てがみ

職人さん

もう、本当に本当にかっこいいのだ。 ノラコヤを作ってくれている職人さんたちが。 今回お願いした地元の工務店さんには、世界各地からインターンで若い子たちが日本の建築技術を学びに来ている。 外回りをお願いしている庭師さんチームにも、外国から来ている子たちがいて、英語を交えながら、本当に楽しそうに働いている。 彼らは、10時くらいになると皆さん一度仕事をやめて、ノラコヤに作った焚き火スペースに火をおこし、火の周りで和気藹々、談笑している。 笑顔が溢れる現場というのは、すごくいいなぁ。 そういう明るいエネルギーが、ノラコヤに蓄積されていくのが嬉しい。 ノラコヤの建設は、地元の工務店さんにお願いした。 なるべく近場の素材を使い、山小屋以上に地産地消を目指した。 自然素材で作る家は、どうしても価格が高くなる。 でも、この先こういう家は作れなくなるかもしれないという思いもあり、自然素材にこだわった。 壁は、外も中も長野産の土で作った土壁だ。 誰かがこういう家を作らなければ、職人さんだって技を活かせなくなってしまう。 工務店さんも庭師さんチームも、志ある若者が集まり、そこだけ切り取ればとても希望を感じるものの、おそらくこれはほんの一部で、こういう仕事を選ぶ若者はどんどん減っているのだろう。 だけど、家を建てるお金を稼げる人間より、自らの手で家を建てられる人間の方が、これからの時代は、強いのではないかと思うのだ。 そういう意味で、今回、ノラコヤ建設に携わってくださった若者たちは、本当に人生のいい選択をしたなぁ、と感心する。 日本が世界に売り込める要素は、文化だったり技術だったり、まだまだあるはずなのに。 低賃金でなんとか労働力を確保しようとしなくても、向こうから積極的に日本に来てくれる人たちが増えればいいのに、とつくづく思った。 極論かもしれないけれど、私はこれからの時代、一人一軒、家を持つのが理想的なのではないかと感じている。 だって、大都市に、特に東京に持ち家を持つのは、年々、非現実的になってきている。 でも、地方だったらそれが可能だ。 生活の必需品ともいえない高級車を所有するくらいなら、地方にある程度の土地を買って家を建てることの方が有意義では? と思うようになった。 どんなに小さくても、粗末でも、安心して帰れる「わが家」があれば、相当生きやすくなる。 特に、女性が家を持つことは、これから先、とてもいいことだと思うのだ。 住宅ローンだって、今なら安く組めるのだし。 子どもを産み、育てる、という明確な目的があれば別だけど、これからは結婚という制度を取り入れる人も少なくなっていくだろうし。 自分の家を持ち、確固とした自分の居場所があるだけで、将来への安心感は全然違ってくる。 衣と食はなんとかできるから、あとは住さえ確保できれば、相当生きやすくなるのでは? というのが私自身の考えだ。 昨日、NHKオンデマンドで斎藤幸平さんの『人新世の地球に生きる』を見て、すごく感動した。 彼の言っていることに、私は以前からとても共感している。 でも、いきなり脱成長と言われても、確かに賛同できない人たちがいるのも事実だろう。 私は、消費すること自体は、悪いことだと思わない。 ただ、何にお金を使うかが、大切なのだと思っている。 その選択次第で、まだまだ変えていけることはあるんじゃないかと思うのだ。 先日ノラコヤを見に行ったら、左官屋さんが自家製のこんにゃくをくれた。 刺身で食べるのが一番おいしさがわかると言われ、さっそく刺身で食べてみたのだが、もう、これまでのこんにゃく感がひっくり返るほど、見事な味わいだった。 ふわふわで、清らかで、こんにゃくがあんなにおいしい食べ物だったとは、半世紀以上も生きてきて、知らなかった。 長野県民になって良かったと思うのは、自然と共に生きる魅力的な人たちにたくさん出会えたこと。 皆さん生き生きとして、この地で生きることを楽しんでいる。 そのたびに、東京にいた頃の自分はなんて傲慢だったのだろう、と反省する。…

雪の上を歩く

山に関する本を読んでいたら、むくむくと山に登りたくなった。 毎年そう。 冬ごもりの時期は読書の時間が増えるので、そうすると読む本に影響されてしまうのだ。 と言っても、ハードな雪山登山は無理なので、とりあえず雪の上を歩きたい!と。 で、よく考えたら私は山の中に住んでいるわけだから、歩こうと思ったら、いくらでも歩けるのである。 ただ、ふだんはゆりねとの散歩がメインなので、歩く道はほぼ決まっているし、それほど長い距離も歩けない。 ここのところ、連日晴れが続いている。 雪景色と青空の組み合わせは本当に気持ちよく、今日はまさしく絵に描いたような完璧な空。 絶好の雪原ハイク日和なので、いつもより重装備にして出発した。 ちょっと前に雨が降ったせいで、路面がスケートリンクのようになっている。 だから、アイゼンをつけるか悩んだのだが、今回はストックを持つことにした。 いつもゆりねを連れて歩いている道でも、雪に覆われるとまた違った景色に見える。 森の中の小道を抜けて、池に行き、更に上の方まで歩いてみる。 池から先は、初めて足を踏み入れる領域だ。 清々しくて、何度も空を見上げてはため息をつく。 富士見岩まで行ったら、本当に富士山がものすごく綺麗に聳えていた。 地面にあぐらをかき、しばし瞑想する。 太陽の温もりを肌で感じた。 冬の森には、完璧な静けさと完璧な美しさに満たされている。 帰りは、ちょっと道に迷ってしまい、遠回りをした。 何度か滑って転びそうになるのを、ストックが助けてくれる。 アイゼンをつけてくればもっと歩きやすかったかもしれないけど、ストックがあるだけでも、十分役に立つ。 山小屋に戻ったら、変な気分になった。 歩いているときはそれほど感じなかったけど、急に非日常から日常の世界に戻ったようで、頭の切り替えがうまくできない。 冷凍のカレーうどんを温めている間、我慢できなくなってノンアルコールビールを飲む。 雪見ビールも、これまた良し。 明後日はいよいよ、ノラコヤへ荷物を移す。 あともう少しだ。 今夜は、満月だろうか。 温泉からの帰り、ほんのり桜色に染まる雪山の上に、まあるいお月さまが浮かんでいた。 真っ白い雪の上に、梢の影が長く長く伸びている。 満月付近の冬の森は、まぶしいくらいだ。 少しずつ、陽が長くなってきた。  

アブルバイヤさん

元日の朝、5時に目が覚めて日の出を待っていると、雪の上を一匹のキツネが通っていく。 しばらく見ていなかった。以前よく来ていたキツネと同じかどうかはわからないけど、無事でいてくれたことにホッとした。 しばらくすると、さっきより一回り小さいキツネが、同じ方角へ向けて歩いていく。 ご夫婦だろうか。 年明けからキツネを見ることができ、おめでたい気持ちになった。 一年前の能登の地震のことがあるから、元日といえど、なんとなく両手を挙げてはしゃぐ気にはなれない。 当然のことながら、自然界には盆も正月もない。 ノラコヤに行って、近くの神社にお参りする。 お正月は、それでおしまい。 あとはひたすら、本を読んで過ごす。 森で過ごす静かなお正月、最高だ。 今朝の新聞に、ガザで生きるディナ・アブルバイヤさんの記事が出ていた。 24歳の彼女は、2024年の6月から、仮設テントを転々としながらも、今、目の前で起きている現実を彼女自身の言葉で書き続けている。 知り合いからなんとか手に入れたノートとペン、机がわりとなる小さな台を肌身離さず持ち歩いて。 電子書籍という形で発表された彼女の「戦争の物語」は、本当に悲惨な現実がこれでもかというくらい綴られているのだろう。 例えば、今朝の新聞に載っていた、母親の前で生きたままイスラエルの軍用犬に食い殺された、生まれつき障害のあった男性のように。 理不尽という言葉では、全く足りない。どこにも救いがない。 これが戦争の現実だと思うと、人として生きているのが本当に嫌になってしまう。 これのどこに大義があるのか。 どの良心を持って、その大義を支持できるのか。 こんな実話が、12編収められているという。 日本でもなんとか本にできないのだろうか? 私にできることがあれば、協力したいと思うのだけど。 これが、決して架空の物語ではないということを、私たちは肝に銘じていなければいけないと思う。 アブルバイヤさんの記事が胸に刺さったのは、昨日、『あしながおじさん』を読み終えたからかもしれない。 こちらはフィクションだが、主人公のジュディもまた、必死で書くことを志す。 ジュディは、孤児院で育った。 本来、大学になど行ける環境になかったが、素性を明かさない裕福な紳士「あしながおじさん」の援助を得て、大学へ通い、そこで様々な人と出会い、世界を知り、作家を目指して文章を書き続ける。 物語は、あしながおじさんへの手紙という形で進んでいく。 書くことに情熱を傾ける気持ちは、読んでいて、私も痛いほどわかった。 どうか、自分の言葉が誰かの心に届いてほしいと願う気持ちは、アブルバイヤさんもジュディも私も、変わらないだろう。 書くことで、救われる。 だから、書く。 世界はますます混沌としている。 日本だって、またいつ大きな災害があるかわからない。 そんな中、今、この瞬間を平和に生きていることが、どんなにありがたいか。 2025年が、希望に満ちた、光あふれる美しい年となりますように!

春を待つ

冬の寒さはまだまだこれからが本番だけど、冬至を過ぎたら、なんとなく春を待つ気持ちが強くなってきた。 これから夏至に向けて、また少しずつ陽が長くなる。 そのことに、大きな喜びを感じる。 この冬は、植物たちと一緒に、森で過ごす。 彼らがすごいなぁと思うのは、もうすでに秋の終わり頃には、葉芽や花芽をつけていること。 準備万端の状態にしておいて、それから寒い冬に挑むのだ。 そして、春の暖かい光を待ちわびる。 森にはシャクナゲが自生している。 シャクナゲは毒性があるので、シーも食べない。 ここに来るまではシャクナゲってそんなに好きな植物ではなかったのだが、生態を知れば知るほど、賢くて、魅力を感じるようになった。 今、シャクナゲの葉っぱはげっそりしている。 骨と皮だけの骸骨みたいで、どの葉っぱもシュッと小さく丸まって下向きに垂れ下がっている。 これは、葉っぱから幹に水分を移し、細胞内の水分濃度を高め、結果として凍結するのを防ぐためだという。 他にも、そうすることで耐寒性を高めたり、葉っぱからの蒸散を抑えることで乾燥から身を守ったり、光の当たる面積を少なくすることで、活性酸素の発生を抑えたり、しているらしい。 驚くのは、お日様が顔を出して気温が高くなると、あれよあれよという間に葉っぱが元の姿に戻るのだ。 その時々の環境に合わせて、自在に変化する。 なんだか、パッと姿を変える宇宙人というか、知的生命体のよう。 そんな高度なテクニック、人間には到底できない。 本気ですごいと尊敬する。 先日、ノラコヤに植えた柑橘類とオリーブの木を、慌てて山小屋に連れてきた。 私からするとノラコヤは十分暖かいのだが、どうやら客観的に見るとそこもまた寒冷地に属するようで、要するにノラコヤの土地の環境では、寒くて越冬できないというのだ。 それは大変と、スダチ、ハナユズ、レモン、金柑、そしてオリーブの木を鉢に移し、山小屋の室内に運び込んだ。 今、彼らは雪景色を見ながら窓辺でぬくぬくしている。 部屋の中に植物がいるというもいいものだ。 なーんとなく、植物には気配がある。 ゆりねよりももっとぼんやりとした、存在感とまでも言えないくらいの、ほんのりと淡い気配だ。 だからこの冬山小屋は、私とゆりねと植物たちで、賑やかだ。 窓の向こうの森の木々たちも含めて、みんなで励まし合いながら寒さに耐え、春を待っている。 どうぞ、よいお年を!

靴下活用法

シュールな夢を見た。 友人6人くらいと、どこかへ向かうべく、車に乗っている。 すると、ちょっと買い物をしてきたいからと、私だけ車から降りる。 入った建物は、デパートとはちょっと趣が異なる、ロフトみたいな場所だった。 人がたくさんいて、ガヤガヤしている。 買い物を終えて、さぁ車に戻ろうという段階になって、出口が見つからない。 建物の構造が複雑で、2Aだの2Bだの、私が出たい出口までどうしても辿り着くことができないのだ。 みんなを待たせているのに、どうしても戻れない。 気持ちだけが焦って先走りする。 そのうち、ものすごく細長い古いアパートの階段の下にいた。 その長い長い階段を上がっていくと、頭が天井にぶつかった。 そこへ、見知らぬ男性がやって来る。 男性は40歳だと自己紹介し、この部屋に住む友人を訪ねたという。 私は、何故か2歳だけサバ読み、49歳と答えていた。 で、その先がシュールなのだが、階段が消えてしまったのだ。 私は足元がない狭い空間で身動きが取れない状態で、顔面蒼白になっている。 そこにはもう男性の姿はなく、私ひとりが取り残されて、、、 そこで目が覚め、夢だとわかり安堵した。 なんだかものすごーく怖い夢だった。 本当に、夢でよかった。 ゆりねもよく、夢を見ている。 なんだかパタパタ音がするぞ、と思って音源を探すと、寝ているゆりねのしっぽが激しく床を叩いているのだ。 これはおそらく、ご機嫌でおやつを待っているのだろう。 口をもごもご動かして必死に何かを食べていることもあるし、手足をぴくぴく動かして懸命に走っていることもある。 そういうのは幸福な夢なので、私は温かく見守って、ゆりねの夢の中身を想像する。 ただ、判断に困るのは、ゆりねが吠えているときだ。 ふだん、起きているとき、ゆりねは吠えたりしないのだが、不思議と、夢の中では吠える。 体を動かしながら、吠えたり、唸ったり。 誰かと遊んでいるのなら、そのまま遊ばせてあげたい。 でも、怖い思いをしているのだったら、そっと、起こしてあげたい。 その、そのままにしておくか、起こすかの判断が、難しいときがある。 せっかく楽しい夢を見ているのに起こしてしまったら、ゆりねに申し訳ないと思うのだ。 ところで、試しに作ったアイピローが、思いの外活躍している。 前回の日記を書いた後、すぐに閃いて実行したのだ。 せっかくかわいい靴下をいただいたので、まずは履く前にと、クローブを入れて虫除けにした。 で、もう片方の靴下には、お豆を入れて、中身がこぼれないよう糸で塗い、アイピローにした。 中に入れるのは、小豆でもいいし、なければ他の種類でも。 良いお豆を使ってはもったいないので、できれば少し古くなってしまったり、傷物のお豆なんかを使えばベスト。 電子レンジで温めたのを、毎晩布団に入ってから、目の上にのせている。 そうすると、眠りが早く訪れる、気がする。…

ひかりの季節

本日の朝昼ごはんは、納豆汁に玄米納豆。 もう毎日でもこのメニューで飽きない自信がある。 納豆汁は、意外と簡単にできる。 まず、納豆をたたいて細かくするでしょ、それをダシに入れて味噌を溶いて、あとは崩した豆腐と、刻んだお揚げさんを入れるだけ。 薬味は、ネギ。お好みで、七味をかけて。 もちろん、納豆をたたくのが面倒だったら、ひきわり納豆でも大丈夫。 山形には、納豆汁の素というのが売られていて、とても便利なのだけど、ない場合でも結構手軽に作ることができる。 具沢山の納豆汁もあるけれど、私は大豆三兄弟だけのシンプルなのが好きだ。 これに、足すとしたらなめこくらい。 たくさん作って、あとは冷蔵庫にストックしている。 今、買い物せずにどのくらい保存食だけでやっていけるかをチャレンジ中だ。 というのも、乾物やら缶詰やらインスタントラーメンやら、結構山小屋の食料庫に保存食がたまってきたのだ。 こういうのは、定期的に入れ替えたいと思っている。 それにしても、朝が本当に気持ちいい。 意外に感じるかもしれないけれど、冬こそひかりの季節だ。 青空に雪。 気温は低いけれど、お日様が出ればポカポカで、一年でもっとも洗濯物がよく乾く。 生まれ育った山形も、ベルリンも、冬の空は陰鬱だった。 何だか空に分厚い蓋がみっしりと隙間なくかぶさっているようで、精神的にかなり滅入る。 何度も書くが、冬を辛く感じるのは、寒いのよりも暗さの方。 寒いのはいくらでも工夫次第で何とかできても、暗いはなかなか自力では解決できない。 ベルリンの人たちは、気分が落ち込まないよう、この時期になるとよくサプリを飲んでいた。 それと較べると、東京の冬の空は奇跡としか言いようがない。 でも、私には寒さが物足りない。 寒さというか、雪というか。 だから今、青空と雪、両方を味わえる環境は最高なのだ。 特に朝のひかりは、どうしようもないほどに美しい。 昨日、今日と、年明けに出る日記エッセイのゲラを読んでいる。 今からちょうど3年前の日記だ。 前半は東京暮らしで、後半は森暮らし。 何だか3年前の自分が、自分ではない別の誰かみたいに感じる。 彼女(3年前の私)が目にする景色が、ずいぶん変わった。 この3年間で、私は森の恩恵を受けまくっている。 そして、相当元気になった。 森暮らしを始めたばかりの初々しい自分を、とても懐かしく感じる。 あれから少しずつ、私は森の植物たちとの友情を育んだ。 今年はタイムがたくさん育ったので、それを乾燥させたものでチンキを作った。 チンキはティンクチャーとも呼ばれ、ハーブを度数の高いアルコールにつけて抽出する濃縮液のこと。 アルコールに漬けることで、ハーブの有効成分を効率よく引き出すことができる。 タイムのチンキは、もっぱらうがいに使っている。…

炎と人の声

雪見ワイン中。 お昼過ぎから、本格的に雪が降り始めた。 それまでは、降っても毛玉みたいなキュッと丸い粒状の雪だった。 それだと、乾燥しているし、風が吹くとすぐにどこかへ飛んでいってしまう。 でも今降っているのは、もっとずっしりと重たくて、存在感がある。 温泉に行くときは何ともなかった道が、帰りには白くなっていた。 よく考えると、この時期を山小屋で過ごすのは初めてかもしれない。 一昨年も去年も、確か12月は、一時的に様子を見に来ることはあっても、ずっと生活はしていない。 だから、今年はちょっと新鮮だ。 ただし、雪が降り始めの道には十分気をつけないといけない。 しっかりと雪が降ってしまえば、そんなに恐れることもないのだが、降り始めと降り終わりの時期は、つるんと滑って危ないのだ。 今日も、帰りは慎重に運転した。 冬に欠かせないのは、炎と人の声。 ちょっと前、そのことに気づいた。 お酒はまぁ、あっても、なくてもどっちでも大丈夫なのだけど。 集中して本を読みたいから音楽もかけず、そんなに寒くないので薪ストーブもつけないで夜を過ごしていたら、何だかみるみると良くない方へと思考が傾いた。 胸がえぐられて、そこに負の魑魅魍魎が吹き溜まりのように集まってくる感じ。 この不安定な感じは何だろう、と考えて、そうか、音楽も聞かず、薪ストーブにも火を入れていないからだ、という事実に思い至ったのである。 冬場は、音楽の中でもとりわけ人の声が聞きたくなる。 雪景色を見ながら、大音量でオペラをかけたりするのは、最高だ。 今聞いているのは、J.S.バッハ『マタイ受難曲』。 ベートーベンの第九も、最初から最後まで聞くと、本当に感動する。 もしかすると、冬は無意識のうちに人恋しくなっているのかもしれない。 人の声というのは、それだけパワーがある。 炎も、物理的に室温を上げるという機能以上に、精神面を温めてくれるという効果がすごくある。 炎を見ると、気持ちが安らぐのだ。 だから、冬に欠かせないのは、炎と人の声。 人によって、「炎と人の声」からイメージするものは様々かもしれないけど、私の場合は、冬の夜が真っ先に脳裏に浮かぶ。 森に山小屋を建ててよかったと思うことのひとつは、火が暮らしの一部になったこと。 都会では、焚き火することすら自由にできない。 火はあくまで非日常で、特別なもの。 でもここにいると、火が日常になる。 具体的には、薪ストーブで何だって燃やせるのだ。 燃やせるか、燃やせないか、は物を選ぶ際の大きな基準で、燃やせるということは、つまり土に、もっと言えば、地球に返るということ。 火は、圧倒的なパワーで、物の姿を変えてしまう。 だから、もちろん恐ろしい存在でもあるのだけど。 薪ストーブで木や紙を燃やすと、結構な量の灰が出る。 私はその灰をノラコヤに持っていって、畑や庭の土に撒く。 そうやって、姿形を変えながら、クルクルと循環する。 それが、そばで見ていてものすごく気持ちいい。…

キャン!!!

少し前から、どうもゆりねの様子がおかしい。 明らかに眠たいのに、頭を上げたままうつらうつらしている。 顔を一方にだけ傾け、たまに首をそらせると痛そうに顔を歪める。 決定的におかしいと思ったのは、今朝だ。 いつもなら明け方になると必ず2階で運動会をするのに、今日は全然音がしない。 そのせいで、私も寝坊した。 ご飯も残さずに食べるし、排泄も問題なさそうだ。 でも、なんかこう、元気がない。 10歳を過ぎているから、人間で言えばかなりいいお歳だ。 もしかして、平均よりも少し早く認知症が? あれこれ考えると、モヤっとした気持ちになる。 でも、明らかに具合が悪そうでもなく、もしかしたら気のせいかな? とも思えてくる。 自分に関してはもっとそうだけど、ゆりねに関しても、滅多に病院へは行かない。 まずは数日様子を見る、というのがいつものパターンで、それでも、あれ? と思うときだけ連れて行く。 だけど今日の午後、ゆりねが首をそらせながら明らかに顔を歪めていたので、やっぱりこれは何かあるぞと思い、すぐに動物病院に電話した。 確証があるわけではなかったけど、直感でそうすべきだと思ったのだ。 すぐに行けるよう、一番近い動物病院を選んだ。 ただ、今日は予約でいっぱいで、明日は臨時のお休み、明後日も定休日で、早くても予約が取れるのは3日後になるとのこと。 このモヤモヤを3日間続けるのはしんどいし、第一ゆりねの具合が気になる。 予約と予約の間に空きが出たら診てくれるとのことなので、取り急ぎ、予約なしで行ってみることにした。 深刻な病気とかだったら嫌だなぁ、と思いつつ、車を走らせる。 いつかお別れが来ること自体はわかっているけど、でもそのお別れが今日であっては欲しくない。 動物病院に着いてからも、基本的にゆりねはいつも通りで、明らかに目立った症状はない。 やっぱり、私の気のせいかもしれない、とも思った。 そんなに待つこともなく、診察の順番がやって来た。 まずは首の骨に異常がないかを触診する。 前後左右、問題なく動く。 もしかすると、歯の問題かもしれない、ということは事前に伝えていた。 ゆりねは基本的には健康優良児だが、口の中だけは多くの問題を抱えている。 歯は大半がなくなっているし、残っている歯には歯石がびっしりついている。 歯磨きを強烈に嫌がるので、途中から、私も根負けしてやらなくなっていた。 予想は的中した。 下の犬歯の一本が、グラグラだという。 通常そういう歯は、全身麻酔をかけて抜歯するのだ。 でも、それはそれで負担が大きい。 できれば、全身麻酔は避けたい。 すると、一か八か、この場で一回だけ、抜けるかトライしましょう、と先生がおっしゃった。 若い女の先生だけど、いつも動物ファーストで診察してくれる、とても頼り甲斐のある先生だ。 それで、ゆりねの体を私も含めて二人がかりで抑え、先生が抜歯を試みる。 中途半端に失敗して、結局抜けませんでした、というのが、最悪のシナリオだ。…

はじまりはじまり

朝、窓の向こうの景色を見るのが楽しみな季節になった。 ロールスクリーンを上げて、雪がどのくらい積ったかをチェックする。 雪はまだ、降っては解けて、降っては解けてを繰り返しているので、苔の上にうっすらと積もる程度だけど。 ある朝いきなり目の前の世界が真っ白に染まるのは、ひと冬でたった一回きりだから、あと何回その瞬間に立ち会えるか。 絶対に、見逃したくないのである。 これはもう、まごうことなき冬の空だ。 山からのぼる朝焼けを、毎日、固唾をのんで待ち構えている。 いつからか、冬が一番好きな季節になった。 森で、気持ちがいいのは夏だけど、美しいのは断然冬。 空気がパリッとして、目に入る景色が凛として見える。 今もものすごく風が強くて、厳しいのは厳しいのだけど、その中にポツポツと喜びの種が植っている。 視界に常緑樹が一本あるだけで、うんと勇気づけられる。 ここから先は、冬ごもりだ。 2回冬を過ごしてみて、自分なりにどうすればストレスなく日々を送れるかがわかった。 まずは、極力予定を入れないこと。 ずっと雪に閉ざされているわけではないのだけど、約束をしてしまうと、その時間に合わせて車を出さなくちゃいけなくなる。 夜のうちに大雪が降って、もしも除雪車が来ないと、出られない。 前回の冬は、予定を入れてしまったばっかりに、自力でスコップで雪をかきながら車を前に進めなくてはいけないことが何度かあった。 間に合うだろうかと心配したりするのも、心臓に悪い。 だから、なるべくスケジュール帳を空っぽにしておく。 そんなわけで、真夏同様、真冬もまた読書の時間となる。 春と秋は、わりかし外でやる仕事が多いのだが、真夏と真冬は山小屋の中にこもって過ごす時間が長くなる。 しんと静まり返る中、夢中で本を読んでいると、自分が満ち足りていくのを実感する。 読みたい本は、すでに目の前にうず高く積み上げられている。 ひと冬で全て読み切れる気がしないけど。 山の上空から白砂糖を振るみたいに、毎日少しずつ山が白くなっていく。 その山に夕陽が映ると、ほんのり桜色に染まる。 そんな光景にたまたま出会えると、ものすごく得したような気分になる。 冬至に向けて、陽はますます短くなる。 私の場合は、活動できる時間が限られてくるので、効率よく動かないとすぐに日が暮れてしまう。 最近は、夕方5時を過ぎると真っ暗だ。 でも、数日前、暗闇で車を降りて外に出たら、ちょうど頭上を流れ星が通った。 夕方の5時なのに、もう真夜中かと錯覚するくらい、星がたくさん輝いている。 今日は、誰もまだ通っていない真っ白い雪道を、ゆりねと歩いた。 ただそれだけのことなのに、生きていることそのものが、ものすごく愛おしく感じてくる。 これもまた、冬の魔法かもしれない。 山小屋で過ごす3度目の冬の、はじまりはじまり。

酸ヶ湯デビュー

ちょっと前になるけれど、青森へ取材に行った帰り、念願の酸ヶ湯温泉に行ってきた。 山奥にひっそりと佇む秘境かと思いきや、駐車場には大型の観光バスが何台も連なっている。 夕方まではお客さんもひっきりなしで、大いに賑わっていた。 この温泉が、いまだに混浴なのだ。 男女別のお風呂もあるけれど、やっぱり目玉は大きな大きな混浴のお風呂。 せっかくはるばるやって来たのだから、千人風呂に入りたいではないか。 おっかなびっくり様子を見に行ったら、男女別の境界も設けてあるし、衝立もあるし、それほど怯える状況でもない。 ベルリンの男女混合裸族サウナの方が、よっぽど破廉恥だ。 破廉恥なんて言葉、久しぶりに使ったけど。 というわけで、日帰り客が少なくなる時間帯を狙い、いざ千人風呂へ。 一応、男性も女性も、黒い水着みたいな湯浴み用の服の用意があり、借りることもできるのだが、私はどうもあれ、苦手だ。 水着で入る温泉は、サウナにあるテレビ同様、居心地の悪さを感じてしまう。 プールじゃないんだし、温泉は生まれたままの姿で入りたい。 逆に言うと、服を着てまで温泉に入りたくない。 お湯は白濁しているし、大きなお風呂は薄暗くて、別にそんなに気にすることは何もなかった。 それに、肩まで浸かっていて熱くなったら、女性の更衣室につながる衝立のこっち側にいれば、向こうからは見えない。 やっぱり、広々としたお風呂は、最高だ。 特に、お客さんが少なくなった夕暮れ時は、静寂に包まれて、非現実的な夢のような時間を過ごす。 お湯が、最高だった。 こういう硫黄の匂いのするお湯、好きだなぁ。 夜の女性専用タイムにも行ってみたのだが、逆に女性だけになると、途端に姦しくなる。 要するに、はしゃいだりしてキャーキャーうるさいのだ。 女性専用だから、混浴の時には行けない打たせ湯などにも安心して行けるという利点はあるものの、私としては静かな混浴の方に一票を投じたい。 それに、こう言っちゃなんだが、ある程度の年齢を過ぎれば、男も女も、遠くから見たらそんなに違いはない。 あー、すっかり酸ヶ湯ファンになってしまった。 また行きたいな。 酸ヶ湯に向かう道中、岩木山神社にお参りした。 初めて行ったけど、ものすごく神聖な気配に満ちた、とても気持ちのいい場所だった。 岩木山は、お天気があんまりでなかなか全貌を見せてくれなかったけど、本当に美しい姿をしている。 裾野には、延々とりんご畑が。 あまりにおいしそうなので、岩木山神社の近くの無人の販売所で、りんごを買ってその場で齧った。 そのみずみずしいおいしさが、今でも忘れられない。 あんなにおいしいのなら、もっと買えばよかった。 長野県民になって、私はりんごが大好きになった。 それまでもりんごは食べていたし、それなりにおいしいりんごを食べていたはずだけど、それでも、味が全然違うのだ。 最近思うのだが、果物全般、甘すぎる。 糖度ばかりが高くなり、なんだかお砂糖を舐めているみたい。 でも、岩木山神社の無人販売所にあったりんごは、ただただ甘いだけじゃなくて、香りもよく、歯応えもパリッとして新鮮そのものだった。 食感は、梨とりんごの中間のようで、色は黄色。 段ボールに、マジックで「きおう」と書かれていた。…

高雄市立図書館

高雄に2泊、福岡に1泊という、なかなかの強行スケジュールで、トンボ帰りでお山に戻ってきた。 久しぶりの海外旅行で、粗相がないか緊張したけど、なんとか全ての工程を滞りなくこなせた。 まるで、スタンプラリーのような旅だった。 高雄市立図書館は、日本円にして100億円を費やした、地下1階、地上8階建ての立派な図書館だった。 建設にあたっては、世界中の図書館を視察して、参考にしたという。 隣接する五つ星ホテルとも渡り廊下でつながる、度肝を抜く構造だった。 夜になると、きれいにライトアップされる。 その10周年イベントに、招待していただいたのだ。 図書館と聞いていたので小規模なイベントを予想していたら、とんでもなかった。 会場は500人入るホールで、その席がいっぱいに埋め尽くされていた。 トークのお相手をしてくださったのは、台湾で旅のガイドブックなどを出版しているdatoさんで、なんと、台湾で『食堂かたつむり』が翻訳されて出版される際の編集を担当してくださったとのこと。 お土産にとくださった京都のガイド本なんか、私より全然詳しくて、しかもとてもセンスがいい。 次回京都を訪ねる時は、datoさんのガイドを参考にしたい。 トークの後は、サイン会。 抽選で選ばれた100人の方が、それぞれお手持ちの本を持ってきてくださった。 本当は、500人の方全てにサインをしたかったけど。 ちょうど一週間前に、『椿ノ恋文』の翻訳が出たばかりで、その本を持ってきてくださる方も多かった。 このシリーズの装丁は、本当に素敵。 通訳さんが入ってくださったので、日本のサイン会と同様、お一人お一人の方とお話をすることができた。 海を超えた物語が、異国の地で、現地の言葉で、ちゃんと伝わっていることを痛感する。 台湾の読者の方と直接お会いできた私は本当に幸せで、まさに夢のようなひと時だった。 『ツバキ文具店』や『ライオンのおやつ』を読んで、実際に鎌倉や瀬戸内に行ったという読者の方も非常に多く、びっくりした。 改めて、台湾と日本との距離が本当に近く、隣人であることを実感した。 私の父は、台湾で生まれた。 父自身にその頃の記憶はほとんどないようだったけど、祖母はよく、台湾の人たちにとてもよくしてもらったと話していた。 子どもの頃、祖母が住んでいた仙台の家に遊びに行くと、祖母は必ず大皿にビーフンを作って待っていた。 台湾の人から作り方を習ったというそのビーフンは、絶品だった。 いくらでも食べられた。 だから、私は勝手に台湾に対して親近感を抱いていた。 東日本大震災で日本が窮地に立たされた時も、誰よりも多くの支援を寄せてくれたのは台湾の人たちだ。 台湾の人たちの明るさと優しさは、一体どこから来るのだろう。 台湾もまた、日本同様、少子高齢化や子どもの不登校など、同じような問題を抱えている。 それでも、日本と違うのはそのことに前向きに積極的に取り組んで、問題を解決しようとしている点だと思う。 ジェンダー問題に関しても、徹底的な教育の力で、生きづらさを抱えている人の割合は日本よりずっと少ないのではないかと想像する。 多様性を認める姿勢は、日本が見習わなくてはいけないもののひとつだ。 自由や民主主義を自分たちで守っていかなくては、という気概も、一人一人から感じた。 ちなみに、台湾での投票率は70%を超える。 多様性を大切にする姿勢は、図書館にも現れていた。 まず、図書館を利用する子どもたちにもアドバイザーになってもらい、彼らの意見にちゃんと耳を傾けている。 点字の本も、たくさんあった。…

