ノラコヤの近くに小学校があり、よく、下校途中の小学生たちと遭遇する。 その子たちが、本当にかわいいのだ。 こんにちは! と向こうから元気に挨拶してくる。 ゆりねを連れていれば、かわいいですね、なんてひとこと添える。 概して、女の子はおませさんが多く、一方の男の子は、ザ・小学生男子。 いかにもお年頃真っ只中に見える中学生男子ですら、向こうから自転車で来てすれ違うときに、こんにちは! と声をかけてくる。 もう、なんて素直な子たちなのだろう。 私はその子たちが、かわいくてかわいくて仕方がない。 東京のマンションに住んでいたときは、たとえエレベーターの中で、こちらから挨拶しても、しれっと無視されることがほとんどだった。 おそらく、知らない人に声をかけられても応じないよう、親から言われているのだろう。 子どもを狙う凶悪な犯罪も多いから、それは子ども自身が身を守る術なのかもしれない。 確かに、子どもが、良い大人と悪い大人を瞬時に見分けるのは困難だから、全員を悪い方のジャンルの大人に一括りしてしまえば、それだけ危険も減るのかもしれない。 でも私はやっぱり、無視されるたびに、なんだかなぁ、と思っていた。 なのにこのあたりの子どもたちは、向こうから声をかけてくるのだ。 下校時間になると、子どもたちの声で、いつも見守ってくれてありがとうございます、的なアナウンスが流れる。 大人が一丸となって、子どもたちに深い眼差しを向けているのは、東京では見ることのなった光景だ。 これでノラコヤにヤギが来た日には、子どもたちの人気者になってしまいそうだけど。 地域の放送といえば、おじいちゃんがどこそこでいなくなったとか、おばあちゃんが帰らないとか、そういうのも頻繁に耳にする。 やっぱり、高齢化は顕著なのだ。 翌日になって、無事に見つかったという放送があると、心底ホッとする。 子どもの自殺が増えているという報道に、本当に胸が痛くなる。 小学生や中学生、高校生が、自ら命を絶つ。 その深刻さを、私たちはもっともっと真剣に受け止めなくてはいけない。 大人は子どもたちに希望を提示しなくてはいけないのに、子どもを絶望に追いやっているのだ。 100%、大人に責任があると思う。 子どもたちが、笑顔で明日を迎えられますように。 里暮らしをする中で、そう強く願うようになった。 今日は、一日中、富士山が丸見えだった。 里でも最高気温が0度だから、お山はさぞ寒かろう。 山小屋もノラコヤも、私にとってはかけがえのないパートナーだ。 さすがに、春が待ち遠しい。