てがみ

食パン泥棒

天気予報を見ると、明後日から雨が続く。 いよいよ梅雨入りだろうか。 その前に薬草の苗を植えておきたいので、今日は朝からお庭仕事に精を出す。 午後は、苗を買いに里までひとっ走り。 二日連続で買いに行ったら、お店の人にびっくりされた。 ここぞとばかり、思いっきり大人買いする。 先日、ベルリン時代の友人が山小屋に遊びに来た。 まずは、駅まで迎えに行って、そのままお昼を食べにうどん屋さんへ。 もともとパン屋さんをしていたそうで、うどんを食べがてらパンも買える。 友人が、お土産にと食パンを買ってくれた。 うどんもパンも、どっちもおいしい。 その後、お店のある集落を散歩。 茅葺き屋根の民家の奥に、とても素敵な神社を発見する。 ものすごくいい気が流れていた。 それからコーヒーを飲みにカフェに立ち寄って、いつもの神社でお水を汲んだ。 その足で温泉へ寄って、お花屋さんに取り置きをお願いしていた植木をゲットし、夕方5時過ぎに山小屋へ到着。 まずは、外のテーブルで乾杯する。 私は、微発砲の白ワインを飲みながら、せっせせっせとお庭仕事。 植物たちに盛大に水をやり、なんとも気持ちのいい夕暮れを過ごす。 今年の夏至は、6月21日。 本当に日が長くなった。 辺りが薄暗くなってきたところで、山小屋へ戻った。 すると、ソファに何やら見慣れないものが転がっている。 小型のヘルメットみたいだけど、なんだろう? 拾い上げた瞬間、ギョッとした。 なんと、それはパンの耳のほんの一部。 ゆりねが、友人がカバンに入れておいたお土産の食パンを、ほぼ一斤丸ごと食べたのだ。 唖然として、言葉も出ない。 食パン泥棒は、しれっと明後日の方を向いている。 庭に出る前に、その日の晩ごはんもあげているのに。 ということはつまり、ゆりねは食パンほぼ一斤を、デザートとして食べたことになる。 恐ろしい食欲。 でもさすがに耳までは完食できなかったのか。 レーズンやチョコレートが入ったパンだったら、慌てふためくところだった。 プレーンの食パンだったので、かろうじて事なきを得たものの、これからお客さんがいらっしゃる時は、バッグに食べ物が入っていないか、重々気をつけていただかないといけない。 これじゃあまるで、人間の荷物から食べ物を奪っていく猿と同じ扱いではないかと途方に暮れた。 ゆりねちゃん、かわいい顔をしているけど、やることは恐ろしい。 仕方がないので、友人と、ゆりねが食べ残したパンの耳をほんの少しずつ分けあった。 なんておいしい食パン! ゆりねは、さぞ至福だったはず。…

おままごと

数日間仕事で留守にして森に帰ってきたら、見違えるように緑の世界が広がっていた。 葉っぱが芽吹き、空を覆うほどの緑の天蓋ができている。 木の枝たちが、ようこそ、美しい森へ! と手招きしてくれているみたいで、嬉しくなる。 たった五日間で、世界が一変した。 トウゴクミツバツツジも、満開になっていた。 暑い日が二日続いたので心配だったのだけど、どうやら植物たちは無事だったみたい。 良さそうな薬草の苗を見つけては、山小屋に連れて帰ってせっせと植えていた時期だったので、まだまだたくさんお水をあげないと枯れてしまう。 山小屋も庭の植物たちも、ゆりねと同じく私の大切な家族だ。 森に帰った瞬間、家族に再会し、ものすごくホッとしている自分がいた。 それにしても、今日の朝の光は最高に輝いていた。 庭と森が、キラキラ、微笑んでいる。 あまりに美しいので、日曜日ということもあり、6時前から庭仕事を始めた。 森の空気を吸っているだけで、幸福感に満たされる。 鳥の囀りを聞きながら、土いじりを楽しんだ。 今私が森でしていることは、大人のおままごとだと思う。 だって、土を捏ねてお団子にして喜んでいた子ども時代と、やっていることはそんなに変わらない。 ただ、それが本格的になっただけ。 本気のおままごとが、こんなにも楽しいとは知らなかった。 もっと早くこの喜びに出会えていればとも思うけど、でも今このタイミングだからこそ、思う存分楽しめているのかもしれない。 試行錯誤を繰り返して、少しずつ、自分の理想とするお庭ができていく。 山小屋の二階の窓から、ただ庭を見ているだけで、幸せな気持ちになる。 あそこにあれを植えようとか、あの場所は変えた方がいいかな、とか思考は尽きない。 庭を見ながら、いくらでも過ごせる。 思い返せば、母の父である祖父も、植物を愛する人だった。 温和な祖父は、いつも小さな庭の手入れをしていた。 私の山野草好きは、祖父から譲り受けたものかもしれない。 今回、コマクサの花の一番美しい瞬間を見逃してしまったことだけが、悔やまれる。 一見、死んでいるみたいに静かだった森が、一気呵成に活気付く。 そのダイナミックな変化に、私はただただ圧倒された。 あの枯れたように見えた樹木の姿の奥底に、これほどまでのエネルギーが蓄えられていたことを思うと、ますます植物たちを尊敬する。 今日は森でも気温が上がり、ハルゼミがうるさいほどだった。 夕方、ドイツの白を開けてオニワイン。 一日が無事に過ぎていく、それだけでとても恵まれた幸福なことなのだということを、改めて実感した。 今日は本当に本当に美しい日曜日だった。

しゃーない

昨日の朝、目が覚めて窓から外を見た瞬間、言葉を失った。 それほどのすごい雨だとは、気がつかなかった。 外に出ると、敷地に完全に川が流れている。 去年から雨が降るとミズミチができることは気にしていたのだけど、まさかそれほどの雨が降ったとは。 どうやら相当の雨量だったらしい。 前日までの景色が、完全に失われてしまっていた。 以前から気にしていたし、想定していた事態とは言え、気持ちは沈んだ。 それでも、この春に植えたハーブたちがほぼ無傷だったことは、不幸中の幸いかもしれない。 よくあの雨の中を耐えてくれた。 風がない分、まだマシだったのだろう。 台風だったら、きっと木っ端微塵になっていたに違いない。 さすがに昨日は放心状態で、どこから手をつけていいかわからなかったし、植物たちにも触れることができなかった。 それでも、太陽が出れば、植物たちは昨日のことなんかさっぱり忘れて、わーいわーい、お日様が出たぁ、と嬉しそうに葉っぱを広げる。 なんて素直なんだろう。 その姿に励まされた。 だから私も、今朝から気持ちを切り替えて、また水撒きをやった。 植物たちが、明らかに喜んでいる。 空が晴れていれば、私が水をあげるしかない。 私が水をやらなければ、彼らはすぐに枯れてしまうのだ。 自分で直せるところはコツコツコツコツ自分で修復し、できないことはできる人に頼むしかない。 起きてしまったことをいくら嘆いたって、元には戻らないのだもの。 泣いたり、怒ったり、憤ったり、誰かのせいにしている暇があったら、せっせと体を動かした方が効率的だ。 そうすれば、自ずと次の道もひらける。 人生には、いいことも悪いことも、両方起きる。 そのことを、半世紀近く生きてきた私は、もう体で知っている。 だから、しゃーない。 人生に、しゃーないことはいっぱいあるし、しゃーないことだらけだとも言える。 そんなんでいちいちジタバタしても、エネルギーの無駄使いだ。 そんなことを思いながら、今日もお昼から、淡々とお庭仕事をやった。 土に触れていれば、自然と気が紛れるし、気持ちが穏やかになってくる。 無事でいてくれた植物たちに、本当に感謝だ。 ますます、愛おしく愛おしくてしゃーない。 災害があって、それを元の姿に戻そうと復興する。 今回の連休中も、また能登で地震があった。 元に戻して、また壊れて、また元に戻して。その繰り返し。 不屈の精神だ。 それに比べたら、私なんか、まだまだだ。 たーくさん自然に恩恵を受けているので、こんなの、屁の河童だと思う。 大丈夫、大丈夫。 植物たちこそ、どんなことがあってもお日様の方を向いて、今だけを生きて、彼らこそ、不屈の精神だ。…

芽吹き

5月になったら、日に日に視界に占める緑が増えてきた。 ついに迎えた、芽吹きの季節。 数日前、里から遊びに来てくれた友人は、ここでは季節が2ヶ月遅いと話していた。 里は、もうとっくに芽吹きの季節が過ぎ、初夏の空だとか。 でも、私が暮らしている森では、ようやく今、植物の新芽が顔を出し始めている。 急に、世界が明るくなった。 一瞬でも目を閉じると、大事な瞬間を逃してしまいそうで目が離せない。 ついこの間まで殺風景だった道路が、今は緑のトンネルになりつつある。 ゴールデンウィークは、ひたすらお庭仕事に明け暮れた。 やってもやってもやることはいっぱいで、庭仕事に終わりはない。 日々刻々と変化する、庭。 私は完全にお庭のお母さんになった心境で、庭の植物たちが健やかに成長することだけを願っている。 犬や猫も人間がケアをしないと生きていけないけれど、植物たちは、それこそ喉が渇いたからといって自分で水を飲みに行くことさえできない。 だから、責任重大だ。 でも、そばに動物(ゆりね)がいて、植物たちに囲まれて、たまに気心の知れた友人が訪ねてくれて、こんなに幸せなことはない。 オキシトシンが溢れてくる。 今の暮らしの素晴らしい点は、日々、地球の美しさを実感できることだと思う。 もちろん、都会に暮らしていても、小さな自然を愛でたり、旅行をして日常を離れて、自然の美しさを堪能することはできる。 でも、森にいると、日常的に大自然に触れることができる。 あまりの自然の美しさに、ただただ泣きたくなるような出会いが、普段の暮らしの中にたくさんあるのだ。 それは、ものすごく人を幸せにするというか、満たしてくれる。 地球に生まれて、今、ここにいることを、無条件で喜べるという感情は、森暮らしを始めてから初めて味わったものだ。 誰に対してなのかわからないけれど、ありがとう、という感謝の気持ちが湧き上がってくる。 連休中、一日だけ白駒の池へ行ってきた。 去年、登れなかったニュウの頂上を目指し、そこから中山峠を通って下りてきた。 登山道にはまだしっかり雪が残っていて、苔と雪とのコントラストを堪能しながら登山を楽しむ。 今年初の山登りだ。 アイゼンがあった方が安全だろうという場所もあったけど、まぁ、登山用のストックだけでなんとか大丈夫だった。 ニュウの頂上からの眺めは、素晴らしかった。 あの荘厳な景色は、自分の足で山の頂まで行った者しか見られない。 まさにご褒美だ。 空も快晴で、本当に、生きててよかった、と思えるような絶景だった。 登山は、自分の心地よいペースで登れるのが一番だ。 誰と競うでもなく、ただ、一歩、また次の一歩だけを考えて。 そうすれば、気がついたら頂上に着いてしまう。 あまり遠くを見ない方がいい。 同じ頃に登り始めた男女のペアは、いつも、男性だけが先にスイスイと行ってしまう。 女性はかなりしんどそうで、彼に着いていくのがやっとだった。 彼は、女性が追いつくと、また先に行ってしまう。 女性を先にして、登山に慣れている様子の男性が後から着いて行ってあげればいいのにと、部外者ながらその様子に悶々とした。…

ギフト

とても好きな神社がある。 お菓子を作っている友人が教えてくれたのだ。 その神社には湧水があり、その湧水がものすごくおいしい。 お白湯にして飲むと、その味わいがいっそう際立つ。 その場所には、たくさんの人がボトルを手に湧水を汲みに来る。 本当に本当に美しい場所で、そこにいるだけで心が潤い、幸せを感じることができる。 日本版、ルルドの泉だ。 フランスとドイツのテレビ局が私の番組を制作してくれることになり、事前のインタビューで好きな場所を聞かれた。 それで真っ先に思いついたのが、その神社だった。 鬱蒼とした木々に囲まれた、水の豊かな場所。 友人が遊びに来る時は、真っ先にその神社に案内しておいしい水を味わってもらい、瓶に水を汲んで帰ってくる。 ついでに、水辺に生えている芹も摘んできて、晩ごはんに食べるのがお決まりのコースだ。 ここは、とっておきの私の心のオアシス。 一昨日、その神社で撮影だったのだが、素敵な出会いがあった。 まずは、おばあちゃん。 小柄で、首にスカーフを巻いているおばあちゃんは、毎日、リュックを背負って、ここまで水を汲みに来るという。 「私、車運転しないからさ」とおばあちゃん。 「どのくらい歩いて来るんですか?」と私。 「15分くらいかな? 散歩がてらね。ほら、足腰丈夫にしておかんといかんからさ」 「今、おいくつですか?」 「いくつに見える? とうに80は過ぎてるよ」 そんな会話を交わした後、 「ほら、そんな瓶じゃ重たいでしょ。これだとね、畳めるから便利なの。あげるから使って」 と、自分のリュックの中から、コンビニで売っているお酒の紙パックを取り出した。 中には、たった今汲んだばかりの湧水が入っている。 「いいよ、いいよ、大丈夫。これはおばあちゃんのお水だから、家に持って帰って」 私が言うと、 「いいから、いいから、せっかくこうして出会えたんだから、貰ってくれればいいの」 おばあちゃんは絶対に譲らない。 なんて優しいんだろう。 なんだかおばあちゃんの愛情がじんわり心に沁みてしまい、私は思わず泣きそうになった。 湧水がパンパンに入った松竹梅の紙パックを、私はありがたく頂戴した。 それから話題を変え、私が芹について尋ねると、 「せっかく今あなたいい靴履いているから、いい場所教えてあげる。こっち来て」 と、ワサビ田の方へ案内してくれた。 これまで、私はもっと下の用水路のところで芹を摘んでいたのだ。 でも、こっちの方がいいという。 躊躇う私に、 「私、ここでワサビ育ててる人知ってるから、大丈夫」と背中を押す。 転ばないように気をつけながら、長靴の私は、ワサビ田に生えている芹を摘んだ。…

菌根菌(キンコンキン)

山小屋ができたら、どうしてもやりたいと思っていたことのひとつが、薬草講座に通うことだった。 茅野に、すごく好きな薬草店がある。 そこの店主の生き方や考え方、言葉、センス、全てが大好きで、その人に直接会いに行こうと決めていた。 探せば、共通の編集者がすぐに見つかるだろうし、仕事として取材を申し込んでお話を伺うこともできたのだが、私は個人として素の自分でお目にかかりたい、と思っていた。 その薬草講座が、今月から始まっている。 初日は、ものすごーく緊張した。 同じテーブルを囲んで学ぶ生徒は、全員で4人。 私はなぜこうも、自己紹介をする時に緊張してしまうのかな。 他の生徒さんは、どうして植物に興味があるのか、仕事は何をされているのか、今回講座に参加して何を学びたいか、スラスラと話せるのに、私は胸にあった言葉の1割も外に出せなかった。 自分でも、ちょっとおかしいんじゃないかと思う。 ベルリンでドイツ語スクールに通って以来の「学校」だ。 薬草店までは、山小屋から車で片道1時間10分ほどかかる。 朝出て、授業を受けて、買い物をして、温泉に寄って帰ると、山小屋に戻るのは夕方で、一日がかりの勉強会になる。 でも、すごく楽しい。 毎週末、先生にお会いして、仲間たちと植物について学び、最後に手作りのおやつをいただき、薬草店のお庭を眺めて帰ってくると、なんだかとっても満たされた気持ちになる。 お庭は、この季節、一週間でぐんぐんと色を増し、花を咲かせ、それはそれは美しくて平和だ。 私の大好きな、素朴な草花たちが楚々と寄り添う素敵なお庭。 ただそこに身を置いているだけで、あぁ、生きていてよかったと思えてくる。 植物は、本当にすごい。 最近、興味があって立て続けに読んでいる森に関しての本に、必ず登場するのが「菌根菌」という言葉。 菌根菌とは、植物の根に共生しているカビ(菌)のことで、植物たちはこの菌根菌を介して、土の中で多くの情報をやり取りしていると言われている。 私たち人間が手と手を取り合って困難に立ち向かったり喜びを分かち合うように、植物たちも、地面の下で互いに助け合い、協力しながら生存しているのだ。 冬、光合成のできない落葉樹に針葉樹が栄養を分けてあげたり、マザーツリーが小さな子どもたちへ養分を与えたり、自分が朽ちる時は、自らの子孫に持っている財産を分けたり、もう本当に知れば知るほど、植物たちは叡智にあふれ、ものすごい高度な社会生活を営んでいる。 植物たちは、人間が出す二酸化炭素を取り込んで、私たちが必要とする酸素に変えてくれるし、どう考えたって人間を支えてくれている。 共に地球に生きる仲間として。 森にいると、それを肌で感じることができる。 心にちょっとした黒い感情やモヤモヤがあっても、森の植物たちはそれをスーッと、まるで私の胸にハンカチを当てるように吸い込んで、心を健やかな状態に戻してくれるのだ。 植物たちには、どんなに感謝しても感謝しても足りない。 かつては、人間はもっと謙虚で、身の程を知っていて、植物たちがいかに賢く知性に満ちあふれているかも熟知していたのだと思う。 先住民の人たちは、そうやって植物たちと共に生きていた。 なのにいつからか人間は、とても大事なことを忘れて、植物を上から目線で見るようになって、どんどん搾取するようになった。 自らの欲望を満たすためだけに、平気で木を切り倒すようになった。 今、神宮外苑の再開発で木を伐採することが問題になっているけれど、それらの木々がどれだけ私たちの生命に恩恵をもたらしてくれたか。 そんな仲間を、経済優先の考えで切り倒すなんて、想像するだけで胸が痛くなる。 牛や豚も、屠殺される前には悲痛な声で泣き叫ぶと聞いたことがある。 犬や猫も、殺処分される時は、本当に本当に悲しい表情を浮かべる。 木だって、一緒のはず。 私たち人間にその声が聞こえないだけで、彼らは彼らなりの言葉で悲しみの声を上げている。 自分の身に置き換えれば、それがいかに非道で残酷な行いか、わかるだろう。 もちろん、生きていくために、私たちは植物や動物の命をいただく必要がある。…

お庭中毒

辛夷の花の、最初の一輪が咲いた。 去年の秋から枝の先にぽつんと小さな蕾を膨らませ、そのまま冬を越して、ようやく今、長い長い眠りから目を覚ました。 私の森の、春一番に咲く花だ。 花が咲くというのを、これほど待ちわびたのは、人生で初めてかもしれない。 里に下りて行くと本当に花ざかりで、まるで桃源郷に迷い込んでしまったような気持ちになる。 標高1600メートルの森では、あんなに色とりどりの花が咲き乱れることはまずない。 地面と向き合っていると、ほんの小さなスミレの蕾にだって感動する。 花が咲くことは決して当たり前ではないのだということを、この春、肌身で知った。 もうひとつ、最近の大発見といえば、リスだ。 リスは以前から森の木々を駆け抜けていたけれど、どうやら一匹のリスが、私が木から吊るして鳥たちにあげている向日葵の種の存在に気づいたらしい。 私の大発見は、ここから。 なんとそのリス、向日葵を見つけた瞬間、尻尾を振ったのだ。 そっか、嬉しくて尻尾を振るのは、犬だけじゃなくて、リスも一緒なんだ! と、その時私はものすごい発見をしたような気持ちになった。 フリフリフリフリ、向日葵の種を見つけて興奮したリスが、大きなふっくらとした尻尾を右に左にと動かした。 けれどリス、向日葵の種まで、なかなか届かない。 鳥たちは翼を持っているので、遠くからでも見事な華麗さで餌箱に着地するけれど、リスは、どんなに体を伸ばしても、あと一歩のところで辿り着けないのだ。 しばらくあの手この手で試行錯誤し、結局リスは、枝から吊るしてある餌箱にヒョイと体ごと乗って、向日葵の種を貪った。 小さな枝に引っ掛けているので、リスの体重で餌箱が落ちてしまうのではないかとハラハラしたけれど、今のところなんとか大丈夫だ。 ただ、鳥たちと違って、リスは一回に食べる量が多い。 餌箱をいっぱいにすると何日間か持つ向日葵の種が、その日は一日で空っぽになっていた。 リス用と鳥用を別々にするとか、何か対策を考えないといけないかもだ。 リスはクルミがお好きそうだから、私のクルミを一日一個だけ、分けてあげようかな、なんても考えている。 味をしめたそのリスは、しょっちゅう私の森に遊びに来るようになった。 晴れた日は午後から森に出て庭仕事をし、雨の日は山小屋で室内作業、もしくは読書。 昨日車を運転していてふと気がついたのだけど、私、森で暮らすようになってからほとんどお昼寝をしていない。 とにかく、やることがいっぱいで忙しいのだ。 私ですらこうなのだから、お百姓さんなんかは、本当に寝る暇もないくらいお忙しいはず。 晴耕雨読とはよく言うけれど、実際はそんなに優雅なものではない気がする。 一日一回でも森で土いじりができると気持ちがスッキリするけれど、雨でできない時はなんだか気分が晴れない。 とにかく、午前中の仕事を終えて、食事をすると、森に出たくて出たくてたまらないのだ。 これは多分、サーフィンの魅力にハマってしまったサーファーが、どうしても海に入りたくなる心境と一緒かもしれない。 草むしりを始めてしまうと、2時間とか3時間とか、あっという間に経ってしまう。 あともう少し、あともう少しと、どうしても時間が伸びてしまうので、最近は目覚まし時計をかけることにした。 そうしないと、いつまででもやってしまう。 そのくらい、土いじりが楽しくて仕方がないのだ。 素手であんまり草取りをするものだから、私の人差し指には、ペンダコみたいに割れた傷ができてしまった。 私、鉛筆を持つ手は右だけど、しゃもじとかは左手で、結構、右も左も両方使える。 だから、左が割れたら右、右が割れたら左、その間にまた傷が回復したら左、と交互に手を使えるから便利だ。 爪の間にも土が入り込んでいるし。…

三つ子の魂

ララちゃんが、ひとりで山小屋へ遊びに来た。 彼女は、この春から高校3年生になる。 まずは、駅まで迎えに行って、カレーを食べる。 里の桜が、見事に満開だ。 古い古民家を改装した、とっても素敵なカレー屋さんだった。 それから温泉に入って、買い物をして、湧水の出る神社で水を汲み、ついでに水場に自生している野芹を摘む。 だって、晩ご飯のメニューは、ララちゃんの好きな、きりたんぽ鍋だから。 きりたんぽに、芹は欠かせない。 それにしても、大きくなったなぁ。 もうすっかり、お年頃の女の子だ。 小さい時のかわいらしさはそのままで、そこに女の子らしさが加わって、本当に野の花みたいな美しさだ。 愛情を込めて大事に大事に育てられると、こうなるんだな、という、まさにそんなお手本みたい。 素直だけど、遠慮せずにちゃんと自分の意見も言い、こうしたいとか、これは苦手とか、言ってくれるからとても助かる。 あー、かわいい。 私も、このくらいの子どもがいたっておかしくないのだなぁ。 でも、ララちゃんはあくまで、私にとって「友達」だ。 ララちゃんは、小さい頃から、私の家によく泊まりに来ていた。 一緒にお風呂に行って、ご飯を食べて、一緒に遊んで。 本当に、特別な時間だった。 ある時、きりたんぽ鍋を作ってあげたら、ものすっごく喜んで、ララちゃんは、あまりの嬉しさにぐるぐるぐるぐるテーブルの周りを走り回ったっけ。 以来、「何か食べたいものある?」と聞くと、決まって、きりたんぽ鍋の答えが返ってきた。 最後に作ってあげたのは、いつだったろう? 今回、ララちゃんが遊びに来ることになって、何を作ってあげようか、色々考えた。 最初は、ソーセージがいいかな、とか思っていたのだ。 でも、その日の朝になって、ふと、まだ肌寒いし、鍋がいいかも、と思い、鍋だったらやっぱきりたんぽだよなぁ、という結論に至ったのだ。 それで、朝、ご飯を炊いて、だまこ餅を作った。 私は、いわゆる棒状のきりたんぽではなく、ご飯を半殺しにしてそれを小さなおにぎりみたいに丸めてグリルで焼いた、だまこ餅を使う。 ララちゃんが、もりもりときりたんぽを食べてくれた。 その姿を見て、自分も高校生の頃はそうだったよなぁ、と懐かしくなった。 食欲旺盛、いくらでも食べられるお年頃だ。 それだけ、いっぱいいっぱいエネルギーを消費して生きているのだろう。 一緒に摘んできた野芹は、香りがよく、野生味たっぷりの味だった。 それから、外に出て星空を見る。 もう、春の夜空だ。 本当は、冬の夜空の、あのゾッとするくらい星が散らばる満点の星たちを見せてあげたかった。 それでも、ララちゃんは大いに興奮していたけど。 ふたりとも心地よい疲れで、9時くらいにはそれぞれのベッドに入って就寝した。 翌朝は、パンケーキを焼いた。 そうなのだ、ララちゃんがお泊りにくると、朝ご飯は決まってパンケーキだった。 ララちゃんは、自分で自分のパンケーキを焼いて食べていたっけ。…

静かな静かな日曜日

昨日は、コナラの木に椎茸とナメコの菌を打ち込んで、ホダ木を作った。 この作業を、植菌という。 ホダ木用のコナラは、ホームセンターで買うと一本千円くらいするのに、森林組合に行けばその3分の1くらいのお値段で購入可能だ。 まずは、コナラの木に専用のドリルで穴を開け、そこに小指の先ほどの菌をトンカチで打ち込んでいく。 自分がひとりで持ち運べるくらいの重さのコナラを選んだので、太さとしては細い方のコナラに、一本につき33個ほどの種菌を打つ。 椎茸は、コルク状の内樹皮に原基(キノコの元になるもの)を作り、外樹皮を突き破って発生する。だから、原木となるコナラの木は、外樹皮は薄くて内樹皮の厚いものが適している。 これを、地面の上で仮伏せする。 まずは段ボールを敷いて、その上にホダ木を並べ、更に上からビニールで覆う。 この時、雑菌が入らないようにしないといけないので、椎茸チームとナメコチームにそれぞれホダ木を分けて仮伏せする。 仮伏せは、一年ほど。 途中、梅雨の時期に天地返しを行う。 その後、排水が良くて十分雨が当たり、しかも直射日光が当たらない適度に明るい場所に本伏せし、子実体(キノコ)の発生を待つ。 細いホダ木で2年、基本的には3年かけてキノコが顔を出す計画だ。 ナメコの場合は、途中から本伏せのやり方が変わり、ホダ木を3分の1ほど地中に埋める。 さて、3年後、私は椎茸さんナメコさんと会えるのか? 今日は、とても静かな日曜日だった。 いつも通り新聞に目を通してから、YouTube見ながらヨガをして、朝昼ごはんにめかぶ納豆かけご飯を食べ、その後は恒例のお庭仕事。 私、完全にお庭中毒だ。 草むしりをやっているうちにどんどん夢中になって、もうそろそろ終わらなきゃいけない時間になっても、見るとつい手が伸びて、なかなか玄関まで辿り着けない。 草むしりをしていれば、幸せなのだ。 きっと、母もこういう心境だったのだと思う。 地面に向き合っている間は、仕事のことや家庭のこと、いろんな煩わしい雑事を忘れることができたのだろう。 日が暮れてからも庭仕事に精を出す母の姿を、私は怪訝な気持ちで見ていたけれど、今の私はまさにあの頃の母と同じなのだ。 チャンスがあれば森に飛び出したいような、そういう気分。 マッサージと同じで、草むしりも、動かしていない方の手が大事なんじゃないかと思う。 たとえば、右手で草を抜いている時は、左手をペタリと地面につける。 そうやって、私は大地の声を聞いているのかもしれない。 今日は、草むしりをしなが、緑の指が母から受け継がれているといいな、と思った。 庭仕事をした日は、ぐっすりと眠れるからいい。

スノードロップ

数日間山小屋を留守にして森に戻ったら、去年の秋に植えたスノードロップが地面から顔を出している。 私、まだ眠いんですよ、とでも呟くように、俯いて。 ぽん、ぽん、ぽん、と並んで咲く姿が愛らしかった。 ついに春が来たのだ。 朝の最低気温も、0度くらいまでしか下がらなくなった。 コブシの蕾も、明らかに大きくなっていた。 里では、コブシが満開だった。 立派な幹に、大きな白い花をわんさかつけて咲き誇っていた。 もちろん、それも美しいのだけど、私の森で蕾を膨らませているコブシとは、意味が違うのだ。 森のコブシは、小さな種がどこかの鳥に運ばれて、ここにやって来た。 ちょうど石と石の隙間、谷になっている場所に糞が落とされたのだろう。 だから、芽を出しても、動物に食べられずに済んだのかもしれない。 そして、自然の力だけで成長し、枝葉を広げた。 人が植えた街路樹とは、そのタフさにおいて、全然違うのだ。 森のコブシは幹も頼りなく、斜めに傾いているけれど、でもそれでも大地に根づいて、今まさに今年の花を咲かせようと踏ん張っている。 その姿に、私は得体のしれない勇気をもらっている。 自然の摂理だけで今ここにある奇跡を思うと、胸がいっぱいになってしまう。 山小屋を離れる前ずっと雨続きで、なかなか庭仕事ができなかった。 鹿などの鳥獣対策に乾燥させたヒトデがいいというので取り寄せたてはみたものの、撒けないまま東京へ。 帰ってから、さっそく、ヒトデを地面に撒いた。 まずは、スノードロップをガードすべく、その周辺へ。 袋に入れて木に吊るしておくのもいいというので、鹿が好んで食べる木にも吊るしてみる。 効果が出ることを祈るばかりだ。 乾燥ヒトデは、よく言えば「磯の香り」がするという前情報があったので、臭いに怯え、こわごわ袋を開けたのだけど、それほどでもなくてホッとした。 もっと強烈な臭いがするのかと、覚悟をしていたのだ。 でも、大丈夫。ほんのり磯の香り、という程度だった。 先日は、森の庭を駆け抜ける二匹のタヌキを発見してしまったゆりねが、やっぱり鹿に対する時と同様、別犬のようにギャン吠えをした。 どうか、ヒトデによって、野生動物との境界線が成立しますように。 春は春で、またやることが山のようにある。 明日は、ご近所さんと、ホダ木に椎茸の菌を打ち込む作業をする。 人生初の、原木椎茸栽培だ。 ホームセンターになめこの菌も売っていたので、なめこにも挑戦する。 椎茸より、なめこの方が難しいらしい。 ただし、結果が出るのは、早くて2年後。基本的には3年後。 それまで、辛抱強く、キノコの出現を待つしかない。 ゆりねは、ゆきちゃんにすっかり慣れてしまった。 スイッチを入れてゆきちゃんを動かすと、すぐに耳を掴んでぶん投げたり、尻尾を噛んで後ろ向きに引っ張ったりする。完全に強者と弱者のプロレスだ。 おっかなびっくり近づいたのは、最初の数回だけで、それからは好き放題やっている。 ゆきちゃんは、すぐに倒されてしまうから、私が起こしてあげないといつまでも動けない。 生身のウサギじゃなくて、本当によかった。…

サンクチュアリ

その場所はとても静かで、独特な空気が流れている。 天井の高い空間にはいくつかの浴槽があり、人々は時間を忘れて湯治をする。 お湯の色は、焦茶色。 ぬる湯で、25度、30度、35度、37度、と湯船ごとに四段階あり、皆さん、それぞれの温度を移動しながら湯浴みを楽しむ。 レジャー施設のような浮かれた雰囲気はなく、治療施設や湯治場と表現した方が伝わりやすいかもしれない。 事実、大きな病を抱えたと思しき人が、お湯の効能を求めて長く浸かっている姿もよく見かける。 私が、もっとも好きな日帰り湯で、去年の秋以降、車で片道1時間かけ、毎週末のように通っていた。 目下、私にとってのサンクチュアリだ。 一角は、昭和の風情を色濃く残す温泉街で、泊まれる宿がいくつかある。 昨日は、施設からすぐの所にあるうどん屋さんで昼食を食べた。 満席で、同年代と思しき女性と相席だった。 名物は、鳥の天ぷら。 メニューに目を走らせつつ、欲張って天丼とうどんのセットを頼む。 このところ菜種梅雨が続いて肌寒いから、温かい汁のうどんをお願いした。 家族経営のかわいい店で、商店とカフェも併設している。 最近店を改装したばかりで、お座敷をテーブル席に替えたらしい。 おそらく、店に立つ40前後の女性がここのお嬢さんで、店に新しい風を吹かせているようだ。 奥の調理場では、お父さんとお母さんがせっせと立ち働いている。 うどんは細麺で、出汁がしっかりときき、シンプルでとてもおいしい。 目の前の相席の女性は、麻婆うどんを頼んでいた。 知り合いだったら一口味見させてもらったのだが、見知らぬ人なのでただ羨ましげに私はチラチラ眺めていた。 次回はこれを頼もうと思うけれど、また、ここに来ることがあるのかどうか。 それを思うと、なんだかやるせない気持ちになった。 この、私の大好きな日帰り湯が、今月いっぱいで閉鎖になってしまうのだ。 従業員や近隣の方達も、今月になって知らされたらしく、まさに寝耳に水。 施設を所有する市の判断らしく、建物の老朽化が理由だという。 確かに古いが、でも使おうと思えばまだまだ使えると思うのだが。 そのことを前回知って、3月の最後の週末、雨の中車を走らせたのだ。 うどんを食べに来たお客さんも、口々に、そのことを話題にしている。 日帰り湯として入れるのはこの施設だけだったので、ここがなくなると、私はこの素晴らしいお湯に入ることができなくなる。 食事を終えてからカフェに場所を移動して、コーヒーを飲む。 コーヒーに添えられたふたつの花豆煮。 程よい甘さで、簡単そうでなかなかこうは作れない。 さっき、うどんのセットについてきた沢庵もそう。 どれも、ちゃんと手作りしている。 前回買った手作りの味噌も、素晴らしい味だった。 商店には、地元産の豆や調味料など、良質なものが並んでいる。 施設が休業したら、こういう周りのお店の方達にも、影響が出るのは必須だ。 せっかくお店も改装したところなのに。 本当に気の毒で言葉が出ない。…

ハルミさん

週末、ハルミさんに会いに行ってきた。 ハルミさんは、春の海。 ここ数年、「春になったら南の島へ」をルーティンにしている。 まだ水は冷たかったけど、ハルミさんに肩まで浸かったらものすごく浄化された。 冬の間に溜まったあれやこれやが、春の海にスーッと流されていく。 森が日常になった分、海は私にとっての非日常の世界だ。 これからは、海を目指して旅をすることが多くなるのかもしれない。 海は、ダントツで春が一番好き。 森の方も、春分を過ぎたら、ぐんと空気が春めいた。 日の出の時間も、だいぶ早くなっている。 朝の光はもう冬ではなくて、春そのものだ。 餌箱を吊るすとやって来る鳥たちも、なんだか春の気配に浮かれている。 すべてが、ルンルン、しているみたい。 今日は、午後から庭仕事をしたのだけど、途中から背中が暑くて暑くて。 半袖のTシャツにフリースを着ていたのだが、それでも暑くてバテてしまう。 雪は、とけては降って、とけてはまた降ってを繰り返していたけれど、今日の陽気でほぼすっからかんになった。 庭仕事の今日の課題は、熊笹。 北側の森に熊笹がワーッと自生していて、去年は何もしなかったのだが、今年は少し根本からカットしている。 調べると、熊笹はお茶にして飲むと、色々と体にいいことがあるらしい。 さっそく、乾燥させて飲んでみよう。 庭仕事の後は、ゆりねを連れて、滝を見に行く。 のつもりだったのだが、道半ばにしてゆりねがもうこれ以上歩きたくないと駄々をこねる。 急に気温が上がって、参っているのだ。 仕方ないので、滝の見える丘まで行かず、途中で引き返した。 蝋梅の木に、黄色い花が咲いている。 春は、黄色い花が目立つ。 水仙もそうだし、福寿草もそう。 冬を耐え忍んだ黄色い花は、本当に輝いて見える。 そういえば、今日庭仕事をしていて、嬉しい発見があった。 去年の秋、ダメ元で植えておいたスノードロップが芽を出して、今にも白い花が咲きそうになっていたのだ。 なんて可愛らしいんでしょう。 思わぬ「再会」に、その場でジャンプしそうになる。 よーし、今年の秋は球根をもっともっとたくさん植えて、春待ちの庭を作るぞ! 夕方、森に戻ってからゆりねと改めて散歩する。 ついでに、ご近所さんに、お土産の黒糖と、近所のパン屋さんで見つけたおいしいレーズンバターサンドを届けに行く。 もう、普通の靴で歩けるのが嬉しい。 山小屋に帰ってから、もう一度ちょっとだけ庭仕事に精を出す。 見ると、つい草をむしりたくなってしまうのだ。 これは完全に地球の毛繕い。 サルになった気分だ。…

霧氷の世界

朝起きて、森に目をやり、おや? 最初、雪が降ったのかと思ったのだが、どうも違うようだ。 数秒後、そうか、これが噂の霧氷か、とわかった。 やっと出会えた、霧氷の世界。 今シーズンは、もう現れないかと諦めていた。 前の日が曇りで、夜、風が全くなく、気温がグッと下がるなど、いくつかの気象条件が重なると霧氷が出現する。 裸の木の枝に、産毛のような霧氷が棘のようにまとわりついている。 手で触れば、すぐにスーッと消えてしまう。 霧氷は、とてもとても儚い。 新聞を読んでいたら、ご近所さんから電話があった。 「出ましたね」 私が言うと、 「うちの霧氷を見に来ませんか?」 とのお誘いをいただく。 若干だが標高が違うので、霧氷の現れ方も違うのだという。 せっかくなので、カメラ片手に朝の散歩へ繰り出した。 ふだん、その時間帯に森を歩くことはほぼないので、新鮮だった。 見渡す限り、霧氷の世界が広がっている。 本当に綺麗だ。 一番の芸術家は自然だと、改めて思う。 こんな美しい世界を、人間の手で生み出すことはできない。 日の出の頃は曇っていた空が、ご近所さんのリビングでコーヒーをいただくうちに晴れてきて、最後は青空と霧氷のコントラストを満喫した。 この冬は、季節が一ヶ月も早く進んでいるという。 例年ならまだ雪景色のはずが、もう森にも雪はほとんど残っていない。 春に向けて猪突猛進しているかと思っていたら、最後の最後に、こんなにも美しい光景に出会えた。 森を歩いているだけで、幸せになる。 小一時間お喋りして、自分の山小屋に戻って、ホッと一息ついていたら、もう霧氷は消えてしまった。 ほんの一瞬で、まるで幻を見たような気分になる。 おそらく、次に霧氷が現れるのは、来冬だ。 先日、なんとなくタイトルと装丁が気になって、一冊、本を買った。 内容も著者名も知らないのだが、その本をパッと見た時、なぜかある友人の顔が浮かび、もしも自分が読んでみて内容が良かったら、その友人にプレゼントしようと思っていた。 友人は、美術家である。 それを、昨日読んでいた。 読んでいる最中も、なぜか友人のことが何度も何度も脳裏をよぎった。 そして、読み進めていたら、なんと、話の中に美術家の友人の名前が出てきたのだ。 びっくりした。 きっとその文章を読んだら、友人は喜ぶに違いない。 そして、伝える手段はないけれど、その著者も、私が友人にその本を送ったら喜ぶに違いない。 こういうことは間々あるけれど、自分の直感が外れていなかったことに、自分でもちょっと嬉しくなる。 今日は、カメラマンの鳥巣さんが山小屋に遊びに来る。…

庭仕事

去年は7月から森に来たので、なんとなく途中参加だった。 森に関しては一切手を入れず、ただただ新参者として呆然と眺めていた。 でも今年は、春を迎える前からもう森に参加している。 だんだん、森と呼吸が合ってきた。 森は何もしなくても美しいのだが、今年は少しだけ、手を加えてみようと思う。 苔のために。 光輝く苔の森になるよう、ほんの少し、私が介入する。 それで、数日前から草取りを始めた。 雪解け直後が、草を抜くのに一番いい気がしたので。 日に日に雪が解け、その下から緑が顔を出している。 牧草だけ、取ることにしたのだ。 それが正解なのかどうかは、未だわからないけど。 苔と牧草が重なっているところだけは、苔を優先してみよう。 とは言え、それはものすごーく終わりのない作業だ。 広い森の地面から、一本一本、地道に草を抜くのである。 抜いてもきっと、またすぐに生える。 それをまた、根気強く一本一本抜いていく。 地球という皮膚から、ムダ毛を一本ずつピンセットで抜くようなもの。 想像しただけで、気が遠くなる。 そんな作業を、数日前から始めている。 去年は、そんな発想すら生まれなかった。 ところが、だ。 やってみると、これがこの上ない快感なのだ。 一度始めてしまうと、没頭して、1時間や2時間、あっという間に過ぎてしまう。 ゆりねの散歩とか、自分の温泉とか、そういうのを全部ナシにしてしまえば、きっと日が暮れるまで、やってしまうだろう。 ただ草を抜くだけの作業が、こんなに幸福を感じるとは思わなかった。 この森は、決して肥沃な大地ではない。 標高が高いので、植物もぎりぎりのところで生きている気がする。 種を蒔いても、芽を出す確率はとても低く、たとえ芽が出ても、大きく成長するのはなかなか難しい。 とにかく、自然が厳しいのだ。 それでも、岩盤の上に落ち葉が重なり、その場所が微生物によって耕され、やがて時間をかけて腐葉土になる。 草の根っこを引き抜いた瞬間に、ぷーんと香ばしい土の芳香が広がると、なんとも幸せな気持ちになるのだ。 私の体に、オキシトシンがじゃぶじゃぶ溢れる。 今日は、去年ダメ元で球根を植えた所から小さな芽が出てるのを発見した。 大好きなスギゴケも、冬を越せたことがわかった。 落ち葉を避けると、そこに青々とした苔の姿が出現する。 草を抜きながら、私は完全な恍惚を味わっている。 時々コーヒーを飲んで。 巣箱には、鳥たちが集まってくる。 私がやっていることは、ただの自己満足にすぎないかもしれない。…

雪明かり、月明かり

薪ストーブの前でゆるゆると赤ワインを飲んでいたら、ご近所さんから電話が来た。 今まさに、金星と木星が接近中だという。 西の空を見るように言われ、慌てて防寒具を身につけ、ワイングラスを片手に外に出る。 すぐにわかった。 一際輝く、ふたつの光が近づいている。 空には、圧倒されるほどの星、星、星。 上弦の月も煌々と輝き、ほんのり明るい。 ほんのり明るいのは、雪明かりのせいでもある。 雪国の冬の夜は、意外と明るいことを思い出した。 しばらく、天体観測をしながら赤ワインを飲む。 人工衛星も、はっきり見える。 ゆりねとゆきちゃんのお見合いは、成功した。 ゆりねのテンションが高くなる食後の時間に、スイッチを入れたゆきちゃんを近づける。 ゆきちゃんは、キュウキュウ鳴きながら、耳を動かし、前進する。 ゆりねは、おっかなびっくり、近づこうとしては距離を置き、私にスリスリ。 なんだか訳のわからない動物(ウサギのオモチャ)がやってきて、興奮している。 後ろからそーっとそーっと近づいて、お尻の匂いを嗅ごうとしたり、軽く耳を甘噛みしたり。 でも、ちゃんと尻尾を振っているから、遊び相手としてはいいかもしれない。 ただ、やっぱり生身の犬との触れ合いは大事なので、今日はドッグランへ行った。 森暮らしを再開してから、ずっと犬には会っていなかった。 大喜びして草原を疾走するのを期待していたら、あまりにしつこく若い雌犬に遊ぼうと吠えられ、ゆりねはしれっと無視。 私が腰かけているベンチに上がり、今はまだ遊びたくないです、の態度を示す。 犬との遊び方を忘れてしまったかと不安になったものの、徐々にテンションが上がり、最後は単独で爆走していた。 すごい走りっぷりに、その場が騒然となる。 いつものことだけど。 ゆりね、遊ぶ時は遊ぶのだ。 私も、久しぶりに他のワンコたちと触れ合った。 帰りに近くの産直に寄って、リンゴとイチゴと一升瓶サイズのワインを買い、温泉に寄って、夕方5時過ぎに山小屋へ。 最近は6時過ぎまで明るいので、活動できる時間がだいぶ長くなった。 そろそろ、森暮らしのリズムが戻ってきたかもしれない。 夜はムッティ(薪ストーブ)でロールパンを温め、ハムを挟んで食べる。 数日前の、燃えるような朝焼けがすごかった。

ゆきちゃん

朝、外に出たら鹿の群れが颯爽と走り去った。 ずっと見ていなかったので、もしやいなくなったかと期待していたのだけど。 秋冬モードの鹿たちは、皆、枯れ葉色の体毛に覆われている。 向こうは向こうで、食べ物がなくて大変なのはわかるけどさぁ。 森暮らしを再開するに当たって、本気で考えたのが、ゆりねの妹か弟を迎えることだった。 森には鹿ばかりで、犬に出会うことはほとんどない。 ゆりねは鹿を見ると血相を変えて威嚇する。 近くに鹿がいるんじゃないかと常にアンテナを張ってパトロールしているので、休まらない。 もし、もう一匹ここに仲間の犬がいたら、気が紛れるのでは、と思ったのだ。 ゆりねは温和な性格だし、キャパが広い。 きっと他の犬も寛大に受け入れるだろうし、もしかしたら母性が開花して、自分の子どもみたいに可愛がるかもしれない。 でも、色々考えて、結局やめた。 ゆりねは私との、一対一の関係を望んでいるように感じたので。 私がゆりねを大好きなように、ゆりねも私を大好きでいてくれる。 その関係性のバランスが崩れることは、お互いに望んでいないはずだ。 それで、おともだちを迎えることにした。 そういえば、子どもの頃、犬の形をした動くおもちゃがあったなぁ、と思って。 でも、ゆりねのおともだちは、犬ではなくて、ウサギにした。 小さな段ボール箱に入って届いたウサギの名前は、ゆきちゃん。 単三の電池2本で動く。 ゆきちゃんがゆりねの遊びに相手になってくれたら、願ったり叶ったりだ。 ゆきちゃんの肌触りはもふもふで、まるで本物のウサギみたい。 私は子どもの頃、ウサギを飼っていた。 だから、ウサギ大好き。 今日は、朝からピカピカの青空で、心までホカホカになる。 朝昼ごはんに味噌ラーメンを食べ、食後のコーヒーを淹れながら、もしかして今日なら外で飲めるかもしれない、とふと思い、外で飲んでみた。 今年初の、青空コーヒー。 ひまわりの種を啄みにくる鳥たちを観察しながら、コーヒーを飲む。 気持ちいい。 森では、雪が溶けた下から、苔が顔を出している。 一冬、寒い中よくぞ耐えた。 色艶は決して良くないけれど、ちゃんと生存している。 雑草(牧場から飛んでくるイネ科の飼料)が気になったので、少しばかり、今年初の庭仕事に精を出す。 雪が溶けたら、ヨーイドンで、鹿の嫌がる植物を植えなければと意気込んでいる私。 今日は、ゆきちゃんと共に宅配便で届いたプリンターもセッティングした。 いよいよ、この山小屋が仕事場として本格始動する。 夕方、初めての温泉へ行った。 あまりの暑さに、窓を開けて運転した。 ナビを頼りに着いた日帰り湯の建物は昭和レトロとしか言いようがないし、来ているのも地元のおじいちゃんおばあちゃんがほとんどでイマドキ感はゼロだけど、ちゃんとしたミストサウナがあって、温泉のお湯もとてもよかった。 サウナの後、これも今年初となる水風呂に入る。…