冬支度

ノラコヤに植えたツリーバジルが、ぐんぐん伸びてきた。 ツリーバジル、またの名を、ヴァナ・トゥルシーと言い、トゥルシー同様、とても神聖な植物だ。 インドでは、聖なるハーブとされていて、アーユルヴェーダでよく使われる。 トゥルシーは、ホーリーバジルとも呼ばれている。 とにかく、私はこのお茶が大好きなのだ。 飲むと、胸がスーッとする。 なぜかこの春、別々のルートで3人から、ほぼ同時期にホーリーバジルのお茶をいただいた。 偶然とは思えない確率で、みんながみんな私にホーリーバジルをくれるので、私はすっかりその味に魅了されてしまったのだ。 きっと、その時の私にホーリーバジルが必要だったのかもしれない。 畑ができるようになったら、まずホーリーバジルを植えようと思っていた。 それで、いつも買いに行く苗屋さんに行って探したのだが、ホーリーバジルは品切れで、葉っぱから同じような香りがするというツリーバジルがあったので、それを2本買い、すぐに植えたのだ。 行くたびに背が伸びていて、一体この子たちはどこまで大きくなるんだろう、と脅威にすら思っていた。 そのツリーバジルの葉っぱを、この間の大潮の日、ありがとう、の感謝の気持ちを伝えながら、摘み取った。 そして、山小屋に持って帰って、ザルに広げて乾燥させた。 生の葉っぱはそんなに匂わないので、ちゃんとお茶になるのか半信半疑だったけど。 今日、東京からお客様が3人いらした。 それでふと、食後にツリーバジルのお茶を飲んでみようかと思って、やってみたのだ。 いい感じに葉っぱが乾いたので、手で細かくしてから、急須に入れて熱湯を注ぐ。 飲むと、びっくりするくらい、おいしかった。 スパイシーで、ほのかに甘い。 ツリーバジルとはまた少し違う味わいだけど、やっぱり飲むと胸がスーッとしずまる。 なんて美しい味わいなんだろう。 来年はもう少し本数を増やして、ツリーバジルを育てよう。 それにしても、なんだか忙しい。 森、ノラコヤ、ノラコヤ、森、と日々やることがたくさんある。 特に森の山小屋の方は冬が迫っているので、今まさに冬支度をしなくちゃいけないのだ。 ずっと出しっぱなしにしてあったホースを片付け、薪の整理をし、薬草たちが冬ごもりするための落ち葉のお布団をかけてと、仕事はいくらでもある。 外に出していたテーブルもいったん畳んで定位置に戻さなくちゃいけないし、U字溝に詰まった落ち葉のかき出しもしなくちゃいけない。 1日が、あっという間に終わってしまう。 先日の雨で、森の葉っぱたちはすっかり落ちてしまった。 夏の間は葉っぱで見えなかった遠くの山の稜線も、窓からはっきり見ることができる。 山の姿が見えるようになると、冬が来るのを実感する。 あ、車のタイヤも、スタッドレスに変えなくちゃだ。 それでも、秋はゾッとするくらい美しい景色を見せてくれる。 晩秋はちょっと心が淋しくなるけど、その分、光の美しさが際立つ。 冬至に向けて、日に日に活動できる時間は短くなるが、その分、夜は長くなる。 今日は、郵便局に荷物を出しに行ったりしていたら、温泉から戻ってくるのに5時を過ぎてしまった。 5時15分くらいに山小屋に着くと、裸になった梢の向こうに、細い細い三日月が浮かんで、ものすごく綺麗だった。 思わず、エンジンを止めずに、その時かかっていたピアノの曲を最後まで聴いた。 それから外に出て、もう一度、月を見上げた。…

種を蒔く

日曜日は大工さんもお休みなので、ノラコヤへはなるべく日曜日に行くようにしている。 今日は、ご飯を炊いて(新米!)、舞茸と椎茸の混ぜご飯を作り、おにぎりにした。 保温ポットに、熱々のお湯をたっぷり入れて持って行く。 もちろん、おやつも忘れずに。 今日を逃すと、明日から連日の雨マークだ。 階段が出来ている。 山小屋の時は東京にいたので、途中経過があまりよくわからなかった。 確か、一回だけ現場を見に来たけど、ほとんど地鎮祭の後は引き渡しだった。 でもノラコヤは、近くにいるので、ちょくちょく見に行ける。 ほほぅ、こうやって家はできていくのか、というのがパラパラ漫画のように理解できる。 大工さんが、とても丁寧にお仕事をしてくださっている。 汚さないよう、そーっとそーっと出来立ての階段に足を乗せた。 2階から見渡す景色が、本当に気持ちいい。 完成したら、富士山も、見える、はず。 今日は、種を蒔いた。 そして、球根も植える。 球根は、チューリップとユリだ。 私の経験から察するに、球根はとてもとても義理堅い。 約束をちゃんと律儀に守って、春になると地面からひょっこり顔を出す。 植えた方は、どこに植えたか半分忘れちゃっているので、しっかりとした芽を見つけるたびに小躍りする。 球根で咲く花は、とてもかわいい。 冬を越して、色とりどりの花たちが咲き乱れる畦道を想像する。 意識して深く植えながら、球根は春に向けてのご褒美だなぁ、としみじみ思った。 球根から比べると、種はそうそううまく育たない。 山小屋では寒さとシーで、種の開花率はほぼゼロに近い。 でもノラコヤだったら、もう少しあったかいし、シーもそこまでたくさんはいないから、種を蒔いたら花が咲くかもしれない。 そんなことを夢見ながら、種を蒔いた。 蒔いたのは、ミックスフラワー。 ノラコヤの一角が、お花畑になったら嬉しい。 種は、諦めずに蒔き続けること。 そうしたら、いつか、忘れた頃に、一輪の花が咲くかもしれない。 大切なのは、自分自身が腐らないことだ。 そんなにすぐに思うような結果が出なくても、、、 諦めてしまったら、そこで可能性はゼロになってしまうから。 私もあの時、物語を書くことを諦めなくて、本当に良かったと思う。 自分の視界には届かない場所で、人知れず、自分の蒔いた種が芽吹いているのかもしれないし。 本日は、畑でフィーバーフューとラディッシュとスダチを収穫。 フィーバーフューは、偏頭痛やPMSに効果があるという。 苦いけど、なんだか体には良さそうな味がする。 私は、細かく刻んでカレーに混ぜていただいた。…

クリタケさん?

突如として、庭の切り株にキノコが出現した。 ここ数日、いろんな場所でキノコを見かけるけど、どうもこのキノコにはオーラがある。 もしかすると、クリタケ、かもしれない。 もしかすると、クリタケじゃない、かもしれない。 発見以来、頭の中で絶えず逡巡が続いている。 私は明日から出張なのだ。 今食べて、体調が悪くなったり、最悪の場合、死んでしまったりしたら、あまりにも周りにご迷惑をかけてしまう。 でも、食べたい。食べてみたい。 だって、こんなにおいしそうなのだもの。 しかも、このまま放置したら、食べ頃を逃してしまう。 とは言え、私はキノコに関してド素人だ。 スーパーで売られているナメコやエノキダケやエリンギや椎茸はわかるけど、野生のキノコとなると完全に未知の世界。 写真を撮ってご近所さんに送ったら、クリタケには見えるけど、さて? とのお返事が。 あなたはクリタケさんで間違いないですか? それとも、クリタケモドキさんですか? はたまた、ニガクリタケさんなんてこともありえますか? ニガクリタケは、毒キノコだ。 やっぱり今日死ぬわけにはいかないな、と思っていたら、山暮らしの先生でもあるご近所さんが、本物のクリタケを持って現物を見に来てくださった。 見た目は、本物に瓜二つ。 匂いも、変わらない。 まぁ、クリタケでしょう、と私が自分で判断し、自己責任でいただくことにする。 ご近所さんのアドバイスで、念には念を入れてしつこく加熱した。 まずは、お醤油味のお吸い物で。 なんと、美味! だって、ついさっきまで生きていたのだ。 そして残りは、ゴボウのカレーに入れて。 あ〜、幸せ。 庭のキノコが食べられるなんて。 こんな日が、私の人生にやって来るなんて。 感無量である。 目標は、一年にひとつずつ、野生のキノコを覚えること。 一昨年は、ジコボウ。去年は、タマゴダケ。そして今年は、クリタケ。 そうやって、この子は絶対に大丈夫! を増やしていきたい。 柿も栗もそうだけど、足元に食べ物があるというのは、とてもラッキーなことだ。 お店で買えば、それなりのプラスチックゴミも発生するけど、身近なところからいただいてくれば、輸送のエネルギーもかからず、無駄なゴミも出ない。お金もかからない。 浮いたお金は、他に回すことができる。 この春屋根につけたソーラーパネルも、今は買っている電力より売っている電力の方が上回っている。 初期費用はそれなりにかかったけど、なんだかとっても気持ちいい。 これから寒くなって床暖房を入れると、売買の比率が逆転する可能性は高いものの、おそらく、年間を通して見れば、プラスになるはず。 これで車をプラグインハイブリッドにできれば、晴れて私は太陽光発電によるエネルギーで移動できることになる。 本日も、柿たちは朝から日光浴に忙しい。…

柿仕事

ずっと気になっていた、ノラコヤにもともとあった大きな柿の木。 その実は、甘いようで渋く、渋いようで甘い微妙な味なのだが、せっかくあるのでまずは干し柿にしようと一念発起する。 里の友人が貸してくれた高枝切り鋏を持参し、柿もぎに挑んだ。 実家にも、とても立派な柿の木があった。 秋になってそれを収穫するのは父の仕事で、採った柿を、父が焼酎につけて渋抜きし、よくおやつや食後に食べていた。 実自体は小さいものの、甘くて、私は実家の柿の実が大好きだった。 実家はもう跡形もなく消滅したけど、柿の木と桜の木は残っている。 会えば懐かしいような、でも胸の奥がツーンとして悲しみに似た痛みも感じる。 同じ木ではないけれど、こうして私は再び柿の木とご縁ができた。 そのことが、ものすごく嬉しい。 友人が貸してくれた高枝切り鋏は、切った枝をばさりと下に落下させず、枝を掴んだまま下まで降ろすことができる。 何度か操作ミスで実をいきなり落下させてしまったものの、概ね無事に地面まで運ぶことができた。 それでも、鋏が届くのは下の方だけで、上の高い所になっている実は、どうしたって届かない。 できる限りの範囲で収穫した。 向こうには、うっすらと富士山が見えている。 こういう作業を、楽しんでやっている自分がまたおかしかった。 その場で葉っぱを切り落とし、ヘタのところの枝をTの字に揃える。 まだまだ木にはたくさんの実が残っているけど、大ザル一杯分の収穫があり、持ち上げるとずっしりと重い。 これを山小屋に持ち帰って、今度は一個ずつ皮をむいて。 あまり考えると、気が遠くなってしまう。 本当は、すぐにやるつもりじゃなかったのだ。 でも、天気予報を見たら、この後二日間晴天が続く。 このタイミングを逃すと、間に出張が入ってしまい、まただいぶ先になってしまう。 結局、もう、このままやっちゃえ! と気合を入れ、夕飯後、皮むきの作業に取りかかった。 むき終えた柿は一個ずつ紐に通し、更に熱湯に5秒間つける。 こうすることで、雑菌の繁殖がおさえられ、腐らない。 確かに、去年もそうしたけど、ダメになった柿は一個もなかった。 それを、お天気の良い日は外に干して風と光に当てる。 そうすると、渋かったはずの柿が甘くなるのだ。 小さい頃、干し柿はそんなに好きな食べ物ではなかったけど、最近はやけに干し柿がおいしい。 干し柿は、冷凍保存もできる。 そして今日は、産直に寄ったらついカリンを見つけてしまい、反射的にカゴに入れていた。 柿が終わったら、次はカリン。 秋は実りの季節なので、毎日毎日忙しいのだ。 この時期は、休む暇がない。 ついに、明日の朝の最低気温が1度の予報。 でも、今日同様、きっとピカピカの青空だ。 干し柿作りには、もってこい。 たくさん、日光浴してもらおう。 冬が近づき、少しずつ、山が膨らんできた。…

初収穫

朝5時半に起床し、お茶を飲み、お祈りをし、ヨガをして、ゆりねにご飯をあげ、新聞を読んで、お弁当を作り、身支度を整え、いざノラコヤへ。 小屋はまだできていないけど、邪魔にならない場所でちょっとずつ野良仕事を始めている。 見上げた空は快晴だ。 少なくとも一週間に一回は、思いっきり野良がしたい。 私が里におりている間にも、雑草たちはのびのびと育っていた。 自分の植えた苗と雑草の区別が全くつかない。 最近知り合ったカメラマンの女性が、ずっとモロヘイヤだと思って食べていたのがただの雑草だったという笑い話をお披露目してくれたけど、私の畑もまさにその状態。 面白いと思うのは、季節によって顔を出す雑草も入れ替わるということ。 ずーっと同じメンバーが居座るのではなく、そこは交代制(?)になっていて、夏はあんなに蔓延っていたヒョウ(スベリヒユ)も、今はもう跡形もなく消えている。 そんなんだったら、もっと収穫しておけばよかった。 お休みだから大工さんもいないだろうと思って行ったら、働いていらっしゃる。 お仕事の邪魔にならないよう、そそくさと隅の方から手をつけた。 やることはいっぱいある。 どこから始めて良いのやら、途方に暮れてしまう。 今日は、先日ゲットした、オリーブと金柑と月桂樹とレモンとリンゴの木を植えた。 以前植えたものの、ちょっと植える場所を間違ったかもしれない、という木に関しては、別の場所に引っ越してもらう。 アフリカン・ブルーバジルが、ものすごい勢いで広がっている。 山小屋では、こんなふうに植物がわーっと元気よく成長するということはまずあり得ないのだ。 やっぱり、里では植物がよく育つ。 少し前に植えたラディッシュも発見した。 雑草をかき分けると、地面の上にひっそりとラディッシュが横たわっていた。 その姿の美しいこと。 あんな小さな種が、こんなに見事なラディッシュになるなんて! すぐに、水で洗って齧ってみる。 ものすごく瑞々しくて、素晴らしい味。 初収穫だ。 11時、お腹が空いてきたので、外に椅子を出してお弁当を広げる。 野良仕事は、お腹が空く。 レンチンしたご飯に、焼いたお肉をのせただけの、本当に本当に恥ずかしいくらい可愛げのないお弁当だけど、外で食べると美味しいのだ。 数日前茹でた枝豆も、美味しい。 食後は、山小屋から持ってきたお湯でコーヒーを作り、これまたちょこっとだけ残っていたシベリアを食べ、ひとりニンマリ。 風景が美しいというのは、最高の贅沢だ。 この土地を選んだのも、里の景色が美しかったから。 私はなるべく、美しいものを見て人生を終えたいと思っている。 その点に関しては、かなり貪欲な方かもしれない。 午後、せっせと道路際の地面を手鎌で整えていたら、ご婦人に声をかけられた。 どうやら、ご近所さん。 ピアニストだそうで、彼女の家からはいつもピアノの音が聞こえる。 以前、旦那さんとは言葉を交わしたのだが、彼女と話すのは初めてだ。 彼女が下の名前で自己紹介をしたので、私も下の名前をお伝えする。…

小鳥とリムジン

本日、配本。 ということで、温泉から戻ってから、ひとり静かに物語の誕生を祝して乾杯した。 思い返せば、ここに辿り着くまでに、本当に色々あったなぁ。 もう次の作品は書けないんじゃないかと、本気で思っていたし。 『小鳥とリムジン』は、この山小屋で書いた物語、第一号だ。 どんなに順風満帆に追い風を受けながらルンルン気分でスキップしていても、すっ転ぶときはすっ転ぶ。 どんな人もそう。 すっ転んだり、穴に落ちたり。 そのときは、もうダメだ、生きていけない、と思う。 血を流し、たんこぶを作り、アザができて、痛くて、苦しくて、もう二度と笑ったりできないんじゃないか、と人生を悲観する。 私も、そうだった。 思いっきりすっ転び、ズボッと穴にはまって、身動きがとれない時期があった。 それでも今、私はご機嫌で森で暮らしている。 その現実を、あの頃の自分は全く想像できなかった。 でも、奇跡みたいなその現実が、実際に起きている。 多分これが、自然治癒力なんだと思う。 私は、大自然に本当に本当に助けられた。 そして、大自然が私に教えてくれた多くのことが、物語に反映されている。 人間関係で苦しんだり、自分が病気になったり、大切な人を失ったり、どうしたって人生には思わぬ辛苦がつきものだ。 もう、そういうのはあって当たり前と、はなから想定しておいた方がいいと思う。 でも、避けられる苦難は、出逢わないに越したことはないはず。 小鳥の人生は、相当に過酷だ。 これまで書いた物語の主人公の中でも、群を抜いている。 それでも、私は小鳥に幸せになってほしかった。 ハードな人生を背負わされたけど、思いっきりハッピーになってほしかったのだ。 どんなに大変な人生でも、最後、笑って死ねたら、もうそれでその人の人生そのものが肯定され、良きものになると信じているから。 生まれたからには、誰しもが幸せになる権利がある、と思うから。 私たちは、幸せになるために誕生したのだと思いたい。 今は、本当に過酷な時代だと思う。 自然環境もそうだし、社会もそう。 国内もそうだし、地球規模でも、もう何が起きても不思議じゃない。 日々、最短で最大の成果が求められるような息苦しい世の中で、心身の健康を損なわないでいること方が難しいんじゃないだろうか。 誰しもが、どこかに不調を抱えながらギリギリのところで生きている。 だから、自然治癒力が大事なんじゃないか、と思うのだ。 他人の力に頼るのではなく、自分で自分の傷の手当てができたら、もっと楽になるはず。 自然治癒力や生命力は、本来誰もが持って生まれてくるのだと思うけど、自然から離れた現代的な生活を続けると、どんどん目減りしていってしまう。 物語は、良いイメージトレーニングになる。 自分の癖を、物語を読むことによって、修正したり、選択肢を増やしたり、することができる。 私は、そんな物語の力を信じたい。 物語を書くことは、私にとって、聖域中の聖域に足を踏み入れるようなもの。…

バッハを聴きながら

朝、山小屋の玄関のドアを開けると、やっぱりうにうにがいた。 あっちにもこっちにも、うにうに、うにうに、うにうに、うにうに。 もう、そこらじゅうに、うにうにがいる。 正式な名前はヤスデだそうで、クリーム色の体に脚がたくさん付いているから、最初はムカデかと思って身構えた。 でもムカデとは違い、刺してきたりはしないというから安心した。 ムカデは肉食性だが、ヤスデは腐植食性で、毒のある顎も持たない。 じめっとした薄暗い場所を好むらしく、雨上がりの朝は、集団でうにうにしている。 8年に一度大発生するそうで、今年はその当たり年(?)なのだ。 前回の8年前は、あまりの発生ぶりに在来線の電車を止めたらしい。 見ていて可愛いとはなかなか思えないが、まぁ、家の中とかには入ってこないので、温和な性格(性質?)をありがたく思っている。 それにしても、なぜ8年に一度なのか。 一体何のために、大量発生するのだろう。 自然界は、本当に神秘に溢れている。 うにうにをなるべく踏みたくないので、最近は下ばかり向いて歩く私。 それでも、うにうにを踏まずに歩くのは至難の業だ。 久しぶりに雨が上がってゆりねとお散歩に行きたいけど、うにうにロードをどうやって歩こうか、真剣に考えている。 昨日は、里の友人と久しぶりに会ってランチを楽しんだ。 お互い、まるで名刺交換するみたいに、自分で作った栗のお菓子を交換し合う。 私は出来立ての渋皮煮を、彼女は栗きんとんを。 どちらも、買った栗ではなく、自らが拾った栗だ。 彼女の森にある栗は山栗で、とてもとても小さい。 そんな小さな栗をせっせと剥いて、作ってくれた。 しかも、ゆりね用に砂糖を入れない、小さいサイズも作ってくれるのだ。 去年も、一昨年も、ゆりちゃん用と糸ちゃん用、2種類作って持ってきてくれる。 ベジタリアンの彼女と外でご飯を食べるときは、大体この店だ。 野菜だけで作られているとは思えないほど、ずっしりとボリュームがあって、いろんな味が楽しめる。 私も、森暮らしをしてから、お肉もお魚もほとんど食べなくなった。 だから、たまに里におりて、いわゆる「豪華なご馳走」を前にすると、驚いてしまう。 まるで自分が、殿様にでもなったようで、なんだかちょっと居心地が悪い。 昨日は、開け放った窓から金木犀の香りがした。 古い民家を美しく整えた、とても居心地の良いお店。 店主の男の人がひとりで切り盛りしているから、ついお手伝いをしたいような気分になる。 ランチプレートに、食後のデザート(モンブラン)とコーヒーもお願いし、すっかりお腹が満たされた。 帰りにノラコヤに立ち寄り、小雨が降る中、もう一度彼女と栗拾い。 今年は栗が豊作らしい。 どんぐりも豊作らしいから、山の熊たちはさぞ喜んでいるに違いない。 秋は実りを収穫して、それを保存すべく加工しなくてはいけないから、何かと忙しいのだ。 大量の栗仕事は、バッハを聴きながらやったら思いの外はかどった。 私が山小屋でかける音楽のほとんどは、バッハだ。 バッハの曲は、ベタベタと感情に訴えてこないのがいい。…

野良栗

食べ物が落ちていると、つい拾ってしまう。 今日は、栗と目が合った。 ノラコヤの打ち合わせに行き、終了後ぐるりと周辺を見回っていたら、落ちている、落ちている。 正確には、ノラコヤの敷地に生えている栗の木ではなく、お隣さんとの境界線にある栗なのだが、隣家にはもう誰も住んでいないし、こっち側にもたくさん落ちているので、気づいたら夢中で拾っていた。 なんて楽しいのだろう。 トングを持ってくれば良かった、と後悔しつつ、車に積んであるゴム手袋をはめて、一心不乱に栗を拾う。 縄文の人たち、きっと楽しかったはず。 足元に食べ物が落ちているって、本当に幸せだ。 ちょっと拾っただけでも、バスケットがずっしりと重たくなった。 母は、運動会の度に栗ご飯を作ってくれた。 私は、運動会そのものより、お昼に食べられる栗ご飯のお弁当が楽しみだった。 だから、私にとっての運動会は、栗ご飯。 大人になって、母が亡くなり、誰も私に栗ご飯を作ってくれる人がいなくなった。 仕方なく自分で栗ご飯を作ったら、なんて大変なんだろう、と途中で癇癪を起こし、栗を放り投げたくなった。 鬼皮を剥いて、更に渋皮も剥いて。 指先には、ナイフで切った小さな傷跡がたくさんできた。 その時、母がどんな思いで私に栗ご飯を作ってくれていたのか、ようやく理解し、号泣した。 もう二度と栗とは格闘するまい、と心に誓うのだけど、秋になって栗を見ると、去年の苦労をすっかり忘れ、つい買ってしまう。 でも、今年はその栗を拾うことができた。 多分、私がノラコヤでやりたいのは、こういうことだ。 私が拾わなかったら、きっと栗たちは、また分解されて土に戻るだけ。 だから、私が拾って、食べ物にする。 こんなにも美しいものを育み、分け与えてくれる地球に感謝しかない。 何分の一かはお世話になっているご近所さんにお福分けし、残りはこれからせっせせっせと栗仕事。 まずは山小屋で一番大きい鉄鍋にお湯を沸かして、そこに入れ、鬼皮を柔らかくしている。 今日拾った栗を全部お手入れするのに、一体何時間かかるのか。 果てしのない作業だ。 昨日は、トリスタンとピクニックをした。 例の如く、前日の夜にメッセージが来て、用事があって明日来るという。 ちょうど私も時間があったので、気持ちのいい森でピクニックをしようということになった。 近くのパン屋さんに行ってサンドイッチやらスープやらをゲットし、あとはいつも車に積んであるピクニックセットをそれぞれ持って、秘密の場所へ。 そこからは、遠くに滝が見えて、ちょっとしたスペースもあって、いい感じに光が降り注ぐ。 山小屋にあったリンゴやプルーンも、外で食べればまた格別の味になる。 わざわざ高いお金を払ってお店でランチなんかしなくても、これだけで十分。 森にいれば、こういう豊かな時間の過ごし方ができる。 トリスタンに、出来立てホヤホヤの『小鳥とリムジン』を手渡した。 最終的な本という形で読む読者は、おそらくトリスタンが第一号だ。 新刊の出版にあたり、私は久しぶりに緊張している。 どうなんだろう? どんなふうに届くんだろう?…

火の力

里での仕事と用事を大急ぎで済ませ、速攻で山に戻ってきた。 一体、海と山の往復で、何度(宇多田)ヒカルちゃんの曲をリピートしたか。 長時間運転する時は、彼女の声でないと気持ちが乗らないのだ。 ふだん家にいる時は、まず聞かないのに。 山小屋に戻ったら、すっかり秋が進んでいる。 窓から見えるカエデの木の葉が真っ赤に色づいて、森全体が秋めいている。 たった半月会わないだけだったのに、自分の庭がとても懐かしい。 みんな無事だったかな、と庭と森の植物たちに目をこらす。 あぁ、やっぱりここは特別に美しい場所だと自画自賛した。 雨を受けて、苔たちが一際大きな歓声を上げて喜んでいる。 山小屋を建ててから、家もまた生き物だと感じるようになった。 たとえるなら、巨大な獣。 寡黙だけど、あったかくて、優しくて、頼もしい存在だ。 時には甘えたり。 だから、こちらがかまってあげないと、すぐにすねる。 毎日毎日、それこそゆりねと接するように、撫でたり、さすったり、かわいいね、と声をかけたり、そういう気持ちが大事で、その気持ちがなければ、家は生き物ではなく、ただの容れ物になってしまう。 どんなにお金をかけていい素材をふんだんに使った立派な家でも、住んでいる人から愛情をもらえなかったらいじけるだろうし、逆にどんなに粗末な掘立て小屋でも、住んでいる人が絶えず愛情を注いで自らの自慢のお城のようにかわいがれば、そこは唯一無二の魅力的な空間になる。 同じ空間でも、愛情次第で、全く違うものに変容するのだ。 だから、やっぱり家はそこに誰かが住んで日々大切にしなくては、いじけてしまう。 今回の里暮らしで、そのことをしみじみと実感した。 家は、住んでこそ、血の通った温もりのある「家」になると。 そこが、二拠点生活の難しさかもしれない。 どうしたって、体はひとつしかないのだから。 夜になり、寒くて薪ストーブに火を入れた。 今シーズン初の薪ストーブ。 やっぱり生の火は、見ているだけで心が落ち着く。 炎を見ていたら、しばらく頭が空っぽになり、動けなくなった。 冬の匂いがする。 いよいよ、本格的な寒いシーズン到来だ。 海辺の町のアパートは川沿いにあったので、常に水の音が響いていた。 そこから較べると、山小屋は本当に音がしない。 久しぶりに完璧な静寂に包まれて、脳が思いっきり覚醒している。 今年はどんな冬になるのかな。 その前に、球根を植えなくちゃ。 明日はノラコヤに会いに行こう。

抱擁力

先週末から里にいる。 ほほぅ、これが噂の「酷暑」かとすぐに納得した。 確かに、室内から一歩外に出れば、そこはミストサウナ状態だ。 車でおりてくる時、北欧から一気にハワイにやって来た気分になった。 海、そして椰子の木。 海外旅行をしているような、ふわふわした気持ちが続いている。 里に来る少し前、友人に精油を送った。 歳の離れた、大切な大切な心の友が、旅先で怪我をして骨折したという。 骨折にはヘリクリサムとミントの精油が効くので、とにかく試してみてほしかった。 一緒に、彼女の大好きなイランイランのクリームも作って準備した。 イランイランは、心にできた深い傷を大きな愛で優しく包むように癒してくれる。 送るのにちょうどいい小さな箱がないかと探したけれど、見つからない。 それで丈夫な作りの紙袋に入れ、その隙間に庭のタイムをたっぷり詰める。 目もダメージを受けているとのことだったので、あえて、メッセージカードも手紙も添えず、取り急ぎ、それだけを送った。 どうか少しでも彼女が楽になりますように、と願いを込めて。 翌日、彼女からラインでメッセージが届いた。 タイムに顔をうずめ、初めてひとりで涙を流したという。 ずっと堪えていた感情が、タイムによって出口を見出したのだと思う。 ただ、私はプチプチの代用品として、そばにあったタイムをわっと入れただけだったけど。 タイムたちが、私の気持ちを言葉以上に巧みに運んで、彼女に伝えてくれたのかもしれない。 改めて、植物の持つ抱擁力を感じた。 正確には、包容力。でも、今回の場合は「抱擁力」とした方がしっくり来る。 私に代わって、植物たちが彼女を慰めてくれたのだ。 本当に、植物たちの力は偉大である。 『小鳥とリムジン』で描きたかったこと。 それは、人間の持つ生命力や、自然治癒力について。 本来、誰しもが生まれながらに持っているものだと思うけれど、意識してそれを守っていかないと、現代のような生活スタイルでは、知らず知らずのうちに目減りしてしまう。 人が、本来持っている底力のようなもの。 自分で自分の傷を癒す力。 植物たちは、それを促すというか、後押ししてくれる存在なのではないだろうか、と森で暮らすようになってから多くの場面で感じるようになった。 偉大なる植物たち。 私はすでに、森の木々たちや草花が恋しくて恋しくて仕方がない。 早く、森に帰ろうと思う。

小さなお守り

秋だ。 風が吹くたび、はらりはらりと葉っぱが落ちてくる。 ブルーベリーに始まった果物リレーは、桃から葡萄へ、更に葡萄から林檎へとバトンが渡されつつある。 林檎の顔を見ると、秋の気配をますます強く実感する。 今は、葡萄が真っ盛り。 さすが、山梨県。葡萄がおいしくて、おいしくて。 見ると、お財布の中身も気にせずに、つい連れて帰ってしまう。 体調がものすごく悪かった時も、葡萄なら食べられた。 わざわざ皮をむかなくてもいいし、好きな量を好きな分だけ口に含むことができる。 葡萄って、体が弱っている時の強い味方だ。 そういう意味では、苺やさくらんぼも、お見舞いには持ってこいだ。 昭和の時代は、それがバナナだったのかもしれない。 あと、今回ダウンしていた時、むしょうに桃の缶詰が食べたくなった。 生の桃ではダメで、欲していたのは甘いシロップにどっぷり浸かった缶詰の桃。 これからは、常備しておくといいかもしれない。 誰かがそばにいて甲斐甲斐しく看病してくれるならいいけど、そうじゃない場合は、林檎とかをお見舞いにいただいても、正直、皮をむく気力がない。 パイナップルなんて、絶対に無理だ。さばけない。 最近、私の周りで体調を崩している人がたくさんいる。 というか、心身共に健康な人の方が、少ないかもしれない。 そりゃ、そうだ。 連日の猛暑、雷雨、台風、地震。気が休まる時がないのだもの。 今は、ものすごく過酷な時代だと思う。 その日を生きるだけで、精一杯。 健やかでい続けるのは、本当に本当に大変なことだと思う。 だから、体調や心のバランスを崩して疲れている人に、私はせっせと葡萄を送っている。 葡萄なら、それほど痛むのも早くないし。 そのくらいしかできないけど。 これからは、自分で自分をいかにケアするかが、ますます重要になってくる。 人に頼っていては、追いつかない。 体調が回復するのを待ち、今日は朝からサイン。 来月、新刊が出るので。 製本前の紙だけを送ってもらい、山小屋でせっせと自分の名前をサインする。 窓の向こうには、朝の光に耀く森。 森は、本当に笑うのだ。 特に、雨上がりの朝は、あふれんばかりの笑顔になる。 タイトルは、『小鳥とリムジン』。 どうか、この物語を必要とする人の手に届きますように。 誰かさんにとっての、小さなお守りになれますように。 そんな願いを込めながら、一枚一枚の紙にサインする。 紙もまた、木からの贈り物だ。…

ひょっとして?

