るのがひとつの夢だった。 あれは確か、能登の地震があった、すぐ後のメール。 「本当にもう、何が起きても不思議ではない世の中のような気がします。 日本国内もそうですし、地球規模でもそうですし。 だから、やりたいことは先延ばしせず、今やらなくちゃ、という思いを強くしました。」 私は、本当に何気なく書いたつもりだったのだけど、ナミさんの胸には深いところに響いたのかもしれない。 ちょうど人生の大きな区切りを迎えたタイミングで、ナミさんは一ヶ月、東京に部屋を借りて滞在することに決めたという。 韓国で、たくさんの方に私の本を読んでいただいているのは、ナミさんが訳してくれているから、という部分がとても大きい。 誰が訳を手がけるかで、同じ作品でも全然違ったものになる。 今回、ナミさんと日本でお会いして、改めて彼女に訳していただけることを本当に幸運だと感じた。 ナミさんも、大の犬好き。 私とは日本語で会話してくださるけど、犬に対しては日本語でどう話しかけたらいいかわからないといい、ゆりねには韓国語で接していた。 その姿が、とってもかわいかった。 ナミさんは、翻訳もするけれど、ご自分でも文章を書かれて、韓国語で書いたエッセイが、日本語にも訳されている。 ものすごい稀有な才能だ。 どうか、ナミさんが、日本での春を満喫できますように! 雪が溶けたということで、いよいよ今年のお庭仕事スタートだ。 まずは、冬を越せなかった枝を集めて、薪にすべく体を動かす。…

雪の日は

今日もまた、まとまった雪が降る。 窓の向こうに広がる雪景色は、ずっと変わらずに続いている。 雪は、本当に美しい。 今日は特に出かける必要もないので、山小屋にこもってゆりねと過ごす。 雪の日にすることは、まず読書。 それから、キャンドルを作る。 蜜蝋がシート状になっているものがあるので、それを湯煎にかけ、柔らかくなったのを粘土みたいに手でこねて形にして、真ん中に芯を通してキャンドルにする。 少々歪な形ではあるけれど、自分の手のひらで生み出したキャンドルは、なんだか愛着があって憎めない。 ラトビアの人たちはかつて、蜜蝋キャンドルは貴重なので、クリスマスの時期しかともさなかったという。 その気持ちが、よくわかる。 大事に大事に、感謝してミツバチたちが生んでくれた蜜蝋を使わないといけない。 春分を過ぎて、だいぶ陽が長くなってきた。 活動できる時間が増えたのは、単純にとても嬉しい。 朝は朝陽を拝みながらお茶を飲み、夕方はお酒を飲みながら夕暮れの時間を味わう。 毎日そんなふうに過ごすのが、当たり前になっているけれど、本当にありがたいことなんだと実感する。 今は満月に向かっているので、夜になると、すごく明るい。 夏でもそうだけど、冬は地面が雪に覆われているので、余計、明るくなる。 今夜なんて、眩しいくらいだ。 陽が沈んでも、月明かりで、梢のシルエットがはっきりと見える。 この冬で、雪道運転にはかなり慣れた。 完全にハンドルが効かなくなって、勝手に車が「の」の字に動く、いわゆるスピンも経験した。 しっかりと雪が積もっている状態なら別に問題はないけれど、降り始めと降り終わり、特に今の時期のズブズブ雪は要注意だ。 私の車は四駆だけど、上り坂道を走っていて、完全にタイヤが雪にはまってしまい、何度もバックを繰り返しても前に進まず、いちいち車から降りて積んでいるスコップで雪をかきながら前に進んだり、いろんな経験をした。 一見大丈夫そうに見える雪道ほど、危険が潜んでいる。 だから、過信せず、とにかくスピードを出さずに、ゆっくり、ゆっくり。 このくらいの降り方だと下の国道にも雪が積もるとか積もらないとかも、この冬で大体わかった。 除雪さえしてくれれば問題はないが、除雪されていない道を走る時は、一か八かの賭けになる。 ご近所さんに言わせると、私の運転は、結構大胆とのこと。 だから、とにかく、初心忘るべからず、だ。 雪を雪だと思うと痛い目に遭うことも、この冬に学んだ。 降りたての雪は確かに柔らかいけれど、時間が経つと、雪は凍って硬い氷になる。 だから、雪の塊は岩だと思って、とにかくぶつけないように運転しないといけない。 除雪した後は道の両側に雪が積み重なり、壁のようになる。 気をつけないと! 同様に、屋根に降り積もった雪も、時間が経つと岩石の硬さになってある日いきなり落ちてくるから要注意だ。 それでもやっぱり、雪を悪く思う気持ちには全くならない。 雪の日には雪の日の過ごし方があり、楽しみがあり喜びがある。 冬で一回ちゃんと死なないと、春を迎える喜びが半減してしまう。 冬は、何もかもをリセットしてくれる。 私の森に常緑樹がなかったら、たったひとりで冬を越すのは無理だったと思う。…

春の海

森暮らしをするようになって、セーターに袖を通すのが楽しみになった。 都会の暮らしでは、真冬でもフリースで十分だったけど、ここでは、フリースだと物足りなく感じる。 だから、セーターが大活躍する。 中でも、ウールのセーターが一番あったかい。 秋口から春の終わりまで、一年の半分以上をセーターを着て過ごすことができる。 大体ひと月ごとに、セーターを変える。 ちょっと寂しいような気持ちになる晩秋は、ベルリンで出会った真っ赤なセーターを。 12月は、気持ちを楽しく盛り上げる、ちょっと可愛い柄のセーターを。 真冬は、ラトビアで見つけたタートルネックのセーターを。 こんな感じで、その季節季節に合ったセーターを着る。 そして今着ているのは、ブルーのセーターだ。 毛糸の色の名前は、「春の海」。 気仙沼ニッティングの、さちこさんが編んでくれた特別なセーターである。 去年オーダーし、数ヶ月をかけて、編み手のおひとり、さちこさんが編んでくださった。 オーダーメイドで、セーターの右下のところに名前のイニシャルが入っている。 311を忘れないでいるために、特別に注文したセーターだ。 昨日で、あの日から、13年が経った。 これから先も、3月は「春の海」を着ると決めている。 昨日の新聞に出ていた、飯館村で被災した女性の言葉が胸に響く。 岸田(文雄)首相に言いたい。 裏金があるんだったら下さい。 大きい会社ばかりを支援しているように見える。 うちら個人は食べていくので精いっぱい。 せめて自分が食べる分はと、キュウリ、ナス、大根といった野菜は作っている。 1月に友達が亡くなった。 「春になったら会おうな」と電話で話したばかりだった。 親戚や友だちがどんどん亡くなる。 自分だけが取り残されていく気がする。 こういう方達の声に耳を傾けずして、何が政治家だというのだ。 誰のため、何のために政治家になったのか。 こっちは、一円単位まできっちり申告して、税金を払っているというのに。 どうか、世の中に希望をもたらすため、より多くの人が幸せを実感できるようになるために、国民から集めた税金を使っていただきたい。 どうか、どうかお願いします。 先週末、薪棚の下の方にある薪を取ろうとして、腰に違和感が走った。 しっかりしゃがめばいいものを、横着をして、ちょっと変な態勢で持ち上げてしまったのだ。 あ、やってしまった。 くるぞくるぞ、これはぎっくり腰がやって来るぞ。 体が警告を鳴らす。 時間が経つにつれて腰の痛みは広がり、お腹の筋肉も痙攣を起こした。 やっとの思いで階段を上がり、なるべく楽な姿勢になるようソファベッドに横たわる。…

弁造さん

またもや大雪が降った。 朝起きたら、車の上に1メートル近い雪が積もっている。 そんなわけで、また冬ごもりだ。 山小屋から出られない。 雪に閉じ込められると、私は決まって同じ森仲間の本を開く。 この冬は、弁造さんと過ごす時間が長かった。 一冬かけて、ちびりちびり、『庭とエスキース』を読む。 弁造さんは、北海道の丸太小屋で、自給自足の暮らしをしている。 庭には、果物のなる木を植え、タニシを育てる沼も作った。 著者の奥山淳志さんは私と同世代の写真家で、彼は住まいのある岩手から、犬のさくらを連れてフェリーに乗り、季節ごとに弁造さんの小屋を訪ねる。 そして、14年にもわたって、弁造さんと時間を過ごし、その姿を写真に収めた。 弁造さんは、本当は画家になりたかった。 でも、家族の借金を背負い、画家にはなれなかった。 全部で10畳ほどしかない簡素な小屋で暮らしながらも、農作業の合間などに、完成することのない絵を描き続けた。 弁造さんと著者の距離感が、なんとも言えず心地いい。 ふたりは年代も違うし、生活環境も違う。 弁造さんは他愛のない冗談を言ってふざけてばかりいるし、著者が弁造さんをものすごく理解しているかというとそうとも言えない。 それでも、同じ時間と空間を共にし、著者が来る途中でスーパーに寄って買ってきたおでんなんかを食べる。 ふたりの間を取り持つのは、もっぱら黒い毛色をした犬のさくらだ。 昨日、本の終盤を読んでいて、とうとう弁造さんが亡くなった。 私はまるで、隣の村に住む旧知の知り合いが亡くなったという知らせを受けたみたいに悲しくなった。 弁造さんが暮らす北海道の新十津川町の自然と、私が暮らす山小屋は、生えている植物や季節の感じがとてもよく似ている。 だから、より弁造さんを身近に感じたのかもしれない。 実際の弁造さんは、大正9年に生まれ、北海道の開拓時代を経験した。 若い頃は冬になると都会へ出稼ぎに行き、日本の高度経済成長も目の当たりにした。 生涯、独身だった。本格的な絵の勉強をするため、東京の美術学校に通ったこともある。 夢は絵の個展を開くことだったが、その夢が叶うことはなかった。 弁造さんの庭には、針葉樹も紅葉樹も植えてある。 自分の胃袋を自らの庭でまかなうためには何をどれだけ植えて育てれば良いかを真剣に考え、試行錯誤の末に自給自足の暮らしを実現した。 育てる作物の中には、小鳥たちの食べ物もちゃんと含まれていた。 ほんの身内しか知り得なかった弁造さんというひとりの人間の人生が、著者の奥山さんとの出会いによって、多くの人に知られていく。 弁造さんの人生に、光が当たる。 実際に弁造さんが亡くなったのは、もう12年も前だというのに、私にとっては、弁造さんは昨日亡くなったのも同然なのだ。 そう思うと、なんだかとても不思議な気持ちになる。 東日本大震災の、福島の原発事故を目の当たりにした弁造さんの言葉が、とても印象に残っている。 弁造さんが暮らした丸太小屋は、弁造さんが亡くなって程なく、解体されたそうだ。 でも、弁造さんが残した庭の山桜は、きっとまだ残されているような気がする。 今年の春も、ますます美しい花を咲かせてくれるといいと思う。 今日は午後、ミニスキーを履いて近所を少し散歩した。 本格的なスキーだと靴を履いたり面倒なので、ミニスキーがあったらいいなと思ったら、大人用のミニスキーがあったのだ。…

春待ち

冬の朝の森は賑やかだ。 夜明けと同時に、鳥たちがヒマワリの種を食べに集まってくる。 冬は、食べ物が少ないから、みんな、お腹を空かせているのだろう。 ちょうど2階の窓から見える枝が待合所になっていて、そこに止まって順番待ちをし、玄関先に置いてあるヒマワリの種をついばみに行く。 鳥だけではない。 リスもまた、毎朝必ずやって来るようになった。 去年までは1匹だったのが、今年に入ってから、2匹に増えた。 カップルさんかな? 森の木々を、2匹は飽きることなく縦横無尽に追いかけっこして遊んでいる。 冬場は樹木の葉っぱが落ちるので、シースルー状態となり、機敏なリスの動きが丸見えだ。 もう、本当にすばしっこい。 木から木へ、ムササビみたいに身軽に飛んで、瞬間移動する。 運動神経抜群だ。 よくもあんなに体力があるものだと感心する。 鳥が来て、リスが来て、もちろんシーも来て。 寒いのに、みんな頑張って春を待っているのだ。 でも春になると、鳥たちは動物性の餌を探すようになるので、ヒマワリの種を置いても見向きもしなくなる。 だから、今だけのお楽しみだ。 そうそう、魔法は消えた。 あんなに美しかった氷の世界。 このままずっと続くのかと思っていたのに、数日前、跡形もなくとけてしまった。 私は、あれが樹氷なのだと勘違いしていた。 でも、やっぱり真っ白いモンスターみたいなのが樹氷で、今回森に出現したのは、雨氷というらしい。 またひとつ賢くなった。 雨氷を思い出すだけで、うっとりしてしまう。 特に青空の下で輝く雨氷の森は、幻想的で、この世のものとは思えなかった。 森中がキラキラとクリスタルのように輝き、特にダケカンバの枝先は、まるでゴージャスなシャンデリアみたいで、いくらでも見ていられた。 もちろん、それによって折れてしまった枝はたくさんあるけれど、自然の神秘をのぞかせてもらったようで、もう本当に感謝の気持ちしかない。 雨氷は、次いつ見られるのだろう。 でも、儚いからこそ、またいいのかもしれない。 今はもう、普通の雪景色に戻っている。 この冬は、一年前に比べると、春が遅い。 先月は、ほぼ雪の印象だ。 雪は雪で楽しいし美しいのだけど、そろそろ冬も飽きてきた。 今朝の気温も、まだマイナス12度。 早く、春が来てほしい。 今日は日曜日なので、朝から台所に立つ。 まずは、昨日友人にもらった金柑を蜂蜜漬けにし、その後、チョコレートケーキを焼いた。 それから、豆ご飯も炊いたので、小さめのおにぎりにして冷凍した。 この先もまだまだ雪の予報が出ている。…

祝福

右を見ても、左を見ても、キラキラ、キラキラ、キラキラ、キラキラ。 樹氷の上に雪が積もり、それがまたお日様の光で雪がとけて、木々の枝という枝にできた氷が、青空の下で輝いている。 もう、この世の景色とは思えない。 世界は、クリスタルで作られているかのように美しい。 あまりの美しさに圧倒され、私は、昨日からため息ばかりついている。 こんなにすごい樹氷が見られるのは、10年に1回あるかないか、とのこと。 車を走らせている時も、うわぁ、うわぁ、と目を奪われてばかりだ。 森は完璧なまでの静寂に包まれ、窓の向こうには氷の世界が広がる。 こういう時こそお客さんにこの景色を味わって欲しいと思うのだが、誰も来ない。 だから毎日、ゆりねと黙々と雪道を散歩して、ひとり、はしゃいでいる。 ただ、枝という枝に氷と雪がまとわりついているので、相当重くなっているのだろう。 枝や幹が、ぐにゃりと前屈している。 中には、嘘でしょう、と思えるほど立派な幹が、途中で無惨に折れてしまっている。 折れた幹が道路を塞ぎ、そういうことがあちらこちらで起きている。 改めて、自然の厳しさを思い知る。 美しさと厳しさは、常に背中合わせだ。 本当に、冬を越すというのは、大変なことなのだ。 数々の試練を乗り越えて、やっと春を迎えることができる。 だから、いくつもの冬を耐えて生き延びている木々は、本当にたくましい存在だ。 ひょろひょろっとして一見頼りなく見える木も、だからこそ、柔軟に枝をしならせ、環境に耐えられた結果、今まで生き延びられたと言えるのかもしれない。 雪が溶けたら、きっと、あちこちに折れた枝が積まれるのだろう。 そういう枝は、短く切って、乾燥させ、極力無駄にせず薪としてしたい。 それが、せめてもの私ができること。 このひかりかがやく森を、なかなか写真では写せないのが本当に本当にもどかしい。 全然、こんなんじゃない。 実際は、もっともっと、すごいのだ。 たとえるなら、神様から祝福を受けているような、そんな光景。 自分が祝福されているわけでもなんでもないのに、そう錯覚させてしまうほど、美しいのです。

氷の世界

ピンポーン、と鳴ったので、玄関扉を開けてみるのだけど、そこには誰もいない。 春ちゃんは、まるでピンポンダッシュをするように、どこかに姿を隠してしまう。 そして、また忘れた頃に、ピンポーンと鳴る。 でもやっぱり、誰もいないのだ。 春の訪れって、そんな感じかもしれない。 昨日は、森一面、氷の世界だった。 ゆっくりと冷たい雨が降った結果、木々の枝という枝が氷でコーティングされた。 まさに硬質なガラスのよう。 そうか、これが樹氷かと、私はようやく納得した。 私が樹氷と思っていたのは、樹氷の上に雪が積もった状態で、本当の樹氷はこれなのだ。 本当に素晴らしい美しさで、雪景色とはまた違う趣がある。 雪ならば地面に落ちるけれど、氷なのでそのまま枝が重たくなり、どの木の枝もお辞儀をしている。 氷の重さに耐えきれず、完全に折れてしまった枝も何本か見かけた。 中には、ものすごく立派な松の木が、幹の途中から折れてしまっている。 道路も、枝が垂れ下がっているので、ゆっくり運転しないと、窓ガラスやボンネットを直撃する。 普段と同じ枝と思ってぶつけてしまうと、大変なことになる。 なんと言っても、森全体が氷なのだ。 数日前の陽気が嘘のよう。 また冬に逆戻りだ。 一面、真っ白。 もう今シーズンはこんなに雪が降らないだろうと思っていたので用意していなかったけど、やっぱりスキーがあると楽しいかもしれない。 わざわざスキー場に行かなくても、山小屋の周辺の坂道を滑るだけで十分だ。 完璧なまでのパウダースノー。 またしばらく、山小屋にこもる日々が続くかもしれない。

雪道デビュー

今日は、旧暦の元日。 お正月に相応しく、あっぱれな空だった。 季節的に、旧暦でお祝いした方がしっくりくる。 昨日まで、トリスタンが来ていた。 雪景色を撮影するため、またふらりとバンで現れる。 こっちも、雪に閉ざされていたせいで食料が乏しく、トリスタンが家にあった野菜などを持ってきてくれたので助かった。 薪ストーブの前で、ふたりで乾杯する。 一日目はグラタンを、二日目はチーズフォンデュを。 友人とこういう時間を過ごす時、山小屋を建てて本当に良かったと心から思う。 まさに、友あり、遠方より来たる、だ。 トリスタンと、モンゴルのゲルを借りて大草原で夏合宿をしたのは、もう15年くらい前になる。 私は、野菜が食べられないストレスで、トリスタンと同じゲルに寝泊まりしながら、明日こそ日本に帰ろう、明日こそ日本に帰ろう、と毎晩呪文のように念じていた。 夏の暑さはしんどいし、馬からは落馬するし、お腹は調子が悪いし、インターネットは繋がらないし、周囲はうるさいし、もう、本当に散々だった。 もう、ひたすらひたすら帰国の日を待ちわびるような毎日を過ごした。 ひとりだったら、絶対に根をあげて、予定を早めて膨れっ面で帰ってきていたと思う。 でも、傍にはトリスタンがいた。 やることがないので、毎日、近くの温泉(ほったて小屋に泥がためてあるような場所)に行って泥エステをやった。 それが、唯一のお楽しみ。 帰りは、マーケットで買ったプラスチックの柄杓で、温泉のお湯を飲む。 でも、その温泉への道がお花畑になっていて、それはそれは美しかったのだ。 結局、途中で帰らずに、予定通り一月近くモンゴルに滞在した。 今となっては、貴重な経験である。 お互い、あの過酷すぎる罰ゲームのようなモンゴルでの時間から、何か大切なものを学んだ。 そして、今それを実践している。 あの時はめっちゃしんどかったけど、でも、自分には必要な時間だったのだ。 それにしても、トリスタンは人生を楽しむ天才だ。 二日目、森に雪道を作ろうという話になり、当初はカンジキがあれば簡単だろうということでカンジキを探したのだが見つからず、結局自力で雪を踏んでやっていたら、途中からトリスタンがバンに積んで持ってきたスノボを持ち出し、それで簡単に雪道を作ってしまった。 大変だろうと思っていた作業が、あっという間にできてしまう。 今回は、スキーも木のソリも持ってきていた。 まるで、ドラえもんのポケットみたいに、トリスタンのバンからは何でも出てくる。 車中泊も慣れたもので、いざとなったらそこで寝れるだけの装備が整えてあるとのことだし。 どこでも生きていける人だ。 モンゴルのゲルに泊まったのは夏だったけど、日中はどうしようもない暑さなのに、夜は0度近くまで気温が下がった。 ある日、あまりの寒さに薪ストーブに火をつけようと試みた。 けれど、何度やってもうまくいかない。 そのうち、たくさんあったはずのマッチも底をつき、結局薪ストーブはあきらめて、寒さに震えながら布団を被った。 薪ストーブも満足につけられない自分自身に苛立っていた。 今回、私が山小屋の薪ストーブに火をつける様子をトリスタンが見ていて、「成長したねぇ」と褒めてくれた。 全くだ。 そういう面においては、自分でもずいぶん逞しくなったと思う。…

雪あかり

結局、丸3日、外に出られず山小屋で過ごした。 普段から、一週間くらい籠城できるだけの保存食は、常備している。 だから、特に困ることも思いつかない。 唯一、温泉に行けないのだけは辛かった。 でも無理して山を下りて戻れなくなると大変なので、ここは潔く温泉をあきらめ、冬の山小屋から雪景色を堪能する。 これほどベッタリ山小屋と過ごすのも、初めてかもしれない。 その間は、ゆりねの散歩もお休みした。 ちょっと前、里の本屋さんで偶然見つけたのが、『独り居の日記』という本だ。 どんな著者かも知らず、けれど猛烈に気になって、その本を迷わず連れて帰ってきた。 書いたのは、メイ・サートン。 カバー写真には、新聞やテレビや電話などが雑然と置かれた仕事机と、その向こうに広がる庭の一角が写っている。 冬ごもり第一日目の午後から読み始めた。 もう、この本以外の選択肢などあり得なかった。 本は、「九月一五日」という日付から、唐突に日記形式で始まる。 けれど私には、それがいつの9月15日なのかはわからない。 最初の日の日記に書かれている言葉。 「何週間ぶりだろう、やっとひとりになれた。“ほんとうの生活“がまた始まる。奇妙かもしれないが、私にとっては、いま起こっていることやすでに起こったことの意味を探り、発見する、ひとりだけの時間をもたぬかぎり、友達だけではなく、情熱かけて愛している恋人さえも、ほんとうの生活ではない。」 読み進めるうちに、著者はパンチという名のオウムと共に暮らしていることや、そこが相当山深い土地であることがわかってくる。 途中から、私はまるで、気心の知れた仲のよい隣人の日記を読ませてもらっているような気持ちになった。 読むごとに親近感が膨らみ、まるで彼女の言葉たちが、おいしい水を飲むように、スーッと心に馴染むのだ。 なんの違和感もなく、私は彼女の言葉を理解することが可能だった。 彼女は、詩人であり、小説家であり、エッセイストでもある。 自らの同性愛を告白したことで、当時、働いていた大学を解雇され、その傷心を胸に、全く未知の土地に移り住んで、18世紀に建てられたという古い家を住まいに日記を書き始めた。 訳者のあとがきを読んで知ったが、当時彼女は58歳で、本が出版されたのは、ちょうど私が生まれる頃だ。 書くことと庭を愛することが暮らしの核となり、そのそばには常に生き物がいる。 日々変化する自然の姿に美しさを見出し、孤独を楽しみ、静寂に耳を澄ます。 そうだそうだと、何度も頷きながらページをめくっていた。 真っ白い雪のおかげで、夜になっても外が明るく感じる。 久しぶりに味わう雪あかりの感触だ。 懐かしくて、胸が締めつけられそうになる。 またひとり、同じ森の民として生きる心強い友ができたようで嬉しくなる。 彼女の日記の中に、こんな文章がある。 「私にいわせれば金というのは食物のように、私を通して流れ、得られるままに費やされ、ふりまかれ、花や本や美しいものに姿を変えられ、創造する人々や困っている人々には贈られるべきものだ。」 そして彼女は、こうも書いている。 「私の持っているものとは、友人という偉大な富と、自然に対する非常に強い愛である。決して無一物ではない!」 こんなふうに、実際にはもう亡くなっている著者と、新鮮な出会いを果たせるのだから、本ってやっぱり素晴らしいと思う。 そんなわけで、雪のおかげで、私はとても幸福な時間をメイ・サートンと共に過ごした。 今回の雪は、ふわふわで、まるで泡のように軽い。 もちろん、雪が降ると大変なことは山ほどあるけれど、やっぱり雪は大好きだ。 なんだか、見ているだけでホッとする。…

ご機嫌ななめ

私が何日間か地方へ出張の時、ゆりねは里のペットホテルで過ごすのだが、この冬何度かお世話になったペットホテルは、本当に素晴らしかった。 「ごはん完食しました」とか、「うんちしました」「おしっこしました」などのメッセージをその都度送ってくれる他、他のワンコたちと遊んでいる様子もこまめに映像で送ってくれるので、こちらとしては本当に安心して預けることができるのだ。 多くのペットホテルは、何か事故やトラブルが発生するのを恐れ、他の犬との接触をさせないのだけど、そこは思う存分犬たちと触れ合わせてくれる。 ゆりねは人も好きだけど、犬と交流するのも大好きなので、ふだん森の暮らしではなかなか犬とはしゃげない分、そこでは大いに触れ合うことができる。 ペットホテルを営むご夫婦のところにも犬が3匹おり、そこは犬の幼稚園もしているので、常に誰かしら(?)の犬がいる。 広大なみかん畑がドッグランになっていて、犬たちは母屋とドッグランを行ったり来たりしながら一日を過ごす。 夜も、ご夫婦と同じ屋根の下にいるので安心だ。 明け方もまだ日が昇る前からドッグランに連れ出してくれて、排泄をさせてくれる。 かつて犬の幼稚園に通っていたこともあり、それと同じような空気を感じるのだろう、ゆりねは喜んでペットホテルに出向き、ホテル暮らしを満喫している。 そこでは、送り迎えもしてくれるので、もう、本当に本当に助かっている。 ただ、これほど細やかなサービスをして、ご夫婦の方が精神的にも肉体的にも参ってしまわないだろうかと、私はそのことを少し、懸念している。 ホテルから帰ってくると、ゆりねは心地よい疲れに満たされている。 「やれやれ、ワンコの相手も疲れるわぁ」とでも言いたげな表情で、自分も犬のくせに、なんだか自分が犬たちの相手をしてやってきたのだ、という態度なのがおかしい。 そして、私に対して、ちょっと素っ気ない態度をとる。 ゆりねは、自分が好意を寄せる相手(人間)には、猫のように体をすりすりとこすりつけて親愛の情を示すのだが、ホテルから帰ってきた日はそんな行為は一切せず、さっさと自分のベッドに行ってしまう。 明らかに、「私のこと置いて、自分だけどっか行ったよね!」と背中が訴えている。 「でも、ゆりちゃんだってホテルで楽しかったでしょう? いっぱいワンコちゃんたちと遊んでたじゃない」と私が言っても、「それは、それ」という感じでどうもつれない。 ご機嫌ななめだ。 仕方がないので、一日目はそっとして距離を置いたまま過ごす。 まぁ、一晩寝てしまえばいろんなことをケロッと忘れて、いつも通りになるのだけど。 同様に、ムッティもまた、しばらく私が山小屋を不在にして戻った日は、ご機嫌ななめになる。 山小屋全体が冷え切っているし、薪ストーブも同じく冷え切り、私も時間が空いたことでムッティの扱いを忘れている部分もあったりして、当然と言えば当然なのかもしれないけど、とにかくなかなか上手に炎が育たないのだ。 調子のいい時なら一本のマッチで全て順調に事が進むのに、久々の再会の時は、もう何度も何度もマッチをすって、火をつけないといけない。 ムッティと私の呼吸が、全然合わないのだ。 ムッティ自身が、私がそばを離れたことに対して、拗ねているような、ちょっといじけてそっぽを向いているような、そんな態度を感じてしまう。 ごめんねぇ、もうここから先は次の冬までずっと一緒にいるから機嫌直してよぉ、心の中で必死に訴える。 そんな時、薪ストーブにも感情があるような気持ちになるのだ。 ムッティも、次の日からは機嫌が直って、いつも通り、優秀な薪ストーブになる。 私は、山小屋の道具や家電たちにも、よく話しかけている。 特に、トイレには、使うたび、いつもありがとう、とか、ご苦労様、と声に出して伝える。 寝る時は、みんな大好きだよ〜、ゆりちゃんをよろしくね! また明日ね、と言って2階の電気を消してから1階に降りる。 動物にはもちろんのこと、植物にも、道具や機械や家具にも、言葉は通じると思っている。 なぜなら、言葉はエネルギーだから。 波動として、伝わるに決まっている。 本(物語)もまた、エネルギーだ。 私は、物語というものを通じて、エネルギーを伝えている。 昨夜はかなり、雪が積もった。 なので、今日は一日、誰にも会わず、山小屋にこもって本を読む。 午後の温泉もやめて、一日中雪景色に見惚れていた。 めでたく、ノーガソリンデーとなる。…

海と山と

鹿児島近代文学館でのイベントに呼んでいただき、鹿児島へ。 屋久島や奄美大島には行ったことがあるけれど、本土の鹿児島は初めてだ。 会場には、200人もの皆さんが集まってくださり、私自身が本当に満ち足りた時間を過ごさせていただいた。 呼んでくださって、ありがとうございます。 当日、会場にいらしてくださった方々からたくさんの優しいエネルギーをいただき、あぁ、鹿児島までやって来て本当によかったと、いまだに心地良い余韻に包まれている。 翌朝、朝靄の中で見た桜島が美しかった。 鹿児島には、海も山も両方ある。 ままならない大自然を目前にして、たくましく生きる鹿児島の人たちの姿が印象的だった。 鹿児島もまた、とても豊かだ。 鹿児島は、向田邦子さんにとっての第二の故郷でもある。 今回イベントを主催してくださった鹿児島近代文学館では毎年向田さんの企画展をされており、向田さんの住まいの一部を再現した空間も常設されている。 イベント前、常設の展示を見ながら、なんて偉大な方なのだろうと改めて思った。 作家として作品を書いていた期間は、本当に短いのだ。 その短い間に書かれた作品が、今なお多くの人の心に響いている。 イベントの後半、会場にいらした方からの質問を受けつけたら、まだあどけない10代の女の子が手を挙げて、「自分にはなかなか実現するのが難しい夢があるのですが、それに対してのアドバイスをお願いします」と発言した。 一直線に、最短距離でゴールを目指さなくてもいい。 たとえ寄り道をしてでもいいから、諦めずにいれば、いつかその夢まで辿り着けるかもしれない。 途中、苦しかったり、辛かったり、多くのマイナスの感情を味わうかもしれないけれど、長い目で見れば、全てがその人の栄養になる。 その時は、遠回りや寄り道して時間を無駄にしたように感じても、そこからしか見えない景色があるはずだから、その景色を楽しんでほしい。 そして、たまには休むことも大事。 深呼吸して、自分を遠くから見つめれば、また違った道が見えてくるかもしれないし。 あと、人と較べないことも大切だ。 自分が心地良いと思える歩幅と速さで、前に進んでいけばいい。 10代や20代なんてまだまだひよっこだから、どんなに大きな失敗をしたって、いくらでもやり直せるのだ。 個人的には、あまり若い頃に成功してしまうよりは、若い頃はたくさんの経験を積んで、失敗もして、きちんと大人になってから成功する方が、長続きするような気がする。 だから、隣の人の成功を羨んだり焦ったりする必要なんかないの。 最終的に自分自身が幸せだ、と感じられたら、それが成功ということなんだと、私は思っている。 その時にうまく彼女に伝えられたどうか自信がないけれど、私が言いたかったのは、こんなことだ。 最近、若い子を見ると、もうかわいくてかわいくて仕方がない。 そこに生きているだけで光っている。 自分が光っているか自分ではわからないかもしれないけれど、周りの人には光って見えているのだ。 そのことを、どうか自分の胸に留めていてほしい。 自分で自分を蔑んだり貶めたりするなんて、本当に無意味だ。 若いって、それだけで素晴らしいこと。 どうか、あの女の子の夢が叶いますように! そして私は、鹿児島から里の住まいに戻った翌日、ゆりねを連れて山小屋へ。 森暮らしの3シーズン目がスタートした。 ほんの短い里暮らしだったけど、里にもまた海と山があって、どっちも綺麗だ。

みかんの国

信州は完全にりんご王国だったけど、一方海辺の町では至る所にみかんの木がある。 ゆりねの散歩で町を歩いていても、ふつうの民家の前で、一袋いくらで売られていて、今、味較べをしているところだ。 中には、少々傷がついたみかんを、「お一人様一つまで」、無料でくれるところもあったり。 それを見つけると、つい嬉しくなり、ひとつ、ポケットに入れて持ち帰ってくる。 居酒屋Yの女将さんも、「柑橘と筍だけは買う必要がない」と言っていた。 みなさん、どっさり持ってきてくれるのだとか。 信州の人がりんごの味に厳しいように、きっとこっちの人は、みかんの味にはうるさいのだろう。 みかんも、いろんな種類があって面白い。 昨日は、みかんの国のご近所さんたちと、新年会だった。 お風呂で出会ったご縁が、思わぬ方へと広がっていく。 ご近所さんができるとまた、里暮らしも豊かになる。 昨日は、ジビエの会。 この辺りの山で罠を仕掛けて猟をする私と同世代の女性がいて、彼女が自分で仕留めた獣を自ら料理してくれるという。 その末席に、私も加えていただいた。 この辺りにいる野生の動物は、鹿、猪、穴熊、猿。 私が実際に目撃した事があるのは猿だけだけど、猪も穴熊も、かなり近くまで来ているらしい。 猟をするその女性は、猿以外の動物はとって食べるそうだ。 鹿のローストは、1歳半の若い牝鹿だそうで、お腹には、3ヶ月ほどの赤ちゃんがいたという。 なるほど、肉質が柔らかく臭みがないが、そのことを知ってしまうと、なんだかものすごく申し訳ない気持ちになった。 穴熊は、人生で初めて食べた。 脂身がほとんどで、その脂が美味しいらしく、昨日は脂で包んだ肉のところを揚げ焼きにして出してくださった。 穴熊の一番美味しい食べ方は、すき焼きだという。 日本で、ジビエはまだまだうまく活用されていないとのこと。 ただ害獣として駆除するのはあまりに気の毒だから、せめてその命を、美味しく料理して、美味しくいただくことが、これからの私たちの課題になるのではないかと感じた。 そういえば、少し前、北海道で騒がれた熊、OSO18に関するドキュメンタリー番組を見た。 本来、ヒグマは木の実などを食べるのだが、OSO18は放牧中の牛を襲い、その肉を食べていたという。 肉食のヒグマで、なかなか捕獲されず、謎の怪物のように恐れられていた。 OSO18が肉食になったのは、鹿の死骸の肉を食べ、その味を覚えたからという説が有力だ。 北海道でも、鹿の生息数が増えている。 死体が放置されることも珍しくなく、それを食べたヒグマが、肉食化してOSO18になったというのだ。 だから、たとえOSO18が駆除されても、この環境が変わらなければ、第二、第三の肉食のヒグマはまた現れるとのこと。 ヒグマだって、なりたくて肉食になるわけではないし、本当に、人間として生きることに、後ろめたさを感じてしまう。 害獣なんて、勝手に人間が自分たちの都合でそう呼んでいるだけで、向こうからすれば、人間こそが害獣に違いない。 イスラエルの国防大臣は、ガザの人々を、「ヒューマンアニマルズ」と表現した。 日本語で訳すると、人間のような獣、人畜。 身の毛のよだつような恐ろしい考え方だ。 今イスラエルがパレスチナに対して行なっていることは、ジェノサイドにしか思えない。 そこに、なんの正義もないし、単なる見せしめで人々を苦しめているだけだ。 こんなことを続けたって、なんの解決にも繋がらず、ますます自分たちの安全を危うくするだけなのに。 ロシアも、ウクライナへの侵攻を今すぐやめるべきだと思うし、大阪万博も今すぐ中止にして、その分のお金や労力を、今まさに苦しんでいる能登の方達への復興に役立ててほしい。…

福袋

昨日は、銀座NAGANOでのお話会。 会場に来てくださった参加者のみなさん、そしてオンラインで視聴してくださったみなさん、本当にありがとうございました。 とてもとても楽しい時間でした! リアルの参加者の方には、長田佳子さんの手作りお菓子と、ハーブティーが振る舞われ、みなさん笑顔で召し上がっていた。 その笑顔を見て、私もまた幸せになる。 何を隠そう、私、佳子さんのお菓子の大ファンなのだ。 佳子さんのレシピ本を見ながら、山小屋でよくおやつを作っている。 夏の暑い日、オカズさんと共に山梨のアトリエを訪ね、その時一緒にピザを焼いて食べたっけ。 野の花みたいな、とっても素敵な人。 そんな佳子さんが、昨日はりんごのケーキを焼いて持ってきてくださった。 長野といえば、もちろんりんご。 こういう形でのお話会は、久しぶりだ。 コロナ中はなかなかできなかった。 でも、やっぱり直接人に会えるというのはいいなぁ。 普段の森暮らしでは滅多に人に会わないので、直接お目にかかって言葉を交わせる時間が新鮮だった。 それと、リアルっていい、と強く思ったのが、同じテーブルになった方同士が親しくなり、帰り際、「友達もできました!」と嬉しそうにおっしゃったこと。 リモートはリモートでいろんな良さがあると思うけれど、その場で生身の人間同士が距離を近くするというのは、リアルの良さだと思う。 イベント終了後は、急ぎ足で里の住まいへ直帰。 ゆりねの留守番が長くなるので、なるべく早く帰宅するつもりでいたのだが、思った以上にスムーズに帰れて、帰宅後、今日は無理だろうと諦めていたお散歩にまで行くことができた。 夕方の5時近くても、空がまだ明るい。 急に日が長くなっている気がしたのだが、それは私が山から下りたから余計そう感じるのだろうか。 夕暮れの空には、春の気配すら感じた。 そして、川沿いの土手には、もう水仙の花が咲いている。 森では確か5月頃に咲くから、こんなに早く咲いていることに驚いた。 もう、春は近いのかも。 里の住まいの目の前には川があり、その川沿いは桜並木だ。 桜の季節が待ち遠しい。 昨日は、なんだか気分が高揚していた。 それで、散歩から帰ってゆりねにご飯をあげ、いつもの温泉で疲れを癒し、その後は近所の居酒屋(?)へ行こうと決めていた。 森では、夜は必ず山小屋で食べる。 その習慣が定着し、里でもまだ、外食はお昼のランチ一回しかしていない。 でも、昨夜はちょっと冒険がしたいような気分だったのだ。 里暮らしだと、そういうことが気軽にできるから楽しい。 お風呂を出て、さぁお店に行こうとワクワクしながら歩いていると、おや、駐車場の一角に何やら灯りが見える。 近づくと、どうやらスタンドバーになっていて、寒空の下、日本酒と甘酒を出して売っているのだ。 どちらも一杯100円だそうで、しかも、今年初の出店なので、今夜は無料で振る舞っています、とのこと。 よかったらどうぞ、と勧められ、遠慮なくいただくことにすると、紙コップに地元のお酒を並々ついで渡される。 思いもよらぬ展開だ。でも、せっかくなので。 ちびりちびり日本酒を飲みながら、店主(?)に、ご近所のおいしいもの情報などを教えていただく。 これからY(居酒屋)に行くのだと話したら、あそこはおいしいと太鼓判を押され、更に一緒に売っていた88歳のおじいさんが育てたという蜜柑を買おうとしたら、いえいえお代は結構です、と無理やり蜜柑二袋を渡され、ひとつはYの女将に持っていってください、と言う。…

手と手

少しずつ地震の被害が明らかになり、そのたびに言葉を失ってしまう。 多くの命が失われ、多くの家が形をなくし、多くの人々が避難を余儀なくされている。 寒いだろうし、ひもじいだろうし、困難に直面している方達の状況を思うと、本当に本当にやりきれない。 それでも、私が同じようにただ呆然と立ちすくんでいても何の力にもならないから、とにかく今は自分にできることを淡々とやっていくしかない。 それがいつか、支援につながっていけばいい。 山の麓に暮らす友人と、ささやかな新年会をした。 彼女はベジタリアン。 野菜しか食べないので、特別な準備もせず、山小屋にあるものだけを使ってその場で適当に調理する。 夕方来て、飲んで食べて、お泊まりして、翌日帰るのがいつものパターンだ。 パンとワインは、友人が持ってきてくれる。 前回同様、薪ストーブの前に小さなテーブルを出し、そこで火を見ながら始めた。 まずは、立派なサツマイモがあったので、アルミフォイルに包んでそれを薪ストーブに入れて焼いてみる。 それを、ふたりで赤い手袋をはめて食べる。 火のそばで使う軍手などは、赤で統一しているので。 お芋を半分に割ると、ふわりと甘い湯気が立つ。 おいしい。 ただ焼いただけなのに、素晴らしくおいしい。 「そういえばさ、この辺って、あんまり焼き芋屋さん来ないよね?」 ホクホクのお芋を食べながらふと思い出して私が言うと、 「そりゃそうだよ、みんな、家の中に何かしらの火があるから、自分ちで作れるもん」 とのこと。 あんまりにも当たり前のことなのに、私は目から鱗が落ちる思いだった。 確かにねぇ。 みんな、焼き芋くらい家で作れるもんね、とストンと腑に落ちた。 東京で暮らしていた頃、しょっちゅう焼き芋屋さんが売りに来ていたのは、家庭で作れないからなのだ。 なるほど、なるほど。言われてみれば、当然だ。 お芋の次は、人参。 昼間、ご近所さんが妙に長い、新聞紙に包まれた杖のような物を届けてくれたのだ。 聞けば、大塚人参とのこと。 そんな長い人参、初めて見た。しかも、ずっしりと重い。 ちゃんと長さを測ってみよう、ということになり、メジャーで測ったら、身長が1メートル10センチもある。 もはやただの人参には思えず、友人と名前をつけることになった。 数秒後、友人の発案で、「ピッピちゃん」と命名された。 ピッピちゃんのお腹の部分を切断し、更に半分に切って素揚げにする。 硬めの方がおいしいとのことなので、気持ち硬めの状態で油から引き上げた。 そこに、パラリと塩を一振りしていただく。 身がぎゅっとしまっていて、なんとも美味だ。 ワインが進む。 これに、パンがあればもう十分。 簡単な食事で、私たちは大いに満たされた。…

初日の出

大晦日の夜から雪が降り、元日の朝は雪景色だった。 早朝、麓まで車を走らせる。 富士山が見える場所には、初日の出を拝もうとたくさんの人が息を白くしながら待ち構えていた。 空は快晴で、山には細長い雲がたなびき、龍のよう。 2024年は、平和な年となりますように。 そんな願いを込めて、私も富士山に向かって手を合わせた。 山小屋での年越しは、あっけなく実現した。 八ヶ岳おろしさえ吹かなければ、特に支障はない。 雪道の運転も、スピードさえ出さなければそれほど問題ないし、お日様パワーで昼間は暖房すらいらないほど。 やっぱり、里の住まいより温かく感じる。 洗濯物は夏よりもずっと早く乾くし、私にとっては、夏以上に快適かもしれない。 雪が降ったら、ゆりねのお散歩に下までおりて行く必要はあるけど、それも温泉に行くついでに一緒に済ませるので、まぁ、今のところは冬の森暮らしも順調だ。 昨日は温泉から富士山もバッチリ見え、幸先のいい年明けだと喜んでいた。 それなのに、夕方、山小屋が揺れた。 今まで地震の揺れを感じたことがなかったので、これはどこかで大きな地震が起きているのだろう、とすぐにわかった。 震源は、また能登だった。 それから寝るまで、ニュースに釘付けになる。 夜は大音量で第九でも聴こうと思っていたけど、それどころではなくなった。 能登が好きで、これまでに何度も行っている。 2年前テレビの旅番組に出た時も、旅先は能登だった。 七尾の一本杉通りには、鳥居醤油店がある。 つい先日も、能登だしを注文したばかりだ。 鳥居醤油店の正子さんや、白井昆布店の奥さんや、奥能登にある旅館さかもとさんや、イタリア料理店ビラ・デラ・パーチェのシェフや、能登島のガラス作家有永さんや、これまでにご縁をいただいた多くの人たちの顔が頭に浮かぶ。 どうか、ご無事であってほしい。 もう、本当に能登の方たちが気の毒でならない。 いくらなんでも、こう大きな地震が度重なっては、気力だけではどうにも復興ができないのではないか。 能登の人たちは、本当に明るくて気風が良く、芯の強さを感じるけれど、それでももう、限界なのではないだろうかと想像する。 地震という自然相手の天災では、怒りのぶつけようもない。 その憤りを自分のお腹で消化するには、大きすぎる。 しかも、元日に起きた。 この日ばかりは、おせちをつまみながら昼酒を楽しんでいた方もいるだろうし、コロナがおさまってようやく家族でお正月を迎えられた方達もたくさんいると思う。 なんとも、不条理で仕方がない。 今日になって、徐々に被害の実態が明らかになってきた。 どうしたって、東日本大震災の記憶が甦ってしまう。 東北で良かったと言い放った政治家のデリカシーと想像力のなさに、憤りが再燃する。 そして、こういう時に嘘のデマを故意に流すというのは、一体どういう心理なのだろう。 全く理解できない。 平穏無事であることのありがたさを、痛感している。 これ以上大きな地震が起こらないことを祈るばかりだ。

人生

年の瀬に、嬉しいお知らせが舞い込んだ。 Yさんが入籍されるという。 私がこうして物書きとしてやっていけているのも、すべてはYさんのおかげだ。 本当に、命の恩人といっても過言ではないくらい、私にとっては大切な人だ。 友達とは仕事をしないと決めているので、自分の本の担当編集者は友人ではない。 けれど、私の場合は特に、担当編集者なしに物語は生まれないから、もう本当に本当にかけがえのない存在だ。 Yさんが編集者としてとても有能で、人生がとても充実していることは否定しようがないけれど、そこに更に人生の伴侶が加われば、申し分ない。 お互いに50歳を過ぎてからの結婚と伺い、最高の選択だなぁと唸りたくなった。 半世紀も生きていれば、それぞれに経験もあるし、お互いに冷静に大人の判断ができる。 かっこいいから、かわいいから、お金を持っているから、おしゃれだから、料理ができるから、なんていう見せかけだけの価値観に惑わされず、もっと人間としての本質的な部分を見極めて、相手を選ぶことができるのではないだろうか? 20代の若いうちに結婚するよりも、50、60を過ぎてからの結婚の方が、私の個人的な感想としては望ましいのではないかと思っている。 若いうちに結婚を考えるなら、せめて最低1年は同棲をして、お試し期間を設けるといいんじゃないかな。 身近にいる若い子には、そのように提案するつもりだ。 結婚には勢いが大事、なんてよく言われるけれど、いやいや、勢いなんかなくていいから、冷静な判断が必要だと思う。 それにしても、「人生」は本当に「まさか」の連続だ。 一年前、全く予想もしていなかった事態が、飄々と現実になったりする。 Yさんの場合も、そうだったらしい。 詳しい経緯は書かないけど、とにかく、大きな決断をし、しっかりと自分の人生と向き合ったからこそ、こういう展開になった。 その決断をしていなかったら、新しいパートナーとの出会いもなかったのだ。 なんだかしみじみと、人生って素晴らしいなぁ、と思った。 人生はとても美しいものだし、精一杯生きるに値するものであると確信した。 どうか、ますますお幸せになってほしい。 山小屋で過ごした今年のクリスマスは、見事なまでの青空だった。 まだ、全然雪が降っていない。 このまま春になってしまうのか、と思えるほどの晴天続きで、気持ちいいったら気持ちいいったら。 空気がパリッと引きしまり、お日様が燦々と輝く冬の空が、私は一番好きかもしれない。 移植したもみの木は、一部、シーに味見をされた形跡があるものの、まぁ無事だった。 このまま落ち着いて、来春新芽が出てくれば、根っこがついたことになる。 さて、春になったらどれだけの植物が庭に顔を出してくれるのだろう。 里では桜の枝先に蕾が膨らみ、山ではコブシの蕾が少しずつ大きくなっている。 自然界は、着々と春に向けて進んでいる。 私も、新しい物語を完成すべく、気合を入れよう。 どうぞ、すてきな笑顔で、よいお年をお迎えくださいませ! 