雪道を歩く

再び、雪。 今回は、粉雪だったので、サラサラしていてなかなかとけない。 雪原には、人の足跡と獣の足跡が混在している。 朝、玄関扉を開けたら、かわいい小さな足跡が残っていた。 コンクリートの上を通って、ちゃんと階段も使っている。 どなたですか? 雪道を歩くには、スノーブーツにアイゼンを装着するのが安全だ。 ガシッと、ガシッと、と爪が雪や氷に食いこむので、安心して歩くことができる。 雪道を歩く感覚は、やっぱり子どもの頃から体に染みついているのかもしれない。 車の運転も同様で、子どもの頃乗っていた雪道の感覚が、結構今役に立っている気がする。 南国で育ち、一度も雪の上を走る車に乗ったことがない人よりは、感覚的な勘が働いているんじゃないかと思っている。 秋のうちに保存食をたくさん貯めていたので、まぁ、一週間くらい雪に閉ざされたとしても、食糧に困ることはない。 昨夜は、白花豆を炊いてみた。 炊いたといっても、鉄の鍋に入れて薪ストーブの上に置いておいただけだけど。 こうすると、低温でじんわり火を入れることができる。 ただ、ものすごく皮が硬かった。 そら豆の皮と同じくらい、しっかりしている。 無理やり口に入れて念入りに咀嚼し、飲み下せないこともないけれど、お腹を壊すのも嫌なので、ふと思いついて、皮の中だけ食べてみる。 これが、最高に美味しかった。 ゆりねにもお裾分けしたら、好みの味だったらしく、おかわりのジャンプが止まらなくなる。 それで、ちまちまと一つずつ皮を剥いた。 それを、鉄のフライパンに並べ、塩とオリーブオイルをかけ、更にドライハーブものせてグリルする。 豆の、新しい食べ方を発見した。 ワインが進む。 窓の向こうに広がる雪景色が美しくて、つい見惚れてしまう。 雪が降っているのを眺めながら無伴奏チェロをかけると、まるで雪が曲に合わせて降ってくるように見える。 雪景色にはチェロ、炎にはピアノが合う気がする。 昨夜は、八ヶ岳下ろしの風の音が聞こえるらしく、ゆりねのブルブルが止まらなくなった。 私の人生に巻き込んでしまって申し訳なく思いながら、抱っこしたり、体をさすったり。 ゆりねのために、早く春が来てほしい。 ちなみに、ゆりねは雪道を歩くのをすごく嫌がる。 だから毎日、雪のない場所まで下りて行って、お散歩している。 どんな犬でも、喜んで雪原を駆け回るわけではないらしい。 どちらかというと、雪が降ったら、ゆりねはコタツで丸くなりたいタイプだ。

コブシ

およそ三ヶ月の「冬眠」を経て、めでたく森暮らしを再開した。 朝、5時半過ぎに起き出して、日の出を拝む。 外の気温は、マイナス15度。 それでも、だいぶ朝が早くなった。 窓の向こうに広がるのは雪景色だけど、光には春の兆しを感じる。 前回山小屋に来た時より、幾分コブシの蕾が膨らんでいた。 コブシは、かなり前、おそらく秋の始め頃から小さな蕾ができ、寒空の下でじーっとじーっと耐えていた。 春になったら、真っ先に花が咲くと聞いているので、私はその時を待ちわびている。 決して立派な枝ではないけれど、本当に健気な姿で枝を空に向けている。 コブシは、漢字で書くと「辛夷」だけど、私はどうも「拳」を連想してしまう。 ぎゅーっと、手のひらを固く固く握りしめて寒さに耐えている。 初日の出を拝みながら、これからの森での日々の無事を祈った。 本当に本当に美しい朝。 青空が気持ちいいので、朝から鳥たちにひまわりの種を振る舞う。 長らく不在にしていたから、もう忘れられているかもしれない。 餌箱にたっぷりと好物のひまわりの種を入れて、いつもの場所で「開店」した。 耳を澄ますと、遠くの方から、鳥の囀りが聞こえる。 しばらく様子を見ていると、じょじょに森が賑やかになった。 餌を見つけた鳥が仲間を呼んで、ひっきりなしに餌台からひまわりの種をついばんでいく。 たいていの鳥は、一瞬だけ餌台に止まってすぐに他の鳥に場所をゆずるのだが、中にはジャイアンみたいなのがいて、長時間そこに居座り、自分だけ独占して餌を食べている。 その鳥は、確かに恰幅がよかった。 餌箱にひまわりの種がなくなると、鳥たちは地声でビャービャー鳴いて、私におかわりを要求する。 今、冷凍庫に保存しておいたトマトをコトコト煮て、トマトソースを作っている。 明日はお客さんなので。 駐車スペースを確保するため、一仕事するか。 まだ雪も残っていることだし、しばらくは無茶をせず、森の空気に体を慣らそう。

どなたでもどうぞ食堂

雪が降ったかと思えば、手袋もいらないほどの暖かさ。 少しずつ、春が本腰を入れて近づいている。 週末、湯浅誠さんの『つながり続けるこども食堂』(中央公論新社)を読んだ。 世の中捨てたもんじゃないと思うのは、こども食堂の存在だ。 全国の津々浦々で、自然発生的に誕生したという。 こども食堂は、民間によって、基本的にはボランティアで運営されている。 大人数を受け入れることはできないけれど、毎日もできないけれど、月に1回とか2回とか日にちを決めて、その日は、こどもは無料、大人も300円程度の低額料金で食事を提供する。 町の公民館などを利用する場合が多いらしいが、中には自宅を開放してこども食堂を開く人もいる。 土台になっているのは、「おせっかい精神」。 お腹が空いてるなら、ここでご飯食べていきな、というちょっとした愛情表現だ。 この日本で、お腹いっぱい食べられないこどもがいる。 その統計結果に衝撃を受け、だったら何か自分にもできることはないだろうか、と市井の人たちが立ち上がってスタートした。 ただ、私も含めて、多くの人は、こども食堂は、食事に困っている家庭の子が対象だと思い込んでいる。 だから私も、興味はあったものの、自分がそこへ行くのは申し訳ないんじゃないかと思っていた。 でも、実際のこども食堂の8割程度は、食べるのに困っているこどもだけでなく、地域のお年寄りや、子育て世代など、多くの、すべての人たちに解放された場所だという。 つまり、こども食堂=どなたでもどうぞ食堂。 こどもを中心に据えているというだけで、誰でも気軽に行っていい場所なのだ。 もちろん、私も行っていい。 そこで、こども達は、親以外の多くの大人と交流し、社会を知る。 無縁社会と言われるけれど、こども食堂ができることで、その地域に人と人とのつながりができていく。 こども食堂をやっている人は、自分のできることを、できる範囲で、無理をせずにやっているだけ。 目の前にお腹を空かせている人がいる。だったら、何か食べ物を分けてあげよう。 そのシンプルな動機が、長続きする秘訣かもしれない。 ボランティアとか寄付とか、全てに言えることだけれど、相手に感謝されたくてその行為をするのではなく、ただ自分がそのことに喜びを感じるから、する。 結果的に自分も幸せになれるから、する。 極論を言ってしまえば、自分の自己満足のために、する。 私自身は、そういうスタンスだ。 コロナで、こども食堂のあり方が問われたという。 こども食堂は民間によるボランティアだから、行政による後ろ盾がない。 緊急事態宣言が出され、不要不急の外出自粛が叫ばれる中、それでも生きていくためには食べ物が必要で、なんとか工夫をこらしながら、困窮している家庭に食材やお弁当を届けたそうだ。 こども食堂のような取り組みが行われている国が他にもあるのかどうかわからないけれど、こども食堂は、日本が誇れる未来への光のような気がした。 こういう動きが、ほぼ同時に全国で自然発生したというのは、多くの人が、同じような感情に動かされたから。 本当に素晴らしいと思う。 孤独を抱え込まずに、まずは近くのこども食堂へ。 それで、少しでもその人の生きづらさが解消されたら、いい。 それぞれのこども食堂はささやかなボランティア団体で、誰も、ここから日本を変えよう、なんて大きな目標は掲げていないはず。 でも、その小さな存在のこども食堂が、地域に根を張って、間接的に地下で多くの根っこを張り巡らせれば、それはとても大きな力となって、結果的には日本を根底から支えるだけの原動力になるんじゃないかと思った。 自然界の森の木々たちのように。 彼らは、地下のネットワークを通して、情報を交換しあい、お互いに共存していく道を探っているという。 こども食堂は、災害などが起こるたびに数を増やしてきた。…

TKG

なんだか昨日から頭がぼんやりする。 朝、ベランダで洗濯物を干していたら、鼻の奥がむず痒くなった。 多分、花粉が飛んでいるのだろう。 今年は、いつもより格段に花粉の量が多いのだとか。 春になるのは嬉しい反面、これがあるので憂鬱でもある。 憂鬱といえば、週末、たまには見てみるか、とテレビの情報番組を見ていたら、本当に憂鬱な気分になった。 日本の良さといえば、治安がいいこと、そして食べ物がおいしいこと。 それなのに、強盗という物騒な言葉が飛び交い、飲食店では客による迷惑行為が横行しているという。 治安が悪くなって、食べ物も安心して食べられなくなったら、日本の良さが半減するんじゃないかと心配になった。 フィリピンに潜伏していたという、強盗犯の主犯格とされる4人の顔。 でも、この人たちも、幼稚園の頃は、きっと無邪気に、僕は大きくなったら○○になりたいです、とか言っていたんだろうなぁ。 よもや、○○の中に強盗の文字は入っていなかったはず。 みんなと一緒にお遊戯とかして、可愛らしい寝顔を浮かべてお昼寝していたんだろうなぁ。 施設に収容されていたにもかかわらず、犯罪を止められなかったのだとしたら、ものすごく腹立たしい。 一方で、日本を脱出して海外に永住する人が増えているという。 その気持ちは、私も数年だけど海外にいたので、とてもよくわかる。 周りにいる日本人の人たちは、外側から日本を冷静に眺め、ものすごく日本を愛していた。 愛しているが故に、日本の現状を憂いてもいた。 若者たちは、職を求めて海外で働いているというし。 少子化、そして人口流出。 この先、日本はどうなってしまうのか。 全て政治のせいにするつもりはないけれど、この国で子どもを産んで育てれば楽しいとか、この国にいれば豊かな老後が送れるとか、そういう明るいビジョンが欠けているような気がしてならないのだ。 なんだかなぁ、と、ついため息が出てしまう。 今朝の新聞の投書欄には、この冬3回も家庭菜園からネギを盗まれた92歳の方の嘆きが掲載されていた。 1年半前にタネを蒔き、天塩にかけて育てたネギが、まだ食べられる部分を乱暴に残したままの状態で盗まれてしまったという。 けれど、その方は最後、こんな世の中では仕方がないと諦めていらっしゃった。 お気の毒で、言葉も出ない。 昨日の新聞に載っていた、福岡の、ある介護施設の施設長さんの言葉が印象的だった。 「足手まといな者のリストの1番目にいる人を犠牲にすれば、2番目の人が繰り上がって次の犠牲となります。それを繰り返すだけの社会は、ほどなく弱体化する。日本社会はその状態にあると思います。それが私たちの望む経済でしょうか」 胸にグサリと刺さる。 せめて、誰もが食べ物に困らず、安心して眠れる社会であってほしい。 そうそう、香港では、日本の卵が人気だとか。 TKGは、卵かけご飯。 日本にいると、卵を生のまま食べられるのは当たり前のように思われるけど、海外の卵だと、なかなか怖くて生食はできない。 ベルリンでも、よっぽどいい生産者からいい卵を買わないと、卵かけご飯はできなかった。 だから、卵かけご飯はご馳走だった。 生で食べられる卵も、日本が海外に誇れるもののひとつ。 そんなことを思い出して、ほんの少し、楽観的になってみる。

防寒対策

さっき、ゆりねと外を歩いていたら、道路を横断した先で、急にゆりねがおじさんの方へ近づいていった。 そのまま、おじさんの足元に体を寄せて、すりすりする。 基本、人懐こいゆりねだけど、そこまで自然に近づくのは珍しい。 おじさんも、しゃがんでゆりねをナデナデ。 マスクをしているので、顔はあまりわからないけど、とても優しそうな方だった。 それから、いつもの散歩コースに戻って遊歩道を歩いていたら、またおじさんがやってくる。 向こうから手を振って、ニコニコ顔でゆりねに近づいた。 今度はマスクを外しているので、表情がわかる。 ゆりねは、またおじさんの方へ吸い寄せらせ、まるで旧知の友人に再会したかの気やすさで、おじさんに撫でられていた。 目を細めたおじさんが言った。 「ちょうどね、1年前の1月28日に、うちのワンコが旅立ったんですよ。 だから昨日は、一歩も外に出られなくて。 でも今日は、お天気もいいし、外に出てみようと思ってね」 「何犬だったんですか?」 「コッカースパニエル。15歳と2ヶ月だったから、天寿を全うしたんですけどね」 おじさんにとって、この1年は、愛犬を失った悲しみと向き合う、辛い時間だったのだろう。 「ゆりねは偉いね」 おじさんと別れてから、ゆりねに話しかける。 だって、ゆりねはちゃーんと、自分の役割を果たしている。 きっと、ゆりねは何かをおじさんに感じたのだろう。 そういう優しさが、ゆりねには確かに備わっている。 自分を必要とする人の元へそっと自ら寄り添って、ふわりと抱きしめるような包容力が。 天性の才能かもしれない。 この冬は暖冬だと思っていたら、ここに来て寒波がやって来た。 雪こそ降らないものの、東京も寒い。 山小屋に、最強の防寒ブーツを置いてきたことが悔やまれる。 先日、新潟の山奥で湯治をしていた時、脱衣所で着替えていたら、隣合った女性にびっくりされた。 「随分、厳重ですね」 私の重ね着に驚いたらしい。 「お風呂上がりに、冷えちゃうと嫌なので」 私は言った。 防寒対策には、自信がある。 まず、最近のお気に入りは、マタニティー用のスパッツ。 スパッツと腹巻きが一体になったようなもので、これだと、お腹をすっぽりと覆ってくれるので暖かい。 私は、その上から毛糸のパンツを重ね着する。 これも、おへそまでしっかり隠れるタイプで、冬場は決して手放せない。 靴下は、もちろん、2枚重ねてはく。 最近気に入っているのは、登山用の靴下で、これはとてもしっかりしている。 あと、看護師さんなんかが勤務中に履く、膝上まである五本指ソックスも愛用している。 その上から更に保温性の高い分厚い靴下を履き、室内でもブーツを履く。…

湯治納豆

旧暦のお正月に合わせて、新潟の山奥へ湯治に来た。 さすが、日本有数の豪雪地帯だ。右を見ても左を見ても、雪景色。 分厚く積み重なる雪の層を前にして、この雪がお米を美味しくしてくれるんだなぁ、と思った。 お風呂に入って雪見風呂を楽しみ、お風呂上がりは雪見ビール、ご飯の時は雪見酒と、雪見放題だ。 最近の傾向として、私はメシよりフロだ。 ご飯かお風呂(温泉)、どっちか選ばなくちゃいけない究極の選択を迫られたら、温泉を選ぶ。 以前は、何よりもメシを優先していた。 でも、毎日温泉に入っていたら、何はさておきフロの人間になった。 今年に入ってから、まだ自宅のお風呂に1回も入っていない。 昨日から、温泉三昧だ。 まず、チェックインしてから連続4時間湯船に浸かり、夕飯の後も2時間半。 今日も、午前中3時間、夕方2時間。 多分、夕飯を食べてから、また3時間近く入るだろう。 子宮の中の羊水に浮かぶ胎児のごとく、ただただゆらゆらとお湯の中に体を解き放っている。 ほどけて、しまいには溶けてしまいそうなほど気持ちがいい。 ぬる湯なので、何時間でも入っていられる。 感心するのは、浴槽に一本も髪の毛が入っていないこと。 本当に、一本も、だ。 どんなに気をつけていても、髪の毛が入ってしまうもの。 それに遭遇すると、私はギャッとなってしまう。 仕方のないことなのだろうけど。 でも、それが皆無なのだ。 ここを利用する皆が、お湯に対して最大限の敬意を払っているというか、お湯をきれいに使おうという気持ちが根底にあって、とても清潔に保たれている気がする。 箱根にも一軒、ものすごく好きな日帰り湯があるけど、そこと匹敵するくらい、今回の温泉もお湯自体が神々しい。 温泉が、神様の化身みたいに感じる。 旧知の担当編集者に教えてもらって初めて泊まった宿だけど、ものすごくいい。 常連さんはまるで、実家に帰ってきたような気軽さでふらりとやって来る。 それを出迎える若女将と大女将のホスピタリティーも最高だ。 高級旅館のようなサービスはないけれど、随所に気が効いていて、必要十分を大いに満たしてくれる。 いい意味で放っておいてもらえるのが、ありがたい。 今夜は、夕食前のビールを我慢して、食事の時の日本酒からスタートしようと思っていたけれど、誘惑に負けた。 図書室の一角に冷蔵庫があって、そこにずらりとお酒やビールが並んでいる。 客はそこから好きな飲み物をとってよく、自分で伝票に書いてチェックアウトの時に精算してもらうシステムだ。 売店で買ったおかきをつまみに、飲み始めている。 幸せだ。 あくまで湯治なので、料理が目当てではないけれど、料理もものすごく美味しい。 そうなんです、そうなんです、私が食べたいのはまさにこれなんです! と大声で叫びたくなるくらい、湯治にドンピシャの料理だ。 おかずも、基本は肉、魚、天ぷら、お刺身とつくが、たくさん食べられない場合は2品まで間引くことができ、その分料金もお安くなる。 私も、2品省いてもらったが、それでも十分な量だった。…

ピーター・イズ・ピーター

急ぎで郵便物を出す必要があり、今しがた最寄りのポストまで夜道を歩いた。 夜なのに、町が明るくてびっくりする。 ポストまで歩いて行ける環境はありがたいけれど(山小屋からだったら、一番近くのポストまでも、多分歩くと30分近くかかってしまう)、あの森の夜の暗さが恋しくなった。 今頃、私の山小屋はどうしているかな? 寒さに負けず、元気にしているかな? 早く会いたくて、うずうずする。 ポストまで行く途中、普通に青信号を渡りかけたら、車が横断歩道に突っ込んできて、そのまま目の前を渡って走り去った。 はぁ? 思わず、中指を突き立てそうになるが、グッと堪えた。 逆恨みされて轢き殺されたら、あまりに無念すぎる。 自分はゆめゆめ、あんなドライバーにはなるまい、と心に誓った。 日本には、横断歩道を渡ろうとしても止まってくれない車が多すぎる。 しかも、今回の場合は、ちゃんと信号を見て渡っているのに。 思い出すと、いまだに腹立たしくて、むかむかする。 数日前の新聞に出ていた、池端慎之助さんの言葉が素晴らしくて、頭から離れない。 「1億人いれば1億通りの人間がいる。私は私。あなたはあなた。『ピーター・イズ・ピーター』」 特に日本にいると、どうしても右や左の人と自分を見較べて判断してしまうけれど、大事なのは、自分は自分の尺度で物事を決めること。 自分が幸福だと思えるなら、人からどう思われようと、関係ない。 今夜のメニューは、これ。 少し前に作ったトマト味のショートパスタを冷凍しておいて、解凍したのち、チーズをかけてオーブンで焼いてグラタン風にした。 今は、こういう、ちょっと気の抜けたご飯が好きだ。 ロングパスタはひとり分を作る気にならないけれど、ショートパスタなら、多めに作って、次の日とかにも持ち越せるので、最近の私は、もっぱらショートパスタのお世話になっている。 午前中、登場人物たちがビールを飲む場面を書いていたら、お風呂からの帰り道、自分もビールが飲みたくなってムラムラした。 でも、家に帰って冷蔵庫を探したら、冷えたビールがなくてがっかり。 代わりに、丹波ワイナリーの泡をあけた。 朝はものすごい寒いけど、きっと春はもうすぐそこまで来ている。 旧正月まで、あと少しだ。

お粥さん

お昼に、お粥を炊いた。 今日は七草粥の日。 ただ、七草は買っていなかったので、白粥を炊き、イクラの醤油漬けやキムチなど、冷蔵庫の残りをおかずにしていただく。 七草粥を食べるのは、旧暦の方が季節的にも合っている気がするので。 お粥さん、時々むしょうに食べたくなる。 お米はほんのちょっとなのに、ちゃんとした量のお粥ができて、経済的だ。 私は、小さいお猪口を使って、そこに白米を入れ、あとはお猪口6杯分の水で炊く。 ふっくら炊き上がると、すごく嬉しい。 真っ白で、雪原みたいだ。 じんわりとお腹に染みて、滋養が広がる。 お粥さんを食べると、心も体もリセットされる。 年末、部屋の掃除をしていて、香合入れの中から小銭が出てきた。 これは、母の唯一の形見だ。 数年前の暮れに、母が入院している病院へお見舞いに行ったら、認知症の症状が出始めていた母が、これで新幹線で帰りなさいと、引き出しにあった小銭をかき集めて私の手に渡したのだ。 香合入れに入っていたのは、500円玉硬貨が2枚と、100円玉硬貨が2枚。 合計1200円。 確か、あと10円玉とか50円玉とかもう少し額はあったのだが、その後に入った母との思い出の喫茶店で、他の小銭は使ってしまったのだ。 これで母と会うのは最期になるだろう、というのがわかったから、あの時は切なくて、喫茶店で号泣した。 年末年始になると、そのことを思い出す。 あれから、何年経ったのかな。 多分、6年。 その時の大晦日の紅白で、宇多田ヒカルさんが『花束を君に』を歌った年として記憶に刻まれているから、調べればすぐにわかる。 昨日は、母の命日だった。 父も母も、個別のお墓ではなく、共同墓に入っている。 私は、その選択が大正解だったと、お墓参りに行くたびに痛感する。 だって、献花で溢れているのだ。 いつも、自分の持ってきた花束をどこに置こうか考えてしまうほど。 そのお墓に眠っている関係者が誰かしら花を供えるので、いつ行っても賑やかなのだ。 今年は、静かでいいお正月だった。 東京だけでなく、全国的に見ても晴れ続きで、気持ちがいい。 今日も、夕方温泉へ。 だいぶ、日が長くなったような。 夕方5時を過ぎても、まだ空がぼんやりと明るかった。 季節は着実に、春に向かって進んでいる。 帰りに、大きな満月と遭遇した。 あけまして、おめでとうございます。 2023年が、皆様にとって、平和で、笑顔の絶えない年となりますように! 今年も、どうぞよろしくお願いします。 明日は、岐阜へ参ります。

遺言書

朝起きて新聞を読み、今日は土曜日なので仕事はせず、そのままおせちの準備に取りかかった。 自分の中では全く年末の感覚がないのだが、世間的に今日は大晦日。 2022年のカレンダーも、今日で仕事納め。 今年は、五色なますは省略し、黒豆と伊達巻、ごまめくらいをちょこちょこと準備する。 おせちは、泣きべそをかいてまでやりたくないので、自分が楽しく作れる範囲内で。 大晦日が土曜日で、元日が日曜日だから、ちょうどよく週末と重なった。 というわけで、2日からは通常モードに入る予定だ。 だからあんまり、お正月気分を盛り上げたくない。 ささっと通り雨みたいに過ぎ去ってほしい。 お昼に年越しそばを食べ(ゆりねにも数本お そばをあげた)、あとはせっせとお掃除に励む。 大掃除は必要ないけど、ふだんあまり気が回らない額縁の裏側とかスピーカーの上などを念入りに清める。 ゆりねのお年玉用に、ビスケットも焼いた。 シーツと枕カバーをきれいなのに取り替え、洗濯物を干し、台所の床を水拭きして、とやることは尽きない。 家仕事がひと段落したら、今年最後のゆりねと散歩。 やっぱり、ゆりねの大好きな川沿いの公園へ連れて行かれた。 桜の枝先に、小さな蕾が膨らんでいる。 今年を振り返ると、自分としてはなかなかチャレンジングな一年だった。 2年越しで計画を進めてきた山小屋が完成して、人生初の森暮らしを始めた。 一生付き合えたらいいな、と思える女友達にも3人出会えたし、こちらに関しては実り多き年だった。 寄付も、まぁまぁまとまった額ができたので、自分としては満足している。 あとはこの先も、それを継続していけるように、自分に何ができるのかを模索しなくてはいけない。 とは言え、地球規模で見れば、とても21世紀とは思えないような現実が、あちこちで起きている。 空からミサイルが飛んできたり、侵略してきた国の兵士が女性をレイプしたり略奪したり。 髪の毛を布で覆っていなかっただけで咎められ、命を落とし、そのことに反対するデモに参加しただけで、死刑になる。 女性だからというだけで、学校に行けない。 時代は全然進歩なんかしていなくて、むしろ後退しているように感じてしまう。 一体、2年後、3年後のこの星はどうなってしまっているのだろう。 ここ数年の習慣として、毎年大晦日に遺言書をまとめている。 もし明日人生が終わっても、悔いが残らないように。 自分の持ち物を整理し、有効に使ってほしいから。 私が読者の方から頂いたものは、また社会に還元して、少しでも気持ちの良い世の中になってほしいと思う。 遺言書をまとめるたびに、向田邦子さんのエピソードを思い出す。 残されていた遺言書の内容が、実際の所有よりも多く書かれていたというのだ。 見栄ではなくて、きっと丼勘定だったのだろう。 豪傑な向田さんらしくて、笑ってしまう。 先日、『大人のおしゃれ手帖』という雑誌のインタビューで、来年の目標を質問された。 毎年、大それた目標を掲げることはせず、ただ淡々と流れに身を任せている、ということをお話しした上で、私が挙げたのは、 「庭仕事に励む」「社会貢献を実現する」「気内臓を学ぶ」 の3つ。 来年だけの目標というより、どれも50代全体を通して長い時間をかけて挑む目標だ。…

雪の結晶

クリスマスは山小屋で過ごした。 文字通り、ホワイトクリスマス。 森は一面雪に覆われて、白い世界が広がっている。 雪道を歩くのにアイゼンがいいと達人から聞いていたので、早速アイゼンを装着して雪道を歩く。 最高だ。 アイゼンの爪がギュッと路面に刺さるので、ツルツルの氷の道だってなんのその。安心して闊歩できる。 久しぶりに、雪道を歩く感触を味わった。 冬の晴天率が日本一と聞いても、実は半信半疑だった。 でも、実際に行って連日の底抜けの青空を見て納得する。 夏の方がよっぽど雨が降って暗かった。 最低気温はマイナス10度くらいだけど、太陽が出るので、それほどの寒さを感じない。 長野というと豪雪地帯のイメージだが、日本海側は大雪になっても、雪雲はアルプスを超えられないので、八ヶ岳の辺りは、それほどの大雪にはならないらしい。 降っても、すぐにお日様のパワーで溶けてしまう。 雪道運転も、問題なかった。 とにかく、皆が口を揃えて言うように、スピードさえ出さなければ氷の上でも大丈夫。 もちろん、油断は禁物だけど。 下り坂では、ブレーキを踏まず、エンジンブレーキと自然に下りていく力だけを使って前に進む。 雪道運転は、なかなか楽しめた。 基本的にパウダースノーなので、降ったばかりの雪原を走るのは気持ちいい。 しかも、空は完璧な青空だし。 心配していた雪よりも、むしろ怖かったのは風の方。 これが噂の八ヶ岳おろしか、とすぐにピンときた。 荒れ狂うように風が吹きつけるのだ。 そのせいで、薪ストーブを焚いても、煙突から風が入って煙が逆流してしまう。 これには、参った。 煙くて、寝ている間に燻製になってしまう。 色々なことを、ひとつひとつ、自分の体でマスターしていかなければならない。 常にストーブで燃える薪のことを考えていなくてはいけないし、薪棚から薪を運んだり、山小屋に入るのにスコップで除雪したり、大雪が降れば気軽に買い物にも行けないし、もちろん寒いし、たいへんなことは山ほどあって、やることもいっぱいあって忙しいのだけど、でも、達人たちが口を揃えておっしゃるように、冬がいい、という言葉に深く深く納得した。 夏はもちろんクーラーがいらない涼しさで気持ちいいのだけど、でも山小屋の醍醐味は冬だと確信した。 今年は、車のことも含めて、森暮らしのお試しというか様子見の要素が強かったけど、来年からはいよいよ本格始動だ。 今、自分の生活力でどのくらいいられるのかを見極めているところだけど、来年はもっと長く冬を味わいたいと思う。 それにしても、車選びは難しい。 この夏いろんな車を試して、PHV(コンセントに差し込んで自分で充電できる)タイプの車がいいという結論に達したけど、現状であるものは、最低車高が低かったり、私が乗るにはちょっと大きかったりする。 どのタイプが本当に環境に良いのかも、わからない。 できれば、クリーンディーゼルとPHVのハイブリットがいいのだが、ない。 最初は100%電気で走る車にしようと思っていたけど、極寒冷地では充電してもすぐに電気がなくなってしまうと聞き、その選択は無くなった。 電気自動車が普及すれば、当然、原発の問題が出てくる。 一概に、何が環境に、地球に優しいのか、正直、わからなくなってしまった。 PHVで、電気だけでもっと距離が走れて、国産のコンパクトカーが理想なのだけど、帯に短し、たすきに長しで、どうしても自分にぴったりな車が探せない。 いっそのこと環境のことは無視して軽トラはどうかとか、もうそんなんなら馬に乗って移動してしまえないだろうか、とか、迷宮に迷い込んでしまった。…

今夜はジビエ

空を飛ぶ夢を見た。 椅子ごとフワーッと宙に浮いて、そのまま空中遊泳した。 椅子は、いつも山小屋のある森の外に置いてある黄色い椅子。 飛んでいるのは、どこかの都市の上空で、ビルなどの街並みを鳥の目で眺めている。 ものすごく気持ちよかったのだけど、途中から天候が荒れて、恐怖を感じるようになった。 それで、ガソリンスタンドの屋上に不時着した。 ガソリンスタンドで働く若い女性が、屋上まで私を迎えに来てくれた。 そこで気がついて、夢の中での空中遊泳は終了。 大体の夢は目覚めた瞬間忘れてしまうのに、なぜかこの夢だけは強く印象に残っている。 なんとも不思議な感覚の夢だった。 ちょっと前に起きた鹿の脚事件のことを森暮らしの先輩に報告したら、森で生きていくと決めた以上、そんなことでビビってはいけませんよ、と叱咤激励を頂戴した。 曰く、それは私への、森の動物たちからの最大限の歓迎のしるしではないかと。 さすが、大先輩だ。 猫が、主人のところにとった獲物を持っていくように、何者かの野生動物が、鹿脚を私のところに献上してくれたという解釈である。 あー、なるほど。 更に、ヨーロッパのご婦人は、自分が車で轢き殺してしまったキジを、なんのためらいもなく運び、台所へ持って行って料理するでしょう、と続く。 それくらいの覚悟がなければ、森では生きていけませんよ、とのことだった。 たかだか鹿の脚が一本木の枝にささっていたくらいでジタバタ騒いだ自分が、恥ずかしくなる。 次回、同じ光景に出くわしたら、「やった〜、今夜はジビエにしよう! 鹿の腱でシチュウでも作ろう!」と喜べるくらいタフになれるよう、日々、メンタル面を鍛えなくちゃ、だ。 がんばれ、私! 先日、2年前に書いた日記のゲラを読み返した。 来年文庫になる分のゲラなので、どうしても仕事として読まなくてはいけなかったのだけど、読むのに勇気がいるというか、なかなか読む気になれなくて、珍しくギリギリまで保留にして、ようやく重い腰を上げて読んだ感じだった。 個人的にも世の中的にも気流が乱れて、当たり前の日常を失って相当混乱していたと思うし、そんな自分を振り返るのが、しんどかった。 でも、読んでみたら、そんな中でも必死に踏ん張っている自分に再会できて、逆に勇気をもらったというか、励まされたような気分になった。 自分の周りで台風が起きている時は、目の中心まで行ってしまえばいい、そうすれば意外と風の影響を受けず静かに過ごせる、と思ってはいたけれど、当時の自分を振り返ると、まさにそんな感じだったのかもしれない。 車の免許を取るため初めて教習所内でハンドルを握った時は、本当に時速10キロのスピードでも恐怖を感じている自分がいた。 あの時は、免許なんか取って車を運転するのは絶対に無理!と思っていた。 そのことを車の運転をする友人に話すと、みんなが口を揃えて、慣れるから大丈夫!と言ってくれたが、当時はそんな言葉を信じる気になどなれなかった。 でも、あれから2年経って、確かにその通りだ、と納得している。 もし、かつての自分と同じように時速10キロでもビビっている人がいたら、私も、そんなの慣れるから大丈夫だよ〜、と励ますに違いない。 歳を重ねるにつれ、年々、一年があっという間に過ぎる印象だけど、でもこの2年で、随分と心境も環境も変わっている。 ゲラを読み終わると、頭の中には、中島みゆきさんの『時代』という曲が流れていた。 もう、森はすっかり雪に覆われている、らしい。 早く雪景色が見たくてうずうずする。

がくぶち

里暮らし、再開。 山小屋と較べて、部屋の外は暖かいように感じるけれど、部屋の中は逆に寒いように感じる。 先日、ある地方自治体に寄付をした。 子ども食堂の運営資金に使う、とあったので。 日本という、世界から見たら経済的には恵まれているとされる国に生まれて、それでも明日食べるものにも困っている人たちがいるという現実に胸が痛くなる。 ある所では、食べ物が消費しきれずに廃棄されているというのに。 選挙で一票を投じ、自分の理想とする政党が与党となり、社会が変わる、というのを夢見ていたら、きっと命は尽きるだろう。 というのが、最近の正直な気持ちだったりする。 だったら、なるべく有効にお金を使ってもらえるように、自分で使い道を選んで、寄付をした方が気分がいい。 そんなことを思ってその地方自治体に寄付をしたのだが、後日、額縁が届いた。 大きな段ボールが届き、何? と思ったら、品名に「がくぶち」とある。 送り主は、寄付をした地方自治体のふるさと創生課。 額縁には、ご丁寧に市長からの感謝状が入っていた。 いらない。 心の底の底の底の底から、本当に嘘偽りなく、いらない。 受領証だけで結構だ。 額縁がいくらするのか知らないけれど、こんなことにお金をかけるんだったら、一食分でも、お腹を空かせて困っている人にお弁当なりおにぎりなりを届けて欲しいと切実に思った。 もちろん、感謝状をもらって、喜ぶ人もいるのかもしれないけれど。 なんだかこれって、私からするとものすごく無駄な気がした。 額縁より、食料を優先して欲しかった。 お気持ちだけで、十分。 いただいても飾らないし、ただ無駄になるだけなので、その旨をその自治体の担当者に電話で伝えたら、不要でしたら処分してください、と言われた。 けれど、それはそれで面倒だし、第一額縁がもったいないので、失礼を承知で、送り主に返送させていただいた。 額縁だけでも、再利用してほしいと思ったので。 ドイツで感心したことのひとつは、寄付文化が根付いていることだった。 ドイツは、犬や猫などの殺処分がゼロだが、それは各地にティアハイムという、動物の保護施設があって、そこが受け皿になっているから。 ティアハイムは民間で、寄付によって運営されている。 私も一度、ベルリン郊外のティアハイムを見学に行ったけれど、そこはものすごく設備が充実していて、たとえ新たな飼い主に巡り合えない動物たちも、愛情に恵まれた環境で生涯を終えることが約束されている。 自分では飼えないけれど、その犬や猫のサポーターになりたいという場合は、その子の月々の餌代をサポートしたりと、そういう小さなことからでも貢献できることが素晴らしいと思った。 税金も、納得できる使われ方をしているのであれば喜んで払う。 でも、まだ評価の定まらない一政治家の国葬に使ったり、軽率な言動を繰り返す政治家の高額な給料になったり、なんだかなぁ、とため息の出ることばかりなのだ。 もっとこっちにお金を使ってほしいのに、そっちに使って、結果、無駄になったり。 そういう様子を見聞きするたびに、それは血税なんですけど! と言いたくなる。 血税なのだから、一円だって無駄にせず、有効に使ってほしい。 あなたに差し上げたわけではなく、あなたに託して預けただけだということを忘れないでいてほしい。 話は変わるが、サッカーの日本代表が、快挙を遂げている。 私は、三試合とも見ていない。 私が見ない方が勝ちそうなので、次も見ないでおこうと思う。 ただ、心の中で、密かに声援を送っている。 がくぶちを送り返す私も、サッカーW杯のパブリックビューイングを拒否するドイツ国民も、意固地だと言われれば確かにそうなのかもしれない。…

ムッティ

夕方、お風呂から戻ると、薪ストーブに火を入れる。 当初は、朝から入れていたのだが、朝から点けると、じーっと炎に見入ってしまい、それだけで時間が流れてしまうので、朝は軽く床暖房をつけて、薪ストーブの炎を見るのは日が暮れてからのお楽しみになった。 今は、夕方の5時にはもう暗くなるので、そこからは夜時間。 ちびりちびりと赤ワインをやりながら、薪ストーブとおしゃべりする。 薪ストーブは、寒くて早く火を点けたい時に限って、駄々をこねる。 なかなか思い通りに火が育たず、最悪の場合、一度火が盛り上がっても、鎮火してしまう。 そうなると、もう一回やり直しだ。 着火剤とかが、無駄になってしまう。 なんだかかんだと手を焼き、こまめに面倒を見ていると、薪ストーブはご機嫌になって、気前よく炎を上げる。 特に、昼間のうちに中の灰をきれいにし、焚き火をするごとく諸々を仕込んでおくと、自分に向けられた愛情を感じるのか、気持ちよく炎が誕生する。 まるで人格や感情を持っているようで、こうなったら薪ストーブに何か名前をつけてあげたい、と思うようになった。 それで思いついたのが、「ムッティ」。 ドイツ語の、お母さんという意味だ。 親しみを込めて、メルケルさんも国民からそう呼ばれていた。 ムッティは、暖かさと光、両方を惜しみなく与えてくれる。 ムッティに点火する時は、着火剤として、松ぼっくりや新聞紙などを使う。 私には、俄然松ぼっくりが貴重品になった。 ゆりねを連れて散歩をする湖の湖畔や、日帰り温泉の駐車場など、松ぼっくりを見つけたら、反射的に拾ってしまう。 某大学の研究所の敷地内で、ものすごく大きい松ぼっくりも発見した。 パイナップルみたいな細長い感じで、これがものすごくよく燃える。 胡桃の殻も油分が多くて燃えるので、いい着火剤になる。 木が火になり、火が土になり、土が金になり、金が水になり、水が木になる。 薪ストーブを使うようになってから、五行説をなるほどと肌で理解できるようになった。 ムッティがいてくれるおかげで、寒さはそれほど気にならない。 おそらく、体がどんどん寒さに強くなっているというのもあるだろう。 山小屋には断熱材もしっかり入っているし、今のところまだ、防寒着も、レベル2くらいで済んでいる。 ダウンや毛糸の帽子、手袋も、ほとんど必要ない。 夕飯は、ムッティの前に陣取って、中の様子を見ながら食べることが多くなった。 ムッティにはオーブンもついているので、そこで野菜にじんわり熱を加えたり、パンを温めたり、りんごを焼いたりすることもできる。 ムッティの熱と赤ワインで体がほかほかしてきたら、外に出て星を見る。 夏の間はそれほどありがたみを感じていなかったモミなど常緑の針葉樹が、冬になったらものすごく逞しい存在に見えてきた。 すっかり葉っぱを落とした落葉樹の森で、針葉樹だけは、寒さに耐え、堂々と緑色の葉っぱを広げている。 その姿に、希望を感じる。 これからしばらく、またムッティに会えなくなるのが、寂しい。

長野県八つ墓村

どんなに寒くても、一日に一回は森に出て、コーヒーを飲んだり、鳥を観察したりしたいと思っている。 たいてい、それをするのは、食後。 朝昼ごはんを食べて、コーヒーを淹れたら、それを持って森へ。 今日も、カレー蕎麦を食べてから、マグカップを手に、いそいそと森の庭へ出た。 カラ松の切り株に腰掛けて、ホッと一息。 それから、マグカップを片手に、森を散策する。 と、少々異質な光景が視界に入った。 なんじゃあれは? 場所は、大きなもみの木の下。 最初は、枝だと思ったのだ。 でも、幹から枝のように突き刺さっている先にあるのは、ひ、ひ、ひ、ひ、ひづめだった。 ひづめ!?! 何????? 頭が混乱し、見間違いかもしれないしと、一度方向転換し、心を落ち着かせる。 自分のよくある錯覚であることを願いながら、再度、もみの木の下へ。 やっぱり、枝ではなくて、明らかに獣の足である。 そういえば、数日前、この辺りに3本脚の鹿がいるらしいと聞いていた。 その鹿の、脚だろうか? でも一体、なぜこんな場所に突き刺さっている? 誰が?? 最初に脳裏をよぎったのは、「呪い」の文字。 清々しい冬の森が、一瞬にして、八つ墓村になった。 ここが本当に八つ墓村なら、私はもうこの場所には住めない、と絶望する。 怖くて、想像するだけで恐ろしくなる。 そして次に考えたのは、鹿が幹に脚を引っ掛けたものの、脚が枝と枝の間に挟まって抜けなくなり、その脚がもげてしまった説。 でも、そうしたら鹿は騒ぐはず。 でも、ここ数日、鹿の悲鳴のようなものは聞いていないしなぁ。 もう、絵的には、本当にシュールとしか言いようがない。 だって、もみの木の幹から、ニョキッと鹿の脚が突き出ているのだ。 写真を撮れば、百聞は一見にしかずで、すぐに理解してもらえると思ったのだが、私にそんな勇気はなかった。 人間でいう肘から上の部分の肉は削げ落ち、肘から下はそのまま蹄まで残されている。 どうしよう、どうしよう。 挙動不審になりそうだった自分をなんとか落ち着かせ、然るべきところに電話をし、回収をお願いした。 自分でなんとかしろと言われたら、泣いていたかもしれない。 どうやら、珍しいことではないらしい。 罠にかかって取れてしまった脚などを狐などが見つけると、それを運び、ぶん投げて枝にかけたりするらしいのだ。 それを聞き、私は人による「呪い」でなかったことに、本当に本当に安堵した。 森では、予想もつかないことが、日々起こる。 そのたびに私は右往左往して、ほんの少し、自然を知ったような気持ちになる。 ここが、長野県八つ墓村でなかっただけで、今夜はぐっすり眠れそう。

月の満ち欠け

毎晩、布団に入って電気を消してから、あれ? 外の電気消し忘れたかな、と思う。 でも、確かに全部消している。 そっか、木々の葉っぱが落ちたから、夏よりも月の光をまぶしく感じるのだ。 特にここ数日は、上弦の月で外がほんのり明るく見える。 今夜は、皆既月食。 温泉から戻ったら、蝋燭を灯して、お月見をする。 せっかくなので、シードルを開けた。 音楽は、大音量でオペラをかける。 しばらくすると、まん丸だったお月さまが、徐々に左斜め下の方から欠け始めた。 半分くらい隠れたところで、外に出る。 まだ7時前なのに、真夜中の暗さで、星がいっぱいいっぱい輝いていた。 あんまり山小屋から離れるのは不安なので、道の途中で空を見上げる。 気温はほぼ0度。 でも、空気が冷たく乾燥していて、気持ちいい。 そう、これこれ。 私にとっての冬の空気は、まさにこんな感じが理想的だと思う。 小屋の近くまで戻って、しばらくじっと見ていたら、どこからか、ザク、ザク、と獣の足音がする。 おそらく鹿だろう。 鹿はたいてい集団で活動しているけれど、よく、オスの一匹鹿がこの辺りを単独で行動しているので。 向こうも何かを察したのか、動きを止めて様子をうかがっている。 こんなにじっくりと月の動きを観察したのは、生まれて初めてかもしれない。 今、お月さまは薄い黒のベールで覆われている。

日曜日のお味噌

朝起きたら、霜が下りていた。 初霜かもしれない。 季節は迷わず、冬へ一直線だ。 今朝も朝焼けが神々しいほどに美しかった。 そろそろ山小屋の味噌壺のお味噌がなくなるので、満を持して味噌を仕込む。 国内、海外問わず、いくつかの場所で味噌を作ってきたけれど、そこで味噌を仕込むと、その場所が自分の居場所になった気がする。 今日は日曜日で、快晴で、味噌作りにはもってこいの空。 絶対に、雨の日で、しかも悲しかったり苦しかったりする時は、味噌作りをしてはいけない。 祖母からの教えとかではなく、これは私が自らの経験で学んだこと。 そういう負の感情は、波動となって必ずや味噌に伝わると、私自身は信じている。 だから、味噌を仕込むのは、朗らかな、明るい気分の時に。 できれば、音楽も麹がご機嫌で発酵しそうなものを選びたい。 生の麹は、長野県を代表するスーパー、ツルヤさんで入手した。 味噌の本場にいるのだから、わざわざ自分で手作りしなくてもいい気もするけれど、まぁ、味噌作りは趣味なので、つい、やりたくなってしまう。 大豆は、適当に道の駅で買ったもの。 食材は、なるべく身近で手に入るもので賄いたいと思っている。 新聞を読み、90分のヨガをして、いざ味噌作りを始める。 大豆は、一昨日から薪ストーブの上に置いたりして、少しずつ火を通してきた。 茹で上がった大豆をブレンダーで攪拌するのだが、どうもブレンダーの馬力が足りない。 私が20年以上前に買ったブレンダーの方が、よっぽど力強く攪拌する。 今使っているのは新しいのだけど、すぐに止まってしまうので、何度も作業を中断した。 根負けして、今日の味噌は大豆の形が結構粒のまま残っている。 あとは、塩と合わせた生麹を混ぜ、それをせっせとおにぎりみたいに握っていく。 これを小分けして保存袋に詰め、空気を極力抜いて、完成を待つ。 私はあと2週間ちょっとで山をおりる計画だけど、今回の味噌たちは、山小屋でお留守番だ。 気温が低くなるからカビの心配は少ないものの、それでも無事に発酵が進んでおいしい手前味噌に成長してくれるのを祈るのみ。 味噌作りがひと段落したら、ゆりねを連れて温泉へ。 あー、気持ちいい。 極楽だ。 気温が下がったので、ゆりねも車の後部座席で待っていられるようになった。 温泉からの帰り、また鹿の集団に遭遇した。 10頭くらいがまとまって、せっせと草を食んでいる。 オスの鹿は毛が黒っぽくなり、立派な角を生やしている。 体格も一回りほど大きくなったようで、最初見た時はカモシカかと思った。 あんなのに向かってこられたら、太刀打ちできない。 オス鹿の角は、毎年生え変わるらしい。 まるで、落葉樹のよう。 形も、木の枝そっくりだ。 森にいる間にやらなくてはいけないことと、やりたいことが山ほどある。 冬の足音に急かされている。

光り輝く

3年前の今頃、私は毎朝、ベルリンのアパートの出窓に座って、東の空を見つめていた。 朝陽があまりにきれいで、その姿を1秒たりとも見逃したくなくて、太陽が出るのを待ち伏せていた。 ベッドから出る時はまだ真っ暗で、前の通りを走るトラムには、ほとんど人が乗っていなかった。 けれど、ひとたびお日様が顔を出すと、空が見事な茜色に染まり、それはそれは美しかった。 その光を目にするだけで、なんだか勇気づけられた。 ちょうど、人生の岐路に立って、大きな決断をするところだった。 数日前、山小屋に来た。 季節はジャンプするように初冬になっていて、この間の空とは明らかに違う色をしている。 一枚、また一枚と梢からは葉っぱが落ち、あんなにわさわさと茂っていた木の葉が、姿を変え、ものの見事に地面に広がっている。 枝は、すっかり裸木になった。 朝、必ず外に出て、森に向かって手を合わせるのだけど、その時にチラリと見る温度計は、氷点下をさしている。 でも、空気が乾燥していて、空はどこまでも澄み渡って清々しい。 この景色、確かに知っているぞ、と思って記憶を辿ったら、簡単にベルリンの冬の空に行き着いた。 3年前、待ち伏せていたあの朝焼けと、全く同じ色が広がっている。 あの時すがるような思いで拝んでいたのと、おんなじ太陽だという当たり前の事実に、ハッとした。 3年前のあの頃、まさか自分が山小屋で暮らしているなんて、全く想像すらしていなかった。 人生って、本当に何があるかわからないなぁ。 冬は寒くなるけれど、その分、空がきれいだ。 森の緑は減ったけれど、その分、視界が開けた。 山小屋の2階の窓から、今まで見えなかった八ヶ岳の姿が見える。 更に、夜になると満天に広がる星が見られるようになった。 何事も、そういう仕組みなのかもしれない。 失った物があれば、新たに手に入るものがある。 星は、まさに光り輝く。 太陽も、光り輝く。 あの美しい朝焼けの空に再会し、それだけでご機嫌になれる自分がいる。