里で野良仕事をしていて、おや? と気になる植物を見つけた。 似ているのだ、ヒョウに。 正式の名はスベリヒユ。全国どこにでも生える雑草である。 その雑草を、食糧難を乗り越えるため、上杉鷹山が食べるのを奨励したので、以来、山形ではヒョウを食べる習慣ができたらしい。 日本でヒョウを食べるのは、山形と、あと沖縄だけ。 葉っぱがぷくっとしていて、茎が赤みを帯びている。 これはヒョウだよな、間違いなくヒョウだよな、と思いながら、その場で葉っぱを齧ってみた。 山小屋に戻ってもう一度ちゃんと調べたら、やっぱりヒョウだった。 山形の人は、ヒョウを食べる時、「ひょっとして、いいことがあるかも?」という願をかけるそうだ。 その控え目な感じがいかにも山形の人だなぁ、と微笑ましく思う。 ヒョウは、お浸しにして食べるのが一般的で、私もうっすらとだが、幼い頃に食べた記憶がある。 ちょっと滑りがあって、ほんのり酸味がある。 そっか、だからスベリヒユを漢字で書くと「滑莧」なのか、な? ものの十分もつむと、カゴがヒョウでいっぱいになる。 これだけあれば、十分だ。 山小屋に戻り、さっそくゆがいた。 お浸しはもちろん、私はごま油で和えてナムルにして食べるのも好き。 お味噌汁の中に入れてもいいし、モヤシの代わりにラーメンに加えるのもアリかもしれない。 実は、ちょっと前、ヒョウがノラコヤの畑にあったらいいな、と思って、どこで苗が手に入るのだろう、と考えていたのだ。 もしかすると、山形の道の駅とかに行けば売っているのかな、と。 わざわざそんなことをしなくても、そこに生えていたのだから、嬉しい嬉しい。 これから、食べ物がなくなって困った時は、ヒョウをつんで食べればいい。 初夏に植えたイチジクの苗木にも、小さな実がひとつついているし、この先、果樹が大きく育つのが楽しみだ。 そして、もうひとつの、ひょっとして? は一昨日の夜のこと。 9時ちょっと前、もうそろそろ寝る準備を始めようかと思っていたら、窓の向こうでバサバサと大きな音がする。 何? と思って見たら、明らかに生き物の顔があるのだ。 三角の耳がピンと立っているので、最初は猫かと思った。 でも、いくら運動神経抜群な猫でも、階段も梯子も使わずに、2階の窓までは上がれない。 え、ひょっとして、あなたは?!? お目目がまん丸で、ものすごくかわいい。 窓のところで羽をばたつかせながら、興味深そうに山小屋の中を覗き込んでいる。 視線の先にいるのは、まどろむゆりねだった。 こんなに近くでフクロウを見るのは、初めてだ。 夜、鳴き声も聞いたことがなかったから、まさかフクロウが身近にいるとは思っていなかった。 もしかして、森の木に巣をかけたら、フクロウが住んでくれるだろうか。 またひとつ、やりたいことが増えてしまった。 もしや、ヒョウが運んできた「ひょっとして?」は、フクロウだったのかな。 また会いたいな。 でも、夜の明かりは野生動物を混乱させてしまうのかもしれないので、夜になったらロールスクリーンを下ろしておいた方がいいのかもしれないな。

たべもの先生

ようやく昨日くらいから、普段の暮らしができるようになってきた。 お盆の頃、夏風邪を引いてしまったのだ。 最初に喉がやられ、丸3日食事もできずにダウンしていた。 ちょうどお盆休みでお医者さんはやっていないし、たとえやっていてもあのコンディションで自力で車を運転するのは逆に危ないし、手元にある漢方薬を飲み、とにかくひたすら寝て過ごす。 症状が一番ひどい時は、何をやっても焼石に水なので、本当なら、ちょっとおかしいぞ、という段階でやれることをすべて実行すればよかったのだけど、遅かった。 少し動けるようになってからやって効果的だったのは、大好きなバニラアイスにプロポリスをたっぷりかけて食べるのと、葛湯にかりん飴を溶かして飲む、そのふたつ。 せっかくなので精油も試したかったのだが、精油の蓋を開ける元気すらなく、それをオイルと混ぜたりなど、できる状況ではなかった。 改めて、プロポリスや葛の偉大さに気づかされた。 冷凍庫にアイスが残っていたのも、不幸中の幸いだった。 こんなに体調が悪くなるのはいつ以来だろう、と考えて、あ、インドのヒマラヤで具合が悪くなった時もこんな感じだったぞ、と思い出した。 あの時も夜中に喉が痛くなり、あれよあれよという間に、起き上がれなくなった。 そっか、あの時はこんな状態で登山したのだ、と気づき、よくぞあの状況で登ったものだと自分を褒めたくなった。 で、今だから明かせるけど、とにかくあの時は臭くて臭くてたまらなかったのだ。 ここに居て一日臭い思いをするくらいなら、山登りでもした方がいい、と判断した結果である。 その宿は、人から出る排泄物を農業に利用する循環型の暮らしを試みていた。 それ自体は、本当に素晴らしいことだと思うし、日本でも、そういう暮らしを実践している人たちがいる。 自分ではそこまでできないので、実際にしている人たちを私は心から尊敬する。 ただし、衛生面に気をつけて、気持ちよくそういう仕組みを取り入れなくては、意味がないと思うのだ。 そのインドの宿では、食堂のすぐ横にトイレがあって、しかもドアも常に開けっぱなしで、食事をしている時も臭いが筒抜けだった。 ハエも凄くて、居て当たり前という状況。 だんだん、気分が悪くなって、せっかくおいしい食事が出されても、おいしく食べられなくなっていた。 そんな環境下で、具合が悪くなったのだ。 そもそも、高山病がずっと続いていて辛かったし。 それでも登れたのは、やっぱりよほど臭かったのだ。 まさしく、耐え難い臭さだった。 今回、具合が悪くなってそんなことをリアルに思い出した。 やっぱり私、臭いのは嫌だ、と切実な気持ちになる。 普段、当たり前のように体を動かしているけれど、具合が悪い時は、山小屋の階段を上るだけでも息がハァハァになってしまう。 体が、私の命を生かしてくれているのだ。 なんてすごいことなんだろう。 体が元気じゃないと、ごはんもおいしくないし、音楽も聴く気になれない。 お酒だって飲みたくない。 だから、いかに体が日々の幸せを支えてくれているか。 具合が悪くなるたびに、身に沁みる。 昨日はようやく野良仕事に行けた。 約2週間ぶりだったけど、雑草たちの生命力にただただ圧倒された。 黙々と草を抜く。 そして今日は森のお手入れ。 自然は、疲れた心だけじゃなくて、弱った体も癒してくれる。 多分、もう大丈夫。…

整理整頓

気の早い葉っぱが、もう色を変え始めている。 一枚、また一枚と落ちてくるのを見ていると、季節は確実に秋へ、そして冬へと向かっているのを感じる。 友人が山小屋を訪ねてきたり、ノラコヤの上棟があったり、植物たちに水をやりに朝野良をしたり、湧き水に水をくみに行ったり、この夏は目まぐるしく時が過ぎていく。 気温が上がりそうな日は、里に下りると暑いので、温泉にも行かず、ひたすら森にこもっていた。 真冬と真夏は、山小屋から出ない日が多くなる。 冬同様、夏もまた読書が進んだ。 森暮らし3シーズン目を迎え、森と私の呼吸が合ってきた。 ここの空気が、すっかり自分の肌に馴染んでいる。 庭の植物たちは、去年よりはずっと健やかに成長している。 花が咲くと、やっぱり嬉しい。 花は、その植物の、「ここにいるよ!」の合図だと思う。 去年植えた植物たちと再会できるのは、最高の喜びだ。 もちろん、柵をしていないので、今年もシーに食べられている。 葉っぱが茂ってきて、もしやこのまま大きく成長するのでは、と期待に胸を膨らませていると、翌朝、あっさり丸坊主にされている。 木苺なんて、もう2回も丸坊主にされた。 それでも、恨みつらみを言うわけでもなく、いじけるでもなく、食べられても食べられても、また健気に葉っぱを芽吹かせる。 その姿が、本当に偉いなぁ、と感心する。 森の管理で大事なのは、整理整頓だ。 森の木々は、強い風が吹くと途中で折れて地面に落ちたり、枝の途中で引っかかったりする。 秋になれば大量の落ち葉も出るし、草取りをすれば、抜いた後の草がこんもりとした山になる。 でも、それらは決してゴミではない。 私が悲しいと思うのは、落ち葉を袋に詰めてゴミとして出す行為で、ちゃんと土に戻してあげれば、それは腐葉土となって地球に返っていくのになぁ、とはがゆくなる。 というか、ゴミ扱いされる植物が、本当に気の毒でならないのだ。 落ちた枝だって、ちょっとした手間をかければ薪になるし、柵にしたり畑の道具として使ったり、工夫次第でいくらでも使い道がある。 抜いた後の雑草だって、また抜いたところに戻しておけば、土の乾燥を防ぐのに役に立つ。 時間が経てば、また土に戻っていく。 そうやって、姿形を変えながら地球の巡りが成り立っているのに、人が余計な横槍を入れることで、その循環が途絶えてしまう。 森は、ほったらかしにしておくと、やがてヤブ化して、手がつけられなくなる。 だから、ヤブにならないよう、落ち葉は落ち葉、枝は枝、石は石、などとジャンル分けして、それらをまとめて置いておく。 それだけで、森はぐんときれいになって、気持ちよく風が通るようになる。 整理整頓ができるのは、人間だけの才能。 そんなにきっちりやらなくても、なんとなく場所を決めてくだけで、森がヤブになるのを防げる。 ということに、この夏私は気づいた。 大事なのは、緩やかな整理整頓である。

一日一桃

桃、真っ盛り。 車で走っていると、あっちにもこっちにも、「もも」ののぼりがはためいている。 果物王国の山梨県が近いので、夏は桃が食べ放題だ。 硬い桃、柔らかい桃、黄色い桃、大きい桃、小さい桃、ハネ桃、いろんな桃が楽しめる。 少し前に、歳上の友人が彼方へと旅立った。 出会ったのは、私がまだ二十代の前半で、社会人になったばかりの頃。 こんなに素敵な生き方をしている女性がいるんだと、目から鱗が落ちるような鮮烈な出会いだった。 以来、彼女はずーっと私のお手本であり、憧れでもあった。 自由で、でもちゃんとしていて、人との距離感が絶妙だった。 彼女に対して、一度だって嫌な感情を抱いたことがない。 思えば、私が作家になるずっと前から、応援してくれていた。 元気がない時はご飯を作って食べさせてくれたり、映画の試写会に連れて行ってくれたり、とにかくたくさんのことを教えてくれた。 親と言ってもいいほど歳は離れていたけど、常に「友人」だった。 物語が書きたいのになかなかその道が見出せず悶々としていた頃、自分の書いた文章をプリントアウトして彼女に読んでもらっていた。 今から思うと、かなり恥ずかしいのだけど。 そんなもの、渡された方だって困っただろうに。 でも、そんな幼い振る舞いも大らかに受け入れてくれる人だった。 そして、適切なアドバイスをくれた。 だから、『食堂かたつむり』の出版を誰よりも喜んでくれたし、その後も、ずっと応援し続けてくれた。 相手が大丈夫そうな時は遠くから見守り、何か助けが必要そうな時はサッと近づいて手を差し伸べてくれる、常にそういう感じだった。 彼女が亡くなった日の朝、里の友人がわざわざ山小屋までそのことを知らせに来てくれた。 とてもとてもきれいな青空の日で、彼女の旅立ちに相応しかった。 最後の方、体は相当ダメージを受けていたはずだけれど、最後の最後まで彼女の魂は健やかなままで、それが本当に素晴らしいと思った。 あんなふうに人生を終えられる人は、なかなかいないだろう。 共に彼女にお世話になった同い年の友人ふたりと涙して、でもそれ以上にたくさん笑って、彼女を見送った。 私の山小屋にあるベンチも、ソーイングテーブルも、デスクも、彼女から譲り受けたものだ。 ものすごくセンスが良くて、かっこよくて、今でも私のお手本だ。 私は、本当に多大な影響を受けている。 もう会えないんだ、と思うともちろん悲しいけれど、それ以上に出会えたことが喜びだし、心の中には感謝の気持ちがあふれている。 その日は、友人と、近くの滝壺に行って、桃を冷やして食べた。 心の中で、彼女の名前を呼びながら。 だから、桃を食べるたびに、亡くなった友人のことを思い出す。 桃は、そのまま食べる以外にも、サラダにしたり、パスタにしたり、コンポートにしたり、ジャムにしたりといろんな食べ方があるけど、最近のお気に入りは、近くのおいしい湧き水を寒天にして、それとあんこと桃と一緒にし、あんみつ風にしていただく食べ方だ。 これだと、食欲のない暑い日でも、スイスイ食べられる。 今日は、どのタイミングでどこでどうやって桃を食べようか。 毎朝、そのことを考えるのが密かな楽しみになっている。 この夏は、一日一桃と決めているのだ。 桃を食べる私の横に、彼女がいるような気がする。 いや、きっといる。 そして、空を見上げながらタバコをふかしている。…

信州夏旅

立て続けに2回、旅行に行ってきた。 前半は、新潟から北信、富山と巡る日本海側へ。 一度山小屋に戻り、再び北信へ。 森暮らしを始めてからすっかり出不精になり、旅といえば、長野県内を楽しむのが主流になった。 海こそないものの、長野県は広大で、表情も豊か。まるで小さな国のよう。 美しい自然も、おいしいものも、温泉もたくさんあるから、県内だけで十分楽しめるのだ。 海がないとはいえ、北の端まで行けば、日本海はもうすぐそこ。 日本海側を巡る旅では、氷見まで行ったので、最終日に足を伸ばし、能登へ。 一本杉商店街がどうなっているのか、この目で確かめに行く。 地震の傷跡が、まざまざと残っていて胸が痛くなった。 しら井昆布店はまだ営業しておらず、鳥居醤油店も本格的な営業再開には至っていない様子だった。 白井さんにも鳥居さんにもお会いできないまま、能登を後にする。 能登に活気が戻る日を祈るばかりだ。 新潟の糸魚川では石拾いに没頭し、湖のほとりでサウナも満喫した。 普段は口にできないようなおいしいものをたくさんいただき、最高の夏旅だった。 気がつくと、7月もあっという間に半分以上が過ぎ、私はもうすでに夏の終わりを感じ始めている。 この後はもう大きなイベントもないし、来月控えている大仕事に向けて、また少しずつ気持ちを整えていこう。 山小屋に連れて帰った糸魚川の石たちは、丸くて、どの子も愛らしい表情をしている。 ヒスイ海岸は、噂の通り、宝の山だった。 拾っても拾ってもキリがなく、自然の力だけでこんなに美しいものが誕生することに、改めて感動した。 石たちは、いきなり高いところに来て、びっくりしているだろうか。 海抜ゼロメートルの所から、標高1600メートルの山の中へ。 でも、不思議だけれど、かつてはここも海だったのだ。 私の行動範囲は、ほぼフォッサマグナ内に収まっている。 友人らが帰り、久しぶりに静かな朝を迎えた。 立派なタマゴダケを見つけて、嬉しくなる。 夜はこれでパスタを作ろう。

ひかりあふるる

今日はノラコヤの地鎮祭。 まさか、人生で2回も、しかもこんなにすぐにまた地鎮祭をすることになるとは、自分でもびっくりだ。 朝まで降っていた雨がピタリと止み、山小屋を出る頃には青空が広がっている。 自慢じゃないが、私はかなりの晴れ女だ。 地鎮祭は、してもしなくてもいいのだけど、やっぱりやると気分が晴れる。 神主さんに土地の神様をお呼びしてもらい、工事がつつがなく終わることをお祈りする。 何より、そこで働く大工さんたちに怪我などがありませんように。 気持ちの問題だけど、やるかやらないか、心理的には大きいのではないかと思う。 祭壇に並べられた魚や野菜。 やっぱり、日本の伝統的な儀式というのは、いいものだな。 地鎮祭の間中、鳥の声が響いていて、なんだかとても幸せだった。 参加者の中には、数日前にパリからやってきたという工務店で働くインターンの方もいたけれど、きっとものすごく珍しい風景だったんじゃないかしら。 お米をまき、お酒をまき、塩をまき、場を清めた。 いよいよ、本格的な工事がスタートする。 それにしても、雑草の勢いが凄まじい。 前回行った時よりも、明らかに成長している。 遮るものが何もなく、日当たりがいいので、もう好き放題だ。 この雑草たちとどう向き合うかも、これからの大きな課題である。 好き嫌いをせず、どんな草でもせっせとおいしそうに食べる、かわいい山羊が、いてくれたらなぁ。 少し前に植えた果樹は、どうやら根っこがついたようで、以前より逞しくなっていた。 もう自力で、天からの恵みの雨だけでやっていけるだろうか。 あまり甘やかしてもいけないと思いつつ、これからの暑さに耐えられるかがちょっと心配。 7月いっぱいと、8月の半分は夏休みにしたので、これからは、まだ涼しい早朝のうちに野良仕事に出かけよう。 夏休みは、朝から本を読んだり、野良仕事に汗を流したり、暑くなったら滝のそばで涼んだり、森でビールを飲んだり、夕暮れ時に瞑想したり、友人と楽しい夜を過ごしたり。 だって、森の夏は短いのだ。 この夏の光を、思う存分楽しまなくちゃ。 ノラコヤの敷地の一角に生えている梅の老木に、たった一粒だけついていた梅の実は、今、梅ジュースにすべくはちみつに漬けている。 うまく剪定をして、来年はもっと実がついてくれるといいけどな。 どんな夏になるか、楽しみだ。

森のお茶会

朝、外に出たらコメツガの大木の下で雨宿りをするシーの親子がいた。 母鹿と、仔鹿。 仔鹿はまだ小さくて、背中に白いかのこ模様が点々とある。 私の存在に気づいたらしく、颯爽と森の奥へ駆けて姿を消した。 そう、その方がお互いにいいからね。 どうか、人や車に慣れませんように。 最近、立て続けに車にはねられた野生動物を見た。 この間は、猫。その前は、狐。そして、昨日は狸か何か。 そういう姿を見て、心の底から可哀想と感じるようになった。 都会で猫が道路に死んでいるのを見ても、以前だったら、ただ気持ち悪がって避けて通るだけだったと思う。 でも今は、本当に気の毒だと思う。 できることなら、それ以上車に潰されない、道の横に動かしてあげたい。 はねる方だって、はねたくてはねたわけではないだろう。 でも、そんな形で生涯を終えざるを得なかったその生き物が、可哀想でならない。 せめて、命を全うし、最期は土の上で迎えて欲しかったと思う。 人の暮らしが動植物たちの住処を奪っているのは明らかで、これ以上奪ってはいけないのではないか。 そういう場面に遭遇するたび、強く思う。 昨日は大雨で、道路一面に、獣の骨や内臓が散らばっていた。 なるべくなるべくひかないように、車を走らせたけど。 ごめんなさい、と思う気持ちは今も続いている。 大雨の中出かけたのは、お茶のお稽古に行くためだった。 友人に先生を紹介してもらい、昨日がそのお稽古の日だった。 お茶のお稽古は、もう20年近くご無沙汰している。 その間に、ほぼほぼ忘れている。 でも、20年前は理解できなかったことも、今ならできるかもしれない、と思ったのだ。 昔は、うわぁ、めんどくさくて絶対にこれは無理、とはなから作るのを諦めたお菓子も、今レシピを見ると、あれ? そんなにめんどうじゃないかも、となって、すんなり作れたりする。 車の運転だって、おそらく私が二十歳の頃だったら、できなかっただろう。 いろんな経験をし、分別もつくようになった今だから、自分を信用できるようになり、運転もできるようになった。 だから、お茶の世界も、今だとまた違った感性で入れるかもしれない。 先生は、確か89歳。 田んぼに囲まれたお寺で、マンツーマンで教えてくださる。 月に一度、心静かにお茶を飲みたい、そのついでにお稽古もしたい、というのが私の希望だった。 そのことを正直に話して、それでもいいですか? と尋ねたら、いいですよ、とのことだったので。 ちなみに、一回のお稽古代は、一千円だ。 個人授業なので、私以外に生徒がおらず、自分でたてたお抹茶を自分で飲む。 一口飲んだところで、先生が、おいしいでしょ? とおっしゃった。 確かに、自分でたてて言うのもなんだが、本当においしいお抹茶だった。 水がいいからね、お茶もおいしいの。 確かに。 全体的に水のおいしい場所だけれど、この辺りは特に、水がおいしいのだ。…

ずっと、いつまでも

夏至の晩、寒くて薪ストーブを焚いた。 もうさすがに今シーズンは出番がないだろう、と思っていたのだが。 また少しずつ、冬へ向けて陽が短くなっていくと思うと、とても寂しい。 その前に、思いっきり夏を謳歌しなくては! ゆりねは今日で、10歳になる。 夏至の頃に生まれた彼女は、本当に太陽の分身みたいに、その場を明るくする。 ひねくれたところが少しもなくて、まさに天真爛漫そのものだ。 わが家に来たのは、ゆりねが三ヶ月の頃だったから、まだ丸10年一緒にいるわけではないけれど、ゆりねと共に歩んだこの10年は、私にとっても激動だった。 本当に、あっちに行ったりこっちに行ったり、振れ幅の大きい飼い主の人生に、よくぞ付き合ってくれていると思う。 10年は、あっという間だった。 これからも、ずっと、いつまでも一緒にいたい。 そう思うけれど、命には必ず区切りがあるから、私のその願いは叶わないだろう。 いつか、は必ず訪れる。 でも、その「いつか」に怯えて日々を送るより、それまでの共に過ごせる時間を、思いっきり味わい尽くしたい。 その時はその時で、ドーンと悲しみを引き受ければいい。 と思いつつ、でもやっぱりそろそろもう一匹、という考えがないわけでもない。 よく、人間に例えると何歳、という言い方をする。 一般的に、犬の10歳は、人間でいうと74歳となるらしい。 でも、私は最近つくづく、その考え方って現実にあっていないというか、ナンセンスなような気がしてきた。 確かに、肉体的にはそうなのかもしれないけど。 犬の10歳は、10歳でしかないと思うのだ。 ゆりねの行動なんかを見ていると、人間の10歳児と、中身はほぼほぼ変わらないんじゃないかと感じる。 だんだん知恵もついて、場合によっては悪知恵なんかもついて、処世術が身について、好き嫌いもはっきりして、自己主張が強くなる。 最近のゆりねは、私から出すマテの指示を、完全に無視するようになった。 マテの意味は、もちろんわかっている。 でも、対象が大好きなパンだったりすると、私がいくらマテを出したところで、しれっとパンを口に入れる。 おそらくこの10年で、ゆりねは学んだのだろう。 マテを守らなくても、別に何も悪いことが起こらない、と。 だったら、さっさと口に入れちゃっても問題ない、と。 母が入院していて、久しぶりに会いに行く際、何か食べたいものある? と聞いたら、間髪入れずにケーキと答えた。 ずっと、食べられなかったのだろう。 それで、ケーキをふたつ買って持って行ったのだが、はい、と渡すと、母は私が何かしている間に、いただきますも何もせず、黙々とケーキを食べ始めていた。 ふたつのケーキを、母はあっという間に平らげた。 よっぽどケーキが食べたかったのだと思う。 犬も人間も、歳をとるとそうなっていくのかもしれない。 ゆりねが私のマテを無視するたびに、私はあの時の母を思い出して、懐かしくなる。 今日はゆりねのバースデーだというのに、私は泊まりがけの仕事で出かけなくてはいけない。 お土産においしいパンでも買ってきて、お誕生日は明日改めてお祝いしよう。 どこにゆりねを預けようか真剣に悩んだ挙句、今回は、ここ何回かお世話になっているトリマーさんにお願いすることにした。 なんと、トリマーさんも今日がお誕生日なのだ。…

メイ・サートン

雨に閉じ込められたので、メイ・サートンの『夢見つつ深く植えよ』を読む。 彼女の作品を読むのは、『独り居の日記』に続いて2冊目。 書いた順番としては、『夢見つつ深く植えよ』の方が先とのこと。 雪や雨で外に出られず山小屋にこもって文字を追っていると、言葉が体の細胞に沁みてくるようだ。 至福の時間を味わった。 それにしても、今の私の森暮らしは、半世紀ほど前のサートンの独居生活を再現しているようで驚いてしまう。 考え方、人付き合いのあり方、自然に対しての驚き方、書くことへの思い、なんだか怖いくらいに似ている。 これほどまでに親近感を覚える作家に出会ったのは、初めて。 「体験は私の燃料だ。私はそれを燃やしながら生きてゆくだろう。生涯の終わりに、燃やされなかった一本の薪も、作品に使われなかったわずかな体験も残ることのないように。」 この文章なんて、もう完全に、私が日々感じていることの生き写しというか、そのまんまだ。 私は、こんなに的確な言葉で表現することはできないけど。 読んでいて、ゾクゾクする。 『独り居の日記』は大雪の日に、『夢見つつ深く植えよ』は雨の日に出会った。 大親友と遭遇したような心境だ。 彼女も、片田舎に引っ越したことで庭仕事に没頭する。 その気持ちが、痛いほどよくわかる。 私は、自分の好きにできる土地を持つことは、とても価値のあることだと思っている。 ドイツ人にはクラインガルテン(直訳すると、小さな庭)があるし、ロシア人にはダーチャがある。 自分の家とは別の、庭。 そこで、週末を過ごしたり、夏の時間を過ごしたり。 それがあるかないかで、人生の歓びは大きく違ってくる。 東京の新築マンションの平均価格が一億円を超えているとか。 驚いてしまう。 ただ地道にコツコツ働いていては、買うことのできない値段だ。 土地の値段が大きく反映されているのだろうが、大体、土地に値段があること自体、私はあまりよくわからない。 でも、大都会で土地を所有するのは難しくても、地方だったら、もっとずっと安い値段で土地を得ることが可能だ。 何に価値を置くか、何をもって人生の歓びとするかは人それぞれだけど、選択肢のひとつとして、サートンや私のように、片田舎に土地を所有し、その場所で好きに戯れるというのはアリだと思う。 今は、リモートでだいぶ働き方も変わってきている。 妻は都会でお金を稼いで週末だけ田舎に戻り、その間に夫は田舎で子育てをする、とか、そういうことも可能な時代になってきた。 先日、取材を終えて山小屋に戻る際、途中の駅まで担当編集者を車で送るという任務があった。 電車の時間を調べると、うーん、ギリギリ間に合うか、もしくはギリギリ間に合わないか、どちらかというかなり際どいタイミング。 その電車を逃すと、次は一時間後になってしまう。 安全運転を心がけつつ、出せるところではスピードを出して駅に向かった。 駅に着いたのが、ちょうど電車の発車と同じ時刻。 でも、ホームにはまだ電車の姿がない。 「とにかく最後まで諦めずに走ってください!」と声をかけ、送り出した。 結果、間に合ったという。 途中で諦めていたら、そこで可能性はゼロになる。 でも最後まで諦めなければ、決して可能性はゼロにはならない。 いくばくかでも、可能性は残る。…

野良はじめ

夏至が近づき、夜明けの時間が早くなっているせいか、ゆりねが朝4時半くらいから運動会を始める。 1階と2階で分かれて寝るようになってから、私は一切、目覚まし時計がいらなくなった。 毎朝、ゆりね時計に起こされている。 今朝も、夜明けと共に大運動会。 おそらく、朝ごはん! 朝ごはん! お腹空いたから、早く起きて!のメッセージだろう。 ソファから飛び降りては、またソファに飛び乗って、その繰り返しで、ドタバタドタバタ騒いでいる。 5時前に起きて、朝を迎えた。 少しだけ、雨が降っている。 車にせっせと苗を積み込んで、6時過ぎに山小屋を出た。 普段はこんな時間に運転することはほとんどないけど。 ひたすら山を下りて、里を目指す。 里で、野良仕事をすることにした。 森暮らしでは、シーと寒さで、庭と畑はほぼできない。 一応、庭も畑もできる範囲ではしているけど、常にシーのことを念頭に置かないといけないのだ。 だから、もっと標高の低い場所に土地を見つけた。 今度はそこで、庭と畑をやり、敷地の一角に野良仕事をするための作業小屋を建て、そこを冬の住処とする。 結構、壮大な計画なのだが、どうせいつかやるのなら早い方がいいと判断し、年明けから動いていた。 もう、八ヶ岳南麓エリアから出たくないし、行動範囲を狭くしたい。 色々思うことがあり、決断した。 今日は、野良仕事第一日目。 まずは、果樹の苗を植える。 今年ほど、梅雨の到来を待ち侘びたことはない。 できれば、翌日に雨が降るタイミングで、苗を植えたいのだ。 そうすれば、わざわざ水やりに行かなくて済む。 なのに、待てども待てども、梅雨が来ない。 このままで大丈夫なのだろうか、心配になる。 でも、もう苗たちもスタンバイしていることだし、今日、植えに行くことにした。 庭に果物のなる木があったらいいな、と前々から思っていた。 その夢を、ようやく叶えることができる。 ゆず、いちじく、さくらんぼ、プラム、あんず、ラズベリー、ブラックベリー、びわ、桑、柿、梅。 その環境でどんなふうに育つかわからないから、まずは植えてみる。 その土地は近くの小学校の通学路に面しているので、道路側はかわいいお花畑にしたいし、鶏も飼えたらいい。 本当はロバを飼いたいのだが、現実的に難しいだろうか。 妥協して、ヤギもいいかな、なんて思っている。 どこまで実現できるかはわからないけど、とにかく、少しでも多く、自分の糧を自分で育てられたら嬉しい。 無事に苗を植え終えて、山小屋から持って行ったなけなしの水を少しずつあげて、頑張るんだよ、と一本ずつに声をかける。 まだ、ミツバチアパート以外なーんにもない土地に山小屋から椅子を運び、古い梅の木の下に置いた。 枝が伸び放題の梅の木には、なぜか本当に一粒だけ、ものすごく立派な梅がなっている。 そこに座ってお茶を飲みながら、さくらんぼをつまんで種を飛ばした。 山小屋の周辺は原生林なので、私が手を加えられる部分はほんのわずかだが、里の土地は今、全くの白紙の状態だ。…

雨上がりの朝の森

昨夜から降っていた雨が上がった。 朝、外に出て森を見ながらお茶を飲む。 苔がキラキラ、葉っぱがキラキラ、お花もキラキラ。 梢からは春蝉の声が降り注ぎ、遠くから鳥の囀りが響いてくる。 雨上がりの朝の森ほど、美しいものはない。 地上のきらめきをギュギュッと凝縮みたいだ。 朝、森を見ながらお茶を飲みたいばかりに、一時間早く起きて、一時間ぼーっと過ごす。 至福のひととき。 ようやく、外でお茶を飲んだり本が読めような季節になった。 最近、木にもそれぞれ性格があるんじゃないかと思うようになった。 この春、合計何本の木を庭に植えたのか、数えていないのでわからないけれど、彼らを見ていると、そう強く感じる。 これまで、木は木でしかなかった私にとって、大発見である。 もちろん、犬も犬種によってその性質があるように、木にもそれぞれ、日向が好き、とか木陰が好き、とかその種の特徴はあるだろう。 でも、同じ犬種でもその子の性格があるように、木にも一本一本個別の性格を感じる。 陽気だけど、ちょっとおっちょこちょいの木。 人懐っこい木。ビビりの木。内向的な木。用心深い木。ちょっとひねくれた性格の木。 かまってもらうのが好きな木もいれば、ほっといてほしい木もある。 なかなか心を開いてくれないけれど、一度心がつながったら、ものすごく信頼してくれる木もある。 だから、それぞれの木の性格を把握した上でお付き合いすると、より関係が深まって、結果として木はうまくその場所に根を張ってくれるのではないかと思うのだ。 私は今、もっともっと木と仲良くなりたい。 日々があまりにもさらさらと、気持ちよく過ぎていくので、あれ? もしかして私、すでに死んでいるのではないのかな、と思う場面が時々ある。 私が生きているのは、死後の世界なんじゃないかと、本気で思うのだ。 全てに調和がとれていて、ストレスを感じる場面がない。 考えてみると、私は今、自分が嫌だと思うことをひとつもやっていない。 掃除をするのが嫌だからしない、とか、そういうことではなく。 魂の意志に反することはしない、ということ。 もちろん、突発的に厄介なトラブルが発生したりはするけれど、それも、まぁなんとなく片づいてしまう。 書くことは、ものすごーく楽しい。 イヤイヤ書いた文章なんて、ひとつもない。 好きだから書いている、ただそれだけ。 特に、物語を書きながら共に過ごす時間は最高に幸せだ。 こんなふうに肩の力を抜いて暮らせているのは、やっぱり森のおかげだろう。 森が、私の中に芽生える嫌な感情を、瞬時に吸い取ってくれるから。 本当に、ありがとう! と心から思う。 雨上がりの朝の森を周りの人たちにも味わってほしいと思うのだけど、今だよ! というときは、たいていゲストはおらず、結果的に私だけが恩恵を受ける。 これから梅雨を迎えるから、森はますますべっぴんさんになる。 森が、本当に輝くのだ。 もうすぐ10歳になるゆりねも、光り輝いている。