冬至の願い

寒い。 山も寒かったけど、里もまた寒く感じる。 多分、暮らしの中に炎がないからだ。 里の住まいはオール電化で、調理するのもIHだ。 蝋燭を灯さない限り、生身の炎は味わえない。 私の好きな国ラトビアでは、冬至に向けて、丸いものを口にする。 例えば、豆。 丸い形のものは太陽の分身と考えて、それを少しでも体に取り入れようとするのだという。 幼い頃、冬至の日になると祖母が小豆かぼちゃを作って食べさせてくれた。 小豆とかぼちゃを一緒にして炊いたもので、いまだに私は小豆かぼちゃが好きだ。 もしかするとこれも、ラトビアの食文化と同じ意味合いを持つのかもしれない。 小豆もかぼちゃも丸い。 冬は、太陽のありがたみをひしひしと感じる。 里暮らしは里暮らしで、楽しい。 この間、お菓子屋さんまで歩いて行けることに感動した。 肉屋さんにも、魚屋さんにも、パン屋さんにも、日帰り湯にも、コンビニにも、ポストにも、なんなら駅にだって歩いて行けちゃう。 森暮らしでは、ありえない。 どこにも車がないと行けない。 お菓子屋さんまでゆりねを連れて歩いて行って、しかも素晴らしい苺のショートケーキが買えた。 どこへ行くのにも車がないと無理な山と違って、どこにでも歩いて行けるから、里暮らしには時間がたっぷりある。 そのことが嬉しい。 一日が長く感じる。 森で一日があっという間に終わってしまうと感じていたのは、移動に時間がかかるからだと気づいた。 それでも、夜に出歩く習慣はすっかりなくなった。 コロナの前までは夜でも平気で出歩いていた。 ベルリンでは、週末、夜通し地下鉄とか電車が走っていた。 でも今は、必ず夕方の6時までには帰宅して、ゆりねに晩御飯を用意し、家で食事をする。 それが当たり前になった。 今日は、冬至。 一年のうちで、昼の時間がもっとも短い。 でも、明日からは少しずつまた陽が沈む時間が遅くなる。 冬至を、ずっと前からじれったい気持ちで待ち望んでいた。 同じような気持ちで、平和を望んでいる。 ウクライナの人々にも、パレスチナの人々にも、一刻も早く安心して眠れる日が訪れてほしい。 もう、これ以上の暴力はたくさんだ。 なんの罪もない幼い命が犠牲になるのは、理不尽すぎる。 暴力で解決できることなんて、何ひとつないのに。 週末は、ちょっとだけ山小屋へ。 植えたばかりのもみの木さんの様子を見に行ってくる。

ナビ子さん

どうもナビ子さんと呼吸が合わないのだ。 もう7000キロも一緒に走っているのに、相性が悪いとしか思えない。 先日も、のっけからナビ子さんの指示を無視して、反対方向に進行したら、その後、延々と遠回りをさせられた。 だって、ナビ子さんは右に行けと言うが、左に行った方が断然近道なのだ。 それは自分でわかっているのだけど、そこから先の詳しい道はわからない。 だから、ナビ子さん、あなたに頼ったのに。 あなたなら絶対に近道を知っているはずなのに、何故あんな山道に私を迷い込ませたのですか。 もう、あれは完全にナビ子さんが言うことを聞かない腹いせに、嫌がらせをしてきたしか思えないのだ。 結果、15分で着くはずの場所に、45分もかかってしまった。 私は、すぐそこまで行くのにわざわざ高速に乗りたくない、と意思表示しているのに、なんとしてでもナビ子さんは高速に乗せようとする。 かと思うと翌日は、早く行きたいから高速に乗りたいのに、下道で行けと指示を出す。 私のリクエストの仕方に間違いがあるのかもしれないけれど、二人三脚の相手としては、ナビ子さん、かなりブーだ。 こう生成AIとやらの技術が進んでいるのだから、ナビはもっと革新的に飛躍してもいいはずだと思うんだけど、なぜかナビ子さんは旧態依然としている。 そもそも、なぜナビ子さんだけなのか? どうしてナビオ君はいないのか? そこからして私は、釈然としない。 すご〜くいい声のナビオ君に案内されたら、もっとドライブが楽しくなるかもしれないのに。 そして、どうしてナビ子さんは標準語しか喋らないのだろう。 関西弁にしたり、鹿児島弁にしたり、お姉言葉にしたり、赤ちゃんに言葉にしたり、いろんなバージョンでアナウンスするくらい、簡単にできそうなのになぁ。 もう7000キロも一緒に走っているのだから、いい加減、私の好みを理解してくれてもいいと思うのだ。 たとえば、街中の道はあんまり通りたくない、とか。 雪の日だったら安全に通れる道を案内してくれるとか。 「ナビ子さん、今日は私、そんなに急いでいないから、景色のいい空いている道を楽しくドライブしながら目的地に行きたいの」 とか、 「あのねナビ子さん、今日はどうしてもその時間までに確実に着かなくちゃいけないのよ」 とか話しかけたら、その通りの道をすぐに選択して提案するくらい、今の技術だったらお茶の子さいさいだと思うのだが。 もしかしたら、私が想像もつかないような超高級車には、そんなナビ子さんが女将のごとく控えているのかもしれないけど。 明日はナビ子さん、よろしく頼みますよ! なんといっても、お山を下りて里へ越冬しに行くんですから。 私はもう、今から祈るような気持ちなのだ。 早く、ナビ子さんと阿吽の呼吸になって、行きたい場所に何のストレスも感じずスムーズに行けるようになりたい。 それが今の私の、ささやかな願い。 明日のドライブでは誰をかけようかな。 最近よく聞いているオペラもいいけど、Vaundyもボリュームガンガンにして聞きたい気がする。 もちろんヒカルちゃんもいいし、久しぶりにスピッツもいいかもしれない。 明日の朝、山小屋を離れることを想像するだけで切なくなるから、なるべくそのことを考えないようにしている。 すべの時間が愛おしくて、愛おしすぎて、私はまだまだ山小屋にいたい気分だ。

ゆりまきタイム

青空の下、干し柿さんたちが健やかに成長している。 一本のロープの端と端に渋柿をくくりつけて風に晒し、太陽に当てると、渋が抜けておいしくなるという。 夜は雨や雪が当たらないよう室内へ移動させ、少々過保護すぎるかもしれないと思いつつ、穏やかな気持ちで成長を見守る毎日だ。 もうそろそろ食べてもいいのかもしれない。 でも、もしまだだったら一つ無駄にしてしまうのがもったいなくて、食べられずにいる。 ところで、今年に入ってから、ゆりねは2階で寝るようになった。 今年の森暮らしを始めて少しした頃、ゆりねは突如、私の布団を抜け出して、自力でドアを開け、階段を上がって2階に行った。 以来、一日も欠かさず2階で寝ている。 私は、特に冬場など、ゆりねがいなくて寂しいけれど、もしかするとそのことで、お互い、睡眠の質は上がったかもしれない。 1階の寝室で一緒に寝ている時は、よく、雷の音や稲妻の光や強風で、ゆりねがブルブル震えていた。 そのたびに、私はなすすべ無くただゆりねの恐怖が収まるのを待つしかなかった。 でも、2階だとその刺激が、和らぐのかもしれない。 人間の私には、1階と2階の情報量が同じに感じても、ゆりねにとっては、2階の方が安心できるのだろう。 ものすごい風が強い時でも、2階にいれば、ゆりねは平気で眠っている。 私の方が風の音に恐怖を感じて、なかなか寝付くことができない。 ゆりねが2階に寝ることを、お客さんは皆さん歓迎してくれる。 ゲストが寝ているソファに、ゆりねも途中から合流して一緒に寝るのだ。 場合によっては、腕枕をしてもらったり、一緒にお布団の中にまで入って寝るらしい。 そのことで、ゲストたちは大いに癒されている。 朝、私が階段を上がって、眠れましたか? と尋ねると、ゆりちゃんが一緒に寝てくれて幸せでした〜 と、なんだかとっても満たされた表情をなさるのだ。 そこにいるだけで相手を幸せにするなんて、なんと偉大な存在だろう。 ゆりねの日々は、完璧なルーティンで回っている。 私もなるべくそうしたいと思っているけれど、ゆりねのそれに比べたら、足元にも及ばない。 まず、一日の始まりは運動会。 夜明けが近くなると、寝ているソファから降りて、部屋の中をドタドタと駆け回る。 これは、私に対する、起きろの合図で、ゆりねが上に寝るようになってから、私は目覚まし時計がいらなくなった。 私が階段を上がっていくと、尻尾を振って出迎えてくれる。 ちなみに、ゆりねは階段を上がることはできるけど、自力で下りることはできない。 危ないし、腰にも負担がかかると聞いたので、あえてそうしつけた面もある。 それから、朝ごはんの催促が始まる。 朝ごはんを食べ、トイレを済ませ、そうすると決まってゆきちゃんを動かそうとする。 その時、半々の確率で、ゆりちゃんにスイッチが入って、ゆきちゃんが手足をバタバタさせながら鳴きだす。 あ、ちなみにゆきちゃんというのはウサギの玩具で、ゆりねの妹がわり。 ゆきちゃんを持ち出すのは、ゆきちゃんと遊びたいのではなく、(たまに遊ぶが)多くの場合は私にかまってほしい合図だ。 ゆきちゃんが鳴く中、ゆりねは私に体をこすりつけたりして、親愛の情を示す。 そして、一通り気が済むと、おまちかねのゆりまきタイムとなる。 それは大抵私が新聞を読んでいる時で、なんか視線を感じるな、と思うと、ゆりねがお座りの格好で、じーっと私を凝視している。 すぐに私は、毛布を四つ折りにして、クルンとゆりねを巻き込む。そして、抱っこする。 海苔巻きみたいに、ゆりねをしっかりと毛布で包むこむのだ。 そうすると、ゆりねは安心するのか、すやすやと、時にぐぷぷと鼾をかきながら、私の胸で眠ってしまう。…

落とし物拾い

この季節、私は落とし物拾いに忙しくなる。 森の地面には、たくさん落とし物があるから。 筆頭は、松ぼっくり。 薪ストーブの焚き付けに、もってこいである。 去年は、着火剤のお世話にならないと、なかなか薪に火をつけることができなかった。 マッチも、何本もダメにしていた。 原因は、私が通気口を開けるのを怠っていたからだ。 でもこの冬は、もう簡単に火がつけられる。 着火剤も、使わなくて良くなった。 マッチも、一本で足りる。 昼間のうちに、ムッティの中の灰を片付け(灰は地面にまく)、中に新聞紙や木の枝を仕込んでおく。 そうしておけば、夕方、お風呂から帰ったらすぐにムッティに火を入れることができる。 強風が吹くと、弱い枝がパキパキ折れて地面に落ちる。 これらは、乾燥しているのでとても良い焚き付けになる。 この季節、ちょっと森を歩いて枝を集めれば、すぐに一晩分の薪が確保できる。 基本的に薪は、間伐材から作ったものを軽トラで運んでもらっているけれど、自分で集めれば、それらも使わずに済む。 私はチェーンソーも持っていないし、薪割り用の斧も使えないけれど、そんなのなくても、乾燥した細めの枝だったら手で簡単に折れるし、手で折れなければ足を使って、バキッと短くする。 そうすれば、大体の枝は、ムッティに入るくらいの大きさになる。 松ぼっくりよりも更に火付材として優れているのは、シラビソの球果だ。 手のひらくらいの大きで、見た目はパイナップルに似ている。 これは本当に便利で、火がつくと、バーっと勢いよく燃える。 炎に元気がなくなった時は、この子を入れるとまたすぐに復活する。 私の、頼もしい助っ人だ。 今日は、松ぼっくりが豊作だった。 というのも、昨夜、ものすごい風が一晩中吹き荒れていたのだ。 そのせいで、私はあまり寝られなかったほど。 しっかりと傘が開いているということは乾燥している証拠で、そういう松ぼっくりを見つけると、私は無条件に拾ってしまう。 これが、楽しくて楽しくて仕方がない。 お金を介さず、地面にあるもので暮らしが一部分でも成り立つというのは、とても気持ちがいいことだ。 無心で松ぼっくりを拾っていると、自分が狩猟採集民族になったようで、嬉しくなる。 だから、行き場をなくした落ち葉がゴミとして袋に詰められ捨てられるのは、とても悲しい。 そんなこと、する必要がないのに。 落ち葉はゴミじゃなくて、お宝なのに。 落ち葉がまた地面に還ることで、土が豊かになる。 自然界には、無駄なものなんて、ひとつもないんだと思う。 無駄のように見えるのは、こちらの工夫が足りないだけで。 今日は、電線にかかった木の枝の伐採をしている人から、切り落としたもみの木をいただいた。 もみの葉っぱは、とてもよく燃える。 もみの木を焚き付けにするなんて贅沢だけど。 切り落とさざるを得なかった枝なので、最後まで無駄にせず、大事に使わせていただこうと思う。…

雪の魔法

金曜日の夜から雪が降り始め、昨日は森一面が、真っ白い雪に覆われた。 なんという美しさだろう。 雪が降るのを見ているだけで、私は音楽を聴いているような気分になる。 ワルツになったり、レクイエムになったり、雪たちは変幻自在に表情を変えながら、空からはるばるやって来るのだ。 これから、森はますます美しくなる。 彫刻家の友人が来て、誕生日を祝ってくれた。 共に50歳になる。 半世紀も生きちゃったねぇ、ふたり合わせて100歳だねぇ、なんて言い合いながら、薪ストーブの前で赤ワインを飲んだ。 薪ストーブは、コタツと一緒で、寒いと、その前から動きたくなくなってしまう。 キャンドルを灯し、ゆるゆると半世紀生きたお祝いをした。 雪もそうだけど、炎もまた、見飽きることがない。 薪ストーブで燃え盛る炎を見ていると、なんだかそれだけで満たされてしまう。 産直で買ってきた里芋とさつま芋をそれぞれアルミフォイルで包んで炎の近くに置いておき、友人が持ってきてくれたパンもオーブンの中に入れて温める。 料理らしい料理など何ひとつしていないのに、これだけで立派なご馳走だった。 いい感じで酔いが回ったら、雪の舞う中、恒例の夜のお散歩へ繰り出す。 さすがにひとりだと夜の散歩は怖いので、ゲストが来ると、私は嬉々として夜の散歩にお誘いする。 手元にあるソーラーライトを消すと、本当に真っ暗闇だ。 寒いけれど、なんだか興奮しているので、寒さを感じない。 見上げれば、冗談かと思えるほどの星が輝いている。 早く、雪の原に寝っ転がって星が見たい。 翌日は、一緒に干し柿を作り、ユーチューブを見ながら90分のヨガをして、その後温泉に行って、温泉の食堂でまずはとろろ蕎麦を食べ、お湯に浸かり、何度も、「50になるのも悪くないねぇ」と言い合った。 そうそう、とろろ蕎麦を食べながら私たちが真剣に語り合ったのは、ピザに載せる具材の組み合わせについてだ。 薪ストーブでピザが焼けるという話から、じゃあ次回はピザパーティーをしようと盛り上がり、どんなピザを作るかを真剣に話し合ったのだ。 蕪と柿とチーズ、色々きのこ、山芋とおぼろ昆布、などなど、出たアイディアを友人がその場でノートにメモしていく。 最近、忘れっぽくなったので。 自分で自分が信用できないよねー、との意見で一致した。 本当に、まさか自分がそんな間違いをするだろうか、的なびっくりぽんが、この歳になると日常茶飯事になってくる。 きっと、60になろうが、100になろうが、話している内容はそう変わらないのだろう。 私と友人は今、にわかピザ研究員だ。 昨夜は、嵐のような強風だった。 山の上から、雪崩のごとく、風のかたまりがもうスピードで駆け下りてくる。 ごおおおおおおおおおお、という低い唸り声を上げながら。 恐怖を感じるほどの風が、これでもかというくらい吹き荒れていた。 そのせいで、なかなか寝付けなかった。 だけど、昨夜の風が、空をきれいにしてくれたのだろう。 今朝は、とびきりの朝。 あまりに気持ちがいいので、ゆりねを連れてドライブへ出かけた。 通りがかりのパン屋さんで、焼き立てのアップルパイとカフェオレをいただく。 50年生きてきて、最高においしいアップルパイだった。 運転しながら、山が、もうきれいできれいできれいできれいで、きれいすぎて泣きたくなった。…

初雪

横浜でのサイン会を終えて、急ぎ山へ。 というのも、山小屋の水抜きをしていない。 気温が氷点下になると、水道管が凍結してしまうのだ。 寒波が来るらしく、昨夜から、山小屋に向かって、明日戻るから一晩だけ頑張れよ!とエールを送っていた。 今朝、森のご近所さんから初雪の知らせが届く。 あぁ、残念。 初雪の朝には、ぜひとも立ち会いたかった。 少しだけど、霧氷も出たらしい。 ベルリンの人たちもそうだったけど、雪は楽しみなのだ。 特に、初雪の朝はワクワクする。 今回も、長距離ドライブの音楽は、宇多田ヒカルさん。 行き、ずっと聴いていたらあっという間に着いた。 山小屋から里の住まいまで、大体3時間くらい。 とはいえ、高速に乗っている間はほぼ自動運転にしているので、とっても楽。 車が進化して、私は大いに助かっている。 帰りは藤井風君にしようか迷ったけど、結局またヒカルちゃんにした。 いい声だなぁ。 彼女の生き様が全て、声になっている。 どんなことがあっても、歌い続けてほしい。 車の運転をしている時は、普段山小屋で聴いているような静かなピアノの曲とかでは、ダメなのだ。 刺激が足りなくて、リラックスしてしまい、運転には向かない。 その点、ヒカルちゃんも風君も、最高だ。 温泉に行くくらいの距離だったら、アメリのサントラもいい。 とにかく、運転中はリズムが大事。 普段はあまり外食をしないのだけど、長距離で移動する時は、高速を降りてからちょっとしたご褒美を自分に準備するようにしている。 それを目指して、ひたすら走る感じだ。 今日は、ずっと気になっていたオステリアが開いていたので、そこに入った。 シラスとカラスミのオイルパスタをもりもり食べて、栄養を補給する。 その足で、温泉へ。 長い運転をした後は、すぐに温泉に浸かると疲れが吹き飛ぶ。 露天風呂から見た富士山が、凄かった。 頂上の方に雪が積もっている。 もう、冬の空だ。 なんて美しいのだろう。 里は里で楽しいけれど、やっぱり私は山が好きだ。 あと15分くらいで山小屋に到着する辺りから、チラチラと雪が舞い始めた。 半月ほどの間に、景色がすっかり変わっている。 もう秋じゃない。 カラマツもほぼ葉っぱを落として、裸ん坊になっている。 山小屋に着いたら、森にはまだうっすらと雪が残っていた。…

余韻を味わう

サイン会の翌日、新しくできたという錦市場のそばの小川珈琲へテクテク。 夕方6時半からスタートしたサイン会だったけど、終わったのは9時だった。 そこからご飯を食べに行き、ホテルに戻って、いつもより随分遅く寝たはずなのに、なんだか興奮してしまい、朝、早く目が覚めた。 朝6時台の京都は、なんだかやけに清々しく、まるで外国を旅しているような新鮮な気分になった。 パリと京都は、街全体が醸し出す空気感も、自分たちの文化に誇りを持っている人々の気質も、川のある風景も、共通したところがある。 並ぶらしいと聞いていたので少し早めに到着したら、誰も並んでいなかった。 開店の7時ちょうどに、一番乗りで店に入る。 お庭が見える奥の席について、カフェオレを注文した。 それから、続々とお客さんがやって来た。 昨日のサイン会の余韻を味わいながら、読者の方から頂戴したお手紙を読む。 先日の横浜でのサイン会でもそうだったけれど、中学生の時に『食堂かたつむり』を読みました、という、今、大学生とか社会人なりたての若い方が結構いらっしゃる。 最初の作品を発表してからの時間を感じて、とっても感慨深い。 短い間だけれど、ひとりひとりの方と言葉を交わし、その方のお名前を書いていると、様々な人生に触れて、胸が熱くなる。 みなさん、必死になってそれぞれの人生を生きているのだな、と実感する。 時には大変なことを乗り越えなくてはいけなかったり、もしくは今も大変なことを抱えていたりするけれど、それでも、私に会いに来てくださって、その瞬間は笑顔を見せてくれて、そういう出会いが最高に嬉しい。 最初の頃のサイン会とはまた違う、深い深い味わいのようなものを感じている。 ただ、お待ちいただく時間がどうしても長くなってしまうので、それだけが本当に心苦しくて、申し訳ありません、と思う。 明日は、横浜での2度目のサイン会だ。 それにしても京都、外国人の多さにびっくりした。 噂では聞いていたものの、ここまでとは! 新幹線の改札を出たら、ここは外国の駅ですか? ってくらい、外国人旅行者の姿ばかりが目に飛び込んでくる。 もう、京都は完全な国際都市だ。 きっとこれから、京都の若い子たちの英語力がぐんぐん伸びるのだろう。 現に、私が行った小川珈琲でも、接客の女の子が外国人相手にちゃんと英語で対応していた。 泊まったホテルも、大半が外国人だった。 円が安くなっているから、外国からの観光客にとって、日本はとてもリーズナブルに違いない。 円の力が弱くなっているのは、インドでも感じた。 インドにいて、私はそれほど物価が安いとは思わなかった。 このままずるずると円の力が弱くなったら、日本人はなかなか気軽に海外に出られなくなる。 外国人観光客にとっての適正価格にしたら、日本人にとっては高くつく。 近い将来、日本でも、外国人向けの料金と日本人向けの料金、ふたつの値段設定が必要になるのでは? と、京都にいて思った。 意欲ある若い子たちは、日本を脱出して、海外へ出稼ぎに行くだろうし、逆に本当は海外へ留学したいのに、経済的な事情でそれができないという子も増えてきてしまうだろう。 私だって、今の状況だったら長くベルリンにいるのは難しかったかもしれない。 日本のいい文化を味わっていただくのはとても嬉しいことだけど、ただ安いからという理由だけで日本が選ばれているのだとしたら、今は良くても、この先はかなりしんどいのではないかしら? そういえば、京都でのサイン会に、フランス人の青年が来てくださった。 『ツバキ文具店』のフランス語版を読んでくださったとのこと。 今は日本で華道の勉強をしているそうで、『椿ノ恋文』のフランス語版も、楽しみにしてくださっていた。 そんなふうに、物語が海をこえて外国の読者の方にも届けられるというのは、幸せなことだ。 改めて、物語の力というか、言葉の力を感じた。 読者の方にどれだけの感謝を伝えられたか自信がないけれど、ありがとうをお伝えたいのは、私の方です。…

海へ

横浜でのサイン会を終えて電車に揺られていると、ちょうど夕暮れの海に遭遇した。 淡い淡い、まるでスフレみたいな海。 両手ですくったら、泡みたいにふわっと持ち上がりそうな海の姿が、本当に本当に美しかった。 私の心の中も、ふわっふわ。 鞄に入れてきた文庫本を読む気にもならなくて、とにかくサイン会の余韻を味わいながら、じーっと子どもみたいに海を眺めていた。 たくさんの読者の方にお会いすることができ、心のこもった温かい言葉をかけていただき、最高に幸せな時間だった。 わざわざ足を運んでくださった皆さま、本当にありがとうございました! 海辺の小さな町に冬の拠点を移したのだ。 基本的に私は山小屋で森暮らしをしているけれど、通年いるには、少々、私の能力が足りない。 だから、極寒期だけはどうしても山を下りる必要がある。 直近の冬を東京で過ごして、ものすごく違和感を感じてしまったのだ。 朝、カーテンを開けて人工物しか見えないことに耐えられなくなった。 もし、森で暮らしたりしなければ、そんなことは感じなかったはず。 でも、私は大自然の圧倒的な美しさを知ってしまったので、もう元の自分には戻れない。 東京を、卒業することにした。 普段は山の中で結構ハードな暮らしをしているので、冬くらい、お日様の光をたっぷり浴びて、ぬくぬくしたい。 ゆりねにも、シーに怯えることなく生活してほしい。 私の中に海的な要素はほぼないのだけど、でも冬の海は大好きだ。 まだ数えるほどしか山小屋から車で来たことはないけれど、毎回、海が見えると得したような気分になる。 海は、私にとって非日常の世界。 特別な場所だ。 これからは、冬、行きたくなったらいつでも海へサクッと行けるようになった。 昨日長いお留守番をしてもらったので、今日はゆりねとたっぷりイチャイチャして過ごす。 この子は、本当に私の人生に寄り添ってくれて、感謝しかない。 喜びばかりを、日々与えてくれる。 昨日のサイン会では、お手紙を書いて持ってきてくださった方もたくさんいらした。 面と向かうと緊張してうまく話せないかもしれないので、と手紙という形のギフトをくださる。 今日、その手紙を一通一通読みながら、昨日のふわっふわが、口の中で綿菓子みたいに甦った。 夕方、温泉へ。 東京を離れるにあたり、新天地に求めたのは、温泉だ。 あとは、居心地のいいカフェが一軒あれば、大満足。 今、私はそれを探しているところだけど。 あー、やっぱり温泉はいいなぁ。 この町のことはまだまだ手探りだけど、この温泉があってくれて、よかったなぁ、なんて思いながら、湯船に浸かっていたところ、 あの〜、と声をかけられた。 「『天然生活』の、、、」と続く。 ひゃー!!!! まさかお風呂で声をかけられるとは。 もう、びっくりを通り越して、笑ってしまった。 今更、違いますと否定しても始まらないので、「なんでわかったんですか?」と逆にこちらから質問すると、…

手紙よ、手紙

『椿ノ恋文』が届いた。 ついに完成した最新刊。 新聞連載からのスタートだったので、足かけ何年になるのだろう。 ようやく、一冊になって感無量だ。 このところ、夕食を食べてから、手紙を読み直す時間を設けている。 ムッティに薪をくべたりしながらするのに、手紙を読むのはとてもいい。 ものすごく大きな段ボール一箱分に、私宛の手紙がぎっしり入っている。 多くは、読者の方からのお手紙。 その中でも、圧倒的に多いのが、やはり『ツバキ文具店』がきっかけでいただいたお手紙だ。 みなさん、本の最後に載っている、「ツバキ文具店へのお手紙はこちらへ」をご覧になって、手紙を書いて送ってくださったのだ。 読後すぐのお手紙から、しばらく時間が経ってからのお手紙まで、本当に様々だ。 以前は手紙を書くのが好きだったのに、このところはメールやラインで要件を済ませてしまい、手紙を書くのをやめていたんです。でもこの物語を読んでむしょうに手紙が書きたくなりました。 だけど咄嗟に手紙を書く相手が思いつかないので、鳩子さん宛に書きますね、とか。 実際に書いてみて、やっぱり手紙っていいものですね、だからやっぱりまた手紙を書くのを始めてみようと思います、とか。 物語を読み終えてすぐ、大切な人に手紙を書きました、のご報告とか。 今片思いの人がいるのですが、今度手紙で告白してみようと思います、とか。 中には、誰にも打ち明けられない秘密をそっと鳩子に打ち明けてくださった方、病床で読んで一言感想を伝えてくださった方、ご自身は目が見えないので図書館で音声図書を借りて、その感想を丁寧に文字にしてくださった方、本当に多くの方が、鳩子に手紙を書いて送ってくださった。 こんなふうな形で読者の方と繋がれるというのは、本当に本当に幸運なことだと改めて思う。 お手紙を書いて送ってくださったみなさん、本当にありがとうございました。 読者の方からの手紙に混ざって、友人などから個人的にもらった手紙も顔を出す。 それがまた、面白い。 面白いというのは、こんなことまで手紙でやり取りしていたのか!という発見があるから。 今だったらメールでやるような連絡事項を、長々と手書きで伝えている。 そこには、それぞれ書いた人の温もりがあって、匂いがある。 ずいぶん疎遠になってしまった人でも、その人が書いた文字を見ただけでパッとその人の顔が浮かび、声が蘇ってくる。 手紙の束を前にして、時間の層がバウムクーヘンみたいに積み重なっているのを実感した。 大袈裟だけど、生きた証を見ているようなのだ。 手紙を振り返る中で、母から来た手紙とも再会した。 自分では、全て処分したものを思い込んでいたので、まさかの展開だった。 手紙というよりメモに近いもので、私宛に送ってくれた荷物の中身の説明が長々と綴られている。 多くは、母愛用の筆ペンで書かれたものだ。 子どもの頃、かなり崩して書く母の書き文字を判読するのに難儀したものだけど、やっぱり今読んでもなんて書いてあるのかわからない箇所があり、その部分は潔く読み飛ばした。 そこには、まだ母が生きていて、私は生身の母と再会したような気持ちになった。 そして、改めて母からの愛情を感じた。 父が書いて送ってくれた小さなメッセージカードも出てきた。 やっぱりそこにも、元気な頃の父がいた。 私はこのところ、毎晩、こんなふうに過去の手紙と触れ合って過ごしている。 手紙には、やっぱり手紙にしかない優しさというか、温もりというか、美しさがある。 そんな手紙の良さが、『椿ノ恋文』でもお伝えできたら嬉しい。 今回は、新聞連載だったので、しゅんしゅんさんが毎回毎回、挿画を描いてくださった。…

栗と温泉

栗が届いた。 箱を開けた瞬間、あ、と固まり、一瞬目を逸らして見なかったことにしそうになる。 今年は、道の駅や産直でその姿が見えそうになると、あえて近くを通るのを避けてきたのだ。 インドに行って山小屋を不在にしていた分、この時期はやることがいっぱいある。 栗は好きだけど、今、自分でちまちま落ち着いて仕事ができるほどの心の余裕がない。 それに、ここ数年はおいしい栗の渋皮煮を作って送ってくださる方がいるのである。 とは言え、栗も生きているしなぁ。 見れば、立派な丹波の栗。 とりあえず、大きい鉄鍋にお湯を沸かし、熱湯に放り込んだ。 あぁ、栗が来ちゃったよ、と内心ぼやきながら。 栗の皮剥きは、本当に本当に難儀な仕事だ。 随分昔のことになるけれど、以前、中津川の栗きんとんの取材に伺ったことがある。 私は当然、機械で栗の皮を剥いているのだろう、と思っていた。 でも、全て手作業で剥いていると聞いて、目が点になった。 途方もない仕事だ。 栗の皮剥きの仕事に従事される方達は、さぞ忍耐強いのだろう、と想像する。 イライラしながら栗の皮剥きなんかしたら、すぐに指が血だらけになってしまう。 鬼皮だけ剥くのだって、一苦労だ。 剥いても剥いても、まだ栗が鍋の底から顔を出す。 最後の一個を剥き終わる頃には、手がガチガチになっていた。 しかし、これで終わりではない。 むしろここからがスタートで、これから渋皮煮にするのである。 美味しい渋皮煮が届くと書いたけれど、今まだ届いていないということは、今年は私の分まで回ってこないのかもしれないし。 せっかくこんなに上等な栗があるのだから、やってみようじゃないか、という気に少しずつなってきた。 重曹を入れたお湯で20分ゆらゆら煮ては、水を変えて、またゆらゆら煮て、水を変えて。 ほぼ付きっきりで、お世話をする。 弱火で火を通すのは、栗が割れないようにするため。 そのため、慎重に慎重に火を入れる。 回を重ねるごとに、栗は柔らかくなるけれど、その分繊細ですぐに形が崩れてしまう。 途中で崩壊した栗は、味見も兼ねて、メープルシロップをかけて自分で食べた。 きっと、毎年送ってくださる渋皮煮の名人も、自分では崩れたのを食べ、形のきれいなものだけを、プレゼントしているのだろう、などと勝手に想像する。 でも、少しずつ渋皮煮に近づいていくと、嬉しく、栗たちへの情も深まってくる。 最後は、甘いシロップに浸し、薪ストーブの上に置いて、じっくりじっくり火を通す。 鍋に入れたまま、味を染み込ませた。 その間、私は温泉へ行ってきた。 いつもの日帰り湯ではなく、「休憩」と名のついた、部屋も借りられるちょっと贅沢な過ごし方をする。 そこの温泉のお湯が好きで好きで、去年の今頃通い詰めていたのだが、この春、施設の老朽化のため閉鎖になってしまい、そこに行けなくなっていた。 再開を待ち望んでいた矢先、他の旅館で「休憩」のサービスがあることを知り、早速行ってみたのである。 外から見る限りは、ザ・昭和。 その建物を見るたびに、うーん、ここに泊まるのは勇気がいるなぁ、なんて思っていた。…

アンズの笑顔

朝から強い風が吹いている。 そのたびに、葉っぱがはらはらと地面に落ちる。 森は一面、色とりどりの落ち葉のじゅうたんだ。 朝と夕方でも森の色が違って見えるほど、刻一刻と冬に向けて進んでいる。 今週末は、いよいよ最低気温が氷点下の予報だ。 ガザのことが気になって、普段あまり見ない夕刊をチェックしたら、犬のアンズの記事が載っていた。 元の飼い主が、保健所に、もういらないからと持ち込んだトイプードルだ。 そこにたまたま居合わせたのが、茨城県警で警察犬の指導をしていた鈴木さん。 飼育放棄された子犬は、カゴの中で震えていたという。 飼育書の通りにやっても排泄がうまくできないし、吠えてうるさいから、もういらないというのだ。 その様子を見かねた鈴木さんが、自分に譲ってください、とその場で申し出て家に連れて帰った。 その犬は、鈴木さんの奥さんにより、アンズと名付けらた。 鈴木さんは自宅で訓練中の3頭のシェパードを飼っており、そこにアンズも仲間入りした。 そして、先輩のシェパードを真似るうち、アンズも警察犬としての素質を開花させた。 アンズは、とてもとても優秀な犬だった。 写真のアンズは、とても幸せそうに笑っている。 白いので、ゆりねにちょっと似ている。 嬉しい時、ゆりねもよくこういう表情をする。 もしその時、そこに鈴木さんが居合わせなかったら、殺されていたかもしれないのだ。 それもきっと、アンズの魂が鈴木さんを引き寄せたんじゃないかと思う。 アンズは今、茨城県警の警察犬として、行方不明になったお年寄りを探し出すなど、大活躍している。 アンズの涙が、アンズの笑顔に変わって、本当に良かった。 アンズが鈴木さんと出会えて、本当に本当に良かった。 動物に対してもそうだけれど、虐待とか、戦争とか、相手の尊厳を傷つけたり奪ったりすることは、本当にしてはいけないことだと思う。 だから、アンズのようなニュースは、心から嬉しい。 何より、アンズが生きる希望を持てたことが、素晴らしいと思う。 アンズと言えば、この間友人に、インドで一番おいしかったものを聞かれ、ちょっと考えた末に私はアンズと答えた。 この辺りでも、初夏のほんの一時期、生のアンズが出回る。 でも、本当に一瞬で、あ、と思った頃にはなくなっている。 私が行ってきた北インドのヒマラヤは、アンズの一大産地らしく、どこに行っても生のアンズがあった。 近郊の村へ出かけた時は、休ませてもらったエコビレッジのお庭にアンズの木があって、おやつがわりに直接木からもいだのを食べていた。 その生のアンズで作ったアンズのジュースが、私にとってはインドで一番おいしいものだった。 現地の人たちは、そのアンズの真ん中に入っている種を丸のまま、ローストにして食べる。 それを買って日本に持って帰り、数日前、グラノーラを作る際、中に入れてみた。 味は、アーモンドに似ている。 カリカリして、とても美味。 グラノーラ自体とても香ばしく、小腹がすいた時につまむのにちょうどいい。 そんなアンズ繋がりで、私はグラノーラを口にすると、反射的に犬のアンズのことを思い出し、あぁ、良かった良かった、アンズが笑顔になれて本当に良かったと毎回思ってしまう。 アンズが、幸せな生涯を送れますようにと、グラノーラを食みながら祈らずにはいられない。 それにしても、もし私が地球だったら、もう我慢の限界だ。…

春待ち庭

ダンボールいっぱいの春が届いた。 中身は、球根。 それで今日は、朝からせっせと球根を植えた。 お庭仕事にはもってこいの土曜日。 春を待つ庭を作るべく、汗を流す。 リスは、この季節、胡桃を拾って土の中に埋める。 忘れられた胡桃が芽を出すと、やがて森が生まれる。 私がやっているのも、似たようなこと。 球根を埋めたそばから土で蓋をするので、すぐに、どこに埋めたかわからなくなる。 これは、自分へのサプライズだ。 厳しい冬を乗り越えた自分自身へのご褒美を、今のうちから仕込んでおく。 もう、春が待ち遠しい。 でも、その前に冬だ。 寒い寒い冬を乗り切ってこそ、春の日差しの温もりに感謝できる。 春を迎える前に、森は一回死ぬ。 完全に死んではいないのだけど、完全に死んだように見える。 そこで、全てがリセットされて、また新しい命が芽吹いてくる。 今年は、どんな冬景色が見られるのかな。 なるべく長く山小屋にいて、冬をたっぷりと味わいたい。 今日植えた球根は、水仙と百合。 ダンボールいっぱいあったのに、地面に隠してしまうと、物足りなく感じる。 この庭のどこかに宝石のように咲く花の源が潜んでいるかと思うと、ワクワクする。 どうか、シーに食べられることなく、春になったら、無事に芽を出し、花を咲かせますように。 今日、ぼんやり森を見ていたら、3本脚のシーがいた。 体毛を濃くした、立派なオス鹿だった。 おそらく去年、私の森の木の枝にぶら下がっていた脚の持ち主だろう。 後ろ脚を一本失っても、無事に冬を越し、生き延びたのだ。 そのことに、少し安堵した。 もしも、鹿じゃなくて、馬だったら、どうだったんだろう、なんてことを、昨日から考えている。 野生の馬が森にいたら、私はどう感じるんだろう。 おそらく、嬉しい。 与那国島には野生の馬がいるけど、増えすぎて人間との共存が難しくなっている、なんて問題はないのだろうか。 ヒマラヤにも、川の辺りに佇む野生の馬がいて、それはそれは美しかった。 遠くから見たら、鹿も馬も大差はないはずなのに、鹿はノーで馬はOKという道理も、それはやっぱり矛盾している。 鹿だって、見た目は馬と同じくらい愛らしいし、美しい。 馬とて、同じように増えすぎて森を荒らしたりすれば、やっぱり厄介者になってしまうに違いない。 と思ってちょっと調べたら、オーストラリアでは野生の馬が生態系に悪影響を及ぼすため、害獣として駆除されているとのこと。 殺処分にしろ駆除にしろ、人間の都合で動物の命を奪うというのは、本当に本当に心苦しい。 先日、近所にできた小さな本屋さんで、『人間がいなくなった後の自然』という本を買った。 まだ読んでいないけれど。…

今週は手前味噌作り。 スーパーで一年中生の麹が手に入るのはさすがだ。 信州にはおいしい味噌がたくさんあるから、わざわざ手作りしなくてもいいような気もするけど、でも自分の味噌に体が慣れてしまっているので、やっぱり今年も作ることにした。 大豆1キロを、500gずつ2回に分けて仕込む。 このやり方が一番楽。 今読んでいる本、『いきている山』(ナン・シェパード著)に、こんな下りがあった。 自分のほかにそこにもう一人いることは、それが適切な山の仲間であれば、静けさを損なうものではなく、静けさを豊かにしてくれる。申し分のない山の仲間とは、山行のあいだその人の本質が山のそれと一つに溶け合っている人のことをいう。自分の本質も山と一つになると感じているように。そういう時に発せられる言葉は、共有される生の一部となり、異質なものではなくなる。しかし、間を持たせるだけの話題作りは山行を台無しにする。山行に会話は必要ないのかもしれない。 この文章と出会った時、私は深く深く納得した。 脳裏に現れたのは、もちろんぴーちゃんだ。 ヒマラヤで、私が最悪なコンディションでトレッキングに挑んだ時、彼女は私に、大丈夫?とも頑張れとも、一切言わなかった。 ただ、時に前を、時に後ろを歩いてくれた。 その姿に、言葉よりもより多くのメッセージをもらった気がする。 三連休の二日目、麓に暮らす彫刻家の友人がわざわざおかえりを言うため山小屋まで来てくれた。 お土産は、庭に落ちた栗の実で作った栗きんとん。 私には砂糖を入れた大きい栗きんとんを、ゆりねには栗そのまんまの小さな栗きんとんを、それぞれ作ってきてくれた。 きっと彼女とも、私はいい山登りができる気がする。 同い年のその女友達は、私より一足早く50歳になった。 でも、50になろうが、おそらく60になっても70になっても、やっていることは小学生同士の付き合いとさほど変わらない。 交わす会話も、それほど進化はしていない気がする。 でも、平和だから、それが許されるのだと思う。 先日、イランの活動家、ナルゲス・モハンマディさんがノーベル平和賞を受賞した。 彼女は、51歳。 その彼女が、双子の息子と娘に宛てた手紙が新聞にあった。 あなたたちの状況がどれだけ大変かということも、私が状況を困難にしたということも、わかっています。私の道は(未来の)多くの子どもたちを助けるためであり、あなたたちが大きくなったら、私を許してくれることを願っています 母親として、本当に身を切るような究極の選択を迫られたに違いない。 母親なら、獄中ではなく、息子や娘のそばで愛しい子どもたちの寝顔を見ながら添い寝したいに決まっている。 それでも、自らの個人的な幸福や自由を投げ打ってまで、多くの子どもたちの未来のために闘っているのだ。 そのことを思うと、本当に尊敬する。 今回の受賞が、少しでも彼女の、そして彼女と同じように自らの人生を犠牲にしてまで自由や平等のために闘っている全ての活動家たちの心に、光をもたらしてくれたらいいと思う。 ロシアはウクライナへの攻撃をやめずに双方で犠牲者は増える一方だし、パレスチナとイスラエルの対立も深刻化している。 アフガニスタンでも、大きな地震があった。 自分の足元や周辺は平和でも、地球規模で見たら、世界はどんどん平和から遠のいているように感じて恐ろしくなる。 少しでも、世の中が平和でありますように。 人々の心に、明るい光が届きますように。 そう願わずにはいられない。 夜、なんとなくそういう気分になって、以前いただいた手紙の一部を読み返した。 大半は読者の方が送ってくださった手紙だけど、たまに友人からの手紙があったり、編集者からの手紙が出てきたり。 物語を通じて多くの方とこんなふうに心の交流ができることは、本当に本当に幸せなことだと改めて感じた。 そして、感謝した。 来月、『椿ノ恋文』が刊行される。…

冬支度

朝の気温は、5度。 日中も、10度ちょっとで、刻々と冬の足音が近づいている。 今日は、終日青空で気持ちよかった。 ずっとほったらかしになっていたお庭の手入れに精を出す。 冬越しのため、薬草たちは切り戻しを。 いない間シーにほじくり返された苗は、別の場所に植え直した。 数日前の強風で、だいぶ枝が落ちている。 ビュンビュンと、まるで鞭のように木の枝がしなっていた。 枝を拾い集め、短く折って、薪ストーブの焚き付け用に準備する。 もう、夜だけは薪ストーブを焚いている。 いよいよ、ムッティの出番だ。 乾燥しているから折れてしまうので、落ちた枝は、焚き付けにはもってこいだ。 去年よりもずっとスムーズに火がつくのは、しっかりと薪が乾燥しているから。 これから、せっせと火種となる松ぼっくり拾いをしないといけない。 今日は、山小屋から離れがたくて、温泉にも行かず、家のお風呂に入った。 離れていた分、たっぷりと蜜月の時間を過ごす。 晩ご飯に何を食べようかな、と思って冷蔵庫を開けたら、アケビと目が合ってしまう。 一週間ほど前にいただいたアケビ。 見た目は紫色でとてもとても美しいのだけど、私はどうも味が苦手なのだ。 山形の人は、秋になるとアケビを良く食べる。 大抵は、中の種を取り除いて、そこに味噌で味をつけた豚肉なんかを詰めて焼くのだ。 でも、アケビは苦くて、どうもおいしいと思えなかった。 母は、アケビの種の部分が大好きだった。 ただ、アケビの種は白いゼリーみたいなのに包まれていて、見た目がカエルの卵っぽい。 それもあって、私はアケビの種を食べようと思ったことは一度もない。 でも、目が合ってしまった。 最近、以前にも増して食べ物を粗末にすることに罪悪感を覚える。 もう、冷蔵庫に一週間も置かれていたアケビは、限界だ。 そろそろ食べないと、ダメになってしまう。 ということで、頑張って調理してみることにした。 肉詰めはハードルが高いので、昨日買ってきたベーコンと炒めてみる。 その過程で、種も口に入れてみた。 確かに、甘い。 でも、ほとんどが種なので、なかなか思うようには味わえない。 大量に出た種は、庭にまいた。 あれだけたくさんあれば、ひとつくらい、芽を出すかもしれない。 アケビは、ゴーヤだと思って、ゴーヤチャンプルーを作る時みたいにスライスしてベーコンと炒め、最後、甘めの玉味噌で味をつけた。 さて、冬に向けてやることが目白押しの今日この頃。 晩ご飯を食べる前に、松ぼっくりで天然の着火剤を作ってみようとひらめき、実行する。 松ぼっくりだけでもかなり火種にはなるのだが、周りを溶かした蜜蝋でコーティングしたら、もっと優秀な着火剤になるのではないか。…

水と空気

ただいま! 森に帰ってきた。 今、私は、森の木々に両手を広げて抱擁されている気分だ。 約一月山小屋を離れていた間に、森には秋が訪れ、木々が紅葉を始めている。 思っていたほど、シーに庭を荒らされていなかった。 それにしてもインド、過酷な旅だったな。 予想も覚悟もしていたけど、なんていうかそれ以上だ。 インドは2度目で、前回は南インドに行ったけど、その時はホテルから一歩も出ずにひたすらアーユルヴェーダを受けていたので、実質、今回が初めてのインドに触れる旅。 まず、人が多い。 世界でもっとも人口の多い国になったのだから、当然かもしれないけど、それにしても人が多くて、しかも密度が濃いというか、人と人との距離が近すぎる。 普段の森暮らしでは、人に会うよりも鹿に会う方が多いくらいの私は、この一二年で、かなり人混みに弱くなっている。 そして、ムンバイの蒸し暑さは本当にこたえた。 体が全然順応できない。 その上、外はミストサウナなのに、一歩室内に入れば、もう震えるほどの冷房で、外を歩いても過酷、建物の中に入っても過酷で、どっちもしんどい。 インドでは、クーラーがステイタスなのだとか。 タクシーも、クーラーがあるのとないのとで、料金が違ってくる。 インドはおしなべて無秩序だったけど、特に車の運転は酷すぎると感じた。 どのドライバーも、自分のことしか考えていない。 みんながクラクションを鳴らすから、うるさくてうるさくて仕方ない。 歩行者は道を渡るのすら命懸けで、滞在中、何度も怖い思いをした。 先進国とは一体何なんだろうと、インドにいる間中、考えさせられた。 高層ビルがたくさんあれば先進国なのか。 もちろん、そうじゃない。 経済的に豊かなだけでは、先進国と言えない。 中身が伴わなければ、外側だけ立派に繕っても、ただのハリボテになってしまう。 人の命の価値に重きが置かれていること。 人だけでなく、動物や植物など、自然の全てに敬意が払われていること。 人としての人権が確立されていること。 人々が、幸福を感じながら日々の暮らしを営んでいること。 お金の使い道が、上手であること。 私は、先進国というのは、こういう点がきちんと確立されている国をいうのだと思う。 インドの街は、ヒマラヤも含め、どこもかしこもゴミだらけだった。 ムンバイには、下水の臭いがする。 路上には、野良犬があふれている。 極端に富を得ている人と、極端に飢えている人の差が激しすぎる。 そもそも、私にとってインドはわからないことだらけだ。 ブッダが誕生したはずなのに、今のインドに、ブッダの教えはさほど見られない。 過去には、ガンジーという素晴らしい人物もいた。 人々の多くは、カースト制をいまだに受け入れている。 レイプが多発しているのは、どこか人の心に大きく抑圧されている部分があるからなのだろうけど、それはなぜなのか。…