初雪の朝

昨日の夜から雪が舞い始め、朝、森の落ち葉に初雪が積もっていた。 久しぶりに味わう初雪の朝。 懐かしい。 子どもの頃、この日がものすごく楽しみだった。 昨日東京から森に戻って、いきなりの雪でびっくりだ。 スタッドレスタイヤにしておいてよかった。 それにしても、まだ10月なのに。 もしかすると、この冬もまた、雪が多くて寒いのかもしれない。 雪景色は、ものすごく美しい。 前回山小屋を去る数週間前、まだ木の枝に残っていた葉っぱ達が、潔く地面に落ちている。 その上に、真っ白な雪がふんわりと覆い重なって、この景色を自分だけの目で楽しむのは、申し訳ないようなもったいないような。 雪景色を、心ゆくまで堪能した。 気温は0度ほどで寒いはずなのだけど、それよりも初雪が降ったことに興奮してしまい、寒さはあまり感じなかった。 朝から薪ストーブを本格的に稼働させ、さっそく、薪棚から薪を運んだりと、やることがたくさんある。 これから、もっともっと仕事は増えるはず。 でも、本来の人間の体の動かし方に戻ったようで、なぜか悲壮感はない。 むしろ、楽しい。 夕方、温泉から帰ってきたら、うっすら雪化粧をした山に夕陽が当たり、それはそれは美しかった。 ふだんそういうことは滅多にしないのだけど、車を停めて、写真を撮る。 一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなった。 この姿に出会えただけでも、今回、森に帰った甲斐があったと思う。 それにしても、森の庭に植えていた植物は、無花果も藍も、見事に鹿に食べられている。 食べられずに残っているのは、ミントやローズマリーなど、香りの強いハーブだけ。 やっぱり来年は、本腰を入れて鹿対策をこうじなくては。 ゆりねは、野生動物の匂いがするのか、相変わらず散歩に出ても、すぐに山小屋に引き返そうとする。 また、これまで以上に静かな森暮らしが始まった。

人間ぬか漬け

ようやく里の暮らしに慣れてきた。 耳をすませば、ちゃんと鳥の声が聞こえてくる。 猫の額ほどのちっちゃなちっちゃな植木鉢に種を植え、成長を見守り、花を咲かせる都会人の姿は、健気で愛おしいと感じる。 都市というのは、本当に人間が生活しやすいように作られている。 森時間との時差ぼけを解消してくれたのは、酵素風呂だった。 いつも自転車で前を通っていて、前を通るたびに、今度行ってみようと思いながら何年も時が過ぎていた。 でも先週、行かねば、というか、今私が行くべきはここなのだ、という強い確信があって扉を開けた。 100%米糠だけを使った、糠の発酵熱だけによる民間療法。 人生で2度目だった。 おそらく、深刻な病を得た人が、わらをもすがる思いで、ここにたどり着くのだろう。 糠のベッドに裸で横になり、上からたっぷり糠をかけてもらう。 体の芯から温まり、15分もそうしていると、じんわり、汗をかく。 体に溜まっていた疲労の成分が、まるで毛穴の汚れを剥がれ落とすみたいに、ごっそりと抜けた。 恐るべし、人間ぬか漬け。 最高に気持ちよかった。 帰り際、店主の女性に、大変なお仕事ですね、と声をかけると、 「でも糠のおかげで私も病気を治してもらったから」 と明るい声が返ってきた。 きっと、天職なんだろうな。 太陽みたいな女性だった。 森にいる間は、一回だけスウェーデン式のマッサージを受けた。 東京にいる時は、2週間に1回くらいの割合で、なんらかの体のメンテナンスをしてもらっている。 だから、定期的に体のケアができない状態というのが、少々不安だった。 でも、結果的には大丈夫だった。 昨日、久しぶりにいつもみてもらっているカイロの先生のところに行ったら、体がとてもいい状態だという。 普段はカチカチになっている肩も凝っていないし、内臓も特に弱っているところはないとのこと。 暮らし的には森の方がずっとハードなのだけど、都会特有のストレスがない分、体への負担は軽いのかもしれない。 体は正直に反応する。 山小屋は、私がいなくなって寂しがっていないだろうか。 なんとなく、寡黙だけれど手のかかる大きなペットを、森に残してきているような気分だ。 もう、最低気温は0度近い。 晩秋から初冬へと、季節は確実に進んでいる。 来週には森に帰るので、葉っぱを落とすのを、もう少しだけ我慢してほしい。

キンモクセイと虫の声

里におりてきた。 背中にゆりねを背負って最寄駅に降り立ち、真っ先に鼻に飛び込んできたのがキンモクセイの香りだった。 森では絶対にない香りなので、もううるさいくらいに、あちこちから私を目がけて流れてくる。 キンモクセイの香りを吸って、季節が一気に進んでいるのを実感した。 同じく、夜の虫の声にも圧倒されて、しばし言葉を失った。 どうやら、八ヶ岳と東京では、時差があるらしい。 いや、実際にはないのだけど、週末はずっと時差ぼけのようなものに苦しめられていた。 頭がぼーっとする。 眠くて眠くて、体が重く、なんだか、水の中を漂っているようなのだ。 まるで、長く滞在した海外から戻ってきた時のような感覚で、この擬似的な時差ぼけに戸惑っている。 モンゴルから戻ってきた時も、こんな感じだったかもしれない。 山小屋にいらしたお客さんが、皆さん、森の静けさに息を飲んでいらしたけど、確かに、都会にいると、いろんな音が絶えずどこかから聞こえてくる。 そのほとんど全てが、ヘリコプターだったり空調だったりと、人工的な音だ。 鳥の囀りは、滅多に聞こえてこない。 もう、森が恋しい。 だけど、客観的に見て、あの深い森で、山小屋でひとりで過ごすには、相当な精神力がいるかもしれない。 夜は、体ごとごっそりえぐられそうな深い闇に包まれる。 あの真っ暗な世界で孤独に耐えるというのは、都会生活に慣れてしまうと、なかなか難しいだろう。 ぴーちゃんをはじめ、女性では何人か、あの山小屋でもやっていけるだろう、という人がいるけれど、男性では、正直なところ思いつかない。 もし、ここで一晩ひとりで過ごしなさい、と言われたら、おそらく、暗闇と孤独に絶えられなくなって里に降り、人の気配のする駐車場にでも車を停めて、一晩、ラジオでも聴きながら車で夜を明かすのではないだろうか。 最初の頃は、私も夜が怖かった。 でも、だんだん慣れた。 今は、あの夜のしじまが懐かしく感じる。 早く、森に帰りたい。

森の民同盟

快晴。 朝から青空が広がっている。 先日入手した鳥の餌箱にひまわりの種を入れ、森の一角に吊るしてみた。 しばらくすると、鳥たちが方々から集まってくる。 仲間を集めるように鳴き、代わりばんこで餌台にやってきては、ひまわりの種をついばんでいく。 かわいい。 朝からうんと幸せな気分を味わった。 今週末、東京に一時帰宅(?)するため、仮の小屋じまいに追われている。 薪棚を作ったり、敷地内にできてしまった水路の流れを変えるための土木作業をしたり、来年の鹿対策に向けてミントを植えたりと、やることはきりがない。 短い夏が終わり、一日のうちで、人に会うより鹿に遭遇する数の方が俄然多くなった。 昼間はいいけれど、夜はたまに人恋しくなる。 そんな時は、『フォンターネ 山小屋の生活』を読んで、孤独を紛らわせた。 著者は、イタリアの作家、パオロ・コニェッティ。 彼には、『帰れない山』という代表作があり、私の本棚にもそれはあるけれど、実はまだ読んでいない。 『フォンターネ 山小屋の生活』は、ただただタイトルに入っている「山小屋」という言葉につられて買ったもので、『帰れない山』と同じ人の作品だというのも、後から知ったくらいだ。 『フォンターネ 山小屋の生活』は、まるで他人事とは思えないくらい共感できることがたくさんあり、私はなんだか知り合いの森仲間の文章を読んでいるような気持ちになった。 彼は、小説が書けなくなり、行き詰まった末に山小屋に籠った。 自分が森で暮らすようになって、その人が住んでいる場所の標高を初めて気にするようになったのだが、彼の山小屋は標高1800メートルのところにある。 私は、自分よりも高い標高のところに暮らす人に、初めて会った。 実際に会った訳ではないのだけど、まるで会った気分になって読み進めた。 孤独を味わっているのは自分だけではないのだと、彼の文章を読みながら、何度もそう感じて自分を勇気づけていた。 いくつもの山小屋「あるある」に微笑ましい気持ちにすらなったけれど、中でも、夜中に寝ていて物音がして、聴覚だけがぐんぐん研ぎ澄まされ、想像が果てしなく広がる経験は、まさに私も全く同じ時間を過ごしたことがあるので、彼の気持ちが痛いほどわかった。 実際は、なんのことはない、ただ木の実が屋根に落ちただけだったりするのが、夜中にいきなり物音がすると、その音の元を巡って、想像力が膨らんで止まらなくなってしまう。 稲妻だって、都会ではそれほど恐怖を感じないが、山で見るととてもつもなく神秘的な光に感じる。 山の民、森の民、海の民、川の民、町の民。 住む場所によって、いろんな「民」がいるが、私も彼も、間違いなく「森の民」だと感じた。 そして、この本にも名前が出てくるが、やっぱり森の民のリーダーは、ソローなんじゃないかと思う。 ヘンリー・ソロー。 『森の生活』は、森の民にとってのバイブル的存在だ。 最近、森暮らしを指南してくれるご近所さんができた。 実は薪棚も土木作業も、そのご近所さんのおかげでできたもの。 私はただ、横でぼーっと見ていただけで、まだまだ、森暮らしのスキルがない。 これからは、森の達人とでも呼ぼうか。 達人から、森の民として生きるための多くの知恵を学ばせていただきたいと思っている。 それにしても、去りがたい。 来月、用事を入れてしまったのでどうしても東京に戻らなくてはいけないのが、ただただ切ない。 これから森は、紅葉の季節を迎える。 また一ヶ月もせず森に戻ってくる予定だけれど、そのダイナミックな変化をこの目で見届けられないことが、悔しい。 おそらく、来月私がまた森に戻る頃には、落葉樹は葉を潔く落とし、今とは全く違う風景が広がっているのだろう。 本当に、一瞬のうちに過ぎた夏だった。

長野と山梨

山小屋の住所は長野県だけど、隣の町は山梨県で、日常的に、長野と山梨を行ったり来たりしている。 カーナビを使っていると、「長野県に入りました」とか、「山梨県に入りました」と毎回教えてくれるのだが、不思議と、「長野県に入りました」を聞くとホッとする。 ずっと、村人になりたいなぁ、と思っていたんだけど、今の住所は、まさに「村」なので、それが嬉しい。 ものすごく近いのだけど、長野と山梨では、違うのだ。 まず、農産物。 野菜が充実しているのは長野だし、山梨は果物王国という印象が強い。 長野から山梨に入った途端、桃とか葡萄とかののぼりが目立つようになる。 何となく洒落ているのは山梨で、ギャラリーやカフェなど、素敵なお店がたくさんある。 一方、長野は自然が本当に豊かだ。 私は、どっちも好きだなぁ。 それぞれに、良さがある。 そんなことを日々感じて暮らしていたら、昨日お世話になったマッサージ師さんが、興味深い話を教えてくれた。 雪道について尋ねたところ、「雪の日に山梨方面へ行く時は、注意してくださいね」とのこと。 どうやら、長野と山梨では、雪に対しての対処が異なるらしい。 長野の方が、迅速に、かつ丁寧に除雪してくれるという。 同じ国道を走っていて、山梨に入った途端、雪かきの初動が遅れるし、やり方も甘くなると。 そっか、県境を跨ぐというのは、そういうこともあるのだな、と深く納得した。 さすがに、真冬をここで過ごす覚悟はないけれど、でも聞いておいてよかった。 今夜は、中秋の名月だ。 ずっとずっと雨続きだったので、諦めていたのだけど、珍しく晴れてくれた。 部屋を暗くして、バッハの無伴奏チェロ組曲を聴きながら、お月見を楽しむ。 森の木々の葉が視界を遮るので、なかなか全貌を見ることは難しいのだが、たまに姿を現すと、本当に美しくて感動した。 青空もそうだけど、お月様も、いつも当たり前に見えるより、たまに見れる方が、ずっとずっと有り難みが増す気がする。 さっき、外に出て満月を見てきた。 ここは、街灯が全くないので、本当に、一寸先は闇の世界なのだけど、今夜は月明かりがすごく眩しい。 こんなに真っ暗な中で月を見るのは、人生で初めてかもしれない。 なんていう、神秘だろう。 一晩中、月を見ていたい。

ヨモギの精

夏は短い。 駆け足で通り過ぎる。 私が森にやってきた7月始めの頃は、正直まだ寒かった。 そして今日は、9月1日。 もう、初秋の風だ。 気の早い森の木は、すでに紅葉を始めている。 今日は朝から雨。 一度も窓を開けず、一日中うすら寒かった。 はっきり「夏」と言えるのは、7月20日から8月20日くらいまでの、正味一ヶ月くらいかもしれない。 だからこそ、夏という季節にものすごい価値がある。 昨日、温泉に行った帰りにヨモギを積んできた。 今日は雨で一日外に出られないので、ヨモギの蒸留をする。 山小屋ができたらぜひやろうと思っていたことの一つが、植物を蒸留して、そこから精油(エッセンシャルオイル)を抽出すること。 だって、周りには植物が溢れているのだ。 身の周りの植物から精油を取り出して、香りを楽しみたいと思っていた。 アルコールランプに火を灯して、ヨモギを蒸す。 その蒸気を冷やすことで、ヨモギのエキス(蒸留水、フローラルウォーター)ができる。 その上の方にうっすらとできるのが、精油だ。 ただ私はど素人なので、フローラルウォーターはできても、精油を取り出すのはまだ難しい。 きっと、蒸す時の温度とか、冷やす時のタイミングとか、いろんな条件が重なって精油が取れるのだろう。 自分でやってみて、精油がいかに貴重なものかが身にしみてわかった。 いわば、精油は植物の真髄。魂のようなもの。 それでも、フローラルウォーターを取り出せるだけで、十分楽しい。 ポタリ、ポタリ、と一滴ずつゆっくり落ちてくる雫を見ているだけで、心身が癒やされる。 特に、今日みたいに外に出られない日は。 このフローラルウォーターは、簡単に言うと化粧水になる。 完璧な、無添加化粧水だ。 出来立ての雫を手のひらにのせて、顔に馴染ませた。 なんという気持ちよさだろう。 ヨモギの精が、スーッと肌に馴染んでいく。 今日は夕方、練習も兼ねて薪ストーブに火を入れた。 1回目は、山小屋中が煙まみれになり、危うく私とゆりねが燻製になるところだった。 2回目は火はついたけれど、温度がさほど上がらなかった。 そして今日は、3回目。 いざという時、あたふたしないように、きちんと火を入れられるようにしておかないといけない。 大丈夫だった。 きっと世の中には、必要最小限の薪で最大限の炎を育てる火の達人がいるに違いない。 私はまだまだ足元にも及ばないけれど、とにかく今日は、薪ストーブの炉の中で燃え盛る炎を生み出すことに成功した。 今、山小屋全体が、ほんわりとした暖かさに包まれている。 今夜は薪ストーブの炎を見ながら、赤ワインで晩ごはん。…

ゆりねと私

仕事を終えて、食事を済ませ、コーヒーを淹れ、空が晴れていると、私は決まって森へ行く。 まぁ、森といっても庭の一角なので、目と鼻の先だ。 そして、コーヒーを飲みながら本を読む。 名付けて、森読。 今読んでいるのは、『カヨと私』(本の雑誌社)。 内澤旬子さんの新刊だ。 小豆島へ移り住んだ内澤さんは、独り、カヨと暮らし始める。 カヨは、真っ白いヤギでメス。 食べるためではない。 カヨは少しずつ人間に近づいて、内澤さんは少しずつヤギに近づいていく。 段々と時間をかけて内澤さんに打ち解けるようになったカヨは、内澤さんの腿に頭を預けたりするようになる。 その描写が、とても可愛い。 内澤さんはカヨが喜ぶ顔を見たいがために、海に連れて行ったり、椿の花を食べさせたり。 車の運転が苦手なのに、わざわざ箱型のバンに乗せて遠くのカフェまで行ったりもする。 カヨの目や舌、体全部を通して、内澤さんも「ヤギ」を擬似体験しているみたいだ。 でも、カヨはヤギで、21日周期に発情期がやってくる。 内澤さんは、わざわざカヨとフェリーに乗り、遠出できるギリギリの場所まで、カヨの欲求を叶えるため、オスのヤギとのお見合いを実行する。 妊娠した結果、カヨが死んでしまったらどうしようと不安になったり、わかるわかるの連続だった。 私も当初、コロのお嫁さんとしてゆりねを迎えたのだ。 コヤギが生まれたら、コヤギの方が可愛くなってカヨへの愛情が薄れてしまうことを心配したり、その気持ちが手に取るようだった。 カヨの妊娠、出産。 そして、生き物の仲間がどんどん増えて。 内澤さんもまた、「動物と友だちがおったら生きていける」ジャンルの人だなぁ、と思った。 カヨの出すお乳でヨーグルトやチーズを作ってみたり、まだ途中までしか読んでいないけれど、カヨという生き物を通して、内澤さん自身の人生がどんどん開拓されていくのが伝わってくる。 (実は読めないのだけど)漫画みたいにスイスイ読み進められるのが、とても楽しい。 しかも、素敵なイラストは内澤さん自身によるものと知って、二度驚いた。 ゆりねは、この夏で8歳になり、おそらく、ちゃんと長生きしてくれても、人生の折り返し地点は過ぎているだろうと思われる。 歳を取るってこういうことなんだなぁ、と最近、つくづく感じるようになった。 体の不調だって出てくるだろうし、好き嫌いも、前よりは激しくなっている気がする。 車に乗せろと要求するゆりねはものすごく頑固で、毎回の押し問答に心から辟易するのだが。 先週も、ゆりねのカイカイが止まらなくなったので、最寄りの動物診療所に行った。 きっと、これからそういうことがどんどん増えていくのだろう。 今までは、ゆりねが私の人生に付き合ってくれたから、これから先は私がゆりねの人生に寄り添ってゆりねファーストで生きていこうと思って山小屋を建てたのに、思った以上にゆりねは都会っ子だった。 見慣れぬ鹿の気配に怯え、時に威嚇し、大好きな仲間(犬)とは会えず、ストレスを溜めている。 言っていることとやっていることが全然違って、ゆりねには本当にごめんなさいなのだけど、それでもゆりねは私のことを許し、好きでいてくれる。 本当に寛大だ。 私はゆりねみたいな人になりたい。 内澤さんが、一度でいいからカヨと一緒に草を食べてみたい、と書かれているように、私も一度でいいから、ゆりねと思いっきり走ってみたいなぁ。 私は最近つくづく、人生を幸せに生きるコツは、ひとり遊びができるかどうか、で決まるのではないかと感じているのだけど、そこに一匹動物がいたら、それはもう鬼に金棒というか、パーフェクトなんじゃないかと思っている。 内澤さんの、「独りと一匹」という書き方が、とても美しい表現だと思った。…

秋一番

朝、新聞を読んでいたら、向こうからサーっと大波みたいに風が走ってきて、サワサワと梢がどよめき、秋一番が吹いた。 私が勝手にそう命名しただけだけど。 風が、秋を運んできた。 それにしても、目の前に広がる森の木々の葉っぱが、冬を前にほぼ全て地面に落ちるのを想像と、すごいことだと改めて思う。 森は、なんて生産性が高いというか(だって、毎年毎年、葉っぱを刷新するのだ)、新陳代謝がいいんだろう。 裸足で地面に足をつけていると、それを強く実感する。 落ちた葉っぱを微生物が分解し、大地が豊かになっていく。 その腐葉土が、水をきれいにする。 冬に一度地面がリセットされるけれど、春になると栄養満点の大地からは次々と植物の芽が顔を出し、成長する。 とんでもない速さでリサイクルして、常に新しい状態が保たれている。 大地が、文字通り生きているのを実感する。 これは、地球規模の、動的平衡だ。 日本が戦争に負けて、昨日で77年が経ったという。 この77年で、確かに日本は経済的に豊かにはなったけれど、自分たちが起こした戦争という負の教訓をきちんと学んでいるのだろうか。 自分も含めて、自省したい。 ちょうど一年前、政権が変わったアフガニスタンでは、生活費を得るために幼い我が子を売らざるを得ない人たちがいるというし、幼くして売られた娘が、13歳で妊娠し、子どもを産み、その子が栄養失調で苦しんでいる。 ロシアは、ウクライナを一方的に攻め、ウクライナの人々は、命を落としたり、体の一部を失ったり、心に大きな傷を負ったり、家族がバラバラになったり、想像を絶するほどの苦痛を味わっている。 この事態を「戦争」と呼ぶのに、私はすごく違和感があるけど。 だって、ウクライナの人たちは、戦いたくて戦っているのではない。 戦わざるを得ないから、どうしようもない究極の選択で、自分たちの自由を守るために武器を持って応戦している。 77年前に終わりを迎えた戦争も、実態はそういうことだったのだろう。 第二次世界大戦の戦勝国が国連の常任理事国になったけれど、その常任理事国が間違いを犯さないと、誰が保証できるのか。 現に、ロシアは暴走している。 飢餓の問題は、私が幼い頃から存在した。 食べ物が捨てるほどに有り余っている国と、食べ物がなくて空腹に泣き叫んでいる国がある。 必要以上に多くを持つ人と、最低限、生きるのに必要なものすら持てない人たちがいる。 地球規模の、ものすごい格差社会だ。 食料問題なんて、世界中の賢者が知恵を出し合えば、簡単に解決できそうなのにな。 どうして、これほど長く解決できないのだろう? それとも、はなから解決する気がないのだろうか? 日本の百貨店では、今、高級時計が売れているとのこと。 一時、チェルノブイリ原発を占拠したロシア軍が、原発を甘く見て、周辺の放射性物質の値が高くなったらしい。 年配のロシア兵は原発の危険を理解したが、チェルノブイリの事故の記憶がない若いロシア兵たちが、放射能に汚染された枝を燃やして調理をしたり、赤い森と呼ばれる放射能に汚染された地面を掘り返したりしたそうだ。 記憶が薄れることの怖さを、如実に物語っている。 私たちも、77年前に起きた悲劇を意識して記憶に留めておかないと、また同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。 戦争は、絶対に絶対にしてはいけないと、今、改めて思う。 今日は、一日中、風が強かった。 そのせいで、木の枝に吊るしておいた洗濯物が、何度も風で飛ばされた。 そのたびに外に出て、またハンガーを元の位置に戻す。 その繰り返しだった。…

山の日

山小屋に、時計はない。 あえて置いていない訳ではなく、ただ、これだ、と思える時計にまだ出会っていないから。 チクタクという音がしなくて、寡黙な、小さな時計を探している。 出会えるまでは、時計なしの生活だ。 時刻を知らせてくれる道具は時計じゃなくても他にあるので、家に時計がなくても別に困ることはない。 朝、目を覚ましたらまだ薄暗かった。 昨日の夜から降り始めた雨は、止んでいる。 時間がわからなかったけれど、起きた。 そこら辺に、まだ夜の名残がふわふわと漂っている。 こっちに来てから、仏様ではなく、森の庭の石に向かってお祈りするようになった。 ただ、ご先祖様への朝ごはんとして、変わらずお線香はあげている。 ゆりねは最近、車の味をしめたらしい。 車に乗ると、どこか楽しい場所に行けると学んだらしく、外に出ると、すぐに車の前で足を止める。 朝の散歩は近くを軽く歩くだけなのに、ゆりねはじっと車の横でストライキをする。 それが最近の困ったこと。 歩こうとしないので、仕方がないからトイレだけさせて早々に山小屋に戻った。 人も犬も、便利なものにはすぐ慣れてしまうから、危険だ。 いつもより早い時間に、仏様とゆりねに朝ごはんをあげ、私は温かいお茶を飲んでから、カメラをぶら下げて再び外へ。 カメラは東京から持ってきていたけれど、一ヶ月以上触れていなかった。 最近になって、ようやくカメラに触る。 朝、ゆりねと散歩しながらいつも写真を撮りたいと思っていた。 でも、いざ撮ってみると、森の美しさというのは全然写真に収まらない。 毎回がんばって撮って、毎回がっかりする。 その連続。 森の美しさは、森の香りと共に自分の体で感じるしかないのかもしれない。 今日は、山の日で祝日だという。 どおりで、昨日から森に人が増えている。 山小屋に表札は出していない代わりに、ボンちゃんを外に置いてみた。 ベルリンのアーティストがガラスで作った、シャボン玉みたいな作品。 ベルリン、東京と旅をして、今は八ヶ岳にいる。 ずっと、このボンちゃんを外に出したいと思っていたのだ。 きっとボンちゃんは、家の中より、外、しかも大自然の中の方が喜ぶはず。 だから、山小屋ができたら定期的に外に出してあげようと思っていた。 木漏れ日を浴びて、苔のベッドに寝かされて、ボンちゃんはものすごく幸せそうだった。 自然が作ったものと、人が作ったもの。 ボンちゃんの存在に気づいた人は、いたのだろうか。 いてもいいし、いなくてもいい。 そこにボンちゃんがいるというだけで、何度も窓から外の様子を見てしまう。 それだけで、私は大満足。 今日は、完璧な夏の一日だ。…

タマゴダケのオムレツ

初めて尽くしの毎日だ。 ガソリンスタンドに行って、「レギュラー、満タンでお願いします」と言っている自分がおかしくて堪らない。 セルフはまだ怖くてやったことがない。 だからガソリンスタンドは、人のいるところを探して行く。 スピーカーとアンプを繋いだのも初めてだ。 大体、アンプというものが何か、知らなかった。 今もあんまりよくわかっていないけれど、とにかく自力でスピーカーとアンプを繋いでスピーカーから音が出たとき、私はものすっごく嬉しかった。 なんだ、やればできるじゃん! と思った。 今までは、誰かにやってもらうのが、当たり前になっていた。 コンビニが便利だということに気づいたのも、生まれて初めてかもしれない。 ちょっと前、出版社に書類を戻すのに、封筒がなかった。 近所に、気のきいた文房具屋さんなんて、ない。 私はこれまでほとんど、コンビニを使ったことがなかった。 せいぜい、お金を払う時とか、宅急便を出す時とか。 都会には、コンビニがものすごくたくさんある。 何もこんな近距離に複数のコンビニがなくても良いのにと思って生きてきたし、今もその考えは変わらないのだけど、都会におけるコンビニと田舎におけるコンビニとでは、ありがたみが全く違うのだということに、半世紀近く生きてきて、初めて知った。 切手もコンビニで売っているし、トイレットペーパーだって、コンビニで買える。 コンビニってなんで便利なんだ! と今現在の私は思っている。 ただ、私が欲しい封筒は、コンビニにも売っていなかった。 何も、特別な封筒が欲しいわけではなくて、ただ、白い事務的な封筒が欲しいだけ。 でも、置いてあったのは不祝儀袋ばかりで、さすがにそれに切手を貼って出版社に書類を送るのは憚られる。 結局、白い封筒は別ルートで入手したけれど、ここでの暮らしでは、意外な物が手に入らなくて困ったりする、ということに改めて気づいた。 私が住んでいる界隈では、結構卵を手に入れるのが困難で、道の駅や産直に行けば買えるのだけど、そこまでは片道車で30分ほど。 だから、他の買い物の用事がないと、なかなか卵だけそこまで買いに行こうという気にはならない。 先日東京から日帰りでお客さんがいらした時は、お土産の希望を聞いてくれたので、真っ先に卵をリクエストした。 今欲しいのは、間違って書いてしまった箇所を直すための修正テープと、薪ストーブを使うようになったら必要になるだろうチャッカマンだ。 バターは、売っている場所がようやくわかったので、一安心。 初めてといえば、週末、道の駅に寄ったらタマゴダケが売られていた。 八ヶ岳のキノコ、すごくおいしい。 しかも、都会のスーパーではあまり見かけないような珍しいキノコが結構ある。 タマゴダケは毒キノコみたいな派手なルックスだけど、おいしいのだという。 一度食べてみたいと思っていた。 早速、お昼にオムレツにする。 なるほどねぇ。 タマゴダケと卵、相性がいい。 まだ残っているので、残り半分はパスタにでもしてみよう。 今日は、東京から編集の方が見えられたので、山小屋でランチをご一緒する。 先日、農産物直売所で路地物のイチゴを見つけたので、久しぶりにイチゴのサラダを作った。 不揃いのイチゴたちがなんとも可愛くて、つい買ってしまったのだ。 しかも、一パック190円。…

汗、汗、汗

ベルリンにいる時、今日は暑くなるぞー、という日はお昼前からサウナに行った。 広大なお庭にいくつもサウナがあって、プールもあって、そこでは全裸の男女が思い思いに夏の一日を楽しんでいた。 サウナが、温泉の代わりだった。 数えると、山小屋からぷらっと車で行ける距離に、日帰り温泉が6つある。 そのどの温泉にも、すごくいいサウナがあるのが嬉しい。 もしかして、長野、山梨はサウナ文化が発達しているのだろうか。 私が苦手とする、テレビのついているサウナは一箇所もなくて、どのサウナも簡素で、それがいい。 夕方になると、大体どこかの温泉に行って、サウナを満喫する。 今日も、温泉へ行った。 山小屋にあるお風呂は、まだ数えるほどしか入っていない。 今日行った温泉はいつも行く馴染みのところだけど、そこが、週2回、いつも以上にサウナの温度を上げてくれている。 普段70度なのが、今日は80度だった。 めっちゃ、暑い。 暑くて、皮膚がヒリヒリする。 でも、ここの水風呂が、最高なのだ。 私の好きな白駒の池の方からの伏流水で、ものすごく冷たい。 冷たいけれど、じーっと入っていると、だんだん体が目覚めて、それが快感になってくる。 サウナも水風呂も両極端に暑くて冷たいから、どっちも長居はできない。 短い時間で、そこを行ったり来たりする。 サウナで極限まで我慢して汗を流し、その後水風呂にざぶん。 首の後ろまで水に浸けると、喉がスーッとして、そうするとそこを通る呼吸も冷やされて、体全体に冷気が行き渡る。 それが、ものすごく気持ちよくてやめられなくなってしまうのだ。 今日は、それを5セットやった。 身体中の細胞が、よみがえるよう。 鼻歌を歌いながら、山に戻った。 ところで、今頭を悩ませていることがある。 鹿が木の幹を食べるでしょ。 そうすると、傷ついた木から、樹液が流れる。 それを目当てに、蟻が集まる。 蟻だけでなく、蝶とか虫とか、いろんな生物が集まってくる。 その中には、蜂もいる。 スズメバチもいる。 数日前、なぜかそこだけ虫の温床になっている木を発見した。 ミズナラの木だ。 枝の一部が、鹿に食べられて弱っている。 幹の根元は、虫歯みたいに黒くなっていた。 なるべく、殺虫剤は使いたくない。 かと言って、スズメバチは怖い。 近くで見るスズメバチの顔は、ものすごく怖い。 ペットボトルに、蜂蜜とかカルピスとかを入れて木に吊るして、スズメバチを捕まえるスズメバチトラップもひとつの手かもしれない。…

鹿対策

道の駅まで一っ走りし、ハーブの苗を買いに行ってきた。 調べたところ、鹿は、ミントやラベンダーなど、香りの強い植物が好きではないらしい。 ならば鹿が庭に入らないよう、香りのするハーブを植えようではないか、とひらめいたのである。 というのも、ゆりねがすっかり鹿を警戒するようになってしまった。 2階の窓から、鹿がいないか随時パトロールしている。 この間なんか、3頭の親子連れの鹿を間近に発見し、ものすごい剣幕で吠えたてた。 まるで、別の犬みたいだった。 そんなゆりねの姿、未だかつて見たことがない。 散歩に行っても、鹿がいそうな場所は絶対に歩きたがらない。 鹿の気配がすると、立ち止まって真剣に様子を伺っている。 鹿の方が先に住んでいたわけだし、鹿にも鹿の生きる権利があるというのは重々承知の上で、お互いの平和のため、うまく棲み分けができないものかと模索しているのだ。 できれば鹿とも、ハッピーハッピーの関係を築きたい。 それにしても、庭(森)には、たくさんの生き物がやってくる。 これまでに目撃したのは、タヌキ、キツネ、リス、そして鹿。 思い返せば、野生のタヌキやキツネを見るのは、生まれて初めてかもしれない。 でも、どうしても犬がいない。 と思っていたら、今朝のお散歩で、やっと犬に出会えた。 同胞と挨拶を交わし、ゆりねはようやく長きにわたる犬不足を解消することができた。 めでたし、めでたし。 ニアミスはあったのだ。 ただ、一回は二頭連れだったため、私とゆりねが近づいたら思いっきり吠えられて近づけず、もう一回も、それは一頭だけの小型犬だったけれど、かみつき癖があるらしく飼い主さんが絶対に近づけようとはしなかった。 鹿とは毎日遭遇するが、犬とは会えない日々。 森では、犬よりも鹿の方がずっと数が多いのだ。 それが、森暮らしにおける一番の誤算だった。 誤算は他にもあり、山小屋での生活は想像以上にやることがあって忙しい。 本を読んだりする時間がもっとあってのんびりできるかと思っていたら、とんでもなかった。 これから冬に向けて薪の準備をしたり、太陽の動きに合わせて洗濯物の干す位置を変えたり、植物のお世話をしたり、ゴミを捨てに行ったり、虫を退治したり、目の前の雑事に追われていると、一日があっという間に過ぎていく。 もう8月も目の前で、きっとお盆が過ぎたら、薪ストーブのお世話にならざるを得ない日が来るかもしれない。 来年用の味噌も仕込んでおきたいし、もう気持ち的には来春に向けての準備だ。 せっせとハーブの苗を植えているのも、今すぐなんとかというよりは、来年に向けての下準備。 薪ストーブ用の薪だって、しっかり乾燥させないと燃やせないから、きちんと計画的に軒下に保管しておかないといけない。 着々と冬支度をしないと、あっという間に雪が降って大変なことになってしまう。 山小屋は森に囲まれているけれど、手前の方は人間の手の入った庭、建物より奥は手付かずの森。 そう、分けて考えることにした。 森では余計なことをせず、なるべくそのままの姿を保つ。 一方庭は、少々の遊び心を持って私が少しずつ手を加えてみようと思っている。 だからハーブを植えるのは、庭の方だけ。 ミントは挿し木でもどんどん増えるそうなので、今、根っこを生やすべく、水耕栽培を始めている。 そうしないと、苗がいくらあっても足りなくなるので。 ブッラクミントに、ペパーミントに、アップルミントに、スペアミント。…

庭仕事

蕎麦の芽が、すくすくと大きくなっている。 鹿さん、気づいていないのか、それとも興味がないのか。 葉っぱのひとつも食べられることなく、順調だ。 この調子で大きくなってね、と毎日、こっそり話かけている。 裸足で歩ける小径は、まぁまぁできた。 まぁまぁ、というのは、やってもやってもキリがないから。 とりあえず、足の裏に当たると痛そうな小枝などを取り除き、小さな通路を作った。 何度も何度も繰り返し同じところを歩いていれば、きっといつか、誰もが道と思えるような立派な小径ができるんじゃないかな? 裸足で地面を歩くのは、とにかく気持ちがいい。 今日も、お日様バンザイデーだ。 急きょ、洗濯をし、外に干す。 外に干すのは、初めてのこと。 外壁にフックをつけていてもらって、大正解だった。 毎日着ている山Tシャツが、嬉しいほどにカラッと乾く。 洗濯物が気持ち良く乾く感覚を久しぶりに味わって、嬉しくなった。 想定外のひとつは、洗濯物がなかなか乾かないこと。 設計をしてくださった丸山さんに、浴室乾燥機とか必要ないですか? と聞かれ、速攻で要りません、と答えた過去の自分を憎んだほど。 森暮らしの実態に、想像力が及んでいなかった。 雨が続くと、洗濯物はなかなか乾かないし、乾いても生乾きで、決して気持ちがいいものではない。 お日様の恩恵を無駄にしないよう、先日漬けた梅干しも干した。 太陽光で発電する、愛用のソネングラスも日光浴。 山小屋の外壁に使ったのは、地元産のカラマツだ。 なるべく地産地消で建てたかったので。 上から、なんの塗装もしていないのに、艶がある。 カラマツは、ふんわり、洋菓子みたいな甘い香りがする。 だから、山小屋に帰って玄関を開ける時、いっつもいい香りに包まれる。 ちなみに、中の床に使ったのは、ロシア産のカラマツ。 今となっては、とても貴重な床材だけど。 これから、少しずつ、色の変化を楽しみたい。 裸足で歩ける小径ができたので、ちょこちょこと庭仕事に精を出す。 先日、道の駅で、植物の苗を見つけた。 藍、リーフセロリ、バジリコナーノ(小さいバジル)、チャイブ、ワイルドストロベリーはなんとなく知っている植物だけど、ベトニーとセントジョーンズワートは初耳のハーブ。 説明書きを読んだら、ついつられて買ってしまったのだ。 だって、セントジョーンズワートには、「誰でも『心が風邪をひく』ってことありますよネ。そんな時のハーブです。」とあるし、ベトニーには、「傷のちりょう薬として古くから使われています。」なんて書いてあるのだ。 まるで、本屋さんに置いてある書店員さん手書きのポップみたい。 生産者の方が書かれたのか、それともお店の方が書かれたのかはわからないけれど、なんだかその苗木に愛を感じて、つい、育ててみたくなったのだ。 調べてみると、セントジョーンズワートは、別名、セイヨウオトギリソウで、いろんなサプリになって販売もされている。 神経伝達物質のバランスを整え、不安や緊張、気持ちの落ち込みを緩和し、精神をリラックスさせる方向に導いてくれるらしい。 セントジョーンズワートと聞くと目新しい響きになるけど、オトギリソウは馴染みのある植物だ。 先日、出羽屋さんへ取材に行って、虫刺されに効くとお土産に頂いたのも、オトギリソウを焼酎に漬けたものだった。…

朝の光

明け方まで雨が降っていたのだけど、止んだら見事な青空が広がった。 朝の光は何よりのご馳走だ。 身体の中の全ての細胞が、喜びに満たされる。 一昨日から、友人が山小屋に遊びに来ていた。 先々月東京で初めて会って、今回が2回目。 その人は私より一回り歳上で、私を糸ちゃんと呼んでくれる数少ない友人の一人で、素晴らしい芸術家。 とても繊細で美しく、けれど生命力の強い作品を生み出す。 私も、彼女が作り出す世界の大ファンだ。 出不精のその人が、はるばる山小屋まで来てくれた。 私がリクエストした、ヴァージンじゃない普通のオリーブオイルを携えて。 山小屋は、完全にひとり仕様だ。 あえてゲストルームは作らなかった。 そこまでの予算がなかったという現実的な理由もあるけれど、私は意図的にゲストルームを設けなかった。 森の中でまで、大人数でワイワイやるつもりは毛頭ない。 基本は、私がゆりねと共に静かに過ごす場所であり、仕事場という意味合いが強い。 だから、この山小屋にファミリーで泊まったり、複数の友人を呼んで合宿のように賑やかに過ごす、というのは、はなから想定していない。 そういうことをしたいゲストには、近くにいくつか宿泊施設があるので、そこを紹介するようにしている。 ただ、ソファベッドはあるので、そこで寝ても大丈夫という人なら、ひとり限定で、ゲストを呼ぶつもりだ。 私はふだん、そんなに人に会う方でもないし、正直、そういう余裕もなかったりする。 でも、心を許せる数人の大好きな友人はいる。 その人がもし山小屋まで来てくれるなら、森の中で心ゆくまで共に時間を過ごし、その間は濃密に過ごして、美しい時間を分かち合いたいと思う。 山小屋は、静かに、一対一で、好きな相手と向き合う場所にしたい。 2泊3日の滞在予定で来てくれた彼女とは、まさにそういう濃密な時間を過ごせた。 時にお喋りをし、時にお互い口をつぐんで空を見て、鳥の声に耳をすます。 今朝は、朝の光に包まれながら、いろんなことを語り合った。 本当に満たされた時間だった。 一緒にご飯を食べて、音楽を聴いて、仕事をしたい時にして、たまに庭に出て地面を撫でて、風を感じて。 都会では味わえない豊かな時間を味わえた気がする。 それもこれも、全ては森のおかげだ。 今日は、私が森暮らしを始めてから一番の青空だった。 直前まで、ずっと雨の予報だったのに。 きっと彼女が、山の神様に祝福されていたんだと思う。 特別なことは何もしていないのに、森にいると、あっという間に時間が過ぎて、夜になるのが不思議だった。 私の目の前に広がっている景色は、美しいという言葉以外では表現できないくらい美しくて、ただただ見惚れてしまう。 そこは、別に誰かがお金をかけて何かをした場所でもなんでもなくて、ただ、人が何も手を加えなかった、地球本来の姿が残っている場所。 私は、森を、地球を、ほんの一部ではあるけれど、手に入れたのだ。ということに、今日、はたと気づいた。 有り余るほどのお金があったら、そこら中の森という森を買い取って、このままの姿で残したいと本気で思う。 彼女は夕方、東京へ帰った。 精神的に満たされたこの3日間は、いつか私たちのお互いの作品に、見えない形で紛れ込んでいくのかもしれない。 彼女が山小屋にいた余韻を、今、ひっそりと味わっている。…

一杯の湧き水

3連休の最終日。 ご近所さんから笑い声が聞こえてくる。 お隣さんの家に明かりが灯っていると、すごく嬉しい。 連休中、山はとっても賑やかだ。 ふと思い立ち、苔の美しい場所へ。 登山口まではほんの少し車に乗るけど、そこからは山道をてくてく。 今日は珍しく雨が降らなかったので。 途中の砂利道は退屈だったけど、苔は確かに美しかった。 そして、湧き水。 大きな石の下から、こんこんと水が沸いている。 私の庭にあるよりももっと巨大な石に青々とした苔がびっしりと生えている姿は圧巻だった。 ちょうど水筒が空になったので、そこに湧き水を汲んで飲んでみた。 なんという澄み切った味。 山小屋の水道の蛇口から出るミネラルウォーターより、更に純度が高い。 命が潤うのを実感した。 正直、苔ワールドを堪能するなら、私が愛してやまない白駒の池の方がスケールが大きいけれど、この一杯の湧き水を飲むために、てくてく山小屋から一時間ちょっとかけてここに来るのもアリかもしれない。 とりあえず、山小屋のゲストには、このミニ登山をおすすめしよう。 今、思い出しても、恍惚としてしまう。 ゆっくりと歩いたり立ち止まったりしながら往復しても、山小屋から3時間はかからない。 これはいいお散歩コースになりそうだ。 帰ってから飲んだビールがまた、格別。 今日は、温泉へは行かず、山小屋のお風呂に入った。

ハローお日様

久しぶりにお日様の顔を見た。 昨日までずーっとずーっと雨。 このまま秋になってしまうのでは、と不安になるほど。 昨夜なんかは土砂降りの雨で、恐怖を感じた。 今日の夕方、久方ぶりに太陽の眩しさに目を細める。 空にお日様の姿があるだけで、気持ちが明るくなる。 東京では時間割で動く生活だった。 何時になったら食事をして、とか、何時になったらゆりねの散歩に行って、とか何時になったら銭湯に行って、とか。 でも、山では全てがお日様の動向に左右される。 今行かなかったらもう今日はゆりねの散歩に出られない、となれば、仕事そっちのけで散歩に行かなくては次にいつ行けるかわからないし、今はまだ晴れているけれど、もう少ししたら雨が降ってくるかもしれない、となれば、温泉に行くのを諦めたりしなくちゃいけない。 時間割で動くことができたのは、都会暮らしで、ある程度自然が制御されていたからだと気づいた。 とにかく、山では常にお天道様のご機嫌を伺い、クンクンとゆりねみたいに空の匂いを嗅ぎながら、この先どうなるかを自分で判断する能力が試される。 一応、天気予報もあるにはあるけど、山の天気は変わりやすいから、それは自分の勘を鋭くしていなくちゃいけないことにはたと気づいた。 もしベルリン暮らしの経験がなかったら、きっとここ数日の雨続きに気持ちが滅入っていたに違いない。 でも、なんとなくその分野は、結構鍛えられている。 そもそも私は、裏日本と呼ばれる日本海側で育った。 とにかく、お日様の恵みを無駄にしないように、お日様の動向に合わせて自分も行動すればいい。 太陽が顔を出したら、まず洗濯物を陽の当たるところに出して、自分は庭に出る。 そして、香ばしい空気をたくさん吸う。 森の香りを吸ったり吐いたりしているだけで、ものすごく気持ちが健やかになる。 お休みの日は、朝と晩、お日様に「いただきます」と「ごちそうさまでした」の感謝の気持ちを伝える気分で、瞑想をする。 今日は、オンラインでヨガもやった。 森暮らしのルーティンも、少しずつ固まりつつあるのが嬉しい。 今夜は、久しぶりに妖精さん(とってもおいしい白いキノコ。正式名、白麗茸)をいただいた。 グリルで焼いて、それに自分で作ったバジルペーストをつけて。 やっぱり、素晴らしいお味だ。 目の前に、鮑のステーキと妖精さんを出されて、どっちか食べていいと言われたら、私は迷わず妖精さんに箸を伸ばすだろう。 夜は、ワインを飲みながら、大音量で音楽を聴く。 森の中だから、お隣さんを気にすることなく音楽が聴けるのがいい。 今聴いているのは、モンポーだ。

美しい雨

朝起きて、外に出て、あれ? と思う。 なんと、ちょこちょこと芽が出ているのだ。 その場所は、確か蕎麦の種を植えた場所。 まさか、こんなに早く発芽するとは! やっぱり、蕎麦の産地だから、蕎麦の栽培には適している環境なのかもしれない。 そんなに急に成長はしないだろうに、1日に何度も、窓から芽の様子を見てしまう。 と思っていたら、お昼、庭に鹿の姿が。 熱心に、地面の草を食んでいる。 窓からじっと見ていたら、向こうもこっちに気づいて、数秒間、お互いに見つめあった。 鹿さん、見ている分には可愛いのだけど、庭の植物を片っ端から食べてしまう。 やっぱり、蕎麦も食べられてしまうのか? どうか、鹿に見つかって食べられないことを祈るばかりだ。 八ヶ岳は。今週も来週も、ずっと雨マークが続いている。 山小屋に、雨どいはない。 だから、雨が降ると、軒先からポタポタポタポタ、雨が滴になって落ちてくる。 それが、すごく美しい。 雨の降り方も、ベルリンに似ている。 標高が高い分、そりゃあ八ヶ岳の方が自然環境は厳しいけれど、乾燥していて、1日に1回は晴れ間がのぞいたりする点も、ベルリンと共通する。 何より、森の感じが、まるでヨーロッパだ。 食に関しても、新鮮な肉や魚はあまり手に入らなくて、(もちろん、スーパーに行けばあるのだけど)基本は野菜中心。 内陸だから、魚よりは肉、しかも、この辺りは、加工肉の文化が発達していて、それも私を和ませてくれる。 ハムとかソーセージとかベーコンとかが、すごくおいしい。 今日は、珍しく1日中雨だった。 でも、森の中は案外木々の葉っぱが傘になってくれるので、歩いていても、それほど濡れない。 昨日道の駅で、梅を手に入れた。 今年はバタバタしていて、梅仕事ができなかった。 でも、八ヶ岳で梅をゲットできたので、早速、梅干しを作った。 納豆と卵もようやく手に入れたので、今朝はご飯を炊いて、お味噌汁も作った。 やっぱり自分の味噌で作るお味噌汁は格別だ。 山小屋に移って一週間が経ち、だいぶ体が慣れてきた。 今週から、仕事も始めている。 最初から飛ばすと途中でバテそうなので、今はゆっくりゆっくり、時間をかけて少しずつこの環境に心と体を慣らしている。 ずっと森にこもっていると仙人みたいになってしまいそうなので、1日に1回は、里まで下りるように心がけている。 今日は、というか今日も、温泉に行った。 まだ、山小屋のお風呂には1回しか入っていない。 大体、生活パターンは東京での暮らしと変わらない。 今日は、昨日とは別の道の駅で、生の杏を買うことができた。 貴重な貴重な、生の杏。 コンポートにでもしてみよう。 今日は他に、ピーナツバターを作った。…