乙女百合ちゃん

台風の影響で雨が続き、丸2日、森と庭に出られなかった。 その間に、乙女百合が咲いた。 まさかと思って女石さんの前まで行ってみたら、たった一輪、乙女百合が咲いていたのだ。 またの名を、姫小百合。 山形県を含む東北の一部にしか自生していないユリで、淡いピンク色の可愛い花だ。 数あるユリの中でも、私はこの乙女百合が一番好きかもしれない。 森で暮らすようになってから、ユリが大好きになった。 それまで、ユリの花は匂いが強いし、どうも仰々しくて、あまり好ましく思っていなかった。 でも、夏のある日、森の奥で、木漏れ日を受けながら人知れず咲く一輪のユリの花と出会って、ユリの花に対する印象がまるで違うものになった。 もうこの世のものとは思えないほどの美しさで、清楚で、かつ凛として、そうか、これが本来のユリの姿なのかと悟った。 お花屋さんのガスケースに高級花として売られているユリは、同じユリでも意味が違うのだ。 ユリは断然、大自然の中で、しかも森の中に咲くのがふさわしいと思う。 乙女百合は、絶滅危惧種とのこと。 どうか、この星から姿を消さないでほしい。 ところで、私は自分の敷地の森を、自分にとっての聖地にしようと思っている。 大きな石がたくさんあるが、その中でも特に神々しい石を三つ選び、女石、男石、子石と名づけて敬っている。 きっと、昔の人たちもそうだったんじゃないかと思うのだ。 先日、用事があって出向いた先の近くの小さな神社に立ち寄ったら、苔むした大きな石の上に、小さな石の祠がのっていて、その祠もまた同じように苔むしていた。 どのくらいの時間をかけてそうなったのかはわからないけれど、おそらく先人たちも、なんとなくこの石には神々しい気配を感じるから、これを神様にしようと決め、そしてそれを長い年月をかけて崇め続けた結果、そこが聖地になったりしたのだと思う。 男石と子石に関しては何も手をかけていないけれど、一番のリーダー(?)格である女石に関しては、女性でもあるので、石の周りや上に花を植えている。 乙女百合ちゃんは、その中でも一番大事な場所に植えた大切な花だ。 去年は植えてすぐシーに食べられた。 だから今年は、万全の体制で、シー対策に励まないと。 これからしばらくは、乙女百合ちゃんを守る会の活動が忙しくなる。 明日は一日なので、女石様に日本酒を捧げ、月一度の正式なお参りをする。 石の周りをきれいにし、お酒を供えると、なんとなく、女石さんも喜んでいるように感じる。 そうやって、月日を重ね、祈り続けていれば、いつか、聖地になるんじゃないかと。 雨が続き、森の木々だけでなく、石や苔たちも、大喜びしている。

スモールファーム

ハルゼミが鳴き始めた。 気温が上がってくると、森全体から賑やかな声がする。 夏の蝉より、ほんの少しお淑やかな鳴き方だ。 初めて聞く人は、カエルの合唱と思うかもしれない。 ハルゼミが鳴くと、梅雨が近いのを感じる。 ハルゼミは松林に生息するらしく、各地で絶滅危惧種となっているとか。 今年から、庭の一角に小さな菜園を作っている。 畳一畳にも満たない狭さだが、これがなかなか重宝している。 植えているのは、ジャーマンカモミールとレモンバーム、ルッコラ2種、ミツバなど。 最近になって、トマトとズッキーニの苗も追加した。 完全な砂地だし、どう育つのか育たないのかも未知数だけど、とりあえず、今のところはシーにも食べられず、順調だ。 シーがなるべく近づけないように、山小屋に一番近い場所を菜園にした。 食事を作っていて、ちょこっと何か足りない時は、迷わず菜園へ行くようになった。 行くといっても、ただ外に出ればいいだけ。 台所のすぐ近くに菜園があるのは、とてもありがたい。 昨日は、ルッコラとケールと椎茸を摘んできて、スープに加えた。 椎茸、去年ホダ木を3本作ってみたのだけど、明らかに多かった。 近頃はひょいひょいひょいひょい顔を出すので、食べるスピードが追いつかない。 どうやら、シーも食べない模様。 嬉しい悲鳴だけれど、来年からは1本で十分かも。 今、いろんな椎茸料理を試している。 今日、チョコアイスを作っていて、ふと、もしかしたら山椒と合うかもしれない、と閃いた。 だって、チョコとミントは仲良しだ。 だったら、山椒もいけるかも。 去年植えた山椒の木に、今、たっくさんのかわいい新芽が出てきている。 葉っぱからは、爽やかなものすごくいい香りがする。 利用しない手はない。 このままだと、ただ葉っぱが成長してしまうだけだ。 果たして結果は、大正解! 山椒チョコ、世の中にはすでにもうそんな商品があるのかもしれないけれど、私としてはヒットだ。 早速、紙のカップに入れたチョコアイスの上に山椒の葉っぱをのせて、冷凍した。 季節は、どんどん先へ先へと進んでいく。 一体全体その葉っぱをどこに隠していたのか、と不思議になるほど、森は今、初々しい新緑に彩られている。 朝はお茶を飲みながら森を愛で、夕暮れはワインを飲みながら再び森を愛でる毎日。 去年、私はシー対策として、たくさん薬草を植えた。 鹿が食べない、とされる薬草だけを植えたつもりだけれど、ネットの情報とかに頼ってはダメなのだ。 そこの鹿が食べないだけで、ここの鹿は食べる、というケースがほとんどだった。 だから、ここの場合はどうか、というのは、実際に自分でやってみるしかない。 そして、更に言うと、そのシーは食べないけど、このシーは食べるとか、個体によっても違うのだ。 当たり前だけど、一概には言えないのである。…

お庭熱

水仙の花を見ていたら、涙が出てきた。 じんわりと涙が滲む、というレベルではなく、洟を垂らしながら号泣した。 かわいくて、かわいくて、世の中にこんなにかわいい存在があったのか、と初めて気づいたような感覚だった。 そこにゆりねがいっぱいいるような。 秋の終わりに植えた球根たちが、冬の間じーっと冷たい土の中で耐え、春になってお日様の合図でみな一斉に顔を出す。 なんと健気で、愛おしいのだろう。 植物たちは、冷たい雨が降れば寒そうにキュッと体を閉じて、お日様が出れば伸び伸びと嬉しそうに葉っぱや花をリラックスさせている。 世の中には、植物たちの言葉がわかったり、コミュニケーションのとれる人がいるというけど、私はそういう人が羨ましく羨ましくて仕方がない。 私も、緑の友達と話がしたい! ゆりねに明確な意識があるのと同じように、緑の友にも意識を感じる。 去年、里から連れてきて森に植えて、すぐさまシーに丸裸にされたレンギョウ。 もうダメだろうと当然のように諦めていたら、春になって小さな葉っぱを芽吹かせ、そのうち一輪だけ黄色い花を咲かせた。 わーっと満開に咲くのも見応えがあるけれど、一輪だけ、そっと咲いた奥ゆかしいその姿に目が離せない。 窓の向こうは、日に日に緑色が深まっていく。 朝起きて、お茶を飲みながら、ただただぼーっと庭や森を見ていると、一時間なんかあっという間に過ぎてしまう。 本当は、一日中見ていたい気分なのだ。 それくらい、愛着がある。 私は完全にお庭熱に浮かされている。 一番よく通っている温泉の途中にも、お庭熱にやられている人がいる。 春になると、満開のお花畑が出現するのだ。 水仙、チューリップ、そして今は真っ赤なポピーが満開だ。 お庭の一角には簡素な見晴らし台まで作り、そこには、「××ちゃんの庭」という看板までつけてある。 じっくりとお庭を拝見したいのだけど、いかんせん、そこはものすごい急カーブを利用した土地で、なかなか車を停めたりすることができない。 あぁ、もっとちゃんと見たいのになぁ。 毎回、その横を通るたびに、××ちゃんはよっぽどお花が好きなのだろう、と想像する。 木こりさんによる樹木の伐採は、つつがなく終了した。 最後は、枯れてしまった太いダケカンバを根元から切っていただく。 因果関係が科学的に証明された訳ではないけれど、どうやら枯れた原因は、浄化槽の設置にあるらしい。 山小屋を建てるに当たってどうしても浄化槽を作らなくてはいけず、それを作ったがためにダケカンバの根っこが傷つけられ、立ち枯れてしまったようなのだ。 本当に可哀想なことをしてしまった。 何年も、何十年もかけてそこまでの大木に成長したダケカンバに、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 自然は、本当に絶妙なバランスで、互いに互いを支え合いながら、様々な命がひしめき合って現状を維持している。 都会の街路樹だって、人工的に人の手によって植えられたものでも、木そのものは自然だ。 植物の存在無くして、私たちは息を吸うことも食べることもできない。 私たちがお腹を空かせれば木の実を恵んでくれるし、寒かったらその体を燃やすことで熱を恵んでくれる。 多大な恩恵をもたらしてくれているのに、私たち人間は、自分たちの勝手な都合で、そこに木を植えたかと思えば、邪魔だからと簡単に木を切り倒そうとする。 その木がそこまで成長するのにものすごい時間がかかっているのに、目先の経済だけで、その時間をいともたやすく反故にする。 なんて傲慢な存在だろう。 リニア中央新幹線を作るためのトンネル工事の影響により、周辺の井戸やため池の水が減っているという。 その事実に、胸が痛む。…

春たけなわ

どうやら、今年は筍が豊作らしい。 連休中、2日連続で筍を頂戴した。 しかも、採れたての初々しい筍だった。 新鮮な筍は、刺身にして生でも食べられるほど。 あく抜きも、米糠を入れずにただ茹でるだけでいい。 まずは、私にとっては定番である、豚肉と白滝との炊き合わせ。 お財布に余裕があれば、豚肉を牛肉に変えてももいい。 それに、筍ご飯と筍汁。 下の硬いところはサイコロ状に切り、シウマイ弁当に入っている筍を真似して、筍の甘辛煮。 それでも食べ切れない分は、お揚げと炊いて筍ご飯の素を作り、その状態で冷凍しておく。 筍と山菜で、カレーも作った。 これは、ご飯だけではなく、蕎麦やうどんにも合う。 こんなにも筍を満喫できたのは、数年ぶりだ。 掘り立てだから繊維が柔らかくて、アクもない。 これはもう、山に住んでいる者の特権だ。 山に住んでいる者の特権と言えば、タラの芽もそう。 先日、車で走っていたら、おじさんふたりが路肩に軽トラを止めて、何やら怪しげな行動をとっている。 ひとりのおじさんは細長い剪定鋏を持ち上げ、もうひとりのおじさんは下に布を広げている。 おじさんふたりの視線の先にあるのは、タラの芽だった。 そっか、あそこにタラの木があるのか! そうやって見ると、あっちにもこっちにもタラの木がニョキニョキ生えている。 よし、場所を覚えておいて、帰りに私もいただいて帰ろうと実行した。 でも、取りやすい場所の芽は、もう全てが摘まれた後で、上の方の高い枝先にしか残っていない。 きっと近所に住むおばあちゃんたちが、今か今かと目を凝らし、一番いい場所のは最高のタイミングで採っているのだろう。 私も、来年はもう少し早く出向いて、タラの芽狩りに参戦しよう。 その日、ほんの少し、手が届く範囲で摘んだタラの芽は、すぐに天ぷらにしていただいた。 でも、ちょっと酸味が出ていた。 あの、ほろ苦い独特の味は、最初の頃のタラの芽にしかないのだと改めて勉強になる。 そのことがあって以来、自分の目が、タラの芽を探すモードになった。 まさに「タラの目」で、その目で見ると、あるわあるわ。 あっちにもこっちにも、タラの木がある。 なーんだ、ここに来ればわざわざお店で買わなくたっていっくらでもタラの芽が手に入るんじゃん! と少し拍子抜けした。 それくらい、道路沿いはタラの芽の宝庫になっていた。 つい数日前は、女性が軽自動車を路肩に停めて、何かを摘み取っている。 手にしているのは、おそらくワラビ。 そっか、そういう季節になったか、と教えてもらった。 私も早々に摘みに行かなくちゃだ。 山菜は、あっという間に成人になってしまうので、タイミングがとても大事。 昨日は、椎茸を発見した。 ちょうど去年の今頃、ご近所さんの手ほどきを受けながら仕込んだホダ木に、ひょっこり、椎茸が顔を出していた。…

手巻きピザ

連休が終わり、静かな日常が戻ってきた。 山を下りると混んでいるので、私は森にこもってひたすらひたすら土に触れて過ごす。 ようやく若葉が芽吹き始め、清々しい爽やかな風を感じながら地面に触れていると、自分が満ちていくのを実感する。 都会で暮らしている時は、満たされる、という感覚だった。 つまり、誰かや何かに、満たしてもらう。 自分を満タンにするのは他の誰かで、疲れた時は誰かにケアしてもらうのが当たり前だった。 でも、森で暮らすようになってから、自分で自分を満たすことができるようになった。 ケアも、人にしてもらわなくても、自分で自分でケアできる。 そうできるようになったのは、自然がすぐ近くにいてくれるからだ。 夢中で草取りをしていると、自分の中に紛れていた嫌な感情やモヤモヤした気持ちが、全部地面に吸い取られていくような感覚になる。 このままずーっと庭仕事だけしていけたらどんなに幸せだろう、と想像する。 植物たちは、自分でちゃんと衣替えをして、花を咲かせたかと思えば、新緑を芽吹かせ、時期が来れば潔く葉っぱを落として冬に備える。 人生のお手本だ。 草取りは、料理人にとっての皿洗いみたいなものなんじゃないか、と思う。 別に私も、闇雲に雑草が憎くて草取りをしているわけではない。 もしかしたら、取らなくてもいいのかもしれないし、雑草には雑草の役割もあると承知している。 草取りに関しては、もう完全に私の自己満足でしかない。 私以外、誰ひとり、草を取る前と取った後の違いはわからないだろう。 それでも、草を抜くと、ちょっと、地球が喜んでいるような気がするのだ。 雑草は、地球のムダ毛みたいなもの、というのが今の私の持論で、そのまま生やしていても問題はないけど、でもツルツルスベスベのお肌はやっぱり気持ちがいい。 もちろん、モジャモジャが好きなら、モジャモジャのままでもいい。 大事なところに毛が生えるのと一緒で、ここはそのままにしておいた方がいいだろう、という場所も当然ある。 草を取りつつ、いろんな発見がある。 新芽が出てきたことに気づいたり、ふわりと香ばしい土の香りに出会ったり。 遠くから見ているだけではわからない、地面のすぐ上で現在進行形で起きていることを目の当たりにすることができる。 そして、てっきり自然消滅したとばかり思っていた植物の芽がひょっこり顔を出しているのを見つけると、本当に本当に嬉しくなる。 自分が無知のせいで、去年、植えてすぐシーに食べられてしまい、可哀想な思いをさせてしまった木も、もうダメかと諦めていたら、ここにきて、小さな小さな葉っぱを芽吹かせている。 改めて、生命力の強さを感じた。 そういう子たちは、また同じ痛い目にあわせまいと、シーの嫌がる植物のそばに移植したりしている。 庭仕事がいいのは、決して終わりがないことだ。 例えば、本の場合は、ある程度、ここで区切り、ここから先はもう手を入れられません、というタイミングがやってくる。 でも、庭仕事には際限がない。 相手は生き物で、変化し続ける。 草取りもそうだけど、やってもやってもキリがない。 だから、永遠にやり続けてしまうのだが。 だいぶ陽が長くなってきたとはいえ、私は夜になって庭が見えなくなると、とてもつまらないと感じてしまう。 早く朝が来て、私の植物たちを愛でたい。 夜の間に、せっかく芽吹いた葉っぱがシーに食べられやしないかとハラハラする。 朝起きて窓の外をチェックし、植物たちの生存確認するのが日課になった。 シーとの知恵較べは以前として続いており、私がほぼ全敗しているけれど、それでも、シーに対するちょっとした嫌がらせを思いついては、日々、実行している。…

ひとり時間

T子に会いに松本へ行ってきた。 ゴールデンウィークに入っていなければ車で行ってもよかったのだけど、今はちょっと道の状況がわからないので、あずさで行く。 松本は、すごくすごく好きな町。 東京に出るんだったら、私は松本に行って用事を済ませたいと思う。 松本は、ただ歩いているだけで楽しくなる。 ふだん、T子は九州に住んでいる。 私は歳上の友人が多いのだけど、そんな中でT子は貴重な存在だ。 歳下で、しかも私が呼び捨てで呼ぶ唯一の友人かもしれない。 ものすごくエネルギーが強くて、生々しくて、なんか、球根みたいな子だ。 この間、過去の手紙を整理していたら、T子からもらった手紙がたくさん出てきた。 とてもとても魅力的な人。 今回、T子はひとり旅。 結婚し、子育てをし、10年ぶりに「ひとり」の時間を過ごすという。 その旅先に、信州を選んでくれたことが嬉しい。 ひとり時間を満喫し、エネルギーを充填し、キラキラどころかギラギラ輝くT子と再会した。 前回会ったのは、石垣・黒島の旅の時だったから、3年前になる。 とはいえ、会える時間は2時間弱しかない。 T子は、夕方松本からバスで松本空港に向かい、そこから福岡へ帰るという。 まずは、駅の改札近くにあるコインロッカーにT子の荷物を預け、そこからお蕎麦屋さんへ向かう。 途中で一軒、私の好きな店が開いていたので、そこに立ち寄って、お揃いでバングラデシュのカゴを買った。 大きなカゴをふたりで持って、てくてく歩く。 私は群れるのが好きではないし、特定の誰かと常に連絡を取り合ってベタベタするのも性に合わない。 会う時は会う、会わない時は会わない、というメリハリのある関係の方が心地よく、だから数年間連絡もせず会いもしないという友がほとんどだ。 それでも、一度しっかりと絆を結んでしまえば、たとえ数年ぶりに会っても、またすぐに時間が巻き戻って、そこから更に関係性を深めることができる。 もちろん、中には疎遠になってしまう人もいるけど。 お互い異なる時間の中で、違う人間関係の中で生きていれば、価値観や生活環境が変わったりもするから、それはそれでどうしようもない。 そんな時は、無理して関係を続けず、自然消滅でいいのでは? と思っている。 遠い未来に、また友情が復活するかもしれないし。 自然の流れに身を任せるしかない。 T子が今回行ってみたいとリクエストしたお蕎麦屋さんは、私の大好きな店だった。 ものすごく着物の似合うかっこいい女将のいる店で、その店の暖簾をくぐるたびに、私は神聖な気持ちになる。 松本に行く時はなるべくそこでお蕎麦を食べるのが常で、私にとって、松本といえばそのお蕎麦屋さんなのだ。 粗相のないよう、ちょっと緊張しながら日本酒を飲み、静かにお蕎麦を食べてサクッと帰るのがいつものパターン。 こっそりと女将さんの所作や着物の着こなしを見つつ、短いが静謐な時間を過ごす。 どうやら、T子と女将さんには共通の知人がいたらしい。 いつもはただお蕎麦を食べて帰るだけなのに、昨日は女将さんと初めてお話することができた。 そして、あっという間に時間が過ぎる。 驚いて腰を抜かしそうになったのだけど、嬉しいことに、女将さん、私の本を読んでくださっていた。 それも、一冊だけじゃなくて。 これ以上は長居できないというギリギリの時間に店を出た。…

木こりさん

大体朝の9時くらいに木こりさん夫妻がやってくる。 同じ村人で、とても感じのいいご夫婦だ。 おいしいお茶やお菓子を物々交換するのが恒例になっており、私もつい、これは木こりさんがお好きなのでは? と想像してプレゼントするのが楽しみになっている。 高所での作業ゆえ、集中力を要する。 木に登って作業するご主人と、その作業を地上でサポートする奥さん。 息がぴったりだ。 普段はお昼前後に作業を終了するのだけど、先週、仕事量が多い日があって、いつもより労働時間が長くなった。 気温も急に上がったりして、少し無理をされたのだと思う。 翌朝、電話があり、「ごめんなさい、ふたりとも体調を崩してしまって」とのこと。 「本当に情けなくて、ご迷惑をかけてしまって」と涙ながらに訴えるので、もうこちらはこれっぽっちも迷惑など被っていないし、本当にご無理のないように時間をかけて作業をしていただければいいのです、とお伝えした。 とても繊細な仕事内容だし、状況がいつもとほんの少し違うだけでも、体はそれを敏感に感じ取って、警報を鳴らすのだろう。 もしその体の声を無視して無理をしたら、ますます大変な結果を招く。 体が仕事道具なので、とにかく日々体のメンテナンスを怠らず、養生しなくちゃいけない。 私が森暮らしで大切にしているのは、 「できることだけ、やる。できないことは、しない。」 という、とてもシンプルなこと。 本当に当たり前のことなんだけど。 なんでも自分でやろうとするのは、逆に効率が悪くなる。 だから、自分でできないことは、潔くできる人にお願いしてしまうのが、森で気持ちよく暮らすコツのような気がする。 つい頑張ってやりすぎてバッテリーをゼロにしてしまうと、ゼロからフル充電するのには結構時間がかかる。 でも、少し余力を残しておくと、また次の日スムーズに仕事が始められる。 今、私が夢中になっている庭仕事も、義務じゃないから楽しいのであって、これが義務になったら、面白さが半減する。 ようやく、コブシの花が開いた。 この花が咲くと、やっと春本番だ。 森のカラマツたちも、昨日あたりから、小さな小さな新芽を出し始めている。 同じ道でも、昨日と今日では色彩が変わるし、朝と夕方でも、緑の見え方が違う。 今は、グレーとモスグリーンを混ぜたような、本当に本当に淡い緑色で、これが日に日に色を濃くしていく。 里に暮らす友は、この微妙な春の色が一番好きなのだとか。 ゴールデンウィーク中は、木こりさんたちがいらっしゃらない。 お会いできないのは少しさみしいけれど、どうか、じっくりと体と心を休めてほしい。 また伐採木が新たに増えたので、私はせっせとそのお世話をして過ごそう。 水仙が咲き、原種のチューリップも咲き、クロッカスももうすぐ咲きそうになっている。 花たちは、お日様が出ると、本当に笑う。 これが、今朝の発見である。

春本番

水仙の花が咲いた。 里では一月にもう川べりで咲いていたから、やっぱり三ヶ月も季節が遅いということになる。 去年植えた球根が冬を越して、花開いたのだ。 一冬越さないと根付いたとは言えないから、これでようやく一安心。 それにしても、去年植えた時の身長の、半分以下だ。 まるでミニチュアみたいに背が小さくなった。 それだけ、環境が過酷で、これ以上大きくはなれないのだろう。 だからこそ、より愛おしく感じる。 よくぞ、あの厳しい冬を乗り越えて再び顔を出してくれた。 原種の黄色いチューリップも咲き始めた。 本当に本当に小さい。 爪楊枝ほどの大きさしかないけど、これが元の大きさなのか、それとも寒さでより小さくなったのかはわからない。 とにかく、シーに見つかりませんように! 毎日祈るような気持ちだ。 朝起きて、外を見て、ちゃんとお花たちが定位置にいると心底ホッとする。 昨日ムスカリも植えて、私の庭は俄然賑やかになった。 もう、この可愛らしさをどう表現したらいいのかわからない。 嫌なことがあっても、お庭を見れば全てが帳消しになってしまう。 毎日毎日、幸福度が更新される。 今日も、ちょっとした嬉しくない出来事があった。 せっかく車で一時間も走って行った日帰り湯が、なんとなんとまさかの臨時休業だったのだ。 メンテナンスのためだという。 もう、出鼻をくじかれガッカリだった。 だけど、夕方山小屋に戻って、お庭を見ながら白ワインを飲んでいたら、そんなのどうでもいいやと思えた。 春を迎え、お庭にお花たちが増えると、日に日に愛おしさが増してくる。 ぼんやりと外を見ている時間が長くなる。 もうオキシトシンがじゃぶじゃぶで、私自身がその海に溺れそうなくらいだ。 植物たちが可愛くて可愛くて、可愛くて可愛くて仕方がない。 地球の主役は、植物だ。 だって、植物がなかったから、動物の生命は成り立たない。 いざという時、人間を支えてくれるのは植物たちだ。 例えば、寒かったら薪になって火を提供してくれる。 お腹が空いたら、その実を分けてくれる。 植物の存在なくして、私たちは生きていけない。 生命を維持するために必要な酸素を恵んでくれるのも、植物だ。 なのに人間は、自分たちの都合で木を植えたかと思えば、今度はそれをいとも簡単に切ってしまう。 本当に傲慢だ。 でも、それに対して木々は何も抗議できない。 植物たちを、もっともっと大事にして、共に生きる仲間だと伝えていかないと、近い将来、とんでもないことが起こるだろう。 めでたく、薪だながいっぱいになった。 これで、もう当分、薪の心配をしなくて済む。…

野原の味わい

週末、里に暮らす友人と、春を満喫した。 まずは里まで友人を迎えに行き、一緒に野原で野草を摘む。 春になってようやく顔を出した新芽を摘み取るのは心が痛むものの、そのパワフルな生命力をいただいて、冬の間に体に溜まった毒を外に出したい。 田んぼの畦道でタンポポの花と葉っぱを摘み、友人のお庭(森)にあった土筆や山ウド、小さな小さな山椒の芽も摘み取る。 春蘭も出ていたそうで、そんな可憐なお花もカゴに入れた。 コゴミも見つけた。 友人は食べたことがないという。 鮮やかな緑色の、クルンと先が丸まった山菜は、私の大好物だ。 間違いなくコゴミなので、嬉しくなって夢中で摘み取る。 野原を歩きながらその日の晩ごはんを調達できるなんて、最高に幸せ。 途中温泉に寄って、夕方山小屋に戻った。 外に出したテーブルで、シードルを飲みながら乾杯する。 春の到来が、しみじみとありがたい。 再びこんなふうに外で過ごせる季節が巡ってきて、私としては感無量なのだ。 山小屋周辺の芽吹きはまだ先だけれど、よく目をこらせば、地面からはちょこちょこと球根が芽を伸ばしている。 春になったねぇ、としみじみ語り合いながら、シードルを飲む。 寒くなったので中に移動して、晩ごはんの支度。 私がコゴミをおひたしにする間、友人にはピザ用の生地を伸ばしてもらう。 そう、今夜はピザ。 トッピングは、昼間摘んだ野草たちだ。 まずはタンポポのピザを。 タンポポの花は初めて食べたけれど、思いの外癖がない。 葉っぱは、ほんのりほろ苦い。 初めてにはしては、上出来だ。 お次は、納豆ピザに挑戦する。 トマトソースはつけずに生地を焼き、ひきわり納豆とチーズをのせて再度焼き、刻んだパクチーをたっぷりとかけて食べる。 納豆とパクチーの組み合わせが、新鮮だった。 口の中が、爽やかになる。 更に、トマトソースとチーズの組み合わせに、生のルッコラをたっぷりのせる。 私はそこに、生ハムも追加した。 友人が頑張って薄く伸ばしてくれたおかげで、生地がカリカリになり、文句なくおいしい。 最後は、ドライイチジクとルッコラで、甘い味のデザートピザを楽しむ。 シードルの後、ジョージアの赤ワインを開けたら、ワインの歴史を感じさせるふくよかな味わいで、ピザにとてもよく合った。 ジョージアでは八千年も前から葡萄の栽培が行われていたそうで、ワイン発祥の地と言われている。 ピザは、みんなでワイワイ楽しみながらやれるし、生地さえ仕込んでおけば、あとはその場で作れるし、簡単でとても楽。 本当は薪ストーブで焼くのが一番だけど、温度調節が難しいから、今回はオーブンを使った。 次の冬までにはピザを極め、薪ストーブでもうまく焼けるようになりたい。 翌日は早起きし、近くの湧水までハイキングに出かけた。 私のリュックには、ケリーケトル。 友人のリュックには、昨日マーケットで買ったケーキが入っている。…

お日様の力で

忙しい。 雪がとけて春になったら、俄然やることが増えた。 一日が、あっという間に終わってしまう。 今日は、山小屋の屋根に太陽光パネルを設置した。 後付けするより、最初からつけておけばよかったと後悔するが、仕方がない。 この先、自然災害や世界情勢次第で、エネルギーが簡単に手に入らない時代が来るかもしれない。 能登での地震を受けて、太陽光パネルで自家発電することにしたのだ。 エネルギーを巡って人々が争ったり、誰かが犠牲になることを、少しでも減らせたらと思う。 全体として見ればほんの小さな一歩に過ぎないけれど、私個人としては大きな一歩だ。 電気の使用量自体をなるべく少なくしたいとは思って暮らしているけれど、やっぱりゼロにするのは難しく、電力なしでは暮らしが成り立たない。 それでも、自分の家の屋根で多少なりとも太陽の力で発電ができるというのは、頼もしい。 太陽光では昼間しか発電できないし、山小屋にはまだ蓄電池がないから、電気はなるべく昼間使うように心がけよう。 基本的にずっと家にいる私にとって、それは特に大変なことではない。 理想を言えば、太陽光で生み出された電気を車に貯めて、それで運転できるようにしたい。 将来的には、それを目指している。 太陽光パネルを設置するにあたり、屋根にかかる木の枝を特殊伐採で切ってもらうことにした。 先週あたりから、その作業をお願いしている。 木を根本から切ってしまうのではなく、必要最小限の枝だけを切り落とす方法だ。 ハシゴを使って木に登り、そこから少しずつ枝を落としていく。 危険を伴うし、集中力もいるので、毎日、数時間ずつしか作業ができない。 そして、その切り落とした枝を薪にするのが、今の私の課題である。 そのために、チェーンソーも買った。 最初はすぐにチェーンが外れてしまって難儀したものの、今日あたりから随分スムーズに作業ができるようになった。 手動のノコギリで切っていた時とは、雲泥の差だ。 やっぱり、電動だと効率が全然違う。 スパッと枝が切れると、本当に気持ちいい。 切り落とした枝も、なるべく無駄にすることなく、最後まで使い切ることが、せめて私にできること。 おそらく、今回伐採する分で、来シーズンの冬はおおむね越せるだろうと見込んでいる。 空っぽだった薪だなに、少しずつ薪が増えていくのが幸せだ。 しっかりと乾燥させれば、どんな木だっていい薪になる。 昨日、用事があって里におりたら、桜が満開だった。 あっちにもこっちにもふわふわの桜の木があって、目移りする。 山の方は、まだまだこれから。 ようやく、去年植えた球根から、芽が出てきたくらい。 春を探しながら森を歩いていると、幸せが込み上げてくる。 去年植えた植物たちとまた会えることほど、嬉しいことはない。 庭仕事も始まって、久しぶりに土の香りを嗅いだら心底ホッとした。 山小屋の庭と森が愛おし過ぎて、頬ずりしたくなる。 春は、再会の季節。 少しでも多くの緑の友だちと、この森でまた会えますように。