ヒマラヤ合宿④

(9月21日) トレッキングへ。 4100メートルの山の頂を目指して歩く。 実は、ムンバイからレーに移動する飛行機の手荷物検査の時、日本から持ってきた大事なストックを没収された。 インディゴ航空のスタッフは、手荷物で問題ないと言ったのに、手荷物検査の係員は機内に持ち込めないという。 ジャンムー・カシミール州は政治的に不安定で、ラダックは軍事上の重要な場所。 とは言え、大事なストックをこれみよがしにゴミ箱に放り投げられた時は本気で腹が立った。 フランスの空港で、せっかく買ったラギオールのペーパーナイフを取り上げられて以来の没収だ。 手荷物検査のあのシステム、もうちょっとなんとかならないのだろうか。 着いた先の空港で受け取るようにするとか、もっと賢明なやり方があると思うのだけど。 そんな訳で、ホームステイ先で農具として使われていた木の棒をトレッキングの相棒にした。 でも、私は最初から不安だった。 インドに来て以来、あまり眠れないのだ。 ムンバイでは時差で、ラダックに来てからは高地による影響で、眠りが浅くなり、どうしても深夜に目が覚めてしまう。 しかも、その日の夜、寝ていたらものすごく頭が痛くなった。 これは、高山病だろう。 その上、パンゴン・ツォの寒さで、ぴーちゃん共々、風邪を引き、喉が痛くて痛くてたまらない。 とてもとても、トレッキングに行けるような体調ではなかったのだ。 出発予定時間の30分前まで、私は一日静かに寝ているつもりだった。 でも、頭痛薬を飲んで少ししたら、やっぱり行ってみようという気持ちになった。 せっかく日本から登山靴も持ってきたのだし。 荒治療ではあったけど、出発してダメだったら私だけ引き返してくればいいと腹を決め、まずはガイドさんと共に歩き始めた。 体力温存のため、言葉はほとんど交わさない。 思えば、富士山に登った時も、私は途中から軽い高山病だった。 頭がズキズキして、意識が朦朧としていた。 それでも、頂上には立てた。 富士山は、3776メートル。 今回は、更にそれよりも高い場所を目指す。 人生初の試みだ。 川に沿って、谷間を歩いていくのだが、途中何度か、川を越える必要があった。 それがまた至難の業で、場合によっては登山靴と靴下を脱いで、川を渡らなくてはならない。 水がものすごく冷たくて、凍えそうになる。 ガイドさんが先に川の向こうへ渡り、大きな石を川に落とし、飛び石を作ってはくれるものの、それでも、石から石へジャンプする時に危うく滑って転びそうになる。 ちなみに、この小川は、ガンジス川の源流だ。 ヒマラヤの山々から集まった水が、やがて合流してガンジス川となる。 空気が薄いので、すぐに息が上がってしまう。 それでも、道端に咲く高山植物や小川のせせらぎに励まされ、なんとかふたりについていく。 川の水が、すごくおいしい。 顔を上げれば、見事な岩山。 途中、何度も休憩を取りながら、トレッキングを楽しんだ。…

ヒマラヤ合宿③

(9月19日) パンゴン・ツォへ。 今回、どうしてもこの湖に行きたかった。 一度、その絶景をこの目で見てみたい。 空路はなく、ラダックから車で、5、6時間もかかる。 しかも途中、5300メートルのチャンラ峠を越えていかなければならない。 なんとなんと、まさかの雪景色だった。 山肌を削るように作られた冗談かと思うほどの細い道路を通って行く。 ちょっとでも道を外れたら、真っ逆さまに転落しそうでハラハラした。 あまりの寒さに、持っていた防寒着を全部着込む。 いらないと思って、ムンバイのホテルにセーターとかを置いてきてしまったことが悔やまれた。 でも、パンゴン・ツォは想像以上に素晴らしかった。 これほどまでに美しく清らかな世界があったとは! あまりに感動して、ぴーちゃんとふたり、ため息しかこぼれない。 湖の水はものすごく透き通っていて、太陽の光を受けると、鮮やかなトルコブルーに染まる。 向こうには、山、山、山、山。 幾重にも連なる屈強な山たちが、湖をしっかりと四方八方から守っている。 湖の向こう側は中国だ。 飛び込みで入った宿で、ベッドに入ってゴロゴロしながら、ひたすら湖を眺めた。 でも、全然見飽きない。 確かに片道5時間のドライブは体にこたえたけど、はるばる来て正解だった。 来ようと思って、簡単に来れる場所では決してない。 宿泊したメラック村は、つい最近まで外国人は入れず、秘境中の秘境だったという。 冬は、マイナス30度とか40度になるらしい。 ホテルの電気がつくのは、夜7時から。 夕飯を食べている時も、しょっちゅう停電して真っ暗になる。 この地で生活を営むのは、本当に過酷だ。 Wi-Fiもなく、電話も通じず、とにかく静か。 夕食後、宿のおじさんが特別に焚き火をしてくれた。 寒くて寒くて、フリースを着たまま布団に入った。 朝、村を散歩した。 人はほとんどいない。 太陽が昇るにつれて、湖の色が刻々と変化する。 それがまた美しい。 自分の人生が残りわずかとなった時、この湖をもう一度見たくなるような予感がする。 でも、その時はきっと、もうこの場所まで体を運ぶことはできない。 一回でいいから、パンゴン・ツォを鳥の目で上空から見てみたい。 きっと地球には、他にももっともっと、こういう宝石みたいに美しい場所があるのだろう。 残りの人生は、そういう美しい景色に会いに行く旅をもっとしたいと強く思った。

ヒマラヤ合宿②

(9月18日) ラダックは、インドの最北、ジャンムー・カシミール州にある。 標高3500メートルの山岳地帯で、水辺にだけ少し緑があるものの、基本は剥き出しの岩山だ。 昔はインドではなく、ラダック王国と呼ばれた。 ラダック王国は19世紀に滅亡し、現在はインド領になっている。 ラダックは、荒涼とした自然の厳しい場所で、雨が少なく、ものすごく乾燥している。 だから、洗濯物があっという間に乾く。 夏は30度まで上がり、冬はマイナス20度まで下がる。 私が生まれる頃まで、ラダックには外国人が入れなかった。 そこで人々は、昔ながらの自給自足の暮らしを営んでいた。 中国に占領されたチベットよりも、よりチベットらしい暮らしが残っていると言われている。 ラダック人と呼ばれるチベット系の民族が多く住み、チベット仏教をあつく信仰する。 話しているのは、チベット語の方言、ラダック語だ。 今日は、トリスタンとぴーちゃんと3人で、チベット仏教の寺院、アルチ・ゴンパを訪ね、11世紀に描かれたという壁画を見に行ってきた。 ここは、仏教美術の宝庫だと言われている。 よくぞこんな山奥に作ったものだと、ただただ感心するほど、奥地にある。 お堂には、神聖な空気が満ちていて、本当に久しぶりに、あれだけピュアな、純粋なものだけがある空間に身を置いた気がする。 祈りって、本当にすごい。 どこに行ってもダライ・ラマ法王の写真が飾られていて、人々に尊敬されているのがわかる。 中国経由で伝わった日本の仏教と違い、チベット仏教は、インドから直接入ったため、仏教の根本的な教えが色濃く残されている。 輪廻転生を信じ、人間の最終的なゴールを、宇宙と一体化することとする。 そのために、日々の暮らしに瞑想を取り入れる。 人が、よりよく幸福に生きるためのガイドブックみたいなものではないだろうか。 チベット仏教はとても科学的で、量子力学の世界とも重複するものだと、私自身は感じている。 タルチョと呼ばれる、五色の祈りの旗が美しい。 町の至るところにゴンパがあり、祈りの世界がある。 翌朝、早起きをしてティクセゴンパで行われる朝の勤行を見に行った。 小さなお坊さん達の合唱のようなもので始まるのだけど、その無垢な声を聞いているだけで意味もわからず涙がこぼれた。 ただただ無心になって祈ること。 それが、どれだけ有効なことか。 結果は目に見えないけれど、そういう祈りは、波動となって世界に広がり、世の中の幸福を支えている。 私は、そう信じている。

ヒマラヤ合宿①

(9月15日) 昨日は、旅仲間であるトリスタンと、ムンバイの空港からレーへ飛び(飛行時間3時間)、そこからラダックへ車で移動した。 ラダックは、標高3500メートルにある北インドの町だ。 日差しが強い。 私のこの体が地球に誕生して、ほぼ半世紀が経つ。 その中で、もっとも高い場所に体を運んだことになる。 これまでは、富士山頂が、私が自力で行ったもっとも高い場所だった。 それを今回、何度か更新する。 レーの空港に着いた時はそうでもなかったけれど、ホームステイ先に着いてお昼を食べたあたりから、だんだん体が重くなった。 空気が薄いのが如実にわかる。 高山病にならないよう、ムンバイの薬局でダイアモックスを買い、それを一昨日から飲んでいる。 それでも、頭が少しぼーっとした。 とにかく着いた日は、何もせずにじっとしているのがいいと聞いていたので、お昼を食べてから布団で横になった。 そしてそのまま、晩ご飯も食べずに寝続けた。 寝る以外の行為が、何ひとつできない。 途中、トイレに起きたら曇っているのに星が綺麗で一瞬だけ目が覚める。 四方八方、どこを見渡しても、山、山、山、山。 その谷間に、点々と村がある。 山の頂と雲の近さで、この場所の標高がうんと高いのだと実感する。 一応、今はここもインドだけど、チベット仏教の影響が大きく、住んでいる人たちも、みんな日本人に近い顔をしているから、インドにいるという気が全然しない。 どこを見渡しても喧騒しかなかったムンバイとは別世界で、もうここは本当に静かで、平和だ。 道路にはのんびりと牛が歩いているし、花々が咲き乱れ、水も空気もものすごく澄んでいる。 一晩ぐっすり眠ったら、だいぶ体がこの環境に慣れてきた。 呼吸も、昨日ほど苦しくは感じない。 ホームステイ先の一家には、ここで生まれ育った主人と、日本人の奥さんと、子どもが3人(そのうち長女は日本に留学中)、猫2匹、犬1匹がいる。 本当に穏やかな暮らし。 今、黒い方の猫が私の太ももをマットレスにしてうたた寝している。 ゆりねより、ずっと軽い。 明日はぴーちゃんも合流し、本格的なヒマラヤ合宿がスタートする。 トリスタンとこういう時間を過ごすのは、モンゴルのゲルで一夏を過ごして以来だ。 モンゴルと違うのは、新鮮な野菜がたくさん食べられること。 一家は、有機農法で野菜を育てていて、そのお野菜がとてもおいしい。 せっかくなので、チベット仏教について勉強しよう。 午後は、トリスタンと近所を少し散歩して、瞑想するのに良さそうな場所を見つけたい。

ナマステ〜

「ナマステ〜」 ただ今、インドにいる。 目の前に広がるのは、アラビア海だ。 大親友で画家の佐伯洋江ちゃん(ぴーちゃん)が、なんとなんとムンバイの大きなギャラリーで個展を開くことになり、はるばる日本から応援に駆けつけた。 コロナ後初の海外旅行は、インドになった。 ムンバイ、すごい。 空港からの道路で、もうめげそうになる。 無秩序、喧騒、混沌。 もう、私の受け皿を完全に超えている。 あまりのすごさに、ポカンとしてしまった。 ここで生きていくのは、さぞ大変だろう。 以前行った南インドとは、また違った底知れないエネルギーを感じる。 この大国が、これからどんどん世界をリードしていくという。 中でもムンバイは、その中枢をなすような巨大都市だ。 前回海外に行ったのは、ベルリンだった。 旅行というより、もっと切羽詰まった何かを背負って、行って、すぐにゆりねを連れて帰ってきた。 コロナが、私たちのすぐ後ろを猛スピードで追いかけてきた。 私は、走るような逃げるような気持ちで、日本に戻った。 あれから4年半。 私は日本に戻って森暮らしを始め、ぴーちゃんもまたベルリンを離れて南仏に移った。 その間に、お互い、本当に色々色々色々あった。 ベルリンに暮らしていた頃は、毎日みたいに顔を合わせていたのに、それが当たり前の日常だと思っていたのに、人生、本当に何が起こるかわからない。 私が、日本に戻ることを明かした時、ぴーちゃん、トイレにこもって泣いたっけな。 私は何度か、ぴーちゃんを泣かせたことがある。 現代アートの作家が、自らの生活と制作を両立させるのがいかに困難なことか、私はベルリンに暮らすことで学んだ気がする。 みんな、本当に必死になって自分の作品を生み出しているけれど、世の中に認められるのはほんの一握りで、制作をしながらそれだけで生きていくのは、とても大変なことだ。 どの世界もそうだろうけど、現代アートの分野は、特にそれが顕著だと思う。 ただいい作品を作れば評価されるかというと物事はそう単純でもなく、時には一枚の絵が投資の対象になったりして、純粋にその絵が好きだから手に入れる、というものでもなくなっていく。 私自身は、その絵とか作品に金銭的な価値があるからとか、将来高く売れるから、とかいう理由で絵や作品を所有するのはナンセンスだと思っている。 どんなに値打ちがあったとしても、箱にしまわれたままの絵なんて、可哀想すぎる。 絵や作品は、誰かに見られてこそ意味があるのであって、それがそれを作った人の一番の喜びであり、作品そのものも嬉しいに決まっている。 私の山小屋にも、ぴーちゃんの絵が飾ってある。 私にとって、作品はその人の分身というか、その人そのものだと思うから、ぴーちゃんが山小屋にいるのと同じことだ。 他の人の作品も、同じ感覚で捉えている。 だから、私は山小屋でもひとりじゃないし、常に友人たちに囲まれているから賑やかだ。 そんな感覚も、ぴーちゃんと知り合えたから、得ることができた。 私とぴーちゃんを繋いでくれたミユスタシアは、もう生身の人間の姿としては生きていない。 でも、絶対に今日という日を祝福してくれている。 今夜は、オープニング。 展示会のタイトルは、「DIVINITY,…

お金の使い方

春のそよ風と秋のそよ風では音が違う。 数日前、そのことに気づいてハッとした。 正確には、「そよ風」ではなく「葉がすれ」の音だけど。 春の音は、しゅわしゅわしゅわしゅわ、と角のない優しい音がする。 だって、葉っぱがまだ芽吹いたばかりで柔らかいから。 それに対して秋の音は、カサカサカサカサ、と少し硬質な音がする。 夏を越した木々の葉は硬くなり、乾燥しているからだろう。 そんなことに、今まで気づきもしなかった。 木によっては、もうすでに色を変え始めて、風が吹くと、ハラハラと葉っぱを落としている。 前にも書いた通り、自然はかなりせっかちだ。 もう、冬に向けての態度に変えている。 あと一ヶ月もすると、森は赤や黄色の葉っぱに覆われて、あっという間に裸木になるのだろう。 森暮らしを始めて、お金の使い方が変わった。 例えば、素敵なお皿を見つけたとする。 欲しいなぁ、と思う。 でも、そこで一回立ち止まって考える。 このお皿で、植物の苗がいくつ買える? 大体、一つのポットが300円くらいだ。 そうすると、その値段で幾つの苗が買えるか計算できる。 そして私は考えるのだ。 この一枚のお皿と、いくつかの植物の苗、どっちがより私を幸せにしてくれるだろうか、と。 こうして、最近の私は、もっぱら、植物の苗にお金を使っている。 小さな植物たちが根っこを張り、芽を伸ばし、花を咲かせてくれることが、何よりも嬉しい。 でも、そんな喜びも、一晩でシー(鹿)に食い荒らされることも、もちろんある。 雪解け以降、乾燥ヒトデやら、唐辛子やら、クローブやら、色々試したけど、なかなか効果が長く続かない。 シーたちは(もう、鹿と呼ぶのすら忌々しい)、もうすぐ花が咲きそうだ、というタイミングを狙っているかのようにいいところで蕾を齧ったり、まるで私を小馬鹿にするみたいに、植えたばっかりの苗を地面から掘り返したりする。 朝起きて、せっかく植えた植物たちが無残に荒らされているとガッカリだ。 もう、食べるんだったら残さずに全部食べろ、と怒りたくなるほど、ちょっと味見しただけの場合もあるし。 自分を喜ばせるために植えているのか、それともシーたちを喜ばすために植えているのかわからなくなる。 昨日なんて、一家総出でやってきて、私の庭の植物を一心不乱にむさぼっていた。 それでも、シーたちが口にしない薬草が何種類かある。 今年は、何を食べて何を食べないかの実験だったから、来年は、シーたちに食べられない植物をまた一から植えて、成長を見守ろう。 もう、ここから先は来春に向けての作業だ。 面白いのは、同じ時に買ってきた同じ種類の苗でも、シーに食べられるのと食べられないのがあること。 あと、同じエキナセアでも、花の色によって食べられたり、食べられなかったり。 私は、もしやシーはピンクが嫌いなのでは? と思っているのだが、果たして真相はわからない。 ある日、ピンクの花も食べられてしまうかもしれない。 インターネットの情報は、それほどあてにならないこともわかった。 鹿が食べないとされている薬草も、まんまと食べられたりする。 鹿が食べないと説明に書いてあった薬草でも、いとも容易く食べられるなんてしょっちゅうだ。…

百年前

台風が、夏を連れ去った。 今、森は乳白色の霧に包まれている。 お日様も顔を出さないし、おそらく外の気温は20度以下。 この先の天気予報を見ても晴れマークは皆無で、どうやら夏が終わったらしい。 本当に短い夏だった。 もっと夏とイチャイチャしたかったけど、これくらい去り際がいい方が、この先もずっといい関係が続くのかもしれない。 もうすでに、来年の夏が待ち遠しい。 一週間前の朝、トリスタンが蓄音機でコンサートをしてくれた。 百年以上前に作られた、ピクニック用のポータブル蓄音機だという。 まだ、レコードができる前。 蓄音機にSP盤をセットし、静かに針を落とすと、音が鳴り始めた。 百年前の音が響く。 今でこそ、望めば誰もが自分の声や音を簡単に録音して公開することができるけれど、当時は、本当に本当に限られた人しか、レコーディングはできなかった。 しかも、現代のような、一つずつの音を録音して重ねていくやり方ではない。 後から、音程を直したりすることもできない。 歌う人も楽器を演奏する人も、とにかく本番一発勝負だ。 故に、ものすごい緊張感と集中力が伝わってくる。 なんていう美しい声だろう。 百年前に録音されたロシアの女性ソプラノ歌手の歌声が、信州の森に響いた。 蓄音機を発明したのは、エジソンだ。 今わたし達が使っているオーディオ機器とは全く異なり、蓄音機は音の情報を電気に変換せず、そのまま空気を振動させて音を鳴らす。 蓄音機そのものが楽器だそうで、あの百合の花の花弁のようなところから音が出る。 ボリュームも、変えることはできない。 滑らかで、ふくよかな音。 音楽を聴くことは、それくらい貴重で、かけがえのないことだったのだと改めて思った。 それにしても、電気を使わずに音楽が聴けるなんて、なんてエコなんだろう。 もしかすると、わたしは生まれて初めて、蓄音機の音を耳にしたのかもしれない。 その後、これまた百年以上前のコーヒーミルでコーヒー豆をひいて、コーヒーを淹れた。 最近わたしは、自分で豆を挽くのをサボって、粉の状態で買っている。 だから、とても新鮮だった。 予想に反して、百年前のコーヒーミルは、滑らかに気持ちよく豆を砕く。 作りもしっかりしていて、きっと、一生物の道具だったのだろう。 コロンビア人が焙煎したというコーヒー豆も、抜群においしかった。

ピクニック

この夏のおもてなし料理の定番は、ラタトゥイユとフルーツポンチだ。 だって夏は、新鮮な夏野菜と果物が、たくさんある。 どちらも事前に作っておけて、残ってもまた後で食べられる。 夏の間、山小屋の冷蔵庫にラタトゥイユが入っていない日がないくらいだ。 残ったら、ショートパスタの具にしたり、少し肌寒い時はチーズをのせてオーブンで焼いたりと、いろんな風に応用できる。 作っても作っても、すぐになくなる。 なっちゃんと、夜、星空の下でワインを飲みながら食べたのもラタトゥイユだ。 これに、バゲットでもあれば、それだけで十分。 塩だけでシンプルに味をつけてもいいし、トマトソースを絡めてもいいし、趣向を変えて白味噌や赤味噌でもいい。隠し味にカレーを少し入れても美味しい。 基本は、ズッキーニや茄子、トマトなど夏野菜だけで作るけど、たまにスタミナをつけたい時はベーコンを入れたり。 お鍋ひとつで作れるのも、ありがたい限りだ。 フルーツポンチも、ピクニックにはもってこいだ。 入れるのは、桃、ブルーベリー、杏、寒天、白玉など。 あれば、苺やスイカを入れるけど、桃だけでもいいくらい。 果物は地元のものだし、寒天も産地だ。 寒天に入れる水も、山の雪解け水。 白玉だけは例外だけど、ほぼほぼ、ここにあるものでフルーツポンチができる。 森暮らしをするようになって、「豊か」の定義が自分の中で大きく変わった。 今は、美しい水があって、美味しい空気があって、自分たちの足元に食べ物がある。 それが、豊かだと思う。 以前から、薄々そうなんだろうなぁと予感はしていたけれど、今は、身を持って、自信を持って、それが豊かだと言えるようになった。 そういう意味で、信州は本当に豊かだ。 たとえばだけど、東京の六本木よりも、ずーっとずーっと豊かだと胸を張って言い切れる。 今日は、一泊でトリスタンがやって来る。 鳥巣さん、と音声入力でメッセージを入れたら、トリスタンになっていて、でもなんだかどこかの国みたいでかっこいいので、以来、心の中でトリスタンと呼んでいる。 トリスタンは、ここに来るゲストの中で、もっとも楽なゲストだ。 自分のバンに、テントや布団まで持って来てくれる。 今回は、焚き火台、蓄音機とレコード、8mm映写機と8mmフィルム、それに飲み物や、手製のピリヤニも持ってきてくれるとのこと。 彼女は、本当に遊び方を知っていて尊敬する。 私も、こうでありたいと思う。 トリスタンが着いたら、まずはお庭でピクニックランチをし、その後、ミニコンサートに行って、それから温泉に行って、山小屋に戻ったら夕飯の支度。 この夏、七輪を買ったので、それを使って初めてのバーベキューだ。 ちょっとお天気が心配だけど。 そして明日は、森のサウナに行って、うどんを食べてと、盛りだくさんだ。 8月を夏休みにして、本当に良かったな。 

森のサウナへ

ベルリン在住のなっちゃんが遊びに来た。 6月の半ばから東京にいて、暑さですっかり疲れ切っている。 まずは気持ちいい汗をかいてもらうのがいいかな、と、迎えに行った駅から森のサウナへと直行した。 ここは、先日たまたま通りかかって見つけたキャンプ場だ。 最近、おしゃれなキャンプ場が増えている。 その、おしゃれなキャンプ場の森の中にサウナがあるのだ。 ベルリンに住んで、私はすっかりサウナ好きになった。 その頃は、温泉がわりの、サウナだった。 私にとって、暑い日こそ、サウナだ。 サウナでいっぱい汗を流せば、どんなに外気温が高くても、涼しく感じる。 水風呂だって気持ちいい。 さて、初めて入った森のサウナ。 最高だった。 日本なので水着着用は仕方がないけど。 自分でローリュウもできて、熱々にできる。 外に出れば、シャワーと水風呂。 ハンモックに寝そべれば、森が見える。 こういうサウナを、待っていた。 なっちゃんは、山小屋がある森の環境をとても気に入ってくれた。 一日目の夜は、少し遠くまで散歩に出て、道路に寝っ転がって星を見た。 冬の夜空ほどすごくはないけれど、それでも、都会の空から比べたら十分すぎるほどの星が見える。 私も、さすがにひとりではこういうことはできないので、ゲストが来てくれるとありがたい。 二日目の夜は、夕暮れから森でワインを飲んで、辺りが真っ暗になるまでおしゃべり。 ちょっと蚊に刺されたけど、手作りの虫刺されオイルですぐにかゆみは引いた。 それにしても、信州には素敵な場所がたくさんある。 特に夏は、川や湖、滝など、水辺がすぐ近くにあるから、暑いとサクッとそういう場所に行って涼しさを感じることができる。 私の最近のお気に入りはとある滝壺で、もう、本当に本当に美しく、神秘的なのだ。 誰にも教えたくないけど、心を許した人たちにだけは、こっそり案内するようにしている。 春は、雪解け水が、それこそドードーと勢いよく流れ落ちていた。 でも今は、滝はなく、ただ滝壺だけがある。 その滝壺の水がものすごく綺麗で、こんな美しい場所を自然の働きだけで作れることに感動する。 「ここって、地面の内側にいるってこと?」 なっちゃんが、周囲を取り囲む石の層を見上げながらつぶやいていた。 暑い日は、ここの小さな水たまりで桃を冷やしておやつにする。 今、私がメロメロになっているとっておきの聖地だ。 私の運転で朝ごはんを食べにカフェに向かっている時、先日亡くなったryuchellさんに話が及んだ。 私もなっちゃんも、ryuchellさんが大好きだった。 あんなに美しい心をした子が自ら死を選ばなければいけない世の中は、本当におかしいと思う。 もしもryucellさんが、日本だけでなく、もっと違う国に身をおいて、それこそベルリンに行って違う景色を見ていたら、そこに居場所を見つけられたんじゃないかと思うと、悔しくて悔しくて仕方がない。 当事者でなければ原因はわからないけれど、ネットでの誹謗中傷とか、本当に余計なお世話だ。…

なつっこ大会

昨夜のバレエ、素晴らしかった。 世界的にも珍しい野外バレエという試みを、もう三十数年続けてきたという。 最初の頃、その場所はただの牧場だったとか。 直前まで雨が降っていたので心配だったのだけど、なんとか大丈夫だった。 ステージの向こうには木々が見え、途中からお月さまも顔を出した。 空には時々稲妻が走り、どこからかヒグラシの声が聞こえてきたりと、野外ならではの雰囲気を存分に味わう。 ステージも衣装も美しくて、本当にうっとりして、魅了されっぱなしだった。 メインのダンサーだけでなく、子ども達も見事な技術と表現力で、想像以上のステージだ。 最高の夏の夜。 最後は花火が打ち上がり、なんだかとっても久しぶりに夏の気分を満喫した。 そして今日は、ゆりねのトリミングデー。 最近、またガチャピン状態になっていた。 午前9時から10時の間に動物病院まで連れて行き、また夕方お迎えに行かなくちゃいけない。 片道45分かかるから、送り迎えだけで結構大変だ。 そのままどこかに行ってしまおうとも思ったけど、暑いので却下。 とりあえず、いつもの温泉に向かう。 温泉に併設してある産直で、夏野菜と果物をたっぷり仕入れた。 ちょうど、ハネ桃が来るというので、私も他の人たちと一緒にそわそわと待つ。 地元の方たちは、このハネ桃をとても楽しみにしている。 一個210円のハネ桃を、カゴいっぱい買った。 「なつっこ」という名前の品種だという。 甘くて固いタイプだそうで、レジでお会計をする時、食べ方を聞いたら、ふたりの女性が嬉々として教えてくれた。 山梨の方たちは、皆さん、自分の好みの品種があるようで、レジの女性はふたりとも、なつっこが一番好きだという。 それから温泉に行ってサウナに入って、帰りは、先日美容師さんに教えてもらった森の中のカレー屋さんへ。 カレー屋さんなんだけど、今はタイ料理を出しているとのことで、私は大好きなパッタイを頼む。 嬉しいなぁ。 こんなにおいしいパッタイが、同じ村で食べられるとは! 一緒に注文したパイナップルソーダもおいしいし、テラス席はワンコも入れるし、何より山小屋から近いのがいい。 この夏のゲストのランチは、ここにしよう。 森暮らしを始めてから外食は数えるほどしかしていないのだけど、ここなら気軽に来ることができる。 山小屋に戻ってから、すぐに桃のお世話をする。 傷ものなので、柔らかいのやら固いのやら、色々混ざっている。 昨日一緒にバレエに行った友人は、熟した桃はカレーに入れると話していた。 固いのは、サラダにしてもいいかもしれない。 皮をむいて、適当な大きさにカットしたのを、保存袋に入れて冷凍する。 こんなふうに桃三昧ができるのは、幸せなことだ。 桃のお世話をしながら、大量に買ってきたトマトでトマトソースも作っている。 山の天気なので、今も雷がゴロゴロ。 急に空が暗くなって、またザーッと夕立が来そうだ。 ゆりねを迎えに行って戻ったら、白ワインに漬けておいた桃のカクテルで、乾杯だ。

森のバカンス

ヨーロッパは今、バカンスシーズンだ。 ドイツ人は勤勉なイメージがあるけれど、バカンスの時期は徹底して休む。 結果的にそれが仕事の効率をより上げる、というのがわかっているからなのだろう。 全国民が一斉に休むと、道路が混雑したり何かと混乱するので、地方ごとに子供たちの学校の休みの時期をずらし、それに合わせて親たちも休暇を取る。 バカンスも、効率よく取れるように、社会の仕組みが整っている。 去年は、森で過ごす初めての夏だった。 涼しいから夏でも仕事ができると思って、平日は仕事、週末は休日といういつもの流れで過ごしたら、あっという間に夏が過ぎていた。 森の夏は、正味一ヶ月ほどしかない。 週末にゲストを招くと、なんだかバタバタしてしまい、私自身がうまく休めなかった。 こうしたいのにこうできない、という場面が多く、ストレスを感じた。 それに、山の天気なので変わりやすく、週末が都合よく晴れるというのも稀だった。 それでこの夏は、思い切って、一ヶ月ほど夏休みを取ることにした。 森の夏は短いので。 短い夏を、目一杯謳歌したい。 そんな私の夏休みが、昨日のお昼からスタートした。 まずは髪を切りに行く。 お気に入りの床屋さんに行きたかったのだけど、あいにくタイミングが合わなくて、今回はもう少し近くの美容室へ。 山を下りたら、いきなり暑くてびっくりした。 関東方面からやって来たと思われる車が、列をなしている。 皆さん、涼しい風を求めて来たのだろう。 普段は静かな町が、大賑わいだ。 美容師さんは、確かこの春に、赤ちゃんを出産した。 それで今は、様子を見ながら、少しずつ仕事を始めている。 アウトドアが好きで、去年は、ここから歩いて日本海まで行ったという。 そして今日は、赤ちゃんを背負って山登りをすると話していた。 八ヶ岳界隈には、こういう、自由な生き方をしている人たちが多い気がする。 自分の心地いいと感じる歩調で、楽しみながら、生きている。 その感じが、多分、ベルリンに似ているのだ。 だから、私には居心地がいいのだろう。 それに、この辺りに暮らしている人たちのセンスがものすごくよくて、刺激になる。 髪の毛を短くしてもらい、帰りは大好きなお花屋さんに寄って、コーヒー豆を挽いてもらう間にパフェを食べる。 あぁ、これぞ夏休みだ。 パフェには、桃が半分も入っていて、誰かがむいてくれた桃を食べられるのは、誰かがむいてくれた蟹を食べるのと同じくらい嬉しい。 果物は山梨で、野菜は長野。私の中に、はっきりとした線引きがある。 やっぱり、山梨の桃は、おいしい。 つい最近まで、固い桃はあんまり好きじゃなかったけど、固い桃もいいなぁと感じるようになった。 夏は、案外時間がある。 春は庭仕事が忙しいし、秋は冬支度に追われる。 冬は薪を焚いたり、山小屋の中でやることが色々ある。 その点、夏は植物たちの成長を見守る時期だ。…

夏の始まり

朝の光が夏になった。 ついこの間までハルゼミが賑やかだったけど、今日鳴いているのは、もしかするとナツゼミかもしれない。 ちょっと、声が違うのだ。 ハルゼミの声は透き通って聴こえるのに対して、ナツゼミは地声。 男の子が中学生になって声変わりをしたみたいな感じなのだ。 さすがに今日は、気温が上がった。 里に下りるともっと暑いので、動きたくない。 それで夕方、珍しく山小屋のお風呂に入った。 大きくなった庭のミントとヨモギを切って、それをヤカンで煮出してお湯に入れる。 窓を開け放って、森を見ながら入浴した。 ただ、どんなに暑くても、夕方になると涼しい風が吹いてくれるのがありがたい。 髪の毛を乾かしがてら、ゆりねと散歩。 気温は下がっているのだが、それでもゆりねはあんまり歩きたくないらしく、途中で引き返した。 ゆりねも、私と一緒で蒸し暑いのがすごく苦手だ。 いやいやながら歩く必要は全くない。 時計を見ると、まだ夕方の5時半。 お風呂に行かなかった分、時間に余裕がある。 冷蔵庫から冷たいビールを出して、森へ。 ビールを飲みながら、しばし読書を楽しんだ。 この本、夏になると読みたくなる。 最高だ。 缶ビール一杯でほろ酔いになり、そのまま椅子に身を預けて寝そうになった。 それにしても、この言葉、とてもよくわかる。 私も、あえて自分の山小屋にはゲストルームは作らなかった。 年に何回かしか来ないお客さんのために、わざわざゲストルームを作るなんて無駄だもの。 ゲストが来た時だけ、臨機応変に、あるもので対応すればいい。 それが不服なら、近所の宿泊施設をお勧めする。 それで、全く問題ない。 ビールの後は、赤ワインを飲みつつ、お庭の植物たちに水を撒いた。 苔さんたちには、特に念入りに水をあげる。 おつまみは、おかき。 大好きなおかきをつまみながら、ホースが届かない場所にいる植物にはじょうろで水をあげる。 植物たちも、さすがに暑さでぐったりしている。 山小屋に戻ってから、ささっと素麺でお腹を満たした。 一把では足りず、二把では多かったので、お昼に思い切って二把まとめて茹でておいたのだ。 多い分は、水に浸けたまま冷蔵庫に入れておいた。 確か、素麺はそれでも大丈夫だったはず。 水を切った素麺に、あらかじめ用意しておいた、胡瓜の千切りと、お揚げの煮たのと、鶏のささみをさいたのをのせ、お出汁で伸ばした麺つゆとネギとオリーブオイルをかけて、豪快に食べる。 明かりは、蝋燭一本だけ。 夏になったとは言え、夏至を過ぎて、陽は確実に短くなっている。…

丸一年

森暮らしをはじめて、一年が経つ。 すごく早い。 これまでに生きてきた時間の中で、もっとも早いと感じた一年だった。 目の前の景色は刻一刻と変化して、一日だって同じ場所に止まっていない。 目まぐるしく変化する。 地球がぐるりと太陽の周りを一周し、その間に私は、夏、秋、冬、春とすべの季節を堪能した。 これでやっと、森での一年をなんとなく体感としてイメージできるようになった。 この一年で如実に感じたのは、自然のスピードの速さだ。 全然、もたもたなんてしていない。 一晩で、バーっと草木が芽吹いたかと思うと、一瞬にして裸木になったり。 植物たちの新陳代謝はものすごいスピードで行われていて、常に最新の状態が保たれている。 動的平衡は、体の中でも外でも、同じように行われている。 考えてみれば、地球だって、脅威的な速さで自転しているのだ。 自然は、駆け足でエネルギッシュに変化する。 なんといっても、この一年の、もっと大きな出会いは植物たちだ。 もちろん、今までだって植物はあった。 でも、彼らの偉大さ、賢さ、美しさに、日々心から触れるようになれたことが、この一年の最大のギフトかもしれない。 森暮らしも車の運転も、私はずっと自分には無理と思っていたけれど、やってみて本当に良かったと感じている。 やる前から無理だと決めつけてしまったら、そこで世界が閉じてしまう。 それは、とても勿体無いことだと思う。 だから、もし自分の周りで、やりたいことがあるのに立ち止まっている人がいたら、私は迷わずその人の背中を押す人間になりたい。 やってみてダメだったら、そこでまたどうするか、次の展開を考えればいい。 山小屋の窓からじーっと外の世界を見ていると、ははぁ、とか、ほほぅ、とか、そういうことだったのね、という発見がたくさんある。 その度に、自分がいかに何も知らないで生きてきたかを痛感する。 世界は私の知らないことだらけで、私が知っていることなんて、ほんと、アリの糞くらい小さい。 自然界は、常に神秘と美しさに満ちていて、こちら側さえそういう心づもりでいれば、いくらでも、なんの出し惜しみもせず、もっともっと、素晴らしさを見せてくれる。 山は、本当に気高くて、神々しい。 そういう地球の美しさに出会える度に、今、この星で生きていることを幸せに感じることができる。 40代の後半は、人生の、激痛を伴うほどの大改造だったけど、その痛みのおかげで、私は今、森に暮らしている。 60歳からこれをやろうとしても、体力的に、ちょっと難しかっただろうと思う。 私の人生に付き合ってくれているゆりねには、感謝しかない。 ゆりねには、鹿とか雷とか、本当に試練ばっかりで申し訳ないのだけど、彼女と共に夕方森を歩いていると、想像を絶するほどの幸福感に満たされるのだ。 少しでもゆりねが安心して暮らせることを願って、この春からせっせと庭に薬草を植えている。 最近また鹿が来るようになって、あともう少しで咲きそうになっていた花の蕾が喰われたり、やっと根っこがついたコシアブラの葉っぱが一枚残らず食べられたりすると、本当に落ち込むけれど、でも薬草たちのおかげで、私の庭には、ふわりと、爽やかな香りがするようになった。 庭に花が咲いている、それだけで心からの喜びを感じることができる。 森暮らし一周年を記念して、森で本を読むための椅子を買った。 この夏は、そこに座って本をたくさん読もうと思っている。

ほのぼの

先日、ゆりねの目の周りにおできができたので近くの動物病院に行ったら、お土産にレタスをいただいた。 さすが、レタスの名産地だけある。 ひとりでは食べ切れない量だったので、慌ててご近所さんにお配りした。 新鮮で、とってもおいしいレタスだった。 車の購入をした時は、契約の際、ディーラーさんが軽トラでりんごの薪を持ってきてくれた。 りんごの木を薪にするなんて勿体無い気がするけど。 どうやら、りんごの果実そのものの甘い香りがするらしい。 去年、火災保険に入る時は、担当の方が育てているという無農薬のカボチャをいただいた。 長野県、何かとお土産がほのぼのしている。 多分、それだけ豊かなのだろう。 東京だったら、あり得ない。 もうすぐ、森暮らしを始めて一年だ。 ついこの間は、温泉のサウナに入っていたら、先にいた女性に声をかけられた。 「初めて?」 「いえ、ほぼ毎日来てます」 「いいねぇ、朝早いんでしょ?」 「まぁ、そうですね」 「午前2時くらいでしょ、起きるの?」 「そこまで早起きではないですけど」 「でも、朝仕事して、ここきて、いいよね。夜も早く寝てさ」 「そうですね」 「今年は、値段上がるといいね」 「はぁ」 どうやら私、農家の人だと思われているみたい。 「せっかく作ってもさ、安いと、ガッカリだもん」 「ですね」 何作ってるの、とか深く突っ込まれたらどうしようと思いながら、面白いので、会話を続けた。 でも、本当にそう。 農家の方たちが、報われる社会であって欲しいと、切実に思った。 サウナに入っていると、いろんな人に出会う。 それにしても、サウナにはテレビも音楽もかけないでほしい。 誰もいないサウナでテレビがついているのは、エネルギーの無駄でしかない。 せっかくいいサウナなのに、そこにテレビがついていると、居心地が悪くなる。 消したくても、リモコンがないので消せない。 見たくもない番組を見せられたり、聞きたくもない音楽を聞かされるのは、本当にストレスだ。 せっかくリラックしたくてサウナに行っているのに。 テレビのないサウナ、音楽のかかっていないサウナが一番好きだ。 もちろん、テレビにだってラジオにだって、いい番組はあると思うけど。 ロシアの人々が洗脳されているのは、テレビの影響が大きいと言われている。 ワイドショーは、どうでもいいような話題を、さも大変なことみたいに、報道する。…

床屋さん

森暮らしを始めるに当たり、困ったなぁ、と思ったことのひとつが、髪の毛だった。 私は短くしているので、できれば一月に一回、最低でも一月半には一回、髪をカットしたい。 長ければそんなに頻繁に行かなくていいのだろうけど、短いと、どうしてもだんだん気分が鬱陶しくなる。 友達に尋ねたりしてようやく見つかった美容室があったのだけど、去年、私がうかがって程なく、彼女は産休に入られた。 それで再び、髪の毛問題が浮上した。 いっそのこと伸ばしてしまうか、とも思ったのだが、もう四半世紀ショートできているので、長くなるまで待つだけの根気がない。 一晩でロングになるならそれもありだが、途中経過に耐えられない。 一軒、今年になって、撮影でお世話になったカメラマンさんから新しい情報を得た。 どうやら、皆さん、髪の毛問題に困っているご様子。 二拠点生活で移ってくる人は増えているけれど、その割に美容室が少ないのだ。 聞くと皆さん、結構遠くまで髪の毛を切りに行っている。 そこは、駅からすぐの商店街にある床屋さんだった。 看板も何も出ていないので、初めて行った時は、場所がわからなくて店の前を行ったり来たり。 もうダメだ、と思って泣きそうになりながら開けた扉が、そこだった。 先日、2回目の床屋さん詣をした。 山小屋からだと、車で1時間半くらいかかる。 途中高速にも乗って、ちょっとした旅行気分だ。 でも、それが楽しい。 店主は、私より少し下の世代の男性だ。 もともとその場所は古くから続くお菓子屋さんだったそうで、建物は大正時代に建てられたとか。 空間自体がとってもおしゃれで、待っている場所は、現代美術のギャラリーのよう。 しかも、店主の腕がものすごくいい。 床屋さんなので、シャンプーとかはないけれど、椅子に座った瞬間バババババ、っと切ってくれて、それがとっても上手なのだ。 予約は基本、店に置いてあるノートに名前と連絡先を書くシステムで、一週間先まで可能。 ただし、私のように遠方から来る客には、電話での予約も受け付けてくれる。 お値段は、初回だけ女性2500円(男性は2000円)、2回目以降は女性2000円(男性1500円)。 私がカットしてもらっている間も、ガラガラガラと扉が開いて、おばあちゃんが顔を出す。 「あのさ、髪の毛切ってもらいたいんだけど」 「今日はもう予約でいっぱいなんです」と店主が言うと、 「明日は8時半から病院で検査が3つもあってさ」 「明日の午後なら空いてますよ。13時はどうですか?」 と店主。 「終わるかね?」 「そしたら、もう少し遅くして、午後3時にしますか?」 「そうだね。じゃあ、明日」 そう言って、帰っていく。 店主は、もうおばあちゃんの名前も連絡先もわかっているのだろう。 しばらくすると、今度はおじいちゃんが、同じように店にやってきて、翌日の予約を入れて帰って行った。 看板も何も出していないのに、どうやって店のことを知るのかと思ったら、おじいちゃん、おばあちゃん同士の口コミで広がるのだという。 町に一軒、こんな床屋さんがあったら、助かる人が大勢にいるだろうに、と思った。…

実生

雨が続いている。 草木たちは喜んでいるけれど、私はお庭に出られなくてつまらない。 朝、2階の窓から雨に濡れそぼる森を見ていたら、一匹、ミズナラの大木の下に鹿を見つけた。 春から鹿対策に精を出しているけれど、そのエリアはまだ手つかずの状態なので、鹿がいるのは致し方ない。 鹿は、必死に何かを舐めている。 最近は、鹿を見つけても追い払わないようにしている。 去年は、すぐに外に飛び出して、追っ払っていた。 でも今年からは、鹿の行動をつぶさに観察するようになった。 どこに抜け道があるか、どんな植物を食べているか。 そして、心静かに、森の木々たちを食べ尽くさないでほしいと伝えるようにしているのだ。 鹿は確かに森にとっては厄介者であるものの、私は、敷地に一歩も近づくな、とか、絶対に植物を食べるな、と思っているのではない。 少しくらい食べられるのは、仕方がない。 ただ、今私がいるところに鹿が増えているのは、人災という面が大きいので、鹿たちとうまく棲み分けができたらいいと思っている。 だから、鹿が嫌がる臭いの乾燥ヒトデや薬草を植えて、できればここには入ってこないでちょうだいね、というメッセージを発している。 というわけで、鹿がどんな行動を取るのか気になって、窓からじっと動きを見ていた。 一体、何を舐めているのか? 白い棒状のものが見えるけど、あれは木の枝だろうか? そんな疑問を抱いていたら、鹿のおなかの下に、もう一匹子鹿ちゃんがいた。 子鹿ちゃんはお母さん鹿のおなかの下に潜り込んで、熱心にお乳を飲んでいたのだ。 母鹿は、そんな子鹿の体を舐めていたのである。 まぁ、かわいらしい。 鹿対策をしている身だけど、やっぱり子鹿は超かわいかった。 そして、矛盾しているけれど、束の間の雨宿りに自分の森が選ばれたことに、ほのかな喜びを感じた。 しばらくして、鹿の親子は下の方へ行った。 子鹿ちゃんは、生まれてどのくらい経つのかわからないけれど、まだ歩き方もおぼつかなくて、お母さんの後を必死に追いかけていく。 なんだか朝からほのぼのとしか気持ちになった。 そして、どうかあの子鹿ちゃんが、この森で、健やかな生涯を送れますように、と純粋な気持ちでそう思った。 私も別に、鹿たちの不幸を望んでいるわけではない。 程よい距離を保ちつつ、お互いに気持ちよく暮らせたら、それが一番だ。 森暮らしを始めてから、「実生」という言葉を頻繁に聞くようになった。 実生(みしょう)とは、草木が種から芽を出して育つことで、森には実生がたくさんある。 それらを移植するなどして、お庭を作っていく。 実生もまた、子鹿ちゃん同様に超かわいい。 そうやって、命を繋いでいくのだ。 すべの実生が大きく育つわけではなく、また次の世代に命を残せるのは、ほんの一握り。 実を落とした場所とか、日当たりとか、たくさんの条件が重なり合って、森に樹木が育っていく。 子鹿も実生も、本当に美しいと思った。

食パン泥棒

天気予報を見ると、明後日から雨が続く。 いよいよ梅雨入りだろうか。 その前に薬草の苗を植えておきたいので、今日は朝からお庭仕事に精を出す。 午後は、苗を買いに里までひとっ走り。 二日連続で買いに行ったら、お店の人にびっくりされた。 ここぞとばかり、思いっきり大人買いする。 先日、ベルリン時代の友人が山小屋に遊びに来た。 まずは、駅まで迎えに行って、そのままお昼を食べにうどん屋さんへ。 もともとパン屋さんをしていたそうで、うどんを食べがてらパンも買える。 友人が、お土産にと食パンを買ってくれた。 うどんもパンも、どっちもおいしい。 その後、お店のある集落を散歩。 茅葺き屋根の民家の奥に、とても素敵な神社を発見する。 ものすごくいい気が流れていた。 それからコーヒーを飲みにカフェに立ち寄って、いつもの神社でお水を汲んだ。 その足で温泉へ寄って、お花屋さんに取り置きをお願いしていた植木をゲットし、夕方5時過ぎに山小屋へ到着。 まずは、外のテーブルで乾杯する。 私は、微発砲の白ワインを飲みながら、せっせせっせとお庭仕事。 植物たちに盛大に水をやり、なんとも気持ちのいい夕暮れを過ごす。 今年の夏至は、6月21日。 本当に日が長くなった。 辺りが薄暗くなってきたところで、山小屋へ戻った。 すると、ソファに何やら見慣れないものが転がっている。 小型のヘルメットみたいだけど、なんだろう? 拾い上げた瞬間、ギョッとした。 なんと、それはパンの耳のほんの一部。 ゆりねが、友人がカバンに入れておいたお土産の食パンを、ほぼ一斤丸ごと食べたのだ。 唖然として、言葉も出ない。 食パン泥棒は、しれっと明後日の方を向いている。 庭に出る前に、その日の晩ごはんもあげているのに。 ということはつまり、ゆりねは食パンほぼ一斤を、デザートとして食べたことになる。 恐ろしい食欲。 でもさすがに耳までは完食できなかったのか。 レーズンやチョコレートが入ったパンだったら、慌てふためくところだった。 プレーンの食パンだったので、かろうじて事なきを得たものの、これからお客さんがいらっしゃる時は、バッグに食べ物が入っていないか、重々気をつけていただかないといけない。 これじゃあまるで、人間の荷物から食べ物を奪っていく猿と同じ扱いではないかと途方に暮れた。 ゆりねちゃん、かわいい顔をしているけど、やることは恐ろしい。 仕方がないので、友人と、ゆりねが食べ残したパンの耳をほんの少しずつ分けあった。 なんておいしい食パン! ゆりねは、さぞ至福だったはず。…