種を蒔く

ここは基本的に原生林なので、畑もガーデニングもあんまり似合わないし、人が人工的に手を加えられるような生易しい土地ではない。 そのまんまが一番美しいのは、十分心得ている。 その上、鹿がいる。 散歩に出ると、毎回どこかで鹿に出くわすし、特に鹿たちは、なぜか私の庭に集まってくる。 だから、何かを植えても、すぐ鹿に見つかって、食べられてしまうのだ。 それでも、種を蒔いた。 身近に土のある生活は、子どもの頃以来になる。 裏庭に自生しているミツバやネギをつんでくるのは、私にできる数少ないお手伝いのひとつだった。 すぐそばに、そういう野菜がちょこっとあるだけで、すごく助かる。 今回植えたのは、チャイブ、ソバ、カズサヨモギ、ヤマミツバ、ツワブキ、モミジガサ、そしてカワラナデシコ。 少しでも芽を出してくれたら、すごく嬉しい。 ところで、森暮らしはとても快適で、心身ともに健やかでいられる気がするけれど、ちょっとだけ残念に感じているのは、『ちむどんどん』が見られなくなってしまったことだ。 山小屋にはテレビがないので。 スタートしてから、毎日ほぼ欠かさずに見ていて、平日は毎朝7時25分に目覚まし音が鳴るように設定し、見逃さないようにしてきた。 でも、先週の半ば以来、見ていない。 暢子の恋愛がどうなってしまったのか、気になっている。 それと、ゆりねにとっては、犬に会わないのが、ちょっとしたストレスかもしれない。 東京で散歩に出れば、大抵、同じように散歩している犬と遭遇し、お互いに匂いを嗅ぎ合って挨拶を交わすことができた。 でも、森ではまだ犬に会っていない。 会うのは鹿ばかりで、鹿の気配があると、ゆりねはどうも緊張している様子だ。 だから、犬と遊ばせるためにはドッグランに連れていかないといけない。 東京では、正直、人の多さにうんざりしていた。 人がたくさんいる渋谷や新宿は遠回りしてでも避けて目的地まで行っていたし、満員電車には、なるべく乗りたくなかった。 でも、森では仲間を見つけたような気分になって、人と会うとホッとする。 人のありがたみを感じられるようになったことは、喜ばしいことのひとつだ。

新しい日々

標高1600メートルでの暮らしが始まった。 右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを振り返っても、森、森、森、森。 私が山小屋を建てた土地は、ほぼほぼ原生林で、地球が誕生して以来、この地に住む人間は、おそらく私が初めてだ。 先週の半ばに荷物を移して、今日が森で過ごす最初の週末。 それにしても、標高1600メートルというのは、かなり高い。 富士山でいえば、1合目と2合目の間くらいだ。 それゆえ、お天気がコロコロ変わる。 朝晩は冷え込むし、一番気温が高くなる日中も、暑くてしんどいほどではない。 ちなみに、今日の最高気温は、22度。 だから、山登りの時みたいに、その都度、気温に合わせてこまめに服を着たり脱いだりする。 空気がびっくりするくらい美味しくて、一番のご馳走だ。 あとは、水。 水道の蛇口から、天然のミネラルウォーターが出てきてくれるのは、本当に本当にありがたい。 山小屋は、着いたその日から、ものすごく肌に馴染んだ。 それはもう、建築家の丸山さんと地元の大工さんたちのおかげ。 まるで、もう何年も前からここに暮らしているような気分になったのが、自分でも不思議だった。 もちろん、色々と不便なことはある。 ケータイの電波はあんまり届かないし、最寄りのコンビニまでも、車で10分くらいかかる。 スーパーはもっと遠いし、インターネットを繋ぐためすぐにルーターが必要だったのだけど、そういうのを買える大きな家電量販店までは、車で一時間くらいかかる。 忘れたからちょっとそこまで、という気軽な買い物ができないから、買い物も、どこで、何を買うか、計画的にやらなくちゃいけない。 そんな不便さを差し引いても、それを遥かに超える恩恵を、私はもうすでに受けている。 価値観も食生活も、きっとガラリと変わるのだろう。 周りの自然が美しいから、自分を着飾ることには全く興味がなくなるし、食事も、野菜そのものがとびきり美味しいから、それにちょっと手を加えるだけで十分満足だ。 感覚的には、ベルリンでの暮らしが形を変えて甦った。 ベルリンは、都会の中に自然があったけど、こっちは、自然の中に文化が点在している印象だ。 ちょうどコロナと重なったこの2年数ヶ月、私はずっと東京にいて、それはそれで、もちろん、有意義な時間だった。 でも、正直、限界も感じていた。 それが、森に移ったことで、それまでのベルリンでの暮らしがすぽっとチューブで繋がったみたいな感じがするのだ。 ベルリンのアパートで使っていた家具や食器類が、うまく山小屋に収まったこともすごく嬉しい。 今回、新たに買ったものはほとんどない。 中でも、ベルリンのアパートで使っていた、引き出しのついた大きな黒いデスクの用途が決まったことは、一番の喜びだ。 夏だけベルリンに通っていた頃から、その店の前を通っては、あのデスクで仕事ができたらいいのになぁ、といつもいつも指をくわえて眺めていた。 そして、もしいつかベルリンに暮らすことがあったら、あのデスクを手に入れよう、と思っていた。 ベルリンから引き上げることを決めた時、このデスクは、重いし大きいし、当然、もう手放すしかないだろうと、自分でもまさか日本に持って帰れるとは思っていなかったのだけど、分解して、持ち帰れることがわかり、はるばる海を渡って、日本の地にやってきたのだ。 でも、日本の住宅ではこのデスクは大きすぎて、ずっと、分解されたまま、部屋のあちこちに邪魔者のように置かれていた。 当初、山小屋の台所には、新たに調理台を置く計画だった。 でも、見積もりが出てみると予算オーバーで、その時にふと、このデスクを調理台代わりに台所に置いてみたらどうだろう、と閃いたのだ。 もし、どうしても合わなかったら、その時はその時で、また調理台を作るなりすればいいと考えていた。 でも、そんな必要は全くなかった。 黒いデスクは、ものすごくピッタリと、山小屋の台所に収まった。…

べっぴんじゃがいも

今、一緒に新聞連載のお仕事をしている素描家のしゅんしゅんさんが、広島からじゃがいもを送ってくださった。 安芸津産の「べっぴんじゃがいも」とのこと。 確かに、お肌がすべすべて、男性名詞か女性名詞かどちらかをつけるなら、私は断然、女性名詞をつけたくなるような麗しいお芋さんだった。 たーくさん届けてくださったので、方々へお福分けをする。 それにしても、東京は暑いのぅ。 まだ6月なのに、この暑さは何なんだ。 もう、梅雨も終わったという。 節電が叫ばれているので、なるべく熱源を無駄にしないよう、じゃがいも達をお鍋に詰め、一度にまとめて下茹でした。 スーッと竹串が通るくらいまで火が通ったら、それで調理完了。 茹で上がったばかりのじゃがいも達は、見ているだけで幸せになる。 じゃがいもを見ていたら、不意に、バルト三国に行った時の食卓を思い出した。 上の方から、エストニア、ラトビア、リトアニアと、小さな国が三つ縦に並んでいる。 隣にひかえるのは、ロシア。 ここ最近のニュースで、バルト三国の位置を理解した方も、たくさんいらっしゃると思う。 訪れるのは、大体初夏の頃だった。 どの国でも、テーブルにはじゃがいもが並んでいたっけ。 じゃがいもは、ご馳走だった。 自分の足元を見つめ、慎ましく、けれど豊かに楽しく暮らしている人達。 私は、そんなバルト三国に暮らす人々から、大きな影響を受けたし、たくさんのことを学ばせてもらったし、彼らを心から尊敬している。 ウクライナに起きている悲劇が、バルト三国にまでも広がるようなことがありませんように。 ウクライナの人々が、一刻も早く自分の家で安心して暮らせるようになりますように。 健やかなじゃがいも達を見ていたら、そんなことを祈っていた。 茹でたじゃがいもは、半分は冷めてからそのまま冷蔵庫に保管し、半分は、作り置きしておいたバジルペーストであえてみた。 ほんの少し、お酢を効かせて。 ありがたく、いただいた。 私は今、段ボールに囲まれてこの文章を書いている。 来週、八ヶ岳に荷物を移すのだ。 完全に移住する訳ではないから、荷物はほんの一部なのだけど、それでも、結構な量になる。 ベルリンで使っていた家具や食器、台所用品も、ようやく八ヶ岳の山小屋で使うことができる。 それが、何より嬉しい。 ベルリンからの荷物があったせいで、東京の家が、かなり飽和状態になっていた。 暑いので、頭に濡れ手ぬぐいを巻いている。 その際、濡れ手ぬぐいに、シュッシュッとハッカのスプレーをかけているので、かなりひんやりする。 これ、暑さ対策にオススメです。 あとは、こまめに水風呂に入るのも効果的。 朝は、4時半に起きて、ゆりねの散歩に出かけている。

読書感想文

毎年、夏休みの楽しみは、読書感想文を書くことだった。 それを言うと、大体の人からギョッとされる。 小学1年生の頃からずっとそうだったので、みんなも、自分と同じように読書感想文を書くのを楽しみにしていたとばかり思っていた。 多くの人にとって読書感想文があまり嬉しくないものと知ったのは、大人になってからである。 書けば必ずといっていいくらい賞をいただけたので、それがやる気になった。 あとは、じっくりと一冊の本の内容に向き合えるのも、喜びだった。 小さい頃、そんなにたくさんの本を読んだ覚えはないけれど、読書感想文を書くにあたって読んだ本は、結構、覚えている。 そんな話を小耳に挟んだ毎日新聞社の方からお声がかかり、今度、読書感想文のイベントに参加することになった。 その打ち合わせで、過去のことを色々とお話していたら、私が中学生の時に書いて大きな賞をいただいた読書感想文の話題になり、それを探してくださったのだ。 なんと、国会図書館に残っていたという。 私も、手元にないことを寂しく感じていたから、それには大喜び。 私は中学2年生の時に書いたと思っていたのだけど、どうやら中学1年生の時の作文らしい。 『はてしない物語』を読んでの感想文だ。 その文章と、久しぶりに対面した。 結構、覚えているものである。 言葉遣いとか、文章のリズムとか。 今から思うと、ずいぶん、大人びたことを書いている。 あの時は、本当に不思議な体験をした。 本を読みながら、頭の中に書くべき文章が滝のように流れてきたのだ。 私は、それをそのまま文字にするだけでよかった。 そういう経験は、いまだに、あの時一回しかない。 毎日新聞社主催の読書感想文イベントは、7月2日(土)の午後2時から、会場とオンライン、両方で行われます。 詳細は、「お知らせ」にアップしましたので、ご興味のある方は、ぜひご参加くださいね。

仕事というもの

可能な限り、夕方は銭湯に通っている。 今は徒歩ではなく自転車で行くようにしているのだけど、そうすると、最後の角を曲がる所に、たいてい、交通整理のおじさんが立っている。 おじさんは交通整備をするための棒を片手に、制服を着て、暑い日も雨の日も、嵐の日も寒い日も、同じようにそこにいる。 背格好が似ているので、最初は、ずっと同じ人かと思っていたのだ。 でも、ある日、おじさんが二人いることに気づいた。 一人のおじさんは、私が自転車で近づくと、車が来ないかを確認し、「はい、どうぞ、通ってください」などと声をかけてくれる。 私からは死角になる方から車が来る時は、「ちょっと待ってください、今、車が通りますので」などと、とても親切に誘導してくれる。 一方、もう一人のおじさんは、車が来ようが人が来ようが、全く無反応で、ただそこに立っているだけなのだ。 だからそのおじさんの時は、自分で安全を確認し、用心深く角を曲がらなくてはいけない。 どうせ、同じ時間、その場所に立っていなくてはいけないのに。 だったら、気持ちよくちゃんと仕事をしてくれたらいいのになぁ、と私は毎回毎回、同じように思う。 黙ったままのおじさんは、一体、何のためにそこに何時間も立っているのだろう。 せっかく同じ仕事をするのなら、相手に喜んでもらった方がやりがいがあるのでは、と考えてしまうのだが。 私はもう、日本で一番おいしい食パンをわざわざ取り寄せてまで食べたいとは思わない。 けれど、近所にあるパン屋さんで買ってきた食パンを、たった一枚を食べるのでも、最大限、美味しく工夫して食べたいとは思う。 仕事というのは、そういうものなのではないかと、最近しみじみ思うのだ。 自分のできる範囲で、最大限できることをする。 ウィンウィンという言葉があるけど、私はそれよりも、ハッピーハッピーがいいなぁ、と感じている。 自分が何らかの仕事をする。 自分もハッピーになるし、そのことで相手もハッピーになる。 そういう、ハッピーハッピーの関係で世の中がまわったら、余計なストレスが減って、お互い、生きやすく、幸せになるのに。 誰かの犠牲や不幸や我慢の上に成り立つ独りよがりの幸せは、あんまり嬉しくない。 私の場合で言ったら、まぁ、原稿を早く書き上げて遅れないようにする、とかそういうことになるんだけど。 自分も相手も気持ちよく仕事をする、というのが、最近のモットーだ。 銭湯に行って交通整備のおじさんの前を通るたび、私はいつも、仕事というものについて考えてしまう。

環境再生医、矢野智徳さんのドキュメンタリーを見た。 タイトルは、『杜人(もりびと)』。 「杜」というのは、この場所を傷めず、穢さず、大事に使わせてください、と人が森の神様に誓って紐を張った場所のことだそうで、矢野さんはまさしくこの「杜」の再生に励んでいる。 開発という名のもと、コンクリートで道路やダム、側溝を作り、その下には、グライ土壌と呼ばれる、空気や水が循環しない土の層が広がっている。 けれど、コンクリートで地面を覆ってしまったら、大地は呼吸できなくなる。 呼吸ができないと、地球は息苦しくなって、思いっきり深呼吸をしなくてはいけなくなる。 それが、昨今の大災害に繋がっていると矢野さんは指摘する。 人間の体がそうであるように、生きるためには空気と水を常に滞りなく巡らせることが大事。 滞ると、流れが悪くなり、そこが病の原因になる。 地球も同じ。 空気と水が巡ってこそ、本来の健やかさを維持できる。 今、地球は息が苦しくてアップアップしている状態だ。 矢野さんの解決方法は、斬新だった。 まず、コンクリートの下にある水脈を探って、そこに穴を開ける。 そして、水の流れを生む。 草も、全部を刈り取るのではなく、風の流れができるように下の方を残して、サクサクと刈り取る。 水脈を作るのも風の通り道を作るのも、大げさな道具は必要ない。 スコップと、小さなカマさえあれば、誰でもできる。 子どもでも、お年寄りでもできる。 地球に住む住人が、自分の足元の土地を、そんなふうにケアしてあげられたら、地球の空気と水の循環は途端に良くなる。 災害現場に駆けつけた矢野さんの再建方法が素晴らしいと思った。 彼は、瓦礫となった山の中から、木の枝や石などを取り出し、そこにあったものを使って再建するのだ。 災害が起きた途端に、全てがゴミとして扱われることに疑問を感じていたという。 私も、同じように感じていた。 コンクリートも、取り除くのではなく、穴を開けたら、また粉砕されたものを被せて再利用する。 それは、新たなゴミを産まないという点で、ものすごく画期的だった。 ただ、人間がちょっとした手を加えて周辺の環境を変えるだけで、そこにあった植物たちが、見違えるように生命力を取り戻していく。 矢野さんの、植物や動物たちに対する眼差しが、本当に愛に溢れていた。 息をしている限りは、最大限に命を生かす努力をする。 こういう人が同じ時代に生きていると思うだけで、嬉しくなる。 矢野さんは、本当に尊いお仕事を、全身全霊でされていらっしゃる。 今、植物たちは人間の奴隷のように扱われていると指摘する矢野さんの言葉が胸に刺さった。 確かに、そう。 本来は、動物も植物も、共に生きる仲間だったはずなのに、いつからか人間は傲慢になって、人間以外の生命を下僕のように扱っている。 映画を見ながら、自分が今、山小屋を作っている選択が、間違いではなかった気がした。 私が責任を持てるのは、地球全体からしたら本当にちっぽけな区画でしかないけれど、その土地は私が守ろうと心に誓った。 そして、その場所を「杜」にしたいと。

旅立ちの朝

小学1年生の時のクラスメイトに、シバサキキョウコちゃんという女の子がいた。 もう、どういう漢字だったのかは思い出せない。というか、その頃はまだ、ほとんど平仮名しか知らなかった。 幼いながらに、馬が合うというか、相性がいいのを感じていた。 キョウコちゃんと一緒にいると、すごく楽だった。 私が、人生で初めて「友情」というものを具体的に感じた相手だったかもしれない。 キョウコちゃんは、1年生の夏休みに引っ越したので、私がキョウコちゃんと友達でいられたのは、1年生の1学期のみ。 夏休みになり、夕方、母の自転車の荷台に乗せられて、キョウコちゃんとお別れしに行ったことをはっきりと覚えている。 そこからはもう手紙のやりとりもしていなくて、ただ、シバサキキョウコちゃんという名前の響きだけが私の胸に残った。 今、どこで何をしているんだろう? もし会えるなら、会って話したい。 朝早く目が覚めて、ふと、シバサキキョウコちゃんのことが脳裏をよぎった。 今日、ぴーちゃんがフランスに旅立つ。 約2週間の同居生活だった。 家にお客さんを呼んでご飯を食べ、山小屋で合宿をして、また東京に戻ってお客さんを呼ぶ日々だった。 ベルリンにいる頃から似ているとは言われてたけど、最近は本当によく言われるようになった。 一緒にいると、ひとつのことが、10倍楽しくなる。 この2週間、笑ってばっかりだった。 だから尚のこと、ぴーちゃんが帰ってしまうのが、寂しい。 なるべく湿っぽくならず、明るくサラリと送り出そうと心に決めながら布団を出て、お米を炊く。 これから、長い時間をかけて南仏に帰るのだ。 マルセイユのアパートに着いて自分のベッドで横になれるのは、ほぼ1日後。 その間、ひもじい思いをしなくていいように、朝、せっせとおにぎりを作った。 ロシアによる戦争の影響で、ヨーロッパへの輸送手段が船便だけになっているため、今回、ぴーちゃんは自分が使う画材なんかを全て自力で運ばなくてはいけない。 大型のスーツケースの他に、大きな段ボール、手荷物もパンパン。 日本を離れて外国で暮らすことの大変さを、久しぶりに思い出した。 本当は、梅干しなんかも持って行けたらよかったのだけど、そんな余裕はさらさらなかった。 駅まで行くタクシーを見送る時は、さすがに涙が出た。 ぴーちゃんも、泣いていた。 永遠の別れでもあるまいし、と思うのだけど、色々思い出してしまったのだ。 私がベルリンに行って、ぴーちゃんと知り合って、みゆきちゃんと3人で仲良く遊んで、みゆきちゃんが旅立って、私がベルリンを離れて、コロナが来て、ぴーちゃんもベルリンを離れて、そういう一連のあれ哉これやを思い出したら、涙が止まらなくなってしまった。 そして、一連のあれやこれやが、シュルシュルシュルッと、まるで巻尺みたいに自分の胸のうちに綺麗に収まるのを感じた。 私もぴーちゃんも、これまでのことがリセットされ、そしてまた新しい人生がリスタートする。 今日は、そんな旅立ちの朝だった。 ぴーちゃんを乗せたタクシーを見送り、部屋に戻ったら、ゆりねがキョトンとしている。 どうやら、私とぴーちゃんがふたりともどこかへ行ってしまい、また自分だけ置いてけぼりをくらったと勘違いしていたようなのだ。 私を見て、あれ? なんで? という表情をしている。 ゆりねはゆりねで、人知れず、感傷的になっていたらしい。 きっと人間だったら、こっそりハンカチで涙を拭う仕草をしただろう。 昨日も今日も、ゆりねはぴったりとぴーちゃんにくっついて、腕枕で寝ていたそうだ。 ゆりねもぴーちゃんが大好きだ。…

妖精のハム巻き

私たちが気に入って、毎日その道の駅に行って毎日ストーブの上で焼いて食べていたのは、白麗(ハクレイ)茸という白いキノコ。 食感はエリンギ茸みたいなんだけど、香りが良くて、どんなふうに食べても美味しい。 すっかり白麗茸のファンになってしまったのだが、みんななかなかその名前が覚えられず、途中から、「妖精さん」と呼ぶようになった。 だって、キノコの袋に「白麗茸と妖精たち」というシールが貼ってあるんだもの。 最後の夜は、近くのソーセージ屋さんから買ってきた最高に美味しいソーセージとハムで盛り上がった。 そして、もちろん妖精さんも食べる。 妖精さんはすっかり人気者で、「妖精さん、そろそろ焼けますよ〜」とか、「妖精さんに生ハムのお布団をかけていただきま〜す」とか、はたから見たらかなり危ない感じだったけど、本人たちは至って真面目だった。 とにかく、ものすっごく楽しかったのだ。 4泊5日なんてあっという間で、このままずっとこのメンバーで合宿をしていたい気分になる。 同じ屋根の下で寝泊まりするうち、火のお世話をする人、後片付けをする人、料理を作る人、掃除をする人、音楽をかける人と、それぞれに役割分担ができて、それが綺麗にはまっていく。 時間の過ごし方の感覚も大事で、もしここにひとりでも、ガイドブックと睨めっこしたり、分刻みのスケジュールを立てたり、ショッピングをしたい人がいたら、この心地いい感覚は味わえない。 お互いに気心が知れているからこその、リラックスした山合宿だった。 結局、外食は一回もしなかった。 朝ご飯を炊いて、残りをおにぎりにして外に持って行って食べるパターンで、ただのおにぎりでも、本当に美味しく感じる。 そして、夜はもっぱらストーブ料理の連続だった。 野菜はどれも新鮮で美味しく、しかも安いし、美味しいお豆腐もわかったし、素敵なパン屋さんとハム屋さんとの出会いもあった。 今回の山合宿で、一気に、山小屋での暮らしをイメージできるようになった。 ここでなら、見知らぬ土地でもなんとかやっていけそうだという自信が湧いてきた。 何より、信州の自然が素晴らしくて、こんな大自然のそばに身を置けると思うだけで、幸せが込み上げてくる。 生きる喜びに満ち溢れた4泊5日の山合宿だった。

雨宿り

今日は朝から雨。 激しく降っているわけではないけれど、せっかく素敵な山小屋にいるので、小屋にこもって雨宿りをする。 時間がたっぷりあるので、ぴーちゃんに、チネイザン(おなかマッサージ)の練習台になってもらった。 人のおなかを触っているのって、本当に気持ちいい。 されている方も気持ちいいのだけど、している方もうっとり。 特に、外から鳥の囀りなんかが聞こえてくると、至福以外のなにものでもない。 肝臓や胆嚢に残るのは、怒りや罪悪感。 心や小腸に残るのは、憎悪や短気、焦り。 脾や胃には、悩みや懸念が、肺と大腸には悲しみと鬱が、腎と膀胱には恐れや恐怖が蓄積されると、チネイザンでは考えられている。 そういう負の感情が溜まってしまった内臓をマッサージすることで、こびりついていた感情を流し、心身を健やかにする。 私は今、チネイザンのほんの入り口に立っただけだけれど、もっともっと理解を深めて経験を積んだら、私のこの二つの手のひらが、周りの人の幸福のちょっとしたお役に立てるかもしれない。 ぴーちゃんは、途中から深く眠ってしまった。 お腹の後は背中のオイルマッサージもやって、たっぷり2時間、お互いリラックスタイムを満喫した。 お昼は、パンケーキ。 家から持ってきた粉と、高級卵と牛乳を混ぜて、久しぶりにパンケーキを焼いた。 ベルリンにいるときはよく、日曜日のブランチにパンケーキパーティーをしていたのを思い出す。 生クリームとバナナをのせて、しっぽり、パンケーキを食べる。 午後は、ここから車で1時間のところにある、山奥の野良湯へ。 野良湯なんていう言葉があるのを、初めて知った。 4泊5日の、今日が最終日。 雨は雨で、それまた楽しい。

雪と苔の世界へ

ずっと行きたいと思っていた、白駒の池へ行ってきた。 ここは、日本三大原生林のひとつ。 オオシラビソやトウヒなど、木々たちがあるがままの姿で根っこを張り、朽ちたり、芽を伸ばしたりしている。 もう、どこを見ても美しすぎて、ただただため息の連続だった。 池に近づくにつれて、途中から雪の上を歩く。 ざっく、ざっく、ざっく、ざっく。 深い空洞に落ちないよう気をつけながら、雪の感触を堪能する。 この冬ずっと雪道を歩きたいと思っていたので、5月になってようやく願いが叶った。 芽吹いたばかりの新芽と、残雪、そして苔。 太古の地球の姿に想いを馳せながら、春の気配を楽しんだ。 梢からは、ひっきりなしに鳥の囀りが聞こえてくる。 私にとっての楽園が、目の前に広がっていた。 池の湖畔を半周して、ニュウという山を目指す。 でも、途中からだんだん空が怪しくなってきた。 それで、頂上を目指すのは断念して、引き返すことにした。 山でも海でも、こういう決断は、すごく大事。 楽しみにしていた山登りはそれほどできなかったけど、私は大いに満たされた。 それにしても神様は、こんなに美しい星に人間を住まわせてくれているのになぁ。 自然が生み出すものは、すべて、どんなに小さなものでも美しいのに。 こんなにもこんなにもこんなにもこんなにも美しい自然を、開発という名の下いたずらに手を加え、簡単に壊し、傷つけてしまう人間という傲慢な生き物は、本当に愚かだなぁと思った。 これ以上地球を傷つけたら、取り返しのつかないことになってしまうのに。 山からおりた後は、昨日とは別の道の駅へ。 そのままパン屋さんにも寄って、夜の食料をゲットする。 そして、昨日とは別の日帰り湯へ。 露天風呂やサウナを行き来しながら、たっぷりとお湯に浸かって疲れを癒した。 夜は再び、ストーブ料理。 昨日美味しかったキノコをまた焼いて、アスパラガスを焼いて、ソーセージも焼いて、ワインを飲む。 至福だった。 笑いすぎて、今朝はちょっと、喉が痛い。

山の朝

女子3人で、山合宿をしている。 メンバーは、ぴーちゃんと、カメラマンの鳥巣さん、私。 八ヶ岳の山小屋ができるのが待ち遠しくて、まずは別の山小屋を借りて山暮らしの予行演習をする。 昨日は車で東京から移動し、夕方近くの日帰り温泉に行って、夜は山小屋でストーブご飯。 これが、なかなか美味しかった。 小屋には、薪ストーブと石油ストーブが両方ともあって、朝晩は冷えるので両方ともつけている。 火を見ていると、本当に癒される。 薪ストーブの火のお世話をしながら、自然と、火の周りに人が集まってくる。 でも、実用的なのはやっぱり石油ストーブの方だった。 上に網を載せると、そこが即席バーベキューになる。 昨夜は、家から持ってきたシャンパンを開けて、山暮らしのスタートに乾杯。 まずは、道の駅でゲットした地元のキノコを焼いてみる。 美味しい。 同じ道の駅で勝った刻みお揚げも、一緒に焼いた。 これも、美味しい。 鳥巣さんが持ってきてくれた、お餅も焼いた。 これも、美味しい。 ぴーちゃんが随分前に兵庫から送ってくれた山の芋も、アルミフォイルに包んで薪ストーブの中で焼いた。 これも、美味しい。 基本的に、家の冷蔵庫にあった物や最近の頂き物を片っ端から段ボールに入れて持ってきたのだけど、こうやって食べると、山の魔法がかかって、もともと美味しい食べ物が、更にもっともっと美味しく感じるようになる。 最後、同じく道の駅でゲットした芹とお揚げを、昆布だしでしゃぶしゃぶにしていただく。 これも、美味しい。 ストーブ料理の何もかもが美味しくって、3人、笑いが止まらなくなる。 デザートは、これも昨日の朝届いた蓮根餅を食べる。 そして、私はすぐに寝た。 ぐっすり、ものすごく深く寝た。 鳥の声で目覚めた。 朝、早めに起きて下でお茶を飲みながら新聞を読んでいたら、 「糸さん、もうご飯炊けてるの〜?」と、眠たげなぴーちゃんの声が上のロフトから降ってくる。 昨日あんなに食べたのに、もうお腹が空いたという。 それで、慌てて家から持ってきたご飯を炊いた。 お味噌汁は、最近よくやっている、即席お味噌汁。 これは本当に便利で、自分で作ったお味噌に、青海苔などの実と粉だしをあらかじめ混ぜておいたもの。 これだと、もうお湯を注ぐだけで即席の手作り味噌汁になる。 普段は、煮干しで出汁を引くけど、忙しい時とかは、この即席お味噌汁が、ものすごく重宝する。 炊き立ての白いご飯に、昨日道の駅で売っていた、ひとパック800円もする高級卵の卵かけご飯で朝ご飯にした。 3人が、ひたすら卵を混ぜるカシャカシャカシャカシャという音が、微笑ましかった。 そして、残ったご飯は塩昆布を混ぜて、お昼に食べるおむすびにする。 レストランとかに行かなくても、こういうご飯が一番おいしい。 今日は晴れているので、山へ。…

ホームステイ中

世の中は、ゴールデンウィークなんですね。 私は、連休の前半、取材で山形へ行ってきた。 そして東京に戻ってからは、ひたすらひたすら原稿を書いている。 今週から、ぴーちゃんがわが家にホームステイ中だ。 ベルリンで出会った画家のぴーちゃんは、今、南フランスに住んでいる。 生のぴーちゃんに会えるのは、2年ぶり。 ぴーちゃんが日本にいるというだけで、私はなんだかすごく嬉しい。 お揃いのパジャマ(腹巻きがついたマタニティー用のスパッツ)を履いて、同じ格好で家の中をウロウロしてたり、一緒に洗濯物を畳んだり、そんな時間が無性に愛おしく感じてしまう。 ベルリンでも何度か預かってもらったので、ゆりねは毎晩ぴーちゃんの腕枕で寝て、明け方になると、決まって私の布団に入ってくる。 今日は、ぴーちゃんの友人でもあるアーティストの束芋さんの新作舞台、『もつれる水滴』を見に行った。 池袋って、なんであんなに複雑なのか。 毎回、迷子になる。 今日も、東京芸術劇場へ行くつもりが、同じ西口にある池袋演芸場に着いてしまい、ワッ、落語やん! と焦ってしまった。 無事にギリギリ間に合って事なきを得たけど。 渋谷とか新宿とか池袋は、極力避けたいエリアだ。 この舞台は、束芋さんがアートデザインを担当し、コンテンポラリーサーカスをするフランス人のヨルグ・ミュラーさんが舞台上で踊りを披露するというもの。 日本とフランスの共同制作で、会場は満席御礼だった。 ものすっごく、よかった。 よく考えると、久しぶりの舞台だ。 一枚の布が生き物のように宙を舞ったり、束芋さんによるアニメーションの舞台演出とヨルグさんの生身の体のコラボレーションが、幻想的で美しく、誰かの夢の中を歩いている気分だった。 束芋さんの作品が、とにかくすごい。 彼女には、2回ほどベルリンでお会いしているけれど、普段は普通の女の子って感じなのになぁ。 でも知らないところで黙々と力をため、進化しているのを痛感した。 コロナの影響で、ちゃんと開催できるかどうか不安だったと思う。 久々にアートに触れ、ベルリンにいる時の感覚を思い出した。 やっぱり、こういう時間って必要だと実感した。 今週は、ぴーちゃんのお友達が、続々と我が家にやって来る。 私はせっせと料理作り。 昨日は、料理研究家のminokamoさんがいらして、山形からの山菜料理でおもてなし。 デザートをおねだりしたら、器まで持ってきてくださって、素敵な杏仁豆腐をご馳走してくださった。 こういう華やかな料理、私には絶対に作れない。 明日は、束芋さんをお招きしてスキヤキの宴の予定だし、明後日も、明明後日も、それぞれお客様。 なんだか、コロナですっかり出不精になり、自分が出かけるより、こっちに来てもらって手料理を振る舞う方が楽になってきた。 お客様がいらっしゃると、何を作ろうかとか色々考えるのが楽しいし、最近目にした新たなレシピを試してみたりすることもできる。 お土産をいただけるのも、密かに嬉しい。 私は、冷蔵庫にたくさんのビールやワインを冷やして待っている。

キリンの命と人の命

知床半島沖の海上で、観光遊覧船の遭難事故が起きた。 乗客と乗員を含め、26人が乗船していたという。 冷たい海に投げ出された方達のことを思うと、本当に胸が張り裂けそうになる。 今月中旬、ひまわりという名の一頭のメスのキリンが、トラックでの移送中に命を落としたという。 ひまわりは1歳8ヶ月で、神戸市内の動物園で飼育されていたが、繁殖のため、オスのいる岩手の一関まで、22時間かけて運ばれる途中の事故だった。 ひまわりは、頭までの高さが、約3メートル。 けれど、トラックの荷台に積まれたオリは、高さが2メートル65cmしかない。 道路交通法にのっとって、そうせざると得なかったとのこと。 ひまわりは、立った状態ではなく、脚を広げた状態で、首を前に伸ばした姿勢で収容された。 神戸を出て10時間後、新潟市内のパーキングエリアで、ひまわりが倒れているのが見つかったそうだ。 姿勢を変えようとして転び、狭いオリの中で首が折れ曲がってしまった。 死因は、呼吸不全と循環器不全。 痛かっただろうに。苦しかっただろうに。 私は、ひまわりが不憫でならない。 キリンの命も、海に投げ出された26名の人間の命も、どちらも本当にかけがえがなく、尊いもの。 無くならなくてもよかった命だ。 一体、これらの命と引き換えにして得たかったものとは、なんだったんだろう。 どちらも、判断を下した責任者や関係者を責めるのは容易いけれど、問題は、そこだけではないような気がする。 心より、ご冥福をお祈りします。

春になったら、海に行こう

朝、鳥の声で目を覚ました。 いつもの、光時計から聞こえる録音された鳥の声ではなく、本物の鳥の囀り。 ある時間を境に、一斉に鳥たちが喋り始める。 まるでその声が、木々の梢からシャワーのように降ってくるのだ。 鳥の声で目を覚ますのって、なんて幸せなんだろう。 沖縄に行ってきた。 先月は石垣島だったけど、今回は本島へ。 どうしても、八重山に行く機会が多くて、実は本島って、ちゃんと見て回ったことがない。 ほとんど初めてと言っても、過言ではないくらい。 しかも、取材の仕事で、私は編集者を助手席に乗せて、運転するという初の試み。 ついでに言うと、写真も自分で撮らなくてはいけないという、なかなか盛りだくさんの旅だった。 鳥の声で目を覚ました私は、そのまま水着に着替えて、車を運転して海に行った。 自分で運転できると、こういうことが可能になる。 目指すは、ヤハラヅカサ。 ここは、ニライカナイから久高島にやってきた琉球の創世神であるアマミキヨが、沖縄本島で最初に降り立ったとされる海岸。 近くには祈りの場である浜川御嶽もあり、アマミキヨが仮住まいをした場所と言われている。 ヤハラヅカサは、女性のための浜とのこと。 細い道の先に、海が見えた。 朝の海って、本当に素敵だ。 最初にお祈りをし、それからゆっくり、海の方へと一歩ずつ近づく。 海には、ポツンと石碑が建っていて、満潮になると海水に沈み、干潮になると姿を現す。 同じ場所に、香炉もある。 ここは、とてもとても神聖な場所なのだ。 水は、それほど冷たくはなく、ちょっとずつ体を慣らしながら、最後は肩までしっかり入って軽く泳いだ。 気持ちよくて、いつまででも入っていたくなる。 海から見る森の景色も最高だった。 海で朝の沐浴をしながら、地球に生まれた幸せを噛みしめた。 ニライカナイは、海の向こうにあると信じられている理想郷。とても美しく、素晴らしい世界だ。 二日連続で、この海に入れたことに、心からの感謝を! ありがとうございました。 能登といい鎌倉といい石垣といい沖縄といい、最近の私は海に呼ばれている。 海に浄化してもらい、エネルギーをたっくさんもらって帰ってきた。 これからは毎年、春になったら、海に行こう。

タケノコファースト

JRの恵比寿駅で、客からの「不快だ」という苦情を受け、ロシア語の案内を貼り紙で隠していたというニュースが新聞に載っていた。 結局、元に戻したそうだけど。 どうして、こういうことになるかなぁ、と、この手のニュースに接するたびに、首をひねる。 不快だと苦情を言う方も言う方だけど、応じる方も応じる方だ。 もちろん、ここ最近のウクライナに対するロシアの蛮行を見ていて、ロシアの人たちへのやり切れない思いというのは、確かにある。 だからと言って、ロシア料理店に嫌がらせをしたり、コンサートの演目からロシアの楽曲を外したり、今回みたいにロシア語の案内を見えなくしたりするというのは、筋が違んじゃない? と思う。 だって、親ガチャじゃないけど、自分で自分の生まれる国は決められないのだし。 一般のロシア人に対して差別をしたところで、それは単なる嫌がらせであって、少しも問題は解決しない。 今、世界中にいるロシア人は、とても肩身の狭い思いをされていることと思う。 ベルリンにも、ロシア人はたくさん住んでいた。 なんてことを書いていたところで、京都からタケノコが届いた。 そんじょそこらのタケノコとは、訳が違う。 これは、京都の西、塚原地区で採れた、ピンのタケノコ。 去年、その味を初めて知った。 なんと、新鮮なタケノコなので、アク抜き用の糠は入れず、ただお湯で湯がくだけで食べられるという。 なんなら、刺身でもいけちゃうくらい、アクの全くないタケノコなのだ。 でも、こういう宝石のようなタケノコに育てるには、草刈りをしたり、土を柔らかくしたりと、農家さんのたゆまむご苦労があってこそ。 白く柔らかい上物のタケノコは、天塩にかけて育てた証なのだ。 急いで、外側の皮を剥いて、家にある一番大きな鍋に並べた。 何はさておき、まずはタケノコの息の根を止めなくてはいけない。 生命力の強いタケノコは、どんどん芽を伸ばそうとするから、なるべく早く、その命に終止符を打つ必要があるのだ。 原稿書きをほっぽり投げて、しばし、タケノコのお世話をした。 タケノコ屋のおじさんに教わった通り、糠は入れず、水だけでコトコト下茹でする。 今、部屋中に、清らかなタケノコの香りが広がっている。 旬の食べ物は、ダラダラと何回も食べず、一回、いいものをちょっと多めに味わって、後は一年後を待つ、というのが、最近の私の食べ方だ。 芹に関しては、なかなかそれが難しいけど、イチゴでも水茄子でも、良いものを一年に一回だけ味わって食べる。 そうすると、よりその食べ物へのありがたみが増す。 今日は、タケノコをしみじみ食べ尽くそう。 今週から、朝の7時25分に目覚ましをかけている。 自分はとっくに起きているので、目を覚ますためではない。 かけないと、ついうっかり見逃してしまうから、BSで朝ドラが始まる5分前に、「もうそろそろ始まりますよ〜」の意味で、音が鳴るように設定したのだ。 今週から、朝の連続ドラマ小説は、『ちむどんどん』。 沖縄が舞台で、料理を、オカズデザインのふたりが担当している。 ものすごく前から準備をしていて、話を聞く限り、面白そうと前から期待していたのだ。 おそらく、私にとっては『あまちゃん』以来の熱狂になるに違いない。 第一週目から、楽しいし、内容が深いし、映像が良いしで、見ごたえ満点。 ただ、朝から美味しそうな料理がたくさん登場するので、お腹が空くのが難点だけど。 見ていると、今すぐ沖縄に行きたくなってしまう。 今日は、タケノコファースト。 どんな料理に仕上げようか、さっきから頭を悩ませている。

原作者として

作家の山内マリコさんと柚木麻子さんが、「原作者として、 映画業界の性暴力・性加害の撲滅を求めます」と題した声明文を発表した。 私もこれに、同業者として賛同している。 お二人が書かれた声明文にもあるように、自分の作品が映画化、映像化されるということは間間あることではある。 けれど、その制作に関して、大きく関与するかと言ったら、私の場合、そんなことはない。 一応、脚本は送られてくるけれど。 キャスティングに関しても、別に何も言わないし。 基本、映画は映画監督の作品だと割り切っているので、私は傍観者という立ち位置でいることの方が圧倒的に多い。 でも、その映画監督が、自らの立場を利用して、性暴力、性加害をしているとしたら、私は果たして、全く無関係と言って傍観者のままいていいのだろうか。 最近、勇気を振り絞って、性暴力、性加害の実態を告発している人たちがいる。 同意なく、単なる力で相手の体をねじ伏せよう、手に入れよう、欲望を満たそうとするのは、本当に卑劣で情けなく、最低の行為だ。 今回、山内マリコさんと柚木麻子さんが、声明文を出してくださった。 もしお二人が素早く行動に移してくれなかったら、私は傍観者のままでい続けただけ。 若いふたりが声を上げてくださったことに、心からの拍手を送りたい。 性に関わることは、それが密室で行われるだけになかなか公にされないけれど、それを許してしまったら、ただただこれからも被害者が増えるだけ。 だから、勇気を出して告発することは、本当に素晴らしいことだと思う。 そういう人に冷たい目を向ける社会であってはいけないし、誰もが気持ちよく生きていける世の中になるため、私たちはまだまだ、発展途上にあると思う。 こういうことに対しての、男女での感覚の違いというのも、是正していかないといけないんじゃないかな? 男性と女性とで、一概には言えないけれど、まだまだ男性側の認識の甘さというのは、あるような気がしてならない。 特に性に関しては、相手が嫌だと感じることは、すべてNGなのだということを、声を大にして言いたい。 もし、好意を抱く相手がいるなら、正々堂々、自分の魅力で勝負してほしいし、それができないなら、然るべき場所で、きちんとお金を払って性欲を満たして欲しい。 害を加える側は、ほんの一時の軽い冗談のつもりでも、害を受けた側は、深く傷つき、長く苦しむことになる。 場合によっては、それまで歩んできた人生を、木っ端微塵に壊されてしまうかもしれない。 どうかそのことを、忘れないでいてほしい。 少しでも、この世の中が、みんなにとって生きやすい社会となりますように!!!

大人の鎌倉

鎌倉の余韻が、まだヒタヒタと続いている。 昨日から、ゆりねの散歩を朝の時間帯に変えた。 気温が20度を超えると、日中、ゆりねは暑がってあまり歩きたがらなくなる。 今朝も、6時前に家を出て、近所を歩いた。 もうすっかり桜が散っている。 これからは、葉桜が眩しい季節だ。 朝の空気は、なんて気持ちがいいのだろう。 最近、北鎌倉がすごく好きだ。 鎌倉ももちろんいいけど、北鎌倉はこぢんまりしていて、大人の鎌倉という気がする。 鎌倉について全くの無知だった頃は、駅を出て、小町通りを歩いて、八幡様でお参りして、それが鎌倉の全てだと思っていた。 でも、今から思うと、それは全然、鎌倉の魅力を知ったことにはならない。 むしろ、小町通りは避けて歩きたいエリアだ。 週末は、さすがに鎌倉には人が溢れていた。 それで、北鎌倉を散策した。 ずっと行きたいと思っていたお店が2軒あり、そのお店の店主と話をしたりしていたら、あっという間に時間が経っていた。 もし鎌倉エリアに住むんだったら、私は北鎌倉がいい。 基本山だから、坂道が多くて大変なんだけど。 本日のおやつは、マヤノカヌレのカヌレ(チョコレート味)。 北鎌倉の駅の近くに、とっても素敵なカヌレ屋さんができた。 素敵なだけでなく、ものすごく美味しい。 でも金、土、日しかあいていない。 絶品です。 すぐに売り切れてしまうので、北鎌倉を散策する前に、まずは予約して行くのことをお勧めします。 そして、私の大好きな、morozumi とラボラトリエ。 どちらも、とてもとてもわかりにくい場所にありますので、お出かけの際は、きっちり下調べをしてくださいね! 私もいまだに迷います。

『椿ノ恋文』

今日から、神奈川新聞で『椿ノ恋文』の新聞連載が始まった。 初めての、新聞連載。 『ツバキ文具店』『キラキラ共和国』に続く、ポッポちゃんシリーズの第3弾だ。 取材のため、去年は月一回くらいのペースで鎌倉に滞在した。 そして、実はこの文章も鎌倉で書いている。 段葛の桜がきれいだ。 ポッポちゃんのおかげで、私にとっても、鎌倉が心のふるさとになりつつある。 鎌倉に身を置いていると、どうしてこんなにときめくんだろう。 本当に、ただ町を歩いているだけで、ワクワクする。 近くに海も山もあって、自然のエネルギーを常に感じられるのがいい。 鎌倉に暮らしている人も、皆さんすごく魅力的だ。 目が生き生きと輝いていて、自らの意志で鎌倉を選び、この地での暮らしを愛し、楽しんでいるのが伝わってくる。 個人経営の小さい店が星のように散らばっていて、無理せず、自分の生活を大切にしながら商いを続けている。 とても理想的なコミュニティーだ。 今回の物語では、山だけでなく、海もまた、いろんな場面に登場する。 昨日は江ノ電に乗って、藤沢に暮らす友人に、お昼、つるやさんの鰻重を届けた。 鎌倉高校前に近づくと、やおら乗客がスマートフォンを取り出して、海を写真に収め始める。 スーツを着ているサラリーマンも、息子を抱っこしたお母さんも、若いカップルも、海を前にして優しい表情を浮かべている。 そんな、ちょっとしたワンシーンに遭遇するだけで、心が緩む。 こういう時間を過ごせるだけで幸せだし、ありがたいことなんだと身に沁みて思う。 私の文章としゅんしゅんさんの絵で、素敵な朝をお届けできたら、そんなに嬉しいことはない。 新聞連載、どうぞ楽しんでくださいね!