春の兆し

先週は一週間ほど里で過ごした。 それまで、私が目にしていたのはほぼモノトーンの雪景色。 そこからいきなり里に下りたので、色とりどりの花の色彩がまぶしく感じる。 世界にはこんなに色がたくさんあったのかぁ、としばし呆然とした。 里に行った主な目的は、ふたつ。 ひとつは、私の作品の多くの韓国語訳をしてくださっているナミさんにお会いするため。 もうひとつは、里のご近所さんたちとのお花見会。 里の住まいの窓から、桜並木が見えるのだ。 まだ満開にはならなかったけど、親しくなったご近所さんたちと昼酒を楽しみ、春の到来を祝うことができた。 そして、再び山に戻ると、あんなにあった雪がなくなって、春の兆しが! 去年の秋に植えたスノードロップが、顔を出している。 福寿草も、黄色い花を咲かせている。 ようやく、遅い春が巡ってきたのだ。 ひかりも、冬から春に衣替え。 今は、森全体がすっぽりと霧に包まれている。 この乳白色の景色も、春ならではのもの。 美しい雪景色は、次の冬までお預けだ。 わーい、春。 待ちに待った、春が来た。 共に冬を乗り越えた常緑樹の一本一本に、ハグをして感謝の気持ちを伝えたい気分だ。 あなたたちがそばにいてくれたから、私も厳しい冬を耐えることができた。 ナミさんの背中を押したのは、私がメールに書いた一言だったという。 ソウルに暮らすナミさんにとって、日本で春を過ごし、思う存分桜を見るのがひとつの夢だった。 あれは確か、能登の地震があった、すぐ後のメール。 「本当にもう、何が起きても不思議ではない世の中のような気がします。 日本国内もそうですし、地球規模でもそうですし。 だから、やりたいことは先延ばしせず、今やらなくちゃ、という思いを強くしました。」 私は、本当に何気なく書いたつもりだったのだけど、ナミさんの胸には深いところに響いたのかもしれない。 ちょうど人生の大きな区切りを迎えたタイミングで、ナミさんは一ヶ月、東京に部屋を借りて滞在することに決めたという。 韓国で、たくさんの方に私の本を読んでいただいているのは、ナミさんが訳してくれているから、という部分がとても大きい。 誰が訳を手がけるかで、同じ作品でも全然違ったものになる。 今回、ナミさんと日本でお会いして、改めて彼女に訳していただけることを本当に幸運だと感じた。 ナミさんも、大の犬好き。 私とは日本語で会話してくださるけど、犬に対しては日本語でどう話しかけたらいいかわからないといい、ゆりねには韓国語で接していた。 その姿が、とってもかわいかった。 ナミさんは、翻訳もするけれど、ご自分でも文章を書かれて、韓国語で書いたエッセイが、日本語にも訳されている。 ものすごい稀有な才能だ。 どうか、ナミさんが、日本での春を満喫できますように! 雪が溶けたということで、いよいよ今年のお庭仕事スタートだ。 まずは、冬を越せなかった枝を集めて、薪にすべく体を動かす。…

雪の日は

今日もまた、まとまった雪が降る。 窓の向こうに広がる雪景色は、ずっと変わらずに続いている。 雪は、本当に美しい。 今日は特に出かける必要もないので、山小屋にこもってゆりねと過ごす。 雪の日にすることは、まず読書。 それから、キャンドルを作る。 蜜蝋がシート状になっているものがあるので、それを湯煎にかけ、柔らかくなったのを粘土みたいに手でこねて形にして、真ん中に芯を通してキャンドルにする。 少々歪な形ではあるけれど、自分の手のひらで生み出したキャンドルは、なんだか愛着があって憎めない。 ラトビアの人たちはかつて、蜜蝋キャンドルは貴重なので、クリスマスの時期しかともさなかったという。 その気持ちが、よくわかる。 大事に大事に、感謝してミツバチたちが生んでくれた蜜蝋を使わないといけない。 春分を過ぎて、だいぶ陽が長くなってきた。 活動できる時間が増えたのは、単純にとても嬉しい。 朝は朝陽を拝みながらお茶を飲み、夕方はお酒を飲みながら夕暮れの時間を味わう。 毎日そんなふうに過ごすのが、当たり前になっているけれど、本当にありがたいことなんだと実感する。 今は満月に向かっているので、夜になると、すごく明るい。 夏でもそうだけど、冬は地面が雪に覆われているので、余計、明るくなる。 今夜なんて、眩しいくらいだ。 陽が沈んでも、月明かりで、梢のシルエットがはっきりと見える。 この冬で、雪道運転にはかなり慣れた。 完全にハンドルが効かなくなって、勝手に車が「の」の字に動く、いわゆるスピンも経験した。 しっかりと雪が積もっている状態なら別に問題はないけれど、降り始めと降り終わり、特に今の時期のズブズブ雪は要注意だ。 私の車は四駆だけど、上り坂道を走っていて、完全にタイヤが雪にはまってしまい、何度もバックを繰り返しても前に進まず、いちいち車から降りて積んでいるスコップで雪をかきながら前に進んだり、いろんな経験をした。 一見大丈夫そうに見える雪道ほど、危険が潜んでいる。 だから、過信せず、とにかくスピードを出さずに、ゆっくり、ゆっくり。 このくらいの降り方だと下の国道にも雪が積もるとか積もらないとかも、この冬で大体わかった。 除雪さえしてくれれば問題はないが、除雪されていない道を走る時は、一か八かの賭けになる。 ご近所さんに言わせると、私の運転は、結構大胆とのこと。 だから、とにかく、初心忘るべからず、だ。 雪を雪だと思うと痛い目に遭うことも、この冬に学んだ。 降りたての雪は確かに柔らかいけれど、時間が経つと、雪は凍って硬い氷になる。 だから、雪の塊は岩だと思って、とにかくぶつけないように運転しないといけない。 除雪した後は道の両側に雪が積み重なり、壁のようになる。 気をつけないと! 同様に、屋根に降り積もった雪も、時間が経つと岩石の硬さになってある日いきなり落ちてくるから要注意だ。 それでもやっぱり、雪を悪く思う気持ちには全くならない。 雪の日には雪の日の過ごし方があり、楽しみがあり喜びがある。 冬で一回ちゃんと死なないと、春を迎える喜びが半減してしまう。 冬は、何もかもをリセットしてくれる。 私の森に常緑樹がなかったら、たったひとりで冬を越すのは無理だったと思う。…

春の海

森暮らしをするようになって、セーターに袖を通すのが楽しみになった。 都会の暮らしでは、真冬でもフリースで十分だったけど、ここでは、フリースだと物足りなく感じる。 だから、セーターが大活躍する。 中でも、ウールのセーターが一番あったかい。 秋口から春の終わりまで、一年の半分以上をセーターを着て過ごすことができる。 大体ひと月ごとに、セーターを変える。 ちょっと寂しいような気持ちになる晩秋は、ベルリンで出会った真っ赤なセーターを。 12月は、気持ちを楽しく盛り上げる、ちょっと可愛い柄のセーターを。 真冬は、ラトビアで見つけたタートルネックのセーターを。 こんな感じで、その季節季節に合ったセーターを着る。 そして今着ているのは、ブルーのセーターだ。 毛糸の色の名前は、「春の海」。 気仙沼ニッティングの、さちこさんが編んでくれた特別なセーターである。 去年オーダーし、数ヶ月をかけて、編み手のおひとり、さちこさんが編んでくださった。 オーダーメイドで、セーターの右下のところに名前のイニシャルが入っている。 311を忘れないでいるために、特別に注文したセーターだ。 昨日で、あの日から、13年が経った。 これから先も、3月は「春の海」を着ると決めている。 昨日の新聞に出ていた、飯館村で被災した女性の言葉が胸に響く。 岸田(文雄)首相に言いたい。 裏金があるんだったら下さい。 大きい会社ばかりを支援しているように見える。 うちら個人は食べていくので精いっぱい。 せめて自分が食べる分はと、キュウリ、ナス、大根といった野菜は作っている。 1月に友達が亡くなった。 「春になったら会おうな」と電話で話したばかりだった。 親戚や友だちがどんどん亡くなる。 自分だけが取り残されていく気がする。 こういう方達の声に耳を傾けずして、何が政治家だというのだ。 誰のため、何のために政治家になったのか。 こっちは、一円単位まできっちり申告して、税金を払っているというのに。 どうか、世の中に希望をもたらすため、より多くの人が幸せを実感できるようになるために、国民から集めた税金を使っていただきたい。 どうか、どうかお願いします。 先週末、薪棚の下の方にある薪を取ろうとして、腰に違和感が走った。 しっかりしゃがめばいいものを、横着をして、ちょっと変な態勢で持ち上げてしまったのだ。 あ、やってしまった。 くるぞくるぞ、これはぎっくり腰がやって来るぞ。 体が警告を鳴らす。 時間が経つにつれて腰の痛みは広がり、お腹の筋肉も痙攣を起こした。 やっとの思いで階段を上がり、なるべく楽な姿勢になるようソファベッドに横たわる。…

弁造さん

またもや大雪が降った。 朝起きたら、車の上に1メートル近い雪が積もっている。 そんなわけで、また冬ごもりだ。 山小屋から出られない。 雪に閉じ込められると、私は決まって同じ森仲間の本を開く。 この冬は、弁造さんと過ごす時間が長かった。 一冬かけて、ちびりちびり、『庭とエスキース』を読む。 弁造さんは、北海道の丸太小屋で、自給自足の暮らしをしている。 庭には、果物のなる木を植え、タニシを育てる沼も作った。 著者の奥山淳志さんは私と同世代の写真家で、彼は住まいのある岩手から、犬のさくらを連れてフェリーに乗り、季節ごとに弁造さんの小屋を訪ねる。 そして、14年にもわたって、弁造さんと時間を過ごし、その姿を写真に収めた。 弁造さんは、本当は画家になりたかった。 でも、家族の借金を背負い、画家にはなれなかった。 全部で10畳ほどしかない簡素な小屋で暮らしながらも、農作業の合間などに、完成することのない絵を描き続けた。 弁造さんと著者の距離感が、なんとも言えず心地いい。 ふたりは年代も違うし、生活環境も違う。 弁造さんは他愛のない冗談を言ってふざけてばかりいるし、著者が弁造さんをものすごく理解しているかというとそうとも言えない。 それでも、同じ時間と空間を共にし、著者が来る途中でスーパーに寄って買ってきたおでんなんかを食べる。 ふたりの間を取り持つのは、もっぱら黒い毛色をした犬のさくらだ。 昨日、本の終盤を読んでいて、とうとう弁造さんが亡くなった。 私はまるで、隣の村に住む旧知の知り合いが亡くなったという知らせを受けたみたいに悲しくなった。 弁造さんが暮らす北海道の新十津川町の自然と、私が暮らす山小屋は、生えている植物や季節の感じがとてもよく似ている。 だから、より弁造さんを身近に感じたのかもしれない。 実際の弁造さんは、大正9年に生まれ、北海道の開拓時代を経験した。 若い頃は冬になると都会へ出稼ぎに行き、日本の高度経済成長も目の当たりにした。 生涯、独身だった。本格的な絵の勉強をするため、東京の美術学校に通ったこともある。 夢は絵の個展を開くことだったが、その夢が叶うことはなかった。 弁造さんの庭には、針葉樹も紅葉樹も植えてある。 自分の胃袋を自らの庭でまかなうためには何をどれだけ植えて育てれば良いかを真剣に考え、試行錯誤の末に自給自足の暮らしを実現した。 育てる作物の中には、小鳥たちの食べ物もちゃんと含まれていた。 ほんの身内しか知り得なかった弁造さんというひとりの人間の人生が、著者の奥山さんとの出会いによって、多くの人に知られていく。 弁造さんの人生に、光が当たる。 実際に弁造さんが亡くなったのは、もう12年も前だというのに、私にとっては、弁造さんは昨日亡くなったのも同然なのだ。 そう思うと、なんだかとても不思議な気持ちになる。 東日本大震災の、福島の原発事故を目の当たりにした弁造さんの言葉が、とても印象に残っている。 弁造さんが暮らした丸太小屋は、弁造さんが亡くなって程なく、解体されたそうだ。 でも、弁造さんが残した庭の山桜は、きっとまだ残されているような気がする。 今年の春も、ますます美しい花を咲かせてくれるといいと思う。 今日は午後、ミニスキーを履いて近所を少し散歩した。 本格的なスキーだと靴を履いたり面倒なので、ミニスキーがあったらいいなと思ったら、大人用のミニスキーがあったのだ。…

春待ち

冬の朝の森は賑やかだ。 夜明けと同時に、鳥たちがヒマワリの種を食べに集まってくる。 冬は、食べ物が少ないから、みんな、お腹を空かせているのだろう。 ちょうど2階の窓から見える枝が待合所になっていて、そこに止まって順番待ちをし、玄関先に置いてあるヒマワリの種をついばみに行く。 鳥だけではない。 リスもまた、毎朝必ずやって来るようになった。 去年までは1匹だったのが、今年に入ってから、2匹に増えた。 カップルさんかな? 森の木々を、2匹は飽きることなく縦横無尽に追いかけっこして遊んでいる。 冬場は樹木の葉っぱが落ちるので、シースルー状態となり、機敏なリスの動きが丸見えだ。 もう、本当にすばしっこい。 木から木へ、ムササビみたいに身軽に飛んで、瞬間移動する。 運動神経抜群だ。 よくもあんなに体力があるものだと感心する。 鳥が来て、リスが来て、もちろんシーも来て。 寒いのに、みんな頑張って春を待っているのだ。 でも春になると、鳥たちは動物性の餌を探すようになるので、ヒマワリの種を置いても見向きもしなくなる。 だから、今だけのお楽しみだ。 そうそう、魔法は消えた。 あんなに美しかった氷の世界。 このままずっと続くのかと思っていたのに、数日前、跡形もなくとけてしまった。 私は、あれが樹氷なのだと勘違いしていた。 でも、やっぱり真っ白いモンスターみたいなのが樹氷で、今回森に出現したのは、雨氷というらしい。 またひとつ賢くなった。 雨氷を思い出すだけで、うっとりしてしまう。 特に青空の下で輝く雨氷の森は、幻想的で、この世のものとは思えなかった。 森中がキラキラとクリスタルのように輝き、特にダケカンバの枝先は、まるでゴージャスなシャンデリアみたいで、いくらでも見ていられた。 もちろん、それによって折れてしまった枝はたくさんあるけれど、自然の神秘をのぞかせてもらったようで、もう本当に感謝の気持ちしかない。 雨氷は、次いつ見られるのだろう。 でも、儚いからこそ、またいいのかもしれない。 今はもう、普通の雪景色に戻っている。 この冬は、一年前に比べると、春が遅い。 先月は、ほぼ雪の印象だ。 雪は雪で楽しいし美しいのだけど、そろそろ冬も飽きてきた。 今朝の気温も、まだマイナス12度。 早く、春が来てほしい。 今日は日曜日なので、朝から台所に立つ。 まずは、昨日友人にもらった金柑を蜂蜜漬けにし、その後、チョコレートケーキを焼いた。 それから、豆ご飯も炊いたので、小さめのおにぎりにして冷凍した。 この先もまだまだ雪の予報が出ている。…

祝福

右を見ても、左を見ても、キラキラ、キラキラ、キラキラ、キラキラ。 樹氷の上に雪が積もり、それがまたお日様の光で雪がとけて、木々の枝という枝にできた氷が、青空の下で輝いている。 もう、この世の景色とは思えない。 世界は、クリスタルで作られているかのように美しい。 あまりの美しさに圧倒され、私は、昨日からため息ばかりついている。 こんなにすごい樹氷が見られるのは、10年に1回あるかないか、とのこと。 車を走らせている時も、うわぁ、うわぁ、と目を奪われてばかりだ。 森は完璧なまでの静寂に包まれ、窓の向こうには氷の世界が広がる。 こういう時こそお客さんにこの景色を味わって欲しいと思うのだが、誰も来ない。 だから毎日、ゆりねと黙々と雪道を散歩して、ひとり、はしゃいでいる。 ただ、枝という枝に氷と雪がまとわりついているので、相当重くなっているのだろう。 枝や幹が、ぐにゃりと前屈している。 中には、嘘でしょう、と思えるほど立派な幹が、途中で無惨に折れてしまっている。 折れた幹が道路を塞ぎ、そういうことがあちらこちらで起きている。 改めて、自然の厳しさを思い知る。 美しさと厳しさは、常に背中合わせだ。 本当に、冬を越すというのは、大変なことなのだ。 数々の試練を乗り越えて、やっと春を迎えることができる。 だから、いくつもの冬を耐えて生き延びている木々は、本当にたくましい存在だ。 ひょろひょろっとして一見頼りなく見える木も、だからこそ、柔軟に枝をしならせ、環境に耐えられた結果、今まで生き延びられたと言えるのかもしれない。 雪が溶けたら、きっと、あちこちに折れた枝が積まれるのだろう。 そういう枝は、短く切って、乾燥させ、極力無駄にせず薪としてしたい。 それが、せめてもの私ができること。 このひかりかがやく森を、なかなか写真では写せないのが本当に本当にもどかしい。 全然、こんなんじゃない。 実際は、もっともっと、すごいのだ。 たとえるなら、神様から祝福を受けているような、そんな光景。 自分が祝福されているわけでもなんでもないのに、そう錯覚させてしまうほど、美しいのです。

氷の世界

ピンポーン、と鳴ったので、玄関扉を開けてみるのだけど、そこには誰もいない。 春ちゃんは、まるでピンポンダッシュをするように、どこかに姿を隠してしまう。 そして、また忘れた頃に、ピンポーンと鳴る。 でもやっぱり、誰もいないのだ。 春の訪れって、そんな感じかもしれない。 昨日は、森一面、氷の世界だった。 ゆっくりと冷たい雨が降った結果、木々の枝という枝が氷でコーティングされた。 まさに硬質なガラスのよう。 そうか、これが樹氷かと、私はようやく納得した。 私が樹氷と思っていたのは、樹氷の上に雪が積もった状態で、本当の樹氷はこれなのだ。 本当に素晴らしい美しさで、雪景色とはまた違う趣がある。 雪ならば地面に落ちるけれど、氷なのでそのまま枝が重たくなり、どの木の枝もお辞儀をしている。 氷の重さに耐えきれず、完全に折れてしまった枝も何本か見かけた。 中には、ものすごく立派な松の木が、幹の途中から折れてしまっている。 道路も、枝が垂れ下がっているので、ゆっくり運転しないと、窓ガラスやボンネットを直撃する。 普段と同じ枝と思ってぶつけてしまうと、大変なことになる。 なんと言っても、森全体が氷なのだ。 数日前の陽気が嘘のよう。 また冬に逆戻りだ。 一面、真っ白。 もう今シーズンはこんなに雪が降らないだろうと思っていたので用意していなかったけど、やっぱりスキーがあると楽しいかもしれない。 わざわざスキー場に行かなくても、山小屋の周辺の坂道を滑るだけで十分だ。 完璧なまでのパウダースノー。 またしばらく、山小屋にこもる日々が続くかもしれない。

雪道デビュー

今日は、旧暦の元日。 お正月に相応しく、あっぱれな空だった。 季節的に、旧暦でお祝いした方がしっくりくる。 昨日まで、トリスタンが来ていた。 雪景色を撮影するため、またふらりとバンで現れる。 こっちも、雪に閉ざされていたせいで食料が乏しく、トリスタンが家にあった野菜などを持ってきてくれたので助かった。 薪ストーブの前で、ふたりで乾杯する。 一日目はグラタンを、二日目はチーズフォンデュを。 友人とこういう時間を過ごす時、山小屋を建てて本当に良かったと心から思う。 まさに、友あり、遠方より来たる、だ。 トリスタンと、モンゴルのゲルを借りて大草原で夏合宿をしたのは、もう15年くらい前になる。 私は、野菜が食べられないストレスで、トリスタンと同じゲルに寝泊まりしながら、明日こそ日本に帰ろう、明日こそ日本に帰ろう、と毎晩呪文のように念じていた。 夏の暑さはしんどいし、馬からは落馬するし、お腹は調子が悪いし、インターネットは繋がらないし、周囲はうるさいし、もう、本当に散々だった。 もう、ひたすらひたすら帰国の日を待ちわびるような毎日を過ごした。 ひとりだったら、絶対に根をあげて、予定を早めて膨れっ面で帰ってきていたと思う。 でも、傍にはトリスタンがいた。 やることがないので、毎日、近くの温泉(ほったて小屋に泥がためてあるような場所)に行って泥エステをやった。 それが、唯一のお楽しみ。 帰りは、マーケットで買ったプラスチックの柄杓で、温泉のお湯を飲む。 でも、その温泉への道がお花畑になっていて、それはそれは美しかったのだ。 結局、途中で帰らずに、予定通り一月近くモンゴルに滞在した。 今となっては、貴重な経験である。 お互い、あの過酷すぎる罰ゲームのようなモンゴルでの時間から、何か大切なものを学んだ。 そして、今それを実践している。 あの時はめっちゃしんどかったけど、でも、自分には必要な時間だったのだ。 それにしても、トリスタンは人生を楽しむ天才だ。 二日目、森に雪道を作ろうという話になり、当初はカンジキがあれば簡単だろうということでカンジキを探したのだが見つからず、結局自力で雪を踏んでやっていたら、途中からトリスタンがバンに積んで持ってきたスノボを持ち出し、それで簡単に雪道を作ってしまった。 大変だろうと思っていた作業が、あっという間にできてしまう。 今回は、スキーも木のソリも持ってきていた。 まるで、ドラえもんのポケットみたいに、トリスタンのバンからは何でも出てくる。 車中泊も慣れたもので、いざとなったらそこで寝れるだけの装備が整えてあるとのことだし。 どこでも生きていける人だ。 モンゴルのゲルに泊まったのは夏だったけど、日中はどうしようもない暑さなのに、夜は0度近くまで気温が下がった。 ある日、あまりの寒さに薪ストーブに火をつけようと試みた。 けれど、何度やってもうまくいかない。 そのうち、たくさんあったはずのマッチも底をつき、結局薪ストーブはあきらめて、寒さに震えながら布団を被った。 薪ストーブも満足につけられない自分自身に苛立っていた。 今回、私が山小屋の薪ストーブに火をつける様子をトリスタンが見ていて、「成長したねぇ」と褒めてくれた。 全くだ。 そういう面においては、自分でもずいぶん逞しくなったと思う。…

雪あかり

結局、丸3日、外に出られず山小屋で過ごした。 普段から、一週間くらい籠城できるだけの保存食は、常備している。 だから、特に困ることも思いつかない。 唯一、温泉に行けないのだけは辛かった。 でも無理して山を下りて戻れなくなると大変なので、ここは潔く温泉をあきらめ、冬の山小屋から雪景色を堪能する。 これほどベッタリ山小屋と過ごすのも、初めてかもしれない。 その間は、ゆりねの散歩もお休みした。 ちょっと前、里の本屋さんで偶然見つけたのが、『独り居の日記』という本だ。 どんな著者かも知らず、けれど猛烈に気になって、その本を迷わず連れて帰ってきた。 書いたのは、メイ・サートン。 カバー写真には、新聞やテレビや電話などが雑然と置かれた仕事机と、その向こうに広がる庭の一角が写っている。 冬ごもり第一日目の午後から読み始めた。 もう、この本以外の選択肢などあり得なかった。 本は、「九月一五日」という日付から、唐突に日記形式で始まる。 けれど私には、それがいつの9月15日なのかはわからない。 最初の日の日記に書かれている言葉。 「何週間ぶりだろう、やっとひとりになれた。“ほんとうの生活“がまた始まる。奇妙かもしれないが、私にとっては、いま起こっていることやすでに起こったことの意味を探り、発見する、ひとりだけの時間をもたぬかぎり、友達だけではなく、情熱かけて愛している恋人さえも、ほんとうの生活ではない。」 読み進めるうちに、著者はパンチという名のオウムと共に暮らしていることや、そこが相当山深い土地であることがわかってくる。 途中から、私はまるで、気心の知れた仲のよい隣人の日記を読ませてもらっているような気持ちになった。 読むごとに親近感が膨らみ、まるで彼女の言葉たちが、おいしい水を飲むように、スーッと心に馴染むのだ。 なんの違和感もなく、私は彼女の言葉を理解することが可能だった。 彼女は、詩人であり、小説家であり、エッセイストでもある。 自らの同性愛を告白したことで、当時、働いていた大学を解雇され、その傷心を胸に、全く未知の土地に移り住んで、18世紀に建てられたという古い家を住まいに日記を書き始めた。 訳者のあとがきを読んで知ったが、当時彼女は58歳で、本が出版されたのは、ちょうど私が生まれる頃だ。 書くことと庭を愛することが暮らしの核となり、そのそばには常に生き物がいる。 日々変化する自然の姿に美しさを見出し、孤独を楽しみ、静寂に耳を澄ます。 そうだそうだと、何度も頷きながらページをめくっていた。 真っ白い雪のおかげで、夜になっても外が明るく感じる。 久しぶりに味わう雪あかりの感触だ。 懐かしくて、胸が締めつけられそうになる。 またひとり、同じ森の民として生きる心強い友ができたようで嬉しくなる。 彼女の日記の中に、こんな文章がある。 「私にいわせれば金というのは食物のように、私を通して流れ、得られるままに費やされ、ふりまかれ、花や本や美しいものに姿を変えられ、創造する人々や困っている人々には贈られるべきものだ。」 そして彼女は、こうも書いている。 「私の持っているものとは、友人という偉大な富と、自然に対する非常に強い愛である。決して無一物ではない!」 こんなふうに、実際にはもう亡くなっている著者と、新鮮な出会いを果たせるのだから、本ってやっぱり素晴らしいと思う。 そんなわけで、雪のおかげで、私はとても幸福な時間をメイ・サートンと共に過ごした。 今回の雪は、ふわふわで、まるで泡のように軽い。 もちろん、雪が降ると大変なことは山ほどあるけれど、やっぱり雪は大好きだ。 なんだか、見ているだけでホッとする。…

ご機嫌ななめ

私が何日間か地方へ出張の時、ゆりねは里のペットホテルで過ごすのだが、この冬何度かお世話になったペットホテルは、本当に素晴らしかった。 「ごはん完食しました」とか、「うんちしました」「おしっこしました」などのメッセージをその都度送ってくれる他、他のワンコたちと遊んでいる様子もこまめに映像で送ってくれるので、こちらとしては本当に安心して預けることができるのだ。 多くのペットホテルは、何か事故やトラブルが発生するのを恐れ、他の犬との接触をさせないのだけど、そこは思う存分犬たちと触れ合わせてくれる。 ゆりねは人も好きだけど、犬と交流するのも大好きなので、ふだん森の暮らしではなかなか犬とはしゃげない分、そこでは大いに触れ合うことができる。 ペットホテルを営むご夫婦のところにも犬が3匹おり、そこは犬の幼稚園もしているので、常に誰かしら(?)の犬がいる。 広大なみかん畑がドッグランになっていて、犬たちは母屋とドッグランを行ったり来たりしながら一日を過ごす。 夜も、ご夫婦と同じ屋根の下にいるので安心だ。 明け方もまだ日が昇る前からドッグランに連れ出してくれて、排泄をさせてくれる。 かつて犬の幼稚園に通っていたこともあり、それと同じような空気を感じるのだろう、ゆりねは喜んでペットホテルに出向き、ホテル暮らしを満喫している。 そこでは、送り迎えもしてくれるので、もう、本当に本当に助かっている。 ただ、これほど細やかなサービスをして、ご夫婦の方が精神的にも肉体的にも参ってしまわないだろうかと、私はそのことを少し、懸念している。 ホテルから帰ってくると、ゆりねは心地よい疲れに満たされている。 「やれやれ、ワンコの相手も疲れるわぁ」とでも言いたげな表情で、自分も犬のくせに、なんだか自分が犬たちの相手をしてやってきたのだ、という態度なのがおかしい。 そして、私に対して、ちょっと素っ気ない態度をとる。 ゆりねは、自分が好意を寄せる相手(人間)には、猫のように体をすりすりとこすりつけて親愛の情を示すのだが、ホテルから帰ってきた日はそんな行為は一切せず、さっさと自分のベッドに行ってしまう。 明らかに、「私のこと置いて、自分だけどっか行ったよね!」と背中が訴えている。 「でも、ゆりちゃんだってホテルで楽しかったでしょう? いっぱいワンコちゃんたちと遊んでたじゃない」と私が言っても、「それは、それ」という感じでどうもつれない。 ご機嫌ななめだ。 仕方がないので、一日目はそっとして距離を置いたまま過ごす。 まぁ、一晩寝てしまえばいろんなことをケロッと忘れて、いつも通りになるのだけど。 同様に、ムッティもまた、しばらく私が山小屋を不在にして戻った日は、ご機嫌ななめになる。 山小屋全体が冷え切っているし、薪ストーブも同じく冷え切り、私も時間が空いたことでムッティの扱いを忘れている部分もあったりして、当然と言えば当然なのかもしれないけど、とにかくなかなか上手に炎が育たないのだ。 調子のいい時なら一本のマッチで全て順調に事が進むのに、久々の再会の時は、もう何度も何度もマッチをすって、火をつけないといけない。 ムッティと私の呼吸が、全然合わないのだ。 ムッティ自身が、私がそばを離れたことに対して、拗ねているような、ちょっといじけてそっぽを向いているような、そんな態度を感じてしまう。 ごめんねぇ、もうここから先は次の冬までずっと一緒にいるから機嫌直してよぉ、心の中で必死に訴える。 そんな時、薪ストーブにも感情があるような気持ちになるのだ。 ムッティも、次の日からは機嫌が直って、いつも通り、優秀な薪ストーブになる。 私は、山小屋の道具や家電たちにも、よく話しかけている。 特に、トイレには、使うたび、いつもありがとう、とか、ご苦労様、と声に出して伝える。 寝る時は、みんな大好きだよ〜、ゆりちゃんをよろしくね! また明日ね、と言って2階の電気を消してから1階に降りる。 動物にはもちろんのこと、植物にも、道具や機械や家具にも、言葉は通じると思っている。 なぜなら、言葉はエネルギーだから。 波動として、伝わるに決まっている。 本(物語)もまた、エネルギーだ。 私は、物語というものを通じて、エネルギーを伝えている。 昨夜はかなり、雪が積もった。 なので、今日は一日、誰にも会わず、山小屋にこもって本を読む。 午後の温泉もやめて、一日中雪景色に見惚れていた。 めでたく、ノーガソリンデーとなる。…

海と山と

鹿児島近代文学館でのイベントに呼んでいただき、鹿児島へ。 屋久島や奄美大島には行ったことがあるけれど、本土の鹿児島は初めてだ。 会場には、200人もの皆さんが集まってくださり、私自身が本当に満ち足りた時間を過ごさせていただいた。 呼んでくださって、ありがとうございます。 当日、会場にいらしてくださった方々からたくさんの優しいエネルギーをいただき、あぁ、鹿児島までやって来て本当によかったと、いまだに心地良い余韻に包まれている。 翌朝、朝靄の中で見た桜島が美しかった。 鹿児島には、海も山も両方ある。 ままならない大自然を目前にして、たくましく生きる鹿児島の人たちの姿が印象的だった。 鹿児島もまた、とても豊かだ。 鹿児島は、向田邦子さんにとっての第二の故郷でもある。 今回イベントを主催してくださった鹿児島近代文学館では毎年向田さんの企画展をされており、向田さんの住まいの一部を再現した空間も常設されている。 イベント前、常設の展示を見ながら、なんて偉大な方なのだろうと改めて思った。 作家として作品を書いていた期間は、本当に短いのだ。 その短い間に書かれた作品が、今なお多くの人の心に響いている。 イベントの後半、会場にいらした方からの質問を受けつけたら、まだあどけない10代の女の子が手を挙げて、「自分にはなかなか実現するのが難しい夢があるのですが、それに対してのアドバイスをお願いします」と発言した。 一直線に、最短距離でゴールを目指さなくてもいい。 たとえ寄り道をしてでもいいから、諦めずにいれば、いつかその夢まで辿り着けるかもしれない。 途中、苦しかったり、辛かったり、多くのマイナスの感情を味わうかもしれないけれど、長い目で見れば、全てがその人の栄養になる。 その時は、遠回りや寄り道して時間を無駄にしたように感じても、そこからしか見えない景色があるはずだから、その景色を楽しんでほしい。 そして、たまには休むことも大事。 深呼吸して、自分を遠くから見つめれば、また違った道が見えてくるかもしれないし。 あと、人と較べないことも大切だ。 自分が心地良いと思える歩幅と速さで、前に進んでいけばいい。 10代や20代なんてまだまだひよっこだから、どんなに大きな失敗をしたって、いくらでもやり直せるのだ。 個人的には、あまり若い頃に成功してしまうよりは、若い頃はたくさんの経験を積んで、失敗もして、きちんと大人になってから成功する方が、長続きするような気がする。 だから、隣の人の成功を羨んだり焦ったりする必要なんかないの。 最終的に自分自身が幸せだ、と感じられたら、それが成功ということなんだと、私は思っている。 その時にうまく彼女に伝えられたどうか自信がないけれど、私が言いたかったのは、こんなことだ。 最近、若い子を見ると、もうかわいくてかわいくて仕方がない。 そこに生きているだけで光っている。 自分が光っているか自分ではわからないかもしれないけれど、周りの人には光って見えているのだ。 そのことを、どうか自分の胸に留めていてほしい。 自分で自分を蔑んだり貶めたりするなんて、本当に無意味だ。 若いって、それだけで素晴らしいこと。 どうか、あの女の子の夢が叶いますように! そして私は、鹿児島から里の住まいに戻った翌日、ゆりねを連れて山小屋へ。 森暮らしの3シーズン目がスタートした。 ほんの短い里暮らしだったけど、里にもまた海と山があって、どっちも綺麗だ。