おままごと

数日間仕事で留守にして森に帰ってきたら、見違えるように緑の世界が広がっていた。 葉っぱが芽吹き、空を覆うほどの緑の天蓋ができている。 木の枝たちが、ようこそ、美しい森へ! と手招きしてくれているみたいで、嬉しくなる。 たった五日間で、世界が一変した。 トウゴクミツバツツジも、満開になっていた。 暑い日が二日続いたので心配だったのだけど、どうやら植物たちは無事だったみたい。 良さそうな薬草の苗を見つけては、山小屋に連れて帰ってせっせと植えていた時期だったので、まだまだたくさんお水をあげないと枯れてしまう。 山小屋も庭の植物たちも、ゆりねと同じく私の大切な家族だ。 森に帰った瞬間、家族に再会し、ものすごくホッとしている自分がいた。 それにしても、今日の朝の光は最高に輝いていた。 庭と森が、キラキラ、微笑んでいる。 あまりに美しいので、日曜日ということもあり、6時前から庭仕事を始めた。 森の空気を吸っているだけで、幸福感に満たされる。 鳥の囀りを聞きながら、土いじりを楽しんだ。 今私が森でしていることは、大人のおままごとだと思う。 だって、土を捏ねてお団子にして喜んでいた子ども時代と、やっていることはそんなに変わらない。 ただ、それが本格的になっただけ。 本気のおままごとが、こんなにも楽しいとは知らなかった。 もっと早くこの喜びに出会えていればとも思うけど、でも今このタイミングだからこそ、思う存分楽しめているのかもしれない。 試行錯誤を繰り返して、少しずつ、自分の理想とするお庭ができていく。 山小屋の二階の窓から、ただ庭を見ているだけで、幸せな気持ちになる。 あそこにあれを植えようとか、あの場所は変えた方がいいかな、とか思考は尽きない。 庭を見ながら、いくらでも過ごせる。 思い返せば、母の父である祖父も、植物を愛する人だった。 温和な祖父は、いつも小さな庭の手入れをしていた。 私の山野草好きは、祖父から譲り受けたものかもしれない。 今回、コマクサの花の一番美しい瞬間を見逃してしまったことだけが、悔やまれる。 一見、死んでいるみたいに静かだった森が、一気呵成に活気付く。 そのダイナミックな変化に、私はただただ圧倒された。 あの枯れたように見えた樹木の姿の奥底に、これほどまでのエネルギーが蓄えられていたことを思うと、ますます植物たちを尊敬する。 今日は森でも気温が上がり、ハルゼミがうるさいほどだった。 夕方、ドイツの白を開けてオニワイン。 一日が無事に過ぎていく、それだけでとても恵まれた幸福なことなのだということを、改めて実感した。 今日は本当に本当に美しい日曜日だった。

しゃーない

昨日の朝、目が覚めて窓から外を見た瞬間、言葉を失った。 それほどのすごい雨だとは、気がつかなかった。 外に出ると、敷地に完全に川が流れている。 去年から雨が降るとミズミチができることは気にしていたのだけど、まさかそれほどの雨が降ったとは。 どうやら相当の雨量だったらしい。 前日までの景色が、完全に失われてしまっていた。 以前から気にしていたし、想定していた事態とは言え、気持ちは沈んだ。 それでも、この春に植えたハーブたちがほぼ無傷だったことは、不幸中の幸いかもしれない。 よくあの雨の中を耐えてくれた。 風がない分、まだマシだったのだろう。 台風だったら、きっと木っ端微塵になっていたに違いない。 さすがに昨日は放心状態で、どこから手をつけていいかわからなかったし、植物たちにも触れることができなかった。 それでも、太陽が出れば、植物たちは昨日のことなんかさっぱり忘れて、わーいわーい、お日様が出たぁ、と嬉しそうに葉っぱを広げる。 なんて素直なんだろう。 その姿に励まされた。 だから私も、今朝から気持ちを切り替えて、また水撒きをやった。 植物たちが、明らかに喜んでいる。 空が晴れていれば、私が水をあげるしかない。 私が水をやらなければ、彼らはすぐに枯れてしまうのだ。 自分で直せるところはコツコツコツコツ自分で修復し、できないことはできる人に頼むしかない。 起きてしまったことをいくら嘆いたって、元には戻らないのだもの。 泣いたり、怒ったり、憤ったり、誰かのせいにしている暇があったら、せっせと体を動かした方が効率的だ。 そうすれば、自ずと次の道もひらける。 人生には、いいことも悪いことも、両方起きる。 そのことを、半世紀近く生きてきた私は、もう体で知っている。 だから、しゃーない。 人生に、しゃーないことはいっぱいあるし、しゃーないことだらけだとも言える。 そんなんでいちいちジタバタしても、エネルギーの無駄使いだ。 そんなことを思いながら、今日もお昼から、淡々とお庭仕事をやった。 土に触れていれば、自然と気が紛れるし、気持ちが穏やかになってくる。 無事でいてくれた植物たちに、本当に感謝だ。 ますます、愛おしく愛おしくてしゃーない。 災害があって、それを元の姿に戻そうと復興する。 今回の連休中も、また能登で地震があった。 元に戻して、また壊れて、また元に戻して。その繰り返し。 不屈の精神だ。 それに比べたら、私なんか、まだまだだ。 たーくさん自然に恩恵を受けているので、こんなの、屁の河童だと思う。 大丈夫、大丈夫。 植物たちこそ、どんなことがあってもお日様の方を向いて、今だけを生きて、彼らこそ、不屈の精神だ。…

芽吹き

5月になったら、日に日に視界に占める緑が増えてきた。 ついに迎えた、芽吹きの季節。 数日前、里から遊びに来てくれた友人は、ここでは季節が2ヶ月遅いと話していた。 里は、もうとっくに芽吹きの季節が過ぎ、初夏の空だとか。 でも、私が暮らしている森では、ようやく今、植物の新芽が顔を出し始めている。 急に、世界が明るくなった。 一瞬でも目を閉じると、大事な瞬間を逃してしまいそうで目が離せない。 ついこの間まで殺風景だった道路が、今は緑のトンネルになりつつある。 ゴールデンウィークは、ひたすらお庭仕事に明け暮れた。 やってもやってもやることはいっぱいで、庭仕事に終わりはない。 日々刻々と変化する、庭。 私は完全にお庭のお母さんになった心境で、庭の植物たちが健やかに成長することだけを願っている。 犬や猫も人間がケアをしないと生きていけないけれど、植物たちは、それこそ喉が渇いたからといって自分で水を飲みに行くことさえできない。 だから、責任重大だ。 でも、そばに動物(ゆりね)がいて、植物たちに囲まれて、たまに気心の知れた友人が訪ねてくれて、こんなに幸せなことはない。 オキシトシンが溢れてくる。 今の暮らしの素晴らしい点は、日々、地球の美しさを実感できることだと思う。 もちろん、都会に暮らしていても、小さな自然を愛でたり、旅行をして日常を離れて、自然の美しさを堪能することはできる。 でも、森にいると、日常的に大自然に触れることができる。 あまりの自然の美しさに、ただただ泣きたくなるような出会いが、普段の暮らしの中にたくさんあるのだ。 それは、ものすごく人を幸せにするというか、満たしてくれる。 地球に生まれて、今、ここにいることを、無条件で喜べるという感情は、森暮らしを始めてから初めて味わったものだ。 誰に対してなのかわからないけれど、ありがとう、という感謝の気持ちが湧き上がってくる。 連休中、一日だけ白駒の池へ行ってきた。 去年、登れなかったニュウの頂上を目指し、そこから中山峠を通って下りてきた。 登山道にはまだしっかり雪が残っていて、苔と雪とのコントラストを堪能しながら登山を楽しむ。 今年初の山登りだ。 アイゼンがあった方が安全だろうという場所もあったけど、まぁ、登山用のストックだけでなんとか大丈夫だった。 ニュウの頂上からの眺めは、素晴らしかった。 あの荘厳な景色は、自分の足で山の頂まで行った者しか見られない。 まさにご褒美だ。 空も快晴で、本当に、生きててよかった、と思えるような絶景だった。 登山は、自分の心地よいペースで登れるのが一番だ。 誰と競うでもなく、ただ、一歩、また次の一歩だけを考えて。 そうすれば、気がついたら頂上に着いてしまう。 あまり遠くを見ない方がいい。 同じ頃に登り始めた男女のペアは、いつも、男性だけが先にスイスイと行ってしまう。 女性はかなりしんどそうで、彼に着いていくのがやっとだった。 彼は、女性が追いつくと、また先に行ってしまう。 女性を先にして、登山に慣れている様子の男性が後から着いて行ってあげればいいのにと、部外者ながらその様子に悶々とした。…

ギフト

とても好きな神社がある。 お菓子を作っている友人が教えてくれたのだ。 その神社には湧水があり、その湧水がものすごくおいしい。 お白湯にして飲むと、その味わいがいっそう際立つ。 その場所には、たくさんの人がボトルを手に湧水を汲みに来る。 本当に本当に美しい場所で、そこにいるだけで心が潤い、幸せを感じることができる。 日本版、ルルドの泉だ。 フランスとドイツのテレビ局が私の番組を制作してくれることになり、事前のインタビューで好きな場所を聞かれた。 それで真っ先に思いついたのが、その神社だった。 鬱蒼とした木々に囲まれた、水の豊かな場所。 友人が遊びに来る時は、真っ先にその神社に案内しておいしい水を味わってもらい、瓶に水を汲んで帰ってくる。 ついでに、水辺に生えている芹も摘んできて、晩ごはんに食べるのがお決まりのコースだ。 ここは、とっておきの私の心のオアシス。 一昨日、その神社で撮影だったのだが、素敵な出会いがあった。 まずは、おばあちゃん。 小柄で、首にスカーフを巻いているおばあちゃんは、毎日、リュックを背負って、ここまで水を汲みに来るという。 「私、車運転しないからさ」とおばあちゃん。 「どのくらい歩いて来るんですか?」と私。 「15分くらいかな? 散歩がてらね。ほら、足腰丈夫にしておかんといかんからさ」 「今、おいくつですか?」 「いくつに見える? とうに80は過ぎてるよ」 そんな会話を交わした後、 「ほら、そんな瓶じゃ重たいでしょ。これだとね、畳めるから便利なの。あげるから使って」 と、自分のリュックの中から、コンビニで売っているお酒の紙パックを取り出した。 中には、たった今汲んだばかりの湧水が入っている。 「いいよ、いいよ、大丈夫。これはおばあちゃんのお水だから、家に持って帰って」 私が言うと、 「いいから、いいから、せっかくこうして出会えたんだから、貰ってくれればいいの」 おばあちゃんは絶対に譲らない。 なんて優しいんだろう。 なんだかおばあちゃんの愛情がじんわり心に沁みてしまい、私は思わず泣きそうになった。 湧水がパンパンに入った松竹梅の紙パックを、私はありがたく頂戴した。 それから話題を変え、私が芹について尋ねると、 「せっかく今あなたいい靴履いているから、いい場所教えてあげる。こっち来て」 と、ワサビ田の方へ案内してくれた。 これまで、私はもっと下の用水路のところで芹を摘んでいたのだ。 でも、こっちの方がいいという。 躊躇う私に、 「私、ここでワサビ育ててる人知ってるから、大丈夫」と背中を押す。 転ばないように気をつけながら、長靴の私は、ワサビ田に生えている芹を摘んだ。…

菌根菌(キンコンキン)

山小屋ができたら、どうしてもやりたいと思っていたことのひとつが、薬草講座に通うことだった。 茅野に、すごく好きな薬草店がある。 そこの店主の生き方や考え方、言葉、センス、全てが大好きで、その人に直接会いに行こうと決めていた。 探せば、共通の編集者がすぐに見つかるだろうし、仕事として取材を申し込んでお話を伺うこともできたのだが、私は個人として素の自分でお目にかかりたい、と思っていた。 その薬草講座が、今月から始まっている。 初日は、ものすごーく緊張した。 同じテーブルを囲んで学ぶ生徒は、全員で4人。 私はなぜこうも、自己紹介をする時に緊張してしまうのかな。 他の生徒さんは、どうして植物に興味があるのか、仕事は何をされているのか、今回講座に参加して何を学びたいか、スラスラと話せるのに、私は胸にあった言葉の1割も外に出せなかった。 自分でも、ちょっとおかしいんじゃないかと思う。 ベルリンでドイツ語スクールに通って以来の「学校」だ。 薬草店までは、山小屋から車で片道1時間10分ほどかかる。 朝出て、授業を受けて、買い物をして、温泉に寄って帰ると、山小屋に戻るのは夕方で、一日がかりの勉強会になる。 でも、すごく楽しい。 毎週末、先生にお会いして、仲間たちと植物について学び、最後に手作りのおやつをいただき、薬草店のお庭を眺めて帰ってくると、なんだかとっても満たされた気持ちになる。 お庭は、この季節、一週間でぐんぐんと色を増し、花を咲かせ、それはそれは美しくて平和だ。 私の大好きな、素朴な草花たちが楚々と寄り添う素敵なお庭。 ただそこに身を置いているだけで、あぁ、生きていてよかったと思えてくる。 植物は、本当にすごい。 最近、興味があって立て続けに読んでいる森に関しての本に、必ず登場するのが「菌根菌」という言葉。 菌根菌とは、植物の根に共生しているカビ(菌)のことで、植物たちはこの菌根菌を介して、土の中で多くの情報をやり取りしていると言われている。 私たち人間が手と手を取り合って困難に立ち向かったり喜びを分かち合うように、植物たちも、地面の下で互いに助け合い、協力しながら生存しているのだ。 冬、光合成のできない落葉樹に針葉樹が栄養を分けてあげたり、マザーツリーが小さな子どもたちへ養分を与えたり、自分が朽ちる時は、自らの子孫に持っている財産を分けたり、もう本当に知れば知るほど、植物たちは叡智にあふれ、ものすごい高度な社会生活を営んでいる。 植物たちは、人間が出す二酸化炭素を取り込んで、私たちが必要とする酸素に変えてくれるし、どう考えたって人間を支えてくれている。 共に地球に生きる仲間として。 森にいると、それを肌で感じることができる。 心にちょっとした黒い感情やモヤモヤがあっても、森の植物たちはそれをスーッと、まるで私の胸にハンカチを当てるように吸い込んで、心を健やかな状態に戻してくれるのだ。 植物たちには、どんなに感謝しても感謝しても足りない。 かつては、人間はもっと謙虚で、身の程を知っていて、植物たちがいかに賢く知性に満ちあふれているかも熟知していたのだと思う。 先住民の人たちは、そうやって植物たちと共に生きていた。 なのにいつからか人間は、とても大事なことを忘れて、植物を上から目線で見るようになって、どんどん搾取するようになった。 自らの欲望を満たすためだけに、平気で木を切り倒すようになった。 今、神宮外苑の再開発で木を伐採することが問題になっているけれど、それらの木々がどれだけ私たちの生命に恩恵をもたらしてくれたか。 そんな仲間を、経済優先の考えで切り倒すなんて、想像するだけで胸が痛くなる。 牛や豚も、屠殺される前には悲痛な声で泣き叫ぶと聞いたことがある。 犬や猫も、殺処分される時は、本当に本当に悲しい表情を浮かべる。 木だって、一緒のはず。 私たち人間にその声が聞こえないだけで、彼らは彼らなりの言葉で悲しみの声を上げている。 自分の身に置き換えれば、それがいかに非道で残酷な行いか、わかるだろう。 もちろん、生きていくために、私たちは植物や動物の命をいただく必要がある。…

お庭中毒

辛夷の花の、最初の一輪が咲いた。 去年の秋から枝の先にぽつんと小さな蕾を膨らませ、そのまま冬を越して、ようやく今、長い長い眠りから目を覚ました。 私の森の、春一番に咲く花だ。 花が咲くというのを、これほど待ちわびたのは、人生で初めてかもしれない。 里に下りて行くと本当に花ざかりで、まるで桃源郷に迷い込んでしまったような気持ちになる。 標高1600メートルの森では、あんなに色とりどりの花が咲き乱れることはまずない。 地面と向き合っていると、ほんの小さなスミレの蕾にだって感動する。 花が咲くことは決して当たり前ではないのだということを、この春、肌身で知った。 もうひとつ、最近の大発見といえば、リスだ。 リスは以前から森の木々を駆け抜けていたけれど、どうやら一匹のリスが、私が木から吊るして鳥たちにあげている向日葵の種の存在に気づいたらしい。 私の大発見は、ここから。 なんとそのリス、向日葵を見つけた瞬間、尻尾を振ったのだ。 そっか、嬉しくて尻尾を振るのは、犬だけじゃなくて、リスも一緒なんだ! と、その時私はものすごい発見をしたような気持ちになった。 フリフリフリフリ、向日葵の種を見つけて興奮したリスが、大きなふっくらとした尻尾を右に左にと動かした。 けれどリス、向日葵の種まで、なかなか届かない。 鳥たちは翼を持っているので、遠くからでも見事な華麗さで餌箱に着地するけれど、リスは、どんなに体を伸ばしても、あと一歩のところで辿り着けないのだ。 しばらくあの手この手で試行錯誤し、結局リスは、枝から吊るしてある餌箱にヒョイと体ごと乗って、向日葵の種を貪った。 小さな枝に引っ掛けているので、リスの体重で餌箱が落ちてしまうのではないかとハラハラしたけれど、今のところなんとか大丈夫だ。 ただ、鳥たちと違って、リスは一回に食べる量が多い。 餌箱をいっぱいにすると何日間か持つ向日葵の種が、その日は一日で空っぽになっていた。 リス用と鳥用を別々にするとか、何か対策を考えないといけないかもだ。 リスはクルミがお好きそうだから、私のクルミを一日一個だけ、分けてあげようかな、なんても考えている。 味をしめたそのリスは、しょっちゅう私の森に遊びに来るようになった。 晴れた日は午後から森に出て庭仕事をし、雨の日は山小屋で室内作業、もしくは読書。 昨日車を運転していてふと気がついたのだけど、私、森で暮らすようになってからほとんどお昼寝をしていない。 とにかく、やることがいっぱいで忙しいのだ。 私ですらこうなのだから、お百姓さんなんかは、本当に寝る暇もないくらいお忙しいはず。 晴耕雨読とはよく言うけれど、実際はそんなに優雅なものではない気がする。 一日一回でも森で土いじりができると気持ちがスッキリするけれど、雨でできない時はなんだか気分が晴れない。 とにかく、午前中の仕事を終えて、食事をすると、森に出たくて出たくてたまらないのだ。 これは多分、サーフィンの魅力にハマってしまったサーファーが、どうしても海に入りたくなる心境と一緒かもしれない。 草むしりを始めてしまうと、2時間とか3時間とか、あっという間に経ってしまう。 あともう少し、あともう少しと、どうしても時間が伸びてしまうので、最近は目覚まし時計をかけることにした。 そうしないと、いつまででもやってしまう。 そのくらい、土いじりが楽しくて仕方がないのだ。 素手であんまり草取りをするものだから、私の人差し指には、ペンダコみたいに割れた傷ができてしまった。 私、鉛筆を持つ手は右だけど、しゃもじとかは左手で、結構、右も左も両方使える。 だから、左が割れたら右、右が割れたら左、その間にまた傷が回復したら左、と交互に手を使えるから便利だ。 爪の間にも土が入り込んでいるし。…

三つ子の魂

ララちゃんが、ひとりで山小屋へ遊びに来た。 彼女は、この春から高校3年生になる。 まずは、駅まで迎えに行って、カレーを食べる。 里の桜が、見事に満開だ。 古い古民家を改装した、とっても素敵なカレー屋さんだった。 それから温泉に入って、買い物をして、湧水の出る神社で水を汲み、ついでに水場に自生している野芹を摘む。 だって、晩ご飯のメニューは、ララちゃんの好きな、きりたんぽ鍋だから。 きりたんぽに、芹は欠かせない。 それにしても、大きくなったなぁ。 もうすっかり、お年頃の女の子だ。 小さい時のかわいらしさはそのままで、そこに女の子らしさが加わって、本当に野の花みたいな美しさだ。 愛情を込めて大事に大事に育てられると、こうなるんだな、という、まさにそんなお手本みたい。 素直だけど、遠慮せずにちゃんと自分の意見も言い、こうしたいとか、これは苦手とか、言ってくれるからとても助かる。 あー、かわいい。 私も、このくらいの子どもがいたっておかしくないのだなぁ。 でも、ララちゃんはあくまで、私にとって「友達」だ。 ララちゃんは、小さい頃から、私の家によく泊まりに来ていた。 一緒にお風呂に行って、ご飯を食べて、一緒に遊んで。 本当に、特別な時間だった。 ある時、きりたんぽ鍋を作ってあげたら、ものすっごく喜んで、ララちゃんは、あまりの嬉しさにぐるぐるぐるぐるテーブルの周りを走り回ったっけ。 以来、「何か食べたいものある?」と聞くと、決まって、きりたんぽ鍋の答えが返ってきた。 最後に作ってあげたのは、いつだったろう? 今回、ララちゃんが遊びに来ることになって、何を作ってあげようか、色々考えた。 最初は、ソーセージがいいかな、とか思っていたのだ。 でも、その日の朝になって、ふと、まだ肌寒いし、鍋がいいかも、と思い、鍋だったらやっぱきりたんぽだよなぁ、という結論に至ったのだ。 それで、朝、ご飯を炊いて、だまこ餅を作った。 私は、いわゆる棒状のきりたんぽではなく、ご飯を半殺しにしてそれを小さなおにぎりみたいに丸めてグリルで焼いた、だまこ餅を使う。 ララちゃんが、もりもりときりたんぽを食べてくれた。 その姿を見て、自分も高校生の頃はそうだったよなぁ、と懐かしくなった。 食欲旺盛、いくらでも食べられるお年頃だ。 それだけ、いっぱいいっぱいエネルギーを消費して生きているのだろう。 一緒に摘んできた野芹は、香りがよく、野生味たっぷりの味だった。 それから、外に出て星空を見る。 もう、春の夜空だ。 本当は、冬の夜空の、あのゾッとするくらい星が散らばる満点の星たちを見せてあげたかった。 それでも、ララちゃんは大いに興奮していたけど。 ふたりとも心地よい疲れで、9時くらいにはそれぞれのベッドに入って就寝した。 翌朝は、パンケーキを焼いた。 そうなのだ、ララちゃんがお泊りにくると、朝ご飯は決まってパンケーキだった。 ララちゃんは、自分で自分のパンケーキを焼いて食べていたっけ。…

静かな静かな日曜日

昨日は、コナラの木に椎茸とナメコの菌を打ち込んで、ホダ木を作った。 この作業を、植菌という。 ホダ木用のコナラは、ホームセンターで買うと一本千円くらいするのに、森林組合に行けばその3分の1くらいのお値段で購入可能だ。 まずは、コナラの木に専用のドリルで穴を開け、そこに小指の先ほどの菌をトンカチで打ち込んでいく。 自分がひとりで持ち運べるくらいの重さのコナラを選んだので、太さとしては細い方のコナラに、一本につき33個ほどの種菌を打つ。 椎茸は、コルク状の内樹皮に原基(キノコの元になるもの)を作り、外樹皮を突き破って発生する。だから、原木となるコナラの木は、外樹皮は薄くて内樹皮の厚いものが適している。 これを、地面の上で仮伏せする。 まずは段ボールを敷いて、その上にホダ木を並べ、更に上からビニールで覆う。 この時、雑菌が入らないようにしないといけないので、椎茸チームとナメコチームにそれぞれホダ木を分けて仮伏せする。 仮伏せは、一年ほど。 途中、梅雨の時期に天地返しを行う。 その後、排水が良くて十分雨が当たり、しかも直射日光が当たらない適度に明るい場所に本伏せし、子実体(キノコ)の発生を待つ。 細いホダ木で2年、基本的には3年かけてキノコが顔を出す計画だ。 ナメコの場合は、途中から本伏せのやり方が変わり、ホダ木を3分の1ほど地中に埋める。 さて、3年後、私は椎茸さんナメコさんと会えるのか? 今日は、とても静かな日曜日だった。 いつも通り新聞に目を通してから、YouTube見ながらヨガをして、朝昼ごはんにめかぶ納豆かけご飯を食べ、その後は恒例のお庭仕事。 私、完全にお庭中毒だ。 草むしりをやっているうちにどんどん夢中になって、もうそろそろ終わらなきゃいけない時間になっても、見るとつい手が伸びて、なかなか玄関まで辿り着けない。 草むしりをしていれば、幸せなのだ。 きっと、母もこういう心境だったのだと思う。 地面に向き合っている間は、仕事のことや家庭のこと、いろんな煩わしい雑事を忘れることができたのだろう。 日が暮れてからも庭仕事に精を出す母の姿を、私は怪訝な気持ちで見ていたけれど、今の私はまさにあの頃の母と同じなのだ。 チャンスがあれば森に飛び出したいような、そういう気分。 マッサージと同じで、草むしりも、動かしていない方の手が大事なんじゃないかと思う。 たとえば、右手で草を抜いている時は、左手をペタリと地面につける。 そうやって、私は大地の声を聞いているのかもしれない。 今日は、草むしりをしなが、緑の指が母から受け継がれているといいな、と思った。 庭仕事をした日は、ぐっすりと眠れるからいい。

スノードロップ

数日間山小屋を留守にして森に戻ったら、去年の秋に植えたスノードロップが地面から顔を出している。 私、まだ眠いんですよ、とでも呟くように、俯いて。 ぽん、ぽん、ぽん、と並んで咲く姿が愛らしかった。 ついに春が来たのだ。 朝の最低気温も、0度くらいまでしか下がらなくなった。 コブシの蕾も、明らかに大きくなっていた。 里では、コブシが満開だった。 立派な幹に、大きな白い花をわんさかつけて咲き誇っていた。 もちろん、それも美しいのだけど、私の森で蕾を膨らませているコブシとは、意味が違うのだ。 森のコブシは、小さな種がどこかの鳥に運ばれて、ここにやって来た。 ちょうど石と石の隙間、谷になっている場所に糞が落とされたのだろう。 だから、芽を出しても、動物に食べられずに済んだのかもしれない。 そして、自然の力だけで成長し、枝葉を広げた。 人が植えた街路樹とは、そのタフさにおいて、全然違うのだ。 森のコブシは幹も頼りなく、斜めに傾いているけれど、でもそれでも大地に根づいて、今まさに今年の花を咲かせようと踏ん張っている。 その姿に、私は得体のしれない勇気をもらっている。 自然の摂理だけで今ここにある奇跡を思うと、胸がいっぱいになってしまう。 山小屋を離れる前ずっと雨続きで、なかなか庭仕事ができなかった。 鹿などの鳥獣対策に乾燥させたヒトデがいいというので取り寄せたてはみたものの、撒けないまま東京へ。 帰ってから、さっそく、ヒトデを地面に撒いた。 まずは、スノードロップをガードすべく、その周辺へ。 袋に入れて木に吊るしておくのもいいというので、鹿が好んで食べる木にも吊るしてみる。 効果が出ることを祈るばかりだ。 乾燥ヒトデは、よく言えば「磯の香り」がするという前情報があったので、臭いに怯え、こわごわ袋を開けたのだけど、それほどでもなくてホッとした。 もっと強烈な臭いがするのかと、覚悟をしていたのだ。 でも、大丈夫。ほんのり磯の香り、という程度だった。 先日は、森の庭を駆け抜ける二匹のタヌキを発見してしまったゆりねが、やっぱり鹿に対する時と同様、別犬のようにギャン吠えをした。 どうか、ヒトデによって、野生動物との境界線が成立しますように。 春は春で、またやることが山のようにある。 明日は、ご近所さんと、ホダ木に椎茸の菌を打ち込む作業をする。 人生初の、原木椎茸栽培だ。 ホームセンターになめこの菌も売っていたので、なめこにも挑戦する。 椎茸より、なめこの方が難しいらしい。 ただし、結果が出るのは、早くて2年後。基本的には3年後。 それまで、辛抱強く、キノコの出現を待つしかない。 ゆりねは、ゆきちゃんにすっかり慣れてしまった。 スイッチを入れてゆきちゃんを動かすと、すぐに耳を掴んでぶん投げたり、尻尾を噛んで後ろ向きに引っ張ったりする。完全に強者と弱者のプロレスだ。 おっかなびっくり近づいたのは、最初の数回だけで、それからは好き放題やっている。 ゆきちゃんは、すぐに倒されてしまうから、私が起こしてあげないといつまでも動けない。 生身のウサギじゃなくて、本当によかった。…

サンクチュアリ

その場所はとても静かで、独特な空気が流れている。 天井の高い空間にはいくつかの浴槽があり、人々は時間を忘れて湯治をする。 お湯の色は、焦茶色。 ぬる湯で、25度、30度、35度、37度、と湯船ごとに四段階あり、皆さん、それぞれの温度を移動しながら湯浴みを楽しむ。 レジャー施設のような浮かれた雰囲気はなく、治療施設や湯治場と表現した方が伝わりやすいかもしれない。 事実、大きな病を抱えたと思しき人が、お湯の効能を求めて長く浸かっている姿もよく見かける。 私が、もっとも好きな日帰り湯で、去年の秋以降、車で片道1時間かけ、毎週末のように通っていた。 目下、私にとってのサンクチュアリだ。 一角は、昭和の風情を色濃く残す温泉街で、泊まれる宿がいくつかある。 昨日は、施設からすぐの所にあるうどん屋さんで昼食を食べた。 満席で、同年代と思しき女性と相席だった。 名物は、鳥の天ぷら。 メニューに目を走らせつつ、欲張って天丼とうどんのセットを頼む。 このところ菜種梅雨が続いて肌寒いから、温かい汁のうどんをお願いした。 家族経営のかわいい店で、商店とカフェも併設している。 最近店を改装したばかりで、お座敷をテーブル席に替えたらしい。 おそらく、店に立つ40前後の女性がここのお嬢さんで、店に新しい風を吹かせているようだ。 奥の調理場では、お父さんとお母さんがせっせと立ち働いている。 うどんは細麺で、出汁がしっかりときき、シンプルでとてもおいしい。 目の前の相席の女性は、麻婆うどんを頼んでいた。 知り合いだったら一口味見させてもらったのだが、見知らぬ人なのでただ羨ましげに私はチラチラ眺めていた。 次回はこれを頼もうと思うけれど、また、ここに来ることがあるのかどうか。 それを思うと、なんだかやるせない気持ちになった。 この、私の大好きな日帰り湯が、今月いっぱいで閉鎖になってしまうのだ。 従業員や近隣の方達も、今月になって知らされたらしく、まさに寝耳に水。 施設を所有する市の判断らしく、建物の老朽化が理由だという。 確かに古いが、でも使おうと思えばまだまだ使えると思うのだが。 そのことを前回知って、3月の最後の週末、雨の中車を走らせたのだ。 うどんを食べに来たお客さんも、口々に、そのことを話題にしている。 日帰り湯として入れるのはこの施設だけだったので、ここがなくなると、私はこの素晴らしいお湯に入ることができなくなる。 食事を終えてからカフェに場所を移動して、コーヒーを飲む。 コーヒーに添えられたふたつの花豆煮。 程よい甘さで、簡単そうでなかなかこうは作れない。 さっき、うどんのセットについてきた沢庵もそう。 どれも、ちゃんと手作りしている。 前回買った手作りの味噌も、素晴らしい味だった。 商店には、地元産の豆や調味料など、良質なものが並んでいる。 施設が休業したら、こういう周りのお店の方達にも、影響が出るのは必須だ。 せっかくお店も改装したところなのに。 本当に気の毒で言葉が出ない。…

ハルミさん

週末、ハルミさんに会いに行ってきた。 ハルミさんは、春の海。 ここ数年、「春になったら南の島へ」をルーティンにしている。 まだ水は冷たかったけど、ハルミさんに肩まで浸かったらものすごく浄化された。 冬の間に溜まったあれやこれやが、春の海にスーッと流されていく。 森が日常になった分、海は私にとっての非日常の世界だ。 これからは、海を目指して旅をすることが多くなるのかもしれない。 海は、ダントツで春が一番好き。 森の方も、春分を過ぎたら、ぐんと空気が春めいた。 日の出の時間も、だいぶ早くなっている。 朝の光はもう冬ではなくて、春そのものだ。 餌箱を吊るすとやって来る鳥たちも、なんだか春の気配に浮かれている。 すべてが、ルンルン、しているみたい。 今日は、午後から庭仕事をしたのだけど、途中から背中が暑くて暑くて。 半袖のTシャツにフリースを着ていたのだが、それでも暑くてバテてしまう。 雪は、とけては降って、とけてはまた降ってを繰り返していたけれど、今日の陽気でほぼすっからかんになった。 庭仕事の今日の課題は、熊笹。 北側の森に熊笹がワーッと自生していて、去年は何もしなかったのだが、今年は少し根本からカットしている。 調べると、熊笹はお茶にして飲むと、色々と体にいいことがあるらしい。 さっそく、乾燥させて飲んでみよう。 庭仕事の後は、ゆりねを連れて、滝を見に行く。 のつもりだったのだが、道半ばにしてゆりねがもうこれ以上歩きたくないと駄々をこねる。 急に気温が上がって、参っているのだ。 仕方ないので、滝の見える丘まで行かず、途中で引き返した。 蝋梅の木に、黄色い花が咲いている。 春は、黄色い花が目立つ。 水仙もそうだし、福寿草もそう。 冬を耐え忍んだ黄色い花は、本当に輝いて見える。 そういえば、今日庭仕事をしていて、嬉しい発見があった。 去年の秋、ダメ元で植えておいたスノードロップが芽を出して、今にも白い花が咲きそうになっていたのだ。 なんて可愛らしいんでしょう。 思わぬ「再会」に、その場でジャンプしそうになる。 よーし、今年の秋は球根をもっともっとたくさん植えて、春待ちの庭を作るぞ! 夕方、森に戻ってからゆりねと改めて散歩する。 ついでに、ご近所さんに、お土産の黒糖と、近所のパン屋さんで見つけたおいしいレーズンバターサンドを届けに行く。 もう、普通の靴で歩けるのが嬉しい。 山小屋に帰ってから、もう一度ちょっとだけ庭仕事に精を出す。 見ると、つい草をむしりたくなってしまうのだ。 これは完全に地球の毛繕い。 サルになった気分だ。…

霧氷の世界

朝起きて、森に目をやり、おや? 最初、雪が降ったのかと思ったのだが、どうも違うようだ。 数秒後、そうか、これが噂の霧氷か、とわかった。 やっと出会えた、霧氷の世界。 今シーズンは、もう現れないかと諦めていた。 前の日が曇りで、夜、風が全くなく、気温がグッと下がるなど、いくつかの気象条件が重なると霧氷が出現する。 裸の木の枝に、産毛のような霧氷が棘のようにまとわりついている。 手で触れば、すぐにスーッと消えてしまう。 霧氷は、とてもとても儚い。 新聞を読んでいたら、ご近所さんから電話があった。 「出ましたね」 私が言うと、 「うちの霧氷を見に来ませんか?」 とのお誘いをいただく。 若干だが標高が違うので、霧氷の現れ方も違うのだという。 せっかくなので、カメラ片手に朝の散歩へ繰り出した。 ふだん、その時間帯に森を歩くことはほぼないので、新鮮だった。 見渡す限り、霧氷の世界が広がっている。 本当に綺麗だ。 一番の芸術家は自然だと、改めて思う。 こんな美しい世界を、人間の手で生み出すことはできない。 日の出の頃は曇っていた空が、ご近所さんのリビングでコーヒーをいただくうちに晴れてきて、最後は青空と霧氷のコントラストを満喫した。 この冬は、季節が一ヶ月も早く進んでいるという。 例年ならまだ雪景色のはずが、もう森にも雪はほとんど残っていない。 春に向けて猪突猛進しているかと思っていたら、最後の最後に、こんなにも美しい光景に出会えた。 森を歩いているだけで、幸せになる。 小一時間お喋りして、自分の山小屋に戻って、ホッと一息ついていたら、もう霧氷は消えてしまった。 ほんの一瞬で、まるで幻を見たような気分になる。 おそらく、次に霧氷が現れるのは、来冬だ。 先日、なんとなくタイトルと装丁が気になって、一冊、本を買った。 内容も著者名も知らないのだが、その本をパッと見た時、なぜかある友人の顔が浮かび、もしも自分が読んでみて内容が良かったら、その友人にプレゼントしようと思っていた。 友人は、美術家である。 それを、昨日読んでいた。 読んでいる最中も、なぜか友人のことが何度も何度も脳裏をよぎった。 そして、読み進めていたら、なんと、話の中に美術家の友人の名前が出てきたのだ。 びっくりした。 きっとその文章を読んだら、友人は喜ぶに違いない。 そして、伝える手段はないけれど、その著者も、私が友人にその本を送ったら喜ぶに違いない。 こういうことは間々あるけれど、自分の直感が外れていなかったことに、自分でもちょっと嬉しくなる。 今日は、カメラマンの鳥巣さんが山小屋に遊びに来る。…

庭仕事

去年は7月から森に来たので、なんとなく途中参加だった。 森に関しては一切手を入れず、ただただ新参者として呆然と眺めていた。 でも今年は、春を迎える前からもう森に参加している。 だんだん、森と呼吸が合ってきた。 森は何もしなくても美しいのだが、今年は少しだけ、手を加えてみようと思う。 苔のために。 光輝く苔の森になるよう、ほんの少し、私が介入する。 それで、数日前から草取りを始めた。 雪解け直後が、草を抜くのに一番いい気がしたので。 日に日に雪が解け、その下から緑が顔を出している。 牧草だけ、取ることにしたのだ。 それが正解なのかどうかは、未だわからないけど。 苔と牧草が重なっているところだけは、苔を優先してみよう。 とは言え、それはものすごーく終わりのない作業だ。 広い森の地面から、一本一本、地道に草を抜くのである。 抜いてもきっと、またすぐに生える。 それをまた、根気強く一本一本抜いていく。 地球という皮膚から、ムダ毛を一本ずつピンセットで抜くようなもの。 想像しただけで、気が遠くなる。 そんな作業を、数日前から始めている。 去年は、そんな発想すら生まれなかった。 ところが、だ。 やってみると、これがこの上ない快感なのだ。 一度始めてしまうと、没頭して、1時間や2時間、あっという間に過ぎてしまう。 ゆりねの散歩とか、自分の温泉とか、そういうのを全部ナシにしてしまえば、きっと日が暮れるまで、やってしまうだろう。 ただ草を抜くだけの作業が、こんなに幸福を感じるとは思わなかった。 この森は、決して肥沃な大地ではない。 標高が高いので、植物もぎりぎりのところで生きている気がする。 種を蒔いても、芽を出す確率はとても低く、たとえ芽が出ても、大きく成長するのはなかなか難しい。 とにかく、自然が厳しいのだ。 それでも、岩盤の上に落ち葉が重なり、その場所が微生物によって耕され、やがて時間をかけて腐葉土になる。 草の根っこを引き抜いた瞬間に、ぷーんと香ばしい土の芳香が広がると、なんとも幸せな気持ちになるのだ。 私の体に、オキシトシンがじゃぶじゃぶ溢れる。 今日は、去年ダメ元で球根を植えた所から小さな芽が出てるのを発見した。 大好きなスギゴケも、冬を越せたことがわかった。 落ち葉を避けると、そこに青々とした苔の姿が出現する。 草を抜きながら、私は完全な恍惚を味わっている。 時々コーヒーを飲んで。 巣箱には、鳥たちが集まってくる。 私がやっていることは、ただの自己満足にすぎないかもしれない。…

雪明かり、月明かり

薪ストーブの前でゆるゆると赤ワインを飲んでいたら、ご近所さんから電話が来た。 今まさに、金星と木星が接近中だという。 西の空を見るように言われ、慌てて防寒具を身につけ、ワイングラスを片手に外に出る。 すぐにわかった。 一際輝く、ふたつの光が近づいている。 空には、圧倒されるほどの星、星、星。 上弦の月も煌々と輝き、ほんのり明るい。 ほんのり明るいのは、雪明かりのせいでもある。 雪国の冬の夜は、意外と明るいことを思い出した。 しばらく、天体観測をしながら赤ワインを飲む。 人工衛星も、はっきり見える。 ゆりねとゆきちゃんのお見合いは、成功した。 ゆりねのテンションが高くなる食後の時間に、スイッチを入れたゆきちゃんを近づける。 ゆきちゃんは、キュウキュウ鳴きながら、耳を動かし、前進する。 ゆりねは、おっかなびっくり、近づこうとしては距離を置き、私にスリスリ。 なんだか訳のわからない動物(ウサギのオモチャ)がやってきて、興奮している。 後ろからそーっとそーっと近づいて、お尻の匂いを嗅ごうとしたり、軽く耳を甘噛みしたり。 でも、ちゃんと尻尾を振っているから、遊び相手としてはいいかもしれない。 ただ、やっぱり生身の犬との触れ合いは大事なので、今日はドッグランへ行った。 森暮らしを再開してから、ずっと犬には会っていなかった。 大喜びして草原を疾走するのを期待していたら、あまりにしつこく若い雌犬に遊ぼうと吠えられ、ゆりねはしれっと無視。 私が腰かけているベンチに上がり、今はまだ遊びたくないです、の態度を示す。 犬との遊び方を忘れてしまったかと不安になったものの、徐々にテンションが上がり、最後は単独で爆走していた。 すごい走りっぷりに、その場が騒然となる。 いつものことだけど。 ゆりね、遊ぶ時は遊ぶのだ。 私も、久しぶりに他のワンコたちと触れ合った。 帰りに近くの産直に寄って、リンゴとイチゴと一升瓶サイズのワインを買い、温泉に寄って、夕方5時過ぎに山小屋へ。 最近は6時過ぎまで明るいので、活動できる時間がだいぶ長くなった。 そろそろ、森暮らしのリズムが戻ってきたかもしれない。 夜はムッティ(薪ストーブ)でロールパンを温め、ハムを挟んで食べる。 数日前の、燃えるような朝焼けがすごかった。

ゆきちゃん

朝、外に出たら鹿の群れが颯爽と走り去った。 ずっと見ていなかったので、もしやいなくなったかと期待していたのだけど。 秋冬モードの鹿たちは、皆、枯れ葉色の体毛に覆われている。 向こうは向こうで、食べ物がなくて大変なのはわかるけどさぁ。 森暮らしを再開するに当たって、本気で考えたのが、ゆりねの妹か弟を迎えることだった。 森には鹿ばかりで、犬に出会うことはほとんどない。 ゆりねは鹿を見ると血相を変えて威嚇する。 近くに鹿がいるんじゃないかと常にアンテナを張ってパトロールしているので、休まらない。 もし、もう一匹ここに仲間の犬がいたら、気が紛れるのでは、と思ったのだ。 ゆりねは温和な性格だし、キャパが広い。 きっと他の犬も寛大に受け入れるだろうし、もしかしたら母性が開花して、自分の子どもみたいに可愛がるかもしれない。 でも、色々考えて、結局やめた。 ゆりねは私との、一対一の関係を望んでいるように感じたので。 私がゆりねを大好きなように、ゆりねも私を大好きでいてくれる。 その関係性のバランスが崩れることは、お互いに望んでいないはずだ。 それで、おともだちを迎えることにした。 そういえば、子どもの頃、犬の形をした動くおもちゃがあったなぁ、と思って。 でも、ゆりねのおともだちは、犬ではなくて、ウサギにした。 小さな段ボール箱に入って届いたウサギの名前は、ゆきちゃん。 単三の電池2本で動く。 ゆきちゃんがゆりねの遊びに相手になってくれたら、願ったり叶ったりだ。 ゆきちゃんの肌触りはもふもふで、まるで本物のウサギみたい。 私は子どもの頃、ウサギを飼っていた。 だから、ウサギ大好き。 今日は、朝からピカピカの青空で、心までホカホカになる。 朝昼ごはんに味噌ラーメンを食べ、食後のコーヒーを淹れながら、もしかして今日なら外で飲めるかもしれない、とふと思い、外で飲んでみた。 今年初の、青空コーヒー。 ひまわりの種を啄みにくる鳥たちを観察しながら、コーヒーを飲む。 気持ちいい。 森では、雪が溶けた下から、苔が顔を出している。 一冬、寒い中よくぞ耐えた。 色艶は決して良くないけれど、ちゃんと生存している。 雑草(牧場から飛んでくるイネ科の飼料)が気になったので、少しばかり、今年初の庭仕事に精を出す。 雪が溶けたら、ヨーイドンで、鹿の嫌がる植物を植えなければと意気込んでいる私。 今日は、ゆきちゃんと共に宅配便で届いたプリンターもセッティングした。 いよいよ、この山小屋が仕事場として本格始動する。 夕方、初めての温泉へ行った。 あまりの暑さに、窓を開けて運転した。 ナビを頼りに着いた日帰り湯の建物は昭和レトロとしか言いようがないし、来ているのも地元のおじいちゃんおばあちゃんがほとんどでイマドキ感はゼロだけど、ちゃんとしたミストサウナがあって、温泉のお湯もとてもよかった。 サウナの後、これも今年初となる水風呂に入る。…

雪道を歩く

再び、雪。 今回は、粉雪だったので、サラサラしていてなかなかとけない。 雪原には、人の足跡と獣の足跡が混在している。 朝、玄関扉を開けたら、かわいい小さな足跡が残っていた。 コンクリートの上を通って、ちゃんと階段も使っている。 どなたですか? 雪道を歩くには、スノーブーツにアイゼンを装着するのが安全だ。 ガシッと、ガシッと、と爪が雪や氷に食いこむので、安心して歩くことができる。 雪道を歩く感覚は、やっぱり子どもの頃から体に染みついているのかもしれない。 車の運転も同様で、子どもの頃乗っていた雪道の感覚が、結構今役に立っている気がする。 南国で育ち、一度も雪の上を走る車に乗ったことがない人よりは、感覚的な勘が働いているんじゃないかと思っている。 秋のうちに保存食をたくさん貯めていたので、まぁ、一週間くらい雪に閉ざされたとしても、食糧に困ることはない。 昨夜は、白花豆を炊いてみた。 炊いたといっても、鉄の鍋に入れて薪ストーブの上に置いておいただけだけど。 こうすると、低温でじんわり火を入れることができる。 ただ、ものすごく皮が硬かった。 そら豆の皮と同じくらい、しっかりしている。 無理やり口に入れて念入りに咀嚼し、飲み下せないこともないけれど、お腹を壊すのも嫌なので、ふと思いついて、皮の中だけ食べてみる。 これが、最高に美味しかった。 ゆりねにもお裾分けしたら、好みの味だったらしく、おかわりのジャンプが止まらなくなる。 それで、ちまちまと一つずつ皮を剥いた。 それを、鉄のフライパンに並べ、塩とオリーブオイルをかけ、更にドライハーブものせてグリルする。 豆の、新しい食べ方を発見した。 ワインが進む。 窓の向こうに広がる雪景色が美しくて、つい見惚れてしまう。 雪が降っているのを眺めながら無伴奏チェロをかけると、まるで雪が曲に合わせて降ってくるように見える。 雪景色にはチェロ、炎にはピアノが合う気がする。 昨夜は、八ヶ岳下ろしの風の音が聞こえるらしく、ゆりねのブルブルが止まらなくなった。 私の人生に巻き込んでしまって申し訳なく思いながら、抱っこしたり、体をさすったり。 ゆりねのために、早く春が来てほしい。 ちなみに、ゆりねは雪道を歩くのをすごく嫌がる。 だから毎日、雪のない場所まで下りて行って、お散歩している。 どんな犬でも、喜んで雪原を駆け回るわけではないらしい。 どちらかというと、雪が降ったら、ゆりねはコタツで丸くなりたいタイプだ。