海へ

サクッと、海へ行ってきた。 お昼を持って海に行くつもりだと伝えたら、のんのんが焼きたてのキッシュと人参のラペを持たせてくれる。 のんのんの電動自転車を借りて、初の鎌倉サイクリング。 もちろんレンバイに立ち寄って、例のあれもゲットした。 若宮大路をひたすらまっすぐまっすぐ海へ向けて自転車を走らせる。 由比ヶ浜の駐輪場に自転車をとめ、砂浜へ。 気持ちいい。 ビーチサンダルを脱いで、裸足で歩く。 最近、旅に出る時、ゆりねのマットを持って行くようにしている。 ベルリン時代、レストランやカフェに入った時、ゆりねがその上で寝そべったりできるようにと買ったマットなのだけど、正直、あまり使うシーンがなかった。 いくらマットを敷いても、ゆりねはそこを避けて、床に直接ペタッと寝るのが好きだったので。 でも、防水だし、軽いし、くるくる丸めることができるので、ふと旅先に持って行ったら私が使えるかもしれないと閃いたのだ。 結果は大正解で、特に海に行く時は、このシートを広げるとちょうどよく一人分の座るスペースが確保できる。 他にも、枕になったり、椅子が冷たい時の座布団になったり、何かと重宝する。 もう一つの旅の必需品は日傘で、晴雨兼用の折り畳み傘だ。 直射日光に弱い私は、日傘が欠かせない。 特にビーチは影がないので、日傘をさして、自分で影を作るしかない。 この傘は、海外にもたくさん行っているし、日本でも多くの旅を共にしている。 ビーチには、まばらに人が来ていた。 春休み中の地元の子どもたちが、元気よく海辺を走り回っている。 海に近い所に場所を確保し、まずはランチを食べる。 最高だ。 太陽の下で食べるごはんは、健康的な味がする。 食べ物は十分あったのだけど、さっきレンバイに行ったら、やっぱりつい、はなさんの暖簾をくぐってしまった。 これが、今度の作品の大事な食べ物として登場する。 太巻き寿司なのだけど、ものすっごく、おいしい。 これが食べたいがために鎌倉に来ると言っても、過言ではないほど。 私は、この太巻き寿司に惚れている。 潮が引いて、海藻とりをしている人たちがちらほら。 この時期にしかとれないメカブが、ものすごくおいしいらしい。 あと、ワカメのしゃぶしゃぶも、春ならではのご馳走だ。 そういう旬の食べ物は、地元の人の口にしか食べられない。 ビーチサンダルを脱いで、海に入った。 ものすっごく気持ちいい。 水は、思ったほど冷たくない。 寄せては返すさざ波の、なんと柔らかいこと。 30分くらい、ぼーっと波に足を浸していたら、なんだか瞑想しているような気分になる。 一応、ビーチで読もうと思って文庫本とメガネを持ってきていたのだけど、文字は一文字も読む気にならず、ただひたすら波と戯れて時間を過ごした。 海を出て、午後は鎌倉在住の友人と待ち合わせて古我邸のカフェでお茶をする。 ここは、鎌倉の穴場中の穴場だと思う。…

静かに過ごす

少し前、光時計を買って使うようになってから、目覚めが格段に気持ちよくなった。 光時計は、目を覚ましたい時間の確か30分前から明かりが付き、その明かりも3段階あって、最初は仄暗い明るさ、次に真ん中の明るさ、最後に一番強い明るさになる。 たいていは、途中で目が覚める。 そして、設定した時間になると、小鳥の囀りが聞こえるという目覚まし時計だ。 私は小鳥の囀りを選んだけれど、他にもいくつか音があって、自分で好きな音を設定できる。 その音も、最初は小さくて、徐々に大きくなっていく。 今まで、いきなり音で起こされていた不快感はなんだったんだ! というくらい、光時計での目覚めは心地よい。 もっと早くから導入しておけばよかったと悔やまれるほど。 お値段もそんなに高くないし、普通にライトとしても使えるし、これはなかなか優れものなのではないかと思っている。 今日は朝から雨だ。 雨の日曜日。 ヨガは昨日のうちに行ってしまったし、新聞を読んだ後は、本を読んだりして、のんびりと時間を過ごす。 週末は一切、仕事をしない主義なので。 朝昼ごはんには、お粥を炊いた。 自分をリセットしたい時、私はよくお粥を炊いて食べる。 自分の胃袋にちょうどいいお米の量のコップやぐい飲みなんかを見つけておくと、炊きすぎることもなくいい塩梅の量のお粥ができる。 私は、ドイツで随分前に買った小さいショットグラスを使っている。 ショットグラス一杯分の白米に、水は同じコップで6杯。 これで、六部粥になる。 蓋をせず、最初は中火ぐらいで炊いて、お湯が沸いてお米が躍るようになったら一回だけ鍋底についたお米を剥がすようにスプーンなどでそっとかき混ぜ、隙間ができるように蓋をずらして被せ、弱火でコトコト、炊き上げる。 シンプルなのに、やけに滋養があって、体の中がスッキリする。 午後は、また読書をし、顔につけるクリームがそろそろなくなるのを思い出して、スキンクリームを作った。 作ると言っても、蜜蝋を溶かし、そこにオイル(今回はホホバオイルと伊豆大島産の椿油)を混ぜて、精油を垂らすだけ。 今日使った精油は、それぞれイランイランと、ラヴィンツァラ。 イランイランは神経のバランスを整え、抗鬱作用があり、ラヴィンツァラは、ウィルスや菌に強く、肝臓を保護し、安眠を招いてくれる。 もう一種類作ったのは主にかかと用のクリームで、これにはシアバターと椿油を使った。 冬になると特にかかとが乾燥して、それが長年の悩みの種だったのだけど、シアバターがいいと聞いて試しに塗ってみたら、一発で赤ちゃんみたいなふかふかのかかとが甦った。 以来、寝る前にこのクリームをセルフケアで足裏のマッサージをするのに使っている。 リップクリームにせよ石鹸にせよ、自分で作れば市販のものよりも驚くほど安く、しかもいい素材で自分好みの香りに仕上げることができる。 3時のおやつはカステラ。 お茶は、ほうじ茶を入れる。 なんだか、お茶を飲んでおやつを食べるばっかりの人生だ。 20代の頃から、私はほうじ茶を色々色々飲んできたけれど、今飲んでいる京都の森井ファームのほうじ茶が一番好きかもしれない。 農薬も化学肥料も除草剤も畜産堆肥も使っていなくて、ものすごーく誠実で実直な味がする。 いつか、生産者を訪ねてみたい。 雨が止まないので、今日はゆりねのお散歩にも行けそうにない。 夜は、自分で焼いた田舎パンとソーセージでも食べようかな。 野菜は、ぴぃちゃんが送ってくれたプチヴェールでも茹でて、オリーブオイルと塩でもかけて食べよう。 昨日開けた赤ワインもまだ残っているし。 こんなふうに、誰とも会わず静かに過ごす日曜日も悪くないなぁ、と思う。…

さよならべいべ

桜が満開だ。 東西南北どっち方面に歩いても桜があるから、毎日、ゆりねとお散歩しながらお花見を楽しんでいる。 桜はいいなぁ。 ねーさんからの影響で、私まですっかり風君ファンになってしまった。 藤井風君。 なんという才能。 声も楽曲も顔も全ていいけど、ハートがずば抜けていい。 この、今の社会の閉塞感を打開できるのは、音楽しかない気がする。 どうか、思う存分に駆け抜けてほしい。 石垣島で、チネイザンを初体験し、私はすっかりデトックスされた。 チネイザンは、気内臓療法とも呼ばれ、古代道教であるタオに古くから伝わってきたお腹マッサージを基本に、タオイストであるマンタクチアという女性が確立したもの。 本来の自分を取り戻すというマッサージだ。 チネイザンで特徴的なのは、お腹(内臓)に感情が宿るという考え方で、つまりチネイザンでは、お腹をほぐすことで内臓に溜まっていた感情(主に負の感情)も浄化してくれるのだ。 私も、心身の両面ですっかりデトックスされた。 それは、もう本当に見事な施術だった。 そして、自分もこれができるようになりたい、と強く思った。 以前から、何かひとつ、ちゃんとセラピーの技を身につけたいな、と思っていたのだけど、私がやりたいのはチネイザンかもしれない。 今、ものすごくチェンマイに行きたくて仕方がない。 チェンマイのタオガーデンに行って、マンタクチアに会いたい。 コロナが下火になってまた自由に海外に行けるようになったら、タイのチェンマイに行こう。 まずは、そのために日本でできる勉強をしようと思っている。 今日は、風君の曲をガンガンにかけながら、石鹸を作った。 気温が20度くらいだと、石鹸作りにちょうど良くなる。 今まで1回に作っていた量の倍の量で、作ってみる。 どうせ同じ作業をするのだから、まとめて作ってしまった方が効率がいいと思ったのだ。 結果は、大正解。 最後に蜂蜜をちょろっと入れて、蜂蜜石鹸にする。 自分で石鹸を作るようになってから、自分の石鹸しか使いたくなくなってしまった。 これで、3ヶ月分くらい。 目標は、風君の『さよならべいべ』をカラオケで上手に歌えるようになること。 目下、猛練習に励んでいる。 今夜は、先日日本に一時帰国したぴーちゃんが送ってくれたスナップエンドウと、雑穀のスープ。 ちびりちびり白ワインを飲みながら。 私、こういうご飯が、一番好きだなぁ。

ボロボロジューシー

辺銀一家と「はてるま」へ行ってきた。 この場合のはてるまは、島の名前ではなく、西表島にあるごはん屋さん。 もう12、3年前になるのかなぁ。 「ソトコト」という雑誌で、取材させていただいた。 当時は、ナナ子さんという波照間島出身の女性が、1人で店を切り盛りしていた。 自ら漁に出て魚をとり、土を耕して野菜を育て、それを料理して出す、本当に素晴らしい店だった。 今は、ナナ子さんの息子さんが店を継ぎ、料理を出してくれる。 夕方の最終の便で西表へ行き、近くの民宿に泊まって、みんなでご飯を食べに行く。 西表でとれたモズクの酢の物、地魚のお刺身、長命草のサラダ、クーブーイリチー(細い昆布の炒め物)、どれもお見事。 懐かしい、ナナ子さんの味がする。 とりわけ、猪の焼肉は絶品だった。 皮の方からじっくりと焼いて、身の方はさっと火を通すだけにして、わさびと塩でいただく。 途中、ご飯をもらって、お寿司にして食べてみたり。 緑の野菜は、沖縄でよく食される、オオタニワタリという山菜だ。 これも、ほんのり粘り気があって、大好きなもの。 こういう、ちょこっとだけお肉を食べる食事が、一番嬉しい。 締めのご飯は、ボロボロジューシー。 これは、混ぜご飯をお粥にしたもので、昨夜はイカ墨味のボロボロジューシーだった。 デザートまで完食し、大満足で店を出る。 その後、散歩がてら夜道を歩いた。 本当に本当に、真っ暗。 一寸先は闇って、このことだと思った。 歩いていると、ちらほら、蛍の明かりが見える。 小一時間闇夜を散歩した。 朝は、小鳥の声で目を覚ます。 西表は、緑が濃厚だ。 石垣島から比べると、圧倒的に静か。 そこここに、生き物の気配を感じる島だ。 朝一番の船で石垣に戻って、オイルマッサージの施術を受ける。 ねーさんと、南インドに行ったことを思い出した。 まるで、ここはインドだ。 最高に気持ちよかった。 そして、お昼はベジタリアンインド料理の店へ。 ミールスのセットを、もりもりいただいた。 店の雰囲気といい、味といい、やっぱりここもインドだった。 石垣島にいると、まるで外国を旅しているような気分になる。 今日は、石垣ステイ最終日だ。 最後の一日として、これ以上ふさわしい過ごし方はないというくらい、完璧だった。 仕事の方は、ちょうど端境期だ。 端境期というのは、古米と新米が入れ替わる時期のことをいう言葉だけど、私の場合は、ひとつの物語がなんとなく自分の手を離れ、また新たな物語を迎えようとしている、そんな時期のことをいう。…

3度目の黒島へ

朝、ホテルを7時半に出て、船に乗って黒島へ。 カゴには、朝ごはん用のフルーツやらおやつやら、タオルやらが色々入っている。 海に入る気満々で、中に水着を来て出かけたのだ。 黒島までは、船で30分くらい。 黒島に近づくと、急に海が青くなる。 黒島を訪ねるのはこれで3度目だ。 1度目は、NHKで放送されたドラマ『つるかめ助産院』のロケ現場を見に来た時。 ただ、この時のことはほとんど覚えていない。 そして2度目は、ちょうど一年前、友人とその娘ちゃんと。 その時、結婚して黒島に嫁いだマキちゃんと知り合ったのだった。 まずは、港のすぐ横にあるお気に入りのビーチへ直行する。 産道みたいな細い道を通って、岩と岩の間をやっとくぐり抜けると、海に出る。 私、この場所が、ものすごく好きだ。 今日は、ここでひとりピクニックを楽しむ。 案の定、朝の砂浜には誰もいなくて、私だけのプライベートビーチを満喫できた。 曇りだったので、水は結構冷たかった。 海に肩まで浸かるつもりで水着を着てきたけど、ちょっと寒そうなので、まずは砂の上にあぐらをかき、たっぷり瞑想する。 波の音を聞きながら、呼吸を意識して心を鎮める。 パッと目を開けた時の目の前の海の美しさに、毎回同じように感動した。 生きているって、なんて素敵なことなんだろう。 小腹が空いたので、途中、ミズレモンとグァバを食べる。 今、ものすごーく好きな果物がミズレモンだ。 去年の暮れに、石垣島からねーさんが送ってくれて、初めて食べた。 見た目はつるんとしたレモンなのだけど、手触りがふわふわしている。 触っているだけで、安心するような、そんな感じ。 一箇所、ちょっとだけ割れ目を入れ、そこに口を当てて、チューっと吸うと、中から甘酸っぱい種が出てくる。 これが、実においしい。 種は、ゼリー状の何かに包まれていて、とにかくなんとも言えず爽やかで、微笑ましい味なのだ。 食感としては、パッションフルーツに近い。 石垣でも、作っている人はまだ少なくて、なかなか手に入れることができない貴重なフルーツとのこと。 今朝いただいたのは、ねーさんがお庭のジャングルで手塩にかけて育てて、小さな小さなミズレモンだ。 海を見ながら、ミズレモンが食べられるなんて、最高に幸せだった。 本を読んでは海に足をつけ、寒くなったら上がって温かいお茶を飲み、そんなことを繰り返していたら、あっという間に3時間が過ぎていた。 海を離れるのはとてもとても名残惜しかったのだけど、マキちゃんにも会いに行きたいので、海に別れを告げた。 それから、レンタサイクル屋さんに行って、電動自転車を借りる。 マキちゃんとようやく連絡がついたのは、昨日の夜だった。 なんとなんと、マキちゃん、お母さんになっていた。 去年、私たちと会ってすぐに新しい命を授かり、里帰り出産をして、赤ちゃんと共に黒島に戻ったのが、つい一週間前だという。 この一年で、マキちゃんの人生に激動が訪れていた。 牛のいるのどかな風景を見ながら自転車をこいで、マキちゃんの家を目指す。…

ニシ浜

お天気が心配だったのだけど、1便で波照間島へ。 2便と3便が運休になった場合は、1泊、波照間島に泊まらなくてはいけなくなる。 チケットを買う時、船会社のお姉さんに、「今日中に石垣に戻れなくなるかもしれませんが、いいですか?」と念を押され、しばらく考えてから、やっぱり行くことにした。 もし帰れなくなったら、どこかの民宿に泊まればいいや、と腹をくくって船に乗った。 石垣から波照間までは、船で一時間ちょっと。 後半は外洋に出るので、波が高くなり結構揺れる。 酔い止めが必要な人もいるのだけど、私は、かなり平気。 飛行機が揺れるのも、船が揺れるのも、実は結構好きだったりする。 ゆりかごで揺られているような気分になるので。 コツは、揺れに逆らわないこと。 とにかく身を任せてしまう。 島は、小雨が降ったり止んだりだった。 電動自転車を借りて、ビニールの雨がっぱで防水し、ニシ浜へ。 やっぱり行って、正解だった。 長い砂浜を独り占めして、足元を水に晒しながら、傘をさしててくてく歩く。 時々、大きな波が来てズボンが濡れてしまったけど、ものすっごく気持ちよかった。 雨が強くなると東屋で雨宿りし、雨が止みそうになると海を歩くのを繰り返した。 晴れてピカピカの海もきれいだけど、少し霞んだ小雨混じりの海も、素敵だ。 シュノーケルをしている人もちらほらいたけど、お魚はほぼ見えなかったらしい。 2便の運行が決まったというので、本当は夕方までいるつもりだったけど、念のため、午後早い時間の便で石垣に戻った。 今日はあまりそのパワーが発揮できなかったものの、基本的に私は晴れ女だ。 私自身は日光アレルギーなので、あんまり快晴になるのも困り物だけど、天気予報を覆して晴れになることが多々ある。 そして、私は地震女でもある。 旅先で、結構な確率で地震に遭うのだ。 昨夜も寝ている時、グラグラっと揺れを感じだ。 晴れ女はまぁいいとして、地震女は全然嬉しくない。 石垣に戻ってから、ねーさんと新しくできたカフェでコーヒータイム。 夜は、大好きな沖縄料理の店でごはん。 ねーさんのおうちのお庭になったミズレモンとグァバを頂いた。 明日、黒島に持って行って朝ごはんに食べよう。

離島巡り

今日から私は石垣島へ。 東京は雪マークのお天気だけど、石垣はもう軽く20度を超える。 向こうもあんまり天気がよろしくないようだけど。 船の欠航にだけ気をつけて、(行ったはいいが、帰り、行った先の島から戻れなくなることだけは避けたい)てくてく船で離島巡りをしよう。 ベルリンから陸路で旅をするときは、ゆりねを連れていけたけど、日本ではなかなかそれができない。 それもあって、車での移動が選択肢に入れば、これからはゆりねも連れて旅ができる。 今回は、お父さん(ペンギン)とお留守番だ。 歳を重ねるというのは、経験を積んで賢くなることであり、怖いことが増えることでもあるんだなぁ、ということを、ゆりねの成長を見ていると、よく感じるようになった。 子どもの頃のゆりねは、怖いもの知らずだったけど。 いくつかの「恐怖」を経験するうちに、そのことを怖いと認識するようになる。 今、ゆりねの平和を脅かすのは、雷、私のくしゃみ、そして私の不在。 母子家庭になって、私とべったりの時間が長くなったので、私と離れることに敏感になった。 ちょっとそこまで出かけるのか、何日も長期で出かけるのか、その違いがはっきりとわかるようで、長期でいなくなる時は、ゆりねもソワソワして落ち着かなくなる。 だから、最近はスーツケースに荷造りする時も、ゆりねの目を盗んでこっそりやるようになった。 いつ戻る、とか、そういうのがわからないから、どうしても不安になるのだろう。 私も、ゆりねと離れる時は胸が痛くなる。 昨日、ゆりねは久しぶりに散髪し、スッキリした。 丸々太った子羊から、今度は山羊になった感じ。 自分でトリミングをする時もそうだけど、いつも、この刈った毛を何かに再利用できないだろうかと思う。 ラトビアには、犬の毛で手袋を編んでくれる人がいて、ゆりねの毛で手袋を編んだらあったかいだろうなぁ、なんて思ったりもするけれど、ゆりねが死んでしまったら、その手袋を抱きしめておいおい泣く自分が容易に想像できるので、そしてそれはあまりに悲しいシーンなので、昨日も、えいやーっとゴミ箱に捨ててしまった。 そのことも、いつか後悔するのかもしれないけれど。 とっておく、と捨てる、両方の選択はできない。 この間能登に行ってきたのは、テレビの「旅番組」の取材だった。 受けようかどうしようか迷っていた時、チラッとペンギンに相談したら、「お風呂に入るシーンとかないんでしょ?」と聞かれ、まぁ、確かにそうだな、と思って受けることにしたのだった。 今月31日(木)、夜11時から、BS TBSで放送される。 番組名は、「口福紀行」で、他に出演するのは、角田光代さんだ。 一軒のレストランを目指して旅をして、その旅をエッセイにまとめ、そのエッセイを余貴美子さんがナレーションしてくださる。 夜遅い放送なので、私もオンエアは見ないけど、録画して見ようとは思っている。 前回「てがみ」で右脳と左脳のことを書いたら、ちょうど読んでいた本にすごく面白い記述を見つけた。 なんと、右脳を使うのに、車の運転がすごくいいというのだ。 逆か? とにかく、車の運転には、右脳を使う、ということ。 車を運転する時は、一つのことだけに気を取られるのではなく、同時進行で、いろんな要素を瞬時に「絵」として把握し、進んでいく。その時は、左脳より右脳を多く使っているというのだ。 へぇ、なるほど〜 と思った。 もうすぐ、車の免許を取ってから一年になる。 右脳を使うトレーニングになるなら、ハンドルを握るのがより楽しくなるというものだ。 石垣島に行くの、何度目だろう? 本島より、ずっと多く行っている。 春先の南の島って、本当に好きだ。 明日の朝は、海で泳ごう。

本能

ヨーロッパに荷物を送るのに、ロシア上空が通れないため、船便だけになってしまった。 人をのせた飛行機は、ぐるりと遠回りして日本と行き来しなくてはならない。 今まで、手紙とか小包とか、1週間から10日ほどでヨーロッパまで届いていたのに、もう気軽に手紙すら送れない。 東日本大震災から11年が経ち、コロナからも2年。 思いもよらないことが立て続けに起こっている。 そして、戦争。 多分これからも、思いもよらないことがドミノみたいにどんどん加速度を増して起こるのかもしれない。 だから私は、とにかく本能を鍛えようと思っている。 こういう時代に必要なのは、人間が本来持っていて、けれど使わないうちに鈍くなってしまった本能だと思うから。 左脳は、論理的に思考するのを得意とする。分析したり、計算したり、言葉で理性を司どる。 一方の右脳は、直感や感覚で、直接ハートで感じるのを得意とする。 左脳で知識を得ることができるのに対し、右脳では叡智を養うことができる。 私が鍛えたいのは、右脳だ。 分析したり、冷静に客観的に判断するのはもちろん大事だけれど、左脳でっかちになると、感覚が鈍ってしまう。 これからの時代、左脳はコンピューターに任せておけばいい。 東京オリンピックには、ずっと反対だった。 反対だったし、なぜかわからないけれど、何かが起こって開催されないんじゃないか、という予感がずっとあった。 予感というか、それは確信に近い感覚だった。 でもまさか、流行り病だとは思わなかったけど。 「何か」は、世界的なものだろう、ということだけはわかっていた。 2年前、まるで背中を押されるような形でベルリンを去り、その後、アパートも引き払ってしまったのだが、最近、それでよかったのかもしれない、と思うようになった。 あのままベルリンに残っていても、私はそこでの暮らしを楽しめていなかっただろう。 日本に戻って、タイミングを見計らいながら、今まで目を向けていなかった日本のいろんな場所を訪ねた。 灯台下暗しとはまさにこのことで、私は自分の足元にこんなに素晴らしい自然や人や文化があることに、改めて気付かされた。 多くの人が感じているだろうけど、コロナは決して、悪い側面ばかりではなかった気がする。 立ち止まることも、大事だ。 大切なのは、恐れることではなく、気づき、そこから学ぶことなんだな、と思う自分がいる。 今週は、一泊二日で能登に行ってきた。 取材先が、ちょうど七尾の一本杉通りにあったので、一瞬だけだったけど、駆け足で鳥居醤油店さんの暖簾をくぐった。 そして、数年ぶりに正子さんと再会した。 正子さんは、私を気軽に「糸ちゃん」と呼んでくれる、数少ない人。 知り合ったのは、12、3年前になる。 正子さんは、能登の塩と大豆と小麦を使って、昔ながらの製法でお醤油を作っている本当に素敵な女性だ。 風通しが良くて、まるで暖簾みたいに、ふわりと迎え入れてくれる。 一瞬の再会だったけど、ひょっこり訪ねて本当によかった。 元気な正子さんと再会できて、私も元気をいただいた。 今度はゆっくりプライベートで能登を訪ねて、正子さんのお店の近くにできた和食屋さんをご一緒したい。 今日は、ベルリン時代のお客さま。 最近、ちらほらベルリンから一時帰国する友人が増えている。 さすがに2年以上も家族や友人に会えないのは堪えるのだろう。…

平和

三々五々、梅の花が咲いている。 この冬は寒さが長引いたので、咲き始めるのが遅かった。 ようやく、最近になって花びらが開くようになった。 やっと春うららだと喜んでいたのも束の間、世界情勢が緊迫している。 この一週間で、あれよあれよという間に、大変なことが起こっている。 ロシア情勢に詳しい専門家すら、まさか、と思っているに違いない。 ウクライナの人たちだって、まさか、だろう。 まさか、自分が現在進行形で戦争を目撃することになろうとは、夢にも思わなかった。 志願兵を募集とか、民衆が火炎爆弾を作るとか、そんな状況が現実に起きていることに恐ろしさを感じる。 愚かな人物に権力を預けることの恐ろしさと無責任さを、日本人も他人事と思わず、肝に銘じて受け止めなければいけないと思った。 3年前の夏、ぴーちゃんと訪ねたビャウォヴィエジャの森は、ポーランドとウクライナの国境に広がるヨーロッパ最古の原生林だった。 ベルリンから列車とバスを使い陸路で行ったけれど、ウクライナからポーランド、ポーランドからドイツは本当に近い距離にある。 また、ウクライナからの多くの難民が助けを求めて、他の国々に避難するだろう。 それじゃなくてもコロナ禍でもう十分疲弊しているのに、その上更に戦争となると、この先、人類の行く末がどうなってしまうのか。 本当に混沌として、明日どうなるのかわからない。 ラトビアをはじめとするバルト三国の人たちも、戦々恐々としているだろうな。 歌の革命で、ようやくソ連から再独立して自由を手に入れて、まだ30年ほどしか経っていない。 彼らは長くソ連の占領下で、本当に苦しく辛い時代を送ってきた。 だから、今ウクライナに起きていることだって、決して対岸の火事ではない。 こんなふうに、いとも簡単にひとりの愚かな為政者によって世界の、地球の運命が握られてしまうことに吐き気すら感じてしまう。 ウクライナに残された人たちも、ウクライナに家族を残して他国に避難した人たちも、本当に不安だろう。 あまりに凄まじいことが起きていて、一体自分に何ができるのか途方に暮れてしまうけれど、とにかく、このまま暴挙を許すわけにはいかない。 ベルリンで行われた戦争反対のデモには、10万人が集まったそうだ。 もしまだベルリンに住んでいたら、私もその参加者の一人になっていたと思う。 これ以上最悪なことが起こりませんように。 祈ることしかできない自分が、とても歯痒い。

粕汁天国

お豆腐を買ってきたら、まずは冷凍庫に入れる。 それが最近の日課になった。 そう、冷蔵庫ではなく、冷凍庫で保管するのだ。 そうすると、日持ちもするし、何より、生のお豆腐とは違う独特の食感が楽しめる。 高野豆腐(凍り豆腐)というのがあって、子どもの頃はどうもあれが苦手だった。 パサパサして、スポンジを口に含んでいるような気持ちになった。 でも、今私がお豆腐を冷凍庫に入れてやっているのは、それと同じようなこと。 パックのまま冷凍庫に入れて、使うときに自然解凍する。 そうすると、豆乳と水に分離して、結果として、ふかふかのスポンジ状になる。 高野豆腐は、それを乾燥させたもの。 乾燥させずに、解凍したものを、手のひらに挟んでぎゅーっと水気を優しく追い出して、それを料理に使うと、なんとも乙な味になる。 高野豆腐ほど、パサパサしないのがいい。 生のお豆腐みたいに煮崩れしないし、扱いも簡単。 せっかくにがりで豆乳を固めてくれているお豆腐屋さんには申し訳ないような気もするけど、でも、湯葉のような濃い味わいで、クセになってしまった。 冷凍してしまえば、豆腐を長持ちさせることができるし。 急にお豆腐が使いたくなった時も、冷凍庫にストックがあればいちいちお豆腐屋さんまで慌てて買いに行かなくても済む。 鍋にもいいし、お味噌汁に入れても、炒めても、煮ても、どんなふうにでも使えるのだが、最近のお気に入りは粕汁だ。 私の周りには、なぜか京都出身の友人が多いのだが、皆さん、粕汁と聞くと、おしなべて身悶えする。 今までは、粕汁ってそんなにおいしいだろうか、というのが正直な感想だった。 ところがどっこい、近頃の私は、毎日のように粕汁を飲んでいる。 間違っていたのは、私の味噌の使い方で、粕汁には白味噌を入れないと味が決まらないのだ。 白味噌で味を整えたら、最高においしい粕汁ができるようになった。 白味噌を少しにすると水臭くなるので、あくまで、たっぷりと。 そうすると、まったりとした風味豊かな粕汁になる。 チンしたお餅を入れてもいい。 粕は、あらかじめ固まりを細かくちぎって出汁で伸ばしておくと使いやすい。 中に入れる具は、鮭とか鶏肉とか野菜や蒟蒻を入れるのが一般的だけれど、私はシンプルに、冷凍庫で一度凍らせた豆腐と、油揚げ、芹の組み合わせが好きだ。 芹も、年々好きになる。 これを飲むと、本当に体がぽかぽかと温まってくるのだ。 出汁は、煮干しと昆布がいい。 この冬は、とにかく寒い。 だから、暖房の代わりにせっせと粕汁を飲んで、体を温めている。

タコの見る夢

今朝の新聞に、アニマルウェルフェアの記事が出ていた。 近頃よく耳にするようになったアニマルウェルフェアとは、動物の福祉のこと。 人間の都合による効率ばかりを優先した結果、動物たちに苦痛を与えている現状を、少しでも改善しようという動きが、アニマルウェルフェアだ。 例えば、養鶏場の「バタリーケージ」。 何段にも積み重ねた身動きも取れないケージに鶏をぎゅうぎゅう詰めにして、卵を産ませ続ける。 例えば、養豚場の「妊娠ストール」。 種付け前後から出産まで、およそ114日間ほどを、母ブタは自分の体と同じくらいしかない狭いスペースで、体の向きも変えられない状態で過ごすことを強いられる。 ドイツでは、年間4500万羽もの、生後すぐに殺されていたオスのヒナに対して、「殺処分禁止」の法律ができたとのこと。 オスのヒナは、卵も産まないし食肉にもならないため、不要なものとして殺されていたという。 その結果として、卵の値段が少し上がったそうだ。 鶏の福祉のためを思って少々の値上がりは我慢するか、それとも鶏の幸福を犠牲にしてでも安い卵が食べたいか。 私自身は、以前から、日本のスーパーで売られている卵の値段が、安すぎると感じていた。 でも安い卵は、バタリーケージに入れられて、「効率良く」産まされている結果だ。 最近、頻繁にお菓子を作るので、そのたびに卵を買いに行く。 私が買っているのは、近所の農家さんが飼育している平飼いの鶏の卵で、鶏たちは、雨の日は小屋の中で身を寄せ合ってじっとしているし、晴れている時は元気よく庭を歩いている。 冴えないお天気が続けば、なんだか卵も元気がなくなる。 それが自然なのだということに、最近気づいた。 鶏の顔を知っているから、卵にも愛着があるし、絶対に無駄にしてはいけない、と思う。 10個で500円の有精卵は、妥当じゃないかな? その値段で、人も鶏もお互いウィンウィンの関係で平和になれるのならば、決して高いとは思わない。 ドイツに続いて、フランスでもペットショップが法律で禁止になったというし、もうそろそろ、人間だけが幸せになるのではなく、生き物全てが共に幸せになる道を模索していく段階に入ったのだと思う。 それが、結果的には自分たちの幸せにも繋がる気がする。 そんな流れで、今日は、Netflixでドキュメンタリー『オクトパスの神秘 海の賢者は語る』を見た。 舞台は、南アフリカの、海の中に広がる原生林。 そこへ、人生に疲れた映像作家が、ウェットスーツも着ず、酸素ボンベも付けずにカメラだけ持って素潜りで海に入っていく。 彼はある日、一匹のメスのタコと出会い、その後は毎日、彼女に会いに行くようになる。 最初は警戒していた彼女(タコ)も、一ヶ月もすると、警戒心を解き、彼に好奇心を示し出す。 そして、彼らは握手を交わすのだ。 彼が差し出した手に、彼女はゆっくりと吸盤をくっつけ、一本の足を絡めた。 こうして、人とタコとの交流が始まった。 映像と音楽が、本当に見事なほど美しかった。 そして、何よりも美しかったのは、タコだ。 タコは、体の形や色を瞬時に変える。 二足歩行のようなことをしてみたかと思えば、岩の一部に擬態したり、ロングスカートを靡かせるみたいにして水中を優雅に舞ったり、かと思えば瞬足で泳いだり。 まさに、変幻自在な身のこなし方が宇宙的だった。 ひとりの人間と一匹のタコは、恋に落ちたように水の中で逢瀬を重ねる。 彼女が完全に彼を受け入れると、手乗りインコみたいに彼の手にしがみついて離れなくなる。 タコと人間が息を合わせて水の中を一緒に泳ぐシーンは、ふたつの命がダンスしながらお互いに相手の命を祝福するようだった。 驚いたことに、タコは、犬や猫と同じくらいの知能があるそうだ。 足には2000もの吸盤があるそうで、タコにとって吸盤は、私たちにとっての脳と同じような機能を果たしているという。…

夏みかんの使い方

無農薬の、いい夏みかんをいただいた。 さて、どうしようか? 夏みかんって、実は酸っぱくてそのままでは食べられないし、ジャムにするのも結構な手間暇がかかる。 しばらくは目だけで楽しんでいたのだが、ふと、パウンドケーキの生地に混ぜてみたらどうだろうと閃いた。 同じ要領で焼くりんごのケーキが美味しいから、もしかしたらりんごを夏みかんに変えてもうまくいくかもしれない。 結果は、大正解だった。 夏みかんの外側の皮をむき、更に薄皮もむく手間はかかるけれど、夏みかんのほろ苦さがいいアクセントになっている。 果肉だけでなく、皮をすり下ろして丸々一個分入れるのがミソかもしれない。 バターと砂糖と卵と粉だけのものすごくシンプルな材料で、しかもひとつのボウルで混ぜていくだけなので、簡単にできる。 とっても素朴なケーキだ。 イタリアの甘い朝ごはんに顔を出しそうなマンマの味だった。 夏みかんがまだまだあるので、せっせと焼いては、送り出す日々。 すっかり、料理脳ならぬお菓子脳が開眼してしまった。 パウンドケーキだけでなく、チーズケーキ、チョコレートケーキと、次々作って満足している。 家で作るお菓子は、簡単なのに尽きる。 私は、基本ボウルひとつだけで作れるレシピを選んで、それを何度か作り込みながら、自分流にアレンジしている。 それと、この季節になると必ず作るのが、柑橘のゼリーだ。 いろんな種類の柑橘を混ぜ合わせて、ゼリー寄せにする。 昨日は、近所の無人販売所に置いてあった、文旦とポンカンと、あともう一種類、名前を忘れてしまった蜜柑を使って、ゼリーにした。 多少酸っぱくても、味を調節できるのがいい。 柑橘をひとつひとつ房に分け、更に薄皮も剥くのは骨の折れる作業だけれど、一度そのモードに入ってしまうと逆にやめられなくなって、どんどん皮を剥いてしまう。 結果、とても具沢山のふるふるゼリーになる。 これを食べると、春が近いのを実感する。

スリーパーマーケット

この間、塚本太朗君がわが家にいらして、身の回りにあったいくつかの物を持って帰った。 持って帰った、という表現は語弊があるかもしれないけど。 正確には、「買い付けて」、それらの品を持って帰られた。 なるべく物を少なくしたいと常日頃から思っているけれど、意識しないでいると、どうしても物は増えてしまう。 その時はとても素敵だな、と思って手に入れても、実際に自分の生活空間で使ってみるとなんとなく違和感があったり、生活スタイルの変化と共にだんだん暮らしの輪っかからはみ出してしまったりする。 物は日々暮らしの中で使ってこそ、と思っているので、使われない状態の物はかわいそうだ。 それでも、思い出とか愛着があると、なかなか手放す勇気がでない。 でも、もしもそれを誰かが私以上に大事に使ってくれるのなら、喜んでお別れしたいと思う。 物も、その方が嬉しいはず。 太郎君が、その橋渡しをしてくれるというのだ。 彼が私の部屋にあった物の中から選んだのは、ドイツにいた時に出会った文房具など。 それを、コクヨが運営するオンラインショップ、「MIDNIGHT SHOP」内の「Sleeper Market」で販売するという楽しい企画のお知らせです。 今週の2月4日(金)夜8時から開店し、閉店は次の日の朝10時。 それ以外の時間は、クローズ。 「Sleeper Market」は、毎週金曜日の夜だけオープンするオンラインショップです。 また、2月1日(火)から6日(日)まで、千駄ヶ谷のTHINK OF THINGS 実店舗で、私が出品するアイテムの展示を行うそうです。 普段から執筆に使っている仕事道具やベルリン在住時に買ったものなどをご覧いただけるとのことなので、ご興味ある方はぜひ、足を運んでみてくださいね! THINK OF THINGS / MIDNIGHT SHOP https://midnight-shop.think-of-things.com/ (毎週金曜20:00~土曜10:00オープン) どれも、私にとっては思い入れの深い物ばかり。 だから、もしも気に入っていただけるような物があったら、次なる所有者になっていただけると、私としては、本当に本当に嬉しい限りなのです。 どうぞよろしくお願いします。

手前味噌週間

朝、部屋のカーテンを開けて、朝焼けの空が広がっている時。 ゆりねと散歩に行って、青空を背景に桜の蕾が膨らんでいるのを見つけた時。 夕方お風呂に行って、日が暮れる時間が長くなったなぁと感じる時。 これってもしかして、あなた。あなたのお名前は、春ですよね?  そう呼びかけたくなるような光に出会う確率が増えてきた。 あと、もう少し寒いのを我慢すれば、春がやってくる。 空気が乾燥していて気温が高くないこの時期は、味噌作りにもってこいだ。 ということで、大阪屋麹店から生の米麹を6キロ送ってもらい、それを3回に分けてせっせと手前味噌を仕込んでいる。 一度、悲しい気持ちの時に味噌作りをしたら、見事にカビが生えてダメにしてしまったので、お味噌を作る時は、空模様も心模様も、どちらもピカピカの晴れ間を選ぶのを肝に銘じるようになった。 ジメジメした雨の日では、どうも麹が気持ちよく発酵しない気がするし、怒りとか悲しとかの負の感情も、波動となって味噌に伝わり、結果としてマイナスのエネルギーが味噌に蓄積されるのではないだろうか。 音楽も、麹が心地よく感じる(だろうと思われる)曲をかけてあげたり。 どんなに同じ分量で同じ手順で作っても、できる味噌はその都度違う味わいになるのがまた面白いところだ。 今回新たに発見したのは、潰した大豆と、塩と麹を混ぜ合わせた塩麹を混ぜてから麹玉を作る際、三角形にすると、その後袋に入れやすいということ。 今までは、丸でやっていた。 でも、四角い袋になるべく隙間を作らないように入れるには、丸よりも三角の方が都合がいいというか、理にかなっている。 それで、今回からは三角のおむすび型にする。 3回目の昨日は、高校1年生になったららちゃんに、お味噌レッスン。 純粋無垢な清らかなららちゃんの手で触られたら、麹たちもきっと喜ぶに違いない。 自分でお味噌が作れれば、海外で暮らすことになっても心強いはず。 心身の健康を維持するのに、味噌は大いに役立つ。 地球のどこにいたって、一日一回でもお味噌汁を飲むと、足の裏からじんわり根っこが生えるような気分になって、異国にいる不安を忘れさせてくれる気がする。 私は、最低でも一日一回は、お味噌汁を飲むよう心がけている。

プルピエ

叔母から、手紙が届いた。 去年の暮れ、大晦日に出羽屋さんのおせちを届けた、そのお礼だった。 叔母は去年、大きな手術をして、少し、認知症の症状も出ているのかもしれない。 二日かけて頑張って書いてくれたという手紙を、夫であるおじさんが「翻訳(?)」してくれたものが送られてきたのだ。 叔母は、母の妹である。 手紙には、今まで知らなかったことが、いろいろ書かれていた。 まず、今はもうない実家の庭に、ゆり根が植えられていたということ。 叔母が出羽屋さんのおせちの中でもっとも印象的だったのが、ゆり根のきんとんだったそうで、実家に咲いていた百合の花のことを思い出したという。 実家にも、お正月にゆり根をとるための百合があったのだ。 そしてもっと驚いたのは、叔母にとっては姉である私の母が、おせち料理に毎年「ひょう」の干し煮を作っていたという事実。 叔母の手紙に、「おばあちゃんだけでなく、あなたのお母さんも料理を好きだったんだよ。」とあり、その一文を読んだら、涙が止まらなくなってしまった。 ところで、最初、わたしは「ひょう」が何かわからなかった。 でも、調べているうちにうっすらと思い出した。 「ひょう」は、野菜というよりはその辺に生えている雑草で、正式には「すべりひゆ」というのだそうだ。 お尻の「ひゆ」がなまって、「ひょう」になったのだろう。 ひょっとしていいことがありますように、との願いを込め、母もひょうのおせちを作っていたとのこと。 そんなこと、全然知らなかった。 「すべりひゆ」は、痩せた土地にも生え、日照りにも強い雑草だ。 住宅地や畑、垣根などどんな場所にも根っこを張る、ものすごく生命力の強い植物らしい。 江戸時代に米沢藩をおさめていた上杉家の上杉鷹山が、倹約のために食べるのを推進したそうだ。 それで、山形には「すべりひゆ」を食べる食文化が根付いた。 上杉鷹山って、なんか好きだなぁ。 彼が残した、「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」は、素晴らしい言葉だと思う。 日本でこの「すべりひゆ」を食べるのは、山形と、そして沖縄が多いとか。 夏は新鮮なものをお浸しにし、冬は塩漬けにして干したものを煮物などにして食べる。 そして、この「すべりひゆ」はヨーロッパでも食べられているらしく、向こうでは、プルピエというそうだ。 なんだかとってもかわいい名前。 見た目は、少し葉っぱをぷくぷくさせたようなクレソンみたいな雑草で、あー、確かに昔、祖母がお浸しにしたのを食べていたような気がする。 母とはもう話すことはできないけれど、こんなふうに叔母と交流することで、私のどこかが救われている。 私はずっと、母は料理が苦手で、作るのが好きではなかったんじゃないかと思っていたけど、それは私の誤解だったこともわかった。 きっと、いや間違いなく、母は、叔母からの手紙を喜んでいる。 それにしても、「ひょっとしていいことがありますように」なんて、いかにも奥手な山形の人らしい発想だなぁ。 叔母が、また来年も笑顔で、出羽屋さんのおせちが食べられるといい。

ひっぱりうどん

去年の秋以降、頻繁に食卓にのぼっているのが、ひっぱりうどんだ。 これは、山形に古くから伝わる郷土食。 細いうどんを湯がいて、鍋ごと食卓に出す。 温暖な地域に暮らす人には想像もつかないかもしれないけれど、本当に寒いと、鍋からどんぶりに麺を移している間に、麺が冷めてしまう。 それに、冷たいどんぶりに入れたらそれだけで麺が冷えてしまうから、もうそのままドーンと鍋ごと食卓に載せてしまうのだ。 釜揚げうどんにも似ているけれど、ひっぱりうどんの方がもっと土着的というか、暮らしに根付いた食べ物の気がする。 うどんを茹でている間に、タレを用意する。 まずは、ひきわり納豆。 最近、ひきわり納豆が簡単に手に入るようになり、種類も豊富で納豆好きにとっては嬉しい限りだ。 ひとり1パック。 そこに、めんつゆを少々と、ねぎ、おかかなどをのせて、麺が茹で上がったら茹で汁を少し混ぜて濃さを調節する。 めんつゆがなければ、ただお醤油だけでもいい。 あとは、ひたすら鍋からうどんを引っ張り上げて、納豆に絡めながら食べる。 シンプルだけど、ものすごく美味しい。 わたしは「ひっぱりうどん」と呼んでいるけど、「ひきずりうどん」と言う人もいる。 どうやら、鯖缶を入れるのが主流のようだが、わたしは、ひきわり納豆だけで十分味が完成されていると思う。 鍋から上がる湯気もご馳走になって、食べていると、みるみる体が温まる。 簡単にできるし、寒い日はひっぱりうどんに限るのだ。 毎日だって食べたくなる。 ひっぱりうどんと並び、もうひとつ、最近よく作って食べているのが玉こんだ。 こちらも、山形のソウルフードで、駅の売店でも売っているくらい、ポピュラーな食べ物。 ご飯のおかずというより、おやつ感覚で玉こんを食べる。 丸いこんにゃくをいくつかお団子みたいに串に刺して、辛子をつけていただく。 子どもから大人まで、みんな玉こんが大好きだ。 美味しく作るコツは、とにかく余計な手を加えないことで、私の場合は、お醤油だけで味付けする。 まずは水から出した玉こんを鍋で空炒りして水分を飛ばし、あとは強火のままお醤油を回しかけて煮詰めるだけ。 今日みたいに、冷たい雨の降る日、買い物にも行けないし、どうしようという時は、玉こんがあると重宝する。 しかも、こんにゃくだから、とってもヘルシーだ。 ひっぱりうどんにしろ、玉こんにしろ、一見雑なように見えて、でもこういう素朴な食べ物の方が、飽きずに何回でも食べたくなる。 寒いからこそ、生まれた料理なのだろう。 昨日、今日と山小屋に関する本ばかり見ていたら、むずむずと雪山に行きたくなった。 見渡す限り雪に覆われた銀世界を、この体で味わいたい。 どこに行ったら、その望みが叶えられるかな? スノーシューを履いて雪原を闊歩したい。

山へ

ふと思い立ち、高尾山へ行ってきた。 わざわざ日曜日に行くこともなかったのだけど、思い立ったが吉日。 新しく買ったトレッキングシューズを履いて、リュックにおやつを入れて出発した。 最近、朝焼けの空がすごく綺麗だ。 混んでいるだろうなぁ、とは思っていたけど、やっぱり混んでいた。 電車が高尾山に近づくにつれ、山登りの格好をした乗客がどんどん増える。 終点の高尾山口のホームには、老若男女の山人たちが大集合だった。 まずはリフトで中腹まで登り、そこから登山スタート。 カラフルなリフトが楽しくて、テンションが上がる。 山に入ってしまえば、密になることはない。 自分の心地いいペースで、ゆっくり歩けた。 緑が生き生きと輝き、冬の光が最高に美しかった。 立ち止まっては、何度も何度も深呼吸。 ベンチで休んでおやつを食べながら、時間を気にせず頂上を目指す。 去年は、出羽三山と上高地に行った。 山は、雑念を忘れさせてくれる。 ただただ次の一歩のことだけを考えながら歩くのは、瞑想に似ているかもしれない。 瞑想も自分の呼吸だけに集中することで、余計なことに意識を向けないようにする。 今回は、高尾山の頂上がゴールではなく、言ってみれば、そこからが出発みたいなもの。 裏高尾と呼ばれるルートを通って、小仏城山へと足を伸ばす。 そのまま縦走していくつか山を越えれば、陣場山へも行くことができる。 次はぜひ、陣場山までのコースに挑戦しよう。 機嫌よくてくてく歩いていたら、後ろから、ずっと独り言を話す声の高い女性がついてくる。 ん? と思って振り返ったら、彼女の横に、白地に薄茶色のまだら模様が印象的な、もふもふの犬が並んで歩いていた。 聞けば1歳のラブラプードルだそうで、足を泥だらけにしながらるんるんと楽しそうに山を登っている。 その姿に、元気をもらう。 歩いていると、いろんな場所から富士山が見えて、その度に感動しては大きなため息が出た。 今、富士山は、これでもかってくらい粉砂糖をまぶしたお菓子みたいに真っ白だ。 小仏城山の山頂にある城山茶屋で、なめこ汁をいただきながら、富士山を堪能する。 まさに、シンプルイズベストの山。 体が冷えている時のなめこ汁は、格別だった。 富士山に別れを告げ、小仏峠からバス停へと下山する。 なんとなく気持ちのモヤモヤを晴らしたくて山に行こうと思ったのだけど、その点に関してはあまり効果がなかったかもしれない。 やっぱり、もっと高く険しい山でないと、我を忘れることはできないのかなぁ。 それでも、澄み切った空気を呼吸し、植物たちからたくさんのエネルギーをもらって、体のどこかが一新された感覚は確かにある。 また近いうち、高尾山に会いに行こう。 今夜のおかずは、これ。 北海道の真狩村で作られた、ゆりね100%の手作りコロッケ。

シュネー

雪が降っている。 天気予報に雪マークが出ていたから、朝から何度も窓の向こうの景色をチェックしていた。 午前11時になるちょっと前、小雨に若干色をつけたような雪がちらちらと見受けられるようになった。 それがお昼くらいになると、スノードームの中の雪みたいに、細かい氷のかけらが宙を舞うようになり、それから一時間後くらいに、本格的に降り始めた。 このまま降ると、少し積もるかもしれない。 雪を見ると、なんだかホッとする。 やっと冬が来た。 ゆりねのお散歩にもお風呂にも行けそうにないので、午後は雪を見ながらの読書だ。 お正月にどうしても読みたくて、西加奈子さんの『夜が明ける』を取り寄せた。 ここ数日、ずっと彼女の世界に浸っている。 続きが気になって、夜、布団に入っても眠れないなんて、久しぶりの感覚だった。 ものすごい、圧倒的な熱量で、この物語を書き上げたのだろうと何度も思った。 無駄な文章どころか、無駄な文字、無駄な句読点ひとつないほどに、完成されている。 すごいなぁ。 本当に本当に、すごい。尊敬する。 胸の奥に疼く強烈な「叫び」を表現するのに、これだけの文字が必要だったんだな。 最後のページまで読み終えた今、心の中で拍手喝采が鳴り止まない。 自分で装画も描いて、この人はなんて才能豊かなんだろう、としみじみ思った。 雪は、まだ降り続いている。 マンションの中庭で、子供達が楽しそうに雪と遊んでいる。 梢にはたっぷりと雪が積もって、窓の外は雪景色だ。 ドイツ語で、雪はSchnee(シュネー)。 久しぶりに、思い出した。 あけまして、おめでとうございます。 今年も、よろしくお願いします。 2022年が、光あふれる希望の年となりますように! 追記) その後、雪国育ちの血が騒ぎ、年賀状を出しに行くのを口実に、外に出る。 窓からの雪景色を見ているだけでは物足りなくなり、ベルリン時代のヤッケを引っ張り出した。 (ちなみに、ヤッケもドイツ語です。) 足元にはモンゴルの極寒にも耐えてくれた最強ブーツを履き、帽子に手袋と、完全防備で出発する。 もちろん、傘は差さない。 雪だから、払えばすぐに落ちるので。 それよりも、両手を解放し、バランスを取りながら歩く方が大事。 いい雪だった。 しっかりと小粒にまとまり、歩くたびに、キュッキュッと音がする。 年賀状をポストに投函しても、もう少し雪道を歩きたくて、遠回りした。 防寒したので寒くはなく、むしろ背中が汗ばんでくる。 冬タイヤに変えてない車が、ノロノロと道路を走っていた。 今夜は、鱈ちり鍋。…

お粥さん

大晦日の朝、お粥を炊く。 ちょうど、土鍋にヒビが入っていたので、その修復も兼ねて、コトコト。 お粥を炊いている時の、ほんのりと甘い香りがたまらない。 お米と水の量は、1対6。 ほんのちょっとのお米で、しっかりとした量のお粥になる。 おかずには、昨日作った牛ごぼうと、蓮根のきんぴら、キムチ、ひきわり納豆を。 今年作ったおかずは、なるべく今年のうちに食べてしまいたい。 お粥を炊きながら、来年早々に出る『針と糸』の文庫の再校ゲラをチェックする。 今年はちょうど金曜日まで年末なので、わたしの仕事納めは31日。 土日だけ休んで、年が明けた3日から、仕事を始める予定だ。 そう、びゅんびゅん飛ばしている。 楽しいので。 『針と糸』を読み返しながら、色々あったなぁとしみじみ振り返った。 そりゃ、半世紀近く生きていれば、色々あって当然だ。 わたしは、車の運転も、舗装された道路よりオフロードの方が好きだったりする。 山の中のぐにゃぐにゃ道とか、他に車がいなければ、最高に楽しい。 仕事机と台所を行ったり来たりしながら、おせちを作る。 やっぱり、おせちを作らないと年が越せない。 5色なます、伊達巻、黒豆のほか、ごまめ、酢蛸、かずのこ、などなど。 ちょこちょこっと、嫌にならない程度に作った。 なますも伊達巻もごまめも、どうも出来がいまひとつだが、仕方がない。 それにしても、いつになったらかまぼこが、ビシッと真っ直ぐ切れるようになるのかな? 一本を半分にし、更に半分にして、それを更に半分にして8本に切るのだが、厚さも微妙に違うし、線も曲がっている。 相当集中して切らないと、かまぼこは美しくならない。 台所仕事が全部終わってから、最後の掃除。 とにかく、窓ガラスが曇っていると気分が悪いので、古新聞を使って窓拭きをする。 キュッキュッキュ、と音がするのが気持ちいい。 台所の掃除して、お正月道具を出して、ゆりねの散歩に行って、今、やっとお茶で一服。 檜原村の紅茶と、ぴーちゃんがベルリンから送ってくれたマジパンと、干し杏。 これからお風呂に行って一年分の疲れを癒し、夜は鶏鍋だ。 年越し蕎麦を食べて、今年も一年が終了する。 早いなぁ。つい一ヶ月くらい前に、去年の大晦日を過ごした気がしてしまうのだけど。 みなさま、今年もお疲れ様でした。 どうぞ、よいお年をお迎えくださいませ!