みかんの国

信州は完全にりんご王国だったけど、一方海辺の町では至る所にみかんの木がある。 ゆりねの散歩で町を歩いていても、ふつうの民家の前で、一袋いくらで売られていて、今、味較べをしているところだ。 中には、少々傷がついたみかんを、「お一人様一つまで」、無料でくれるところもあったり。 それを見つけると、つい嬉しくなり、ひとつ、ポケットに入れて持ち帰ってくる。 居酒屋Yの女将さんも、「柑橘と筍だけは買う必要がない」と言っていた。 みなさん、どっさり持ってきてくれるのだとか。 信州の人がりんごの味に厳しいように、きっとこっちの人は、みかんの味にはうるさいのだろう。 みかんも、いろんな種類があって面白い。 昨日は、みかんの国のご近所さんたちと、新年会だった。 お風呂で出会ったご縁が、思わぬ方へと広がっていく。 ご近所さんができるとまた、里暮らしも豊かになる。 昨日は、ジビエの会。 この辺りの山で罠を仕掛けて猟をする私と同世代の女性がいて、彼女が自分で仕留めた獣を自ら料理してくれるという。 その末席に、私も加えていただいた。 この辺りにいる野生の動物は、鹿、猪、穴熊、猿。 私が実際に目撃した事があるのは猿だけだけど、猪も穴熊も、かなり近くまで来ているらしい。 猟をするその女性は、猿以外の動物はとって食べるそうだ。 鹿のローストは、1歳半の若い牝鹿だそうで、お腹には、3ヶ月ほどの赤ちゃんがいたという。 なるほど、肉質が柔らかく臭みがないが、そのことを知ってしまうと、なんだかものすごく申し訳ない気持ちになった。 穴熊は、人生で初めて食べた。 脂身がほとんどで、その脂が美味しいらしく、昨日は脂で包んだ肉のところを揚げ焼きにして出してくださった。 穴熊の一番美味しい食べ方は、すき焼きだという。 日本で、ジビエはまだまだうまく活用されていないとのこと。 ただ害獣として駆除するのはあまりに気の毒だから、せめてその命を、美味しく料理して、美味しくいただくことが、これからの私たちの課題になるのではないかと感じた。 そういえば、少し前、北海道で騒がれた熊、OSO18に関するドキュメンタリー番組を見た。 本来、ヒグマは木の実などを食べるのだが、OSO18は放牧中の牛を襲い、その肉を食べていたという。 肉食のヒグマで、なかなか捕獲されず、謎の怪物のように恐れられていた。 OSO18が肉食になったのは、鹿の死骸の肉を食べ、その味を覚えたからという説が有力だ。 北海道でも、鹿の生息数が増えている。 死体が放置されることも珍しくなく、それを食べたヒグマが、肉食化してOSO18になったというのだ。 だから、たとえOSO18が駆除されても、この環境が変わらなければ、第二、第三の肉食のヒグマはまた現れるとのこと。 ヒグマだって、なりたくて肉食になるわけではないし、本当に、人間として生きることに、後ろめたさを感じてしまう。 害獣なんて、勝手に人間が自分たちの都合でそう呼んでいるだけで、向こうからすれば、人間こそが害獣に違いない。 イスラエルの国防大臣は、ガザの人々を、「ヒューマンアニマルズ」と表現した。 日本語で訳すると、人間のような獣、人畜。 身の毛のよだつような恐ろしい考え方だ。 今イスラエルがパレスチナに対して行なっていることは、ジェノサイドにしか思えない。 そこに、なんの正義もないし、単なる見せしめで人々を苦しめているだけだ。 こんなことを続けたって、なんの解決にも繋がらず、ますます自分たちの安全を危うくするだけなのに。 ロシアも、ウクライナへの侵攻を今すぐやめるべきだと思うし、大阪万博も今すぐ中止にして、その分のお金や労力を、今まさに苦しんでいる能登の方達への復興に役立ててほしい。…

福袋

昨日は、銀座NAGANOでのお話会。 会場に来てくださった参加者のみなさん、そしてオンラインで視聴してくださったみなさん、本当にありがとうございました。 とてもとても楽しい時間でした! リアルの参加者の方には、長田佳子さんの手作りお菓子と、ハーブティーが振る舞われ、みなさん笑顔で召し上がっていた。 その笑顔を見て、私もまた幸せになる。 何を隠そう、私、佳子さんのお菓子の大ファンなのだ。 佳子さんのレシピ本を見ながら、山小屋でよくおやつを作っている。 夏の暑い日、オカズさんと共に山梨のアトリエを訪ね、その時一緒にピザを焼いて食べたっけ。 野の花みたいな、とっても素敵な人。 そんな佳子さんが、昨日はりんごのケーキを焼いて持ってきてくださった。 長野といえば、もちろんりんご。 こういう形でのお話会は、久しぶりだ。 コロナ中はなかなかできなかった。 でも、やっぱり直接人に会えるというのはいいなぁ。 普段の森暮らしでは滅多に人に会わないので、直接お目にかかって言葉を交わせる時間が新鮮だった。 それと、リアルっていい、と強く思ったのが、同じテーブルになった方同士が親しくなり、帰り際、「友達もできました!」と嬉しそうにおっしゃったこと。 リモートはリモートでいろんな良さがあると思うけれど、その場で生身の人間同士が距離を近くするというのは、リアルの良さだと思う。 イベント終了後は、急ぎ足で里の住まいへ直帰。 ゆりねの留守番が長くなるので、なるべく早く帰宅するつもりでいたのだが、思った以上にスムーズに帰れて、帰宅後、今日は無理だろうと諦めていたお散歩にまで行くことができた。 夕方の5時近くても、空がまだ明るい。 急に日が長くなっている気がしたのだが、それは私が山から下りたから余計そう感じるのだろうか。 夕暮れの空には、春の気配すら感じた。 そして、川沿いの土手には、もう水仙の花が咲いている。 森では確か5月頃に咲くから、こんなに早く咲いていることに驚いた。 もう、春は近いのかも。 里の住まいの目の前には川があり、その川沿いは桜並木だ。 桜の季節が待ち遠しい。 昨日は、なんだか気分が高揚していた。 それで、散歩から帰ってゆりねにご飯をあげ、いつもの温泉で疲れを癒し、その後は近所の居酒屋(?)へ行こうと決めていた。 森では、夜は必ず山小屋で食べる。 その習慣が定着し、里でもまだ、外食はお昼のランチ一回しかしていない。 でも、昨夜はちょっと冒険がしたいような気分だったのだ。 里暮らしだと、そういうことが気軽にできるから楽しい。 お風呂を出て、さぁお店に行こうとワクワクしながら歩いていると、おや、駐車場の一角に何やら灯りが見える。 近づくと、どうやらスタンドバーになっていて、寒空の下、日本酒と甘酒を出して売っているのだ。 どちらも一杯100円だそうで、しかも、今年初の出店なので、今夜は無料で振る舞っています、とのこと。 よかったらどうぞ、と勧められ、遠慮なくいただくことにすると、紙コップに地元のお酒を並々ついで渡される。 思いもよらぬ展開だ。でも、せっかくなので。 ちびりちびり日本酒を飲みながら、店主(?)に、ご近所のおいしいもの情報などを教えていただく。 これからY(居酒屋)に行くのだと話したら、あそこはおいしいと太鼓判を押され、更に一緒に売っていた88歳のおじいさんが育てたという蜜柑を買おうとしたら、いえいえお代は結構です、と無理やり蜜柑二袋を渡され、ひとつはYの女将に持っていってください、と言う。…

手と手

少しずつ地震の被害が明らかになり、そのたびに言葉を失ってしまう。 多くの命が失われ、多くの家が形をなくし、多くの人々が避難を余儀なくされている。 寒いだろうし、ひもじいだろうし、困難に直面している方達の状況を思うと、本当に本当にやりきれない。 それでも、私が同じようにただ呆然と立ちすくんでいても何の力にもならないから、とにかく今は自分にできることを淡々とやっていくしかない。 それがいつか、支援につながっていけばいい。 山の麓に暮らす友人と、ささやかな新年会をした。 彼女はベジタリアン。 野菜しか食べないので、特別な準備もせず、山小屋にあるものだけを使ってその場で適当に調理する。 夕方来て、飲んで食べて、お泊まりして、翌日帰るのがいつものパターンだ。 パンとワインは、友人が持ってきてくれる。 前回同様、薪ストーブの前に小さなテーブルを出し、そこで火を見ながら始めた。 まずは、立派なサツマイモがあったので、アルミフォイルに包んでそれを薪ストーブに入れて焼いてみる。 それを、ふたりで赤い手袋をはめて食べる。 火のそばで使う軍手などは、赤で統一しているので。 お芋を半分に割ると、ふわりと甘い湯気が立つ。 おいしい。 ただ焼いただけなのに、素晴らしくおいしい。 「そういえばさ、この辺って、あんまり焼き芋屋さん来ないよね?」 ホクホクのお芋を食べながらふと思い出して私が言うと、 「そりゃそうだよ、みんな、家の中に何かしらの火があるから、自分ちで作れるもん」 とのこと。 あんまりにも当たり前のことなのに、私は目から鱗が落ちる思いだった。 確かにねぇ。 みんな、焼き芋くらい家で作れるもんね、とストンと腑に落ちた。 東京で暮らしていた頃、しょっちゅう焼き芋屋さんが売りに来ていたのは、家庭で作れないからなのだ。 なるほど、なるほど。言われてみれば、当然だ。 お芋の次は、人参。 昼間、ご近所さんが妙に長い、新聞紙に包まれた杖のような物を届けてくれたのだ。 聞けば、大塚人参とのこと。 そんな長い人参、初めて見た。しかも、ずっしりと重い。 ちゃんと長さを測ってみよう、ということになり、メジャーで測ったら、身長が1メートル10センチもある。 もはやただの人参には思えず、友人と名前をつけることになった。 数秒後、友人の発案で、「ピッピちゃん」と命名された。 ピッピちゃんのお腹の部分を切断し、更に半分に切って素揚げにする。 硬めの方がおいしいとのことなので、気持ち硬めの状態で油から引き上げた。 そこに、パラリと塩を一振りしていただく。 身がぎゅっとしまっていて、なんとも美味だ。 ワインが進む。 これに、パンがあればもう十分。 簡単な食事で、私たちは大いに満たされた。…

初日の出

大晦日の夜から雪が降り、元日の朝は雪景色だった。 早朝、麓まで車を走らせる。 富士山が見える場所には、初日の出を拝もうとたくさんの人が息を白くしながら待ち構えていた。 空は快晴で、山には細長い雲がたなびき、龍のよう。 2024年は、平和な年となりますように。 そんな願いを込めて、私も富士山に向かって手を合わせた。 山小屋での年越しは、あっけなく実現した。 八ヶ岳おろしさえ吹かなければ、特に支障はない。 雪道の運転も、スピードさえ出さなければそれほど問題ないし、お日様パワーで昼間は暖房すらいらないほど。 やっぱり、里の住まいより温かく感じる。 洗濯物は夏よりもずっと早く乾くし、私にとっては、夏以上に快適かもしれない。 雪が降ったら、ゆりねのお散歩に下までおりて行く必要はあるけど、それも温泉に行くついでに一緒に済ませるので、まぁ、今のところは冬の森暮らしも順調だ。 昨日は温泉から富士山もバッチリ見え、幸先のいい年明けだと喜んでいた。 それなのに、夕方、山小屋が揺れた。 今まで地震の揺れを感じたことがなかったので、これはどこかで大きな地震が起きているのだろう、とすぐにわかった。 震源は、また能登だった。 それから寝るまで、ニュースに釘付けになる。 夜は大音量で第九でも聴こうと思っていたけど、それどころではなくなった。 能登が好きで、これまでに何度も行っている。 2年前テレビの旅番組に出た時も、旅先は能登だった。 七尾の一本杉通りには、鳥居醤油店がある。 つい先日も、能登だしを注文したばかりだ。 鳥居醤油店の正子さんや、白井昆布店の奥さんや、奥能登にある旅館さかもとさんや、イタリア料理店ビラ・デラ・パーチェのシェフや、能登島のガラス作家有永さんや、これまでにご縁をいただいた多くの人たちの顔が頭に浮かぶ。 どうか、ご無事であってほしい。 もう、本当に能登の方たちが気の毒でならない。 いくらなんでも、こう大きな地震が度重なっては、気力だけではどうにも復興ができないのではないか。 能登の人たちは、本当に明るくて気風が良く、芯の強さを感じるけれど、それでももう、限界なのではないだろうかと想像する。 地震という自然相手の天災では、怒りのぶつけようもない。 その憤りを自分のお腹で消化するには、大きすぎる。 しかも、元日に起きた。 この日ばかりは、おせちをつまみながら昼酒を楽しんでいた方もいるだろうし、コロナがおさまってようやく家族でお正月を迎えられた方達もたくさんいると思う。 なんとも、不条理で仕方がない。 今日になって、徐々に被害の実態が明らかになってきた。 どうしたって、東日本大震災の記憶が甦ってしまう。 東北で良かったと言い放った政治家のデリカシーと想像力のなさに、憤りが再燃する。 そして、こういう時に嘘のデマを故意に流すというのは、一体どういう心理なのだろう。 全く理解できない。 平穏無事であることのありがたさを、痛感している。 これ以上大きな地震が起こらないことを祈るばかりだ。

人生

年の瀬に、嬉しいお知らせが舞い込んだ。 Yさんが入籍されるという。 私がこうして物書きとしてやっていけているのも、すべてはYさんのおかげだ。 本当に、命の恩人といっても過言ではないくらい、私にとっては大切な人だ。 友達とは仕事をしないと決めているので、自分の本の担当編集者は友人ではない。 けれど、私の場合は特に、担当編集者なしに物語は生まれないから、もう本当に本当にかけがえのない存在だ。 Yさんが編集者としてとても有能で、人生がとても充実していることは否定しようがないけれど、そこに更に人生の伴侶が加われば、申し分ない。 お互いに50歳を過ぎてからの結婚と伺い、最高の選択だなぁと唸りたくなった。 半世紀も生きていれば、それぞれに経験もあるし、お互いに冷静に大人の判断ができる。 かっこいいから、かわいいから、お金を持っているから、おしゃれだから、料理ができるから、なんていう見せかけだけの価値観に惑わされず、もっと人間としての本質的な部分を見極めて、相手を選ぶことができるのではないだろうか? 20代の若いうちに結婚するよりも、50、60を過ぎてからの結婚の方が、私の個人的な感想としては望ましいのではないかと思っている。 若いうちに結婚を考えるなら、せめて最低1年は同棲をして、お試し期間を設けるといいんじゃないかな。 身近にいる若い子には、そのように提案するつもりだ。 結婚には勢いが大事、なんてよく言われるけれど、いやいや、勢いなんかなくていいから、冷静な判断が必要だと思う。 それにしても、「人生」は本当に「まさか」の連続だ。 一年前、全く予想もしていなかった事態が、飄々と現実になったりする。 Yさんの場合も、そうだったらしい。 詳しい経緯は書かないけど、とにかく、大きな決断をし、しっかりと自分の人生と向き合ったからこそ、こういう展開になった。 その決断をしていなかったら、新しいパートナーとの出会いもなかったのだ。 なんだかしみじみと、人生って素晴らしいなぁ、と思った。 人生はとても美しいものだし、精一杯生きるに値するものであると確信した。 どうか、ますますお幸せになってほしい。 山小屋で過ごした今年のクリスマスは、見事なまでの青空だった。 まだ、全然雪が降っていない。 このまま春になってしまうのか、と思えるほどの晴天続きで、気持ちいいったら気持ちいいったら。 空気がパリッと引きしまり、お日様が燦々と輝く冬の空が、私は一番好きかもしれない。 移植したもみの木は、一部、シーに味見をされた形跡があるものの、まぁ無事だった。 このまま落ち着いて、来春新芽が出てくれば、根っこがついたことになる。 さて、春になったらどれだけの植物が庭に顔を出してくれるのだろう。 里では桜の枝先に蕾が膨らみ、山ではコブシの蕾が少しずつ大きくなっている。 自然界は、着々と春に向けて進んでいる。 私も、新しい物語を完成すべく、気合を入れよう。 どうぞ、すてきな笑顔で、よいお年をお迎えくださいませ! 

冬至の願い

寒い。 山も寒かったけど、里もまた寒く感じる。 多分、暮らしの中に炎がないからだ。 里の住まいはオール電化で、調理するのもIHだ。 蝋燭を灯さない限り、生身の炎は味わえない。 私の好きな国ラトビアでは、冬至に向けて、丸いものを口にする。 例えば、豆。 丸い形のものは太陽の分身と考えて、それを少しでも体に取り入れようとするのだという。 幼い頃、冬至の日になると祖母が小豆かぼちゃを作って食べさせてくれた。 小豆とかぼちゃを一緒にして炊いたもので、いまだに私は小豆かぼちゃが好きだ。 もしかするとこれも、ラトビアの食文化と同じ意味合いを持つのかもしれない。 小豆もかぼちゃも丸い。 冬は、太陽のありがたみをひしひしと感じる。 里暮らしは里暮らしで、楽しい。 この間、お菓子屋さんまで歩いて行けることに感動した。 肉屋さんにも、魚屋さんにも、パン屋さんにも、日帰り湯にも、コンビニにも、ポストにも、なんなら駅にだって歩いて行けちゃう。 森暮らしでは、ありえない。 どこにも車がないと行けない。 お菓子屋さんまでゆりねを連れて歩いて行って、しかも素晴らしい苺のショートケーキが買えた。 どこへ行くのにも車がないと無理な山と違って、どこにでも歩いて行けるから、里暮らしには時間がたっぷりある。 そのことが嬉しい。 一日が長く感じる。 森で一日があっという間に終わってしまうと感じていたのは、移動に時間がかかるからだと気づいた。 それでも、夜に出歩く習慣はすっかりなくなった。 コロナの前までは夜でも平気で出歩いていた。 ベルリンでは、週末、夜通し地下鉄とか電車が走っていた。 でも今は、必ず夕方の6時までには帰宅して、ゆりねに晩御飯を用意し、家で食事をする。 それが当たり前になった。 今日は、冬至。 一年のうちで、昼の時間がもっとも短い。 でも、明日からは少しずつまた陽が沈む時間が遅くなる。 冬至を、ずっと前からじれったい気持ちで待ち望んでいた。 同じような気持ちで、平和を望んでいる。 ウクライナの人々にも、パレスチナの人々にも、一刻も早く安心して眠れる日が訪れてほしい。 もう、これ以上の暴力はたくさんだ。 なんの罪もない幼い命が犠牲になるのは、理不尽すぎる。 暴力で解決できることなんて、何ひとつないのに。 週末は、ちょっとだけ山小屋へ。 植えたばかりのもみの木さんの様子を見に行ってくる。

ナビ子さん

どうもナビ子さんと呼吸が合わないのだ。 もう7000キロも一緒に走っているのに、相性が悪いとしか思えない。 先日も、のっけからナビ子さんの指示を無視して、反対方向に進行したら、その後、延々と遠回りをさせられた。 だって、ナビ子さんは右に行けと言うが、左に行った方が断然近道なのだ。 それは自分でわかっているのだけど、そこから先の詳しい道はわからない。 だから、ナビ子さん、あなたに頼ったのに。 あなたなら絶対に近道を知っているはずなのに、何故あんな山道に私を迷い込ませたのですか。 もう、あれは完全にナビ子さんが言うことを聞かない腹いせに、嫌がらせをしてきたしか思えないのだ。 結果、15分で着くはずの場所に、45分もかかってしまった。 私は、すぐそこまで行くのにわざわざ高速に乗りたくない、と意思表示しているのに、なんとしてでもナビ子さんは高速に乗せようとする。 かと思うと翌日は、早く行きたいから高速に乗りたいのに、下道で行けと指示を出す。 私のリクエストの仕方に間違いがあるのかもしれないけれど、二人三脚の相手としては、ナビ子さん、かなりブーだ。 こう生成AIとやらの技術が進んでいるのだから、ナビはもっと革新的に飛躍してもいいはずだと思うんだけど、なぜかナビ子さんは旧態依然としている。 そもそも、なぜナビ子さんだけなのか? どうしてナビオ君はいないのか? そこからして私は、釈然としない。 すご〜くいい声のナビオ君に案内されたら、もっとドライブが楽しくなるかもしれないのに。 そして、どうしてナビ子さんは標準語しか喋らないのだろう。 関西弁にしたり、鹿児島弁にしたり、お姉言葉にしたり、赤ちゃんに言葉にしたり、いろんなバージョンでアナウンスするくらい、簡単にできそうなのになぁ。 もう7000キロも一緒に走っているのだから、いい加減、私の好みを理解してくれてもいいと思うのだ。 たとえば、街中の道はあんまり通りたくない、とか。 雪の日だったら安全に通れる道を案内してくれるとか。 「ナビ子さん、今日は私、そんなに急いでいないから、景色のいい空いている道を楽しくドライブしながら目的地に行きたいの」 とか、 「あのねナビ子さん、今日はどうしてもその時間までに確実に着かなくちゃいけないのよ」 とか話しかけたら、その通りの道をすぐに選択して提案するくらい、今の技術だったらお茶の子さいさいだと思うのだが。 もしかしたら、私が想像もつかないような超高級車には、そんなナビ子さんが女将のごとく控えているのかもしれないけど。 明日はナビ子さん、よろしく頼みますよ! なんといっても、お山を下りて里へ越冬しに行くんですから。 私はもう、今から祈るような気持ちなのだ。 早く、ナビ子さんと阿吽の呼吸になって、行きたい場所に何のストレスも感じずスムーズに行けるようになりたい。 それが今の私の、ささやかな願い。 明日のドライブでは誰をかけようかな。 最近よく聞いているオペラもいいけど、Vaundyもボリュームガンガンにして聞きたい気がする。 もちろんヒカルちゃんもいいし、久しぶりにスピッツもいいかもしれない。 明日の朝、山小屋を離れることを想像するだけで切なくなるから、なるべくそのことを考えないようにしている。 すべの時間が愛おしくて、愛おしすぎて、私はまだまだ山小屋にいたい気分だ。

ゆりまきタイム

青空の下、干し柿さんたちが健やかに成長している。 一本のロープの端と端に渋柿をくくりつけて風に晒し、太陽に当てると、渋が抜けておいしくなるという。 夜は雨や雪が当たらないよう室内へ移動させ、少々過保護すぎるかもしれないと思いつつ、穏やかな気持ちで成長を見守る毎日だ。 もうそろそろ食べてもいいのかもしれない。 でも、もしまだだったら一つ無駄にしてしまうのがもったいなくて、食べられずにいる。 ところで、今年に入ってから、ゆりねは2階で寝るようになった。 今年の森暮らしを始めて少しした頃、ゆりねは突如、私の布団を抜け出して、自力でドアを開け、階段を上がって2階に行った。 以来、一日も欠かさず2階で寝ている。 私は、特に冬場など、ゆりねがいなくて寂しいけれど、もしかするとそのことで、お互い、睡眠の質は上がったかもしれない。 1階の寝室で一緒に寝ている時は、よく、雷の音や稲妻の光や強風で、ゆりねがブルブル震えていた。 そのたびに、私はなすすべ無くただゆりねの恐怖が収まるのを待つしかなかった。 でも、2階だとその刺激が、和らぐのかもしれない。 人間の私には、1階と2階の情報量が同じに感じても、ゆりねにとっては、2階の方が安心できるのだろう。 ものすごい風が強い時でも、2階にいれば、ゆりねは平気で眠っている。 私の方が風の音に恐怖を感じて、なかなか寝付くことができない。 ゆりねが2階に寝ることを、お客さんは皆さん歓迎してくれる。 ゲストが寝ているソファに、ゆりねも途中から合流して一緒に寝るのだ。 場合によっては、腕枕をしてもらったり、一緒にお布団の中にまで入って寝るらしい。 そのことで、ゲストたちは大いに癒されている。 朝、私が階段を上がって、眠れましたか? と尋ねると、ゆりちゃんが一緒に寝てくれて幸せでした〜 と、なんだかとっても満たされた表情をなさるのだ。 そこにいるだけで相手を幸せにするなんて、なんと偉大な存在だろう。 ゆりねの日々は、完璧なルーティンで回っている。 私もなるべくそうしたいと思っているけれど、ゆりねのそれに比べたら、足元にも及ばない。 まず、一日の始まりは運動会。 夜明けが近くなると、寝ているソファから降りて、部屋の中をドタドタと駆け回る。 これは、私に対する、起きろの合図で、ゆりねが上に寝るようになってから、私は目覚まし時計がいらなくなった。 私が階段を上がっていくと、尻尾を振って出迎えてくれる。 ちなみに、ゆりねは階段を上がることはできるけど、自力で下りることはできない。 危ないし、腰にも負担がかかると聞いたので、あえてそうしつけた面もある。 それから、朝ごはんの催促が始まる。 朝ごはんを食べ、トイレを済ませ、そうすると決まってゆきちゃんを動かそうとする。 その時、半々の確率で、ゆりちゃんにスイッチが入って、ゆきちゃんが手足をバタバタさせながら鳴きだす。 あ、ちなみにゆきちゃんというのはウサギの玩具で、ゆりねの妹がわり。 ゆきちゃんを持ち出すのは、ゆきちゃんと遊びたいのではなく、(たまに遊ぶが)多くの場合は私にかまってほしい合図だ。 ゆきちゃんが鳴く中、ゆりねは私に体をこすりつけたりして、親愛の情を示す。 そして、一通り気が済むと、おまちかねのゆりまきタイムとなる。 それは大抵私が新聞を読んでいる時で、なんか視線を感じるな、と思うと、ゆりねがお座りの格好で、じーっと私を凝視している。 すぐに私は、毛布を四つ折りにして、クルンとゆりねを巻き込む。そして、抱っこする。 海苔巻きみたいに、ゆりねをしっかりと毛布で包むこむのだ。 そうすると、ゆりねは安心するのか、すやすやと、時にぐぷぷと鼾をかきながら、私の胸で眠ってしまう。…

落とし物拾い

この季節、私は落とし物拾いに忙しくなる。 森の地面には、たくさん落とし物があるから。 筆頭は、松ぼっくり。 薪ストーブの焚き付けに、もってこいである。 去年は、着火剤のお世話にならないと、なかなか薪に火をつけることができなかった。 マッチも、何本もダメにしていた。 原因は、私が通気口を開けるのを怠っていたからだ。 でもこの冬は、もう簡単に火がつけられる。 着火剤も、使わなくて良くなった。 マッチも、一本で足りる。 昼間のうちに、ムッティの中の灰を片付け(灰は地面にまく)、中に新聞紙や木の枝を仕込んでおく。 そうしておけば、夕方、お風呂から帰ったらすぐにムッティに火を入れることができる。 強風が吹くと、弱い枝がパキパキ折れて地面に落ちる。 これらは、乾燥しているのでとても良い焚き付けになる。 この季節、ちょっと森を歩いて枝を集めれば、すぐに一晩分の薪が確保できる。 基本的に薪は、間伐材から作ったものを軽トラで運んでもらっているけれど、自分で集めれば、それらも使わずに済む。 私はチェーンソーも持っていないし、薪割り用の斧も使えないけれど、そんなのなくても、乾燥した細めの枝だったら手で簡単に折れるし、手で折れなければ足を使って、バキッと短くする。 そうすれば、大体の枝は、ムッティに入るくらいの大きさになる。 松ぼっくりよりも更に火付材として優れているのは、シラビソの球果だ。 手のひらくらいの大きで、見た目はパイナップルに似ている。 これは本当に便利で、火がつくと、バーっと勢いよく燃える。 炎に元気がなくなった時は、この子を入れるとまたすぐに復活する。 私の、頼もしい助っ人だ。 今日は、松ぼっくりが豊作だった。 というのも、昨夜、ものすごい風が一晩中吹き荒れていたのだ。 そのせいで、私はあまり寝られなかったほど。 しっかりと傘が開いているということは乾燥している証拠で、そういう松ぼっくりを見つけると、私は無条件に拾ってしまう。 これが、楽しくて楽しくて仕方がない。 お金を介さず、地面にあるもので暮らしが一部分でも成り立つというのは、とても気持ちがいいことだ。 無心で松ぼっくりを拾っていると、自分が狩猟採集民族になったようで、嬉しくなる。 だから、行き場をなくした落ち葉がゴミとして袋に詰められ捨てられるのは、とても悲しい。 そんなこと、する必要がないのに。 落ち葉はゴミじゃなくて、お宝なのに。 落ち葉がまた地面に還ることで、土が豊かになる。 自然界には、無駄なものなんて、ひとつもないんだと思う。 無駄のように見えるのは、こちらの工夫が足りないだけで。 今日は、電線にかかった木の枝の伐採をしている人から、切り落としたもみの木をいただいた。 もみの葉っぱは、とてもよく燃える。 もみの木を焚き付けにするなんて贅沢だけど。 切り落とさざるを得なかった枝なので、最後まで無駄にせず、大事に使わせていただこうと思う。…

雪の魔法

金曜日の夜から雪が降り始め、昨日は森一面が、真っ白い雪に覆われた。 なんという美しさだろう。 雪が降るのを見ているだけで、私は音楽を聴いているような気分になる。 ワルツになったり、レクイエムになったり、雪たちは変幻自在に表情を変えながら、空からはるばるやって来るのだ。 これから、森はますます美しくなる。 彫刻家の友人が来て、誕生日を祝ってくれた。 共に50歳になる。 半世紀も生きちゃったねぇ、ふたり合わせて100歳だねぇ、なんて言い合いながら、薪ストーブの前で赤ワインを飲んだ。 薪ストーブは、コタツと一緒で、寒いと、その前から動きたくなくなってしまう。 キャンドルを灯し、ゆるゆると半世紀生きたお祝いをした。 雪もそうだけど、炎もまた、見飽きることがない。 薪ストーブで燃え盛る炎を見ていると、なんだかそれだけで満たされてしまう。 産直で買ってきた里芋とさつま芋をそれぞれアルミフォイルで包んで炎の近くに置いておき、友人が持ってきてくれたパンもオーブンの中に入れて温める。 料理らしい料理など何ひとつしていないのに、これだけで立派なご馳走だった。 いい感じで酔いが回ったら、雪の舞う中、恒例の夜のお散歩へ繰り出す。 さすがにひとりだと夜の散歩は怖いので、ゲストが来ると、私は嬉々として夜の散歩にお誘いする。 手元にあるソーラーライトを消すと、本当に真っ暗闇だ。 寒いけれど、なんだか興奮しているので、寒さを感じない。 見上げれば、冗談かと思えるほどの星が輝いている。 早く、雪の原に寝っ転がって星が見たい。 翌日は、一緒に干し柿を作り、ユーチューブを見ながら90分のヨガをして、その後温泉に行って、温泉の食堂でまずはとろろ蕎麦を食べ、お湯に浸かり、何度も、「50になるのも悪くないねぇ」と言い合った。 そうそう、とろろ蕎麦を食べながら私たちが真剣に語り合ったのは、ピザに載せる具材の組み合わせについてだ。 薪ストーブでピザが焼けるという話から、じゃあ次回はピザパーティーをしようと盛り上がり、どんなピザを作るかを真剣に話し合ったのだ。 蕪と柿とチーズ、色々きのこ、山芋とおぼろ昆布、などなど、出たアイディアを友人がその場でノートにメモしていく。 最近、忘れっぽくなったので。 自分で自分が信用できないよねー、との意見で一致した。 本当に、まさか自分がそんな間違いをするだろうか、的なびっくりぽんが、この歳になると日常茶飯事になってくる。 きっと、60になろうが、100になろうが、話している内容はそう変わらないのだろう。 私と友人は今、にわかピザ研究員だ。 昨夜は、嵐のような強風だった。 山の上から、雪崩のごとく、風のかたまりがもうスピードで駆け下りてくる。 ごおおおおおおおおおお、という低い唸り声を上げながら。 恐怖を感じるほどの風が、これでもかというくらい吹き荒れていた。 そのせいで、なかなか寝付けなかった。 だけど、昨夜の風が、空をきれいにしてくれたのだろう。 今朝は、とびきりの朝。 あまりに気持ちがいいので、ゆりねを連れてドライブへ出かけた。 通りがかりのパン屋さんで、焼き立てのアップルパイとカフェオレをいただく。 50年生きてきて、最高においしいアップルパイだった。 運転しながら、山が、もうきれいできれいできれいできれいで、きれいすぎて泣きたくなった。…