コブシ

およそ三ヶ月の「冬眠」を経て、めでたく森暮らしを再開した。 朝、5時半過ぎに起き出して、日の出を拝む。 外の気温は、マイナス15度。 それでも、だいぶ朝が早くなった。 窓の向こうに広がるのは雪景色だけど、光には春の兆しを感じる。 前回山小屋に来た時より、幾分コブシの蕾が膨らんでいた。 コブシは、かなり前、おそらく秋の始め頃から小さな蕾ができ、寒空の下でじーっとじーっと耐えていた。 春になったら、真っ先に花が咲くと聞いているので、私はその時を待ちわびている。 決して立派な枝ではないけれど、本当に健気な姿で枝を空に向けている。 コブシは、漢字で書くと「辛夷」だけど、私はどうも「拳」を連想してしまう。 ぎゅーっと、手のひらを固く固く握りしめて寒さに耐えている。 初日の出を拝みながら、これからの森での日々の無事を祈った。 本当に本当に美しい朝。 青空が気持ちいいので、朝から鳥たちにひまわりの種を振る舞う。 長らく不在にしていたから、もう忘れられているかもしれない。 餌箱にたっぷりと好物のひまわりの種を入れて、いつもの場所で「開店」した。 耳を澄ますと、遠くの方から、鳥の囀りが聞こえる。 しばらく様子を見ていると、じょじょに森が賑やかになった。 餌を見つけた鳥が仲間を呼んで、ひっきりなしに餌台からひまわりの種をついばんでいく。 たいていの鳥は、一瞬だけ餌台に止まってすぐに他の鳥に場所をゆずるのだが、中にはジャイアンみたいなのがいて、長時間そこに居座り、自分だけ独占して餌を食べている。 その鳥は、確かに恰幅がよかった。 餌箱にひまわりの種がなくなると、鳥たちは地声でビャービャー鳴いて、私におかわりを要求する。 今、冷凍庫に保存しておいたトマトをコトコト煮て、トマトソースを作っている。 明日はお客さんなので。 駐車スペースを確保するため、一仕事するか。 まだ雪も残っていることだし、しばらくは無茶をせず、森の空気に体を慣らそう。

どなたでもどうぞ食堂

雪が降ったかと思えば、手袋もいらないほどの暖かさ。 少しずつ、春が本腰を入れて近づいている。 週末、湯浅誠さんの『つながり続けるこども食堂』(中央公論新社)を読んだ。 世の中捨てたもんじゃないと思うのは、こども食堂の存在だ。 全国の津々浦々で、自然発生的に誕生したという。 こども食堂は、民間によって、基本的にはボランティアで運営されている。 大人数を受け入れることはできないけれど、毎日もできないけれど、月に1回とか2回とか日にちを決めて、その日は、こどもは無料、大人も300円程度の低額料金で食事を提供する。 町の公民館などを利用する場合が多いらしいが、中には自宅を開放してこども食堂を開く人もいる。 土台になっているのは、「おせっかい精神」。 お腹が空いてるなら、ここでご飯食べていきな、というちょっとした愛情表現だ。 この日本で、お腹いっぱい食べられないこどもがいる。 その統計結果に衝撃を受け、だったら何か自分にもできることはないだろうか、と市井の人たちが立ち上がってスタートした。 ただ、私も含めて、多くの人は、こども食堂は、食事に困っている家庭の子が対象だと思い込んでいる。 だから私も、興味はあったものの、自分がそこへ行くのは申し訳ないんじゃないかと思っていた。 でも、実際のこども食堂の8割程度は、食べるのに困っているこどもだけでなく、地域のお年寄りや、子育て世代など、多くの、すべての人たちに解放された場所だという。 つまり、こども食堂=どなたでもどうぞ食堂。 こどもを中心に据えているというだけで、誰でも気軽に行っていい場所なのだ。 もちろん、私も行っていい。 そこで、こども達は、親以外の多くの大人と交流し、社会を知る。 無縁社会と言われるけれど、こども食堂ができることで、その地域に人と人とのつながりができていく。 こども食堂をやっている人は、自分のできることを、できる範囲で、無理をせずにやっているだけ。 目の前にお腹を空かせている人がいる。だったら、何か食べ物を分けてあげよう。 そのシンプルな動機が、長続きする秘訣かもしれない。 ボランティアとか寄付とか、全てに言えることだけれど、相手に感謝されたくてその行為をするのではなく、ただ自分がそのことに喜びを感じるから、する。 結果的に自分も幸せになれるから、する。 極論を言ってしまえば、自分の自己満足のために、する。 私自身は、そういうスタンスだ。 コロナで、こども食堂のあり方が問われたという。 こども食堂は民間によるボランティアだから、行政による後ろ盾がない。 緊急事態宣言が出され、不要不急の外出自粛が叫ばれる中、それでも生きていくためには食べ物が必要で、なんとか工夫をこらしながら、困窮している家庭に食材やお弁当を届けたそうだ。 こども食堂のような取り組みが行われている国が他にもあるのかどうかわからないけれど、こども食堂は、日本が誇れる未来への光のような気がした。 こういう動きが、ほぼ同時に全国で自然発生したというのは、多くの人が、同じような感情に動かされたから。 本当に素晴らしいと思う。 孤独を抱え込まずに、まずは近くのこども食堂へ。 それで、少しでもその人の生きづらさが解消されたら、いい。 それぞれのこども食堂はささやかなボランティア団体で、誰も、ここから日本を変えよう、なんて大きな目標は掲げていないはず。 でも、その小さな存在のこども食堂が、地域に根を張って、間接的に地下で多くの根っこを張り巡らせれば、それはとても大きな力となって、結果的には日本を根底から支えるだけの原動力になるんじゃないかと思った。 自然界の森の木々たちのように。 彼らは、地下のネットワークを通して、情報を交換しあい、お互いに共存していく道を探っているという。 こども食堂は、災害などが起こるたびに数を増やしてきた。…

TKG

なんだか昨日から頭がぼんやりする。 朝、ベランダで洗濯物を干していたら、鼻の奥がむず痒くなった。 多分、花粉が飛んでいるのだろう。 今年は、いつもより格段に花粉の量が多いのだとか。 春になるのは嬉しい反面、これがあるので憂鬱でもある。 憂鬱といえば、週末、たまには見てみるか、とテレビの情報番組を見ていたら、本当に憂鬱な気分になった。 日本の良さといえば、治安がいいこと、そして食べ物がおいしいこと。 それなのに、強盗という物騒な言葉が飛び交い、飲食店では客による迷惑行為が横行しているという。 治安が悪くなって、食べ物も安心して食べられなくなったら、日本の良さが半減するんじゃないかと心配になった。 フィリピンに潜伏していたという、強盗犯の主犯格とされる4人の顔。 でも、この人たちも、幼稚園の頃は、きっと無邪気に、僕は大きくなったら○○になりたいです、とか言っていたんだろうなぁ。 よもや、○○の中に強盗の文字は入っていなかったはず。 みんなと一緒にお遊戯とかして、可愛らしい寝顔を浮かべてお昼寝していたんだろうなぁ。 施設に収容されていたにもかかわらず、犯罪を止められなかったのだとしたら、ものすごく腹立たしい。 一方で、日本を脱出して海外に永住する人が増えているという。 その気持ちは、私も数年だけど海外にいたので、とてもよくわかる。 周りにいる日本人の人たちは、外側から日本を冷静に眺め、ものすごく日本を愛していた。 愛しているが故に、日本の現状を憂いてもいた。 若者たちは、職を求めて海外で働いているというし。 少子化、そして人口流出。 この先、日本はどうなってしまうのか。 全て政治のせいにするつもりはないけれど、この国で子どもを産んで育てれば楽しいとか、この国にいれば豊かな老後が送れるとか、そういう明るいビジョンが欠けているような気がしてならないのだ。 なんだかなぁ、と、ついため息が出てしまう。 今朝の新聞の投書欄には、この冬3回も家庭菜園からネギを盗まれた92歳の方の嘆きが掲載されていた。 1年半前にタネを蒔き、天塩にかけて育てたネギが、まだ食べられる部分を乱暴に残したままの状態で盗まれてしまったという。 けれど、その方は最後、こんな世の中では仕方がないと諦めていらっしゃった。 お気の毒で、言葉も出ない。 昨日の新聞に載っていた、福岡の、ある介護施設の施設長さんの言葉が印象的だった。 「足手まといな者のリストの1番目にいる人を犠牲にすれば、2番目の人が繰り上がって次の犠牲となります。それを繰り返すだけの社会は、ほどなく弱体化する。日本社会はその状態にあると思います。それが私たちの望む経済でしょうか」 胸にグサリと刺さる。 せめて、誰もが食べ物に困らず、安心して眠れる社会であってほしい。 そうそう、香港では、日本の卵が人気だとか。 TKGは、卵かけご飯。 日本にいると、卵を生のまま食べられるのは当たり前のように思われるけど、海外の卵だと、なかなか怖くて生食はできない。 ベルリンでも、よっぽどいい生産者からいい卵を買わないと、卵かけご飯はできなかった。 だから、卵かけご飯はご馳走だった。 生で食べられる卵も、日本が海外に誇れるもののひとつ。 そんなことを思い出して、ほんの少し、楽観的になってみる。

防寒対策

さっき、ゆりねと外を歩いていたら、道路を横断した先で、急にゆりねがおじさんの方へ近づいていった。 そのまま、おじさんの足元に体を寄せて、すりすりする。 基本、人懐こいゆりねだけど、そこまで自然に近づくのは珍しい。 おじさんも、しゃがんでゆりねをナデナデ。 マスクをしているので、顔はあまりわからないけど、とても優しそうな方だった。 それから、いつもの散歩コースに戻って遊歩道を歩いていたら、またおじさんがやってくる。 向こうから手を振って、ニコニコ顔でゆりねに近づいた。 今度はマスクを外しているので、表情がわかる。 ゆりねは、またおじさんの方へ吸い寄せらせ、まるで旧知の友人に再会したかの気やすさで、おじさんに撫でられていた。 目を細めたおじさんが言った。 「ちょうどね、1年前の1月28日に、うちのワンコが旅立ったんですよ。 だから昨日は、一歩も外に出られなくて。 でも今日は、お天気もいいし、外に出てみようと思ってね」 「何犬だったんですか?」 「コッカースパニエル。15歳と2ヶ月だったから、天寿を全うしたんですけどね」 おじさんにとって、この1年は、愛犬を失った悲しみと向き合う、辛い時間だったのだろう。 「ゆりねは偉いね」 おじさんと別れてから、ゆりねに話しかける。 だって、ゆりねはちゃーんと、自分の役割を果たしている。 きっと、ゆりねは何かをおじさんに感じたのだろう。 そういう優しさが、ゆりねには確かに備わっている。 自分を必要とする人の元へそっと自ら寄り添って、ふわりと抱きしめるような包容力が。 天性の才能かもしれない。 この冬は暖冬だと思っていたら、ここに来て寒波がやって来た。 雪こそ降らないものの、東京も寒い。 山小屋に、最強の防寒ブーツを置いてきたことが悔やまれる。 先日、新潟の山奥で湯治をしていた時、脱衣所で着替えていたら、隣合った女性にびっくりされた。 「随分、厳重ですね」 私の重ね着に驚いたらしい。 「お風呂上がりに、冷えちゃうと嫌なので」 私は言った。 防寒対策には、自信がある。 まず、最近のお気に入りは、マタニティー用のスパッツ。 スパッツと腹巻きが一体になったようなもので、これだと、お腹をすっぽりと覆ってくれるので暖かい。 私は、その上から毛糸のパンツを重ね着する。 これも、おへそまでしっかり隠れるタイプで、冬場は決して手放せない。 靴下は、もちろん、2枚重ねてはく。 最近気に入っているのは、登山用の靴下で、これはとてもしっかりしている。 あと、看護師さんなんかが勤務中に履く、膝上まである五本指ソックスも愛用している。 その上から更に保温性の高い分厚い靴下を履き、室内でもブーツを履く。…

湯治納豆

旧暦のお正月に合わせて、新潟の山奥へ湯治に来た。 さすが、日本有数の豪雪地帯だ。右を見ても左を見ても、雪景色。 分厚く積み重なる雪の層を前にして、この雪がお米を美味しくしてくれるんだなぁ、と思った。 お風呂に入って雪見風呂を楽しみ、お風呂上がりは雪見ビール、ご飯の時は雪見酒と、雪見放題だ。 最近の傾向として、私はメシよりフロだ。 ご飯かお風呂(温泉)、どっちか選ばなくちゃいけない究極の選択を迫られたら、温泉を選ぶ。 以前は、何よりもメシを優先していた。 でも、毎日温泉に入っていたら、何はさておきフロの人間になった。 今年に入ってから、まだ自宅のお風呂に1回も入っていない。 昨日から、温泉三昧だ。 まず、チェックインしてから連続4時間湯船に浸かり、夕飯の後も2時間半。 今日も、午前中3時間、夕方2時間。 多分、夕飯を食べてから、また3時間近く入るだろう。 子宮の中の羊水に浮かぶ胎児のごとく、ただただゆらゆらとお湯の中に体を解き放っている。 ほどけて、しまいには溶けてしまいそうなほど気持ちがいい。 ぬる湯なので、何時間でも入っていられる。 感心するのは、浴槽に一本も髪の毛が入っていないこと。 本当に、一本も、だ。 どんなに気をつけていても、髪の毛が入ってしまうもの。 それに遭遇すると、私はギャッとなってしまう。 仕方のないことなのだろうけど。 でも、それが皆無なのだ。 ここを利用する皆が、お湯に対して最大限の敬意を払っているというか、お湯をきれいに使おうという気持ちが根底にあって、とても清潔に保たれている気がする。 箱根にも一軒、ものすごく好きな日帰り湯があるけど、そこと匹敵するくらい、今回の温泉もお湯自体が神々しい。 温泉が、神様の化身みたいに感じる。 旧知の担当編集者に教えてもらって初めて泊まった宿だけど、ものすごくいい。 常連さんはまるで、実家に帰ってきたような気軽さでふらりとやって来る。 それを出迎える若女将と大女将のホスピタリティーも最高だ。 高級旅館のようなサービスはないけれど、随所に気が効いていて、必要十分を大いに満たしてくれる。 いい意味で放っておいてもらえるのが、ありがたい。 今夜は、夕食前のビールを我慢して、食事の時の日本酒からスタートしようと思っていたけれど、誘惑に負けた。 図書室の一角に冷蔵庫があって、そこにずらりとお酒やビールが並んでいる。 客はそこから好きな飲み物をとってよく、自分で伝票に書いてチェックアウトの時に精算してもらうシステムだ。 売店で買ったおかきをつまみに、飲み始めている。 幸せだ。 あくまで湯治なので、料理が目当てではないけれど、料理もものすごく美味しい。 そうなんです、そうなんです、私が食べたいのはまさにこれなんです! と大声で叫びたくなるくらい、湯治にドンピシャの料理だ。 おかずも、基本は肉、魚、天ぷら、お刺身とつくが、たくさん食べられない場合は2品まで間引くことができ、その分料金もお安くなる。 私も、2品省いてもらったが、それでも十分な量だった。…

ピーター・イズ・ピーター

急ぎで郵便物を出す必要があり、今しがた最寄りのポストまで夜道を歩いた。 夜なのに、町が明るくてびっくりする。 ポストまで歩いて行ける環境はありがたいけれど(山小屋からだったら、一番近くのポストまでも、多分歩くと30分近くかかってしまう)、あの森の夜の暗さが恋しくなった。 今頃、私の山小屋はどうしているかな? 寒さに負けず、元気にしているかな? 早く会いたくて、うずうずする。 ポストまで行く途中、普通に青信号を渡りかけたら、車が横断歩道に突っ込んできて、そのまま目の前を渡って走り去った。 はぁ? 思わず、中指を突き立てそうになるが、グッと堪えた。 逆恨みされて轢き殺されたら、あまりに無念すぎる。 自分はゆめゆめ、あんなドライバーにはなるまい、と心に誓った。 日本には、横断歩道を渡ろうとしても止まってくれない車が多すぎる。 しかも、今回の場合は、ちゃんと信号を見て渡っているのに。 思い出すと、いまだに腹立たしくて、むかむかする。 数日前の新聞に出ていた、池端慎之助さんの言葉が素晴らしくて、頭から離れない。 「1億人いれば1億通りの人間がいる。私は私。あなたはあなた。『ピーター・イズ・ピーター』」 特に日本にいると、どうしても右や左の人と自分を見較べて判断してしまうけれど、大事なのは、自分は自分の尺度で物事を決めること。 自分が幸福だと思えるなら、人からどう思われようと、関係ない。 今夜のメニューは、これ。 少し前に作ったトマト味のショートパスタを冷凍しておいて、解凍したのち、チーズをかけてオーブンで焼いてグラタン風にした。 今は、こういう、ちょっと気の抜けたご飯が好きだ。 ロングパスタはひとり分を作る気にならないけれど、ショートパスタなら、多めに作って、次の日とかにも持ち越せるので、最近の私は、もっぱらショートパスタのお世話になっている。 午前中、登場人物たちがビールを飲む場面を書いていたら、お風呂からの帰り道、自分もビールが飲みたくなってムラムラした。 でも、家に帰って冷蔵庫を探したら、冷えたビールがなくてがっかり。 代わりに、丹波ワイナリーの泡をあけた。 朝はものすごい寒いけど、きっと春はもうすぐそこまで来ている。 旧正月まで、あと少しだ。

お粥さん

お昼に、お粥を炊いた。 今日は七草粥の日。 ただ、七草は買っていなかったので、白粥を炊き、イクラの醤油漬けやキムチなど、冷蔵庫の残りをおかずにしていただく。 七草粥を食べるのは、旧暦の方が季節的にも合っている気がするので。 お粥さん、時々むしょうに食べたくなる。 お米はほんのちょっとなのに、ちゃんとした量のお粥ができて、経済的だ。 私は、小さいお猪口を使って、そこに白米を入れ、あとはお猪口6杯分の水で炊く。 ふっくら炊き上がると、すごく嬉しい。 真っ白で、雪原みたいだ。 じんわりとお腹に染みて、滋養が広がる。 お粥さんを食べると、心も体もリセットされる。 年末、部屋の掃除をしていて、香合入れの中から小銭が出てきた。 これは、母の唯一の形見だ。 数年前の暮れに、母が入院している病院へお見舞いに行ったら、認知症の症状が出始めていた母が、これで新幹線で帰りなさいと、引き出しにあった小銭をかき集めて私の手に渡したのだ。 香合入れに入っていたのは、500円玉硬貨が2枚と、100円玉硬貨が2枚。 合計1200円。 確か、あと10円玉とか50円玉とかもう少し額はあったのだが、その後に入った母との思い出の喫茶店で、他の小銭は使ってしまったのだ。 これで母と会うのは最期になるだろう、というのがわかったから、あの時は切なくて、喫茶店で号泣した。 年末年始になると、そのことを思い出す。 あれから、何年経ったのかな。 多分、6年。 その時の大晦日の紅白で、宇多田ヒカルさんが『花束を君に』を歌った年として記憶に刻まれているから、調べればすぐにわかる。 昨日は、母の命日だった。 父も母も、個別のお墓ではなく、共同墓に入っている。 私は、その選択が大正解だったと、お墓参りに行くたびに痛感する。 だって、献花で溢れているのだ。 いつも、自分の持ってきた花束をどこに置こうか考えてしまうほど。 そのお墓に眠っている関係者が誰かしら花を供えるので、いつ行っても賑やかなのだ。 今年は、静かでいいお正月だった。 東京だけでなく、全国的に見ても晴れ続きで、気持ちがいい。 今日も、夕方温泉へ。 だいぶ、日が長くなったような。 夕方5時を過ぎても、まだ空がぼんやりと明るかった。 季節は着実に、春に向かって進んでいる。 帰りに、大きな満月と遭遇した。 あけまして、おめでとうございます。 2023年が、皆様にとって、平和で、笑顔の絶えない年となりますように! 今年も、どうぞよろしくお願いします。 明日は、岐阜へ参ります。

遺言書

朝起きて新聞を読み、今日は土曜日なので仕事はせず、そのままおせちの準備に取りかかった。 自分の中では全く年末の感覚がないのだが、世間的に今日は大晦日。 2022年のカレンダーも、今日で仕事納め。 今年は、五色なますは省略し、黒豆と伊達巻、ごまめくらいをちょこちょこと準備する。 おせちは、泣きべそをかいてまでやりたくないので、自分が楽しく作れる範囲内で。 大晦日が土曜日で、元日が日曜日だから、ちょうどよく週末と重なった。 というわけで、2日からは通常モードに入る予定だ。 だからあんまり、お正月気分を盛り上げたくない。 ささっと通り雨みたいに過ぎ去ってほしい。 お昼に年越しそばを食べ(ゆりねにも数本お そばをあげた)、あとはせっせとお掃除に励む。 大掃除は必要ないけど、ふだんあまり気が回らない額縁の裏側とかスピーカーの上などを念入りに清める。 ゆりねのお年玉用に、ビスケットも焼いた。 シーツと枕カバーをきれいなのに取り替え、洗濯物を干し、台所の床を水拭きして、とやることは尽きない。 家仕事がひと段落したら、今年最後のゆりねと散歩。 やっぱり、ゆりねの大好きな川沿いの公園へ連れて行かれた。 桜の枝先に、小さな蕾が膨らんでいる。 今年を振り返ると、自分としてはなかなかチャレンジングな一年だった。 2年越しで計画を進めてきた山小屋が完成して、人生初の森暮らしを始めた。 一生付き合えたらいいな、と思える女友達にも3人出会えたし、こちらに関しては実り多き年だった。 寄付も、まぁまぁまとまった額ができたので、自分としては満足している。 あとはこの先も、それを継続していけるように、自分に何ができるのかを模索しなくてはいけない。 とは言え、地球規模で見れば、とても21世紀とは思えないような現実が、あちこちで起きている。 空からミサイルが飛んできたり、侵略してきた国の兵士が女性をレイプしたり略奪したり。 髪の毛を布で覆っていなかっただけで咎められ、命を落とし、そのことに反対するデモに参加しただけで、死刑になる。 女性だからというだけで、学校に行けない。 時代は全然進歩なんかしていなくて、むしろ後退しているように感じてしまう。 一体、2年後、3年後のこの星はどうなってしまっているのだろう。 ここ数年の習慣として、毎年大晦日に遺言書をまとめている。 もし明日人生が終わっても、悔いが残らないように。 自分の持ち物を整理し、有効に使ってほしいから。 私が読者の方から頂いたものは、また社会に還元して、少しでも気持ちの良い世の中になってほしいと思う。 遺言書をまとめるたびに、向田邦子さんのエピソードを思い出す。 残されていた遺言書の内容が、実際の所有よりも多く書かれていたというのだ。 見栄ではなくて、きっと丼勘定だったのだろう。 豪傑な向田さんらしくて、笑ってしまう。 先日、『大人のおしゃれ手帖』という雑誌のインタビューで、来年の目標を質問された。 毎年、大それた目標を掲げることはせず、ただ淡々と流れに身を任せている、ということをお話しした上で、私が挙げたのは、 「庭仕事に励む」「社会貢献を実現する」「気内臓を学ぶ」 の3つ。 来年だけの目標というより、どれも50代全体を通して長い時間をかけて挑む目標だ。…

雪の結晶

クリスマスは山小屋で過ごした。 文字通り、ホワイトクリスマス。 森は一面雪に覆われて、白い世界が広がっている。 雪道を歩くのにアイゼンがいいと達人から聞いていたので、早速アイゼンを装着して雪道を歩く。 最高だ。 アイゼンの爪がギュッと路面に刺さるので、ツルツルの氷の道だってなんのその。安心して闊歩できる。 久しぶりに、雪道を歩く感触を味わった。 冬の晴天率が日本一と聞いても、実は半信半疑だった。 でも、実際に行って連日の底抜けの青空を見て納得する。 夏の方がよっぽど雨が降って暗かった。 最低気温はマイナス10度くらいだけど、太陽が出るので、それほどの寒さを感じない。 長野というと豪雪地帯のイメージだが、日本海側は大雪になっても、雪雲はアルプスを超えられないので、八ヶ岳の辺りは、それほどの大雪にはならないらしい。 降っても、すぐにお日様のパワーで溶けてしまう。 雪道運転も、問題なかった。 とにかく、皆が口を揃えて言うように、スピードさえ出さなければ氷の上でも大丈夫。 もちろん、油断は禁物だけど。 下り坂では、ブレーキを踏まず、エンジンブレーキと自然に下りていく力だけを使って前に進む。 雪道運転は、なかなか楽しめた。 基本的にパウダースノーなので、降ったばかりの雪原を走るのは気持ちいい。 しかも、空は完璧な青空だし。 心配していた雪よりも、むしろ怖かったのは風の方。 これが噂の八ヶ岳おろしか、とすぐにピンときた。 荒れ狂うように風が吹きつけるのだ。 そのせいで、薪ストーブを焚いても、煙突から風が入って煙が逆流してしまう。 これには、参った。 煙くて、寝ている間に燻製になってしまう。 色々なことを、ひとつひとつ、自分の体でマスターしていかなければならない。 常にストーブで燃える薪のことを考えていなくてはいけないし、薪棚から薪を運んだり、山小屋に入るのにスコップで除雪したり、大雪が降れば気軽に買い物にも行けないし、もちろん寒いし、たいへんなことは山ほどあって、やることもいっぱいあって忙しいのだけど、でも、達人たちが口を揃えておっしゃるように、冬がいい、という言葉に深く深く納得した。 夏はもちろんクーラーがいらない涼しさで気持ちいいのだけど、でも山小屋の醍醐味は冬だと確信した。 今年は、車のことも含めて、森暮らしのお試しというか様子見の要素が強かったけど、来年からはいよいよ本格始動だ。 今、自分の生活力でどのくらいいられるのかを見極めているところだけど、来年はもっと長く冬を味わいたいと思う。 それにしても、車選びは難しい。 この夏いろんな車を試して、PHV(コンセントに差し込んで自分で充電できる)タイプの車がいいという結論に達したけど、現状であるものは、最低車高が低かったり、私が乗るにはちょっと大きかったりする。 どのタイプが本当に環境に良いのかも、わからない。 できれば、クリーンディーゼルとPHVのハイブリットがいいのだが、ない。 最初は100%電気で走る車にしようと思っていたけど、極寒冷地では充電してもすぐに電気がなくなってしまうと聞き、その選択は無くなった。 電気自動車が普及すれば、当然、原発の問題が出てくる。 一概に、何が環境に、地球に優しいのか、正直、わからなくなってしまった。 PHVで、電気だけでもっと距離が走れて、国産のコンパクトカーが理想なのだけど、帯に短し、たすきに長しで、どうしても自分にぴったりな車が探せない。 いっそのこと環境のことは無視して軽トラはどうかとか、もうそんなんなら馬に乗って移動してしまえないだろうか、とか、迷宮に迷い込んでしまった。…

今夜はジビエ

空を飛ぶ夢を見た。 椅子ごとフワーッと宙に浮いて、そのまま空中遊泳した。 椅子は、いつも山小屋のある森の外に置いてある黄色い椅子。 飛んでいるのは、どこかの都市の上空で、ビルなどの街並みを鳥の目で眺めている。 ものすごく気持ちよかったのだけど、途中から天候が荒れて、恐怖を感じるようになった。 それで、ガソリンスタンドの屋上に不時着した。 ガソリンスタンドで働く若い女性が、屋上まで私を迎えに来てくれた。 そこで気がついて、夢の中での空中遊泳は終了。 大体の夢は目覚めた瞬間忘れてしまうのに、なぜかこの夢だけは強く印象に残っている。 なんとも不思議な感覚の夢だった。 ちょっと前に起きた鹿の脚事件のことを森暮らしの先輩に報告したら、森で生きていくと決めた以上、そんなことでビビってはいけませんよ、と叱咤激励を頂戴した。 曰く、それは私への、森の動物たちからの最大限の歓迎のしるしではないかと。 さすが、大先輩だ。 猫が、主人のところにとった獲物を持っていくように、何者かの野生動物が、鹿脚を私のところに献上してくれたという解釈である。 あー、なるほど。 更に、ヨーロッパのご婦人は、自分が車で轢き殺してしまったキジを、なんのためらいもなく運び、台所へ持って行って料理するでしょう、と続く。 それくらいの覚悟がなければ、森では生きていけませんよ、とのことだった。 たかだか鹿の脚が一本木の枝にささっていたくらいでジタバタ騒いだ自分が、恥ずかしくなる。 次回、同じ光景に出くわしたら、「やった〜、今夜はジビエにしよう! 鹿の腱でシチュウでも作ろう!」と喜べるくらいタフになれるよう、日々、メンタル面を鍛えなくちゃ、だ。 がんばれ、私! 先日、2年前に書いた日記のゲラを読み返した。 来年文庫になる分のゲラなので、どうしても仕事として読まなくてはいけなかったのだけど、読むのに勇気がいるというか、なかなか読む気になれなくて、珍しくギリギリまで保留にして、ようやく重い腰を上げて読んだ感じだった。 個人的にも世の中的にも気流が乱れて、当たり前の日常を失って相当混乱していたと思うし、そんな自分を振り返るのが、しんどかった。 でも、読んでみたら、そんな中でも必死に踏ん張っている自分に再会できて、逆に勇気をもらったというか、励まされたような気分になった。 自分の周りで台風が起きている時は、目の中心まで行ってしまえばいい、そうすれば意外と風の影響を受けず静かに過ごせる、と思ってはいたけれど、当時の自分を振り返ると、まさにそんな感じだったのかもしれない。 車の免許を取るため初めて教習所内でハンドルを握った時は、本当に時速10キロのスピードでも恐怖を感じている自分がいた。 あの時は、免許なんか取って車を運転するのは絶対に無理!と思っていた。 そのことを車の運転をする友人に話すと、みんなが口を揃えて、慣れるから大丈夫!と言ってくれたが、当時はそんな言葉を信じる気になどなれなかった。 でも、あれから2年経って、確かにその通りだ、と納得している。 もし、かつての自分と同じように時速10キロでもビビっている人がいたら、私も、そんなの慣れるから大丈夫だよ〜、と励ますに違いない。 歳を重ねるにつれ、年々、一年があっという間に過ぎる印象だけど、でもこの2年で、随分と心境も環境も変わっている。 ゲラを読み終わると、頭の中には、中島みゆきさんの『時代』という曲が流れていた。 もう、森はすっかり雪に覆われている、らしい。 早く雪景色が見たくてうずうずする。

がくぶち

里暮らし、再開。 山小屋と較べて、部屋の外は暖かいように感じるけれど、部屋の中は逆に寒いように感じる。 先日、ある地方自治体に寄付をした。 子ども食堂の運営資金に使う、とあったので。 日本という、世界から見たら経済的には恵まれているとされる国に生まれて、それでも明日食べるものにも困っている人たちがいるという現実に胸が痛くなる。 ある所では、食べ物が消費しきれずに廃棄されているというのに。 選挙で一票を投じ、自分の理想とする政党が与党となり、社会が変わる、というのを夢見ていたら、きっと命は尽きるだろう。 というのが、最近の正直な気持ちだったりする。 だったら、なるべく有効にお金を使ってもらえるように、自分で使い道を選んで、寄付をした方が気分がいい。 そんなことを思ってその地方自治体に寄付をしたのだが、後日、額縁が届いた。 大きな段ボールが届き、何? と思ったら、品名に「がくぶち」とある。 送り主は、寄付をした地方自治体のふるさと創生課。 額縁には、ご丁寧に市長からの感謝状が入っていた。 いらない。 心の底の底の底の底から、本当に嘘偽りなく、いらない。 受領証だけで結構だ。 額縁がいくらするのか知らないけれど、こんなことにお金をかけるんだったら、一食分でも、お腹を空かせて困っている人にお弁当なりおにぎりなりを届けて欲しいと切実に思った。 もちろん、感謝状をもらって、喜ぶ人もいるのかもしれないけれど。 なんだかこれって、私からするとものすごく無駄な気がした。 額縁より、食料を優先して欲しかった。 お気持ちだけで、十分。 いただいても飾らないし、ただ無駄になるだけなので、その旨をその自治体の担当者に電話で伝えたら、不要でしたら処分してください、と言われた。 けれど、それはそれで面倒だし、第一額縁がもったいないので、失礼を承知で、送り主に返送させていただいた。 額縁だけでも、再利用してほしいと思ったので。 ドイツで感心したことのひとつは、寄付文化が根付いていることだった。 ドイツは、犬や猫などの殺処分がゼロだが、それは各地にティアハイムという、動物の保護施設があって、そこが受け皿になっているから。 ティアハイムは民間で、寄付によって運営されている。 私も一度、ベルリン郊外のティアハイムを見学に行ったけれど、そこはものすごく設備が充実していて、たとえ新たな飼い主に巡り合えない動物たちも、愛情に恵まれた環境で生涯を終えることが約束されている。 自分では飼えないけれど、その犬や猫のサポーターになりたいという場合は、その子の月々の餌代をサポートしたりと、そういう小さなことからでも貢献できることが素晴らしいと思った。 税金も、納得できる使われ方をしているのであれば喜んで払う。 でも、まだ評価の定まらない一政治家の国葬に使ったり、軽率な言動を繰り返す政治家の高額な給料になったり、なんだかなぁ、とため息の出ることばかりなのだ。 もっとこっちにお金を使ってほしいのに、そっちに使って、結果、無駄になったり。 そういう様子を見聞きするたびに、それは血税なんですけど! と言いたくなる。 血税なのだから、一円だって無駄にせず、有効に使ってほしい。 あなたに差し上げたわけではなく、あなたに託して預けただけだということを忘れないでいてほしい。 話は変わるが、サッカーの日本代表が、快挙を遂げている。 私は、三試合とも見ていない。 私が見ない方が勝ちそうなので、次も見ないでおこうと思う。 ただ、心の中で、密かに声援を送っている。 がくぶちを送り返す私も、サッカーW杯のパブリックビューイングを拒否するドイツ国民も、意固地だと言われれば確かにそうなのかもしれない。…

ムッティ

夕方、お風呂から戻ると、薪ストーブに火を入れる。 当初は、朝から入れていたのだが、朝から点けると、じーっと炎に見入ってしまい、それだけで時間が流れてしまうので、朝は軽く床暖房をつけて、薪ストーブの炎を見るのは日が暮れてからのお楽しみになった。 今は、夕方の5時にはもう暗くなるので、そこからは夜時間。 ちびりちびりと赤ワインをやりながら、薪ストーブとおしゃべりする。 薪ストーブは、寒くて早く火を点けたい時に限って、駄々をこねる。 なかなか思い通りに火が育たず、最悪の場合、一度火が盛り上がっても、鎮火してしまう。 そうなると、もう一回やり直しだ。 着火剤とかが、無駄になってしまう。 なんだかかんだと手を焼き、こまめに面倒を見ていると、薪ストーブはご機嫌になって、気前よく炎を上げる。 特に、昼間のうちに中の灰をきれいにし、焚き火をするごとく諸々を仕込んでおくと、自分に向けられた愛情を感じるのか、気持ちよく炎が誕生する。 まるで人格や感情を持っているようで、こうなったら薪ストーブに何か名前をつけてあげたい、と思うようになった。 それで思いついたのが、「ムッティ」。 ドイツ語の、お母さんという意味だ。 親しみを込めて、メルケルさんも国民からそう呼ばれていた。 ムッティは、暖かさと光、両方を惜しみなく与えてくれる。 ムッティに点火する時は、着火剤として、松ぼっくりや新聞紙などを使う。 私には、俄然松ぼっくりが貴重品になった。 ゆりねを連れて散歩をする湖の湖畔や、日帰り温泉の駐車場など、松ぼっくりを見つけたら、反射的に拾ってしまう。 某大学の研究所の敷地内で、ものすごく大きい松ぼっくりも発見した。 パイナップルみたいな細長い感じで、これがものすごくよく燃える。 胡桃の殻も油分が多くて燃えるので、いい着火剤になる。 木が火になり、火が土になり、土が金になり、金が水になり、水が木になる。 薪ストーブを使うようになってから、五行説をなるほどと肌で理解できるようになった。 ムッティがいてくれるおかげで、寒さはそれほど気にならない。 おそらく、体がどんどん寒さに強くなっているというのもあるだろう。 山小屋には断熱材もしっかり入っているし、今のところまだ、防寒着も、レベル2くらいで済んでいる。 ダウンや毛糸の帽子、手袋も、ほとんど必要ない。 夕飯は、ムッティの前に陣取って、中の様子を見ながら食べることが多くなった。 ムッティにはオーブンもついているので、そこで野菜にじんわり熱を加えたり、パンを温めたり、りんごを焼いたりすることもできる。 ムッティの熱と赤ワインで体がほかほかしてきたら、外に出て星を見る。 夏の間はそれほどありがたみを感じていなかったモミなど常緑の針葉樹が、冬になったらものすごく逞しい存在に見えてきた。 すっかり葉っぱを落とした落葉樹の森で、針葉樹だけは、寒さに耐え、堂々と緑色の葉っぱを広げている。 その姿に、希望を感じる。 これからしばらく、またムッティに会えなくなるのが、寂しい。

長野県八つ墓村

どんなに寒くても、一日に一回は森に出て、コーヒーを飲んだり、鳥を観察したりしたいと思っている。 たいてい、それをするのは、食後。 朝昼ごはんを食べて、コーヒーを淹れたら、それを持って森へ。 今日も、カレー蕎麦を食べてから、マグカップを手に、いそいそと森の庭へ出た。 カラ松の切り株に腰掛けて、ホッと一息。 それから、マグカップを片手に、森を散策する。 と、少々異質な光景が視界に入った。 なんじゃあれは? 場所は、大きなもみの木の下。 最初は、枝だと思ったのだ。 でも、幹から枝のように突き刺さっている先にあるのは、ひ、ひ、ひ、ひ、ひづめだった。 ひづめ!?! 何????? 頭が混乱し、見間違いかもしれないしと、一度方向転換し、心を落ち着かせる。 自分のよくある錯覚であることを願いながら、再度、もみの木の下へ。 やっぱり、枝ではなくて、明らかに獣の足である。 そういえば、数日前、この辺りに3本脚の鹿がいるらしいと聞いていた。 その鹿の、脚だろうか? でも一体、なぜこんな場所に突き刺さっている? 誰が?? 最初に脳裏をよぎったのは、「呪い」の文字。 清々しい冬の森が、一瞬にして、八つ墓村になった。 ここが本当に八つ墓村なら、私はもうこの場所には住めない、と絶望する。 怖くて、想像するだけで恐ろしくなる。 そして次に考えたのは、鹿が幹に脚を引っ掛けたものの、脚が枝と枝の間に挟まって抜けなくなり、その脚がもげてしまった説。 でも、そうしたら鹿は騒ぐはず。 でも、ここ数日、鹿の悲鳴のようなものは聞いていないしなぁ。 もう、絵的には、本当にシュールとしか言いようがない。 だって、もみの木の幹から、ニョキッと鹿の脚が突き出ているのだ。 写真を撮れば、百聞は一見にしかずで、すぐに理解してもらえると思ったのだが、私にそんな勇気はなかった。 人間でいう肘から上の部分の肉は削げ落ち、肘から下はそのまま蹄まで残されている。 どうしよう、どうしよう。 挙動不審になりそうだった自分をなんとか落ち着かせ、然るべきところに電話をし、回収をお願いした。 自分でなんとかしろと言われたら、泣いていたかもしれない。 どうやら、珍しいことではないらしい。 罠にかかって取れてしまった脚などを狐などが見つけると、それを運び、ぶん投げて枝にかけたりするらしいのだ。 それを聞き、私は人による「呪い」でなかったことに、本当に本当に安堵した。 森では、予想もつかないことが、日々起こる。 そのたびに私は右往左往して、ほんの少し、自然を知ったような気持ちになる。 ここが、長野県八つ墓村でなかっただけで、今夜はぐっすり眠れそう。

月の満ち欠け

毎晩、布団に入って電気を消してから、あれ? 外の電気消し忘れたかな、と思う。 でも、確かに全部消している。 そっか、木々の葉っぱが落ちたから、夏よりも月の光をまぶしく感じるのだ。 特にここ数日は、上弦の月で外がほんのり明るく見える。 今夜は、皆既月食。 温泉から戻ったら、蝋燭を灯して、お月見をする。 せっかくなので、シードルを開けた。 音楽は、大音量でオペラをかける。 しばらくすると、まん丸だったお月さまが、徐々に左斜め下の方から欠け始めた。 半分くらい隠れたところで、外に出る。 まだ7時前なのに、真夜中の暗さで、星がいっぱいいっぱい輝いていた。 あんまり山小屋から離れるのは不安なので、道の途中で空を見上げる。 気温はほぼ0度。 でも、空気が冷たく乾燥していて、気持ちいい。 そう、これこれ。 私にとっての冬の空気は、まさにこんな感じが理想的だと思う。 小屋の近くまで戻って、しばらくじっと見ていたら、どこからか、ザク、ザク、と獣の足音がする。 おそらく鹿だろう。 鹿はたいてい集団で活動しているけれど、よく、オスの一匹鹿がこの辺りを単独で行動しているので。 向こうも何かを察したのか、動きを止めて様子をうかがっている。 こんなにじっくりと月の動きを観察したのは、生まれて初めてかもしれない。 今、お月さまは薄い黒のベールで覆われている。

日曜日のお味噌

朝起きたら、霜が下りていた。 初霜かもしれない。 季節は迷わず、冬へ一直線だ。 今朝も朝焼けが神々しいほどに美しかった。 そろそろ山小屋の味噌壺のお味噌がなくなるので、満を持して味噌を仕込む。 国内、海外問わず、いくつかの場所で味噌を作ってきたけれど、そこで味噌を仕込むと、その場所が自分の居場所になった気がする。 今日は日曜日で、快晴で、味噌作りにはもってこいの空。 絶対に、雨の日で、しかも悲しかったり苦しかったりする時は、味噌作りをしてはいけない。 祖母からの教えとかではなく、これは私が自らの経験で学んだこと。 そういう負の感情は、波動となって必ずや味噌に伝わると、私自身は信じている。 だから、味噌を仕込むのは、朗らかな、明るい気分の時に。 できれば、音楽も麹がご機嫌で発酵しそうなものを選びたい。 生の麹は、長野県を代表するスーパー、ツルヤさんで入手した。 味噌の本場にいるのだから、わざわざ自分で手作りしなくてもいい気もするけれど、まぁ、味噌作りは趣味なので、つい、やりたくなってしまう。 大豆は、適当に道の駅で買ったもの。 食材は、なるべく身近で手に入るもので賄いたいと思っている。 新聞を読み、90分のヨガをして、いざ味噌作りを始める。 大豆は、一昨日から薪ストーブの上に置いたりして、少しずつ火を通してきた。 茹で上がった大豆をブレンダーで攪拌するのだが、どうもブレンダーの馬力が足りない。 私が20年以上前に買ったブレンダーの方が、よっぽど力強く攪拌する。 今使っているのは新しいのだけど、すぐに止まってしまうので、何度も作業を中断した。 根負けして、今日の味噌は大豆の形が結構粒のまま残っている。 あとは、塩と合わせた生麹を混ぜ、それをせっせとおにぎりみたいに握っていく。 これを小分けして保存袋に詰め、空気を極力抜いて、完成を待つ。 私はあと2週間ちょっとで山をおりる計画だけど、今回の味噌たちは、山小屋でお留守番だ。 気温が低くなるからカビの心配は少ないものの、それでも無事に発酵が進んでおいしい手前味噌に成長してくれるのを祈るのみ。 味噌作りがひと段落したら、ゆりねを連れて温泉へ。 あー、気持ちいい。 極楽だ。 気温が下がったので、ゆりねも車の後部座席で待っていられるようになった。 温泉からの帰り、また鹿の集団に遭遇した。 10頭くらいがまとまって、せっせと草を食んでいる。 オスの鹿は毛が黒っぽくなり、立派な角を生やしている。 体格も一回りほど大きくなったようで、最初見た時はカモシカかと思った。 あんなのに向かってこられたら、太刀打ちできない。 オス鹿の角は、毎年生え変わるらしい。 まるで、落葉樹のよう。 形も、木の枝そっくりだ。 森にいる間にやらなくてはいけないことと、やりたいことが山ほどある。 冬の足音に急かされている。

光り輝く

3年前の今頃、私は毎朝、ベルリンのアパートの出窓に座って、東の空を見つめていた。 朝陽があまりにきれいで、その姿を1秒たりとも見逃したくなくて、太陽が出るのを待ち伏せていた。 ベッドから出る時はまだ真っ暗で、前の通りを走るトラムには、ほとんど人が乗っていなかった。 けれど、ひとたびお日様が顔を出すと、空が見事な茜色に染まり、それはそれは美しかった。 その光を目にするだけで、なんだか勇気づけられた。 ちょうど、人生の岐路に立って、大きな決断をするところだった。 数日前、山小屋に来た。 季節はジャンプするように初冬になっていて、この間の空とは明らかに違う色をしている。 一枚、また一枚と梢からは葉っぱが落ち、あんなにわさわさと茂っていた木の葉が、姿を変え、ものの見事に地面に広がっている。 枝は、すっかり裸木になった。 朝、必ず外に出て、森に向かって手を合わせるのだけど、その時にチラリと見る温度計は、氷点下をさしている。 でも、空気が乾燥していて、空はどこまでも澄み渡って清々しい。 この景色、確かに知っているぞ、と思って記憶を辿ったら、簡単にベルリンの冬の空に行き着いた。 3年前、待ち伏せていたあの朝焼けと、全く同じ色が広がっている。 あの時すがるような思いで拝んでいたのと、おんなじ太陽だという当たり前の事実に、ハッとした。 3年前のあの頃、まさか自分が山小屋で暮らしているなんて、全く想像すらしていなかった。 人生って、本当に何があるかわからないなぁ。 冬は寒くなるけれど、その分、空がきれいだ。 森の緑は減ったけれど、その分、視界が開けた。 山小屋の2階の窓から、今まで見えなかった八ヶ岳の姿が見える。 更に、夜になると満天に広がる星が見られるようになった。 何事も、そういう仕組みなのかもしれない。 失った物があれば、新たに手に入るものがある。 星は、まさに光り輝く。 太陽も、光り輝く。 あの美しい朝焼けの空に再会し、それだけでご機嫌になれる自分がいる。

初雪の朝

昨日の夜から雪が舞い始め、朝、森の落ち葉に初雪が積もっていた。 久しぶりに味わう初雪の朝。 懐かしい。 子どもの頃、この日がものすごく楽しみだった。 昨日東京から森に戻って、いきなりの雪でびっくりだ。 スタッドレスタイヤにしておいてよかった。 それにしても、まだ10月なのに。 もしかすると、この冬もまた、雪が多くて寒いのかもしれない。 雪景色は、ものすごく美しい。 前回山小屋を去る数週間前、まだ木の枝に残っていた葉っぱ達が、潔く地面に落ちている。 その上に、真っ白な雪がふんわりと覆い重なって、この景色を自分だけの目で楽しむのは、申し訳ないようなもったいないような。 雪景色を、心ゆくまで堪能した。 気温は0度ほどで寒いはずなのだけど、それよりも初雪が降ったことに興奮してしまい、寒さはあまり感じなかった。 朝から薪ストーブを本格的に稼働させ、さっそく、薪棚から薪を運んだりと、やることがたくさんある。 これから、もっともっと仕事は増えるはず。 でも、本来の人間の体の動かし方に戻ったようで、なぜか悲壮感はない。 むしろ、楽しい。 夕方、温泉から帰ってきたら、うっすら雪化粧をした山に夕陽が当たり、それはそれは美しかった。 ふだんそういうことは滅多にしないのだけど、車を停めて、写真を撮る。 一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなった。 この姿に出会えただけでも、今回、森に帰った甲斐があったと思う。 それにしても、森の庭に植えていた植物は、無花果も藍も、見事に鹿に食べられている。 食べられずに残っているのは、ミントやローズマリーなど、香りの強いハーブだけ。 やっぱり来年は、本腰を入れて鹿対策をこうじなくては。 ゆりねは、野生動物の匂いがするのか、相変わらず散歩に出ても、すぐに山小屋に引き返そうとする。 また、これまで以上に静かな森暮らしが始まった。