くさやコレクション

伊豆大島のお土産に、くさやを買ってきた。 くさやって、好みがはっきり分かれる。 好きな人はものすごーく好きだし、嫌いな人は絶対に食べない。 そしてわたしの周りには、好きな人が結構いる。 わたしは、後者の方だけど。 土産物を売るどこのお店でも、くさやは特等席で並んでいた。 本当は、宿で焼いて食べたみたいな、パックに入っていない、地元の人がお魚として普通に買って行くくさやを持って帰りたかったのだけど、さすがに公共交通を使うことを考えると、周りの目が、というか鼻が、気になってしまう。 それで、真空パックに入っているのをいくつか買った。 たくさんまとめて入っている方がお得なのだろうけど、開けたら臭いのだろうと思い、食べきりサイズの少量パックにする。 きっと、その方が喜ばれるだろうと思ったのだ。 そんな中で見つけたのが、くさやのオイル漬けである。 いかにも手作りっぽい佇まいを見て、これは買わねばと手が動いた。オリーブオイルに、島唐辛子とニンニク、ローリエ、ハーブ塩を加え、そこに焼いたくさやが漬けてあるそうだ。 うむ、どんなお味なのだろう? くさや香は、和らぐのだろうか。 これ、明日葉とペペロンチーノにしたらおいしいだろうなぁ、と思うのだが、明日葉が手に入らないので、代わりにルッコラを使って作ってみよう。 それにしても、早いのだ。 この間、家を留守にしている間に宅配便が届き、電話で再配達依頼の手続きをしていたのだが、希望の再配達日を入力するところで、どうしてもエラーになってしまう。 明日が無理なら明後日、明後日が無理なら明明後日と、次の希望日を入力するのだが、入れても入れても、その日付では受付できません、と言われてしまう。 なんで? と思ってよくよく考えたら、わたし、11月の日付を入れていたのだ。 つまり、わたしの頭の中は、まだ11月。 だから、家の前にクリスマスのリースが飾られているのを見ると、えっ、もうクリスマスなの? と驚いてしまう。 あと半月も経てば、除夜の鐘だというのに。 本当に、師走は駆け足で過ぎていく。 今年は、後半からが特に全力疾走だった。 追伸。 先日、ラトビアとの友好100周年の記念イベントにお集まりくださった皆さま、ありがとうございました! 久しぶりの対面の企画で、とても嬉しくて興奮しちゃいました。 イベントは19日までなので、お近くの方はぜひ、いらしてみてください。 素敵なミトンも、たくさんたくさんありますよ!

波に浮かぶ港の朝ごはん

伊豆大島で滞在したのは、波浮という集落だ。 波に浮かぶ、と書いて、「はぶ」と読む。 ここは、天然の港がある島の南に位置する地区で、昭和10年から20年頃は、ものすごく栄えた場所だという。 宵越しの金を持たない豪傑な海の男たちが、波浮港に立ち寄っては、散財した。 港には旅館が立ち並び、遊郭が軒を連ね、土地の値段も日本でもっとも高い時代もあったというから驚いてしまう。 漁獲高もかなりあり、朝、港に行けばそこらじゅうにお魚が落ちていたそうな。 けれど、それも今は昔の話。 ある時期からガクンと魚が取れなくなり、しかも船の技術が進歩したことで波浮港に寄港せずとも航海できるようになった。 現在では空家が増え、そこに住んでいるのはわずか450人ほど。 夜はゴーストタウンのようで、明かりも乏しく人もいなくて、正直、ひとりで歩くのには勇気がいる感じだった。 それでも、かつての面影を残そうと、少しずつ若い人が波浮に移住して、新しい風を吹かせている。 日曜日の朝は、そんな移住組のひとりが営む素敵なカフェへ。 おりしもドラマ『東京放置食堂』の舞台に使われていたので、お客さんが続々とやって来る。 とっても居心地のいいカフェだった。 それもそのはず、わたしの友人でもある井田君の設計だという。 島にある黒磯作業所で作っているという天然酵母のレーズンパンのトーストとカフェオレで、島に流れるのんびりとした日曜日の朝の時間を堪能した。 島の名産である大島バターと椿オイルを混ぜた特製バターをたっぷりとつけながら、しみじみ、幸せが込み上げてくる。 カフェを営む女性店主もものすごくカッコよくて、これまでいい仕事をしていい生き方をしてきたんだな、というのが表情や仕草からもれなく伝わってきた。 あまりに居心地が良くて長居したくなり、デザートがわりにホットチョコレートもお願いする。 こういうカフェが、近所に一軒でもあれば、わたしは生きていける。 午後は取材に出かけ、伊豆大島の気持ちのいい場所をたくさん教えていただいた。 曇り空の海もまた美しくて、惚れ惚れした。 夜は、カフェの女性店主に教えてもらったラーメン屋さんへ。 実は、波浮には晩御飯を食べられる店が極端に少ない。 しかも、日曜日はお休みのところも多くて、気をつけないと食いっぱぐれてしまう。 でも、その前に宿の近くの高林商店で軽く一杯。 ここは、子どものおやつから大人のお酒から明日葉からトイレットペーパーまで何でも扱う町の商店なのだけど、店の奥に小上がり席があって、店で買った商品を好きに飲んだり食べたりすることができるのだ。 それで、ルックスのかわいい山形の果実酒と、おつまみに干し芋を買って温めてもらい、食前酒とあいなった。 楽しい。 干し芋、そんなに食べないかと思ったら、ふたりで一袋をペロリ。 山形の南陽市のグレープリパブリックで作られているリンゴとラフランスの発泡酒もドライで味わい深く、すいすい飲める。 ここでも店主に、空き家情報など、島のあれこれをお尋ねする。 その足で、ラーメン屋さんへ向かった。 夜道は、真っ暗。 星が、キラキラ輝いている。 まずは島海苔と明日葉のお浸しを注文し、ラーメンは、迷った挙句、お店の一押しだという塩味の島海苔ラーメンにする。 大正解だった。 貝の出汁と、島でとれた塩で味付けしたスープで、麺もおいしいし、何より島海苔がこぼれそうなほどたっぷり入っている。 あぁ、おいしい、と何度もつぶやきながら麺を啜った。 地元の方とも交流できたし、大満足で店を出る。…

伊豆大島へ

調布空港からプロペラ機でピューっと飛んで、25分。 伊豆大島へ降り立った。 この短い空の旅が、かなり好きだ。 前回は、八丈島へ行った。 そして今回は、伊豆大島へ。 空から地上を見ると、家とか車とか、全てがおもちゃのように見える。 そんな中、富士山だけがでーんと構えて格好良かった。 実は、小学6年生の卒業記念に、母と伊豆大島に来たことがある。 母と二人だけの、卒業記念旅行だった。 当時はジェット船なんてなかったから、船の中で一晩過ごし、朝早く、大島に着いたことは覚えている。 民宿に泊まって、朝ご飯をいただいた。 そのとき、椿の花の天ぷらが出て、母が興奮してたっけ。 今ふと思ったのだけど、当時の母は、今のわたしと同い年くらいだったのかもしれない。そう思うと、なんだか不思議。 昨日は、三原山を登って、火口を見に行った。 噴火から35年が経つという。 三原山は35年から40年周期で噴火しているそうで、ということはもうそろそろ次の噴火があってもおかしくない。 その度に、大地が溶岩で覆われ、一度完全に植生がリセットされる。 ということは、わたしが母と来た時に見た景色も、その時と同じではないということだ。 はっきりと覚えているのは、わたしが馬に乗りたいと駄々をこねたこと。 当時は、三原山を馬に乗って登って降りてくる観光馬がいて、わたしはせっかく来たのだからそれに乗りたいと抗議した。 多分、いいお値段だったのだと思う。 母はそれに乗せたがらなかったが、最終的には母が折れ、結局わたしだけが、馬に乗ることになった。 母は麓で待っていることになり、わたしは母と、やや険悪なムードで別れた。 けれど、その乗馬がものすごく怖かったのだ。 おじさんが手綱を引いて山を登っていくのだが、かなり急な斜面で、馬もよろけそうになる。 わたしは必死に馬の背中にしがみついていたが、内心、早く下りたくて下りたくて仕方がなかった。 荒凉とした砂漠のような山を、馬が転びそうになりながら黙々と登っていくのである。 わたしは何も楽しくなく、ただただ恐怖に震えていた。 小一時間恐ろしい時間を過ごし、また元の場所に戻って母の姿を見た時は、心底ほっとして、不覚にもわたしは涙を流した。 母のお財布事情も鑑みずにわがままを言ってしまった自分を、今は深く反省している。 そんなことを思い出しながら、三原山を登った。 空は晴れているものの、ものすごく風が強くて、突風が吹くたび飛ばされそうになる。 しかも、めちゃくちゃ寒くて、大袈裟ではなく、地獄を歩かされている気分だった。 何度も、途中で断念しようかと思ったけれど、今回いっしょに旅をしている仕事仲間のことを思うと、なかなか言い出せない。 寒さのせいか、近年まれにみる頭痛で、久しぶりの過酷な経験だった。 気持ちを励ましてくれたのは富士山だ。 伊豆大島からは、海の向こうに、バッチリと富士山が見える。 その姿が本当に本当に美しくて、騙し騙し、足を進めた。 昔は、三原山の火口に身を投げ、自殺する人もいたというけど、ここまで自力で登るくらいの根性があるなら、地上の世界でもまだまだ生きられるだろうに、と思った。 わたしだったら、あまりの辛さに火口まで行くのを途中で諦めて、下山してしまうかもしれない。…

ペラペラ漫画

3年前の今日、友人のミユスタシアが宇宙に帰還した。 そして2年前の今日は、ベルリン時代に知り合ったひろえちゃんと、ロンドンのダイワファンデーションでアーティストトークを行なった。 1年前の今日は、何をしていたのか思い出せない。 多分、教習所に通っていたんじゃないだろうか? そして今日、わたしは映画を見に行ってきた。 夕方、少し早めにゆりねに晩御飯をあげて、ひとり駅前のラーメン屋さんに入ってワンタンラーメンを食べ、電車に乗って、映画館へ。 見たのは、『アメリカン・ユートピア』。 評判通り、素晴らしい内容だった。 まさに、今日見るべき映画だと思った。 ミユスタシアとひろえちゃんと、三人の合言葉が「ジョイフル」だった。 きっと、ミユスタシアは遠いところから、今も絶えず、ジョイフルやで〜 とわたし達にメッセージを送ってくれている気がする。 だから、11月26日は、ジョイフルデーにしよう。 久しぶりに夜ひとりで映画を見に出かけたりして、なんだかベルリンの頃の時間が甦った気分だ。 数日前のひろえちゃんからのメールに、時間というのはあってないようなもので、ペラペラ漫画みたいに一枚ずつの絵で構成されているイメージなんじゃないかと、関西弁で書いてあった。 パラパラやなくて?? という疑問は脇に置いとくとして、わたしはその言葉に深く納得した。 そう、時間って絶えず流れて一連の紐のように感じるけれど、実は出来事が個別に起こってそれを繋げているだけなのかもしれない。 それにしても、関西では、ペラペラ漫画っていうのかな? 関東ではパラパラ漫画っていうけどな。 それとも、パラパラと思っているわたしの方が、間違っているのだろうか。 ミユスタシアにも、ひろえちゃんにも、会いたいな。 そういえば、最近のひろえちゃんの名言で、こんなのもあった。 友達と、動物がおったら、生きていける。 その言葉にも、わたしは深く同感する。 欲をいえば、そこに自然も加えたいけど。 つまり、友達と、動物と、自然があれば、幸せに生きていける。 人生の大きな決断をしたのも、2年前だ。 ようやく、本当にようやく、くるくる回ってばかりいた方位磁石の針が、落ち着いてひとつの方向を示すようになってきた。

再び、資生堂パーラーへ

11時50分に山野楽器の楽譜売り場でララちゃんと待ち合わせ。 コロナでのびのびになっていた高校入学お祝いランチが、ようやくようやく、実現する。 そう、あの小さかったララちゃんが、この春、高校生になった。 久々に会ったララちゃん、髪の毛を青く染め、耳にはピアスを開けて、すっかりすっかり大人になっていた。 遡れば9年前。 小学校入学のお祝いに、ララちゃんとふたりで資生堂パーラーで食事をした。 地下鉄の駅のホームまでお母さんが連れてきてくれて、そこからはわたしとふたりだけ。 きっと、家族以外の人とふたりきりで出かけたのは初めてだったはず。 自分でメニューを見て、わたしが提案したお子様セットは却下し、確かハンバーグを頼んだんじゃなかったかな? その頃のララちゃんはものすごく食が細かったのだけど、その時は、大人の量のハンバーグを、休み休み、小さな銀のフォークとナイフを上手に使って食べていた。 途中何度も給仕の方が来て、お皿を下げようとするたびに、ララちゃんは、ちゃんと自分で「まだ食べます」と言って、本当に最後まで残さずきれいに平げた。 そして、あれよあれよという間に9年が経ち、ララちゃんは15歳になった。 高校合格のお祝いに何がいい? と尋ねたら、資生堂パーラーでまた食事がしたい、とのこと。 ララちゃんの手紙やメールには、折に触れて、「また資生堂パーラー行きたいです」と書いてあって、本当に資生堂パーラーが、ララちゃんにとっては特別な場所になったようだった。 それが、わたしとしては何よりも嬉しい。 今回は、メニューを広げた瞬間、「ステーキが食べたいです!」とララちゃん。 お肉が大好きらしい。 塩釜で焼いたステーキを、ララちゃんはすごく美味しそうに食べていた。 ララちゃんは、どうしても入りたい高校があって、そこに行きたいと思ったのは、中学1年生の時だったそうだ。 その時から意思を変えず、この春、見事に合格した。 成績優秀なララちゃんにはいろんな選択肢があったのに、どうしても芸術系の高校に進みたくて、その気持ちを貫いた。 幼い頃から、ララちゃんは、絵を描いたり、何かを作ったりするのが好きだった。 そして今は、音楽の勉強をしている。 その高校が、驚くほど自由な気風で、もうララちゃんは毎日が楽しくて楽しくて仕方がないらしい。 ハロウィンの日はみんなが仮装して授業を受けたとか、理科の授業で豚の目玉の解剖をやったのだけどララちゃんは全然平気だったとか、学校にグランドピアノが50台もあるとか、学校生活のことを、本当に声を弾ませて教えてくれた。 ちゃんと自分の気持ちに従って行動し、意思を貫けるってすごいことだ。 学校の様子を聞いていると、まるでドイツの学校みたいで、自分もそういう高校で学びたかったなぁ、と羨ましくなる。 基本、みんなアーティストの卵だから、面白い仲間がたくさんいて、のびのびと好きなことを学んで成長している様子が眩しかった。 わたしは、久々に大好物の大人パフェが食べられて、ご満悦。 しかも、これを食べたいばっかりに、自分のコースについていたデザートをララちゃんに食べてもらって、自分は好きなデザートを選んで食べた。 大人気ないかとも思ったけど、資生堂パーラーといえば、やっぱりわたしにとっては大人パフェなのだ。 この、ちょこっとの量がたまらない。 メニューには、普通に「ミニパフェ」と出ているけど、わたしの中では「大人パフェ」と呼んでいる。 普段の食事も大事だけど、こういう、非日常の特別な思い出というのもまた、大事なんじゃないかなぁ、と思う。 子ども食堂の取り組みも本当に素晴らしいと思うけど、何か、こういう機会がなかなかない子どもたちに、特別なハレの食事の記憶をプレゼントできたらいいなぁ、なんて思っている自分がいる。 食事が終わってどこか行きたいところがあったら連れてってあげるよー、なんて言ったら、逆にララちゃんの方がスマホでテキパキ乗り換えを調べたりして、結局わたしが連れて行ってもらった。 家に帰ってから、ララちゃん母さんとラインをしたのだけど、わたしの撮ったララちゃんの写真を送って欲しい、とのこと。 どうやら、普段ララちゃんが撮る自分の写真とかプリクラは、どれも物凄い加工がしてあって、もうどこの誰かもわからないレベルで別人らしい。 イマドキの子だなぁ、とおかしくなった。 ララちゃん、本当にかわいいね。

なめこちゃん

山形から、天然のなめこが届いた。 なめこ、大好きなのだ。 ベルリンにいた時は、乾燥なめこをちびちび使って料理していたほど。 でも今は日本にいるので、好きなだけなめこが食べられる。 そして、天然のなめこは、すんばらしく美味しい。 なんなら、松茸よりもわたしは価値があると思っている。 実は、先週の木曜日の夜中、思いっきり具合が悪くなった。 年に一回くらい、忘れた頃にやってくる強烈な腹痛。 夜中におなかが痛くなって目が覚めるのだけど、今回は本当にひどくて、一晩中うなされ、一睡もできなかった。 体に合わない何かが入ってしまい、それが体の冷えとか、疲れとかと重なると、とんでもないくらいお腹が痛くなる。 普段お腹は丈夫な方だと自覚しているけれど、本当にたまーに忘れた頃にやって来るのだ。 あーまたあいつがきたな、と頭ではわかるのだが、思うように体が動かせない。 おそらく、出産の時の痛みというのはあんな感じなんじゃないかと思う。 意識が朦朧として、自分が自分でなくなっていく。 そんなわけで、金曜日は一日中パジャマで過ごし、ベッドで横になっていた。 当然ながら銭湯にも行けず、むしゃむしゃと林檎だけかじって過ごした。 週末、カイロの予約を入れていたのでそのことを先生に話したら、触診でお腹をみながら、それは胆嚢が原因かもしれないという。 ずっと胃の問題かと思っていたのでびっくりした。 何か脂っこいものを食べませんでしたか? と質問され、その日の夜に食べたのが焼きそばだったことを思い出す。 思い当たるのは豚肉だ。 古い豚の脂をなんとか消化しようとして肝臓が胆汁を大量に生産し、それを胆嚢に送ったものの、それがうまく胆嚢から出されなくて痛みが発生したと考えられるとのこと。 確かに、胆嚢の場所が激痛の発信源だった。 足の裏も見てもらうと、ズバリ胆嚢のところに硬い塊ができていた。 体が冷えていたり、アルコールを飲んだりして内臓の働きが弱っているところに消化しづらいものを食べると、今回みたいなことになってしまうのかもしれない。 もともと、お肉はそんなに食べないし、食べるとしても赤身にしていたのは、無意識のうちに体が自分の弱点を察して、防御していたのかも。 お肉の代わりに、年々、山菜やキノコがおいしいと思うようになってきた。 だから、病み上がりの体に、なめこはものすごくありがたかった。 ただ、天然物ゆえ、すぐには食べられない。 山の葉っぱや土などがついてくるので、まずはそれをきれいに洗う作業から始める。 水を取り替え取り替えしながら、1キロの天然なめこを、きれいに掃除した。 これを、鍋に入れて、練るのであるが、「練る」と言う表現は、山形独自のものらしい。 とにかく、水分を出さず、火にかけるのである。 そうすると、なめこからだんだんぬめりが出てくる。 気にせず、完全に火が通ってしんなりするまで練るように鍋底からかき混ぜるのだ。 最後に、私は少々の日本酒と醤油で味をつけておく。 この状態にしておくと、大根おろしで食べてもいいし、おそばにのせて食べてもいい。 今夜は、なめこのショートパスタを作った。 里芋とレンコンとごぼうとニンニクを出汁で炊き、そこにカツオのなまり節も細くして入れる。 普段だったらベーコンでやるのだけど、今日はお肉を食べたくないので、なまり節を使ってみた。 そこに、ある程度茹でたショートパスタを加えて、数時間、味をなじませておく。…

いけしゃあしゃあ

佐野洋子さんのエッセイ集『今日でなくてもいい』を読んでいる。 絵本『100万回生きたねこ』の佐野洋子さんであり、詩人の谷川俊太郎さんと結婚し、その後離婚した佐野洋子さんだ。 谷川さんが詩を書いて、佐野さんが絵を描いた共著『女に』は、生々しくて、すごく好き。 たまにページをめくっては、ふたりの関係に想像を巡らせている。 でも、佐野さんについて知っているのはそれくらいで、ちゃんとエッセイ集を読むのは初めてだ。 裸で生きている感じが、すごい。 伊藤比呂美さんの『道行きや』を読んだ時に感じた「剥き出しの魂で生きていることの凄み」みたいなのを、佐野さんの言葉からもビシバシ感じた。 ご本人も「私が愛する人は皆」というエッセイで、 「私はいかなる思想も信じないことにした。目の前で見たもの、さわったものだけがたしかだとしか思えなくなった」 と書いていらっしゃるけど、それを徹底して生き抜いた気がする。 佐野さんのお父様が夕食の際の訓示で何百回もおっしゃったという、 「活字は信じるな、人間は活字になると人の話より信用するからだ」という言葉も重みがある。 なんと、佐野さんはベルリン造形大学でリトグラフを学んだそうだ。 1967年とあるから、壁が開くずっと前の、西と東にベルリンが分かれていた頃をその目で見ていることになる。 わたしとはまた違った風景を、たくさんたくさん目にして、そこから多くを感じ取られたのだろう。 好きだったのは、佐野さんが病院に行って、癌の再発を告げられた日のエピソードだ。 帰り道、佐野さんは家の近所の車屋さんに寄ったという。 佐野さんは国粋主義者で、それまで外車には乗らなかったし、「中古の外車を買う奴が一番嫌だった」と書いている。 けれど、その時に佐野さんが立ち寄ったのは外車を扱う店で、佐野さんはイングリッシュグリーンのジャガーを指さして、「それ下さい」と言って買ったそうだ。 かっこいいなぁ。 実は佐野さん、イングリッシュグリーンのジャガーが、内心では一番美しいと思っていたそうなのだ。 「私の最後の物欲だった。」とある。 そういう、ちょっと破天荒なことをさらっとやる人に、わたしは憧れてしまうのかもしれない。 もう人生のゴールが見えているのなら、人生の最後の最後くらい、ジャガーに乗ってもいいじゃないか、とわたしも思う。 自分も、人生のお終いまで、パンクな精神を忘れずにいたいと思った。 イングリッシュグリーンというのがどういう色かわからなくて調べたら、まぁ! 見た瞬間にため息が出た。 確かに、上品で美しい色をしている。 癌が再発したのは、左の太ももの付け根で、左足は痛くても、右足を使えば自分で運転できる。 再発してもタバコをやめなかった佐野さんは、禁煙になったタクシーに乗るのをやめ、自分の運転するジャガーでタバコを吸い続けた。 「おまけにタクシー代が節約できた。」とある。 佐野さんは、72歳で亡くなる結構ギリギリまで、エッセイを書いている。 それが、すごく励みというか、参考になる。 最後のエッセイの最後の行に、「いけしゃーしゃー」という言葉が出てきて、なんだか久しぶりに見た気がした。 いけしゃあしゃあに、というのは、憎らしいほどに平気でいるさまのことで、なんだか佐野さんの生き様そのものの気がした。 わたしも、死ぬ間際までこの日記が書けて、実況中継ができたら本望だ。 わたしは時々、理想のおばあさん像を考える。 どんなおばあさんになりたいか、自分なりにイメージするのだが、佐野さんもひとつのモデルだ。 以前は、ターシャ・テューダーみたいになれたらなぁ、なんて夢見ていたけど、佐野洋子さんもいい。 ふたりは真逆だけどね。妖精も、意地悪ばあさんも、どっちもやりがいがありそうに思う。 佐藤愛子さんみたいに生きるのも憧れるし、篠田桃紅さんや樹木希林さんもかっこいい。…

マッチングアプリ

ドイツでは、マッチングアプリで出会って、付き合ったり結婚したりする男女が多いという話は以前から聞いていた。 同じヨーロッパの人間でも、ラテン系でない彼らは、気軽にナンパしたりという習慣がなく、出会いの場が少ないという。 それで、マッチングアプリのお世話になる。 確かに、効率的だと思う。 いろんな条件をあらかじめ提示して、それに見合った相手が多くの選択肢の中から浮かび上がってくる。 実際の出会いを待っていたのでは出会えない相手と、出会うことができる。 もちろん、偶然の出会いとかも素敵だけれど、まぁ、それはそれでアリなんじゃないかと思っている。 最近、わたしもマッチングアプリを使ってみた。 相手は、政党だけど。 自分では、この党の考え方と合うんじゃないか、というのはあるけれど、もしかしたらもっと別の党の方がより自分の考え方と近いかもしれない。 それで、期日前投票を済ませる前に、念のため、マッチングアプリで確かめてみたのだ。 結果は、まぁ自分が入れようと思っていたところが、もっともマッチ度が高い結果として出たけど。 これ、なかなかおすすめです。 まだどの政党に入れようか迷っている無党派層の人は、特に、一度やってみると面白いかもしれません。 意外な結果が出るかもしれず、これまで気づいていなかった側面に気づけるチャンスかも。 もうすでにあるのかもしれないけど、車のマッチングアプリとか、冷蔵庫とか洗濯機とか、あなたにはどこのなんていう商品がおすすめですよ、というのを提示してくれるアプリがあったらいいな。 必要な機能とか、値段とか、大きさとか、そういう個々の条件の中から最適な一つを選ぶのは、わたしよりもむしろコンピューターの方が得意な気がする。 鵜呑みにしなくても、参考にはなる。 さて、次の衆議院選挙。 わたしは昨日、無事に一票を投じてきた。 後は結果を待つのみ。 日曜日は、夜更かしして、選挙速報を楽しもう。 実は、今回の選挙では、山形の選挙区から、わたしの高校のクラスメイトが立候補している。 勝って欲しいけど。 彼は、高校生の時から志が高くて、将来は政治家になって、総理大臣を目指すと公言していた記憶がある。 頑張れよ!!! そういえば、昨日かな? またまたあの方から、びっくりなご発言があった。 「昔、北海道のコメは『やっかいどう米』と言うほどだったが、今はやたらうまいコメを作るようになった。農家のおかげか、違う。温度が上がったからだ。温暖化というと悪いことしか書いてないが、いいことがある」 この方、どれだけ日本の恥を世界に晒してくれば気が済むのだろう。 おめでたいにも、程がある。 世界中で、どれだけの人が温暖化の影響で苦しい思いをしているのか。世界から見たら、どれだけ稚拙な発言か。 その辺の居酒屋で酔っ払いのおじいさんが管を巻いているのとは訳が違うのだ。 こういう方には、自分が住んでいる集合住宅の理事長にすらなってほしくないというのが、正直なところ。 いい加減にしてください。 そして、わたし達ができることは、選挙で一票を投じること。 今日、小室圭さんと眞子さんが、結婚したという。 皇室を離れた瞬間、敬称が「さま」から「さん」に変わるんだなぁ。 大体、親のトラブルに関して、どこまで子どもに責任があるのか、そもそもそこから議論した方がいい気がする。 きっと、眞子さんは異国の地で、今までに感じたことがないような「自由」を感じるのだろうなぁ。 幸せになる自由も不幸せになる自由も、喜ぶ自由も傷つく自由も、全ては自分の手のひらの中にある。…

ドーナツの穴の存在理由について

寒い朝。 迷わず、毛糸のパンツを履く。 カシミアの、お腹まですっぽりと覆ってくれる赤いパンツは、冬の必須アイテム。 これがあるとないとでは、暖かさが全然違う。 履いている姿を、絶対に人には見せられないけど。 最近わたしは、木曜日の夕方くらいから、メールの結びに「良い週末を!」などと書くようになった。 金曜日の午後から週末扱いしていたのが、少しずつ早まって、木曜日の夕方くらいから、なんとなく週末気分になってくる。 今日は寒いし雨も降っているので、絶好のおこもり日和だ。 出かけようと思っていたのを取りやめて、家でせっせと味噌を仕込む。 前回5月に仕込んでおいた味噌が、半年ほどでこれだけ熟成した。 味見したら、なかなかいい感じ。 早速、味噌壺に移す。 今日仕込んだのはこんなだから、時間って最大の調味料だなぁ、と改めて感心する。 また、おいしい手前味噌ができますように! ここ数日、ドーナツが食べたくてムラムラしていたので、味噌の後はドーナツを作った。 カルダモン入りのフィンランド風ドーナツ。 実は今もドーナツを揚げながらこの文章を書いているので、集中しすぎて忘れないように気をつけないといけない。 今日、すごく腑に落ちたことが一つある。 最初、わたしは丸っこいボール状にして生地を揚げていた。 コロンとして、その方が揚げやすいだろうと思ったのだ。 ただ、見た目はかわいいのだけど、実際に食べてみると、中心部にまだ熱が通りきっていない。 食べられないほどではないけれど、もう少ししっかり熱を入れた方が明らかにおいしい。 そこでわかったこと。 つまり、ドーナツに穴が開いているのは、単なるファッションではなく、火の通りをよくするため、というちゃんとした理由があったのだ。 これは、わたしの中ではめちゃくちゃ大きな発見だった。 まさしく、目から鱗が落ちるような。 中心をなくしてしまえば、中心まで火を通す必要もなくなるわけで。 今日は、ドーナツの穴の存在理由について理解した、記念すべき日になった。 ということで、以降、真ん中に指で穴を開けて揚げた。 めでたし、めでたし。 お茶は、烏龍茶を。 揚げたてのドーナツとの相性が、すこぶる良い。

朝のひかり

夜更かしをして少し朝寝坊して起きたら、部屋いっぱいに朝のひかりが満ちていた。 季節が、スイッチを切り替えるように、はっきりと冬になったのを感じる。 最近は、気持ちのいい秋と春の時間が短くなって、寒い「秋冬」か暑い「春夏」のどちらかに大別される。 それでいうと、季節は昨日から冬。 今日なんか、わたしは寒くてセーターを着ている。 衣替えだ。 室内履きはブーツになり、ぼちぼち毛糸のパンツの出番である。 帽子も、夏用から冬用に入れ替え、布団も綿布団とカシミアの毛布の二枚重ねになった。 これから寒くなるにつれて布団の枚数を増やしていき、一番寒い時期で、わたしは四枚のお布団やら毛布やらをミルフィーユ仕立てにして冬を乗り切る。 寒くなると、ゆりねが布団の中に入ってくるので、湯たんぽ代わりになるのも嬉しい。 夏が終わって、わたしは俄然、ウキウキしてきた。 思い出すのは、ベルリンの晩秋だ。 黄色く色づく街路樹から、一枚、また一枚と葉っぱが落ちて、完全に裸木になる頃、冬至がやってくる。 確かに寒くて暗いのだけど、ワクワクしながら太陽が昇るのを待って、目一杯おひさまの光を浴びる。 夜が長くなるから、夕方からホットワインを飲んだりして。 今年の冬は、きっとクリスマスマーケットもいつもの姿に戻るのかもしれない。 長い冬をなんとか乗り切るため、家に蝋燭を灯して部屋を明るくしたり、赤などの明るい色の服を着て気持ちを明るくしたり、クリスマスで楽しい時間を味わったり、冬には冬の喜びがある。 それからすると、ピカピカの青空が続く東京の冬は、なんだか物足りない。 年に一回、全てのものがきちんと死ぬ、そして再び再生するベルリンの冬の方が、わたしにはしっくりくる。 一回、ちゃんと死んで、そこから復活を果たしてこそ、メリハリができていいような気がするのだ。 あぁ、なんだかベルリンの冬が恋しくなってきた。 秋は、手作りの季節でもある。 石鹸はおよそ半年から一年は困らない量を作ったので、次は味噌作りだ。 石鹸作りも味噌作りも、どこか似ている。 作るのは簡単だし、あとは寝かせておくだけ。 その日の天候が出来に大きく作用するし、同じ材料で同じ手順で作っても、毎回、違う顔になるのも面白いところ。 今日は、大阪屋さんから生の麹が届いた。 ようやくいい生麹に出会えてホッとしている。 そしてそして、いよいよ始まりますね、選挙。 とにかく、投票しましょう!!! 投票しないということは、自分たちの暮らしを丸投げするということ。 投票率が低いというのは本当に本当に恥ずべき事実で、だって入れる政党がないんだもん、なんてのうのうと棄権している場合ではない。 政治に文句を言うなら、まずは一票を投じてからだ。 小学生の時の担任の先生の話で、印象に残っているものがある。 ある村でお祭りがあるので、村人は一人一合のお酒を出すことになった。 けれど、蓋を開けてみると、集まったのはお酒ではなく水だった。 自分くらい水を持っていってもバレないだろうとみんなが考えた結果、水になってしまったのである。 詳細は違うかもしれないけれど、大筋はこんな話だった。 確かに、全体から見たら一人の一票は些細な力に過ぎないかもしれない。 けれど、それが集積して、全体を動かす力になる。…

今日という日

朝5時くらいに目が覚めて、お布団の中でゆりねとイチャイチャ。 6時前に起き出して、お湯を沸かし、お茶を飲む。 今飲んでいるのは、三年番茶。 仏様に手を合わせ、ゆりねに手作りごはんをあげ、ヨガ(太陽礼拝)をする。 天気予報を見たら今日も気温が高くなりそうだったので、朝のうちにゆりねのお散歩に行ってしまおうとハーネスをつける。 今日のコースは、街歩き。(他に、公園に行く森歩きコースも。) 集合住宅の前の児童公園で、ユリゴンが炸裂する。 仕方がないので、リードを離して暴れさせる。 家に戻ってから、新聞を読む。 朝8時から仕事スタート。 新しい小説を書いている。 午前11時、仕事終了。 朝昼ごはんを食べる。 今日は、チャーハン。 食後は、コーヒーと焼き菓子をいただく。 バタンと昼寝。 午後は、石鹸作り。 今日で、4本目だ。 秋は、石鹸作りにも味噌作りにもいい季節。 この秋作っているのは、蜂蜜石鹸。 いい香りがする。 その後、讀賣新聞の夕刊に連載中のエッセイを、5本まとめて担当編集者へ。 もう一つ、別の雑誌から依頼のあった贈り物リストもメールする。 夕方4時くらいから、夕飯のおかずを用意。 近所の畑でとれたゴーヤがあったので、ゴーヤのひじき炒めを作る。 洗濯物を取り入れて、たたみ、午後4時45分にお風呂へゴー。 今日も温泉に入れて最高だわぁ、としみじみありがたく思いながら、お湯に浸かる。 それにしても、日が暮れるのが早くなった。 今日は、夕方5時半に露天風呂に行ったら、もう外が薄暗くなっている。 6時に自転車で帰路につく頃には、真っ暗だった。 まだうっすらと、金木犀の香りがするけど、そろそろおしまいかもしれない。 家に帰って、ビールを飲む。 最近気に入っているのは、東京の福生市にある石川酒造で作っているTOKYO BLUES。 これはもう、ドイツのビールとなんら変わらない。 おかずは、お風呂に行く前に作っておいたゴーヤのひじき炒めと、鰤の西京漬け、山形から届いた原木なめこの冷たいお蕎麦。 あー、幸せ。 ゆりねも、大好物のお蕎麦をもらってご満悦だった。 最近、目まぐるしく毎日が過ぎていき、気がつくとあっという間に時間が過ぎていてびっくりする。

地鎮祭

大安の日が良いとのことで、今日、地鎮祭を行った。 軽い気持ちで八ヶ岳にある中古の集合住宅を見に行ったのが去年の晩秋、それが一転、土地を買うこととなり、車の免許をとりに教習所へ通い、その間設計士さんとどんな建物を建てるのかを打ち合わせし、何度も見積もりを出してもらい、そして今日という日を迎えたのだった。 まさか、自分が「施主」になるとは思っていなかったけど。 人生、何が起こるか本当にわからない。 一年前の今頃だって、一年後、こういう展開になっているとは、全く予想していなかった。 全て、風に背中をそーっと押され、気がついたらこうなっていた、って感じ。 久しぶりに自分の土地を見たけれど、やっぱり、なんかいい気が流れている気がする。 とにかく巨大な石がゴロンゴロン転がっていて、それゆえにお値段が安かった。 他の人にとっては邪魔者扱いの石でも、わたしには宝石のように見えたのだ。 パワースポットとは自分にとって気持ちのいい場所のことだ、とある人が言っていたけれど、それだったら八ヶ岳のその土地は、まさにわたしにとってのパワースポットだ。 パワースポットは、自分で探すもの。 山小屋を建てる過程については、『すてきにハンドメイド』という雑誌に連載中の「寄り道だらけの山小屋日記」に詳しく書いているのであんまりここでは詳しく書かないつもりでいたけど、この山小屋は基本的にわたしの仕事部屋である。 周りには大きくて立派な別荘が建っているけれど、わたしの山小屋は、すごく小さい。 自分ひとりのための空間で、わたしがわたしと居心地よく過ごすためにどうしたらいいか、というのを念頭に設計をお願いした。 イメージとしては、着慣れたカシミアのセーターに身を包まれているような、そんな空間にしたい。 標高が1600メートルの土地だから、特に寒さ対策に重点を置いた。 マンションの場合、構造的な部分までは踏み込めないけれど、一から建物を建てる場合、基礎をどうするか、そこからのスタートだ。 リフォームとかリノベーションとは、わけが違う。 日本の家は、平均すると30年の寿命だという。 これは、ヨーロッパなんかに較べて、かなり短い。 だから、これから建てるわたしの山小屋は、使い捨てのように簡単に建てて簡単に壊すのではなく、頑丈で、長く使える建物にしたいと思っている。 断熱材にしろ、床板にしろ、キッチンのタイルにしろ、薪ストーブにしろ、全てが選択の連続だった。 もちろん、予算という大きな壁もある。 そういう制約の中で、自分にとってベストな物を選ぶというのは、とても難しいと痛感した。 こちらもよっぽどちゃんと勉強をし、理解しないと話についていけない。 そして、どんなにすてきな設計図ができても、それを具現化するのは大工さんだ。 たとえ同じ設計図に基づいて作っても、どんな大工さんが手がけるかで、雲泥の差が生まれる。 幸いなことに、長野には腕のいい大工さんがたくさんいるのだという。 今日は、神棚に供物を捧げ、神主さんにお祓いをしてもらって、祝詞をあげてもらい、工事がつつがなく進行することを祈った。 この世界に在るものは全てが、人間の意識を物質化したものだ、と言うけれど、建築の過程を見ていて、そのことを強く実感した。 何もない場所に、建物が建つって、本当に本当にすごいことだ。 ちなみにわたしは、「持ち家」派だ。 周りの人にも、家を買うのを勧めている。 単純に家賃という形でお金が流れていくのはもったいないし、持ち家だったら、家賃を貯金するイメージで、それを貯めて、自分の財産にすることができる。 何より、家を持っていることの安心感は、大きいような気がする。 そして、寝具にせよ住まいにしせよ、どうせいつか買うのだったら、早い方がいいというのが持論だ。 20代で買っても、30代で買っても、40代で買っても、人生の終わりは一緒なのだから、それだったら早いうちに手にした方が、そのものと長く付き合え、気持ちよく暮らしたり生きたりする時間を長く持つことができる。 特に家は、住宅ローンが安いのだから、人生の早いうちに自分の気にいる住処を作って、なるべく長くそこに住む方がお得な気がする。 あくまでも、わたしの持論だけれど。

秋刀魚と銭湯

朝、ヨガに行こうと自転車に乗っていたら、どこからか甘い匂いがする。 香りの出どころは、金木犀だ。 金木犀が、ふわふわと秋を運んでくる。 コロナ下の生活スタイルになって、もしかするともっとも頻繁に会っている外の人は、ヨガの先生かもしれない。 雨さえザーザーでなければ可能な限り行っているので、去年の夏くらいから、結構な頻度でお会いしている。 先週は多くて生徒が3人だったけど、今週はわたし一人だった。 先生とは、かれこれ十五年、いや下手すると二十年近くのおつきあいになるが、その間、毎週末、同じポーズを同じ言葉で説明してくれて、それって本当に偉大なことだなぁ、と思う。 ベルリンにいた時とか、数年間、足が遠のいた時期もあったけど、ヨガには、かなり助けられている。 ヨガの帰りに商店街のお店をハシゴして買い物を済ませるのだが、昨日は魚屋さんに秋刀魚があった。 去年は秋刀魚が高くて高くて、しかもすごく小さかった。 それに較べると、大きさもそこそこあって、一尾350円は、まぁ安い。 冷蔵庫に大根が少し残っていたしなぁ、なんて思いながら、ウキウキした気分で秋刀魚を連れて帰った。 平日は銭湯へ行き、週末はヨガ。 このふたつで、なんとかわたしの健康は保たれている。 最近、銭湯でポツポツと言葉を交わすようになった女性がいる。 いつも同じ時間帯に通っているので以前から顔と体は存じ上げていたのだけど、人見知りゆえ、言葉を交わしたことはなく、いつも、彼女が誰かと話しているのを、ふんふん、と一方的に背中で聞くだけの関係だった。 彼女は70代前半で、以前どんなお仕事をされていたかも、どんな考え方の人かもなんとなく知っているし、博識で読書家でもあることも承知している。 そのままの関係を続けてもよかったのだけど、こんなに毎日顔を合わせているのだし、と露天風呂でふたりきりになった時、わたしの方から声をかけたのだった。 「急に秋になりましたねぇ」とか、なんとか。 彼女は、23歳の時に盲腸の手術をして以来、50年間、一度も保険証を使ったことがないという。 その日はたまたまよく来る常連さん4人が、ちょうど外のお風呂に揃っていた。 一応、ソーシャルディスタンスを意識して、長方形の湯船の四角に、それぞれひとりずつお風呂に入っていた。 「健康の秘訣はなんですか?」 と別の常連さんが尋ねると、 「まずは、早寝早起き。それと、旬の野菜をたくさん食べること。 あと、人の悪口は絶対に言わない」 なるほどねぇ、とわたしを含む他の常連3人が、うんうんと頷く。 おそらく鍵は最後の、人の悪口は絶対に言わない、なんだろうな、と思った。 前のふたつは、まぁまぁ実行できることだから。 わたしも、滅多に病院に行くことはないけれど、流石に年に一回くらいは、保険証を使っている。 人生の大先輩の言葉だけに、ずっしりとした重みがあった。 そうそう、お風呂で気になっていることと言えば、、、 最近、若い子が、結構な確率で、下の毛をツルツルにしている。 ドイツでは、男性も女性がそれが当たり前になっていたけど、なんか、この夏で急にツルツルを目にすることが多くなった。 こういうことも、家のお風呂に入っているだけじゃ、わからなかったことだ。 いつかこの話題を小説に取り入れたいと、虎視眈々と狙っているのだが、まだその機運はやって来ない。 銭湯に行くと、いろんな発見があって面白い。 あと10日ほどで、中秋の明月だ。 北海道から大きなかぼちゃがゴロンと一個届いたので、かぼちゃのプリンを作ったら、満月みたいになった。 見本誌として届いた最新号の『七緒』に載っていた、野村友里さんのレシピで作った。 料理上手なお母様から受け継いだ作り方だという。…

思い、言葉、行動

今日で8月もおしまい。 近所の鶏さんも夏バテしているのか、卵を買ったら小さいのが結構目立つ。 今年も暑かったからなぁ。 でも、小さい卵は小さいなりに殻が頑丈で、ずっしりとした重みがある。 今読んでいる本に、思いと言葉と行動を一致させることがとても大事だとあって、ハッとした。 確かに、そうだ。 その三つの流れが滞ることで、ストレスが生まれる。 こう思っているけど、実際にはそれと反する行動を取ってみたり。 あんなことを言っておきながら、実際にはそうじゃない行動をしていたり。 人間だから、なかなかその三つをスーッと一直線に繋げることは難しいのかもしれないけれど、その三つは極力まっすぐでありたいな、と思う。 そういう生き方が、「素直」ってことなんだろう、と。 今日は、夏の間がんばってくれた台所の床を重曹で水拭きし、お疲れを労った。 気持ちちょっと早いけれど、8月のカレンダーも9月に貼り替え、秋をお出迎え。 先日の強い雨で窓ガラスが悲惨なことになり、窓拭きをしたいところだけど、またまとまった雨が降りそうなので、窓拭きはお預けにした。 秋、冬、春、夏。 わたしはこの順番で季節が肌に合うので、秋は大歓迎だ。 早く涼しい風が吹きますように!