初雪

横浜でのサイン会を終えて、急ぎ山へ。 というのも、山小屋の水抜きをしていない。 気温が氷点下になると、水道管が凍結してしまうのだ。 寒波が来るらしく、昨夜から、山小屋に向かって、明日戻るから一晩だけ頑張れよ!とエールを送っていた。 今朝、森のご近所さんから初雪の知らせが届く。 あぁ、残念。 初雪の朝には、ぜひとも立ち会いたかった。 少しだけど、霧氷も出たらしい。 ベルリンの人たちもそうだったけど、雪は楽しみなのだ。 特に、初雪の朝はワクワクする。 今回も、長距離ドライブの音楽は、宇多田ヒカルさん。 行き、ずっと聴いていたらあっという間に着いた。 山小屋から里の住まいまで、大体3時間くらい。 とはいえ、高速に乗っている間はほぼ自動運転にしているので、とっても楽。 車が進化して、私は大いに助かっている。 帰りは藤井風君にしようか迷ったけど、結局またヒカルちゃんにした。 いい声だなぁ。 彼女の生き様が全て、声になっている。 どんなことがあっても、歌い続けてほしい。 車の運転をしている時は、普段山小屋で聴いているような静かなピアノの曲とかでは、ダメなのだ。 刺激が足りなくて、リラックスしてしまい、運転には向かない。 その点、ヒカルちゃんも風君も、最高だ。 温泉に行くくらいの距離だったら、アメリのサントラもいい。 とにかく、運転中はリズムが大事。 普段はあまり外食をしないのだけど、長距離で移動する時は、高速を降りてからちょっとしたご褒美を自分に準備するようにしている。 それを目指して、ひたすら走る感じだ。 今日は、ずっと気になっていたオステリアが開いていたので、そこに入った。 シラスとカラスミのオイルパスタをもりもり食べて、栄養を補給する。 その足で、温泉へ。 長い運転をした後は、すぐに温泉に浸かると疲れが吹き飛ぶ。 露天風呂から見た富士山が、凄かった。 頂上の方に雪が積もっている。 もう、冬の空だ。 なんて美しいのだろう。 里は里で楽しいけれど、やっぱり私は山が好きだ。 あと15分くらいで山小屋に到着する辺りから、チラチラと雪が舞い始めた。 半月ほどの間に、景色がすっかり変わっている。 もう秋じゃない。 カラマツもほぼ葉っぱを落として、裸ん坊になっている。 山小屋に着いたら、森にはまだうっすらと雪が残っていた。…

余韻を味わう

サイン会の翌日、新しくできたという錦市場のそばの小川珈琲へテクテク。 夕方6時半からスタートしたサイン会だったけど、終わったのは9時だった。 そこからご飯を食べに行き、ホテルに戻って、いつもより随分遅く寝たはずなのに、なんだか興奮してしまい、朝、早く目が覚めた。 朝6時台の京都は、なんだかやけに清々しく、まるで外国を旅しているような新鮮な気分になった。 パリと京都は、街全体が醸し出す空気感も、自分たちの文化に誇りを持っている人々の気質も、川のある風景も、共通したところがある。 並ぶらしいと聞いていたので少し早めに到着したら、誰も並んでいなかった。 開店の7時ちょうどに、一番乗りで店に入る。 お庭が見える奥の席について、カフェオレを注文した。 それから、続々とお客さんがやって来た。 昨日のサイン会の余韻を味わいながら、読者の方から頂戴したお手紙を読む。 先日の横浜でのサイン会でもそうだったけれど、中学生の時に『食堂かたつむり』を読みました、という、今、大学生とか社会人なりたての若い方が結構いらっしゃる。 最初の作品を発表してからの時間を感じて、とっても感慨深い。 短い間だけれど、ひとりひとりの方と言葉を交わし、その方のお名前を書いていると、様々な人生に触れて、胸が熱くなる。 みなさん、必死になってそれぞれの人生を生きているのだな、と実感する。 時には大変なことを乗り越えなくてはいけなかったり、もしくは今も大変なことを抱えていたりするけれど、それでも、私に会いに来てくださって、その瞬間は笑顔を見せてくれて、そういう出会いが最高に嬉しい。 最初の頃のサイン会とはまた違う、深い深い味わいのようなものを感じている。 ただ、お待ちいただく時間がどうしても長くなってしまうので、それだけが本当に心苦しくて、申し訳ありません、と思う。 明日は、横浜での2度目のサイン会だ。 それにしても京都、外国人の多さにびっくりした。 噂では聞いていたものの、ここまでとは! 新幹線の改札を出たら、ここは外国の駅ですか? ってくらい、外国人旅行者の姿ばかりが目に飛び込んでくる。 もう、京都は完全な国際都市だ。 きっとこれから、京都の若い子たちの英語力がぐんぐん伸びるのだろう。 現に、私が行った小川珈琲でも、接客の女の子が外国人相手にちゃんと英語で対応していた。 泊まったホテルも、大半が外国人だった。 円が安くなっているから、外国からの観光客にとって、日本はとてもリーズナブルに違いない。 円の力が弱くなっているのは、インドでも感じた。 インドにいて、私はそれほど物価が安いとは思わなかった。 このままずるずると円の力が弱くなったら、日本人はなかなか気軽に海外に出られなくなる。 外国人観光客にとっての適正価格にしたら、日本人にとっては高くつく。 近い将来、日本でも、外国人向けの料金と日本人向けの料金、ふたつの値段設定が必要になるのでは? と、京都にいて思った。 意欲ある若い子たちは、日本を脱出して、海外へ出稼ぎに行くだろうし、逆に本当は海外へ留学したいのに、経済的な事情でそれができないという子も増えてきてしまうだろう。 私だって、今の状況だったら長くベルリンにいるのは難しかったかもしれない。 日本のいい文化を味わっていただくのはとても嬉しいことだけど、ただ安いからという理由だけで日本が選ばれているのだとしたら、今は良くても、この先はかなりしんどいのではないかしら? そういえば、京都でのサイン会に、フランス人の青年が来てくださった。 『ツバキ文具店』のフランス語版を読んでくださったとのこと。 今は日本で華道の勉強をしているそうで、『椿ノ恋文』のフランス語版も、楽しみにしてくださっていた。 そんなふうに、物語が海をこえて外国の読者の方にも届けられるというのは、幸せなことだ。 改めて、物語の力というか、言葉の力を感じた。 読者の方にどれだけの感謝を伝えられたか自信がないけれど、ありがとうをお伝えたいのは、私の方です。…

海へ

横浜でのサイン会を終えて電車に揺られていると、ちょうど夕暮れの海に遭遇した。 淡い淡い、まるでスフレみたいな海。 両手ですくったら、泡みたいにふわっと持ち上がりそうな海の姿が、本当に本当に美しかった。 私の心の中も、ふわっふわ。 鞄に入れてきた文庫本を読む気にもならなくて、とにかくサイン会の余韻を味わいながら、じーっと子どもみたいに海を眺めていた。 たくさんの読者の方にお会いすることができ、心のこもった温かい言葉をかけていただき、最高に幸せな時間だった。 わざわざ足を運んでくださった皆さま、本当にありがとうございました! 海辺の小さな町に冬の拠点を移したのだ。 基本的に私は山小屋で森暮らしをしているけれど、通年いるには、少々、私の能力が足りない。 だから、極寒期だけはどうしても山を下りる必要がある。 直近の冬を東京で過ごして、ものすごく違和感を感じてしまったのだ。 朝、カーテンを開けて人工物しか見えないことに耐えられなくなった。 もし、森で暮らしたりしなければ、そんなことは感じなかったはず。 でも、私は大自然の圧倒的な美しさを知ってしまったので、もう元の自分には戻れない。 東京を、卒業することにした。 普段は山の中で結構ハードな暮らしをしているので、冬くらい、お日様の光をたっぷり浴びて、ぬくぬくしたい。 ゆりねにも、シーに怯えることなく生活してほしい。 私の中に海的な要素はほぼないのだけど、でも冬の海は大好きだ。 まだ数えるほどしか山小屋から車で来たことはないけれど、毎回、海が見えると得したような気分になる。 海は、私にとって非日常の世界。 特別な場所だ。 これからは、冬、行きたくなったらいつでも海へサクッと行けるようになった。 昨日長いお留守番をしてもらったので、今日はゆりねとたっぷりイチャイチャして過ごす。 この子は、本当に私の人生に寄り添ってくれて、感謝しかない。 喜びばかりを、日々与えてくれる。 昨日のサイン会では、お手紙を書いて持ってきてくださった方もたくさんいらした。 面と向かうと緊張してうまく話せないかもしれないので、と手紙という形のギフトをくださる。 今日、その手紙を一通一通読みながら、昨日のふわっふわが、口の中で綿菓子みたいに甦った。 夕方、温泉へ。 東京を離れるにあたり、新天地に求めたのは、温泉だ。 あとは、居心地のいいカフェが一軒あれば、大満足。 今、私はそれを探しているところだけど。 あー、やっぱり温泉はいいなぁ。 この町のことはまだまだ手探りだけど、この温泉があってくれて、よかったなぁ、なんて思いながら、湯船に浸かっていたところ、 あの〜、と声をかけられた。 「『天然生活』の、、、」と続く。 ひゃー!!!! まさかお風呂で声をかけられるとは。 もう、びっくりを通り越して、笑ってしまった。 今更、違いますと否定しても始まらないので、「なんでわかったんですか?」と逆にこちらから質問すると、…

手紙よ、手紙

『椿ノ恋文』が届いた。 ついに完成した最新刊。 新聞連載からのスタートだったので、足かけ何年になるのだろう。 ようやく、一冊になって感無量だ。 このところ、夕食を食べてから、手紙を読み直す時間を設けている。 ムッティに薪をくべたりしながらするのに、手紙を読むのはとてもいい。 ものすごく大きな段ボール一箱分に、私宛の手紙がぎっしり入っている。 多くは、読者の方からのお手紙。 その中でも、圧倒的に多いのが、やはり『ツバキ文具店』がきっかけでいただいたお手紙だ。 みなさん、本の最後に載っている、「ツバキ文具店へのお手紙はこちらへ」をご覧になって、手紙を書いて送ってくださったのだ。 読後すぐのお手紙から、しばらく時間が経ってからのお手紙まで、本当に様々だ。 以前は手紙を書くのが好きだったのに、このところはメールやラインで要件を済ませてしまい、手紙を書くのをやめていたんです。でもこの物語を読んでむしょうに手紙が書きたくなりました。 だけど咄嗟に手紙を書く相手が思いつかないので、鳩子さん宛に書きますね、とか。 実際に書いてみて、やっぱり手紙っていいものですね、だからやっぱりまた手紙を書くのを始めてみようと思います、とか。 物語を読み終えてすぐ、大切な人に手紙を書きました、のご報告とか。 今片思いの人がいるのですが、今度手紙で告白してみようと思います、とか。 中には、誰にも打ち明けられない秘密をそっと鳩子に打ち明けてくださった方、病床で読んで一言感想を伝えてくださった方、ご自身は目が見えないので図書館で音声図書を借りて、その感想を丁寧に文字にしてくださった方、本当に多くの方が、鳩子に手紙を書いて送ってくださった。 こんなふうな形で読者の方と繋がれるというのは、本当に本当に幸運なことだと改めて思う。 お手紙を書いて送ってくださったみなさん、本当にありがとうございました。 読者の方からの手紙に混ざって、友人などから個人的にもらった手紙も顔を出す。 それがまた、面白い。 面白いというのは、こんなことまで手紙でやり取りしていたのか!という発見があるから。 今だったらメールでやるような連絡事項を、長々と手書きで伝えている。 そこには、それぞれ書いた人の温もりがあって、匂いがある。 ずいぶん疎遠になってしまった人でも、その人が書いた文字を見ただけでパッとその人の顔が浮かび、声が蘇ってくる。 手紙の束を前にして、時間の層がバウムクーヘンみたいに積み重なっているのを実感した。 大袈裟だけど、生きた証を見ているようなのだ。 手紙を振り返る中で、母から来た手紙とも再会した。 自分では、全て処分したものを思い込んでいたので、まさかの展開だった。 手紙というよりメモに近いもので、私宛に送ってくれた荷物の中身の説明が長々と綴られている。 多くは、母愛用の筆ペンで書かれたものだ。 子どもの頃、かなり崩して書く母の書き文字を判読するのに難儀したものだけど、やっぱり今読んでもなんて書いてあるのかわからない箇所があり、その部分は潔く読み飛ばした。 そこには、まだ母が生きていて、私は生身の母と再会したような気持ちになった。 そして、改めて母からの愛情を感じた。 父が書いて送ってくれた小さなメッセージカードも出てきた。 やっぱりそこにも、元気な頃の父がいた。 私はこのところ、毎晩、こんなふうに過去の手紙と触れ合って過ごしている。 手紙には、やっぱり手紙にしかない優しさというか、温もりというか、美しさがある。 そんな手紙の良さが、『椿ノ恋文』でもお伝えできたら嬉しい。 今回は、新聞連載だったので、しゅんしゅんさんが毎回毎回、挿画を描いてくださった。…

栗と温泉

栗が届いた。 箱を開けた瞬間、あ、と固まり、一瞬目を逸らして見なかったことにしそうになる。 今年は、道の駅や産直でその姿が見えそうになると、あえて近くを通るのを避けてきたのだ。 インドに行って山小屋を不在にしていた分、この時期はやることがいっぱいある。 栗は好きだけど、今、自分でちまちま落ち着いて仕事ができるほどの心の余裕がない。 それに、ここ数年はおいしい栗の渋皮煮を作って送ってくださる方がいるのである。 とは言え、栗も生きているしなぁ。 見れば、立派な丹波の栗。 とりあえず、大きい鉄鍋にお湯を沸かし、熱湯に放り込んだ。 あぁ、栗が来ちゃったよ、と内心ぼやきながら。 栗の皮剥きは、本当に本当に難儀な仕事だ。 随分昔のことになるけれど、以前、中津川の栗きんとんの取材に伺ったことがある。 私は当然、機械で栗の皮を剥いているのだろう、と思っていた。 でも、全て手作業で剥いていると聞いて、目が点になった。 途方もない仕事だ。 栗の皮剥きの仕事に従事される方達は、さぞ忍耐強いのだろう、と想像する。 イライラしながら栗の皮剥きなんかしたら、すぐに指が血だらけになってしまう。 鬼皮だけ剥くのだって、一苦労だ。 剥いても剥いても、まだ栗が鍋の底から顔を出す。 最後の一個を剥き終わる頃には、手がガチガチになっていた。 しかし、これで終わりではない。 むしろここからがスタートで、これから渋皮煮にするのである。 美味しい渋皮煮が届くと書いたけれど、今まだ届いていないということは、今年は私の分まで回ってこないのかもしれないし。 せっかくこんなに上等な栗があるのだから、やってみようじゃないか、という気に少しずつなってきた。 重曹を入れたお湯で20分ゆらゆら煮ては、水を変えて、またゆらゆら煮て、水を変えて。 ほぼ付きっきりで、お世話をする。 弱火で火を通すのは、栗が割れないようにするため。 そのため、慎重に慎重に火を入れる。 回を重ねるごとに、栗は柔らかくなるけれど、その分繊細ですぐに形が崩れてしまう。 途中で崩壊した栗は、味見も兼ねて、メープルシロップをかけて自分で食べた。 きっと、毎年送ってくださる渋皮煮の名人も、自分では崩れたのを食べ、形のきれいなものだけを、プレゼントしているのだろう、などと勝手に想像する。 でも、少しずつ渋皮煮に近づいていくと、嬉しく、栗たちへの情も深まってくる。 最後は、甘いシロップに浸し、薪ストーブの上に置いて、じっくりじっくり火を通す。 鍋に入れたまま、味を染み込ませた。 その間、私は温泉へ行ってきた。 いつもの日帰り湯ではなく、「休憩」と名のついた、部屋も借りられるちょっと贅沢な過ごし方をする。 そこの温泉のお湯が好きで好きで、去年の今頃通い詰めていたのだが、この春、施設の老朽化のため閉鎖になってしまい、そこに行けなくなっていた。 再開を待ち望んでいた矢先、他の旅館で「休憩」のサービスがあることを知り、早速行ってみたのである。 外から見る限りは、ザ・昭和。 その建物を見るたびに、うーん、ここに泊まるのは勇気がいるなぁ、なんて思っていた。…

アンズの笑顔

朝から強い風が吹いている。 そのたびに、葉っぱがはらはらと地面に落ちる。 森は一面、色とりどりの落ち葉のじゅうたんだ。 朝と夕方でも森の色が違って見えるほど、刻一刻と冬に向けて進んでいる。 今週末は、いよいよ最低気温が氷点下の予報だ。 ガザのことが気になって、普段あまり見ない夕刊をチェックしたら、犬のアンズの記事が載っていた。 元の飼い主が、保健所に、もういらないからと持ち込んだトイプードルだ。 そこにたまたま居合わせたのが、茨城県警で警察犬の指導をしていた鈴木さん。 飼育放棄された子犬は、カゴの中で震えていたという。 飼育書の通りにやっても排泄がうまくできないし、吠えてうるさいから、もういらないというのだ。 その様子を見かねた鈴木さんが、自分に譲ってください、とその場で申し出て家に連れて帰った。 その犬は、鈴木さんの奥さんにより、アンズと名付けらた。 鈴木さんは自宅で訓練中の3頭のシェパードを飼っており、そこにアンズも仲間入りした。 そして、先輩のシェパードを真似るうち、アンズも警察犬としての素質を開花させた。 アンズは、とてもとても優秀な犬だった。 写真のアンズは、とても幸せそうに笑っている。 白いので、ゆりねにちょっと似ている。 嬉しい時、ゆりねもよくこういう表情をする。 もしその時、そこに鈴木さんが居合わせなかったら、殺されていたかもしれないのだ。 それもきっと、アンズの魂が鈴木さんを引き寄せたんじゃないかと思う。 アンズは今、茨城県警の警察犬として、行方不明になったお年寄りを探し出すなど、大活躍している。 アンズの涙が、アンズの笑顔に変わって、本当に良かった。 アンズが鈴木さんと出会えて、本当に本当に良かった。 動物に対してもそうだけれど、虐待とか、戦争とか、相手の尊厳を傷つけたり奪ったりすることは、本当にしてはいけないことだと思う。 だから、アンズのようなニュースは、心から嬉しい。 何より、アンズが生きる希望を持てたことが、素晴らしいと思う。 アンズと言えば、この間友人に、インドで一番おいしかったものを聞かれ、ちょっと考えた末に私はアンズと答えた。 この辺りでも、初夏のほんの一時期、生のアンズが出回る。 でも、本当に一瞬で、あ、と思った頃にはなくなっている。 私が行ってきた北インドのヒマラヤは、アンズの一大産地らしく、どこに行っても生のアンズがあった。 近郊の村へ出かけた時は、休ませてもらったエコビレッジのお庭にアンズの木があって、おやつがわりに直接木からもいだのを食べていた。 その生のアンズで作ったアンズのジュースが、私にとってはインドで一番おいしいものだった。 現地の人たちは、そのアンズの真ん中に入っている種を丸のまま、ローストにして食べる。 それを買って日本に持って帰り、数日前、グラノーラを作る際、中に入れてみた。 味は、アーモンドに似ている。 カリカリして、とても美味。 グラノーラ自体とても香ばしく、小腹がすいた時につまむのにちょうどいい。 そんなアンズ繋がりで、私はグラノーラを口にすると、反射的に犬のアンズのことを思い出し、あぁ、良かった良かった、アンズが笑顔になれて本当に良かったと毎回思ってしまう。 アンズが、幸せな生涯を送れますようにと、グラノーラを食みながら祈らずにはいられない。 それにしても、もし私が地球だったら、もう我慢の限界だ。…

春待ち庭

ダンボールいっぱいの春が届いた。 中身は、球根。 それで今日は、朝からせっせと球根を植えた。 お庭仕事にはもってこいの土曜日。 春を待つ庭を作るべく、汗を流す。 リスは、この季節、胡桃を拾って土の中に埋める。 忘れられた胡桃が芽を出すと、やがて森が生まれる。 私がやっているのも、似たようなこと。 球根を埋めたそばから土で蓋をするので、すぐに、どこに埋めたかわからなくなる。 これは、自分へのサプライズだ。 厳しい冬を乗り越えた自分自身へのご褒美を、今のうちから仕込んでおく。 もう、春が待ち遠しい。 でも、その前に冬だ。 寒い寒い冬を乗り切ってこそ、春の日差しの温もりに感謝できる。 春を迎える前に、森は一回死ぬ。 完全に死んではいないのだけど、完全に死んだように見える。 そこで、全てがリセットされて、また新しい命が芽吹いてくる。 今年は、どんな冬景色が見られるのかな。 なるべく長く山小屋にいて、冬をたっぷりと味わいたい。 今日植えた球根は、水仙と百合。 ダンボールいっぱいあったのに、地面に隠してしまうと、物足りなく感じる。 この庭のどこかに宝石のように咲く花の源が潜んでいるかと思うと、ワクワクする。 どうか、シーに食べられることなく、春になったら、無事に芽を出し、花を咲かせますように。 今日、ぼんやり森を見ていたら、3本脚のシーがいた。 体毛を濃くした、立派なオス鹿だった。 おそらく去年、私の森の木の枝にぶら下がっていた脚の持ち主だろう。 後ろ脚を一本失っても、無事に冬を越し、生き延びたのだ。 そのことに、少し安堵した。 もしも、鹿じゃなくて、馬だったら、どうだったんだろう、なんてことを、昨日から考えている。 野生の馬が森にいたら、私はどう感じるんだろう。 おそらく、嬉しい。 与那国島には野生の馬がいるけど、増えすぎて人間との共存が難しくなっている、なんて問題はないのだろうか。 ヒマラヤにも、川の辺りに佇む野生の馬がいて、それはそれは美しかった。 遠くから見たら、鹿も馬も大差はないはずなのに、鹿はノーで馬はOKという道理も、それはやっぱり矛盾している。 鹿だって、見た目は馬と同じくらい愛らしいし、美しい。 馬とて、同じように増えすぎて森を荒らしたりすれば、やっぱり厄介者になってしまうに違いない。 と思ってちょっと調べたら、オーストラリアでは野生の馬が生態系に悪影響を及ぼすため、害獣として駆除されているとのこと。 殺処分にしろ駆除にしろ、人間の都合で動物の命を奪うというのは、本当に本当に心苦しい。 先日、近所にできた小さな本屋さんで、『人間がいなくなった後の自然』という本を買った。 まだ読んでいないけれど。…

今週は手前味噌作り。 スーパーで一年中生の麹が手に入るのはさすがだ。 信州にはおいしい味噌がたくさんあるから、わざわざ手作りしなくてもいいような気もするけど、でも自分の味噌に体が慣れてしまっているので、やっぱり今年も作ることにした。 大豆1キロを、500gずつ2回に分けて仕込む。 このやり方が一番楽。 今読んでいる本、『いきている山』(ナン・シェパード著)に、こんな下りがあった。 自分のほかにそこにもう一人いることは、それが適切な山の仲間であれば、静けさを損なうものではなく、静けさを豊かにしてくれる。申し分のない山の仲間とは、山行のあいだその人の本質が山のそれと一つに溶け合っている人のことをいう。自分の本質も山と一つになると感じているように。そういう時に発せられる言葉は、共有される生の一部となり、異質なものではなくなる。しかし、間を持たせるだけの話題作りは山行を台無しにする。山行に会話は必要ないのかもしれない。 この文章と出会った時、私は深く深く納得した。 脳裏に現れたのは、もちろんぴーちゃんだ。 ヒマラヤで、私が最悪なコンディションでトレッキングに挑んだ時、彼女は私に、大丈夫?とも頑張れとも、一切言わなかった。 ただ、時に前を、時に後ろを歩いてくれた。 その姿に、言葉よりもより多くのメッセージをもらった気がする。 三連休の二日目、麓に暮らす彫刻家の友人がわざわざおかえりを言うため山小屋まで来てくれた。 お土産は、庭に落ちた栗の実で作った栗きんとん。 私には砂糖を入れた大きい栗きんとんを、ゆりねには栗そのまんまの小さな栗きんとんを、それぞれ作ってきてくれた。 きっと彼女とも、私はいい山登りができる気がする。 同い年のその女友達は、私より一足早く50歳になった。 でも、50になろうが、おそらく60になっても70になっても、やっていることは小学生同士の付き合いとさほど変わらない。 交わす会話も、それほど進化はしていない気がする。 でも、平和だから、それが許されるのだと思う。 先日、イランの活動家、ナルゲス・モハンマディさんがノーベル平和賞を受賞した。 彼女は、51歳。 その彼女が、双子の息子と娘に宛てた手紙が新聞にあった。 あなたたちの状況がどれだけ大変かということも、私が状況を困難にしたということも、わかっています。私の道は(未来の)多くの子どもたちを助けるためであり、あなたたちが大きくなったら、私を許してくれることを願っています 母親として、本当に身を切るような究極の選択を迫られたに違いない。 母親なら、獄中ではなく、息子や娘のそばで愛しい子どもたちの寝顔を見ながら添い寝したいに決まっている。 それでも、自らの個人的な幸福や自由を投げ打ってまで、多くの子どもたちの未来のために闘っているのだ。 そのことを思うと、本当に尊敬する。 今回の受賞が、少しでも彼女の、そして彼女と同じように自らの人生を犠牲にしてまで自由や平等のために闘っている全ての活動家たちの心に、光をもたらしてくれたらいいと思う。 ロシアはウクライナへの攻撃をやめずに双方で犠牲者は増える一方だし、パレスチナとイスラエルの対立も深刻化している。 アフガニスタンでも、大きな地震があった。 自分の足元や周辺は平和でも、地球規模で見たら、世界はどんどん平和から遠のいているように感じて恐ろしくなる。 少しでも、世の中が平和でありますように。 人々の心に、明るい光が届きますように。 そう願わずにはいられない。 夜、なんとなくそういう気分になって、以前いただいた手紙の一部を読み返した。 大半は読者の方が送ってくださった手紙だけど、たまに友人からの手紙があったり、編集者からの手紙が出てきたり。 物語を通じて多くの方とこんなふうに心の交流ができることは、本当に本当に幸せなことだと改めて感じた。 そして、感謝した。 来月、『椿ノ恋文』が刊行される。…

冬支度

朝の気温は、5度。 日中も、10度ちょっとで、刻々と冬の足音が近づいている。 今日は、終日青空で気持ちよかった。 ずっとほったらかしになっていたお庭の手入れに精を出す。 冬越しのため、薬草たちは切り戻しを。 いない間シーにほじくり返された苗は、別の場所に植え直した。 数日前の強風で、だいぶ枝が落ちている。 ビュンビュンと、まるで鞭のように木の枝がしなっていた。 枝を拾い集め、短く折って、薪ストーブの焚き付け用に準備する。 もう、夜だけは薪ストーブを焚いている。 いよいよ、ムッティの出番だ。 乾燥しているから折れてしまうので、落ちた枝は、焚き付けにはもってこいだ。 去年よりもずっとスムーズに火がつくのは、しっかりと薪が乾燥しているから。 これから、せっせと火種となる松ぼっくり拾いをしないといけない。 今日は、山小屋から離れがたくて、温泉にも行かず、家のお風呂に入った。 離れていた分、たっぷりと蜜月の時間を過ごす。 晩ご飯に何を食べようかな、と思って冷蔵庫を開けたら、アケビと目が合ってしまう。 一週間ほど前にいただいたアケビ。 見た目は紫色でとてもとても美しいのだけど、私はどうも味が苦手なのだ。 山形の人は、秋になるとアケビを良く食べる。 大抵は、中の種を取り除いて、そこに味噌で味をつけた豚肉なんかを詰めて焼くのだ。 でも、アケビは苦くて、どうもおいしいと思えなかった。 母は、アケビの種の部分が大好きだった。 ただ、アケビの種は白いゼリーみたいなのに包まれていて、見た目がカエルの卵っぽい。 それもあって、私はアケビの種を食べようと思ったことは一度もない。 でも、目が合ってしまった。 最近、以前にも増して食べ物を粗末にすることに罪悪感を覚える。 もう、冷蔵庫に一週間も置かれていたアケビは、限界だ。 そろそろ食べないと、ダメになってしまう。 ということで、頑張って調理してみることにした。 肉詰めはハードルが高いので、昨日買ってきたベーコンと炒めてみる。 その過程で、種も口に入れてみた。 確かに、甘い。 でも、ほとんどが種なので、なかなか思うようには味わえない。 大量に出た種は、庭にまいた。 あれだけたくさんあれば、ひとつくらい、芽を出すかもしれない。 アケビは、ゴーヤだと思って、ゴーヤチャンプルーを作る時みたいにスライスしてベーコンと炒め、最後、甘めの玉味噌で味をつけた。 さて、冬に向けてやることが目白押しの今日この頃。 晩ご飯を食べる前に、松ぼっくりで天然の着火剤を作ってみようとひらめき、実行する。 松ぼっくりだけでもかなり火種にはなるのだが、周りを溶かした蜜蝋でコーティングしたら、もっと優秀な着火剤になるのではないか。…

水と空気

ただいま! 森に帰ってきた。 今、私は、森の木々に両手を広げて抱擁されている気分だ。 約一月山小屋を離れていた間に、森には秋が訪れ、木々が紅葉を始めている。 思っていたほど、シーに庭を荒らされていなかった。 それにしてもインド、過酷な旅だったな。 予想も覚悟もしていたけど、なんていうかそれ以上だ。 インドは2度目で、前回は南インドに行ったけど、その時はホテルから一歩も出ずにひたすらアーユルヴェーダを受けていたので、実質、今回が初めてのインドに触れる旅。 まず、人が多い。 世界でもっとも人口の多い国になったのだから、当然かもしれないけど、それにしても人が多くて、しかも密度が濃いというか、人と人との距離が近すぎる。 普段の森暮らしでは、人に会うよりも鹿に会う方が多いくらいの私は、この一二年で、かなり人混みに弱くなっている。 そして、ムンバイの蒸し暑さは本当にこたえた。 体が全然順応できない。 その上、外はミストサウナなのに、一歩室内に入れば、もう震えるほどの冷房で、外を歩いても過酷、建物の中に入っても過酷で、どっちもしんどい。 インドでは、クーラーがステイタスなのだとか。 タクシーも、クーラーがあるのとないのとで、料金が違ってくる。 インドはおしなべて無秩序だったけど、特に車の運転は酷すぎると感じた。 どのドライバーも、自分のことしか考えていない。 みんながクラクションを鳴らすから、うるさくてうるさくて仕方ない。 歩行者は道を渡るのすら命懸けで、滞在中、何度も怖い思いをした。 先進国とは一体何なんだろうと、インドにいる間中、考えさせられた。 高層ビルがたくさんあれば先進国なのか。 もちろん、そうじゃない。 経済的に豊かなだけでは、先進国と言えない。 中身が伴わなければ、外側だけ立派に繕っても、ただのハリボテになってしまう。 人の命の価値に重きが置かれていること。 人だけでなく、動物や植物など、自然の全てに敬意が払われていること。 人としての人権が確立されていること。 人々が、幸福を感じながら日々の暮らしを営んでいること。 お金の使い道が、上手であること。 私は、先進国というのは、こういう点がきちんと確立されている国をいうのだと思う。 インドの街は、ヒマラヤも含め、どこもかしこもゴミだらけだった。 ムンバイには、下水の臭いがする。 路上には、野良犬があふれている。 極端に富を得ている人と、極端に飢えている人の差が激しすぎる。 そもそも、私にとってインドはわからないことだらけだ。 ブッダが誕生したはずなのに、今のインドに、ブッダの教えはさほど見られない。 過去には、ガンジーという素晴らしい人物もいた。 人々の多くは、カースト制をいまだに受け入れている。 レイプが多発しているのは、どこか人の心に大きく抑圧されている部分があるからなのだろうけど、それはなぜなのか。…