人間ぬか漬け

ようやく里の暮らしに慣れてきた。 耳をすませば、ちゃんと鳥の声が聞こえてくる。 猫の額ほどのちっちゃなちっちゃな植木鉢に種を植え、成長を見守り、花を咲かせる都会人の姿は、健気で愛おしいと感じる。 都市というのは、本当に人間が生活しやすいように作られている。 森時間との時差ぼけを解消してくれたのは、酵素風呂だった。 いつも自転車で前を通っていて、前を通るたびに、今度行ってみようと思いながら何年も時が過ぎていた。 でも先週、行かねば、というか、今私が行くべきはここなのだ、という強い確信があって扉を開けた。 100%米糠だけを使った、糠の発酵熱だけによる民間療法。 人生で2度目だった。 おそらく、深刻な病を得た人が、わらをもすがる思いで、ここにたどり着くのだろう。 糠のベッドに裸で横になり、上からたっぷり糠をかけてもらう。 体の芯から温まり、15分もそうしていると、じんわり、汗をかく。 体に溜まっていた疲労の成分が、まるで毛穴の汚れを剥がれ落とすみたいに、ごっそりと抜けた。 恐るべし、人間ぬか漬け。 最高に気持ちよかった。 帰り際、店主の女性に、大変なお仕事ですね、と声をかけると、 「でも糠のおかげで私も病気を治してもらったから」 と明るい声が返ってきた。 きっと、天職なんだろうな。 太陽みたいな女性だった。 森にいる間は、一回だけスウェーデン式のマッサージを受けた。 東京にいる時は、2週間に1回くらいの割合で、なんらかの体のメンテナンスをしてもらっている。 だから、定期的に体のケアができない状態というのが、少々不安だった。 でも、結果的には大丈夫だった。 昨日、久しぶりにいつもみてもらっているカイロの先生のところに行ったら、体がとてもいい状態だという。 普段はカチカチになっている肩も凝っていないし、内臓も特に弱っているところはないとのこと。 暮らし的には森の方がずっとハードなのだけど、都会特有のストレスがない分、体への負担は軽いのかもしれない。 体は正直に反応する。 山小屋は、私がいなくなって寂しがっていないだろうか。 なんとなく、寡黙だけれど手のかかる大きなペットを、森に残してきているような気分だ。 もう、最低気温は0度近い。 晩秋から初冬へと、季節は確実に進んでいる。 来週には森に帰るので、葉っぱを落とすのを、もう少しだけ我慢してほしい。

キンモクセイと虫の声

里におりてきた。 背中にゆりねを背負って最寄駅に降り立ち、真っ先に鼻に飛び込んできたのがキンモクセイの香りだった。 森では絶対にない香りなので、もううるさいくらいに、あちこちから私を目がけて流れてくる。 キンモクセイの香りを吸って、季節が一気に進んでいるのを実感した。 同じく、夜の虫の声にも圧倒されて、しばし言葉を失った。 どうやら、八ヶ岳と東京では、時差があるらしい。 いや、実際にはないのだけど、週末はずっと時差ぼけのようなものに苦しめられていた。 頭がぼーっとする。 眠くて眠くて、体が重く、なんだか、水の中を漂っているようなのだ。 まるで、長く滞在した海外から戻ってきた時のような感覚で、この擬似的な時差ぼけに戸惑っている。 モンゴルから戻ってきた時も、こんな感じだったかもしれない。 山小屋にいらしたお客さんが、皆さん、森の静けさに息を飲んでいらしたけど、確かに、都会にいると、いろんな音が絶えずどこかから聞こえてくる。 そのほとんど全てが、ヘリコプターだったり空調だったりと、人工的な音だ。 鳥の囀りは、滅多に聞こえてこない。 もう、森が恋しい。 だけど、客観的に見て、あの深い森で、山小屋でひとりで過ごすには、相当な精神力がいるかもしれない。 夜は、体ごとごっそりえぐられそうな深い闇に包まれる。 あの真っ暗な世界で孤独に耐えるというのは、都会生活に慣れてしまうと、なかなか難しいだろう。 ぴーちゃんをはじめ、女性では何人か、あの山小屋でもやっていけるだろう、という人がいるけれど、男性では、正直なところ思いつかない。 もし、ここで一晩ひとりで過ごしなさい、と言われたら、おそらく、暗闇と孤独に絶えられなくなって里に降り、人の気配のする駐車場にでも車を停めて、一晩、ラジオでも聴きながら車で夜を明かすのではないだろうか。 最初の頃は、私も夜が怖かった。 でも、だんだん慣れた。 今は、あの夜のしじまが懐かしく感じる。 早く、森に帰りたい。

森の民同盟

快晴。 朝から青空が広がっている。 先日入手した鳥の餌箱にひまわりの種を入れ、森の一角に吊るしてみた。 しばらくすると、鳥たちが方々から集まってくる。 仲間を集めるように鳴き、代わりばんこで餌台にやってきては、ひまわりの種をついばんでいく。 かわいい。 朝からうんと幸せな気分を味わった。 今週末、東京に一時帰宅(?)するため、仮の小屋じまいに追われている。 薪棚を作ったり、敷地内にできてしまった水路の流れを変えるための土木作業をしたり、来年の鹿対策に向けてミントを植えたりと、やることはきりがない。 短い夏が終わり、一日のうちで、人に会うより鹿に遭遇する数の方が俄然多くなった。 昼間はいいけれど、夜はたまに人恋しくなる。 そんな時は、『フォンターネ 山小屋の生活』を読んで、孤独を紛らわせた。 著者は、イタリアの作家、パオロ・コニェッティ。 彼には、『帰れない山』という代表作があり、私の本棚にもそれはあるけれど、実はまだ読んでいない。 『フォンターネ 山小屋の生活』は、ただただタイトルに入っている「山小屋」という言葉につられて買ったもので、『帰れない山』と同じ人の作品だというのも、後から知ったくらいだ。 『フォンターネ 山小屋の生活』は、まるで他人事とは思えないくらい共感できることがたくさんあり、私はなんだか知り合いの森仲間の文章を読んでいるような気持ちになった。 彼は、小説が書けなくなり、行き詰まった末に山小屋に籠った。 自分が森で暮らすようになって、その人が住んでいる場所の標高を初めて気にするようになったのだが、彼の山小屋は標高1800メートルのところにある。 私は、自分よりも高い標高のところに暮らす人に、初めて会った。 実際に会った訳ではないのだけど、まるで会った気分になって読み進めた。 孤独を味わっているのは自分だけではないのだと、彼の文章を読みながら、何度もそう感じて自分を勇気づけていた。 いくつもの山小屋「あるある」に微笑ましい気持ちにすらなったけれど、中でも、夜中に寝ていて物音がして、聴覚だけがぐんぐん研ぎ澄まされ、想像が果てしなく広がる経験は、まさに私も全く同じ時間を過ごしたことがあるので、彼の気持ちが痛いほどわかった。 実際は、なんのことはない、ただ木の実が屋根に落ちただけだったりするのが、夜中にいきなり物音がすると、その音の元を巡って、想像力が膨らんで止まらなくなってしまう。 稲妻だって、都会ではそれほど恐怖を感じないが、山で見るととてもつもなく神秘的な光に感じる。 山の民、森の民、海の民、川の民、町の民。 住む場所によって、いろんな「民」がいるが、私も彼も、間違いなく「森の民」だと感じた。 そして、この本にも名前が出てくるが、やっぱり森の民のリーダーは、ソローなんじゃないかと思う。 ヘンリー・ソロー。 『森の生活』は、森の民にとってのバイブル的存在だ。 最近、森暮らしを指南してくれるご近所さんができた。 実は薪棚も土木作業も、そのご近所さんのおかげでできたもの。 私はただ、横でぼーっと見ていただけで、まだまだ、森暮らしのスキルがない。 これからは、森の達人とでも呼ぼうか。 達人から、森の民として生きるための多くの知恵を学ばせていただきたいと思っている。 それにしても、去りがたい。 来月、用事を入れてしまったのでどうしても東京に戻らなくてはいけないのが、ただただ切ない。 これから森は、紅葉の季節を迎える。 また一ヶ月もせず森に戻ってくる予定だけれど、そのダイナミックな変化をこの目で見届けられないことが、悔しい。 おそらく、来月私がまた森に戻る頃には、落葉樹は葉を潔く落とし、今とは全く違う風景が広がっているのだろう。 本当に、一瞬のうちに過ぎた夏だった。

長野と山梨

山小屋の住所は長野県だけど、隣の町は山梨県で、日常的に、長野と山梨を行ったり来たりしている。 カーナビを使っていると、「長野県に入りました」とか、「山梨県に入りました」と毎回教えてくれるのだが、不思議と、「長野県に入りました」を聞くとホッとする。 ずっと、村人になりたいなぁ、と思っていたんだけど、今の住所は、まさに「村」なので、それが嬉しい。 ものすごく近いのだけど、長野と山梨では、違うのだ。 まず、農産物。 野菜が充実しているのは長野だし、山梨は果物王国という印象が強い。 長野から山梨に入った途端、桃とか葡萄とかののぼりが目立つようになる。 何となく洒落ているのは山梨で、ギャラリーやカフェなど、素敵なお店がたくさんある。 一方、長野は自然が本当に豊かだ。 私は、どっちも好きだなぁ。 それぞれに、良さがある。 そんなことを日々感じて暮らしていたら、昨日お世話になったマッサージ師さんが、興味深い話を教えてくれた。 雪道について尋ねたところ、「雪の日に山梨方面へ行く時は、注意してくださいね」とのこと。 どうやら、長野と山梨では、雪に対しての対処が異なるらしい。 長野の方が、迅速に、かつ丁寧に除雪してくれるという。 同じ国道を走っていて、山梨に入った途端、雪かきの初動が遅れるし、やり方も甘くなると。 そっか、県境を跨ぐというのは、そういうこともあるのだな、と深く納得した。 さすがに、真冬をここで過ごす覚悟はないけれど、でも聞いておいてよかった。 今夜は、中秋の名月だ。 ずっとずっと雨続きだったので、諦めていたのだけど、珍しく晴れてくれた。 部屋を暗くして、バッハの無伴奏チェロ組曲を聴きながら、お月見を楽しむ。 森の木々の葉が視界を遮るので、なかなか全貌を見ることは難しいのだが、たまに姿を現すと、本当に美しくて感動した。 青空もそうだけど、お月様も、いつも当たり前に見えるより、たまに見れる方が、ずっとずっと有り難みが増す気がする。 さっき、外に出て満月を見てきた。 ここは、街灯が全くないので、本当に、一寸先は闇の世界なのだけど、今夜は月明かりがすごく眩しい。 こんなに真っ暗な中で月を見るのは、人生で初めてかもしれない。 なんていう、神秘だろう。 一晩中、月を見ていたい。

ヨモギの精

夏は短い。 駆け足で通り過ぎる。 私が森にやってきた7月始めの頃は、正直まだ寒かった。 そして今日は、9月1日。 もう、初秋の風だ。 気の早い森の木は、すでに紅葉を始めている。 今日は朝から雨。 一度も窓を開けず、一日中うすら寒かった。 はっきり「夏」と言えるのは、7月20日から8月20日くらいまでの、正味一ヶ月くらいかもしれない。 だからこそ、夏という季節にものすごい価値がある。 昨日、温泉に行った帰りにヨモギを積んできた。 今日は雨で一日外に出られないので、ヨモギの蒸留をする。 山小屋ができたらぜひやろうと思っていたことの一つが、植物を蒸留して、そこから精油(エッセンシャルオイル)を抽出すること。 だって、周りには植物が溢れているのだ。 身の周りの植物から精油を取り出して、香りを楽しみたいと思っていた。 アルコールランプに火を灯して、ヨモギを蒸す。 その蒸気を冷やすことで、ヨモギのエキス(蒸留水、フローラルウォーター)ができる。 その上の方にうっすらとできるのが、精油だ。 ただ私はど素人なので、フローラルウォーターはできても、精油を取り出すのはまだ難しい。 きっと、蒸す時の温度とか、冷やす時のタイミングとか、いろんな条件が重なって精油が取れるのだろう。 自分でやってみて、精油がいかに貴重なものかが身にしみてわかった。 いわば、精油は植物の真髄。魂のようなもの。 それでも、フローラルウォーターを取り出せるだけで、十分楽しい。 ポタリ、ポタリ、と一滴ずつゆっくり落ちてくる雫を見ているだけで、心身が癒やされる。 特に、今日みたいに外に出られない日は。 このフローラルウォーターは、簡単に言うと化粧水になる。 完璧な、無添加化粧水だ。 出来立ての雫を手のひらにのせて、顔に馴染ませた。 なんという気持ちよさだろう。 ヨモギの精が、スーッと肌に馴染んでいく。 今日は夕方、練習も兼ねて薪ストーブに火を入れた。 1回目は、山小屋中が煙まみれになり、危うく私とゆりねが燻製になるところだった。 2回目は火はついたけれど、温度がさほど上がらなかった。 そして今日は、3回目。 いざという時、あたふたしないように、きちんと火を入れられるようにしておかないといけない。 大丈夫だった。 きっと世の中には、必要最小限の薪で最大限の炎を育てる火の達人がいるに違いない。 私はまだまだ足元にも及ばないけれど、とにかく今日は、薪ストーブの炉の中で燃え盛る炎を生み出すことに成功した。 今、山小屋全体が、ほんわりとした暖かさに包まれている。 今夜は薪ストーブの炎を見ながら、赤ワインで晩ごはん。…

ゆりねと私

仕事を終えて、食事を済ませ、コーヒーを淹れ、空が晴れていると、私は決まって森へ行く。 まぁ、森といっても庭の一角なので、目と鼻の先だ。 そして、コーヒーを飲みながら本を読む。 名付けて、森読。 今読んでいるのは、『カヨと私』(本の雑誌社)。 内澤旬子さんの新刊だ。 小豆島へ移り住んだ内澤さんは、独り、カヨと暮らし始める。 カヨは、真っ白いヤギでメス。 食べるためではない。 カヨは少しずつ人間に近づいて、内澤さんは少しずつヤギに近づいていく。 段々と時間をかけて内澤さんに打ち解けるようになったカヨは、内澤さんの腿に頭を預けたりするようになる。 その描写が、とても可愛い。 内澤さんはカヨが喜ぶ顔を見たいがために、海に連れて行ったり、椿の花を食べさせたり。 車の運転が苦手なのに、わざわざ箱型のバンに乗せて遠くのカフェまで行ったりもする。 カヨの目や舌、体全部を通して、内澤さんも「ヤギ」を擬似体験しているみたいだ。 でも、カヨはヤギで、21日周期に発情期がやってくる。 内澤さんは、わざわざカヨとフェリーに乗り、遠出できるギリギリの場所まで、カヨの欲求を叶えるため、オスのヤギとのお見合いを実行する。 妊娠した結果、カヨが死んでしまったらどうしようと不安になったり、わかるわかるの連続だった。 私も当初、コロのお嫁さんとしてゆりねを迎えたのだ。 コヤギが生まれたら、コヤギの方が可愛くなってカヨへの愛情が薄れてしまうことを心配したり、その気持ちが手に取るようだった。 カヨの妊娠、出産。 そして、生き物の仲間がどんどん増えて。 内澤さんもまた、「動物と友だちがおったら生きていける」ジャンルの人だなぁ、と思った。 カヨの出すお乳でヨーグルトやチーズを作ってみたり、まだ途中までしか読んでいないけれど、カヨという生き物を通して、内澤さん自身の人生がどんどん開拓されていくのが伝わってくる。 (実は読めないのだけど)漫画みたいにスイスイ読み進められるのが、とても楽しい。 しかも、素敵なイラストは内澤さん自身によるものと知って、二度驚いた。 ゆりねは、この夏で8歳になり、おそらく、ちゃんと長生きしてくれても、人生の折り返し地点は過ぎているだろうと思われる。 歳を取るってこういうことなんだなぁ、と最近、つくづく感じるようになった。 体の不調だって出てくるだろうし、好き嫌いも、前よりは激しくなっている気がする。 車に乗せろと要求するゆりねはものすごく頑固で、毎回の押し問答に心から辟易するのだが。 先週も、ゆりねのカイカイが止まらなくなったので、最寄りの動物診療所に行った。 きっと、これからそういうことがどんどん増えていくのだろう。 今までは、ゆりねが私の人生に付き合ってくれたから、これから先は私がゆりねの人生に寄り添ってゆりねファーストで生きていこうと思って山小屋を建てたのに、思った以上にゆりねは都会っ子だった。 見慣れぬ鹿の気配に怯え、時に威嚇し、大好きな仲間(犬)とは会えず、ストレスを溜めている。 言っていることとやっていることが全然違って、ゆりねには本当にごめんなさいなのだけど、それでもゆりねは私のことを許し、好きでいてくれる。 本当に寛大だ。 私はゆりねみたいな人になりたい。 内澤さんが、一度でいいからカヨと一緒に草を食べてみたい、と書かれているように、私も一度でいいから、ゆりねと思いっきり走ってみたいなぁ。 私は最近つくづく、人生を幸せに生きるコツは、ひとり遊びができるかどうか、で決まるのではないかと感じているのだけど、そこに一匹動物がいたら、それはもう鬼に金棒というか、パーフェクトなんじゃないかと思っている。 内澤さんの、「独りと一匹」という書き方が、とても美しい表現だと思った。…

秋一番

朝、新聞を読んでいたら、向こうからサーっと大波みたいに風が走ってきて、サワサワと梢がどよめき、秋一番が吹いた。 私が勝手にそう命名しただけだけど。 風が、秋を運んできた。 それにしても、目の前に広がる森の木々の葉っぱが、冬を前にほぼ全て地面に落ちるのを想像と、すごいことだと改めて思う。 森は、なんて生産性が高いというか(だって、毎年毎年、葉っぱを刷新するのだ)、新陳代謝がいいんだろう。 裸足で地面に足をつけていると、それを強く実感する。 落ちた葉っぱを微生物が分解し、大地が豊かになっていく。 その腐葉土が、水をきれいにする。 冬に一度地面がリセットされるけれど、春になると栄養満点の大地からは次々と植物の芽が顔を出し、成長する。 とんでもない速さでリサイクルして、常に新しい状態が保たれている。 大地が、文字通り生きているのを実感する。 これは、地球規模の、動的平衡だ。 日本が戦争に負けて、昨日で77年が経ったという。 この77年で、確かに日本は経済的に豊かにはなったけれど、自分たちが起こした戦争という負の教訓をきちんと学んでいるのだろうか。 自分も含めて、自省したい。 ちょうど一年前、政権が変わったアフガニスタンでは、生活費を得るために幼い我が子を売らざるを得ない人たちがいるというし、幼くして売られた娘が、13歳で妊娠し、子どもを産み、その子が栄養失調で苦しんでいる。 ロシアは、ウクライナを一方的に攻め、ウクライナの人々は、命を落としたり、体の一部を失ったり、心に大きな傷を負ったり、家族がバラバラになったり、想像を絶するほどの苦痛を味わっている。 この事態を「戦争」と呼ぶのに、私はすごく違和感があるけど。 だって、ウクライナの人たちは、戦いたくて戦っているのではない。 戦わざるを得ないから、どうしようもない究極の選択で、自分たちの自由を守るために武器を持って応戦している。 77年前に終わりを迎えた戦争も、実態はそういうことだったのだろう。 第二次世界大戦の戦勝国が国連の常任理事国になったけれど、その常任理事国が間違いを犯さないと、誰が保証できるのか。 現に、ロシアは暴走している。 飢餓の問題は、私が幼い頃から存在した。 食べ物が捨てるほどに有り余っている国と、食べ物がなくて空腹に泣き叫んでいる国がある。 必要以上に多くを持つ人と、最低限、生きるのに必要なものすら持てない人たちがいる。 地球規模の、ものすごい格差社会だ。 食料問題なんて、世界中の賢者が知恵を出し合えば、簡単に解決できそうなのにな。 どうして、これほど長く解決できないのだろう? それとも、はなから解決する気がないのだろうか? 日本の百貨店では、今、高級時計が売れているとのこと。 一時、チェルノブイリ原発を占拠したロシア軍が、原発を甘く見て、周辺の放射性物質の値が高くなったらしい。 年配のロシア兵は原発の危険を理解したが、チェルノブイリの事故の記憶がない若いロシア兵たちが、放射能に汚染された枝を燃やして調理をしたり、赤い森と呼ばれる放射能に汚染された地面を掘り返したりしたそうだ。 記憶が薄れることの怖さを、如実に物語っている。 私たちも、77年前に起きた悲劇を意識して記憶に留めておかないと、また同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。 戦争は、絶対に絶対にしてはいけないと、今、改めて思う。 今日は、一日中、風が強かった。 そのせいで、木の枝に吊るしておいた洗濯物が、何度も風で飛ばされた。 そのたびに外に出て、またハンガーを元の位置に戻す。 その繰り返しだった。…

山の日

山小屋に、時計はない。 あえて置いていない訳ではなく、ただ、これだ、と思える時計にまだ出会っていないから。 チクタクという音がしなくて、寡黙な、小さな時計を探している。 出会えるまでは、時計なしの生活だ。 時刻を知らせてくれる道具は時計じゃなくても他にあるので、家に時計がなくても別に困ることはない。 朝、目を覚ましたらまだ薄暗かった。 昨日の夜から降り始めた雨は、止んでいる。 時間がわからなかったけれど、起きた。 そこら辺に、まだ夜の名残がふわふわと漂っている。 こっちに来てから、仏様ではなく、森の庭の石に向かってお祈りするようになった。 ただ、ご先祖様への朝ごはんとして、変わらずお線香はあげている。 ゆりねは最近、車の味をしめたらしい。 車に乗ると、どこか楽しい場所に行けると学んだらしく、外に出ると、すぐに車の前で足を止める。 朝の散歩は近くを軽く歩くだけなのに、ゆりねはじっと車の横でストライキをする。 それが最近の困ったこと。 歩こうとしないので、仕方がないからトイレだけさせて早々に山小屋に戻った。 人も犬も、便利なものにはすぐ慣れてしまうから、危険だ。 いつもより早い時間に、仏様とゆりねに朝ごはんをあげ、私は温かいお茶を飲んでから、カメラをぶら下げて再び外へ。 カメラは東京から持ってきていたけれど、一ヶ月以上触れていなかった。 最近になって、ようやくカメラに触る。 朝、ゆりねと散歩しながらいつも写真を撮りたいと思っていた。 でも、いざ撮ってみると、森の美しさというのは全然写真に収まらない。 毎回がんばって撮って、毎回がっかりする。 その連続。 森の美しさは、森の香りと共に自分の体で感じるしかないのかもしれない。 今日は、山の日で祝日だという。 どおりで、昨日から森に人が増えている。 山小屋に表札は出していない代わりに、ボンちゃんを外に置いてみた。 ベルリンのアーティストがガラスで作った、シャボン玉みたいな作品。 ベルリン、東京と旅をして、今は八ヶ岳にいる。 ずっと、このボンちゃんを外に出したいと思っていたのだ。 きっとボンちゃんは、家の中より、外、しかも大自然の中の方が喜ぶはず。 だから、山小屋ができたら定期的に外に出してあげようと思っていた。 木漏れ日を浴びて、苔のベッドに寝かされて、ボンちゃんはものすごく幸せそうだった。 自然が作ったものと、人が作ったもの。 ボンちゃんの存在に気づいた人は、いたのだろうか。 いてもいいし、いなくてもいい。 そこにボンちゃんがいるというだけで、何度も窓から外の様子を見てしまう。 それだけで、私は大満足。 今日は、完璧な夏の一日だ。…

タマゴダケのオムレツ

初めて尽くしの毎日だ。 ガソリンスタンドに行って、「レギュラー、満タンでお願いします」と言っている自分がおかしくて堪らない。 セルフはまだ怖くてやったことがない。 だからガソリンスタンドは、人のいるところを探して行く。 スピーカーとアンプを繋いだのも初めてだ。 大体、アンプというものが何か、知らなかった。 今もあんまりよくわかっていないけれど、とにかく自力でスピーカーとアンプを繋いでスピーカーから音が出たとき、私はものすっごく嬉しかった。 なんだ、やればできるじゃん! と思った。 今までは、誰かにやってもらうのが、当たり前になっていた。 コンビニが便利だということに気づいたのも、生まれて初めてかもしれない。 ちょっと前、出版社に書類を戻すのに、封筒がなかった。 近所に、気のきいた文房具屋さんなんて、ない。 私はこれまでほとんど、コンビニを使ったことがなかった。 せいぜい、お金を払う時とか、宅急便を出す時とか。 都会には、コンビニがものすごくたくさんある。 何もこんな近距離に複数のコンビニがなくても良いのにと思って生きてきたし、今もその考えは変わらないのだけど、都会におけるコンビニと田舎におけるコンビニとでは、ありがたみが全く違うのだということに、半世紀近く生きてきて、初めて知った。 切手もコンビニで売っているし、トイレットペーパーだって、コンビニで買える。 コンビニってなんで便利なんだ! と今現在の私は思っている。 ただ、私が欲しい封筒は、コンビニにも売っていなかった。 何も、特別な封筒が欲しいわけではなくて、ただ、白い事務的な封筒が欲しいだけ。 でも、置いてあったのは不祝儀袋ばかりで、さすがにそれに切手を貼って出版社に書類を送るのは憚られる。 結局、白い封筒は別ルートで入手したけれど、ここでの暮らしでは、意外な物が手に入らなくて困ったりする、ということに改めて気づいた。 私が住んでいる界隈では、結構卵を手に入れるのが困難で、道の駅や産直に行けば買えるのだけど、そこまでは片道車で30分ほど。 だから、他の買い物の用事がないと、なかなか卵だけそこまで買いに行こうという気にはならない。 先日東京から日帰りでお客さんがいらした時は、お土産の希望を聞いてくれたので、真っ先に卵をリクエストした。 今欲しいのは、間違って書いてしまった箇所を直すための修正テープと、薪ストーブを使うようになったら必要になるだろうチャッカマンだ。 バターは、売っている場所がようやくわかったので、一安心。 初めてといえば、週末、道の駅に寄ったらタマゴダケが売られていた。 八ヶ岳のキノコ、すごくおいしい。 しかも、都会のスーパーではあまり見かけないような珍しいキノコが結構ある。 タマゴダケは毒キノコみたいな派手なルックスだけど、おいしいのだという。 一度食べてみたいと思っていた。 早速、お昼にオムレツにする。 なるほどねぇ。 タマゴダケと卵、相性がいい。 まだ残っているので、残り半分はパスタにでもしてみよう。 今日は、東京から編集の方が見えられたので、山小屋でランチをご一緒する。 先日、農産物直売所で路地物のイチゴを見つけたので、久しぶりにイチゴのサラダを作った。 不揃いのイチゴたちがなんとも可愛くて、つい買ってしまったのだ。 しかも、一パック190円。…

汗、汗、汗

ベルリンにいる時、今日は暑くなるぞー、という日はお昼前からサウナに行った。 広大なお庭にいくつもサウナがあって、プールもあって、そこでは全裸の男女が思い思いに夏の一日を楽しんでいた。 サウナが、温泉の代わりだった。 数えると、山小屋からぷらっと車で行ける距離に、日帰り温泉が6つある。 そのどの温泉にも、すごくいいサウナがあるのが嬉しい。 もしかして、長野、山梨はサウナ文化が発達しているのだろうか。 私が苦手とする、テレビのついているサウナは一箇所もなくて、どのサウナも簡素で、それがいい。 夕方になると、大体どこかの温泉に行って、サウナを満喫する。 今日も、温泉へ行った。 山小屋にあるお風呂は、まだ数えるほどしか入っていない。 今日行った温泉はいつも行く馴染みのところだけど、そこが、週2回、いつも以上にサウナの温度を上げてくれている。 普段70度なのが、今日は80度だった。 めっちゃ、暑い。 暑くて、皮膚がヒリヒリする。 でも、ここの水風呂が、最高なのだ。 私の好きな白駒の池の方からの伏流水で、ものすごく冷たい。 冷たいけれど、じーっと入っていると、だんだん体が目覚めて、それが快感になってくる。 サウナも水風呂も両極端に暑くて冷たいから、どっちも長居はできない。 短い時間で、そこを行ったり来たりする。 サウナで極限まで我慢して汗を流し、その後水風呂にざぶん。 首の後ろまで水に浸けると、喉がスーッとして、そうするとそこを通る呼吸も冷やされて、体全体に冷気が行き渡る。 それが、ものすごく気持ちよくてやめられなくなってしまうのだ。 今日は、それを5セットやった。 身体中の細胞が、よみがえるよう。 鼻歌を歌いながら、山に戻った。 ところで、今頭を悩ませていることがある。 鹿が木の幹を食べるでしょ。 そうすると、傷ついた木から、樹液が流れる。 それを目当てに、蟻が集まる。 蟻だけでなく、蝶とか虫とか、いろんな生物が集まってくる。 その中には、蜂もいる。 スズメバチもいる。 数日前、なぜかそこだけ虫の温床になっている木を発見した。 ミズナラの木だ。 枝の一部が、鹿に食べられて弱っている。 幹の根元は、虫歯みたいに黒くなっていた。 なるべく、殺虫剤は使いたくない。 かと言って、スズメバチは怖い。 近くで見るスズメバチの顔は、ものすごく怖い。 ペットボトルに、蜂蜜とかカルピスとかを入れて木に吊るして、スズメバチを捕まえるスズメバチトラップもひとつの手かもしれない。…

鹿対策

道の駅まで一っ走りし、ハーブの苗を買いに行ってきた。 調べたところ、鹿は、ミントやラベンダーなど、香りの強い植物が好きではないらしい。 ならば鹿が庭に入らないよう、香りのするハーブを植えようではないか、とひらめいたのである。 というのも、ゆりねがすっかり鹿を警戒するようになってしまった。 2階の窓から、鹿がいないか随時パトロールしている。 この間なんか、3頭の親子連れの鹿を間近に発見し、ものすごい剣幕で吠えたてた。 まるで、別の犬みたいだった。 そんなゆりねの姿、未だかつて見たことがない。 散歩に行っても、鹿がいそうな場所は絶対に歩きたがらない。 鹿の気配がすると、立ち止まって真剣に様子を伺っている。 鹿の方が先に住んでいたわけだし、鹿にも鹿の生きる権利があるというのは重々承知の上で、お互いの平和のため、うまく棲み分けができないものかと模索しているのだ。 できれば鹿とも、ハッピーハッピーの関係を築きたい。 それにしても、庭(森)には、たくさんの生き物がやってくる。 これまでに目撃したのは、タヌキ、キツネ、リス、そして鹿。 思い返せば、野生のタヌキやキツネを見るのは、生まれて初めてかもしれない。 でも、どうしても犬がいない。 と思っていたら、今朝のお散歩で、やっと犬に出会えた。 同胞と挨拶を交わし、ゆりねはようやく長きにわたる犬不足を解消することができた。 めでたし、めでたし。 ニアミスはあったのだ。 ただ、一回は二頭連れだったため、私とゆりねが近づいたら思いっきり吠えられて近づけず、もう一回も、それは一頭だけの小型犬だったけれど、かみつき癖があるらしく飼い主さんが絶対に近づけようとはしなかった。 鹿とは毎日遭遇するが、犬とは会えない日々。 森では、犬よりも鹿の方がずっと数が多いのだ。 それが、森暮らしにおける一番の誤算だった。 誤算は他にもあり、山小屋での生活は想像以上にやることがあって忙しい。 本を読んだりする時間がもっとあってのんびりできるかと思っていたら、とんでもなかった。 これから冬に向けて薪の準備をしたり、太陽の動きに合わせて洗濯物の干す位置を変えたり、植物のお世話をしたり、ゴミを捨てに行ったり、虫を退治したり、目の前の雑事に追われていると、一日があっという間に過ぎていく。 もう8月も目の前で、きっとお盆が過ぎたら、薪ストーブのお世話にならざるを得ない日が来るかもしれない。 来年用の味噌も仕込んでおきたいし、もう気持ち的には来春に向けての準備だ。 せっせとハーブの苗を植えているのも、今すぐなんとかというよりは、来年に向けての下準備。 薪ストーブ用の薪だって、しっかり乾燥させないと燃やせないから、きちんと計画的に軒下に保管しておかないといけない。 着々と冬支度をしないと、あっという間に雪が降って大変なことになってしまう。 山小屋は森に囲まれているけれど、手前の方は人間の手の入った庭、建物より奥は手付かずの森。 そう、分けて考えることにした。 森では余計なことをせず、なるべくそのままの姿を保つ。 一方庭は、少々の遊び心を持って私が少しずつ手を加えてみようと思っている。 だからハーブを植えるのは、庭の方だけ。 ミントは挿し木でもどんどん増えるそうなので、今、根っこを生やすべく、水耕栽培を始めている。 そうしないと、苗がいくらあっても足りなくなるので。 ブッラクミントに、ペパーミントに、アップルミントに、スペアミント。…

庭仕事

蕎麦の芽が、すくすくと大きくなっている。 鹿さん、気づいていないのか、それとも興味がないのか。 葉っぱのひとつも食べられることなく、順調だ。 この調子で大きくなってね、と毎日、こっそり話かけている。 裸足で歩ける小径は、まぁまぁできた。 まぁまぁ、というのは、やってもやってもキリがないから。 とりあえず、足の裏に当たると痛そうな小枝などを取り除き、小さな通路を作った。 何度も何度も繰り返し同じところを歩いていれば、きっといつか、誰もが道と思えるような立派な小径ができるんじゃないかな? 裸足で地面を歩くのは、とにかく気持ちがいい。 今日も、お日様バンザイデーだ。 急きょ、洗濯をし、外に干す。 外に干すのは、初めてのこと。 外壁にフックをつけていてもらって、大正解だった。 毎日着ている山Tシャツが、嬉しいほどにカラッと乾く。 洗濯物が気持ち良く乾く感覚を久しぶりに味わって、嬉しくなった。 想定外のひとつは、洗濯物がなかなか乾かないこと。 設計をしてくださった丸山さんに、浴室乾燥機とか必要ないですか? と聞かれ、速攻で要りません、と答えた過去の自分を憎んだほど。 森暮らしの実態に、想像力が及んでいなかった。 雨が続くと、洗濯物はなかなか乾かないし、乾いても生乾きで、決して気持ちがいいものではない。 お日様の恩恵を無駄にしないよう、先日漬けた梅干しも干した。 太陽光で発電する、愛用のソネングラスも日光浴。 山小屋の外壁に使ったのは、地元産のカラマツだ。 なるべく地産地消で建てたかったので。 上から、なんの塗装もしていないのに、艶がある。 カラマツは、ふんわり、洋菓子みたいな甘い香りがする。 だから、山小屋に帰って玄関を開ける時、いっつもいい香りに包まれる。 ちなみに、中の床に使ったのは、ロシア産のカラマツ。 今となっては、とても貴重な床材だけど。 これから、少しずつ、色の変化を楽しみたい。 裸足で歩ける小径ができたので、ちょこちょこと庭仕事に精を出す。 先日、道の駅で、植物の苗を見つけた。 藍、リーフセロリ、バジリコナーノ(小さいバジル)、チャイブ、ワイルドストロベリーはなんとなく知っている植物だけど、ベトニーとセントジョーンズワートは初耳のハーブ。 説明書きを読んだら、ついつられて買ってしまったのだ。 だって、セントジョーンズワートには、「誰でも『心が風邪をひく』ってことありますよネ。そんな時のハーブです。」とあるし、ベトニーには、「傷のちりょう薬として古くから使われています。」なんて書いてあるのだ。 まるで、本屋さんに置いてある書店員さん手書きのポップみたい。 生産者の方が書かれたのか、それともお店の方が書かれたのかはわからないけれど、なんだかその苗木に愛を感じて、つい、育ててみたくなったのだ。 調べてみると、セントジョーンズワートは、別名、セイヨウオトギリソウで、いろんなサプリになって販売もされている。 神経伝達物質のバランスを整え、不安や緊張、気持ちの落ち込みを緩和し、精神をリラックスさせる方向に導いてくれるらしい。 セントジョーンズワートと聞くと目新しい響きになるけど、オトギリソウは馴染みのある植物だ。 先日、出羽屋さんへ取材に行って、虫刺されに効くとお土産に頂いたのも、オトギリソウを焼酎に漬けたものだった。…

朝の光

明け方まで雨が降っていたのだけど、止んだら見事な青空が広がった。 朝の光は何よりのご馳走だ。 身体の中の全ての細胞が、喜びに満たされる。 一昨日から、友人が山小屋に遊びに来ていた。 先々月東京で初めて会って、今回が2回目。 その人は私より一回り歳上で、私を糸ちゃんと呼んでくれる数少ない友人の一人で、素晴らしい芸術家。 とても繊細で美しく、けれど生命力の強い作品を生み出す。 私も、彼女が作り出す世界の大ファンだ。 出不精のその人が、はるばる山小屋まで来てくれた。 私がリクエストした、ヴァージンじゃない普通のオリーブオイルを携えて。 山小屋は、完全にひとり仕様だ。 あえてゲストルームは作らなかった。 そこまでの予算がなかったという現実的な理由もあるけれど、私は意図的にゲストルームを設けなかった。 森の中でまで、大人数でワイワイやるつもりは毛頭ない。 基本は、私がゆりねと共に静かに過ごす場所であり、仕事場という意味合いが強い。 だから、この山小屋にファミリーで泊まったり、複数の友人を呼んで合宿のように賑やかに過ごす、というのは、はなから想定していない。 そういうことをしたいゲストには、近くにいくつか宿泊施設があるので、そこを紹介するようにしている。 ただ、ソファベッドはあるので、そこで寝ても大丈夫という人なら、ひとり限定で、ゲストを呼ぶつもりだ。 私はふだん、そんなに人に会う方でもないし、正直、そういう余裕もなかったりする。 でも、心を許せる数人の大好きな友人はいる。 その人がもし山小屋まで来てくれるなら、森の中で心ゆくまで共に時間を過ごし、その間は濃密に過ごして、美しい時間を分かち合いたいと思う。 山小屋は、静かに、一対一で、好きな相手と向き合う場所にしたい。 2泊3日の滞在予定で来てくれた彼女とは、まさにそういう濃密な時間を過ごせた。 時にお喋りをし、時にお互い口をつぐんで空を見て、鳥の声に耳をすます。 今朝は、朝の光に包まれながら、いろんなことを語り合った。 本当に満たされた時間だった。 一緒にご飯を食べて、音楽を聴いて、仕事をしたい時にして、たまに庭に出て地面を撫でて、風を感じて。 都会では味わえない豊かな時間を味わえた気がする。 それもこれも、全ては森のおかげだ。 今日は、私が森暮らしを始めてから一番の青空だった。 直前まで、ずっと雨の予報だったのに。 きっと彼女が、山の神様に祝福されていたんだと思う。 特別なことは何もしていないのに、森にいると、あっという間に時間が過ぎて、夜になるのが不思議だった。 私の目の前に広がっている景色は、美しいという言葉以外では表現できないくらい美しくて、ただただ見惚れてしまう。 そこは、別に誰かがお金をかけて何かをした場所でもなんでもなくて、ただ、人が何も手を加えなかった、地球本来の姿が残っている場所。 私は、森を、地球を、ほんの一部ではあるけれど、手に入れたのだ。ということに、今日、はたと気づいた。 有り余るほどのお金があったら、そこら中の森という森を買い取って、このままの姿で残したいと本気で思う。 彼女は夕方、東京へ帰った。 精神的に満たされたこの3日間は、いつか私たちのお互いの作品に、見えない形で紛れ込んでいくのかもしれない。 彼女が山小屋にいた余韻を、今、ひっそりと味わっている。…

一杯の湧き水

3連休の最終日。 ご近所さんから笑い声が聞こえてくる。 お隣さんの家に明かりが灯っていると、すごく嬉しい。 連休中、山はとっても賑やかだ。 ふと思い立ち、苔の美しい場所へ。 登山口まではほんの少し車に乗るけど、そこからは山道をてくてく。 今日は珍しく雨が降らなかったので。 途中の砂利道は退屈だったけど、苔は確かに美しかった。 そして、湧き水。 大きな石の下から、こんこんと水が沸いている。 私の庭にあるよりももっと巨大な石に青々とした苔がびっしりと生えている姿は圧巻だった。 ちょうど水筒が空になったので、そこに湧き水を汲んで飲んでみた。 なんという澄み切った味。 山小屋の水道の蛇口から出るミネラルウォーターより、更に純度が高い。 命が潤うのを実感した。 正直、苔ワールドを堪能するなら、私が愛してやまない白駒の池の方がスケールが大きいけれど、この一杯の湧き水を飲むために、てくてく山小屋から一時間ちょっとかけてここに来るのもアリかもしれない。 とりあえず、山小屋のゲストには、このミニ登山をおすすめしよう。 今、思い出しても、恍惚としてしまう。 ゆっくりと歩いたり立ち止まったりしながら往復しても、山小屋から3時間はかからない。 これはいいお散歩コースになりそうだ。 帰ってから飲んだビールがまた、格別。 今日は、温泉へは行かず、山小屋のお風呂に入った。

ハローお日様

久しぶりにお日様の顔を見た。 昨日までずーっとずーっと雨。 このまま秋になってしまうのでは、と不安になるほど。 昨夜なんかは土砂降りの雨で、恐怖を感じた。 今日の夕方、久方ぶりに太陽の眩しさに目を細める。 空にお日様の姿があるだけで、気持ちが明るくなる。 東京では時間割で動く生活だった。 何時になったら食事をして、とか、何時になったらゆりねの散歩に行って、とか何時になったら銭湯に行って、とか。 でも、山では全てがお日様の動向に左右される。 今行かなかったらもう今日はゆりねの散歩に出られない、となれば、仕事そっちのけで散歩に行かなくては次にいつ行けるかわからないし、今はまだ晴れているけれど、もう少ししたら雨が降ってくるかもしれない、となれば、温泉に行くのを諦めたりしなくちゃいけない。 時間割で動くことができたのは、都会暮らしで、ある程度自然が制御されていたからだと気づいた。 とにかく、山では常にお天道様のご機嫌を伺い、クンクンとゆりねみたいに空の匂いを嗅ぎながら、この先どうなるかを自分で判断する能力が試される。 一応、天気予報もあるにはあるけど、山の天気は変わりやすいから、それは自分の勘を鋭くしていなくちゃいけないことにはたと気づいた。 もしベルリン暮らしの経験がなかったら、きっとここ数日の雨続きに気持ちが滅入っていたに違いない。 でも、なんとなくその分野は、結構鍛えられている。 そもそも私は、裏日本と呼ばれる日本海側で育った。 とにかく、お日様の恵みを無駄にしないように、お日様の動向に合わせて自分も行動すればいい。 太陽が顔を出したら、まず洗濯物を陽の当たるところに出して、自分は庭に出る。 そして、香ばしい空気をたくさん吸う。 森の香りを吸ったり吐いたりしているだけで、ものすごく気持ちが健やかになる。 お休みの日は、朝と晩、お日様に「いただきます」と「ごちそうさまでした」の感謝の気持ちを伝える気分で、瞑想をする。 今日は、オンラインでヨガもやった。 森暮らしのルーティンも、少しずつ固まりつつあるのが嬉しい。 今夜は、久しぶりに妖精さん(とってもおいしい白いキノコ。正式名、白麗茸)をいただいた。 グリルで焼いて、それに自分で作ったバジルペーストをつけて。 やっぱり、素晴らしいお味だ。 目の前に、鮑のステーキと妖精さんを出されて、どっちか食べていいと言われたら、私は迷わず妖精さんに箸を伸ばすだろう。 夜は、ワインを飲みながら、大音量で音楽を聴く。 森の中だから、お隣さんを気にすることなく音楽が聴けるのがいい。 今聴いているのは、モンポーだ。

美しい雨

朝起きて、外に出て、あれ? と思う。 なんと、ちょこちょこと芽が出ているのだ。 その場所は、確か蕎麦の種を植えた場所。 まさか、こんなに早く発芽するとは! やっぱり、蕎麦の産地だから、蕎麦の栽培には適している環境なのかもしれない。 そんなに急に成長はしないだろうに、1日に何度も、窓から芽の様子を見てしまう。 と思っていたら、お昼、庭に鹿の姿が。 熱心に、地面の草を食んでいる。 窓からじっと見ていたら、向こうもこっちに気づいて、数秒間、お互いに見つめあった。 鹿さん、見ている分には可愛いのだけど、庭の植物を片っ端から食べてしまう。 やっぱり、蕎麦も食べられてしまうのか? どうか、鹿に見つかって食べられないことを祈るばかりだ。 八ヶ岳は。今週も来週も、ずっと雨マークが続いている。 山小屋に、雨どいはない。 だから、雨が降ると、軒先からポタポタポタポタ、雨が滴になって落ちてくる。 それが、すごく美しい。 雨の降り方も、ベルリンに似ている。 標高が高い分、そりゃあ八ヶ岳の方が自然環境は厳しいけれど、乾燥していて、1日に1回は晴れ間がのぞいたりする点も、ベルリンと共通する。 何より、森の感じが、まるでヨーロッパだ。 食に関しても、新鮮な肉や魚はあまり手に入らなくて、(もちろん、スーパーに行けばあるのだけど)基本は野菜中心。 内陸だから、魚よりは肉、しかも、この辺りは、加工肉の文化が発達していて、それも私を和ませてくれる。 ハムとかソーセージとかベーコンとかが、すごくおいしい。 今日は、珍しく1日中雨だった。 でも、森の中は案外木々の葉っぱが傘になってくれるので、歩いていても、それほど濡れない。 昨日道の駅で、梅を手に入れた。 今年はバタバタしていて、梅仕事ができなかった。 でも、八ヶ岳で梅をゲットできたので、早速、梅干しを作った。 納豆と卵もようやく手に入れたので、今朝はご飯を炊いて、お味噌汁も作った。 やっぱり自分の味噌で作るお味噌汁は格別だ。 山小屋に移って一週間が経ち、だいぶ体が慣れてきた。 今週から、仕事も始めている。 最初から飛ばすと途中でバテそうなので、今はゆっくりゆっくり、時間をかけて少しずつこの環境に心と体を慣らしている。 ずっと森にこもっていると仙人みたいになってしまいそうなので、1日に1回は、里まで下りるように心がけている。 今日は、というか今日も、温泉に行った。 まだ、山小屋のお風呂には1回しか入っていない。 大体、生活パターンは東京での暮らしと変わらない。 今日は、昨日とは別の道の駅で、生の杏を買うことができた。 貴重な貴重な、生の杏。 コンポートにでもしてみよう。 今日は他に、ピーナツバターを作った。…

種を蒔く

ここは基本的に原生林なので、畑もガーデニングもあんまり似合わないし、人が人工的に手を加えられるような生易しい土地ではない。 そのまんまが一番美しいのは、十分心得ている。 その上、鹿がいる。 散歩に出ると、毎回どこかで鹿に出くわすし、特に鹿たちは、なぜか私の庭に集まってくる。 だから、何かを植えても、すぐ鹿に見つかって、食べられてしまうのだ。 それでも、種を蒔いた。 身近に土のある生活は、子どもの頃以来になる。 裏庭に自生しているミツバやネギをつんでくるのは、私にできる数少ないお手伝いのひとつだった。 すぐそばに、そういう野菜がちょこっとあるだけで、すごく助かる。 今回植えたのは、チャイブ、ソバ、カズサヨモギ、ヤマミツバ、ツワブキ、モミジガサ、そしてカワラナデシコ。 少しでも芽を出してくれたら、すごく嬉しい。 ところで、森暮らしはとても快適で、心身ともに健やかでいられる気がするけれど、ちょっとだけ残念に感じているのは、『ちむどんどん』が見られなくなってしまったことだ。 山小屋にはテレビがないので。 スタートしてから、毎日ほぼ欠かさずに見ていて、平日は毎朝7時25分に目覚まし音が鳴るように設定し、見逃さないようにしてきた。 でも、先週の半ば以来、見ていない。 暢子の恋愛がどうなってしまったのか、気になっている。 それと、ゆりねにとっては、犬に会わないのが、ちょっとしたストレスかもしれない。 東京で散歩に出れば、大抵、同じように散歩している犬と遭遇し、お互いに匂いを嗅ぎ合って挨拶を交わすことができた。 でも、森ではまだ犬に会っていない。 会うのは鹿ばかりで、鹿の気配があると、ゆりねはどうも緊張している様子だ。 だから、犬と遊ばせるためにはドッグランに連れていかないといけない。 東京では、正直、人の多さにうんざりしていた。 人がたくさんいる渋谷や新宿は遠回りしてでも避けて目的地まで行っていたし、満員電車には、なるべく乗りたくなかった。 でも、森では仲間を見つけたような気分になって、人と会うとホッとする。 人のありがたみを感じられるようになったことは、喜ばしいことのひとつだ。