原生林へ

もう何日も前の出来事なのに、いまだにあの美しさが忘れられない。 有明山の表参道登山口に広がる、原生林へ行った時のこと。 巨大な石には苔がむして、触るとまるで獣の毛を撫でているみたいにフカフカする。 あったかくて、しっとりと湿っていて、なんだか、鼓動まで感じそうな生命力だった。 朽ちた木、そこから芽を出すひこばえ、すでに朽ちかけているのに、根元が空洞になりながらも踏ん張っている達者な木。 一切の抵抗をせず、とにかく、なすがままの状態の森が、最高に輝いて見える。 共存共栄の、完璧な世界だと感じた。 自分だけたくさん水を吸おうなんて欲張りな木はないし、必要な分だけを吸収している。 大きな岩は、まるでそこが地球の縮図のように数多くの植物を育む土壌になって、新しい命が芽吹くベッドだった。 そして、水。 岩や土の表面から水が沸き、川となって流れてくる。 こういう場所に身を置くと、山が水瓶だというのが、本当に肌で実感する。 とにかく、最近のわたしは、きれいな水のそばにいるだけで、こころが満たされ、生きている喜びを感じられるようになった。 都会にいると人はどうしても傲慢になってしまうけれど、こういう自然の中に身を置くと、それがいかに間違った態度かがよくわかる。 人はもっともっと、謙虚にならなくちゃいけないなぁ。 魂が水でできているっていうのは、あながち間違っていないのかもしれない。 わたしの外の水と中の水が共鳴し、ひとつになるのを感じた。 美しいというのは、こういう世界をいうのだと思う。

Less is More

ただ今、安曇野の山にこもっている。 めちゃくちゃ山の中というわけではないけれど、視野の半分以上は常に緑が目に入って、それだけでとても気持ちが良くなる。 木が多いから、蝉もたくさん鳴いている。 食事は一日二回で、玄米菜食だ。 これがまた、すこぶるおいしい。 時間も、朝の10時半と夕方の5時半で、普段の食事スタイルとそうそう変わらないから、わたしにはとてもありがたい。 パッと見ると、量が少ないように感じるのだけど、実際に食べてみると、この量で十分だということがよくわかる。 玄米なので、とにかく、よく噛む。 同じ玄米でも、日によって、ナッツが入れてあったり、梅干しや海苔が炊き込んであったりと、表情が七変化する。 おかずも、おからのトマト和えとか、かぼちゃとゴボウをカレー風味にしたのとか、自分だったら絶対に発想しないような斬新なものばかり。 手をかえ品をかえ出してくれるので、全然飽きない。 毎日、献立を考えるリーダー的な人が当番制で変わるので、それも飽きない理由のような気がする。 スタッフは、みんな若い子たちだ。 先日閉幕したオリンピックでも、十代の子たちのみずみずしい活躍がまぶしかった。 あの子たちは、全く新しい世代という気がする。 国家だの故郷だの、そういう余計なものを背負ったりせず、ただただそのスポーツをしていて楽しいからやっている。 ここで料理を作っている若い子たちも、楽しんで作っている様子が伝わってくる。 そういう新しい価値観の子たちがどんどん前に出てきて、世の中を爽やかに変えていってほしい。 全体的には、そういう方向に動き出しているのを感じる。 先日、Less is More という表現に出会った。 少ない方が、より豊かである、みたいなニュアンスだろうか。 足るを知る、とも近いかと。 わたし達は今、本当に分岐点にいると思う。 地球温暖化の問題もそうだし、食料の問題もそう。 豊かな国で食べ物が有り余って大量に破棄している一方で、今日食べるものにも困っている人たちがたくさんいる。 そして空腹が、争いをもたらす。 本当に、今すぐその問題を一人一人が自覚して、すぐに行動を起こさないと、悲惨なことになる。 おいしいものを食べるのは幸せなことだけれど、食べ過ぎはよくないな、と自分自身の食生活を振り返って、そう思った。 先進国の人々が口にする肉の量を減らすだけで、それらの動物が食べていた飼料となる穀物を、人が食べる分に回すことができる。 いきなり肉の量をゼロにするのは難しくても、少しずつ減らしていくのは、可能なはず。 わたしも、もともとそんなにお肉やお魚を食べる方ではないけれど、それでも、その割合をもっと減らしていこうと思っている。 目標は、腹七分目。 よく噛んで、野菜たちと対話し、感謝していただく。 それだけで、満たされ方が随分と違ってくる。 丁寧に支度をしてくれている姿を見ているから、余計、味わって頂こうという気持ちになる。 それが、よき循環を生んで、世の中に広がっていけばいい。 わたしが今危惧しているのは、コロナのことだ。…

川の水で桃を冷やす

出羽三山の旅、最終日。 宿の朝ご飯の半分を曲げわっぱに詰め込んで、月山山麓に広がるブナの原生林へ。 ブナの森って、そこにいるだけで気持ちが軽くなる。 葉っぱの色が明るいから? 週末なのに、森にはほとんど人がいなくて(唯一お会いしたのは川原で手を繋いでいたゲイのカップルさんだけ)、ものすごく気持ちよかった。 月山の湧き水を探し、まずはそこでコーヒータイム。 紙コップにコーヒーフィルターを設置し、そこへ、水筒に入れて宿から持ってきたお湯を注ぐ。 アウトドア用の特別な道具なんかなくても、工夫すればなんちゃってだけど淹れたてのコーヒーが楽しめることに気づいたのだ。 コーヒーは、最初のホテルのショップにあった、山形の珈琲ひぐらしさんのもの。 外で飲む淹れたてコーヒーの味は格別だった。 一緒に、宿でもらったお団子も頬張る。 こういうのが、一番の贅沢だなぁとしみじみ。 ブナの森を散策した後は、リフトを使って月山の9合目へ。 ここで美しい山を眺めながら、お昼をいただく。 曲げわっぱって、本当に便利だ。 最近、旅に出る時は必ずと言っていいくらい、曲げわっぱをお供に連れてきている。 壊れやすいお菓子を入れたり、果物を入れたり、色々と使えるけれど、もっとも活躍するのは朝ご飯の時。 わたしは普段、お昼近くまで食事をとらないので、どうしても、朝からもりもりは食べられない。 それで、汁物とかお弁当に詰められないものだけその場で食べて、残りは曲げわっぱにご飯やおかずを詰めて、お昼にいただくようにしているのだ。 これが大正解で、そうすることで食べ物を無駄にしなくて済むし、お昼に好きな場所でおいしいお弁当を広げることができる。 これがプラスチック製の容器やサランラップだとどうしても興醒めしてしまう。 曲げわっぱだからこそ、適度な水分も抜けるし、気分もいい。 曲げわっぱ普及委員会の会長を自称したくなるほど、もっともっと曲げわっぱが世界に広がればいいと思っている。 ひとりにひとつ、曲げわっぱがあるだけで、旅も、ふだんの暮らしもグンと楽しくなる。 家では、炊いて余ったご飯を入れて、おひつ代わりとしても使っている。 再びリフトで下山し、宿のご主人に教えてもらった水のきれいな場所へ移動。 ここは、地元の人が行く所だそうで、教えてもらわなかったら絶対に通り過ぎてしまっていた。 道路脇に広がる、緑色に輝く別世界。 苔むした石の間を、水が流れ落ちてきて、小さな滝のようになっている。 いつか食べようと持ち歩いていた桃を冷やして、デザートにした。 それにしても、水の冷たいこと! 10秒も足をつけていたら、ジンジンと体が痺れてくる。 そして、もっと驚いたのは、そのお味。 わたしは、こんなにおいしい水を飲んだ記憶がない。 まさしく月山の自然水で、嫌な感じが全くなく、スーッと心地の良い風のように体に広がっていく。 身体中の細胞が目覚め、命がよみがえるような水だった。 桃は、皮のまま、がぶりと丸かじりした。 こちらもまた、素晴らしくおいしい。 ちょうど良い冷え具合で、熟れ具合も最高で、この上ないほどの極上の味だった。 川の水で桃を冷やす。…

特急いなほ

初めて、日本海の方から山形へ入った。 上越新幹線で新潟へ、新潟からは在来線の特急いなほで鶴岡を目指す。 途中で台風を追い抜いたのが分かった。 予定を一日早めて正解だった。 新潟を過ぎると、列車は日本海すれすれの海岸線を走る。 それが楽しみで、陸路にしたのだ。 同じ山形県に入るのでも、わたしはいつも、内陸を走る新幹線「つばさ」を使っている。 でも今回は日本海側の旅なので、いつもとは逆側から入った。 県境を超え、山形に入った途端、なんだかホッとする。 日本海が、最高だった。 ここはコートダジュールかな? っていうくらい、風光明媚な景色が続く。 昔は、日本海は暗くて寒くておどろおどろしいイメージしかなかったけれど、ようやくこの歳になって、日本海がいいなぁと思えるようになった。 予約していたホテルは、田んぼの真ん中に建っている。 なんだかとてもいい感じ。 お部屋に机もあるし、ベッドは硬いし、掛け布団のシーツをマットレスの下に入れ込んでいないのも嬉しいし、わたしにとっては理想的なホテルだ。 しかも、露天風呂のお風呂に素敵なサウナがある。 昨日は、夕方5時半から入って、気がついたら夜の10時半まで、露天風呂で過ごした。 ベルリンのサウナ以来の、心地いいサウナを満喫した。 湯船のすぐ向こうが、広い塀に囲まれた(稲はない状態の)水田になっていて、不思議な開放感を楽しめる。 水面をアメンボがスーイスーイと泳ぎ、鳥や、トンボなどの生き物たちが、すぐそこまで遊びに来る。 サウナ上がりに夕日が沈むのを見て、誰もいない湯船でぼーっとしていたら、今度は遠くの空に花火が上がってラッキーだった。 どうやら、本来8月に大々的にあげる花火を、今年もコロナ禍でできないため、毎晩、数発ずつあげるようにしているのだという。 それから星がたくさん現れ、また誰もいなくなると、こっそり湯船で泳いだり、ヨガをしたり、瞑想をしたり。 カエルの声をあんなに近くで耳にするのも、久しぶりだった。 たった一匹の小さなカエルのはずなのに、その声量は凄まじく、バリトンのオペラ歌手のよう。 完全にサウナスイッチが入ってしまい、サウナ→水風呂→風干し→温泉→またサウナ、の循環から抜けられなくなってしまった。 ある一線を越えると、わたしは永遠にお風呂に居たくなってしまう。 朝は、出羽三山を見ながら、またサウナ。 台風が接近中らしく、霞の中に山の姿がぼんやりと浮かんでいる。 神々しい山がそびえ、その山の麓に人々の暮らしがあり、田んぼが広がる。 水田って、本当に美しい。 雨も上がって青空がのぞいているので、サクッとレンタサイクルをして、ラーメンでも食べに行ってこようかな。 本がたくさんある宿なので、こもっていても少しも飽きることがないのがいい。

暑さ対策 2021

本当は、今頃南仏にいるはずだったのだ。 ぴーちゃんがベルリンから南仏に引っ越したので、彼女とこの夏を一緒に過ごそうと予定を立てていた。 全て荷物をまとめ、保険にも入り、PCR検査の予約もし、あとは行くだけ、という段階で、行くのを断念した。 結局、それで正解だったのかもしれない。 フランスは、ワクチン接種済みのパスポートがないとレストランやカフェに入れなくなるというし、規制を外したイギリスの影響が、どうフランスに及ぶかもわからない。 いろいろ考えると不安要素ばかりが膨らみ、ぴーちゃんに会えないのは本当に本当に残念だけど、去年に引き続き、この夏も日本で過ごしている。 本格的な暑さがやってきたので、わたしはせっせと暑さ対策に取り組んでいる。 まずは、食べ物。 普段食べない冷たいものを、夏だけは大いに食べる。 ゆるゆるのコーヒーゼリーは冷蔵庫に欠かせないアイテムだし、冷やし中華なんて、毎日でもいいくらい。 そうめん、冷麦、お蕎麦、うどん、基本はどれも冷たい出汁をかけてぶっかけで。 カッペリーニを使った冷たいトマトのパスタもいい。 あと、焼き茄子。 焦げるまで焼いて皮をむき、それを冷やして食べる。 お茶も、中国茶を水につけて、そのまま水出しにする。 出汁も、昆布と煮干しを適当に入れて、水出しに。 なるべく火を使わないで済むよう、工夫する。 ハッカスプレーも、暑いとき、シュッと首筋や手足に吹きかけると、スースーして気持ちいい。 日本ハッカのエッセンシャルオイルを、水でうんと薄めて使っている。 虫除けにもなるから、外に出る前も、シュッとひと吹き。 あと、おすすめなのは、和装用のステテコ。 夏着物の中に着る肌襦袢として買ったのだけど、これが薄くて、ふわっとしていて、快適なのだ。 ウエストもゴムで楽ちんだし、汗をかいてもすぐに乾く。 透け感のあるスカートやワンピースの中に履くのも都合がいいし、わたしは盛夏用のパジャマとしても愛用している。 お値段もお手頃で、何枚か揃えておくと、本当に便利だ。 もちろん、ビールは最高の暑さ対策になる。

ジャガー

最近は、朝早く散歩に行くようにしている。 起きたらすぐ、ゆりねにハーネスをつけて、外へ。 朝の散歩は気持ちいい。 まだ暑くなくて、時々ひんやりした風が吹くから、ゆりねの足取りも軽く、ぴょんぴょん跳ねるように歩く。 夏の朝は特に開放的で、雨戸を開ける音、テレビ(たいていはNHK)のアナウンサーの声、コーヒーの香り、家族の会話など、いろんな音や匂いがする。 先日、ゆりねのリードに引かれながら川沿いから一本中に入った路地を歩いていたら、おや、と足が止まった。 かっこいい車がとまっている。 車の免許をとって以来、人様の乗っている車が妙に気になるようになった。 素敵な車が通り過ぎると、つい後ろ姿を目で追いかけて車種をチェックしてしまう。 その車は、エレガントな形で、色はわたしの一番好きな、青みがかったライトグレーだった。 そして、車の前のところににょろっと、オコジョみたいなのが伸びている。 おぉぉぉぉ、これがJAGUARか。 なんとまぁ、気品があって、美しいのだろう。しばし惚れ惚れとした。 自分が乗ろうなんて夢にも思わないけど、見ている分には目の保養になる。 もうひとつ、車として好きなのはベントレーだ。 こちらも、わたしが運転したら車に失礼だけど、素敵だなぁ、と思う。 車には全く詳しくないけど、きゃー、素敵、と思うとベントレーだったりすることが多い。 まぁ、いくら宝くじが当たったとて、ジャガーもベントレーも選択肢には入らないけど。 わたしが車に求めるのは、安全であること。 そして、自動の駐車機能が付いていること。 となると、必然的に、国産の、ごくごく普通の車になる。 普通が一番、というのは、自転車に乗っていてしみじみ感じる。 当初、わたしはせっかく乗るならカーゴバイクがいいなぁ、なんて夢見ていた。 前や後ろに、大きなカゴというか箱がくっついている自転車だ。 ベルリンにいたとき、結構な頻度で見かけた。 子どもを3人くらい乗せて楽しそうに乗っている姿を見て、いつか自分も、なんて妄想していたのだ。 でも、日本では交通事情が異なるし、あれを置こうとすると、それこそ車一台分の駐車場が必要になってしまう。 ならば、とめちゃくちゃ普通の自転車にした。 車輪の大きさも小さめで、これなら信号などで止まる時もきちんと地面に足がつく。 こだわったのは前にも後ろにもカゴをつけることで、これがものすごく便利で助かる。 ライトも暗いところに行くと自動でつくし、普通の自転車にして大正解だった。 先日、『天然生活』の特集で、わたしの自転車の写真が大きく載った。 こんなめちゃくちゃ普通の自転車が大きく出ちゃってどうしよう、と恐縮していたら、なんと、多数の問い合わせが来ているというのだから、びっくり。 しかも、皆さん大きなカゴに関心があるようなのだ。 世の中、わからないものだ。 かっこいい自転車も、おしゃれな自転車も、巷に溢れている。 でもわたし、もうそういうものに興味がないのだ。 いくらかっこよくても、おしゃれでも、乗りづらかったら、その時点で却下する。 本当に優れているものというのは、見た目も無駄がなく洗練され、しかも使いやすい。 美しさと実用性、両方を兼ね備えているものが、暮らしには大切なんじゃないかと思っている。…

センザンコウ

一昨日だったかな、新聞に、フランス政府から日本政府に、オリンピックを2024年の共同開催にしてはどうかという打診があったらしい、ということが書かれていた。 つまり、東京での開催を更に3年延長して、パリと東京2都市でのオリンピックにするということ。 それが事実だとしたら、どうしてもっとそのことを国民レベルで議論せず、さっさと闇に葬ってしまったのだろう。 3年後だったら、コロナの終息が見えている可能性が高いし、第一、パリと東京で一つのオリンピックをするというのは、新しい試みとして、これからのオリンピックの姿を模索するきっかけになるかもしれない。 実現する、しないは別にして、そういう打診があるということを、公にしてほしかったと残念になる。 いまだに、本当にこの状況でオリンピックをやるのだろうかと首を傾げてしまうけれど、開幕まであと8日らしい。 まじっすか、って感じ。 今読んでいる本に、立て続けに「センザンコウ」のことが出てきた。 センザンコウ、わたしも本を読むまで知らなかったけれど、この生き物は世界でもっとも違法取引をされているという。 センザンコウは、センザンコウ目(有鱗目、鱗甲目)センザンコウ科(1目1科)の哺乳類で、東南アジアに4種、アフリカにも4種が生息している。 特にアジアの4種は、人間が生薬や媚薬、食料として乱獲したため、個体数が激減しているそうだ。 中でもミミセンザンコウとマレーセンザンコウは、絶滅の危機にある。 アジアのセンザンコウが個体数を減らしたため、アフリカのセンザンコウもまた、個体数を著しく減らしている。 一体、人間の欲望はどこまで続くのだろう。 日本でも、センザンコウの製品が売られているという。 すぐにインターネットで調べたら、センザンコウは本当に美しい動物だった。 体が立派な鱗で覆われている。 人間の手では決して作れない、神様からの贈り物なのに。 そういえば、この間、鎌倉でアイヌの布の展示会に行ったら、とても素晴らしいアイヌの言葉と出会った。 「天の国から役目なしに降ろされたものはひとつもない」 本当にそうだと思う。 だからこそ、命をいただくことに対して感謝の気持ちを忘れてはいけないと思うし、人間の快楽やお金儲けのため、いたずらに他の生き物の命を奪うことは、あってはならないことだと思うのだ。 そして、人間がセンザンコウを捕まえるため自然の奥地まで侵入することで、未知のウイルスが人間に感染し、蔓延する。 コロナにしろ気候変動にしろ、自分たちの欲望が、結局は自分たちを苦しめている。 2010年のバンクーバー冬季オリンピックで、期間中100頭のハスキー犬が観光用の犬ぞりを引くために集められたが、その犬たちは、オリンピックが終わると、全頭が不要になったとして殺されてしまったそうだ。 さて、ほぼ一週間後に迫った東京でのオリンピック開催。 ほぼ無観客でということは、新しい競技場に作った観客席、無駄になってしまうんですね。 オリンピックを誘致する、しない、の舵取りも、元をたどれば、私たちが選挙で選んだ政治家が決めたこと。ということで、一票の重みを、大事なしないと! 外国から来る方々への「お・も・て・な・し」もほぼできないし、日本勢が活躍して金メダルラッシュになっても、なんだかそれって本当に公平な試合なのだろうか、と疑問に感じてしまうだろうし、そんな様子を世界はどういう目で見るか。 昨日くらいから、蝉の声を聞くようになった。 夕方の銭湯時間が、わたしにとっては唯一の楽しみ。 この夏も、せっせと自転車を漕いで、銭湯に通おう。

なんちゃってホットサンド

雨、雨、雨、雨で、晴雨兼用の紳士傘が大活躍しているけれど、あと一回となった梅干しの土用干しができずにいる。 あと一週間のうちに晴れ間が出てくれないとスケジュール的にちょっと困るのだが、天気予報は尚も傘マークが続いている。 朝昼ごはんにパン食はあんまりしないのだけど、最近ちょっと増えているのだ。 というのも、新聞に小さく載っていたなんちゃってホットサンドが手軽にできて美味しいから。 本当に簡単。 まずはフライパンでスクランブルエッグを作る。 それを、食パンの間に挟んで、一緒にハムも挟んで、それをまたフライパンに戻して両面を焼けば出来上がり。 ポイントとしては、焼くときに、片面ずつ、バターを一欠片パンの下に滑り込ませること。 そうすることで、こんがりと、きれいな狐色に仕上がる。 パンを焼く時の火は、弱火で。 結構すぐに焦げるので、それだけ注意すればいい。 ホットサンドなんて、専用のプレートが必要とばかり思っていたけど、なーんだ、こんなに簡単にできるのだ。 新聞のレシピでは、卵とハムの他に、アスパラガスを挟んでいて、それも一度やってみて美味しかったけど、別になくても大丈夫。 なんなら、卵だけでもシンプルでいいと思う。 午後は、録画しておいた『ライオンのおやつ』の第2話を見た。 土村芳さんの演技が、素敵だなぁ。 鈴木京香さんのマドンナ役も雰囲気があるし、かの姉妹もいい味を出している。 わたしとしては、ロッカ役のワンコちゃんが気になるところ。 あのアフロヘアーこそ典型的なビションフリーゼで、口の周りが汚いところとか、動きがチャカチャカしているところとか、うんうん、そうそう、と思えることがたくさんある。 ところであのワンコちゃんは、どうやって八丈島まで行ったのかな? ちゃんとご褒美のおやつをもらえているといいなぁ。 瀬戸内の景色も穏やかでいいけれど、なんだか八丈島にもまた行きたくなってきた。 ドラマを見終わってから、ゆりねのトリミングをした。 コロナ以来、ずーっとお家カットで済ませている。 できない肛門腺絞りだけは、病院のお世話になって、あとはちょこちょこ、伸びたらカット。 カットする時にいつもイメージしているのは、ムーミンだ。 頭の毛と尻尾だけ残して、あとは基本的にバリカンで丸坊主にしてしまう。 だってゆりねに、 「もう少しヘアースタイルが可愛くてオシャレになるのと、美味しいご飯が食べられるのと、どっちがいい?」 と尋ねたら、答えは断然、後者なのだ。 つまり、トリミングをプロのトリマーさんにお願いしない分のお金で、いい餌を買いましょう、という提案。 確かにわたしがトリミングをすると素人丸出しで歪ではあるけど、まぁ、ゆりねの精神的負担も、わたしの経済的負担も、両方減らすことができるから、当分、この感じで行こうと思っている。 トリミングをしながら、ずっと民謡クルセイダーズを聴いていた。 なんだか最近こればっかりだ。 すっかりハマってしまった。 ライブはさぞかし盛り上がるだろうなぁ。行きたいなぁ。 早く、そんな時間を楽しめるようになるといいんだけどなぁ。

ひめゆり

梅雨の晴れ間、家中にある笊を総動員して、梅干しをベランダへ。 今日で二日目。 かわいい小梅ちゃんたちが、すくすくと梅干し目指して育っている。 週末、『ひめゆり』を見に行ってきた。 沖縄地上戦に駆り出されたひめゆり学徒隊の中で、生き残った方達22人のインタビューをまとめたドキュメンタリー映画だ。 15歳から19歳の少女222人が戦場に送られ、陸軍病院などで看護活動にあたった。 半数以上の136名が戦場で命を落としたという。 作品は2006年の製作だが、毎年、沖縄地上戦の組織的な戦闘が終結したとされる6月23日の「慰霊の日」に合わせて、今でも映画館で上映されているとのこと。 わたしが行った初日も、たくさんの若い人が見に訪れていた。 第一部、第二部、第三部という構成になっていて、第一部だけでも過酷な内容なのに、第二部、第三部と、あの戦争の実態が見えてくる気がした。 敵に包囲されている状況で、解散と言われ、露頭に迷う少女たち。 生き残った方達も、まだ10代という若さで、悲惨な人間の最期の姿を目の当たりにし、親しい友人との無残な別れを経験した。 なんていう愚かなことをしたのだろう、と改めて静かな憤りを感じずにはいられなかった。 上演後の、柴田昌平監督のお話がとても良かった。 確かに、証言をされた方達の姿が美しい。 それほど辛いことを経験したのに、恨みがましさがないのが、印象的だった。 彼女たちは、ただただ、平和を祈っている。 若くして亡くなった友人たちの使命を背負って、生きているのだと思った。 その覚悟のようなものが、画面を通して伝わってきた。 今日は、夏至。 一年のうち、昼の時間がもっとも長くなる。 でも裏を返せば、明日からまたちょっとずつ冬に近づいていくのだ。 ぼちぼち、一年の半分が過ぎてしまう。 明後日は、ゆりねの誕生日だ。 もう7歳かぁ。 この春、石垣島で見たゆりの花が綺麗だった。

石鹸工房

きっかけは、夕方通っていた銭湯が、緊急事態宣言でクローズしてしまったことだった。 思いのほか時間ができたので、石鹸でも作ってみよう、と思い立ったのだ。 ラッキーなことに、近所で手作り石鹸教室をしている方がいて、一通り石鹸の作り方を教えていただいた。 石鹸作りは、お菓子作りにとてもよく似ている。 材料をきっちりと測らないといけない点、材料の温度が重要な鍵を握る点、使う道具も、ボウルや泡立て器など共通する点が多い。 難関だった苛性ソーダの入手に関しては、石鹸教室の先生に教えていただき、無事、近所の薬局で手に入れることができた。 大変なのは、苛性ソーダと水と油を合わせてから、ひたすら混ぜることで、文字が書けるくらいの「トレース」と状態を目指すのだが、初めて自力で作った時、一時間経っても、まだ全然トレース状態にならず、流石に根をあげ、手動の泡立て器から、家にあったブレンダーに持ち替えた。 機械に頼って大正解だった。 手動の泡立て器でやってた時は、あんなに変化がなかったのに、電動のブレンダーを使ったら、ものの数十秒でトレース状態に達した。 一台、ブレンダーが余っていたから、ちょうどよかった。 夏用の石鹸には、爽やかになるようミントやティートゥリーの精油で香りづけしたりと、自分好みの石鹸が作れるのが嬉しい。 最近は、石鹸だけでなく、化粧水やリップクリームなんかも、手作りしている。 これがまた、なーんだ、と拍子抜けしてしまうほど簡単で、今まで高いお金を出してオーガニックのそういうものを買っていたのはなんだったんだ、と愕然とした。 キャンドルを灯して余ったミツロウも使えるし、飲み忘れたハーブティーとか、冷蔵庫で固くなっていたココナツオイルとか、結構、手作りコスメに応用できたりする。 ずっと使う機会がなかったローズのオイルも、塩と混ぜてスクラブにした。 工夫次第で、あれこれ作れるものじゃのぅ。 これでますます、お風呂時間が楽しくなった。 今日もこれから、石鹸を作る予定だ。 今日は、デトックス効果の高いひまし油を使って、シナモン味の石鹸を作ろうと思っている。 でもその前に、大豆田とわ子さんのドラマを見るのですよ! 最終回のひとつ前で初めて見たら面白すぎて、今、第一話から通して見ているところ。 最終回まで見てしまうのがもったいな気もするけど、早く見たくてウズウズしている自分もいる。 もしかして、わたしに監視カメラがついてるんじゃないの? ってくらい、思い当たる「あるある」がいっぱいで、完全に参った。 たまに、ズボっとハマってしまうドラマがある。 次は『コントが始まる』を見る予定。

小梅ちゃん

連日連夜、というほど切羽詰まっていたわけではないけれど、ここ数日、梅仕事に追われていた。 今年は満を持して、小粒サイズの梅を5キロ頼んでいた。 季節の巡りが早いのか、思っていたより早く届いて、五月のうちに梅仕事がスタートする。 小梅ちゃんたち、小さくて可愛い。 わたしのやり方は1キロずつ小分けにして漬けるので、香りが立ち、ほんのり黄色くなっている実を選別しては、洗って、干して、なり口の軸をのぞいていく。 が、この作業が、なかなか大変なのだ。 同じ1キロといっても、大きいサイズの1キロ分と、小さいサイズの1キロ分とでは、個数が格段に違ってくるからだ。 小梅ちゃんだと、当然、数が増える。 通称、おへそのゴマ取り作業。 一つ一つ小梅ちゃんを手に取っては、楊枝などでおへそのゴマを取り除いていく。 まさに、ちまちま。 小梅ちゃんたちは、色、形、大きさもそれぞれ違って、本当に愛くるしいのだ。 みんなに挨拶するような気持ちで、ゴマを取る。 本当に、おへそのゴマにそっくりだ。 でも、これって本当に梅のおへそのゴマなのかも!?! ちなみに1キロで何個あるか数えたら、265個だった。 つまり、5キロだとその5倍だから、単純計算で1325個。 わたしは、1300個もの小梅ちゃんのおへそのゴマを取ることになる。 でも、1000個以上あれば、安心だ。 これで一日一個梅干しを食べても、まだお釣りがくる。 ゴマ取り作業が終わったら、塩と合わせて、ジッパー付きの保存袋へ。 一日経つと、もう梅酢が上がっている。 順調、順調。 この作業を5セット繰り返して、めでたく、今年の梅仕事の前半戦が終了した。 あとは、大きい梅でよそゆきの梅干しでも作ろうかな。 梅仕事を終えてから、久しぶりに銭湯へ。 やっぱりお風呂は、こうじゃなきゃ! 久々にお会いした風呂友さんと、再開してよかったですねぇ、と言い合った。 今までの分を取り戻すつもりでもなかったのだが、気がついたら長風呂に。 空を見上げながら入れるお風呂は、最高!

思い込み

久しぶりに、お茶のお稽古に通いたくなった。 二十代、三十代の頃は、茶道教室に通っていたけれど、書く仕事が本格化してからは、なかなかタイミングが合わなくなったこともあり、お稽古から足が遠のいていた。 日本に戻ったら真っ先にやりたいことの一つだったけれど、あいにくコロナの影響で、なかなかそれも実現できずにいた。 自分に合ったいい教室や先生を探すのも課題だった。 わたしは、のんびりお茶を習いたい。 お茶名とかには興味はなく、お茶室でお茶をいただき、緩やかな時間の流れそのものを味わうのが目的なので、それほどお茶にお金をかけたいとも思わない。 要するに、ただただリラックスしてお茶を飲んだり点てたりしたいのだ。 そういう態度でも受け入れてくれる先生のところで、お茶のお稽古がしたかった。 先日、ひょんなことから、ここならいいかも、と思う教室を見つけた。 場所は東京の反対側だけれど、まぁ月に一回、のんびりと小旅行気分で出かけるのも悪くない。 何より、古いお道具を使ってお稽古をする、という点に惹かれた。 早速先生に連絡を取り、お稽古の見学をさせていただくことにした。 久しぶりの着物である。 まだ五月だけど、もう六月が目前だし、単の着物に袖を通した。 帯は、ずいぶん前に買った古いアンティークの帯をしめる。 結構、サクサクと着付けができて自分でも驚いた。 道具を準備している途中で、白い足袋がないことに気づいて慌てふためく。 デパートはお休みだし、と思って個人商店の着物屋さんに電話をし、白足袋の在庫を確認する。 雨が心配だったけど、歩きやすい畳表の草履を履いて、いざ出発。 もちろん、手には晴雨兼用の日傘を持つ。 バス、電車、電車、と乗り継いでまずは途中で白足袋をゲットし、更に電車、電車、電車と乗り継ぐ。 もう少し楽に行けるルートもあるのだけど、渋谷や新宿は極力通りたくないので、地下鉄だけで行った。 日曜日にしては、やっぱり空いているかもしれない。 汗をかきかき、ようやくお稽古が行われているギャラリーの前にたどり着く。 が、開いているはずのお店が、閉まっていた。 ん? 日にちを間違えたかしら? でも、確かに合っている。 ということは、緊急事態宣言の延長を受けて、急遽、お稽古がお休みになったのだろうか? しばらく建物の前に立って様子を伺うも、誰も来ないし、誰も出てこない。 呼び鈴を押しても返事がないし。 結局、また元のルートを引き返した。 せっかく着物で出かけたのだしなぁ、と思って、途中、ずっと気になっていた印伝のお店に立ち寄る。 何も買わずに店を出て、冷たい豆かんでも食べて帰ろうかと思ったけれど、少し我慢してそのまま帰宅した。 速攻で帯をほどき、着物をほどき、ささっと普段着に着替えて、冷蔵庫からビールを取り出す。 あー、おいしい。 最高だ。 汗をたくさんかいて、着物の束縛から解放された後のビールは格別である。 おつまみに、お煎餅をポリポリ。 数時間後、先生からメールが来ていた。 件名に、「ごめんなさい。」とある。…

ちまちま

昨夜は残念ながら皆既月食、後半のちょこっとしか見られなかった。 でも、ちょうど時間に合わせて外に出たら、皆さん外に繰り出して空を見上げていて、それはなんだか花火大会の始まりを待つようで、懐かしい雰囲気だった。 今年は花火大会、できるのかな? 花火大会はダメで、でもオリンピックとパラリンピックは何がなんでもするのかな? もちろん、選手の方たちのことを思うと開催してあげたいけれど。 でも、ここは俯瞰で物事を判断する方が賢明のような気がする。 今日は一日雨だった。 緊急事態宣言で行きつけのスーパー銭湯がクローズとなり、それじゃなくても手持ち無沙汰だというのに、その上、ゆりねのお散歩にも行けない。 仕方がないので、昨日の夜、皆既月食を見がてら野菜の無人販売ロッカーで買ってきた山椒の実を醤油漬けにする。 そう、もう山椒の実の季節なのだ。 記憶が定かではないけれど、去年はもう少し遅かったはず。 しかもショックだったのは、ロッカーに梅の実も並んでいたこと。 五月で、もう梅かぁ。 今年は桜が早く咲いて驚いたけど、やっぱり季節の巡りが狂っているとしか思えない。 大好きなハナレグミの音楽を聴きながら、ちまちまと山椒の実のお世話をする。 晩ごはんの後、少し雨足が弱まったので、今しかない! と思いゆりねを連れてお散歩へ出た。 いけないことなんだろうけど、わたしはいつも、ゆりねの好きに歩かせている。 こっちに行きたいと言えばこっち、こっちは嫌だと言えばあっちへ。 ゆりねは、自分の歩きたくない道は、頑なに動こうとしないのだ。 ちなみに、多くの飼い主さんが禁じている、地面に体をこすりつけてスリスリするのも、好きにさせている。だって、犬だから。 でも、雨の日とか暗くなってからは、ゆりねの好きにさせるわけにはいかず、にらめっこする結果となる。 今日も、多くの曲がり角で、あっちに行きたいゆりねと、こっちに導きたいわたしが、衝突した。 また雨が降ってきたし、暗くなってきたし、わたしはなるべく近道して家に帰りたかった。 卵を買いたかったので無人販売ロッカーに寄ったら、また山椒の実が売られている。 一袋300円のを、3袋買った。 これは、明日の宿題。 また、ちまちま仕事に精を出そう。 わたしは、こういうちまちまとした仕事が、決して嫌いではないのだ。 でも、眼鏡をかけないとできなくなってしまったけど。 来週は、らっきょうを漬けようと思っている。

友情

とても好きな女性がいた。 彼女は食べ物屋さんのマダムだった。 お店のこと、料理のこと、いつもいつも真剣に向き合い、考えていた。 彼女の生きる姿勢がとても好きで、ユーモアと真面目さのバランスが羨ましくて、なんとなく少しだけ距離を置いて、彼女に好意を抱いていた。 こんなふうに生きたいな、と思う理想的な素敵な女性だった。 何度か、手紙のやりとりをしたことがある。 彼女が書いてくれた手紙がベルリンの郵便受けに入っているのを見つけた時、私はものすごく嬉しかった。 すぐに返事を書くことができなくて、気持ちが膨らむのを待ってからお返事を書いた。 私は、少しずつ距離を縮め、ゆっくりと友情を育むつもりでいた。 きっと、ものすごくいい関係が築けるだろう、という確信があった。 向こうも、そう思っていたと思う。 でも、もう彼女の体はこの世界にない。 そのことを、先日、人づてに聞いた。 私より、まだ若い人だった。 お店は、もうすぐクローズするという。 彼女のいた面影みたいなものに触れたくて、先日、お店を訪ねた。 一見、何も変わっていないように見えたけど、彼女が立っていないその店は、やっぱりどこか芯がないというか、おぼつかないというか、以前のお店とは違う気がした。 いつか、親友になれると思っていたのに。 自分の考えの甘さに、彼女からピシャリとほっぺたを叩かれた気分だ。 ゆっくり友情を育もうなんてカッコつけないで、すぐに気持ちを伝えておけばよかった。 先日、彼女がいたのと同じ町で、大学の同級生と再会した。 学生時代はそんなに親しくしていた感じではなかったけど、でも顔と名前はちゃんと覚えていた。 数年前、サイン会をした時にわざわざ会いに来てくれたのだ。 紅茶を飲みながら、いろんな話をした。 その後、傘をさしながら少し近所を散歩した。 背中を押してくれたのは、もうこの世界にいない彼女だった。 もたもたしていたら、せっかくの縁も水の泡になってしまうでしょ、と。 食べ物屋さんのマダムと大学の同級生は全然関係がないけれど、私の中ではとても深く結びついている。 私が家を留守にしている間に、いただいた薔薇の花が見事なまでに散っていた。 この姿を見て、また彼女のことを思った。 人生って、自分たちが思っているより、もっともっとあっという間なのかもしれない。 彼女といろんなことを話して、笑ったり、泣いたり、怒ったり、したかったという後悔は、この先もきっと消えないだろう。 だからこれからは、好きな人がいたら、自分から積極的に会いに行こうと思う。 今夜は、皆既月食とのこと。 あと一時間くらいで、それが始まる。 見えるかな? 見たいな!!! どうか雲がなくなってまんまるお月様に会えますように。

日傘の季節

ついこの間春が来たと喜んでいたと思ったら、もう今日は梅雨空だ。 さっき自転車で薬局まで行ったけど、空気がじとっとしている。 風が強くて、帽子が飛ばないよう必死に手で押さえながら運転した。 関東では、この先しばらく雨マークが続いている。 梅の実もぷっくりと膨らみ始め、枝から落ちた小梅ちゃんが地面に落ちて潰れていた。 それを見て、そうか、そろそろ梅仕事の季節なんだな、と思い出した。 早速家に帰ってから、梅の実を注文した。 去年は出遅れたせいで、小粒の梅を手に入れることができなかった。 今年こそは、小梅ちゃんを梅干しにしたい。 新しい日傘を買った。 日光アレルギーだから、日傘は必需品である。 帽子でもある程度日光を遮ることはできるけれど、やっぱり日傘の方が安心だ。 わたしの場合、夏だけでなく冬も、日傘が手放せない。 振り返ると、これまでにいろんな日傘と付き合ってきた。 何本かの日傘を経て、最終的にわたしが辿り着いたのは、男性用の日傘だ。 しかも、晴雨兼用。 結論としては、これがベストである。 まず、女性用の日傘は小さい。 一本、女性用の晴雨兼用日傘を持っているけれど、太陽光はまずまず防げるにしても、雨の場合、守ってくれる面積が小さすぎる。 これだと、雨でずぶ濡れになる恐れがある。 そして、日傘を買うなら、断然、晴雨兼用がおすすめだ。 この季節は特に、急に雨が降ってきたり、かと思うと急に雨が上がって青空になったり、空模様が七変化する。 そんな時、雨用と晴れ用、両方持って歩くなんて無理だし、だったら最初から両方に使える傘を選んだ方が賢い。 しかも、そうすれば収納にも場所を取らない。 最近は、男性用の日傘もいい感じのが増えている。 男の人だって、炎天下を歩くときは日傘を差した方が身のためだと思うし、この際、日傘は女の人のもの、なんていう固定観念は取っ払って、どんどん使って欲しい。 日傘を差すのと差さないのとでは、感じる暑さもだいぶ違ってくる。 スーツに日傘を差して爽やかに歩いている男性の姿は、とても素敵だと思う。 わたしが今回選んだのは、鮮やかなブルーの日傘。 表には麻の生地が、裏側には防水の生地が張られていて、これならどんなに強い雨が降っても漏れる心配はない。 早速昨日使って、大満足。 これから日傘を買おうという方は、男性用の晴雨兼用もぜひ、チェックしてみてくださいね。

手作り週間

今週末は、二日連続でヨガへ行った。 だって、他に行くところがないのだもの。 お風呂も、緊急事態宣言を受けてクローズになってしまったし。 家にいる時間が長いので、あれやこれやと手作りの分野を広げている。 なんでも手作りすればいいとは全然思っていなくて、餅は餅屋に任せようというのだが基本姿勢ではあるのだけど、こと味噌に限っては、自分で作った手前味噌が一番だという結論に達した。 最近は、京都の舞鶴にある大阪屋こうじ店の生麹のお世話になっている。 こちらの生麹は、香りが良くて、とてもいいお味噌になる。 今回は、もろみセットも取り寄せてみた。 もろみ麹は、豆麹と麦麹と米麹をよく混ぜ、そこに醤油と味醂を入れて常温で寝かせると完成する。 半年ほど前、山形で作られているものすごく美味しいもろみ味噌に出会い、自分でもやってみたくなった。 麹に触れていると、なんでこんなに幸せな気持ちになるのか自分でもわからないけれど、でも毎回、とてもこころが穏やかになる。 特にこの季節は、窓を開け放って、気持ちのいい風を感じながら作業できるのがいい。 味噌の方は、先日訪れた石垣島の、米原の海塩を使って仕込んだ。 こうやっていろんな塩を使って作ることができるのも、手作り味噌の良さだ。 そして今、新たに挑戦しようと思っているのが、石鹸だ。 日本で無添加のいい石鹸を買おうとすると、結構なお値段がする。 お気に入りの石鹸をいちいちドイツから送るというのも、なんだかなぁ、と思うので、味噌の次は石鹸に手を広げてみようと。 けれどこれが、なかなかハードルが高くて、困っている。 水と油を混ぜるためには、アルカリ性の物質で両者をくっつける必要があるのだが、大体の手作り石鹸のレシピを見ると、その役割を担うものとして「苛性ソーダ」が使われている。 けれど、この苛性ソーダは劇薬で、簡単には手に入らない。 わたしも昨日から薬局を回っているのだけど、どこも置いていないのだ。 購入の際も、身分証と印鑑が必要というから、よほど扱いに注意しないといけない。 石鹸を作るのに、そんな劇薬が使われているなんて、知らなかった。 自分で扱うのも怖いし、苛性ソーダを使う以外の作り方を模索しているけれど、どうなることやら。 今日は、あんまりいいお天気で、日曜日にヨガをしたらすっかり開放的な気分になって、お昼からビールを飲んじゃった。 ビールの季節、到来だ。 わたしが最近気に入っているのは、月山ビール。 ピルスナーとミュンヒナー二種類あって、どっちもいい味。 これから、わざわざドイツのビールを飲む必要なし! と、ここまで書いて思い出した。 わたし、バナナアイスも作ってたんだっけ。 早くかき混ぜなくちゃ!

植物の力

おばさんが、山形から山菜を送ってくれた。 コシアブラ、タラの芽、こごみ、うど、あいこ、笹巻きもある。 でも、いちばん嬉しかったのは、写真だった。 封筒の中に入れられていた写真には、桜の木が写っている。 わたしにはもう、実家がない。 生まれ、育った家は、跡形もなくなって駐車場になっている。 わたしの実家は、おばにとっての実家でもある。 おばの方が、より多くの思い出を持っているかもしれない。 実家に、毎年春になると咲く、桜の木があった。 その木の下で、よくおままごとをして遊んだ。 金魚や小鳥が死ぬと、その木の根元にお墓を作って弔った。 わたしが親元を離れてからは、母が、まだ寒い時期に桜の枝を切って、新聞紙に包んで送ってくれた。 温かい場所に活けておくと、硬い蕾が少しずつ膨らんで、一足早く花を咲かせた。 実家の建物がなくなることは仕方ないとしても、その桜の木が切られてしまうことが、心苦しかった。 だから、旅行者として山形を訪れると、実家のあった場所の前を通る時は、いつも、さーっとなるべく見ないようにしていたのだ。 おばも、同じだったらしい。 「悲しくなるから、行かないようにしていた」と言っていた。 だから、桜の木が残っていることを、わたしもおばも知らなかった。 写真は実家にあった桜の木で、わたしと同い年の従兄弟がこの春撮ったものだという。 植物ってすごいなぁ。 実家の建物がなくなってせいせいしました、とばかりに、思いっきり空に向かって枝葉を広げている。 記憶にあるより、数段大きい。 石垣の向こうまで、自由気ままに伸び伸びと花を咲かせている。 「もう一本、木が見えるの、わかる?」と電話口でおばが言った。 言われてみれば、桜の木の奥の方に、斜めの幹が伸びている。 「それはね、枇杷なんだって。その辺に、よく生ゴミとか捨ててたでしょ。そこに捨てられた枇杷の種から芽がでて、根付いたみたいなの」 そうそう、確かに実家には枇杷の木と柿の木もあった。 でも、枇杷と柿に関しては、建物の取り壊しといっしょに切り倒されてしまっていた。 だけど、親の枇杷はなくなっても、こうして命が繋がれていたのだ。 おばと電話で話しながら、わたしは涙が止まらなくなった。 いつか、おばといっしょに満開の桜を見られる日が来るといいと思った。 おそらく、おばはこの一年、一歩も外に出ていないのだろう。 もともと病気で倒れて家にこもりがちになっていたのが、コロナで、ますます家から出られなくなった。 その影響が、おばの声に如実に現れていて、切なくなる。 母は亡くなってしまったけれど、そのことでおばとは再び交流できるようになったし、実家の建物は取り壊されたけど、桜の木は今年も盛大に花を咲かせている。 それでいいんだな、と思う。 永遠なんて、ないんだし。 3枚の桜の木の写真を見ながら、すとんと納得した。 ところで、オリンピック、まだやるつもりでいるのだろうか? コロナで人々がこれだけ悲鳴をあげている状況で、日常生活もままならないというのに、オリンピックを開催するというのが、わたしにはどうしても賢い判断に思えないのだけど。…

大久保真紀さん

毎朝読む新聞に、大久保真紀さんの名前を探すようになってから、ずいぶん長い月日が経つ。 どんなに小さな記事でも、大久保さんの書かれた記事は、探し出す自信がある。 大久保さんは朝日新聞の新聞記者だ。 大久保さんの書かれる記事は、何かが違う。 温もりがあるというか、魂があるというか。 書き手として、本当に素晴らしいと尊敬する。 わたしなんか、大久保さんの足元にも及ばない。 ずっとずっと、大久保さんの書かれる記事を追いかけてきた。 児童虐待や、冤罪、子どもへの性暴力。 大久保さんは、常に地面と同じ位置から問題を捉え、弱き者の立場に立って声なき声をすくい上げる。 本当に、本当に素晴らしい新聞記者だ。 大久保さんの書かれた署名記事に心を打たれるたび、一読者としてお手紙を書こうと思うのだけど、恥ずかしくて、なかなか書けないままでいた。 けれど、一昨年の秋、朝日新聞社で『ライオンのおやつ』のトークイベントをする際、思い切って、お手紙を書かせていただいた。 わたしも、読者の方からいただくお手紙が励みになるから。 ただただ、自分の思いを届けたいと思った。 その大久保真紀さんが、今回、日本記者クラブ賞を受賞された。 これは本当に素晴らしいこと。 過去には、筑紫哲也さんや鳥越俊太郎さんも受賞されている。 わたしはもう、自分のことみたいに嬉しくて嬉しくて仕方がない。 本日の朝日新聞に、大久保さんの特集記事が組まれている。 その中に、わたしも寄稿文を書かせていただいた。 本当に恐れ多いのだけど。 機会がありましたら、ぜひ読んでください。 デジタルでも、お読みいただけます。 https://digital.asahi.com/articles/ASP4W7FBCP4NUTIL018.html 中学生の頃、新聞記者になりたいと思った時期があった。 でも大久保さんみたいな偉大な新聞記者のお仕事を知ると、自分には無理だったと断言できる。 大久保さんは、しなやかに戦う人だ。 これからも戦い続けてほしい。

山菜ノート

出羽屋さんから、山の宅配便が届いた。 段ボールの中に、山菜がぎっしり詰まっている。 春だなぁ。 ひとつひとつ新聞紙に包んであって、なんだか実家から送られてきたみたいで嬉しくなる。 青コゴミは、ゆがいて、ごま和えに。 赤コゴミは、ゆがいてから細かく切って、胡桃と共に白和にする。 味付けは、オリーブオイル、醤油、ゆず酢。 コゴミの正式名は、「クサソテツ」。 そういえば、以前西表島に行ったとき、ジャングルに、巨大なコゴミみたいな植物がニョキニョキ生えていたっけ。 ソテツと聞いて納得する。 ゆがくと滑りが出て、ちょっと土っぽい味がするのが特徴だ。 βカロテンとビタミンEが豊富で、免疫力を高めてくれるというから、コロナ対策にもきっといいはず。 山うどは、一本を三通りの食べ方でいただく。 まず、チクチクとした毛が生えた皮は、細く切ってきんぴらに。 芽の部分は、天ぷら。 中のところは、透明になるまでよーくゆがいて胡桃味噌で和える。 ツキノワグマやカモシカの好物だそうだ。 どほいなは、今回初めて知った山菜。 鮮度が命とのこと。 葉っぱは天ぷらにするといいらしいので、千切りにして、石垣島のもずくと合わせてかき揚げにしよう。 茎の部分は、中が空洞になっていて、香りが強いから、お浸しに。 昨日の夜から出汁につけてある。 花ワサビは、一分くらい茹でてから、刻んで醤油と味醂につけていただく。 タラの芽とコシアブラは、もちろん天ぷらで! ウコギは、軽くゆがいてからキュッと絞って、ご飯に混ぜ、ウコギご飯に。 今夜は、おにぎりにしておこう。 しどけは、正式名称、モミジガサ。 葉っぱがモミジの形をしているのだけど、毒草のトリカブトと少し似ているから要注意だ。 ほろ苦い味わいが特徴だというけど、おひたしがいいのか、それとも卵と炒めるのがいいのか、悩ましいところ。 その場の雰囲気で決めよう。 他に、カタクリの花も入っていた。 おひたしにするといいらしけど、下剤になるほどの強い山菜なので、今回は鑑賞用として花瓶に活ける。 俯く姿が、可愛らしい。 行者にんにくは、オリーブオイルで炒めてから、ボロネーゼのソースに混ぜてパスタにしたら最高に美味しかった。 今夜のお客様は、オカズ夫妻+黒豆(犬)。 わたしの料理を、いちばん多く食べてくれているゲストだ。 この一年、外食の回数が減った分、こんなふうにお客様を呼んで家で食べる機会が増えた。 家だったら、お酒も飲めるしね。 素敵な夜になりそうな予感がする。 黒豆は相変わらず、ゆりねのお尻を追いかけ回していた。