新しい日々

標高1600メートルでの暮らしが始まった。 右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを振り返っても、森、森、森、森。 私が山小屋を建てた土地は、ほぼほぼ原生林で、地球が誕生して以来、この地に住む人間は、おそらく私が初めてだ。 先週の半ばに荷物を移して、今日が森で過ごす最初の週末。 それにしても、標高1600メートルというのは、かなり高い。 富士山でいえば、1合目と2合目の間くらいだ。 それゆえ、お天気がコロコロ変わる。 朝晩は冷え込むし、一番気温が高くなる日中も、暑くてしんどいほどではない。 ちなみに、今日の最高気温は、22度。 だから、山登りの時みたいに、その都度、気温に合わせてこまめに服を着たり脱いだりする。 空気がびっくりするくらい美味しくて、一番のご馳走だ。 あとは、水。 水道の蛇口から、天然のミネラルウォーターが出てきてくれるのは、本当に本当にありがたい。 山小屋は、着いたその日から、ものすごく肌に馴染んだ。 それはもう、建築家の丸山さんと地元の大工さんたちのおかげ。 まるで、もう何年も前からここに暮らしているような気分になったのが、自分でも不思議だった。 もちろん、色々と不便なことはある。 ケータイの電波はあんまり届かないし、最寄りのコンビニまでも、車で10分くらいかかる。 スーパーはもっと遠いし、インターネットを繋ぐためすぐにルーターが必要だったのだけど、そういうのを買える大きな家電量販店までは、車で一時間くらいかかる。 忘れたからちょっとそこまで、という気軽な買い物ができないから、買い物も、どこで、何を買うか、計画的にやらなくちゃいけない。 そんな不便さを差し引いても、それを遥かに超える恩恵を、私はもうすでに受けている。 価値観も食生活も、きっとガラリと変わるのだろう。 周りの自然が美しいから、自分を着飾ることには全く興味がなくなるし、食事も、野菜そのものがとびきり美味しいから、それにちょっと手を加えるだけで十分満足だ。 感覚的には、ベルリンでの暮らしが形を変えて甦った。 ベルリンは、都会の中に自然があったけど、こっちは、自然の中に文化が点在している印象だ。 ちょうどコロナと重なったこの2年数ヶ月、私はずっと東京にいて、それはそれで、もちろん、有意義な時間だった。 でも、正直、限界も感じていた。 それが、森に移ったことで、それまでのベルリンでの暮らしがすぽっとチューブで繋がったみたいな感じがするのだ。 ベルリンのアパートで使っていた家具や食器類が、うまく山小屋に収まったこともすごく嬉しい。 今回、新たに買ったものはほとんどない。 中でも、ベルリンのアパートで使っていた、引き出しのついた大きな黒いデスクの用途が決まったことは、一番の喜びだ。 夏だけベルリンに通っていた頃から、その店の前を通っては、あのデスクで仕事ができたらいいのになぁ、といつもいつも指をくわえて眺めていた。 そして、もしいつかベルリンに暮らすことがあったら、あのデスクを手に入れよう、と思っていた。 ベルリンから引き上げることを決めた時、このデスクは、重いし大きいし、当然、もう手放すしかないだろうと、自分でもまさか日本に持って帰れるとは思っていなかったのだけど、分解して、持ち帰れることがわかり、はるばる海を渡って、日本の地にやってきたのだ。 でも、日本の住宅ではこのデスクは大きすぎて、ずっと、分解されたまま、部屋のあちこちに邪魔者のように置かれていた。 当初、山小屋の台所には、新たに調理台を置く計画だった。 でも、見積もりが出てみると予算オーバーで、その時にふと、このデスクを調理台代わりに台所に置いてみたらどうだろう、と閃いたのだ。 もし、どうしても合わなかったら、その時はその時で、また調理台を作るなりすればいいと考えていた。 でも、そんな必要は全くなかった。 黒いデスクは、ものすごくピッタリと、山小屋の台所に収まった。…

べっぴんじゃがいも

今、一緒に新聞連載のお仕事をしている素描家のしゅんしゅんさんが、広島からじゃがいもを送ってくださった。 安芸津産の「べっぴんじゃがいも」とのこと。 確かに、お肌がすべすべて、男性名詞か女性名詞かどちらかをつけるなら、私は断然、女性名詞をつけたくなるような麗しいお芋さんだった。 たーくさん届けてくださったので、方々へお福分けをする。 それにしても、東京は暑いのぅ。 まだ6月なのに、この暑さは何なんだ。 もう、梅雨も終わったという。 節電が叫ばれているので、なるべく熱源を無駄にしないよう、じゃがいも達をお鍋に詰め、一度にまとめて下茹でした。 スーッと竹串が通るくらいまで火が通ったら、それで調理完了。 茹で上がったばかりのじゃがいも達は、見ているだけで幸せになる。 じゃがいもを見ていたら、不意に、バルト三国に行った時の食卓を思い出した。 上の方から、エストニア、ラトビア、リトアニアと、小さな国が三つ縦に並んでいる。 隣にひかえるのは、ロシア。 ここ最近のニュースで、バルト三国の位置を理解した方も、たくさんいらっしゃると思う。 訪れるのは、大体初夏の頃だった。 どの国でも、テーブルにはじゃがいもが並んでいたっけ。 じゃがいもは、ご馳走だった。 自分の足元を見つめ、慎ましく、けれど豊かに楽しく暮らしている人達。 私は、そんなバルト三国に暮らす人々から、大きな影響を受けたし、たくさんのことを学ばせてもらったし、彼らを心から尊敬している。 ウクライナに起きている悲劇が、バルト三国にまでも広がるようなことがありませんように。 ウクライナの人々が、一刻も早く自分の家で安心して暮らせるようになりますように。 健やかなじゃがいも達を見ていたら、そんなことを祈っていた。 茹でたじゃがいもは、半分は冷めてからそのまま冷蔵庫に保管し、半分は、作り置きしておいたバジルペーストであえてみた。 ほんの少し、お酢を効かせて。 ありがたく、いただいた。 私は今、段ボールに囲まれてこの文章を書いている。 来週、八ヶ岳に荷物を移すのだ。 完全に移住する訳ではないから、荷物はほんの一部なのだけど、それでも、結構な量になる。 ベルリンで使っていた家具や食器、台所用品も、ようやく八ヶ岳の山小屋で使うことができる。 それが、何より嬉しい。 ベルリンからの荷物があったせいで、東京の家が、かなり飽和状態になっていた。 暑いので、頭に濡れ手ぬぐいを巻いている。 その際、濡れ手ぬぐいに、シュッシュッとハッカのスプレーをかけているので、かなりひんやりする。 これ、暑さ対策にオススメです。 あとは、こまめに水風呂に入るのも効果的。 朝は、4時半に起きて、ゆりねの散歩に出かけている。

読書感想文

毎年、夏休みの楽しみは、読書感想文を書くことだった。 それを言うと、大体の人からギョッとされる。 小学1年生の頃からずっとそうだったので、みんなも、自分と同じように読書感想文を書くのを楽しみにしていたとばかり思っていた。 多くの人にとって読書感想文があまり嬉しくないものと知ったのは、大人になってからである。 書けば必ずといっていいくらい賞をいただけたので、それがやる気になった。 あとは、じっくりと一冊の本の内容に向き合えるのも、喜びだった。 小さい頃、そんなにたくさんの本を読んだ覚えはないけれど、読書感想文を書くにあたって読んだ本は、結構、覚えている。 そんな話を小耳に挟んだ毎日新聞社の方からお声がかかり、今度、読書感想文のイベントに参加することになった。 その打ち合わせで、過去のことを色々とお話していたら、私が中学生の時に書いて大きな賞をいただいた読書感想文の話題になり、それを探してくださったのだ。 なんと、国会図書館に残っていたという。 私も、手元にないことを寂しく感じていたから、それには大喜び。 私は中学2年生の時に書いたと思っていたのだけど、どうやら中学1年生の時の作文らしい。 『はてしない物語』を読んでの感想文だ。 その文章と、久しぶりに対面した。 結構、覚えているものである。 言葉遣いとか、文章のリズムとか。 今から思うと、ずいぶん、大人びたことを書いている。 あの時は、本当に不思議な体験をした。 本を読みながら、頭の中に書くべき文章が滝のように流れてきたのだ。 私は、それをそのまま文字にするだけでよかった。 そういう経験は、いまだに、あの時一回しかない。 毎日新聞社主催の読書感想文イベントは、7月2日(土)の午後2時から、会場とオンライン、両方で行われます。 詳細は、「お知らせ」にアップしましたので、ご興味のある方は、ぜひご参加くださいね。

仕事というもの

可能な限り、夕方は銭湯に通っている。 今は徒歩ではなく自転車で行くようにしているのだけど、そうすると、最後の角を曲がる所に、たいてい、交通整理のおじさんが立っている。 おじさんは交通整備をするための棒を片手に、制服を着て、暑い日も雨の日も、嵐の日も寒い日も、同じようにそこにいる。 背格好が似ているので、最初は、ずっと同じ人かと思っていたのだ。 でも、ある日、おじさんが二人いることに気づいた。 一人のおじさんは、私が自転車で近づくと、車が来ないかを確認し、「はい、どうぞ、通ってください」などと声をかけてくれる。 私からは死角になる方から車が来る時は、「ちょっと待ってください、今、車が通りますので」などと、とても親切に誘導してくれる。 一方、もう一人のおじさんは、車が来ようが人が来ようが、全く無反応で、ただそこに立っているだけなのだ。 だからそのおじさんの時は、自分で安全を確認し、用心深く角を曲がらなくてはいけない。 どうせ、同じ時間、その場所に立っていなくてはいけないのに。 だったら、気持ちよくちゃんと仕事をしてくれたらいいのになぁ、と私は毎回毎回、同じように思う。 黙ったままのおじさんは、一体、何のためにそこに何時間も立っているのだろう。 せっかく同じ仕事をするのなら、相手に喜んでもらった方がやりがいがあるのでは、と考えてしまうのだが。 私はもう、日本で一番おいしい食パンをわざわざ取り寄せてまで食べたいとは思わない。 けれど、近所にあるパン屋さんで買ってきた食パンを、たった一枚を食べるのでも、最大限、美味しく工夫して食べたいとは思う。 仕事というのは、そういうものなのではないかと、最近しみじみ思うのだ。 自分のできる範囲で、最大限できることをする。 ウィンウィンという言葉があるけど、私はそれよりも、ハッピーハッピーがいいなぁ、と感じている。 自分が何らかの仕事をする。 自分もハッピーになるし、そのことで相手もハッピーになる。 そういう、ハッピーハッピーの関係で世の中がまわったら、余計なストレスが減って、お互い、生きやすく、幸せになるのに。 誰かの犠牲や不幸や我慢の上に成り立つ独りよがりの幸せは、あんまり嬉しくない。 私の場合で言ったら、まぁ、原稿を早く書き上げて遅れないようにする、とかそういうことになるんだけど。 自分も相手も気持ちよく仕事をする、というのが、最近のモットーだ。 銭湯に行って交通整備のおじさんの前を通るたび、私はいつも、仕事というものについて考えてしまう。

環境再生医、矢野智徳さんのドキュメンタリーを見た。 タイトルは、『杜人(もりびと)』。 「杜」というのは、この場所を傷めず、穢さず、大事に使わせてください、と人が森の神様に誓って紐を張った場所のことだそうで、矢野さんはまさしくこの「杜」の再生に励んでいる。 開発という名のもと、コンクリートで道路やダム、側溝を作り、その下には、グライ土壌と呼ばれる、空気や水が循環しない土の層が広がっている。 けれど、コンクリートで地面を覆ってしまったら、大地は呼吸できなくなる。 呼吸ができないと、地球は息苦しくなって、思いっきり深呼吸をしなくてはいけなくなる。 それが、昨今の大災害に繋がっていると矢野さんは指摘する。 人間の体がそうであるように、生きるためには空気と水を常に滞りなく巡らせることが大事。 滞ると、流れが悪くなり、そこが病の原因になる。 地球も同じ。 空気と水が巡ってこそ、本来の健やかさを維持できる。 今、地球は息が苦しくてアップアップしている状態だ。 矢野さんの解決方法は、斬新だった。 まず、コンクリートの下にある水脈を探って、そこに穴を開ける。 そして、水の流れを生む。 草も、全部を刈り取るのではなく、風の流れができるように下の方を残して、サクサクと刈り取る。 水脈を作るのも風の通り道を作るのも、大げさな道具は必要ない。 スコップと、小さなカマさえあれば、誰でもできる。 子どもでも、お年寄りでもできる。 地球に住む住人が、自分の足元の土地を、そんなふうにケアしてあげられたら、地球の空気と水の循環は途端に良くなる。 災害現場に駆けつけた矢野さんの再建方法が素晴らしいと思った。 彼は、瓦礫となった山の中から、木の枝や石などを取り出し、そこにあったものを使って再建するのだ。 災害が起きた途端に、全てがゴミとして扱われることに疑問を感じていたという。 私も、同じように感じていた。 コンクリートも、取り除くのではなく、穴を開けたら、また粉砕されたものを被せて再利用する。 それは、新たなゴミを産まないという点で、ものすごく画期的だった。 ただ、人間がちょっとした手を加えて周辺の環境を変えるだけで、そこにあった植物たちが、見違えるように生命力を取り戻していく。 矢野さんの、植物や動物たちに対する眼差しが、本当に愛に溢れていた。 息をしている限りは、最大限に命を生かす努力をする。 こういう人が同じ時代に生きていると思うだけで、嬉しくなる。 矢野さんは、本当に尊いお仕事を、全身全霊でされていらっしゃる。 今、植物たちは人間の奴隷のように扱われていると指摘する矢野さんの言葉が胸に刺さった。 確かに、そう。 本来は、動物も植物も、共に生きる仲間だったはずなのに、いつからか人間は傲慢になって、人間以外の生命を下僕のように扱っている。 映画を見ながら、自分が今、山小屋を作っている選択が、間違いではなかった気がした。 私が責任を持てるのは、地球全体からしたら本当にちっぽけな区画でしかないけれど、その土地は私が守ろうと心に誓った。 そして、その場所を「杜」にしたいと。

旅立ちの朝

小学1年生の時のクラスメイトに、シバサキキョウコちゃんという女の子がいた。 もう、どういう漢字だったのかは思い出せない。というか、その頃はまだ、ほとんど平仮名しか知らなかった。 幼いながらに、馬が合うというか、相性がいいのを感じていた。 キョウコちゃんと一緒にいると、すごく楽だった。 私が、人生で初めて「友情」というものを具体的に感じた相手だったかもしれない。 キョウコちゃんは、1年生の夏休みに引っ越したので、私がキョウコちゃんと友達でいられたのは、1年生の1学期のみ。 夏休みになり、夕方、母の自転車の荷台に乗せられて、キョウコちゃんとお別れしに行ったことをはっきりと覚えている。 そこからはもう手紙のやりとりもしていなくて、ただ、シバサキキョウコちゃんという名前の響きだけが私の胸に残った。 今、どこで何をしているんだろう? もし会えるなら、会って話したい。 朝早く目が覚めて、ふと、シバサキキョウコちゃんのことが脳裏をよぎった。 今日、ぴーちゃんがフランスに旅立つ。 約2週間の同居生活だった。 家にお客さんを呼んでご飯を食べ、山小屋で合宿をして、また東京に戻ってお客さんを呼ぶ日々だった。 ベルリンにいる頃から似ているとは言われてたけど、最近は本当によく言われるようになった。 一緒にいると、ひとつのことが、10倍楽しくなる。 この2週間、笑ってばっかりだった。 だから尚のこと、ぴーちゃんが帰ってしまうのが、寂しい。 なるべく湿っぽくならず、明るくサラリと送り出そうと心に決めながら布団を出て、お米を炊く。 これから、長い時間をかけて南仏に帰るのだ。 マルセイユのアパートに着いて自分のベッドで横になれるのは、ほぼ1日後。 その間、ひもじい思いをしなくていいように、朝、せっせとおにぎりを作った。 ロシアによる戦争の影響で、ヨーロッパへの輸送手段が船便だけになっているため、今回、ぴーちゃんは自分が使う画材なんかを全て自力で運ばなくてはいけない。 大型のスーツケースの他に、大きな段ボール、手荷物もパンパン。 日本を離れて外国で暮らすことの大変さを、久しぶりに思い出した。 本当は、梅干しなんかも持って行けたらよかったのだけど、そんな余裕はさらさらなかった。 駅まで行くタクシーを見送る時は、さすがに涙が出た。 ぴーちゃんも、泣いていた。 永遠の別れでもあるまいし、と思うのだけど、色々思い出してしまったのだ。 私がベルリンに行って、ぴーちゃんと知り合って、みゆきちゃんと3人で仲良く遊んで、みゆきちゃんが旅立って、私がベルリンを離れて、コロナが来て、ぴーちゃんもベルリンを離れて、そういう一連のあれ哉これやを思い出したら、涙が止まらなくなってしまった。 そして、一連のあれやこれやが、シュルシュルシュルッと、まるで巻尺みたいに自分の胸のうちに綺麗に収まるのを感じた。 私もぴーちゃんも、これまでのことがリセットされ、そしてまた新しい人生がリスタートする。 今日は、そんな旅立ちの朝だった。 ぴーちゃんを乗せたタクシーを見送り、部屋に戻ったら、ゆりねがキョトンとしている。 どうやら、私とぴーちゃんがふたりともどこかへ行ってしまい、また自分だけ置いてけぼりをくらったと勘違いしていたようなのだ。 私を見て、あれ? なんで? という表情をしている。 ゆりねはゆりねで、人知れず、感傷的になっていたらしい。 きっと人間だったら、こっそりハンカチで涙を拭う仕草をしただろう。 昨日も今日も、ゆりねはぴったりとぴーちゃんにくっついて、腕枕で寝ていたそうだ。 ゆりねもぴーちゃんが大好きだ。…

妖精のハム巻き

私たちが気に入って、毎日その道の駅に行って毎日ストーブの上で焼いて食べていたのは、白麗(ハクレイ)茸という白いキノコ。 食感はエリンギ茸みたいなんだけど、香りが良くて、どんなふうに食べても美味しい。 すっかり白麗茸のファンになってしまったのだが、みんななかなかその名前が覚えられず、途中から、「妖精さん」と呼ぶようになった。 だって、キノコの袋に「白麗茸と妖精たち」というシールが貼ってあるんだもの。 最後の夜は、近くのソーセージ屋さんから買ってきた最高に美味しいソーセージとハムで盛り上がった。 そして、もちろん妖精さんも食べる。 妖精さんはすっかり人気者で、「妖精さん、そろそろ焼けますよ〜」とか、「妖精さんに生ハムのお布団をかけていただきま〜す」とか、はたから見たらかなり危ない感じだったけど、本人たちは至って真面目だった。 とにかく、ものすっごく楽しかったのだ。 4泊5日なんてあっという間で、このままずっとこのメンバーで合宿をしていたい気分になる。 同じ屋根の下で寝泊まりするうち、火のお世話をする人、後片付けをする人、料理を作る人、掃除をする人、音楽をかける人と、それぞれに役割分担ができて、それが綺麗にはまっていく。 時間の過ごし方の感覚も大事で、もしここにひとりでも、ガイドブックと睨めっこしたり、分刻みのスケジュールを立てたり、ショッピングをしたい人がいたら、この心地いい感覚は味わえない。 お互いに気心が知れているからこその、リラックスした山合宿だった。 結局、外食は一回もしなかった。 朝ご飯を炊いて、残りをおにぎりにして外に持って行って食べるパターンで、ただのおにぎりでも、本当に美味しく感じる。 そして、夜はもっぱらストーブ料理の連続だった。 野菜はどれも新鮮で美味しく、しかも安いし、美味しいお豆腐もわかったし、素敵なパン屋さんとハム屋さんとの出会いもあった。 今回の山合宿で、一気に、山小屋での暮らしをイメージできるようになった。 ここでなら、見知らぬ土地でもなんとかやっていけそうだという自信が湧いてきた。 何より、信州の自然が素晴らしくて、こんな大自然のそばに身を置けると思うだけで、幸せが込み上げてくる。 生きる喜びに満ち溢れた4泊5日の山合宿だった。

雨宿り

今日は朝から雨。 激しく降っているわけではないけれど、せっかく素敵な山小屋にいるので、小屋にこもって雨宿りをする。 時間がたっぷりあるので、ぴーちゃんに、チネイザン(おなかマッサージ)の練習台になってもらった。 人のおなかを触っているのって、本当に気持ちいい。 されている方も気持ちいいのだけど、している方もうっとり。 特に、外から鳥の囀りなんかが聞こえてくると、至福以外のなにものでもない。 肝臓や胆嚢に残るのは、怒りや罪悪感。 心や小腸に残るのは、憎悪や短気、焦り。 脾や胃には、悩みや懸念が、肺と大腸には悲しみと鬱が、腎と膀胱には恐れや恐怖が蓄積されると、チネイザンでは考えられている。 そういう負の感情が溜まってしまった内臓をマッサージすることで、こびりついていた感情を流し、心身を健やかにする。 私は今、チネイザンのほんの入り口に立っただけだけれど、もっともっと理解を深めて経験を積んだら、私のこの二つの手のひらが、周りの人の幸福のちょっとしたお役に立てるかもしれない。 ぴーちゃんは、途中から深く眠ってしまった。 お腹の後は背中のオイルマッサージもやって、たっぷり2時間、お互いリラックスタイムを満喫した。 お昼は、パンケーキ。 家から持ってきた粉と、高級卵と牛乳を混ぜて、久しぶりにパンケーキを焼いた。 ベルリンにいるときはよく、日曜日のブランチにパンケーキパーティーをしていたのを思い出す。 生クリームとバナナをのせて、しっぽり、パンケーキを食べる。 午後は、ここから車で1時間のところにある、山奥の野良湯へ。 野良湯なんていう言葉があるのを、初めて知った。 4泊5日の、今日が最終日。 雨は雨で、それまた楽しい。

雪と苔の世界へ

ずっと行きたいと思っていた、白駒の池へ行ってきた。 ここは、日本三大原生林のひとつ。 オオシラビソやトウヒなど、木々たちがあるがままの姿で根っこを張り、朽ちたり、芽を伸ばしたりしている。 もう、どこを見ても美しすぎて、ただただため息の連続だった。 池に近づくにつれて、途中から雪の上を歩く。 ざっく、ざっく、ざっく、ざっく。 深い空洞に落ちないよう気をつけながら、雪の感触を堪能する。 この冬ずっと雪道を歩きたいと思っていたので、5月になってようやく願いが叶った。 芽吹いたばかりの新芽と、残雪、そして苔。 太古の地球の姿に想いを馳せながら、春の気配を楽しんだ。 梢からは、ひっきりなしに鳥の囀りが聞こえてくる。 私にとっての楽園が、目の前に広がっていた。 池の湖畔を半周して、ニュウという山を目指す。 でも、途中からだんだん空が怪しくなってきた。 それで、頂上を目指すのは断念して、引き返すことにした。 山でも海でも、こういう決断は、すごく大事。 楽しみにしていた山登りはそれほどできなかったけど、私は大いに満たされた。 それにしても神様は、こんなに美しい星に人間を住まわせてくれているのになぁ。 自然が生み出すものは、すべて、どんなに小さなものでも美しいのに。 こんなにもこんなにもこんなにもこんなにも美しい自然を、開発という名の下いたずらに手を加え、簡単に壊し、傷つけてしまう人間という傲慢な生き物は、本当に愚かだなぁと思った。 これ以上地球を傷つけたら、取り返しのつかないことになってしまうのに。 山からおりた後は、昨日とは別の道の駅へ。 そのままパン屋さんにも寄って、夜の食料をゲットする。 そして、昨日とは別の日帰り湯へ。 露天風呂やサウナを行き来しながら、たっぷりとお湯に浸かって疲れを癒した。 夜は再び、ストーブ料理。 昨日美味しかったキノコをまた焼いて、アスパラガスを焼いて、ソーセージも焼いて、ワインを飲む。 至福だった。 笑いすぎて、今朝はちょっと、喉が痛い。

山の朝

女子3人で、山合宿をしている。 メンバーは、ぴーちゃんと、カメラマンの鳥巣さん、私。 八ヶ岳の山小屋ができるのが待ち遠しくて、まずは別の山小屋を借りて山暮らしの予行演習をする。 昨日は車で東京から移動し、夕方近くの日帰り温泉に行って、夜は山小屋でストーブご飯。 これが、なかなか美味しかった。 小屋には、薪ストーブと石油ストーブが両方ともあって、朝晩は冷えるので両方ともつけている。 火を見ていると、本当に癒される。 薪ストーブの火のお世話をしながら、自然と、火の周りに人が集まってくる。 でも、実用的なのはやっぱり石油ストーブの方だった。 上に網を載せると、そこが即席バーベキューになる。 昨夜は、家から持ってきたシャンパンを開けて、山暮らしのスタートに乾杯。 まずは、道の駅でゲットした地元のキノコを焼いてみる。 美味しい。 同じ道の駅で勝った刻みお揚げも、一緒に焼いた。 これも、美味しい。 鳥巣さんが持ってきてくれた、お餅も焼いた。 これも、美味しい。 ぴーちゃんが随分前に兵庫から送ってくれた山の芋も、アルミフォイルに包んで薪ストーブの中で焼いた。 これも、美味しい。 基本的に、家の冷蔵庫にあった物や最近の頂き物を片っ端から段ボールに入れて持ってきたのだけど、こうやって食べると、山の魔法がかかって、もともと美味しい食べ物が、更にもっともっと美味しく感じるようになる。 最後、同じく道の駅でゲットした芹とお揚げを、昆布だしでしゃぶしゃぶにしていただく。 これも、美味しい。 ストーブ料理の何もかもが美味しくって、3人、笑いが止まらなくなる。 デザートは、これも昨日の朝届いた蓮根餅を食べる。 そして、私はすぐに寝た。 ぐっすり、ものすごく深く寝た。 鳥の声で目覚めた。 朝、早めに起きて下でお茶を飲みながら新聞を読んでいたら、 「糸さん、もうご飯炊けてるの〜?」と、眠たげなぴーちゃんの声が上のロフトから降ってくる。 昨日あんなに食べたのに、もうお腹が空いたという。 それで、慌てて家から持ってきたご飯を炊いた。 お味噌汁は、最近よくやっている、即席お味噌汁。 これは本当に便利で、自分で作ったお味噌に、青海苔などの実と粉だしをあらかじめ混ぜておいたもの。 これだと、もうお湯を注ぐだけで即席の手作り味噌汁になる。 普段は、煮干しで出汁を引くけど、忙しい時とかは、この即席お味噌汁が、ものすごく重宝する。 炊き立ての白いご飯に、昨日道の駅で売っていた、ひとパック800円もする高級卵の卵かけご飯で朝ご飯にした。 3人が、ひたすら卵を混ぜるカシャカシャカシャカシャという音が、微笑ましかった。 そして、残ったご飯は塩昆布を混ぜて、お昼に食べるおむすびにする。 レストランとかに行かなくても、こういうご飯が一番おいしい。 今日は晴れているので、山へ。…

ホームステイ中

世の中は、ゴールデンウィークなんですね。 私は、連休の前半、取材で山形へ行ってきた。 そして東京に戻ってからは、ひたすらひたすら原稿を書いている。 今週から、ぴーちゃんがわが家にホームステイ中だ。 ベルリンで出会った画家のぴーちゃんは、今、南フランスに住んでいる。 生のぴーちゃんに会えるのは、2年ぶり。 ぴーちゃんが日本にいるというだけで、私はなんだかすごく嬉しい。 お揃いのパジャマ(腹巻きがついたマタニティー用のスパッツ)を履いて、同じ格好で家の中をウロウロしてたり、一緒に洗濯物を畳んだり、そんな時間が無性に愛おしく感じてしまう。 ベルリンでも何度か預かってもらったので、ゆりねは毎晩ぴーちゃんの腕枕で寝て、明け方になると、決まって私の布団に入ってくる。 今日は、ぴーちゃんの友人でもあるアーティストの束芋さんの新作舞台、『もつれる水滴』を見に行った。 池袋って、なんであんなに複雑なのか。 毎回、迷子になる。 今日も、東京芸術劇場へ行くつもりが、同じ西口にある池袋演芸場に着いてしまい、ワッ、落語やん! と焦ってしまった。 無事にギリギリ間に合って事なきを得たけど。 渋谷とか新宿とか池袋は、極力避けたいエリアだ。 この舞台は、束芋さんがアートデザインを担当し、コンテンポラリーサーカスをするフランス人のヨルグ・ミュラーさんが舞台上で踊りを披露するというもの。 日本とフランスの共同制作で、会場は満席御礼だった。 ものすっごく、よかった。 よく考えると、久しぶりの舞台だ。 一枚の布が生き物のように宙を舞ったり、束芋さんによるアニメーションの舞台演出とヨルグさんの生身の体のコラボレーションが、幻想的で美しく、誰かの夢の中を歩いている気分だった。 束芋さんの作品が、とにかくすごい。 彼女には、2回ほどベルリンでお会いしているけれど、普段は普通の女の子って感じなのになぁ。 でも知らないところで黙々と力をため、進化しているのを痛感した。 コロナの影響で、ちゃんと開催できるかどうか不安だったと思う。 久々にアートに触れ、ベルリンにいる時の感覚を思い出した。 やっぱり、こういう時間って必要だと実感した。 今週は、ぴーちゃんのお友達が、続々と我が家にやって来る。 私はせっせと料理作り。 昨日は、料理研究家のminokamoさんがいらして、山形からの山菜料理でおもてなし。 デザートをおねだりしたら、器まで持ってきてくださって、素敵な杏仁豆腐をご馳走してくださった。 こういう華やかな料理、私には絶対に作れない。 明日は、束芋さんをお招きしてスキヤキの宴の予定だし、明後日も、明明後日も、それぞれお客様。 なんだか、コロナですっかり出不精になり、自分が出かけるより、こっちに来てもらって手料理を振る舞う方が楽になってきた。 お客様がいらっしゃると、何を作ろうかとか色々考えるのが楽しいし、最近目にした新たなレシピを試してみたりすることもできる。 お土産をいただけるのも、密かに嬉しい。 私は、冷蔵庫にたくさんのビールやワインを冷やして待っている。

キリンの命と人の命

知床半島沖の海上で、観光遊覧船の遭難事故が起きた。 乗客と乗員を含め、26人が乗船していたという。 冷たい海に投げ出された方達のことを思うと、本当に胸が張り裂けそうになる。 今月中旬、ひまわりという名の一頭のメスのキリンが、トラックでの移送中に命を落としたという。 ひまわりは1歳8ヶ月で、神戸市内の動物園で飼育されていたが、繁殖のため、オスのいる岩手の一関まで、22時間かけて運ばれる途中の事故だった。 ひまわりは、頭までの高さが、約3メートル。 けれど、トラックの荷台に積まれたオリは、高さが2メートル65cmしかない。 道路交通法にのっとって、そうせざると得なかったとのこと。 ひまわりは、立った状態ではなく、脚を広げた状態で、首を前に伸ばした姿勢で収容された。 神戸を出て10時間後、新潟市内のパーキングエリアで、ひまわりが倒れているのが見つかったそうだ。 姿勢を変えようとして転び、狭いオリの中で首が折れ曲がってしまった。 死因は、呼吸不全と循環器不全。 痛かっただろうに。苦しかっただろうに。 私は、ひまわりが不憫でならない。 キリンの命も、海に投げ出された26名の人間の命も、どちらも本当にかけがえがなく、尊いもの。 無くならなくてもよかった命だ。 一体、これらの命と引き換えにして得たかったものとは、なんだったんだろう。 どちらも、判断を下した責任者や関係者を責めるのは容易いけれど、問題は、そこだけではないような気がする。 心より、ご冥福をお祈りします。

春になったら、海に行こう

朝、鳥の声で目を覚ました。 いつもの、光時計から聞こえる録音された鳥の声ではなく、本物の鳥の囀り。 ある時間を境に、一斉に鳥たちが喋り始める。 まるでその声が、木々の梢からシャワーのように降ってくるのだ。 鳥の声で目を覚ますのって、なんて幸せなんだろう。 沖縄に行ってきた。 先月は石垣島だったけど、今回は本島へ。 どうしても、八重山に行く機会が多くて、実は本島って、ちゃんと見て回ったことがない。 ほとんど初めてと言っても、過言ではないくらい。 しかも、取材の仕事で、私は編集者を助手席に乗せて、運転するという初の試み。 ついでに言うと、写真も自分で撮らなくてはいけないという、なかなか盛りだくさんの旅だった。 鳥の声で目を覚ました私は、そのまま水着に着替えて、車を運転して海に行った。 自分で運転できると、こういうことが可能になる。 目指すは、ヤハラヅカサ。 ここは、ニライカナイから久高島にやってきた琉球の創世神であるアマミキヨが、沖縄本島で最初に降り立ったとされる海岸。 近くには祈りの場である浜川御嶽もあり、アマミキヨが仮住まいをした場所と言われている。 ヤハラヅカサは、女性のための浜とのこと。 細い道の先に、海が見えた。 朝の海って、本当に素敵だ。 最初にお祈りをし、それからゆっくり、海の方へと一歩ずつ近づく。 海には、ポツンと石碑が建っていて、満潮になると海水に沈み、干潮になると姿を現す。 同じ場所に、香炉もある。 ここは、とてもとても神聖な場所なのだ。 水は、それほど冷たくはなく、ちょっとずつ体を慣らしながら、最後は肩までしっかり入って軽く泳いだ。 気持ちよくて、いつまででも入っていたくなる。 海から見る森の景色も最高だった。 海で朝の沐浴をしながら、地球に生まれた幸せを噛みしめた。 ニライカナイは、海の向こうにあると信じられている理想郷。とても美しく、素晴らしい世界だ。 二日連続で、この海に入れたことに、心からの感謝を! ありがとうございました。 能登といい鎌倉といい石垣といい沖縄といい、最近の私は海に呼ばれている。 海に浄化してもらい、エネルギーをたっくさんもらって帰ってきた。 これからは毎年、春になったら、海に行こう。

タケノコファースト

JRの恵比寿駅で、客からの「不快だ」という苦情を受け、ロシア語の案内を貼り紙で隠していたというニュースが新聞に載っていた。 結局、元に戻したそうだけど。 どうして、こういうことになるかなぁ、と、この手のニュースに接するたびに、首をひねる。 不快だと苦情を言う方も言う方だけど、応じる方も応じる方だ。 もちろん、ここ最近のウクライナに対するロシアの蛮行を見ていて、ロシアの人たちへのやり切れない思いというのは、確かにある。 だからと言って、ロシア料理店に嫌がらせをしたり、コンサートの演目からロシアの楽曲を外したり、今回みたいにロシア語の案内を見えなくしたりするというのは、筋が違んじゃない? と思う。 だって、親ガチャじゃないけど、自分で自分の生まれる国は決められないのだし。 一般のロシア人に対して差別をしたところで、それは単なる嫌がらせであって、少しも問題は解決しない。 今、世界中にいるロシア人は、とても肩身の狭い思いをされていることと思う。 ベルリンにも、ロシア人はたくさん住んでいた。 なんてことを書いていたところで、京都からタケノコが届いた。 そんじょそこらのタケノコとは、訳が違う。 これは、京都の西、塚原地区で採れた、ピンのタケノコ。 去年、その味を初めて知った。 なんと、新鮮なタケノコなので、アク抜き用の糠は入れず、ただお湯で湯がくだけで食べられるという。 なんなら、刺身でもいけちゃうくらい、アクの全くないタケノコなのだ。 でも、こういう宝石のようなタケノコに育てるには、草刈りをしたり、土を柔らかくしたりと、農家さんのたゆまむご苦労があってこそ。 白く柔らかい上物のタケノコは、天塩にかけて育てた証なのだ。 急いで、外側の皮を剥いて、家にある一番大きな鍋に並べた。 何はさておき、まずはタケノコの息の根を止めなくてはいけない。 生命力の強いタケノコは、どんどん芽を伸ばそうとするから、なるべく早く、その命に終止符を打つ必要があるのだ。 原稿書きをほっぽり投げて、しばし、タケノコのお世話をした。 タケノコ屋のおじさんに教わった通り、糠は入れず、水だけでコトコト下茹でする。 今、部屋中に、清らかなタケノコの香りが広がっている。 旬の食べ物は、ダラダラと何回も食べず、一回、いいものをちょっと多めに味わって、後は一年後を待つ、というのが、最近の私の食べ方だ。 芹に関しては、なかなかそれが難しいけど、イチゴでも水茄子でも、良いものを一年に一回だけ味わって食べる。 そうすると、よりその食べ物へのありがたみが増す。 今日は、タケノコをしみじみ食べ尽くそう。 今週から、朝の7時25分に目覚ましをかけている。 自分はとっくに起きているので、目を覚ますためではない。 かけないと、ついうっかり見逃してしまうから、BSで朝ドラが始まる5分前に、「もうそろそろ始まりますよ〜」の意味で、音が鳴るように設定したのだ。 今週から、朝の連続ドラマ小説は、『ちむどんどん』。 沖縄が舞台で、料理を、オカズデザインのふたりが担当している。 ものすごく前から準備をしていて、話を聞く限り、面白そうと前から期待していたのだ。 おそらく、私にとっては『あまちゃん』以来の熱狂になるに違いない。 第一週目から、楽しいし、内容が深いし、映像が良いしで、見ごたえ満点。 ただ、朝から美味しそうな料理がたくさん登場するので、お腹が空くのが難点だけど。 見ていると、今すぐ沖縄に行きたくなってしまう。 今日は、タケノコファースト。 どんな料理に仕上げようか、さっきから頭を悩ませている。

原作者として

作家の山内マリコさんと柚木麻子さんが、「原作者として、 映画業界の性暴力・性加害の撲滅を求めます」と題した声明文を発表した。 私もこれに、同業者として賛同している。 お二人が書かれた声明文にもあるように、自分の作品が映画化、映像化されるということは間間あることではある。 けれど、その制作に関して、大きく関与するかと言ったら、私の場合、そんなことはない。 一応、脚本は送られてくるけれど。 キャスティングに関しても、別に何も言わないし。 基本、映画は映画監督の作品だと割り切っているので、私は傍観者という立ち位置でいることの方が圧倒的に多い。 でも、その映画監督が、自らの立場を利用して、性暴力、性加害をしているとしたら、私は果たして、全く無関係と言って傍観者のままいていいのだろうか。 最近、勇気を振り絞って、性暴力、性加害の実態を告発している人たちがいる。 同意なく、単なる力で相手の体をねじ伏せよう、手に入れよう、欲望を満たそうとするのは、本当に卑劣で情けなく、最低の行為だ。 今回、山内マリコさんと柚木麻子さんが、声明文を出してくださった。 もしお二人が素早く行動に移してくれなかったら、私は傍観者のままでい続けただけ。 若いふたりが声を上げてくださったことに、心からの拍手を送りたい。 性に関わることは、それが密室で行われるだけになかなか公にされないけれど、それを許してしまったら、ただただこれからも被害者が増えるだけ。 だから、勇気を出して告発することは、本当に素晴らしいことだと思う。 そういう人に冷たい目を向ける社会であってはいけないし、誰もが気持ちよく生きていける世の中になるため、私たちはまだまだ、発展途上にあると思う。 こういうことに対しての、男女での感覚の違いというのも、是正していかないといけないんじゃないかな? 男性と女性とで、一概には言えないけれど、まだまだ男性側の認識の甘さというのは、あるような気がしてならない。 特に性に関しては、相手が嫌だと感じることは、すべてNGなのだということを、声を大にして言いたい。 もし、好意を抱く相手がいるなら、正々堂々、自分の魅力で勝負してほしいし、それができないなら、然るべき場所で、きちんとお金を払って性欲を満たして欲しい。 害を加える側は、ほんの一時の軽い冗談のつもりでも、害を受けた側は、深く傷つき、長く苦しむことになる。 場合によっては、それまで歩んできた人生を、木っ端微塵に壊されてしまうかもしれない。 どうかそのことを、忘れないでいてほしい。 少しでも、この世の中が、みんなにとって生きやすい社会となりますように!!!

大人の鎌倉

鎌倉の余韻が、まだヒタヒタと続いている。 昨日から、ゆりねの散歩を朝の時間帯に変えた。 気温が20度を超えると、日中、ゆりねは暑がってあまり歩きたがらなくなる。 今朝も、6時前に家を出て、近所を歩いた。 もうすっかり桜が散っている。 これからは、葉桜が眩しい季節だ。 朝の空気は、なんて気持ちがいいのだろう。 最近、北鎌倉がすごく好きだ。 鎌倉ももちろんいいけど、北鎌倉はこぢんまりしていて、大人の鎌倉という気がする。 鎌倉について全くの無知だった頃は、駅を出て、小町通りを歩いて、八幡様でお参りして、それが鎌倉の全てだと思っていた。 でも、今から思うと、それは全然、鎌倉の魅力を知ったことにはならない。 むしろ、小町通りは避けて歩きたいエリアだ。 週末は、さすがに鎌倉には人が溢れていた。 それで、北鎌倉を散策した。 ずっと行きたいと思っていたお店が2軒あり、そのお店の店主と話をしたりしていたら、あっという間に時間が経っていた。 もし鎌倉エリアに住むんだったら、私は北鎌倉がいい。 基本山だから、坂道が多くて大変なんだけど。 本日のおやつは、マヤノカヌレのカヌレ(チョコレート味)。 北鎌倉の駅の近くに、とっても素敵なカヌレ屋さんができた。 素敵なだけでなく、ものすごく美味しい。 でも金、土、日しかあいていない。 絶品です。 すぐに売り切れてしまうので、北鎌倉を散策する前に、まずは予約して行くのことをお勧めします。 そして、私の大好きな、morozumi とラボラトリエ。 どちらも、とてもとてもわかりにくい場所にありますので、お出かけの際は、きっちり下調べをしてくださいね! 私もいまだに迷います。

『椿ノ恋文』

今日から、神奈川新聞で『椿ノ恋文』の新聞連載が始まった。 初めての、新聞連載。 『ツバキ文具店』『キラキラ共和国』に続く、ポッポちゃんシリーズの第3弾だ。 取材のため、去年は月一回くらいのペースで鎌倉に滞在した。 そして、実はこの文章も鎌倉で書いている。 段葛の桜がきれいだ。 ポッポちゃんのおかげで、私にとっても、鎌倉が心のふるさとになりつつある。 鎌倉に身を置いていると、どうしてこんなにときめくんだろう。 本当に、ただ町を歩いているだけで、ワクワクする。 近くに海も山もあって、自然のエネルギーを常に感じられるのがいい。 鎌倉に暮らしている人も、皆さんすごく魅力的だ。 目が生き生きと輝いていて、自らの意志で鎌倉を選び、この地での暮らしを愛し、楽しんでいるのが伝わってくる。 個人経営の小さい店が星のように散らばっていて、無理せず、自分の生活を大切にしながら商いを続けている。 とても理想的なコミュニティーだ。 今回の物語では、山だけでなく、海もまた、いろんな場面に登場する。 昨日は江ノ電に乗って、藤沢に暮らす友人に、お昼、つるやさんの鰻重を届けた。 鎌倉高校前に近づくと、やおら乗客がスマートフォンを取り出して、海を写真に収め始める。 スーツを着ているサラリーマンも、息子を抱っこしたお母さんも、若いカップルも、海を前にして優しい表情を浮かべている。 そんな、ちょっとしたワンシーンに遭遇するだけで、心が緩む。 こういう時間を過ごせるだけで幸せだし、ありがたいことなんだと身に沁みて思う。 私の文章としゅんしゅんさんの絵で、素敵な朝をお届けできたら、そんなに嬉しいことはない。 新聞連載、どうぞ楽しんでくださいね!