ご近所さん

二度あることは、三度ある。 ただ今、三度目の緊急事態宣言中だ。 再び、ステイホームの日々。ステイだのゴーだのって、犬になった気分だワン。 ひろえちゃんと、オンラインで飲み会をした。 もう彼女はベルリンを離れ、今はフランスのマルセイユにいる。 ベルリンで使っていたわたしの家具の多くが、マルセイユへ引っ越した。 リビングに敷いていた薄紫色の絨毯を見て、懐かしくなる。 ご近所さんだったのにな。 ベルリンにいた頃は、じゃあ30分後にそっちに行くね、なんてことが、平気で言えた。 みゆきちゃんもご近所で、うちの前の公園に集まって、夕暮れを見ながらビール飲んだりしてたっけ。 そんなの当たり前だと思っていたけど、もう誰もベルリンにはいなくなった。 ひとりは、地上すら離れて、遠い遠いところに行ってしまったし。 あの頃、三人がベルリンにいて他愛もない話題で盛り上がっていたことが、奇跡に思える。 向こうはランチ、こっちはディナーの時間に合わせて乾杯をした。 ひろえちゃんは赤ワインを、わたしは丹波ワイナリーのプシュプシュを飲む。 それぞれ前におつまみを用意して、あーだこうだと言いながら、飲んで、食べて、ゲラゲラ笑う。 楽しかった。 こういう時間って、必要だと痛感する。 不要不急の外出を控えるようにとのことなので、行動範囲はもっぱらご近所だ。 だから、一日に一回、ゆりねを連れて散歩をすることが、いい気休めになる。 この一年で、気さくに話せる犬友もできた。 いろんな犬がいるなぁ。 去年、コロナの真っ最中に生まれたチワワは、大事な幼少期に犬と接する機会が少なかったため、散歩で他の犬と会っても、怯えてしまうのだとか。 そういう影響は、人間だけでなく、犬にも現れている。 この間は、もう足腰が弱って自力では歩けない老犬のダックスフントに会った。 ゆりねが素晴らしいと思うのは、どんな犬にも尻尾を振ってフレンドリーに近づいていくところだ。 ものすごく社交的で、相手にいくら無視されようが、決してめげない。 ものすごく大らかな性格には、本当に感心するし、尊敬もする。 滅多に怒らないのだが、相手が本当に失礼な態度(例えば、いきなり吠え立ててこちらを威嚇してきた時など)、どこの犬かと思うくらいの低い声で、「いくらなんでもその態度は失礼だろ!」というようなことを訴える。 その声は、ゆりねの風貌と全く似つかわしくなく、そのたびに飼い主が度肝を抜いているのだ。 まぁ、そういう声を聞くのは、一年に一回くらいだけど。 ゆりねだって、怒る時は本気で怒る。 振り返ればこの一年、週末のヨガにもずいぶんお世話になった。 定期的に一番よく会っていたのは、ヨガの先生かもしれない。 ヨガのおかげで、生活にメリハリができていた。 今回の緊急事態宣言で、わたしが毎日のように通っている銭湯がどうなるのかまだわからない。 ここも閉じてしまったら、結構、こたえる。 銭湯は、わがオアシスなのに。 今、秋田から芹が届いた。 さすが、産地直送だ。スーパーで売られているなよっとした芹とは気合が違う。…

黒島観光

朝一番の船に乗って黒島へ。 船の席の隣には、トモコと、トモコが5年前にうんだ娘のはーたんがいる。 トモコはお菓子を作る人で、わたしは彼女の作るお菓子の大ファンだ。 勝手に、妹みたいな存在だと思っている。 そのトモコが石垣島へ娘と遊びに行くと知ったのは、ほんの少し前のこと。 トモコと前回会ったのは、彼女が結婚して出産をする前だし、ねーさんにも随分会っていない。 当然、トモコの娘にもまだ会ったことがないわけで、もしかしてわたしが石垣島へ行けば、会いたい人たちにまとめて会える! とひらめいた夜の次の朝には、石垣行きのチケットを手配していた。 そして、びゅん、と石垣島へ飛んだ。 コガラと呼んでいるスーツケースの小さいのには、お土産のドイツパンをぎっしり詰めて。 トモコ&はーたん母娘は、石垣島が初めてだ。 わたしは、4回目か5回目か、ちょっと記憶が定かではない。 とにかく、石垣島でまたねーさんやトモコ、はーたんに会えるのは、最高に幸せなこと。 大好きな辺銀食堂がやっていないのは、ショックだけれど。 コロナのせいなので、仕方がない。 黒島に着いたら、まずは電動自転車をゲットし、ビーチへ。 地元の人が行くというビーチを自転車屋のお兄さんに教えてもらい、早速ペダルを漕ぐ。 トモコ&はーたんコンビは、自転車のふたり乗りが初めて。 一回危うく自転車が倒れそうになったけど、はーたんが踏ん張ったおかげで、なんとか大惨事に至らずに済んだ。 岩と岩の割れ目を、まさに「おぎゃぁ〜」という感じでなんとかくぐり抜けると、そこには美しい海が! 朝の海って、めちゃくちゃ気持ちいい。 トモコとはーたんは、そのまま海へ。 わたしは、まずはホテルでもらった朝ごはんを食べる。 海岸で戯れるふたりの母娘の姿は、何をしていても美しく、サンドウィッチをかじりながら写真を撮ってばかりいた。 こんなにきれいな、優しい海の色には、滅多にお目にかかれない。 朝食を終え、わたしもズボンの裾をまくって、海へ。 はーたんと手を繋ぎ、波打ち際をひたひた歩く。 黒島は、上から見るとハートの形をしている。 人よりも牛の数の方がずっと多くて、のどかな、南の島。 そういえば、『つるかめ助産院』を出した時によく、舞台となっている南の島のモデルは黒島ですか? と聞かれたものだ。 はーたんと遊びながら、ふと、そのことを思い出した。 そっか、黒島のことだったんだ、と。 もうこのままずっと一日中そのビーチで過ごしたっていいくらい気持ちよかったし、もしひとりで来ていたら絶対にそうしていたと思うのだけど、せっかく電動自転車を一日借りたので、島をサイクリングする。 あっちにも、こっちにも、牛、牛、牛。 方向音痴のトモコは、全然戦力にならん! と思っていたら、途中から雲行きが怪しくなり、地図係をトモコに任せる。 小学校を見に行ったり、海岸で石拾いをしたり、野苺を見つけたり、寄り道をしながら気持ちよく島を自転車で走る。 気温はもうかなり高くて、暑いのだけど、ふと木々が生茂るジャングルの脇を通ると、途端に空気がひんやりする。 ふわぁっと甘い香りがするのは、月桃の花。 海亀研究所へ着いたのは、お昼ちょっと前だった。 黒島は海亀が産卵する島として知られており、春先の今がちょうど産卵の時期に当たる。 人生で一度立ち会ってみたいことのひとつが、海亀の産卵だ。…

命のしまい方

飛行機の離陸の瞬間が好きだ。 ふわっと機体が持ち上がって、みるみる地面が遠ざかっていく。 眼下の海には柔らかい襞のように波がうねり、その上に船の白い航路が伸びている。 さざなみに反射する光はキラキラ輝いて、地上の現実世界が、どんどん、おもちゃのような、作り物のような、模型のような、そういう物に見えてくる。 機体はすぐに雲を通って、やがて雲を下にして飛ぶようになる。 一昨日は、窓から見えた富士山の姿に感動した。 空から見ると、富士山すら小さく見える。 富士山を見るたびに感じるのは、あの山の頂上に自力で登ったことがあるもんね〜、という小さな誇り。 やっぱり、頑張って登ってよかったと思う。 それでも、空から見れば、日本一高い富士山だって、地球の虫刺されの跡くらいにしか見えない。 機内でずっと「死」について考えていたのは、佐々凉子さんの『エンド・オブ・ライフ』を読んでいたから。 終末期をめぐるノンフィクションで、内容が本当に素晴らしい。 それぞれの人の、それぞれの命のしまい方。 引き出しをそっと元に戻すように命を閉じる人もいれば、出していた引き出しをもっと引いて最後はその引き出しごと床に落とすようにして命を終える人もいる。 自分が引き出しを引いていたこそすら忘れて、開けっ放しのまま旅立ってしまう人だって多い。 いくら自分ではこうしようと思っていても、そうはできないことがほとんどで、命のしまい方というのは、本当に難しい。 でも、イメージトレーニングはできるはずで、こういう本を読んだりしながら、自分だったらどういう命のしまい方をしたいかを常日頃から考え、思い描いておくことは、何かしら効果があるような気がする。 わたしは、この本の中に出てくる佐々さんのおじいさまの命のしまい方が素敵だし、理想的だと感じた。 おじいさまは、さいご、ご自分の大切な人にひとりずつ会いに行き、それからほどなく亡くなったという。 きっと、ご自分の死期がおわかりになっていたのだろう。 人間に本来備わっているはずの動物的な直感を失わずに生きていると、そういうことも可能なのかもしれない。 わたしもそうありたいな、と思う美しいしまい方だった。 もしこの本を先に読んでいたら、『ライオンのおやつ』は書けなかったというか、書かなかったかもしれない。 ちょうど着陸の間際に本を読み終えたのだけど、窓からふと下を見た時の、島の姿と陽の光があまりにきれいで、参ってしまった。 わたしの想像する死というのは、飛行機の離陸みたいなもの。 あれを、ものすごく早くした出来事が起きるんじゃないだろうかと、期待している。 そして、気づかないうちに、また地上に戻ってくるんじゃないか、と。

林檎と蜜柑

今は開放期なので、こころを外に向け、なるべくいっぱい外の空気を吸おうと行動している。 (コロナには、十分気をつけつつ。) 「かいほう」には、「開放」も「解放」もあって、いつも、どっちの漢字を当てたらいいのか、少し悩む。 「開放」は、窓や戸を開け放ったり、制限などを設けず、自由に出入りできるようにすること。 「解放」は、束縛を取り除いて、自由な行動ができるようにすること。 と、辞書にはある。 かなり接近しているけれど、でも微妙にちょっとニュアンスが違う。 じっくり考えて、やっぱり「解放」の方がふさわしいと思った。 今、わたしはこころの窓を目一杯あけて、新鮮な風をこころの奥深くまで入れて風に晒している。 先週は、箱根と鎌倉に行ってきた。 ようやく復旧した箱根登山鉄道に乗り、宿を目指す。 すごい、すごい。 山の木々が、ぐわーんと両手をあげて伸びをしているみたいに、新緑が芽ぶいていた。 山が、地球が生きているのを実感する。 宿は、外のお風呂が気持ち良かったので、名物の本そっちのけで、時間の許す限り、湯船で手足を揺らしていた。 朝も、早く目が覚めたので、周辺の梢から聞こえてくる鳥たちの声を聞きながら、湯浴みをする。 自分のこころと体が、外へ向けて開かれていくのを実感した。 気心の知れた女友達との旅は、楽しい。 鎌倉で迎えた二日目の朝は、久しぶりにパラダイスアレーのニコニコパンをいただく。 箱根も鎌倉も、どっちも大好きだなぁ。 すっごくいい気が流れている気がする。 最近の行動を振り返ると、どうも蜜柑に縁がある。 箱根でも、たくさん蜜柑の木を見たし、その前に行った瀬戸内は、まさに蜜柑王国だった。 力強く黄色を放つ柑橘類は、見ているだけで元気になる。 そっか、太平洋側は、蜜柑なんだな、と改めて気づいた。 それに対して、日本海側は、林檎のイメージ。 日照時間とかの関係なのだろうけど、そう、きっぱり別れている。 わたしは日本海側で育ったから、蜜柑のまぶしさは、ハレの印象だ。 反対に、林檎はケの果物。 どっちも好きだけれど、蜜柑に手を伸ばす時、ちょっとよその食べ物に触れるような新鮮さがあるのは、原風景にその眩しさがなかったせいだろう。 箱根に行く前、瀬戸内の柑橘類で蜜柑のゼリーを作った。 一回目はゼラチンの量が多すぎて硬めの仕上がりになり失敗したが、二回目はゼリーの硬さがゆるゆるの理想的なゼリーができた。 蜜柑のゼリーは、大量に柑橘類が手に入った時など、年に一回くらい作る。 甘いのからちょっと酸っぱいのからほろ苦いのまで、いろんな種類の蜜柑が口の中に広がり、口の中にパーっと太陽の光が広がるようだった。 そしてわたしは、明日から石垣島へ。 本当に久しぶりだ。 石垣島は、蜜柑でもなく、林檎でもなく。 あえていうなら、パイナップル? 久しぶりに、ねーさんと、そして妹にも会える。妹のムスメにも会える! ゆりねは今、サングラスをかける練習をしている。…

卒業検定

昨日は、卒業検定だった。 あまり大きな声では言いたくないけど、2回目である。 1回目は、方向変換でポールにぶつかり、一発アウト。 これまで、一度だってポールに触れたことなどなかったのに。 一時間の補習を受けて、もう一度チャレンジした。 車の免許を取ろうと思ったのは、去年、八ヶ岳に土地を見つけたから。 そんなつもりはなかったのだが、なんだか流れに乗っているうちに、そうなっていた。 そこに、小さな小さな山小屋を建てようと思っている。 歳を重ねるにつれて、水と空気のきれいな場所に身を置きたい、という気持ちが強くなった。 窓の向こうに、美しい景色を見ながら物語を紡ぎたい。 土の上を、歩きたい。 ベルリンから送った家具もある。 ベルリンと、気候的にも、文化的にも近い場所を国内で探した結果、八ヶ岳山麓に行き着いた。 気候的には、ベルリンよりもっと厳しくなるけれど。 わたしは、寒い冬が決して嫌いではない。 そのためには、どうしても車の免許が必要だったのだ。 来年からは、東京と八ヶ岳を行ったり来たりすることになる。 途中まで電車で行くにしても、八ヶ岳周辺では、車がないと何かと不便だ。 土地の条件は、歩いて行ける場所に、素敵なカフェと湖があること。 ベルリンで、すっかり湖が好きになった。 自分が使わない時は、お世話になっている編集者さんたちの保養所みたいな感じで、気軽に開放できたらいい。 ゆくゆくは、同じ敷地に、アーティストが制作に没頭するための、夏だけの簡素なサウナ小屋も建てたい。 でもまずは、母家の方を建てるのが先だ。 今、建築家と相談しながら、計画を進めている。 わたしは自分の人生にすごく満足しているし、もし明日命が終わるとしても悔いはない自信があるけど、人生がいつ終わるかはわからないし、もしかすると、この先、もっともっと長く続くのかもしれない。 そう思った時、まだやったことのないことをやってみたい、と考えたのだ。 そして、そうだ、山に住んだことがないな、だったら山に住んでみよう、とひらめいた。 山に住むとなれば、体力も気力も十分な時じゃないと、難しい。 だったら今だ。 今始めないと、間に合わない。 でもまさか、この歳で教習所に通うことになるとは、思ってもみなかったけど。 人生、本当に何が起こるかわからない。 昨日の卒業検定は、ギリギリだけど、合格しました。 よかったぁ。 まずは、ひと安心。 あとは学科の試験をクリアしなくちゃ、だ。 これがまた、難しい課題ではあるのだが。 自由になるというのは、選択肢が増えることなんだな、と改めて思う。 車の運転ができるようになったら、わたしの移動の選択肢が一つ増えて、自由度が増す。 自由と義務は、背中合わせだ。…

みんなのワイナリー

初めて大三島を訪ねたのは、2017年の3月。 建築家の伊東豊雄さんが島起こしの一環として、レモンの耕作放棄地に葡萄の苗木を植えて、その葡萄で瀬戸内産のワイン造りに取り組んでいると知り、興味を持ったのがきっかけだった。 伊東さん曰く、大三島は日本で一番美しい島。 ちょうど『ライオンのおやつ』の構想を考えているときで、そのイメージと大三島が重なり、さっそく取材に行ったのだ。 その時、みんなのワイナリーのKさんに島を案内していただき、お話を伺ったり、きれいな景色を見せていただいたりした。 『ライオンのおやつ』には、その時に目にした光や口にした食べ物が、いろんな所に散りばめられている。 だから、瀬戸内を訪れるのは、ちょうど4年ぶりだった。 今回は、「雫」の心情をなぞるような気持ちで、もう一度島の景色を見ることができた。 一日目は、広島の三原港から船に乗って、生口島へ。 生口島から自転車を借りて、多々良大橋を渡り、大三島の大山祇神社を目指した。 前回は車での移動だったし、初めての土地だったのでわからないことだらけだったけれど、自転車で、しかも前半はひとりだったので、好きな時に好きな場所で立ち止まることができる。 自転車を止めては、写真を撮ったり、深呼吸したり、おやつを食べたり。 丸一年コロナで家にこもっていたこともあり、行く先々でものすごい開放感を味わった。 海沿いの道をサイクリングしていると、景色がどんどん変わっていく。 海の中に、ぽこぽこと島が浮かぶ光景は瀬戸内ならではで、本当にどこを切り取っても美しくて、ため息が出る。 久しぶりに嗅いだ海の匂いは、命を凝縮させたスープそのものだった。 風も気持ちよく、所々に桜が満開で、さざなみがキラキラ輝いて、最高の時間を満喫する。 特に、橋の上から眺める海と島の景色は最高だった。 その日は出来たばかりの銭湯のあるお宿に泊まり、夜は近所の商店街にあるお店に行って、たこ天卵とじ丼を堪能した。 二日目は、また自転車を借りて、今度は生口島の瀬戸田から因島の土生港までサイクリングし、そこからは船に乗って今治へ移動した。 船って、好きだなぁ。 船の中で船員さんが切符を集める時、制服姿の高校生には「おかえり〜」と声をかけているのも、なんだか微笑ましかった。 三日目は、今治市民会館で伊東豊雄さんとの対談があり、その後は松山に移動して、みんなのワイナリーでできたワインの試飲会に参加した。 久しぶりに、Kさんにもお会いする。 Kさんとの出会いなかったら、「田陽地くん」は登場しなかった。 それにしても、みんなのワイナリーで作られたワインが、めっちゃくちゃおいしくて感動した。 香りがよくて、味わい深く、正直、こんなにおいしいワインが日本でもできるんだ! とびっくりした。 普段からなるべく日本のワインを飲むようにしているし、おいしい国産ワインは増えているけれど、わたしは今まで飲んだ国産ワインでは一番好きな味だった。 道後温泉にある旅館、うめ乃やさんで出される地のものを使ったお料理もしみじみと五臓六腑に染み渡り、至福のひととき。 みんなのワイナリーでは、苗木のオーナーを募り、そのお礼としてワインが送られてくるシステムだ。 わたしもその場で早速オーナーになる申し込みをした。 まだワイン作りをはじめて五年足らずで、こんなにレベルの高いワインを作っているのだから、将来がすごく楽しみだ。 瀬戸内ワインを世界に、というのも決して夢ではない気がする。 そして、建築という視点から、島全体を考え、地面を整えることがはじめて、ワインを生産するという壮大な物語を、実際に実行できる伊東豊雄さんという人は、本当に素晴らしいと思った。 わたしは心から、伊東豊雄さんを尊敬する。 そんなわけで、3泊4日、思う存分瀬戸内を堪能し、たくさんのエネルギーをいただいて東京に戻った。 おまけ) 瀬戸内でおいしかったもの。 生口島で食べた蛸天卵とじ丼、生ワカメのお味噌汁、今治で食べたジャコカツ、生搾りのポンカンジュース、白楽天の焼豚玉子飯、松山・道後温泉の旅館「うめ乃や」さんのお食事、鯛のしゃぶしゃぶ 要するに、全ておいしかったのです。…

選択的夫婦別性

なんでなんですかねぇ。私には、どうしてもよくわからないのですが。 だって、選択的、なんですよ。 何も、全員が全員、別姓にしなくはいけません、という法律ではないのです。 同姓にしたい夫婦は今まで通り同じ姓を名乗ればいいし、別姓にしたい夫婦は別姓も選べますよ、という、選択肢の幅を広げましょう、という提案。 これに反対するってことは、つまり、見ず知らずの隣の家の夫婦に対して、「あなた達も、夫婦で同じ姓を名乗らなくてはいけません」と強要することなのだ。 それは、めちゃくちゃ強引な押し付けだと思うんだけどなぁ。うーん、よくわかりません。 それを言うなら、ですよ。 姓の選択の幅に較べて、下の名前の自由度と言ったら、半端じゃない気がするのだ。 例えば、「月」と書いて、「るな」と読ませる、とか。 「紅葉」と書いて、「めいぷる」とか。 「一心」で「ぴゅあ」。「翔馬」で「ペがさす」。「七音」で「りずむ」。 調べたら、出てくる、出てくる。 もう、〇〇とかけて、△△ととく、みたいな。ほとんど謎かけというか、言葉遊びというか。クイズだ。 それはそれは、想像の翼全開で、自由以外の何でもない。 そのことに対して、私に特別な意見があるわけではなく、それは、それが許されているのだから、親の責任のもと、その子に最大限ふさわしい名前をつけてしかるべき、と思っているのだけど、その、苗字の不自由さと下の名前の自由さのアンバランスが、まるでめちゃくちゃだなぁと感じるのだ。 下の名前の自由さから察するに、大事なのは、漢字の表記ではなく、それをどう読ませるか、だ。 ということはですよ、例えば、「鈴木」と書いて、読みは「サトウ」にする、なんてこともありなんじゃないか、と思えてくる。 そうすれば、結婚して不本意ながらも「鈴木」さんになった人が、いえいえ、これは鈴木と書いて「✖️✖️」(旧姓)と読むんです、と申し出れば、旧姓を引き継げたりしないのだろうか? いや、多分無理なんだろうけど、下の名前で行われていることは、そういうことだ。 選択的夫婦別姓に反対している方達の意見を見ると、家族の絆や一体感を危うくしてしまう恐れがある、とのこと。 けれど、同じ姓を名乗ることで家族の絆が強まるのなら、そんなに簡単なことはない。 先日、岡山県議会が出した、親子別姓が子どもの心に取り返しのつかない傷を与える、という意見書も、はて? という感じで、よく理解できませんでした。 取り返しのつかない傷、って?? 同姓だけといつも夫婦喧嘩している親と一緒に暮らすのと、別姓だけと仲むすまじい親と一緒に暮らすのと、さて、子どもにとってはどっちが幸せなんでしょうか? 日本に健全な個人主義が根付かないのも、きっとこういうところにも原因があるんだろうなぁ、と思ってしまう。 私も去年、姓が変わることでどんなに不便を被るかを思い知った。 名前というのは、その人そのもの、アイデンティティーだから、結婚する、というただそれだけの理由で否応なく夫婦のどちらかが姓を変えなくてはいけない、というのは、かなり強引な気がしてしまう。 姓に限らず、いろんな生き方があって、いいと思うのだ。 私にとっては、夫と別居することも、元夫と同居することも、どこにディスタンスの重点を置くかの違いだけで、中身としては同じようなものだと思っている。 夫婦で別の姓を名乗ったっていいと思うし、同性同士が結婚し、家族になるのだってありだと思う。 たとえ血が繋がっているからといって、あまりに理不尽な要求を突きつけてくる親や兄弟姉妹がいる場合は、それしか解決策がないのであれば、縁を絶つことだっていたしかたない。 要は、個人個人が心と体の健康を保ち、いかに幸せを感じながら自分の人生を全うできるかが全てであって、それを横から他人が、自分の生き方や考え方と違うからという理由で、いちいち口出しするのはどうなんでしょうね? 国がすべきことは、法律で規制することではなく、法律でいろんな人の生き方の自由を保障すること、だと思うんですけどねぇ。

ご機嫌

久しぶりに外のお店で食事をすることになった。 もう長いこと、自分で作った料理を家で食べている。 コロナが広がる前はもっと頻繁に外で食事をしていたけれど。 今では外食自体が、非日常の扱いだ。 ちょっと美味しいものを食べたいな、というときに、真っ先に思い浮かぶ店がある。 旬のお野菜を丁寧に料理して、美しい器でもてなしてくれる女性店主の店だ。 店内には、彼女のいける楚々とした花が飾ってあって、美しい。 私は彼女の作る料理がとても好きだし、誰かと美味しい時間を共有したい時は、まずこの店に電話をする。 人気店なので、なかなか予約は取れないのだけれど。 先日は、ラッキーなことに席を確保することができた。 通常、夕方5時からのオープンなので、ちょっと早めに着いても大丈夫だろう、と勝手に判断したのは私だけど、20分前くらいに着いたら、店にはまだ鍵がかかっていた。 これは後から気づいたのだが、どうやら、今はコロナの影響で、客数を絞り、予約は私たち2人だけだったのだ。 だから店主は、予約時間の6時に合わせて店を開けようとしていたらしい。 「席に座っていただくことはできますが、本当に何も、飲み物もお手拭きもお出しすることができませんが、それでもいいですか?」 仕込み真っ最中の店主が、早口で告げる。 全然構わないので、それで中に入れてもらったのだが、その声のトゲトゲしいことといったら、もう。 6時近くになり、ようやく食事がスタートしたものの、どうも店主のご機嫌がよろしくない。 言葉尻は丁寧なのだが、明らかに目が三角に釣り上がっている。 通常営業の時は、ホールを担当するスタッフもいたので、今は時短営業に合わせて、ご自身だけで中も外も切り盛りされているようなのだ。 けれど、こちらとしては、店主の機嫌を損ねるのではないかと、飲み物の注文をするのでも、いちいち気を遣ってしまう。 実は、こういう場面に遭遇するのは初めてではなく、結構な確率で、店主はいつもトゲトゲしている。 いや、本人にその意識はないのだろう。 すごく真面目に、ご自分の理想とする料理を、理想とするタイミングで出したい、それだけなのだと思う。 ただ、完璧を目指すあまり、そうならない状況になったとき、パニックになってしまうのだ。 気持ちはわかるけどさぁ。 でも、そこにほんの一握りの余裕があるだけで、客側の居心地としては、だいぶ違ってくると思うのだ。 途中、予約の電話がかかってきた。 なんとなく耳に入ってくる会話を聞いていると、どうやら電話をかけてきた人は、6時半から食事をしたいらしい。 けれど、食事を8時に終わらせるには、かなりのテンポで料理を食べなくてはいけなくなる。 店主は、そのことを気にしている様子だったのだが、 「長年連れ添ったご夫婦ですと、その時間でも終わるんですけどね。会話が弾みませんから」 めちゃくちゃ面白いことを、さらりとおっしゃった。 私はおかしくておかしくて、吹き出しそうになるのを必死で我慢。 店主はきっとこの時も、自分が面白いことを言っているなんて、微塵も思っていないのだろうなぁ。 8時になる10分前くらいで、このままでは8時までにデザートまでいけません、とやんわり忠告される。 そっか、8時で店を閉めるというのは、やっぱり大変なことなんだなぁ、と実感した。 ラーメン屋さんとかだかったら、客もささっと食べて終わるけれど、コースで出すような店は、食事時間を2時間とっても、かなり厳しい。 5時から食事を始めればゆっくり楽しめるけれど、みんながみんな、5時に店に入れるわけではない。 確かに、ちょっと背中を押されながら食べているような感覚は否めなかった。 やっぱり、せっかくのおいしいお食事は、ゆっくりと味わいながらいただきたい。…

修学旅行

一昨日、都立高校の合格発表があって、無事、ららちゃん合格のお知らせが届く。 よかった、よかった。 ものすごく成績が優秀で、希望すれば推薦枠でかなりのレベルの高校に行けたというのに、本人の強い意志で、あえて困難な道を選んだという。 そういうところが、本当に偉いのだ。 心から、尊敬してしまう。 わたしだったら、受験勉強をするのが嫌だから、さっさと推薦で決めてしまうと思うんだけど。 小さい頃から、この子はなんか違うなぁと感じていたけど、結局そのまま15歳になっても、本質的な賢い部分は変わっていない。 コロナがあったり受験があったりで随分会っていないけど、電話口で話す口ぶりはもうすっかり大人だった。 そのららちゃんが、楽しみにしていた修学旅行。 本当は去年行くはずだったのに、コロナの影響で行けなくなり、ようやく、卒業間際の来週、行けるようになったと大喜びしていた。 去年誕生日にプレゼントした京都のガイドブックを見ながら、行きたいお寺や神社を決めたらしい。 祇園の旅館に泊まることも決まっていて、グループに分かれてタクシーで移動するのだと声を弾ませていた。 大人はまぁいいとしても、一番外に出たり人と会ったりしたい時に我慢しなくてはいけない子どもたちは、本当に可哀想だな、と思っていた。 部活だって満足にできなかっただろうし。 なんとなく不完全燃焼の感じは否めないと思う。 だから、最後の最後、受験を終えて、卒業記念旅行みたいな感じで修学旅行に行けるのは、最高の思い出になるはず。 わたしも、おいしい洋食屋さんやうどん屋さんを教えてあげたりして、修学旅行、行けるようになって本当によかったねぇ、と話していたのだが。 どうやら昨日、中止が決まったらしい。 きっと先生方も、なんとか子どもたちに修学旅行をさせてあげたいと知恵を絞り、奔走したのだろう。 そして、このタイミングでならギリギリ行けると判断されたに違いない。 けれど、首都圏の非常事態宣言が延期されたことで、泣く泣く、そういう結論に至ったのだと思う。 楽しみにしていた子どもたち、本当に本当に気の毒だ。 もちろん、コロナウィルスを広げないための最大限の努力は必要だと思うけれど、今までずっと我慢を強いられてきたのだから、行かせてあげたかった気がする。 こうなってくると、悔やまれるのは、やっぱりGo Toキャンペーンだ。 あのとき無闇に人の動きを煽ったりしなければ、今の状況も違っただろうにと思われて仕方がない。 結局、そういう皺寄せは、いつだって弱い立場や、若い人たちのところにいってしまう。 台湾のIT相、オードリー・タンさんみたいな優秀な人が、日本の政治でも中枢で活躍してほしいけど。 現状を見る限り、日本でああいう経歴の人が政治家として受け入れられるようになるのは、いつになることやら、だ。 今朝の新聞で、篠田桃紅さんが亡くなられたことを知った。 作品もエッセイも、好きだったなぁ。 107歳。 生き様が、惚れ惚れするくらい格好よかった。 ご冥福を、お祈りします。

どうなることやら

テレビのニュースを見ると悲しくなるというか、虚しくなってしまうのであんまり見ないようにしているのだけど、今日は夕方お風呂に行ったら、ちょうどロビーのテレビに菅さんが映っていた。 権力を掌握して、人事権を牛耳って、自分の都合のいいようにやった結果、自分をサポートしてくれる優秀な人がいなくなって、まさに、結果的に自分で自分の首をしめている図だった。 誰よりも自分の方が精通しているなんて思い上がるのは自惚れもいいところで、専門家の意見に耳を傾けたり、優秀な人たちの力を総動員して、もっともよき方向へと舵を切っていくのが指導者の役目だと思うのだけど、どうやら日本ではそんな当たり前が当たり前でなくなってしまった。 自分の意見にハイとしか言わないイエスマンだけで周りを固めたら、それこそ裸の王様で笑い者になるのになぁ。 忖度がはびこって、せっかく優秀な人たちがたくさんいるはずなのに、それを活かせないというのは本当に国としての損失だと思う。 この間は、女性蔑視発言とかでオリンピック組織委員会のトップだった方が辞められたけど、ああいう方がそういう地位についていたってことがそもそもおかしくないかと。 今までだって、さんざんひどい発言を繰り返している。 老害って言葉を最近よく耳にするようになったけど、老害っていつになったら無くなるのだろう。 若い世代が歳を重ねて、権力を持つようになったら、やっぱり新たな「老害」が生まれるのか、それとも老害はもう無くなるのか、どっちなんだろう。 それはさておき、わたしは粛々と教習所に通っている。 今日は、教習所内で縦列駐車と車庫入れの練習をした。 いつもの優しい女の先生に、奇跡的に入っていますと、褒められる。 でも、この優しい女の先生が、もうすぐ辞めてしまうのだ。 残念! 彼女のおかげで、ここまでがんばれたというのに。 どうなることやら。 もう三月だぁ。 今夜も、お月さまがとってもきれい!

初詣へ

昨日の夜、ムラムラとどこかへ行きたい気持ちが膨らんで、抑えられなくなった。 そういえば、まだきちんと初詣に行っていなかったことを思い出した。 元日に近所の氏神様へ行ったものの、長蛇の列に並ばなくてはいけなかったので、遠くから、こころの中だけで手を合わせてお参りを済ませていたのだ。 今は、旧暦のお正月。 ならば神社に初詣に行こうと思い立ち、今朝、家を出た。 昨夜の東北での地震の被害が気になりつつ、駅を目指す。 思い起こせば、こういうふらりとした外出、めっきり減っている。 不要不急かどうか線引きが難しいところだけれど、日曜日の朝なら人もそんなにいないだろうし、電車に乗っている時間も十分くらいだから、良しとしよう。 初めて行く神社だ。 特急でたった二駅だったけど、なんとなく遠足の気分を味わう。 見事に咲いた枝垂れ梅では、ヒヨドリたちが夢中で朝食タイム中だった。 爽やかな空気を体いっぱいに吸い込んで、朝の気配を満喫した。 道端に咲く水仙が、とても可愛い。 駅から続く参道には立派な欅の木がそびえ、歩いているだけで気分が良くなる。 本殿にてお参りを済ませた後は、人の形の紙に自分の名前を書いて息を吹きかけ、川に流す。 それだけでも、身についていた悪い気が流されていったようで、スッキリする。 家から近いし、気持ちのいい場所だし、これから、毎月一日、お参りに来るのもいいかもしれない。 帰りは、近所の無人販売所で元気な鶏さんの生みたて卵を買って帰ってきた。

手作りアイス

昨日は、豆をまかなかった。 今年は2月2日が節分とのことで数日前までは張り切っていたのだけど、結局は何もせず。 代わりにさっき、炒り大豆を一粒だけ口にした。 これは、ゆりねのおやつ用。ちょっと、しけっちゃってたけど。 そして、今日は立春。 夕方、暗くなる時間もだいぶ後ろに伸びてきた。 なんでも手作りするのがいいと思っているわけではなく、餅は餅屋に任せるのが一番だとは思うのだけど、最近、立て続けにアイスクリームを作っている。 お正月用に買ったきな粉を、なんとか無駄にしない方法はないかと考え、アイスクリームにしてみようと閃いたのだ。 アイスなんて、面倒だし、と思ったが、調べてみたらめちゃくちゃ簡単で、特別な材料もいらない。 卵と生クリームと砂糖さえあればできるというので、軽い気持ちで作ってみた。 そしたら、びっくりするくらい美味しかった。 しかも、きな粉がいい感じを出している。 きな粉アイスなんて、体にも良さそうだし、何よりも、自分で作っているから材料がわかって、安心だ。 それで今度は、チョコアイスに挑戦してみた。 こちらも、ペンギンが買ってきたチョコレートが思いのほか甘く、そのまま食べるにはちょっと、ということで、なんとか無駄にしたくないという思いから作ってみた。 きな粉アイスには卵を使ったけど、今回は卵を無しにし、生クリームと牛乳だけで作ってみる。 これも、びっくりするくらい美味しくできた。 生クリームを泡立てて、チョコを溶かした牛乳と混ぜ、冷やすだけ。 冷やす途中で、何度か、かき混ぜて空気を含ませるというその一手間はかかるけれど、それさえ面倒に思わないのであれば、アイスは断然、家で作った方が美味しいし、安上がりだ。 しかも、ラムレーズンをのせちゃったりなんかして。 ベルリンでは手軽に美味しいアイスが食べられたのだけど、それと同じレベルのアイスを日本で食べようとすると、かなりお高くなってしまう。 しかも、わたしは、そんなにいっぱいは食べたくない。 食後に、ちょこっとだけ口に含むのが理想なのだ。 家で手作りすれば、100ccくらいの小さめの紙コップに小分けにして、一回分ずつ入れておける。 次に作ろうと思っているのは、イチゴアイスだ。 去年食べて感動したイチゴを今年も取り寄せたいと思っているのだけど、結構な量が届く。 だから、果物がたくさんあって食べきれないときは、アイスにしちゃって冷凍庫に保存しておくのも、ひとつの手かもしれない。 今日は、大阪から生の麹が届いたので、これから手前味噌を仕込む。 ここの麹は、香りがいい。 今回は2回分なので、結構な量だ。 やっぱり日本だと、冬の間に多めに仕込んで熟成させる方がいい気がする。 そんなわけで、先月に続き今月も、せっせと味噌作りに励んでいる。 今回使う豆は、山形の青大豆、秘伝豆。 秘伝豆だと、煮る時間がちょっとで済む。

ひのはらセット

空は春、地上は冬。 でも公園の花壇には、ぼちぼち水仙の花が咲いている。 川沿いの桜の木も、ぷくっと蕾を膨らませて春の訪れを待っている。 ひのはらセットが届いた。 東京都檜原村。 そこに移り住んだ知り合いが送ってくれる、通称ひのはらセット。 いつものパンと舞茸に加えて、今回はひのはら紅茶となつはぜのジャムも入れてくれた。 なつはぜ。 そんな名前の植物、知らなかった。 調べたところ、日本に古来からある和製ベリーだという。 山の黒真珠とも言われているのだとか。 なつはぜのジャムは、シュニッツェルに添えて食べてみた。 シュニッツェルは、ドイツ版トンカツみたいな肉料理。 そろそろ、シュニッツェルが恋しくなってきた。 豚肉(もしくは、仔牛肉)を薄く薄く叩いて、それに衣をつけて油で揚げ焼きにする。 表面積が大きいので、初めて見るとたじろぐけれど、その分薄いので(昔は日本で紙カツと呼ばれていた)、結構ぺろりと食べられる。 で、ドイツでシュニッツェルを頼むと、かなりの確率でレモンと甘いジャムが添えられて出されるのだ。 お肉に甘いジャム?!? と眉を顰めそうになるけど、結構これがそれほど違和感がなかったりする。 舞茸は、半分はきりたんぽ鍋に入れ、半分はペーストにした。 ペースト、他の種類のキノコを入れてもいいのだけど、わたしはいつも、舞茸だけで作ってしまう。 基本的には、ニンニクと鷹の爪と舞茸をオリーブオイルでソテーして、それをブレンダーで撹拌するだけなのだけど、これがまた味わい深くて美味しい。 たくさん量があって食べられない時なんか、こうしておけば長持ちする。 パスタソースにしたり、野菜炒めの隠し味にしたり、いろんな使い方ができるけれど、一番のお気に入りは、パンにつける食べ方だ。 しかも、一緒に送られてくる檜原村のパンとの相性が、すこぶるいい。 行列ができるような人気のパン屋さんのパンとか、これまで美味しいと言われているパンをたくさんいただいてきたけれど、ある程度の大きさのパンは、必ず途中で残ってしまい、慌てて冷凍庫にしまうのが常だった。 でもこの、ひのはらパンに限っては、すぐに消費してしまう。 なんていうか、気負っていない感じがいいのだ。 これを軽くオーブンで温めて、舞茸ペーストをつけて食べれば、これだけでご馳走になる。 そして、今回びっくりしたのは、ひのはら紅茶。 東京から移り住んだひとりの女性が、耕作放棄されていた茶畑を甦らせ、長い年月をかけて地元産の紅茶を作り上げたらしい。 変な癖が少しもなくて、おかしな言い方だけど、清らかな水を飲んでいるような澄み切った味だった。 村っていう、響きが好きだ。 だから、檜原村もずっと気になっていた。でも、行ったことがなかった。 調べたら、気持ちよさそうな滝がいくつもある。 温泉もあるし。 車の免許が取れたら、まずは檜原村に行ってみようかしら。

おじいさんと犬

ゆりねを連れて、近所を散歩していた時のこと。 人懐っこい芝犬が、近づいてきた。 ペンギンが手を差し出して挨拶していると、飼い主のおじいさんがいきなり言ったそうだ。 「パパになってよ」 そして、自分の持っているリードを渡そうとした。 聞けばおじいさん、心臓の手術をしたのだという。 もともとの持病があったところに、最近、がんも見つかった。 さすがにもう自分の力ではこの子を飼えないと判断し、こうやって散歩しながら、新しい飼い主を探しているのだとか。 芝犬は6歳で、とても愛想がいいらしい。 身につまされる話だった。 連絡先は聞いたの? オス? メス? 名前は? 矢継ぎ早に質問するも、ペンギンはわからないと首を傾げる。 一瞬、うちで引き取ってあげたら、という考えが頭をよぎった。 それが無理でも、おじいさんが困っている時、一時的に預かるとか、何か力になれることがあるかもしれない。 おじいさんも不安だろうけど、芝犬だって何かを察して、不安に感じているかもしれない。 せめて連絡先でもわかればと、わたしも、近所を歩くたびキョロキョロ見回しているけれど、それらしきおじいさんと犬の姿にはまだ出会えない。 いい里親が見つかって、早くおじいさんも芝犬も、安心して暮らせるようになればいいのだけど。 おじいさんと犬といえば、先日、近所に買い物に出かけたときのこと。 横断歩道を、白い犬がリードをぐいぐいと引っ張って、前へ前へと歩いている。 飼い主の男性は、完全に飼い犬に操られている格好だった。 ずいぶん躾のなっていない犬だなぁ、と遠くから呆れて見ていたら、なんのことはない、うちの犬だった。 さて、今わが家のブームは、『バビロン・ベルリン』だ。 これは、ドイツで製作されたテレビドラマシリーズで、莫大な製作費をかけ、壮大なスケールで作られたもの。 舞台となるのは、今からちょうど100年前に存在したワイマール共和国で、第一次大戦に敗れた後の1919年からナチスが台頭する1933年まで、14年間ドイツに存在した時代のお話だ。 当時もっとも進んでいたといわれるワイマール憲法のもとで、人々は自由を謳歌し、映画や演劇、ラジオなど、多くの文化が花開いた。バウハウスの誕生したのもこの時代。 ベルリンにはたくさんのカフェやキャバレーが誕生し、夜な夜な煌びやかなショーが開催され、ベルリンの黄金時代と言われている。 ストーリー展開も映像も破格というか掟破りで、度肝を抜く展開に、毎回ハラハラさせられる。 これがテレビで放送されたなんて、驚きもいいところだ。 間延びしていると感じさせる場面がどこにもなく、それでいて、その時代を包み込んでいた退廃的なムードが随所に表現され、キャバレーでのダンスのシーンも見応えがあり、映像も美しく、この外出自粛期間中家にこもって見るのにはうってつけだ。 舞台がベルリンなので、見覚えのある風景や建物、通りが出てくるのもたまらなく、この数日、やめられなくなってエピソード1と2を合わせて、合計16本を一気に見てしまった。 なんならもう一回最初から見てもいいくらい。 そして早く、エピソード3も見たい! ナチスが台頭する前の時代にドイツで何が起きていたのか知るにはとてもいい作品で、ドラマとはいえ、社会的な背景などは、かなり史実に基づいて作られている気がする。 まだの方は、ぜひこの機会に。 おすすめです。

同世代

丑年生まれのわたしは、今年が年女だ。 そして、今7歳のゆりねは、人間の年齢に当てはめると、年齢かける7なので、わたしとほぼ同世代になる。ということに、最近気づいてハッとした。 お互いに中年で、すでに人生の折り返し地点を過ぎているではないか。 近頃のゆりねは、めっぽう甘え上手になった。 すぐに、抱っこ〜、とせがんでくる。 子犬の頃は、こちらが抱っこしたくても、すぐに逃げてしまっていたのに。 今では、わたしのこと、居心地のいい座布団だと思っているみたい。 7歳になったくらいから、意思疎通ができていると感じる場面がやけに増えた。 コロナのステイホームで、今まで以上にいっしょにいる時間が長くなったというのもあるかもしれないけど、それよりはゆりねが歳を重ねたことで、お互いに相手を理解する能力が高くなってきているように感じている。 家に来たばかりの頃は、それこそ、ゆりねが何を求めているのかも全然わからなかった。 でも今は、表情や仕草、行動パターンで、いくつかのメッセージを確実に受け取れるようになった。 お腹すいた! ご飯ちょうだい、眠いから今はちょっかい出さないでね、トイレに行きたいんですけど、遊ぼう!そろそろお散歩に行きませんか? 抱っこして〜 大好きだよ! 痒いから背中かいてくれる? そういうことを、体全部を使って伝えてくる。 言葉そのものは、「おやつ」「おいしい」「ワンちゃん」「おとうさん」以外ほとんど通じないけれど、ゆりねはゆりねでこちらの言うことを一生懸命理解しようとしているし、わたしも、ゆりねが今何を求めているのか、だいぶ察しがつくようになった。 そうなってくると、ますます愛情が深まってくる。 くぷぅ、くぷぅ、と以前はかかなかったいびきをかきながら無防備な姿で寝ているのを見ていると、愛おしくて愛おしくてもう本当にたまらない気分になるのだ。 少しでも長生きしてね、と、毎回、祈るような気持ちになる。 先日、わたしよりちょうどひとまわり上の友人と電話で話していたときのこと。 「わたしなんてさぁ、ついこの間小学校卒業したばっかり、って感じだよ!」 彼女が言った。 確かに自分の人生を振り返っても、成人式どころか、小学校の入学式ですら、「ついこの間」みたいな感覚になる。 そのことを踏まえると、この先ゆりねといっしょに過ごせる時間も限られているのだなぁ。 一日一日が、ゆりねからの貴重な贈り物だということを、噛みしめながら生きていきたい。 ゆりねは人生の前半たくさんわたしに付き合ってくれたから、後半はわたしがゆりねの人生に寄り添いたい。 そう思う今日この頃だ。 甘えん坊のゆりねは、今もわたしの太ももの上でまどろんでいる。 態度がだんだん「おばさん」ぽくなってきて、それがまたかわいい。 寒い日は、特にゆりねの温もりがありがたくなる。

鍋焼きうどん

お正月の3日が過ぎたら、速やかに道具類を片付け、通常モードへ。 今年は、たっぷりと日本のお正月を満喫した。 おせちは、いつもの三種類(黒豆、伊達巻、五目なます)の他、数の子、酢蛸、ニシン、コハダなどをちょこちょこと準備。 わりと早めに取り掛かったので、特に髪を振り乱すこともなく、味も、今まででもっとも安定していたかもしれない。 それに今年は、初めてよそのおせちも頼んでみた。 ちょうど二人分というのがあり、プロのおせちがどんなものか、興味があったので。 これがまた、すばらしかった。 山形のおせちらしく、山菜やら、鯉のことこと煮やらが入っていて、誰かが作ってくれるおせちは美味しいものだなぁ、と実感。 いつもはお客様がいらっしゃるのだけど、今年はコロナでお客様もお見えにならないし、おもてなしのことを考えなくていい分、気持ち的にはずいぶん楽だった。 時間に余裕がある分、韓国映画を見て楽しんだ。 お雑煮も、関東風の他、白味噌を使った京風のも堪能し、おもちの量もちょうどよかった。 思ったけど、おせちって、もっと食べたいな、というくらいで終わるのが理想かもしれない。 その点でいうと、今年はまさにそんな感じで、まだおせちあるの〜、という雰囲気にならなかったのがよかった。 多分、おせちを一気にたくさん作ろうとするから、飽きるのだ。 そのことに気づいて、今年は、なんとなく旧暦のお正月までをざっくり「お正月」扱いにし、週末ごとに、まだ作っていないおせちを作ってみようと目論んでいる。 そうすれば、無駄にすることもないし、飽きてしまうこともない。 それでも残ったおせちは、鍋焼きうどんにしてしまう。 土鍋に、うどんの他、蒲鉾とかなるととか鶏肉とか、場合によっては昆布巻きとか、とにかく冷蔵庫に余っているおせちを入れて、グツグツと火にかけるだけ。 これをすると、お正月も終わって、普段の暮らしに戻ったことを実感する。 体もあったまるし。 寒い夜の鍋焼きうどんほど幸せなものはない。 そうそう、山形のおせちを食べて思い出したけれど、数の子といえば、必ず枝豆と一緒に出汁につけたのが定番だった。 数の子と枝豆って、とても相性がいい。 子どもの頃はそれが当たり前だと思っていたけど、大人になったら、数の子だけを出汁に浸して食べる方が主流になり、いつしか、数の子と枝豆のコンビを忘れていた。 でも、山形のおせちにそれが入っているのを見て、そうだったそうだったと思い出し、もっとむしゃむしゃ食べたくなって、さっそくスーパーで秘伝豆を見つけ、残っていた数の子と抱き合わせた。 これは、日本酒のいいアテになる。 一年に一度、お正月にだけ使うハレの器で、ハレの料理をいただくと、心が改まっていいものだなぁ。 一年のうちたった三日ほどしか使わない器なんて勿体無い気もするけれど。 また来年会えることを楽しみにしている。