海へ

サクッと、海へ行ってきた。 お昼を持って海に行くつもりだと伝えたら、のんのんが焼きたてのキッシュと人参のラペを持たせてくれる。 のんのんの電動自転車を借りて、初の鎌倉サイクリング。 もちろんレンバイに立ち寄って、例のあれもゲットした。 若宮大路をひたすらまっすぐまっすぐ海へ向けて自転車を走らせる。 由比ヶ浜の駐輪場に自転車をとめ、砂浜へ。 気持ちいい。 ビーチサンダルを脱いで、裸足で歩く。 最近、旅に出る時、ゆりねのマットを持って行くようにしている。 ベルリン時代、レストランやカフェに入った時、ゆりねがその上で寝そべったりできるようにと買ったマットなのだけど、正直、あまり使うシーンがなかった。 いくらマットを敷いても、ゆりねはそこを避けて、床に直接ペタッと寝るのが好きだったので。 でも、防水だし、軽いし、くるくる丸めることができるので、ふと旅先に持って行ったら私が使えるかもしれないと閃いたのだ。 結果は大正解で、特に海に行く時は、このシートを広げるとちょうどよく一人分の座るスペースが確保できる。 他にも、枕になったり、椅子が冷たい時の座布団になったり、何かと重宝する。 もう一つの旅の必需品は日傘で、晴雨兼用の折り畳み傘だ。 直射日光に弱い私は、日傘が欠かせない。 特にビーチは影がないので、日傘をさして、自分で影を作るしかない。 この傘は、海外にもたくさん行っているし、日本でも多くの旅を共にしている。 ビーチには、まばらに人が来ていた。 春休み中の地元の子どもたちが、元気よく海辺を走り回っている。 海に近い所に場所を確保し、まずはランチを食べる。 最高だ。 太陽の下で食べるごはんは、健康的な味がする。 食べ物は十分あったのだけど、さっきレンバイに行ったら、やっぱりつい、はなさんの暖簾をくぐってしまった。 これが、今度の作品の大事な食べ物として登場する。 太巻き寿司なのだけど、ものすっごく、おいしい。 これが食べたいがために鎌倉に来ると言っても、過言ではないほど。 私は、この太巻き寿司に惚れている。 潮が引いて、海藻とりをしている人たちがちらほら。 この時期にしかとれないメカブが、ものすごくおいしいらしい。 あと、ワカメのしゃぶしゃぶも、春ならではのご馳走だ。 そういう旬の食べ物は、地元の人の口にしか食べられない。 ビーチサンダルを脱いで、海に入った。 ものすっごく気持ちいい。 水は、思ったほど冷たくない。 寄せては返すさざ波の、なんと柔らかいこと。 30分くらい、ぼーっと波に足を浸していたら、なんだか瞑想しているような気分になる。 一応、ビーチで読もうと思って文庫本とメガネを持ってきていたのだけど、文字は一文字も読む気にならず、ただひたすら波と戯れて時間を過ごした。 海を出て、午後は鎌倉在住の友人と待ち合わせて古我邸のカフェでお茶をする。 ここは、鎌倉の穴場中の穴場だと思う。…

静かに過ごす

少し前、光時計を買って使うようになってから、目覚めが格段に気持ちよくなった。 光時計は、目を覚ましたい時間の確か30分前から明かりが付き、その明かりも3段階あって、最初は仄暗い明るさ、次に真ん中の明るさ、最後に一番強い明るさになる。 たいていは、途中で目が覚める。 そして、設定した時間になると、小鳥の囀りが聞こえるという目覚まし時計だ。 私は小鳥の囀りを選んだけれど、他にもいくつか音があって、自分で好きな音を設定できる。 その音も、最初は小さくて、徐々に大きくなっていく。 今まで、いきなり音で起こされていた不快感はなんだったんだ! というくらい、光時計での目覚めは心地よい。 もっと早くから導入しておけばよかったと悔やまれるほど。 お値段もそんなに高くないし、普通にライトとしても使えるし、これはなかなか優れものなのではないかと思っている。 今日は朝から雨だ。 雨の日曜日。 ヨガは昨日のうちに行ってしまったし、新聞を読んだ後は、本を読んだりして、のんびりと時間を過ごす。 週末は一切、仕事をしない主義なので。 朝昼ごはんには、お粥を炊いた。 自分をリセットしたい時、私はよくお粥を炊いて食べる。 自分の胃袋にちょうどいいお米の量のコップやぐい飲みなんかを見つけておくと、炊きすぎることもなくいい塩梅の量のお粥ができる。 私は、ドイツで随分前に買った小さいショットグラスを使っている。 ショットグラス一杯分の白米に、水は同じコップで6杯。 これで、六部粥になる。 蓋をせず、最初は中火ぐらいで炊いて、お湯が沸いてお米が躍るようになったら一回だけ鍋底についたお米を剥がすようにスプーンなどでそっとかき混ぜ、隙間ができるように蓋をずらして被せ、弱火でコトコト、炊き上げる。 シンプルなのに、やけに滋養があって、体の中がスッキリする。 午後は、また読書をし、顔につけるクリームがそろそろなくなるのを思い出して、スキンクリームを作った。 作ると言っても、蜜蝋を溶かし、そこにオイル(今回はホホバオイルと伊豆大島産の椿油)を混ぜて、精油を垂らすだけ。 今日使った精油は、それぞれイランイランと、ラヴィンツァラ。 イランイランは神経のバランスを整え、抗鬱作用があり、ラヴィンツァラは、ウィルスや菌に強く、肝臓を保護し、安眠を招いてくれる。 もう一種類作ったのは主にかかと用のクリームで、これにはシアバターと椿油を使った。 冬になると特にかかとが乾燥して、それが長年の悩みの種だったのだけど、シアバターがいいと聞いて試しに塗ってみたら、一発で赤ちゃんみたいなふかふかのかかとが甦った。 以来、寝る前にこのクリームをセルフケアで足裏のマッサージをするのに使っている。 リップクリームにせよ石鹸にせよ、自分で作れば市販のものよりも驚くほど安く、しかもいい素材で自分好みの香りに仕上げることができる。 3時のおやつはカステラ。 お茶は、ほうじ茶を入れる。 なんだか、お茶を飲んでおやつを食べるばっかりの人生だ。 20代の頃から、私はほうじ茶を色々色々飲んできたけれど、今飲んでいる京都の森井ファームのほうじ茶が一番好きかもしれない。 農薬も化学肥料も除草剤も畜産堆肥も使っていなくて、ものすごーく誠実で実直な味がする。 いつか、生産者を訪ねてみたい。 雨が止まないので、今日はゆりねのお散歩にも行けそうにない。 夜は、自分で焼いた田舎パンとソーセージでも食べようかな。 野菜は、ぴぃちゃんが送ってくれたプチヴェールでも茹でて、オリーブオイルと塩でもかけて食べよう。 昨日開けた赤ワインもまだ残っているし。 こんなふうに、誰とも会わず静かに過ごす日曜日も悪くないなぁ、と思う。…

さよならべいべ

桜が満開だ。 東西南北どっち方面に歩いても桜があるから、毎日、ゆりねとお散歩しながらお花見を楽しんでいる。 桜はいいなぁ。 ねーさんからの影響で、私まですっかり風君ファンになってしまった。 藤井風君。 なんという才能。 声も楽曲も顔も全ていいけど、ハートがずば抜けていい。 この、今の社会の閉塞感を打開できるのは、音楽しかない気がする。 どうか、思う存分に駆け抜けてほしい。 石垣島で、チネイザンを初体験し、私はすっかりデトックスされた。 チネイザンは、気内臓療法とも呼ばれ、古代道教であるタオに古くから伝わってきたお腹マッサージを基本に、タオイストであるマンタクチアという女性が確立したもの。 本来の自分を取り戻すというマッサージだ。 チネイザンで特徴的なのは、お腹(内臓)に感情が宿るという考え方で、つまりチネイザンでは、お腹をほぐすことで内臓に溜まっていた感情(主に負の感情)も浄化してくれるのだ。 私も、心身の両面ですっかりデトックスされた。 それは、もう本当に見事な施術だった。 そして、自分もこれができるようになりたい、と強く思った。 以前から、何かひとつ、ちゃんとセラピーの技を身につけたいな、と思っていたのだけど、私がやりたいのはチネイザンかもしれない。 今、ものすごくチェンマイに行きたくて仕方がない。 チェンマイのタオガーデンに行って、マンタクチアに会いたい。 コロナが下火になってまた自由に海外に行けるようになったら、タイのチェンマイに行こう。 まずは、そのために日本でできる勉強をしようと思っている。 今日は、風君の曲をガンガンにかけながら、石鹸を作った。 気温が20度くらいだと、石鹸作りにちょうど良くなる。 今まで1回に作っていた量の倍の量で、作ってみる。 どうせ同じ作業をするのだから、まとめて作ってしまった方が効率がいいと思ったのだ。 結果は、大正解。 最後に蜂蜜をちょろっと入れて、蜂蜜石鹸にする。 自分で石鹸を作るようになってから、自分の石鹸しか使いたくなくなってしまった。 これで、3ヶ月分くらい。 目標は、風君の『さよならべいべ』をカラオケで上手に歌えるようになること。 目下、猛練習に励んでいる。 今夜は、先日日本に一時帰国したぴーちゃんが送ってくれたスナップエンドウと、雑穀のスープ。 ちびりちびり白ワインを飲みながら。 私、こういうご飯が、一番好きだなぁ。

ボロボロジューシー

辺銀一家と「はてるま」へ行ってきた。 この場合のはてるまは、島の名前ではなく、西表島にあるごはん屋さん。 もう12、3年前になるのかなぁ。 「ソトコト」という雑誌で、取材させていただいた。 当時は、ナナ子さんという波照間島出身の女性が、1人で店を切り盛りしていた。 自ら漁に出て魚をとり、土を耕して野菜を育て、それを料理して出す、本当に素晴らしい店だった。 今は、ナナ子さんの息子さんが店を継ぎ、料理を出してくれる。 夕方の最終の便で西表へ行き、近くの民宿に泊まって、みんなでご飯を食べに行く。 西表でとれたモズクの酢の物、地魚のお刺身、長命草のサラダ、クーブーイリチー(細い昆布の炒め物)、どれもお見事。 懐かしい、ナナ子さんの味がする。 とりわけ、猪の焼肉は絶品だった。 皮の方からじっくりと焼いて、身の方はさっと火を通すだけにして、わさびと塩でいただく。 途中、ご飯をもらって、お寿司にして食べてみたり。 緑の野菜は、沖縄でよく食される、オオタニワタリという山菜だ。 これも、ほんのり粘り気があって、大好きなもの。 こういう、ちょこっとだけお肉を食べる食事が、一番嬉しい。 締めのご飯は、ボロボロジューシー。 これは、混ぜご飯をお粥にしたもので、昨夜はイカ墨味のボロボロジューシーだった。 デザートまで完食し、大満足で店を出る。 その後、散歩がてら夜道を歩いた。 本当に本当に、真っ暗。 一寸先は闇って、このことだと思った。 歩いていると、ちらほら、蛍の明かりが見える。 小一時間闇夜を散歩した。 朝は、小鳥の声で目を覚ます。 西表は、緑が濃厚だ。 石垣島から比べると、圧倒的に静か。 そこここに、生き物の気配を感じる島だ。 朝一番の船で石垣に戻って、オイルマッサージの施術を受ける。 ねーさんと、南インドに行ったことを思い出した。 まるで、ここはインドだ。 最高に気持ちよかった。 そして、お昼はベジタリアンインド料理の店へ。 ミールスのセットを、もりもりいただいた。 店の雰囲気といい、味といい、やっぱりここもインドだった。 石垣島にいると、まるで外国を旅しているような気分になる。 今日は、石垣ステイ最終日だ。 最後の一日として、これ以上ふさわしい過ごし方はないというくらい、完璧だった。 仕事の方は、ちょうど端境期だ。 端境期というのは、古米と新米が入れ替わる時期のことをいう言葉だけど、私の場合は、ひとつの物語がなんとなく自分の手を離れ、また新たな物語を迎えようとしている、そんな時期のことをいう。…

3度目の黒島へ

朝、ホテルを7時半に出て、船に乗って黒島へ。 カゴには、朝ごはん用のフルーツやらおやつやら、タオルやらが色々入っている。 海に入る気満々で、中に水着を来て出かけたのだ。 黒島までは、船で30分くらい。 黒島に近づくと、急に海が青くなる。 黒島を訪ねるのはこれで3度目だ。 1度目は、NHKで放送されたドラマ『つるかめ助産院』のロケ現場を見に来た時。 ただ、この時のことはほとんど覚えていない。 そして2度目は、ちょうど一年前、友人とその娘ちゃんと。 その時、結婚して黒島に嫁いだマキちゃんと知り合ったのだった。 まずは、港のすぐ横にあるお気に入りのビーチへ直行する。 産道みたいな細い道を通って、岩と岩の間をやっとくぐり抜けると、海に出る。 私、この場所が、ものすごく好きだ。 今日は、ここでひとりピクニックを楽しむ。 案の定、朝の砂浜には誰もいなくて、私だけのプライベートビーチを満喫できた。 曇りだったので、水は結構冷たかった。 海に肩まで浸かるつもりで水着を着てきたけど、ちょっと寒そうなので、まずは砂の上にあぐらをかき、たっぷり瞑想する。 波の音を聞きながら、呼吸を意識して心を鎮める。 パッと目を開けた時の目の前の海の美しさに、毎回同じように感動した。 生きているって、なんて素敵なことなんだろう。 小腹が空いたので、途中、ミズレモンとグァバを食べる。 今、ものすごーく好きな果物がミズレモンだ。 去年の暮れに、石垣島からねーさんが送ってくれて、初めて食べた。 見た目はつるんとしたレモンなのだけど、手触りがふわふわしている。 触っているだけで、安心するような、そんな感じ。 一箇所、ちょっとだけ割れ目を入れ、そこに口を当てて、チューっと吸うと、中から甘酸っぱい種が出てくる。 これが、実においしい。 種は、ゼリー状の何かに包まれていて、とにかくなんとも言えず爽やかで、微笑ましい味なのだ。 食感としては、パッションフルーツに近い。 石垣でも、作っている人はまだ少なくて、なかなか手に入れることができない貴重なフルーツとのこと。 今朝いただいたのは、ねーさんがお庭のジャングルで手塩にかけて育てて、小さな小さなミズレモンだ。 海を見ながら、ミズレモンが食べられるなんて、最高に幸せだった。 本を読んでは海に足をつけ、寒くなったら上がって温かいお茶を飲み、そんなことを繰り返していたら、あっという間に3時間が過ぎていた。 海を離れるのはとてもとても名残惜しかったのだけど、マキちゃんにも会いに行きたいので、海に別れを告げた。 それから、レンタサイクル屋さんに行って、電動自転車を借りる。 マキちゃんとようやく連絡がついたのは、昨日の夜だった。 なんとなんと、マキちゃん、お母さんになっていた。 去年、私たちと会ってすぐに新しい命を授かり、里帰り出産をして、赤ちゃんと共に黒島に戻ったのが、つい一週間前だという。 この一年で、マキちゃんの人生に激動が訪れていた。 牛のいるのどかな風景を見ながら自転車をこいで、マキちゃんの家を目指す。…

ニシ浜

お天気が心配だったのだけど、1便で波照間島へ。 2便と3便が運休になった場合は、1泊、波照間島に泊まらなくてはいけなくなる。 チケットを買う時、船会社のお姉さんに、「今日中に石垣に戻れなくなるかもしれませんが、いいですか?」と念を押され、しばらく考えてから、やっぱり行くことにした。 もし帰れなくなったら、どこかの民宿に泊まればいいや、と腹をくくって船に乗った。 石垣から波照間までは、船で一時間ちょっと。 後半は外洋に出るので、波が高くなり結構揺れる。 酔い止めが必要な人もいるのだけど、私は、かなり平気。 飛行機が揺れるのも、船が揺れるのも、実は結構好きだったりする。 ゆりかごで揺られているような気分になるので。 コツは、揺れに逆らわないこと。 とにかく身を任せてしまう。 島は、小雨が降ったり止んだりだった。 電動自転車を借りて、ビニールの雨がっぱで防水し、ニシ浜へ。 やっぱり行って、正解だった。 長い砂浜を独り占めして、足元を水に晒しながら、傘をさしててくてく歩く。 時々、大きな波が来てズボンが濡れてしまったけど、ものすっごく気持ちよかった。 雨が強くなると東屋で雨宿りし、雨が止みそうになると海を歩くのを繰り返した。 晴れてピカピカの海もきれいだけど、少し霞んだ小雨混じりの海も、素敵だ。 シュノーケルをしている人もちらほらいたけど、お魚はほぼ見えなかったらしい。 2便の運行が決まったというので、本当は夕方までいるつもりだったけど、念のため、午後早い時間の便で石垣に戻った。 今日はあまりそのパワーが発揮できなかったものの、基本的に私は晴れ女だ。 私自身は日光アレルギーなので、あんまり快晴になるのも困り物だけど、天気予報を覆して晴れになることが多々ある。 そして、私は地震女でもある。 旅先で、結構な確率で地震に遭うのだ。 昨夜も寝ている時、グラグラっと揺れを感じだ。 晴れ女はまぁいいとして、地震女は全然嬉しくない。 石垣に戻ってから、ねーさんと新しくできたカフェでコーヒータイム。 夜は、大好きな沖縄料理の店でごはん。 ねーさんのおうちのお庭になったミズレモンとグァバを頂いた。 明日、黒島に持って行って朝ごはんに食べよう。

離島巡り

今日から私は石垣島へ。 東京は雪マークのお天気だけど、石垣はもう軽く20度を超える。 向こうもあんまり天気がよろしくないようだけど。 船の欠航にだけ気をつけて、(行ったはいいが、帰り、行った先の島から戻れなくなることだけは避けたい)てくてく船で離島巡りをしよう。 ベルリンから陸路で旅をするときは、ゆりねを連れていけたけど、日本ではなかなかそれができない。 それもあって、車での移動が選択肢に入れば、これからはゆりねも連れて旅ができる。 今回は、お父さん(ペンギン)とお留守番だ。 歳を重ねるというのは、経験を積んで賢くなることであり、怖いことが増えることでもあるんだなぁ、ということを、ゆりねの成長を見ていると、よく感じるようになった。 子どもの頃のゆりねは、怖いもの知らずだったけど。 いくつかの「恐怖」を経験するうちに、そのことを怖いと認識するようになる。 今、ゆりねの平和を脅かすのは、雷、私のくしゃみ、そして私の不在。 母子家庭になって、私とべったりの時間が長くなったので、私と離れることに敏感になった。 ちょっとそこまで出かけるのか、何日も長期で出かけるのか、その違いがはっきりとわかるようで、長期でいなくなる時は、ゆりねもソワソワして落ち着かなくなる。 だから、最近はスーツケースに荷造りする時も、ゆりねの目を盗んでこっそりやるようになった。 いつ戻る、とか、そういうのがわからないから、どうしても不安になるのだろう。 私も、ゆりねと離れる時は胸が痛くなる。 昨日、ゆりねは久しぶりに散髪し、スッキリした。 丸々太った子羊から、今度は山羊になった感じ。 自分でトリミングをする時もそうだけど、いつも、この刈った毛を何かに再利用できないだろうかと思う。 ラトビアには、犬の毛で手袋を編んでくれる人がいて、ゆりねの毛で手袋を編んだらあったかいだろうなぁ、なんて思ったりもするけれど、ゆりねが死んでしまったら、その手袋を抱きしめておいおい泣く自分が容易に想像できるので、そしてそれはあまりに悲しいシーンなので、昨日も、えいやーっとゴミ箱に捨ててしまった。 そのことも、いつか後悔するのかもしれないけれど。 とっておく、と捨てる、両方の選択はできない。 この間能登に行ってきたのは、テレビの「旅番組」の取材だった。 受けようかどうしようか迷っていた時、チラッとペンギンに相談したら、「お風呂に入るシーンとかないんでしょ?」と聞かれ、まぁ、確かにそうだな、と思って受けることにしたのだった。 今月31日(木)、夜11時から、BS TBSで放送される。 番組名は、「口福紀行」で、他に出演するのは、角田光代さんだ。 一軒のレストランを目指して旅をして、その旅をエッセイにまとめ、そのエッセイを余貴美子さんがナレーションしてくださる。 夜遅い放送なので、私もオンエアは見ないけど、録画して見ようとは思っている。 前回「てがみ」で右脳と左脳のことを書いたら、ちょうど読んでいた本にすごく面白い記述を見つけた。 なんと、右脳を使うのに、車の運転がすごくいいというのだ。 逆か? とにかく、車の運転には、右脳を使う、ということ。 車を運転する時は、一つのことだけに気を取られるのではなく、同時進行で、いろんな要素を瞬時に「絵」として把握し、進んでいく。その時は、左脳より右脳を多く使っているというのだ。 へぇ、なるほど〜 と思った。 もうすぐ、車の免許を取ってから一年になる。 右脳を使うトレーニングになるなら、ハンドルを握るのがより楽しくなるというものだ。 石垣島に行くの、何度目だろう? 本島より、ずっと多く行っている。 春先の南の島って、本当に好きだ。 明日の朝は、海で泳ごう。

本能

ヨーロッパに荷物を送るのに、ロシア上空が通れないため、船便だけになってしまった。 人をのせた飛行機は、ぐるりと遠回りして日本と行き来しなくてはならない。 今まで、手紙とか小包とか、1週間から10日ほどでヨーロッパまで届いていたのに、もう気軽に手紙すら送れない。 東日本大震災から11年が経ち、コロナからも2年。 思いもよらないことが立て続けに起こっている。 そして、戦争。 多分これからも、思いもよらないことがドミノみたいにどんどん加速度を増して起こるのかもしれない。 だから私は、とにかく本能を鍛えようと思っている。 こういう時代に必要なのは、人間が本来持っていて、けれど使わないうちに鈍くなってしまった本能だと思うから。 左脳は、論理的に思考するのを得意とする。分析したり、計算したり、言葉で理性を司どる。 一方の右脳は、直感や感覚で、直接ハートで感じるのを得意とする。 左脳で知識を得ることができるのに対し、右脳では叡智を養うことができる。 私が鍛えたいのは、右脳だ。 分析したり、冷静に客観的に判断するのはもちろん大事だけれど、左脳でっかちになると、感覚が鈍ってしまう。 これからの時代、左脳はコンピューターに任せておけばいい。 東京オリンピックには、ずっと反対だった。 反対だったし、なぜかわからないけれど、何かが起こって開催されないんじゃないか、という予感がずっとあった。 予感というか、それは確信に近い感覚だった。 でもまさか、流行り病だとは思わなかったけど。 「何か」は、世界的なものだろう、ということだけはわかっていた。 2年前、まるで背中を押されるような形でベルリンを去り、その後、アパートも引き払ってしまったのだが、最近、それでよかったのかもしれない、と思うようになった。 あのままベルリンに残っていても、私はそこでの暮らしを楽しめていなかっただろう。 日本に戻って、タイミングを見計らいながら、今まで目を向けていなかった日本のいろんな場所を訪ねた。 灯台下暗しとはまさにこのことで、私は自分の足元にこんなに素晴らしい自然や人や文化があることに、改めて気付かされた。 多くの人が感じているだろうけど、コロナは決して、悪い側面ばかりではなかった気がする。 立ち止まることも、大事だ。 大切なのは、恐れることではなく、気づき、そこから学ぶことなんだな、と思う自分がいる。 今週は、一泊二日で能登に行ってきた。 取材先が、ちょうど七尾の一本杉通りにあったので、一瞬だけだったけど、駆け足で鳥居醤油店さんの暖簾をくぐった。 そして、数年ぶりに正子さんと再会した。 正子さんは、私を気軽に「糸ちゃん」と呼んでくれる、数少ない人。 知り合ったのは、12、3年前になる。 正子さんは、能登の塩と大豆と小麦を使って、昔ながらの製法でお醤油を作っている本当に素敵な女性だ。 風通しが良くて、まるで暖簾みたいに、ふわりと迎え入れてくれる。 一瞬の再会だったけど、ひょっこり訪ねて本当によかった。 元気な正子さんと再会できて、私も元気をいただいた。 今度はゆっくりプライベートで能登を訪ねて、正子さんのお店の近くにできた和食屋さんをご一緒したい。 今日は、ベルリン時代のお客さま。 最近、ちらほらベルリンから一時帰国する友人が増えている。 さすがに2年以上も家族や友人に会えないのは堪えるのだろう。…

平和

三々五々、梅の花が咲いている。 この冬は寒さが長引いたので、咲き始めるのが遅かった。 ようやく、最近になって花びらが開くようになった。 やっと春うららだと喜んでいたのも束の間、世界情勢が緊迫している。 この一週間で、あれよあれよという間に、大変なことが起こっている。 ロシア情勢に詳しい専門家すら、まさか、と思っているに違いない。 ウクライナの人たちだって、まさか、だろう。 まさか、自分が現在進行形で戦争を目撃することになろうとは、夢にも思わなかった。 志願兵を募集とか、民衆が火炎爆弾を作るとか、そんな状況が現実に起きていることに恐ろしさを感じる。 愚かな人物に権力を預けることの恐ろしさと無責任さを、日本人も他人事と思わず、肝に銘じて受け止めなければいけないと思った。 3年前の夏、ぴーちゃんと訪ねたビャウォヴィエジャの森は、ポーランドとウクライナの国境に広がるヨーロッパ最古の原生林だった。 ベルリンから列車とバスを使い陸路で行ったけれど、ウクライナからポーランド、ポーランドからドイツは本当に近い距離にある。 また、ウクライナからの多くの難民が助けを求めて、他の国々に避難するだろう。 それじゃなくてもコロナ禍でもう十分疲弊しているのに、その上更に戦争となると、この先、人類の行く末がどうなってしまうのか。 本当に混沌として、明日どうなるのかわからない。 ラトビアをはじめとするバルト三国の人たちも、戦々恐々としているだろうな。 歌の革命で、ようやくソ連から再独立して自由を手に入れて、まだ30年ほどしか経っていない。 彼らは長くソ連の占領下で、本当に苦しく辛い時代を送ってきた。 だから、今ウクライナに起きていることだって、決して対岸の火事ではない。 こんなふうに、いとも簡単にひとりの愚かな為政者によって世界の、地球の運命が握られてしまうことに吐き気すら感じてしまう。 ウクライナに残された人たちも、ウクライナに家族を残して他国に避難した人たちも、本当に不安だろう。 あまりに凄まじいことが起きていて、一体自分に何ができるのか途方に暮れてしまうけれど、とにかく、このまま暴挙を許すわけにはいかない。 ベルリンで行われた戦争反対のデモには、10万人が集まったそうだ。 もしまだベルリンに住んでいたら、私もその参加者の一人になっていたと思う。 これ以上最悪なことが起こりませんように。 祈ることしかできない自分が、とても歯痒い。

粕汁天国

お豆腐を買ってきたら、まずは冷凍庫に入れる。 それが最近の日課になった。 そう、冷蔵庫ではなく、冷凍庫で保管するのだ。 そうすると、日持ちもするし、何より、生のお豆腐とは違う独特の食感が楽しめる。 高野豆腐(凍り豆腐)というのがあって、子どもの頃はどうもあれが苦手だった。 パサパサして、スポンジを口に含んでいるような気持ちになった。 でも、今私がお豆腐を冷凍庫に入れてやっているのは、それと同じようなこと。 パックのまま冷凍庫に入れて、使うときに自然解凍する。 そうすると、豆乳と水に分離して、結果として、ふかふかのスポンジ状になる。 高野豆腐は、それを乾燥させたもの。 乾燥させずに、解凍したものを、手のひらに挟んでぎゅーっと水気を優しく追い出して、それを料理に使うと、なんとも乙な味になる。 高野豆腐ほど、パサパサしないのがいい。 生のお豆腐みたいに煮崩れしないし、扱いも簡単。 せっかくにがりで豆乳を固めてくれているお豆腐屋さんには申し訳ないような気もするけど、でも、湯葉のような濃い味わいで、クセになってしまった。 冷凍してしまえば、豆腐を長持ちさせることができるし。 急にお豆腐が使いたくなった時も、冷凍庫にストックがあればいちいちお豆腐屋さんまで慌てて買いに行かなくても済む。 鍋にもいいし、お味噌汁に入れても、炒めても、煮ても、どんなふうにでも使えるのだが、最近のお気に入りは粕汁だ。 私の周りには、なぜか京都出身の友人が多いのだが、皆さん、粕汁と聞くと、おしなべて身悶えする。 今までは、粕汁ってそんなにおいしいだろうか、というのが正直な感想だった。 ところがどっこい、近頃の私は、毎日のように粕汁を飲んでいる。 間違っていたのは、私の味噌の使い方で、粕汁には白味噌を入れないと味が決まらないのだ。 白味噌で味を整えたら、最高においしい粕汁ができるようになった。 白味噌を少しにすると水臭くなるので、あくまで、たっぷりと。 そうすると、まったりとした風味豊かな粕汁になる。 チンしたお餅を入れてもいい。 粕は、あらかじめ固まりを細かくちぎって出汁で伸ばしておくと使いやすい。 中に入れる具は、鮭とか鶏肉とか野菜や蒟蒻を入れるのが一般的だけれど、私はシンプルに、冷凍庫で一度凍らせた豆腐と、油揚げ、芹の組み合わせが好きだ。 芹も、年々好きになる。 これを飲むと、本当に体がぽかぽかと温まってくるのだ。 出汁は、煮干しと昆布がいい。 この冬は、とにかく寒い。 だから、暖房の代わりにせっせと粕汁を飲んで、体を温めている。

タコの見る夢

今朝の新聞に、アニマルウェルフェアの記事が出ていた。 近頃よく耳にするようになったアニマルウェルフェアとは、動物の福祉のこと。 人間の都合による効率ばかりを優先した結果、動物たちに苦痛を与えている現状を、少しでも改善しようという動きが、アニマルウェルフェアだ。 例えば、養鶏場の「バタリーケージ」。 何段にも積み重ねた身動きも取れないケージに鶏をぎゅうぎゅう詰めにして、卵を産ませ続ける。 例えば、養豚場の「妊娠ストール」。 種付け前後から出産まで、およそ114日間ほどを、母ブタは自分の体と同じくらいしかない狭いスペースで、体の向きも変えられない状態で過ごすことを強いられる。 ドイツでは、年間4500万羽もの、生後すぐに殺されていたオスのヒナに対して、「殺処分禁止」の法律ができたとのこと。 オスのヒナは、卵も産まないし食肉にもならないため、不要なものとして殺されていたという。 その結果として、卵の値段が少し上がったそうだ。 鶏の福祉のためを思って少々の値上がりは我慢するか、それとも鶏の幸福を犠牲にしてでも安い卵が食べたいか。 私自身は、以前から、日本のスーパーで売られている卵の値段が、安すぎると感じていた。 でも安い卵は、バタリーケージに入れられて、「効率良く」産まされている結果だ。 最近、頻繁にお菓子を作るので、そのたびに卵を買いに行く。 私が買っているのは、近所の農家さんが飼育している平飼いの鶏の卵で、鶏たちは、雨の日は小屋の中で身を寄せ合ってじっとしているし、晴れている時は元気よく庭を歩いている。 冴えないお天気が続けば、なんだか卵も元気がなくなる。 それが自然なのだということに、最近気づいた。 鶏の顔を知っているから、卵にも愛着があるし、絶対に無駄にしてはいけない、と思う。 10個で500円の有精卵は、妥当じゃないかな? その値段で、人も鶏もお互いウィンウィンの関係で平和になれるのならば、決して高いとは思わない。 ドイツに続いて、フランスでもペットショップが法律で禁止になったというし、もうそろそろ、人間だけが幸せになるのではなく、生き物全てが共に幸せになる道を模索していく段階に入ったのだと思う。 それが、結果的には自分たちの幸せにも繋がる気がする。 そんな流れで、今日は、Netflixでドキュメンタリー『オクトパスの神秘 海の賢者は語る』を見た。 舞台は、南アフリカの、海の中に広がる原生林。 そこへ、人生に疲れた映像作家が、ウェットスーツも着ず、酸素ボンベも付けずにカメラだけ持って素潜りで海に入っていく。 彼はある日、一匹のメスのタコと出会い、その後は毎日、彼女に会いに行くようになる。 最初は警戒していた彼女(タコ)も、一ヶ月もすると、警戒心を解き、彼に好奇心を示し出す。 そして、彼らは握手を交わすのだ。 彼が差し出した手に、彼女はゆっくりと吸盤をくっつけ、一本の足を絡めた。 こうして、人とタコとの交流が始まった。 映像と音楽が、本当に見事なほど美しかった。 そして、何よりも美しかったのは、タコだ。 タコは、体の形や色を瞬時に変える。 二足歩行のようなことをしてみたかと思えば、岩の一部に擬態したり、ロングスカートを靡かせるみたいにして水中を優雅に舞ったり、かと思えば瞬足で泳いだり。 まさに、変幻自在な身のこなし方が宇宙的だった。 ひとりの人間と一匹のタコは、恋に落ちたように水の中で逢瀬を重ねる。 彼女が完全に彼を受け入れると、手乗りインコみたいに彼の手にしがみついて離れなくなる。 タコと人間が息を合わせて水の中を一緒に泳ぐシーンは、ふたつの命がダンスしながらお互いに相手の命を祝福するようだった。 驚いたことに、タコは、犬や猫と同じくらいの知能があるそうだ。 足には2000もの吸盤があるそうで、タコにとって吸盤は、私たちにとっての脳と同じような機能を果たしているという。…

夏みかんの使い方

無農薬の、いい夏みかんをいただいた。 さて、どうしようか? 夏みかんって、実は酸っぱくてそのままでは食べられないし、ジャムにするのも結構な手間暇がかかる。 しばらくは目だけで楽しんでいたのだが、ふと、パウンドケーキの生地に混ぜてみたらどうだろうと閃いた。 同じ要領で焼くりんごのケーキが美味しいから、もしかしたらりんごを夏みかんに変えてもうまくいくかもしれない。 結果は、大正解だった。 夏みかんの外側の皮をむき、更に薄皮もむく手間はかかるけれど、夏みかんのほろ苦さがいいアクセントになっている。 果肉だけでなく、皮をすり下ろして丸々一個分入れるのがミソかもしれない。 バターと砂糖と卵と粉だけのものすごくシンプルな材料で、しかもひとつのボウルで混ぜていくだけなので、簡単にできる。 とっても素朴なケーキだ。 イタリアの甘い朝ごはんに顔を出しそうなマンマの味だった。 夏みかんがまだまだあるので、せっせと焼いては、送り出す日々。 すっかり、料理脳ならぬお菓子脳が開眼してしまった。 パウンドケーキだけでなく、チーズケーキ、チョコレートケーキと、次々作って満足している。 家で作るお菓子は、簡単なのに尽きる。 私は、基本ボウルひとつだけで作れるレシピを選んで、それを何度か作り込みながら、自分流にアレンジしている。 それと、この季節になると必ず作るのが、柑橘のゼリーだ。 いろんな種類の柑橘を混ぜ合わせて、ゼリー寄せにする。 昨日は、近所の無人販売所に置いてあった、文旦とポンカンと、あともう一種類、名前を忘れてしまった蜜柑を使って、ゼリーにした。 多少酸っぱくても、味を調節できるのがいい。 柑橘をひとつひとつ房に分け、更に薄皮も剥くのは骨の折れる作業だけれど、一度そのモードに入ってしまうと逆にやめられなくなって、どんどん皮を剥いてしまう。 結果、とても具沢山のふるふるゼリーになる。 これを食べると、春が近いのを実感する。

スリーパーマーケット

この間、塚本太朗君がわが家にいらして、身の回りにあったいくつかの物を持って帰った。 持って帰った、という表現は語弊があるかもしれないけど。 正確には、「買い付けて」、それらの品を持って帰られた。 なるべく物を少なくしたいと常日頃から思っているけれど、意識しないでいると、どうしても物は増えてしまう。 その時はとても素敵だな、と思って手に入れても、実際に自分の生活空間で使ってみるとなんとなく違和感があったり、生活スタイルの変化と共にだんだん暮らしの輪っかからはみ出してしまったりする。 物は日々暮らしの中で使ってこそ、と思っているので、使われない状態の物はかわいそうだ。 それでも、思い出とか愛着があると、なかなか手放す勇気がでない。 でも、もしもそれを誰かが私以上に大事に使ってくれるのなら、喜んでお別れしたいと思う。 物も、その方が嬉しいはず。 太郎君が、その橋渡しをしてくれるというのだ。 彼が私の部屋にあった物の中から選んだのは、ドイツにいた時に出会った文房具など。 それを、コクヨが運営するオンラインショップ、「MIDNIGHT SHOP」内の「Sleeper Market」で販売するという楽しい企画のお知らせです。 今週の2月4日(金)夜8時から開店し、閉店は次の日の朝10時。 それ以外の時間は、クローズ。 「Sleeper Market」は、毎週金曜日の夜だけオープンするオンラインショップです。 また、2月1日(火)から6日(日)まで、千駄ヶ谷のTHINK OF THINGS 実店舗で、私が出品するアイテムの展示を行うそうです。 普段から執筆に使っている仕事道具やベルリン在住時に買ったものなどをご覧いただけるとのことなので、ご興味ある方はぜひ、足を運んでみてくださいね! THINK OF THINGS / MIDNIGHT SHOP https://midnight-shop.think-of-things.com/ (毎週金曜20:00~土曜10:00オープン) どれも、私にとっては思い入れの深い物ばかり。 だから、もしも気に入っていただけるような物があったら、次なる所有者になっていただけると、私としては、本当に本当に嬉しい限りなのです。 どうぞよろしくお願いします。

手前味噌週間

朝、部屋のカーテンを開けて、朝焼けの空が広がっている時。 ゆりねと散歩に行って、青空を背景に桜の蕾が膨らんでいるのを見つけた時。 夕方お風呂に行って、日が暮れる時間が長くなったなぁと感じる時。 これってもしかして、あなた。あなたのお名前は、春ですよね?  そう呼びかけたくなるような光に出会う確率が増えてきた。 あと、もう少し寒いのを我慢すれば、春がやってくる。 空気が乾燥していて気温が高くないこの時期は、味噌作りにもってこいだ。 ということで、大阪屋麹店から生の米麹を6キロ送ってもらい、それを3回に分けてせっせと手前味噌を仕込んでいる。 一度、悲しい気持ちの時に味噌作りをしたら、見事にカビが生えてダメにしてしまったので、お味噌を作る時は、空模様も心模様も、どちらもピカピカの晴れ間を選ぶのを肝に銘じるようになった。 ジメジメした雨の日では、どうも麹が気持ちよく発酵しない気がするし、怒りとか悲しとかの負の感情も、波動となって味噌に伝わり、結果としてマイナスのエネルギーが味噌に蓄積されるのではないだろうか。 音楽も、麹が心地よく感じる(だろうと思われる)曲をかけてあげたり。 どんなに同じ分量で同じ手順で作っても、できる味噌はその都度違う味わいになるのがまた面白いところだ。 今回新たに発見したのは、潰した大豆と、塩と麹を混ぜ合わせた塩麹を混ぜてから麹玉を作る際、三角形にすると、その後袋に入れやすいということ。 今までは、丸でやっていた。 でも、四角い袋になるべく隙間を作らないように入れるには、丸よりも三角の方が都合がいいというか、理にかなっている。 それで、今回からは三角のおむすび型にする。 3回目の昨日は、高校1年生になったららちゃんに、お味噌レッスン。 純粋無垢な清らかなららちゃんの手で触られたら、麹たちもきっと喜ぶに違いない。 自分でお味噌が作れれば、海外で暮らすことになっても心強いはず。 心身の健康を維持するのに、味噌は大いに役立つ。 地球のどこにいたって、一日一回でもお味噌汁を飲むと、足の裏からじんわり根っこが生えるような気分になって、異国にいる不安を忘れさせてくれる気がする。 私は、最低でも一日一回は、お味噌汁を飲むよう心がけている。

プルピエ

叔母から、手紙が届いた。 去年の暮れ、大晦日に出羽屋さんのおせちを届けた、そのお礼だった。 叔母は去年、大きな手術をして、少し、認知症の症状も出ているのかもしれない。 二日かけて頑張って書いてくれたという手紙を、夫であるおじさんが「翻訳(?)」してくれたものが送られてきたのだ。 叔母は、母の妹である。 手紙には、今まで知らなかったことが、いろいろ書かれていた。 まず、今はもうない実家の庭に、ゆり根が植えられていたということ。 叔母が出羽屋さんのおせちの中でもっとも印象的だったのが、ゆり根のきんとんだったそうで、実家に咲いていた百合の花のことを思い出したという。 実家にも、お正月にゆり根をとるための百合があったのだ。 そしてもっと驚いたのは、叔母にとっては姉である私の母が、おせち料理に毎年「ひょう」の干し煮を作っていたという事実。 叔母の手紙に、「おばあちゃんだけでなく、あなたのお母さんも料理を好きだったんだよ。」とあり、その一文を読んだら、涙が止まらなくなってしまった。 ところで、最初、わたしは「ひょう」が何かわからなかった。 でも、調べているうちにうっすらと思い出した。 「ひょう」は、野菜というよりはその辺に生えている雑草で、正式には「すべりひゆ」というのだそうだ。 お尻の「ひゆ」がなまって、「ひょう」になったのだろう。 ひょっとしていいことがありますように、との願いを込め、母もひょうのおせちを作っていたとのこと。 そんなこと、全然知らなかった。 「すべりひゆ」は、痩せた土地にも生え、日照りにも強い雑草だ。 住宅地や畑、垣根などどんな場所にも根っこを張る、ものすごく生命力の強い植物らしい。 江戸時代に米沢藩をおさめていた上杉家の上杉鷹山が、倹約のために食べるのを推進したそうだ。 それで、山形には「すべりひゆ」を食べる食文化が根付いた。 上杉鷹山って、なんか好きだなぁ。 彼が残した、「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」は、素晴らしい言葉だと思う。 日本でこの「すべりひゆ」を食べるのは、山形と、そして沖縄が多いとか。 夏は新鮮なものをお浸しにし、冬は塩漬けにして干したものを煮物などにして食べる。 そして、この「すべりひゆ」はヨーロッパでも食べられているらしく、向こうでは、プルピエというそうだ。 なんだかとってもかわいい名前。 見た目は、少し葉っぱをぷくぷくさせたようなクレソンみたいな雑草で、あー、確かに昔、祖母がお浸しにしたのを食べていたような気がする。 母とはもう話すことはできないけれど、こんなふうに叔母と交流することで、私のどこかが救われている。 私はずっと、母は料理が苦手で、作るのが好きではなかったんじゃないかと思っていたけど、それは私の誤解だったこともわかった。 きっと、いや間違いなく、母は、叔母からの手紙を喜んでいる。 それにしても、「ひょっとしていいことがありますように」なんて、いかにも奥手な山形の人らしい発想だなぁ。 叔母が、また来年も笑顔で、出羽屋さんのおせちが食べられるといい。

ひっぱりうどん

去年の秋以降、頻繁に食卓にのぼっているのが、ひっぱりうどんだ。 これは、山形に古くから伝わる郷土食。 細いうどんを湯がいて、鍋ごと食卓に出す。 温暖な地域に暮らす人には想像もつかないかもしれないけれど、本当に寒いと、鍋からどんぶりに麺を移している間に、麺が冷めてしまう。 それに、冷たいどんぶりに入れたらそれだけで麺が冷えてしまうから、もうそのままドーンと鍋ごと食卓に載せてしまうのだ。 釜揚げうどんにも似ているけれど、ひっぱりうどんの方がもっと土着的というか、暮らしに根付いた食べ物の気がする。 うどんを茹でている間に、タレを用意する。 まずは、ひきわり納豆。 最近、ひきわり納豆が簡単に手に入るようになり、種類も豊富で納豆好きにとっては嬉しい限りだ。 ひとり1パック。 そこに、めんつゆを少々と、ねぎ、おかかなどをのせて、麺が茹で上がったら茹で汁を少し混ぜて濃さを調節する。 めんつゆがなければ、ただお醤油だけでもいい。 あとは、ひたすら鍋からうどんを引っ張り上げて、納豆に絡めながら食べる。 シンプルだけど、ものすごく美味しい。 わたしは「ひっぱりうどん」と呼んでいるけど、「ひきずりうどん」と言う人もいる。 どうやら、鯖缶を入れるのが主流のようだが、わたしは、ひきわり納豆だけで十分味が完成されていると思う。 鍋から上がる湯気もご馳走になって、食べていると、みるみる体が温まる。 簡単にできるし、寒い日はひっぱりうどんに限るのだ。 毎日だって食べたくなる。 ひっぱりうどんと並び、もうひとつ、最近よく作って食べているのが玉こんだ。 こちらも、山形のソウルフードで、駅の売店でも売っているくらい、ポピュラーな食べ物。 ご飯のおかずというより、おやつ感覚で玉こんを食べる。 丸いこんにゃくをいくつかお団子みたいに串に刺して、辛子をつけていただく。 子どもから大人まで、みんな玉こんが大好きだ。 美味しく作るコツは、とにかく余計な手を加えないことで、私の場合は、お醤油だけで味付けする。 まずは水から出した玉こんを鍋で空炒りして水分を飛ばし、あとは強火のままお醤油を回しかけて煮詰めるだけ。 今日みたいに、冷たい雨の降る日、買い物にも行けないし、どうしようという時は、玉こんがあると重宝する。 しかも、こんにゃくだから、とってもヘルシーだ。 ひっぱりうどんにしろ、玉こんにしろ、一見雑なように見えて、でもこういう素朴な食べ物の方が、飽きずに何回でも食べたくなる。 寒いからこそ、生まれた料理なのだろう。 昨日、今日と山小屋に関する本ばかり見ていたら、むずむずと雪山に行きたくなった。 見渡す限り雪に覆われた銀世界を、この体で味わいたい。 どこに行ったら、その望みが叶えられるかな? スノーシューを履いて雪原を闊歩したい。

山へ

ふと思い立ち、高尾山へ行ってきた。 わざわざ日曜日に行くこともなかったのだけど、思い立ったが吉日。 新しく買ったトレッキングシューズを履いて、リュックにおやつを入れて出発した。 最近、朝焼けの空がすごく綺麗だ。 混んでいるだろうなぁ、とは思っていたけど、やっぱり混んでいた。 電車が高尾山に近づくにつれ、山登りの格好をした乗客がどんどん増える。 終点の高尾山口のホームには、老若男女の山人たちが大集合だった。 まずはリフトで中腹まで登り、そこから登山スタート。 カラフルなリフトが楽しくて、テンションが上がる。 山に入ってしまえば、密になることはない。 自分の心地いいペースで、ゆっくり歩けた。 緑が生き生きと輝き、冬の光が最高に美しかった。 立ち止まっては、何度も何度も深呼吸。 ベンチで休んでおやつを食べながら、時間を気にせず頂上を目指す。 去年は、出羽三山と上高地に行った。 山は、雑念を忘れさせてくれる。 ただただ次の一歩のことだけを考えながら歩くのは、瞑想に似ているかもしれない。 瞑想も自分の呼吸だけに集中することで、余計なことに意識を向けないようにする。 今回は、高尾山の頂上がゴールではなく、言ってみれば、そこからが出発みたいなもの。 裏高尾と呼ばれるルートを通って、小仏城山へと足を伸ばす。 そのまま縦走していくつか山を越えれば、陣場山へも行くことができる。 次はぜひ、陣場山までのコースに挑戦しよう。 機嫌よくてくてく歩いていたら、後ろから、ずっと独り言を話す声の高い女性がついてくる。 ん? と思って振り返ったら、彼女の横に、白地に薄茶色のまだら模様が印象的な、もふもふの犬が並んで歩いていた。 聞けば1歳のラブラプードルだそうで、足を泥だらけにしながらるんるんと楽しそうに山を登っている。 その姿に、元気をもらう。 歩いていると、いろんな場所から富士山が見えて、その度に感動しては大きなため息が出た。 今、富士山は、これでもかってくらい粉砂糖をまぶしたお菓子みたいに真っ白だ。 小仏城山の山頂にある城山茶屋で、なめこ汁をいただきながら、富士山を堪能する。 まさに、シンプルイズベストの山。 体が冷えている時のなめこ汁は、格別だった。 富士山に別れを告げ、小仏峠からバス停へと下山する。 なんとなく気持ちのモヤモヤを晴らしたくて山に行こうと思ったのだけど、その点に関してはあまり効果がなかったかもしれない。 やっぱり、もっと高く険しい山でないと、我を忘れることはできないのかなぁ。 それでも、澄み切った空気を呼吸し、植物たちからたくさんのエネルギーをもらって、体のどこかが一新された感覚は確かにある。 また近いうち、高尾山に会いに行こう。 今夜のおかずは、これ。 北海道の真狩村で作られた、ゆりね100%の手作りコロッケ。

シュネー

雪が降っている。 天気予報に雪マークが出ていたから、朝から何度も窓の向こうの景色をチェックしていた。 午前11時になるちょっと前、小雨に若干色をつけたような雪がちらちらと見受けられるようになった。 それがお昼くらいになると、スノードームの中の雪みたいに、細かい氷のかけらが宙を舞うようになり、それから一時間後くらいに、本格的に降り始めた。 このまま降ると、少し積もるかもしれない。 雪を見ると、なんだかホッとする。 やっと冬が来た。 ゆりねのお散歩にもお風呂にも行けそうにないので、午後は雪を見ながらの読書だ。 お正月にどうしても読みたくて、西加奈子さんの『夜が明ける』を取り寄せた。 ここ数日、ずっと彼女の世界に浸っている。 続きが気になって、夜、布団に入っても眠れないなんて、久しぶりの感覚だった。 ものすごい、圧倒的な熱量で、この物語を書き上げたのだろうと何度も思った。 無駄な文章どころか、無駄な文字、無駄な句読点ひとつないほどに、完成されている。 すごいなぁ。 本当に本当に、すごい。尊敬する。 胸の奥に疼く強烈な「叫び」を表現するのに、これだけの文字が必要だったんだな。 最後のページまで読み終えた今、心の中で拍手喝采が鳴り止まない。 自分で装画も描いて、この人はなんて才能豊かなんだろう、としみじみ思った。 雪は、まだ降り続いている。 マンションの中庭で、子供達が楽しそうに雪と遊んでいる。 梢にはたっぷりと雪が積もって、窓の外は雪景色だ。 ドイツ語で、雪はSchnee(シュネー)。 久しぶりに、思い出した。 あけまして、おめでとうございます。 今年も、よろしくお願いします。 2022年が、光あふれる希望の年となりますように! 追記) その後、雪国育ちの血が騒ぎ、年賀状を出しに行くのを口実に、外に出る。 窓からの雪景色を見ているだけでは物足りなくなり、ベルリン時代のヤッケを引っ張り出した。 (ちなみに、ヤッケもドイツ語です。) 足元にはモンゴルの極寒にも耐えてくれた最強ブーツを履き、帽子に手袋と、完全防備で出発する。 もちろん、傘は差さない。 雪だから、払えばすぐに落ちるので。 それよりも、両手を解放し、バランスを取りながら歩く方が大事。 いい雪だった。 しっかりと小粒にまとまり、歩くたびに、キュッキュッと音がする。 年賀状をポストに投函しても、もう少し雪道を歩きたくて、遠回りした。 防寒したので寒くはなく、むしろ背中が汗ばんでくる。 冬タイヤに変えてない車が、ノロノロと道路を走っていた。 今夜は、鱈ちり鍋。…