ヒマラヤ合宿④

(9月21日) トレッキングへ。 4100メートルの山の頂を目指して歩く。 実は、ムンバイからレーに移動する飛行機の手荷物検査の時、日本から持ってきた大事なストックを没収された。 インディゴ航空のスタッフは、手荷物で問題ないと言ったのに、手荷物検査の係員は機内に持ち込めないという。 ジャンムー・カシミール州は政治的に不安定で、ラダックは軍事上の重要な場所。 とは言え、大事なストックをこれみよがしにゴミ箱に放り投げられた時は本気で腹が立った。 フランスの空港で、せっかく買ったラギオールのペーパーナイフを取り上げられて以来の没収だ。 手荷物検査のあのシステム、もうちょっとなんとかならないのだろうか。 着いた先の空港で受け取るようにするとか、もっと賢明なやり方があると思うのだけど。 そんな訳で、ホームステイ先で農具として使われていた木の棒をトレッキングの相棒にした。 でも、私は最初から不安だった。 インドに来て以来、あまり眠れないのだ。 ムンバイでは時差で、ラダックに来てからは高地による影響で、眠りが浅くなり、どうしても深夜に目が覚めてしまう。 しかも、その日の夜、寝ていたらものすごく頭が痛くなった。 これは、高山病だろう。 その上、パンゴン・ツォの寒さで、ぴーちゃん共々、風邪を引き、喉が痛くて痛くてたまらない。 とてもとても、トレッキングに行けるような体調ではなかったのだ。 出発予定時間の30分前まで、私は一日静かに寝ているつもりだった。 でも、頭痛薬を飲んで少ししたら、やっぱり行ってみようという気持ちになった。 せっかく日本から登山靴も持ってきたのだし。 荒治療ではあったけど、出発してダメだったら私だけ引き返してくればいいと腹を決め、まずはガイドさんと共に歩き始めた。 体力温存のため、言葉はほとんど交わさない。 思えば、富士山に登った時も、私は途中から軽い高山病だった。 頭がズキズキして、意識が朦朧としていた。 それでも、頂上には立てた。 富士山は、3776メートル。 今回は、更にそれよりも高い場所を目指す。 人生初の試みだ。 川に沿って、谷間を歩いていくのだが、途中何度か、川を越える必要があった。 それがまた至難の業で、場合によっては登山靴と靴下を脱いで、川を渡らなくてはならない。 水がものすごく冷たくて、凍えそうになる。 ガイドさんが先に川の向こうへ渡り、大きな石を川に落とし、飛び石を作ってはくれるものの、それでも、石から石へジャンプする時に危うく滑って転びそうになる。 ちなみに、この小川は、ガンジス川の源流だ。 ヒマラヤの山々から集まった水が、やがて合流してガンジス川となる。 空気が薄いので、すぐに息が上がってしまう。 それでも、道端に咲く高山植物や小川のせせらぎに励まされ、なんとかふたりについていく。 川の水が、すごくおいしい。 顔を上げれば、見事な岩山。 途中、何度も休憩を取りながら、トレッキングを楽しんだ。…

ヒマラヤ合宿③

(9月19日) パンゴン・ツォへ。 今回、どうしてもこの湖に行きたかった。 一度、その絶景をこの目で見てみたい。 空路はなく、ラダックから車で、5、6時間もかかる。 しかも途中、5300メートルのチャンラ峠を越えていかなければならない。 なんとなんと、まさかの雪景色だった。 山肌を削るように作られた冗談かと思うほどの細い道路を通って行く。 ちょっとでも道を外れたら、真っ逆さまに転落しそうでハラハラした。 あまりの寒さに、持っていた防寒着を全部着込む。 いらないと思って、ムンバイのホテルにセーターとかを置いてきてしまったことが悔やまれた。 でも、パンゴン・ツォは想像以上に素晴らしかった。 これほどまでに美しく清らかな世界があったとは! あまりに感動して、ぴーちゃんとふたり、ため息しかこぼれない。 湖の水はものすごく透き通っていて、太陽の光を受けると、鮮やかなトルコブルーに染まる。 向こうには、山、山、山、山。 幾重にも連なる屈強な山たちが、湖をしっかりと四方八方から守っている。 湖の向こう側は中国だ。 飛び込みで入った宿で、ベッドに入ってゴロゴロしながら、ひたすら湖を眺めた。 でも、全然見飽きない。 確かに片道5時間のドライブは体にこたえたけど、はるばる来て正解だった。 来ようと思って、簡単に来れる場所では決してない。 宿泊したメラック村は、つい最近まで外国人は入れず、秘境中の秘境だったという。 冬は、マイナス30度とか40度になるらしい。 ホテルの電気がつくのは、夜7時から。 夕飯を食べている時も、しょっちゅう停電して真っ暗になる。 この地で生活を営むのは、本当に過酷だ。 Wi-Fiもなく、電話も通じず、とにかく静か。 夕食後、宿のおじさんが特別に焚き火をしてくれた。 寒くて寒くて、フリースを着たまま布団に入った。 朝、村を散歩した。 人はほとんどいない。 太陽が昇るにつれて、湖の色が刻々と変化する。 それがまた美しい。 自分の人生が残りわずかとなった時、この湖をもう一度見たくなるような予感がする。 でも、その時はきっと、もうこの場所まで体を運ぶことはできない。 一回でいいから、パンゴン・ツォを鳥の目で上空から見てみたい。 きっと地球には、他にももっともっと、こういう宝石みたいに美しい場所があるのだろう。 残りの人生は、そういう美しい景色に会いに行く旅をもっとしたいと強く思った。

ヒマラヤ合宿②

(9月18日) ラダックは、インドの最北、ジャンムー・カシミール州にある。 標高3500メートルの山岳地帯で、水辺にだけ少し緑があるものの、基本は剥き出しの岩山だ。 昔はインドではなく、ラダック王国と呼ばれた。 ラダック王国は19世紀に滅亡し、現在はインド領になっている。 ラダックは、荒涼とした自然の厳しい場所で、雨が少なく、ものすごく乾燥している。 だから、洗濯物があっという間に乾く。 夏は30度まで上がり、冬はマイナス20度まで下がる。 私が生まれる頃まで、ラダックには外国人が入れなかった。 そこで人々は、昔ながらの自給自足の暮らしを営んでいた。 中国に占領されたチベットよりも、よりチベットらしい暮らしが残っていると言われている。 ラダック人と呼ばれるチベット系の民族が多く住み、チベット仏教をあつく信仰する。 話しているのは、チベット語の方言、ラダック語だ。 今日は、トリスタンとぴーちゃんと3人で、チベット仏教の寺院、アルチ・ゴンパを訪ね、11世紀に描かれたという壁画を見に行ってきた。 ここは、仏教美術の宝庫だと言われている。 よくぞこんな山奥に作ったものだと、ただただ感心するほど、奥地にある。 お堂には、神聖な空気が満ちていて、本当に久しぶりに、あれだけピュアな、純粋なものだけがある空間に身を置いた気がする。 祈りって、本当にすごい。 どこに行ってもダライ・ラマ法王の写真が飾られていて、人々に尊敬されているのがわかる。 中国経由で伝わった日本の仏教と違い、チベット仏教は、インドから直接入ったため、仏教の根本的な教えが色濃く残されている。 輪廻転生を信じ、人間の最終的なゴールを、宇宙と一体化することとする。 そのために、日々の暮らしに瞑想を取り入れる。 人が、よりよく幸福に生きるためのガイドブックみたいなものではないだろうか。 チベット仏教はとても科学的で、量子力学の世界とも重複するものだと、私自身は感じている。 タルチョと呼ばれる、五色の祈りの旗が美しい。 町の至るところにゴンパがあり、祈りの世界がある。 翌朝、早起きをしてティクセゴンパで行われる朝の勤行を見に行った。 小さなお坊さん達の合唱のようなもので始まるのだけど、その無垢な声を聞いているだけで意味もわからず涙がこぼれた。 ただただ無心になって祈ること。 それが、どれだけ有効なことか。 結果は目に見えないけれど、そういう祈りは、波動となって世界に広がり、世の中の幸福を支えている。 私は、そう信じている。

ヒマラヤ合宿①

(9月15日) 昨日は、旅仲間であるトリスタンと、ムンバイの空港からレーへ飛び(飛行時間3時間)、そこからラダックへ車で移動した。 ラダックは、標高3500メートルにある北インドの町だ。 日差しが強い。 私のこの体が地球に誕生して、ほぼ半世紀が経つ。 その中で、もっとも高い場所に体を運んだことになる。 これまでは、富士山頂が、私が自力で行ったもっとも高い場所だった。 それを今回、何度か更新する。 レーの空港に着いた時はそうでもなかったけれど、ホームステイ先に着いてお昼を食べたあたりから、だんだん体が重くなった。 空気が薄いのが如実にわかる。 高山病にならないよう、ムンバイの薬局でダイアモックスを買い、それを一昨日から飲んでいる。 それでも、頭が少しぼーっとした。 とにかく着いた日は、何もせずにじっとしているのがいいと聞いていたので、お昼を食べてから布団で横になった。 そしてそのまま、晩ご飯も食べずに寝続けた。 寝る以外の行為が、何ひとつできない。 途中、トイレに起きたら曇っているのに星が綺麗で一瞬だけ目が覚める。 四方八方、どこを見渡しても、山、山、山、山。 その谷間に、点々と村がある。 山の頂と雲の近さで、この場所の標高がうんと高いのだと実感する。 一応、今はここもインドだけど、チベット仏教の影響が大きく、住んでいる人たちも、みんな日本人に近い顔をしているから、インドにいるという気が全然しない。 どこを見渡しても喧騒しかなかったムンバイとは別世界で、もうここは本当に静かで、平和だ。 道路にはのんびりと牛が歩いているし、花々が咲き乱れ、水も空気もものすごく澄んでいる。 一晩ぐっすり眠ったら、だいぶ体がこの環境に慣れてきた。 呼吸も、昨日ほど苦しくは感じない。 ホームステイ先の一家には、ここで生まれ育った主人と、日本人の奥さんと、子どもが3人(そのうち長女は日本に留学中)、猫2匹、犬1匹がいる。 本当に穏やかな暮らし。 今、黒い方の猫が私の太ももをマットレスにしてうたた寝している。 ゆりねより、ずっと軽い。 明日はぴーちゃんも合流し、本格的なヒマラヤ合宿がスタートする。 トリスタンとこういう時間を過ごすのは、モンゴルのゲルで一夏を過ごして以来だ。 モンゴルと違うのは、新鮮な野菜がたくさん食べられること。 一家は、有機農法で野菜を育てていて、そのお野菜がとてもおいしい。 せっかくなので、チベット仏教について勉強しよう。 午後は、トリスタンと近所を少し散歩して、瞑想するのに良さそうな場所を見つけたい。

ナマステ〜

「ナマステ〜」 ただ今、インドにいる。 目の前に広がるのは、アラビア海だ。 大親友で画家の佐伯洋江ちゃん(ぴーちゃん)が、なんとなんとムンバイの大きなギャラリーで個展を開くことになり、はるばる日本から応援に駆けつけた。 コロナ後初の海外旅行は、インドになった。 ムンバイ、すごい。 空港からの道路で、もうめげそうになる。 無秩序、喧騒、混沌。 もう、私の受け皿を完全に超えている。 あまりのすごさに、ポカンとしてしまった。 ここで生きていくのは、さぞ大変だろう。 以前行った南インドとは、また違った底知れないエネルギーを感じる。 この大国が、これからどんどん世界をリードしていくという。 中でもムンバイは、その中枢をなすような巨大都市だ。 前回海外に行ったのは、ベルリンだった。 旅行というより、もっと切羽詰まった何かを背負って、行って、すぐにゆりねを連れて帰ってきた。 コロナが、私たちのすぐ後ろを猛スピードで追いかけてきた。 私は、走るような逃げるような気持ちで、日本に戻った。 あれから4年半。 私は日本に戻って森暮らしを始め、ぴーちゃんもまたベルリンを離れて南仏に移った。 その間に、お互い、本当に色々色々色々あった。 ベルリンに暮らしていた頃は、毎日みたいに顔を合わせていたのに、それが当たり前の日常だと思っていたのに、人生、本当に何が起こるかわからない。 私が、日本に戻ることを明かした時、ぴーちゃん、トイレにこもって泣いたっけな。 私は何度か、ぴーちゃんを泣かせたことがある。 現代アートの作家が、自らの生活と制作を両立させるのがいかに困難なことか、私はベルリンに暮らすことで学んだ気がする。 みんな、本当に必死になって自分の作品を生み出しているけれど、世の中に認められるのはほんの一握りで、制作をしながらそれだけで生きていくのは、とても大変なことだ。 どの世界もそうだろうけど、現代アートの分野は、特にそれが顕著だと思う。 ただいい作品を作れば評価されるかというと物事はそう単純でもなく、時には一枚の絵が投資の対象になったりして、純粋にその絵が好きだから手に入れる、というものでもなくなっていく。 私自身は、その絵とか作品に金銭的な価値があるからとか、将来高く売れるから、とかいう理由で絵や作品を所有するのはナンセンスだと思っている。 どんなに値打ちがあったとしても、箱にしまわれたままの絵なんて、可哀想すぎる。 絵や作品は、誰かに見られてこそ意味があるのであって、それがそれを作った人の一番の喜びであり、作品そのものも嬉しいに決まっている。 私の山小屋にも、ぴーちゃんの絵が飾ってある。 私にとって、作品はその人の分身というか、その人そのものだと思うから、ぴーちゃんが山小屋にいるのと同じことだ。 他の人の作品も、同じ感覚で捉えている。 だから、私は山小屋でもひとりじゃないし、常に友人たちに囲まれているから賑やかだ。 そんな感覚も、ぴーちゃんと知り合えたから、得ることができた。 私とぴーちゃんを繋いでくれたミユスタシアは、もう生身の人間の姿としては生きていない。 でも、絶対に今日という日を祝福してくれている。 今夜は、オープニング。 展示会のタイトルは、「DIVINITY,…

お金の使い方

春のそよ風と秋のそよ風では音が違う。 数日前、そのことに気づいてハッとした。 正確には、「そよ風」ではなく「葉がすれ」の音だけど。 春の音は、しゅわしゅわしゅわしゅわ、と角のない優しい音がする。 だって、葉っぱがまだ芽吹いたばかりで柔らかいから。 それに対して秋の音は、カサカサカサカサ、と少し硬質な音がする。 夏を越した木々の葉は硬くなり、乾燥しているからだろう。 そんなことに、今まで気づきもしなかった。 木によっては、もうすでに色を変え始めて、風が吹くと、ハラハラと葉っぱを落としている。 前にも書いた通り、自然はかなりせっかちだ。 もう、冬に向けての態度に変えている。 あと一ヶ月もすると、森は赤や黄色の葉っぱに覆われて、あっという間に裸木になるのだろう。 森暮らしを始めて、お金の使い方が変わった。 例えば、素敵なお皿を見つけたとする。 欲しいなぁ、と思う。 でも、そこで一回立ち止まって考える。 このお皿で、植物の苗がいくつ買える? 大体、一つのポットが300円くらいだ。 そうすると、その値段で幾つの苗が買えるか計算できる。 そして私は考えるのだ。 この一枚のお皿と、いくつかの植物の苗、どっちがより私を幸せにしてくれるだろうか、と。 こうして、最近の私は、もっぱら、植物の苗にお金を使っている。 小さな植物たちが根っこを張り、芽を伸ばし、花を咲かせてくれることが、何よりも嬉しい。 でも、そんな喜びも、一晩でシー(鹿)に食い荒らされることも、もちろんある。 雪解け以降、乾燥ヒトデやら、唐辛子やら、クローブやら、色々試したけど、なかなか効果が長く続かない。 シーたちは(もう、鹿と呼ぶのすら忌々しい)、もうすぐ花が咲きそうだ、というタイミングを狙っているかのようにいいところで蕾を齧ったり、まるで私を小馬鹿にするみたいに、植えたばっかりの苗を地面から掘り返したりする。 朝起きて、せっかく植えた植物たちが無残に荒らされているとガッカリだ。 もう、食べるんだったら残さずに全部食べろ、と怒りたくなるほど、ちょっと味見しただけの場合もあるし。 自分を喜ばせるために植えているのか、それともシーたちを喜ばすために植えているのかわからなくなる。 昨日なんて、一家総出でやってきて、私の庭の植物を一心不乱にむさぼっていた。 それでも、シーたちが口にしない薬草が何種類かある。 今年は、何を食べて何を食べないかの実験だったから、来年は、シーたちに食べられない植物をまた一から植えて、成長を見守ろう。 もう、ここから先は来春に向けての作業だ。 面白いのは、同じ時に買ってきた同じ種類の苗でも、シーに食べられるのと食べられないのがあること。 あと、同じエキナセアでも、花の色によって食べられたり、食べられなかったり。 私は、もしやシーはピンクが嫌いなのでは? と思っているのだが、果たして真相はわからない。 ある日、ピンクの花も食べられてしまうかもしれない。 インターネットの情報は、それほどあてにならないこともわかった。 鹿が食べないとされている薬草も、まんまと食べられたりする。 鹿が食べないと説明に書いてあった薬草でも、いとも容易く食べられるなんてしょっちゅうだ。…

百年前

台風が、夏を連れ去った。 今、森は乳白色の霧に包まれている。 お日様も顔を出さないし、おそらく外の気温は20度以下。 この先の天気予報を見ても晴れマークは皆無で、どうやら夏が終わったらしい。 本当に短い夏だった。 もっと夏とイチャイチャしたかったけど、これくらい去り際がいい方が、この先もずっといい関係が続くのかもしれない。 もうすでに、来年の夏が待ち遠しい。 一週間前の朝、トリスタンが蓄音機でコンサートをしてくれた。 百年以上前に作られた、ピクニック用のポータブル蓄音機だという。 まだ、レコードができる前。 蓄音機にSP盤をセットし、静かに針を落とすと、音が鳴り始めた。 百年前の音が響く。 今でこそ、望めば誰もが自分の声や音を簡単に録音して公開することができるけれど、当時は、本当に本当に限られた人しか、レコーディングはできなかった。 しかも、現代のような、一つずつの音を録音して重ねていくやり方ではない。 後から、音程を直したりすることもできない。 歌う人も楽器を演奏する人も、とにかく本番一発勝負だ。 故に、ものすごい緊張感と集中力が伝わってくる。 なんていう美しい声だろう。 百年前に録音されたロシアの女性ソプラノ歌手の歌声が、信州の森に響いた。 蓄音機を発明したのは、エジソンだ。 今わたし達が使っているオーディオ機器とは全く異なり、蓄音機は音の情報を電気に変換せず、そのまま空気を振動させて音を鳴らす。 蓄音機そのものが楽器だそうで、あの百合の花の花弁のようなところから音が出る。 ボリュームも、変えることはできない。 滑らかで、ふくよかな音。 音楽を聴くことは、それくらい貴重で、かけがえのないことだったのだと改めて思った。 それにしても、電気を使わずに音楽が聴けるなんて、なんてエコなんだろう。 もしかすると、わたしは生まれて初めて、蓄音機の音を耳にしたのかもしれない。 その後、これまた百年以上前のコーヒーミルでコーヒー豆をひいて、コーヒーを淹れた。 最近わたしは、自分で豆を挽くのをサボって、粉の状態で買っている。 だから、とても新鮮だった。 予想に反して、百年前のコーヒーミルは、滑らかに気持ちよく豆を砕く。 作りもしっかりしていて、きっと、一生物の道具だったのだろう。 コロンビア人が焙煎したというコーヒー豆も、抜群においしかった。

ピクニック

この夏のおもてなし料理の定番は、ラタトゥイユとフルーツポンチだ。 だって夏は、新鮮な夏野菜と果物が、たくさんある。 どちらも事前に作っておけて、残ってもまた後で食べられる。 夏の間、山小屋の冷蔵庫にラタトゥイユが入っていない日がないくらいだ。 残ったら、ショートパスタの具にしたり、少し肌寒い時はチーズをのせてオーブンで焼いたりと、いろんな風に応用できる。 作っても作っても、すぐになくなる。 なっちゃんと、夜、星空の下でワインを飲みながら食べたのもラタトゥイユだ。 これに、バゲットでもあれば、それだけで十分。 塩だけでシンプルに味をつけてもいいし、トマトソースを絡めてもいいし、趣向を変えて白味噌や赤味噌でもいい。隠し味にカレーを少し入れても美味しい。 基本は、ズッキーニや茄子、トマトなど夏野菜だけで作るけど、たまにスタミナをつけたい時はベーコンを入れたり。 お鍋ひとつで作れるのも、ありがたい限りだ。 フルーツポンチも、ピクニックにはもってこいだ。 入れるのは、桃、ブルーベリー、杏、寒天、白玉など。 あれば、苺やスイカを入れるけど、桃だけでもいいくらい。 果物は地元のものだし、寒天も産地だ。 寒天に入れる水も、山の雪解け水。 白玉だけは例外だけど、ほぼほぼ、ここにあるものでフルーツポンチができる。 森暮らしをするようになって、「豊か」の定義が自分の中で大きく変わった。 今は、美しい水があって、美味しい空気があって、自分たちの足元に食べ物がある。 それが、豊かだと思う。 以前から、薄々そうなんだろうなぁと予感はしていたけれど、今は、身を持って、自信を持って、それが豊かだと言えるようになった。 そういう意味で、信州は本当に豊かだ。 たとえばだけど、東京の六本木よりも、ずーっとずーっと豊かだと胸を張って言い切れる。 今日は、一泊でトリスタンがやって来る。 鳥巣さん、と音声入力でメッセージを入れたら、トリスタンになっていて、でもなんだかどこかの国みたいでかっこいいので、以来、心の中でトリスタンと呼んでいる。 トリスタンは、ここに来るゲストの中で、もっとも楽なゲストだ。 自分のバンに、テントや布団まで持って来てくれる。 今回は、焚き火台、蓄音機とレコード、8mm映写機と8mmフィルム、それに飲み物や、手製のピリヤニも持ってきてくれるとのこと。 彼女は、本当に遊び方を知っていて尊敬する。 私も、こうでありたいと思う。 トリスタンが着いたら、まずはお庭でピクニックランチをし、その後、ミニコンサートに行って、それから温泉に行って、山小屋に戻ったら夕飯の支度。 この夏、七輪を買ったので、それを使って初めてのバーベキューだ。 ちょっとお天気が心配だけど。 そして明日は、森のサウナに行って、うどんを食べてと、盛りだくさんだ。 8月を夏休みにして、本当に良かったな。 

森のサウナへ

ベルリン在住のなっちゃんが遊びに来た。 6月の半ばから東京にいて、暑さですっかり疲れ切っている。 まずは気持ちいい汗をかいてもらうのがいいかな、と、迎えに行った駅から森のサウナへと直行した。 ここは、先日たまたま通りかかって見つけたキャンプ場だ。 最近、おしゃれなキャンプ場が増えている。 その、おしゃれなキャンプ場の森の中にサウナがあるのだ。 ベルリンに住んで、私はすっかりサウナ好きになった。 その頃は、温泉がわりの、サウナだった。 私にとって、暑い日こそ、サウナだ。 サウナでいっぱい汗を流せば、どんなに外気温が高くても、涼しく感じる。 水風呂だって気持ちいい。 さて、初めて入った森のサウナ。 最高だった。 日本なので水着着用は仕方がないけど。 自分でローリュウもできて、熱々にできる。 外に出れば、シャワーと水風呂。 ハンモックに寝そべれば、森が見える。 こういうサウナを、待っていた。 なっちゃんは、山小屋がある森の環境をとても気に入ってくれた。 一日目の夜は、少し遠くまで散歩に出て、道路に寝っ転がって星を見た。 冬の夜空ほどすごくはないけれど、それでも、都会の空から比べたら十分すぎるほどの星が見える。 私も、さすがにひとりではこういうことはできないので、ゲストが来てくれるとありがたい。 二日目の夜は、夕暮れから森でワインを飲んで、辺りが真っ暗になるまでおしゃべり。 ちょっと蚊に刺されたけど、手作りの虫刺されオイルですぐにかゆみは引いた。 それにしても、信州には素敵な場所がたくさんある。 特に夏は、川や湖、滝など、水辺がすぐ近くにあるから、暑いとサクッとそういう場所に行って涼しさを感じることができる。 私の最近のお気に入りはとある滝壺で、もう、本当に本当に美しく、神秘的なのだ。 誰にも教えたくないけど、心を許した人たちにだけは、こっそり案内するようにしている。 春は、雪解け水が、それこそドードーと勢いよく流れ落ちていた。 でも今は、滝はなく、ただ滝壺だけがある。 その滝壺の水がものすごく綺麗で、こんな美しい場所を自然の働きだけで作れることに感動する。 「ここって、地面の内側にいるってこと?」 なっちゃんが、周囲を取り囲む石の層を見上げながらつぶやいていた。 暑い日は、ここの小さな水たまりで桃を冷やしておやつにする。 今、私がメロメロになっているとっておきの聖地だ。 私の運転で朝ごはんを食べにカフェに向かっている時、先日亡くなったryuchellさんに話が及んだ。 私もなっちゃんも、ryuchellさんが大好きだった。 あんなに美しい心をした子が自ら死を選ばなければいけない世の中は、本当におかしいと思う。 もしもryucellさんが、日本だけでなく、もっと違う国に身をおいて、それこそベルリンに行って違う景色を見ていたら、そこに居場所を見つけられたんじゃないかと思うと、悔しくて悔しくて仕方がない。 当事者でなければ原因はわからないけれど、ネットでの誹謗中傷とか、本当に余計なお世話だ。…

なつっこ大会

昨夜のバレエ、素晴らしかった。 世界的にも珍しい野外バレエという試みを、もう三十数年続けてきたという。 最初の頃、その場所はただの牧場だったとか。 直前まで雨が降っていたので心配だったのだけど、なんとか大丈夫だった。 ステージの向こうには木々が見え、途中からお月さまも顔を出した。 空には時々稲妻が走り、どこからかヒグラシの声が聞こえてきたりと、野外ならではの雰囲気を存分に味わう。 ステージも衣装も美しくて、本当にうっとりして、魅了されっぱなしだった。 メインのダンサーだけでなく、子ども達も見事な技術と表現力で、想像以上のステージだ。 最高の夏の夜。 最後は花火が打ち上がり、なんだかとっても久しぶりに夏の気分を満喫した。 そして今日は、ゆりねのトリミングデー。 最近、またガチャピン状態になっていた。 午前9時から10時の間に動物病院まで連れて行き、また夕方お迎えに行かなくちゃいけない。 片道45分かかるから、送り迎えだけで結構大変だ。 そのままどこかに行ってしまおうとも思ったけど、暑いので却下。 とりあえず、いつもの温泉に向かう。 温泉に併設してある産直で、夏野菜と果物をたっぷり仕入れた。 ちょうど、ハネ桃が来るというので、私も他の人たちと一緒にそわそわと待つ。 地元の方たちは、このハネ桃をとても楽しみにしている。 一個210円のハネ桃を、カゴいっぱい買った。 「なつっこ」という名前の品種だという。 甘くて固いタイプだそうで、レジでお会計をする時、食べ方を聞いたら、ふたりの女性が嬉々として教えてくれた。 山梨の方たちは、皆さん、自分の好みの品種があるようで、レジの女性はふたりとも、なつっこが一番好きだという。 それから温泉に行ってサウナに入って、帰りは、先日美容師さんに教えてもらった森の中のカレー屋さんへ。 カレー屋さんなんだけど、今はタイ料理を出しているとのことで、私は大好きなパッタイを頼む。 嬉しいなぁ。 こんなにおいしいパッタイが、同じ村で食べられるとは! 一緒に注文したパイナップルソーダもおいしいし、テラス席はワンコも入れるし、何より山小屋から近いのがいい。 この夏のゲストのランチは、ここにしよう。 森暮らしを始めてから外食は数えるほどしかしていないのだけど、ここなら気軽に来ることができる。 山小屋に戻ってから、すぐに桃のお世話をする。 傷ものなので、柔らかいのやら固いのやら、色々混ざっている。 昨日一緒にバレエに行った友人は、熟した桃はカレーに入れると話していた。 固いのは、サラダにしてもいいかもしれない。 皮をむいて、適当な大きさにカットしたのを、保存袋に入れて冷凍する。 こんなふうに桃三昧ができるのは、幸せなことだ。 桃のお世話をしながら、大量に買ってきたトマトでトマトソースも作っている。 山の天気なので、今も雷がゴロゴロ。 急に空が暗くなって、またザーッと夕立が来そうだ。 ゆりねを迎えに行って戻ったら、白ワインに漬けておいた桃のカクテルで、乾杯だ。

森のバカンス

ヨーロッパは今、バカンスシーズンだ。 ドイツ人は勤勉なイメージがあるけれど、バカンスの時期は徹底して休む。 結果的にそれが仕事の効率をより上げる、というのがわかっているからなのだろう。 全国民が一斉に休むと、道路が混雑したり何かと混乱するので、地方ごとに子供たちの学校の休みの時期をずらし、それに合わせて親たちも休暇を取る。 バカンスも、効率よく取れるように、社会の仕組みが整っている。 去年は、森で過ごす初めての夏だった。 涼しいから夏でも仕事ができると思って、平日は仕事、週末は休日といういつもの流れで過ごしたら、あっという間に夏が過ぎていた。 森の夏は、正味一ヶ月ほどしかない。 週末にゲストを招くと、なんだかバタバタしてしまい、私自身がうまく休めなかった。 こうしたいのにこうできない、という場面が多く、ストレスを感じた。 それに、山の天気なので変わりやすく、週末が都合よく晴れるというのも稀だった。 それでこの夏は、思い切って、一ヶ月ほど夏休みを取ることにした。 森の夏は短いので。 短い夏を、目一杯謳歌したい。 そんな私の夏休みが、昨日のお昼からスタートした。 まずは髪を切りに行く。 お気に入りの床屋さんに行きたかったのだけど、あいにくタイミングが合わなくて、今回はもう少し近くの美容室へ。 山を下りたら、いきなり暑くてびっくりした。 関東方面からやって来たと思われる車が、列をなしている。 皆さん、涼しい風を求めて来たのだろう。 普段は静かな町が、大賑わいだ。 美容師さんは、確かこの春に、赤ちゃんを出産した。 それで今は、様子を見ながら、少しずつ仕事を始めている。 アウトドアが好きで、去年は、ここから歩いて日本海まで行ったという。 そして今日は、赤ちゃんを背負って山登りをすると話していた。 八ヶ岳界隈には、こういう、自由な生き方をしている人たちが多い気がする。 自分の心地いいと感じる歩調で、楽しみながら、生きている。 その感じが、多分、ベルリンに似ているのだ。 だから、私には居心地がいいのだろう。 それに、この辺りに暮らしている人たちのセンスがものすごくよくて、刺激になる。 髪の毛を短くしてもらい、帰りは大好きなお花屋さんに寄って、コーヒー豆を挽いてもらう間にパフェを食べる。 あぁ、これぞ夏休みだ。 パフェには、桃が半分も入っていて、誰かがむいてくれた桃を食べられるのは、誰かがむいてくれた蟹を食べるのと同じくらい嬉しい。 果物は山梨で、野菜は長野。私の中に、はっきりとした線引きがある。 やっぱり、山梨の桃は、おいしい。 つい最近まで、固い桃はあんまり好きじゃなかったけど、固い桃もいいなぁと感じるようになった。 夏は、案外時間がある。 春は庭仕事が忙しいし、秋は冬支度に追われる。 冬は薪を焚いたり、山小屋の中でやることが色々ある。 その点、夏は植物たちの成長を見守る時期だ。…

夏の始まり

朝の光が夏になった。 ついこの間までハルゼミが賑やかだったけど、今日鳴いているのは、もしかするとナツゼミかもしれない。 ちょっと、声が違うのだ。 ハルゼミの声は透き通って聴こえるのに対して、ナツゼミは地声。 男の子が中学生になって声変わりをしたみたいな感じなのだ。 さすがに今日は、気温が上がった。 里に下りるともっと暑いので、動きたくない。 それで夕方、珍しく山小屋のお風呂に入った。 大きくなった庭のミントとヨモギを切って、それをヤカンで煮出してお湯に入れる。 窓を開け放って、森を見ながら入浴した。 ただ、どんなに暑くても、夕方になると涼しい風が吹いてくれるのがありがたい。 髪の毛を乾かしがてら、ゆりねと散歩。 気温は下がっているのだが、それでもゆりねはあんまり歩きたくないらしく、途中で引き返した。 ゆりねも、私と一緒で蒸し暑いのがすごく苦手だ。 いやいやながら歩く必要は全くない。 時計を見ると、まだ夕方の5時半。 お風呂に行かなかった分、時間に余裕がある。 冷蔵庫から冷たいビールを出して、森へ。 ビールを飲みながら、しばし読書を楽しんだ。 この本、夏になると読みたくなる。 最高だ。 缶ビール一杯でほろ酔いになり、そのまま椅子に身を預けて寝そうになった。 それにしても、この言葉、とてもよくわかる。 私も、あえて自分の山小屋にはゲストルームは作らなかった。 年に何回かしか来ないお客さんのために、わざわざゲストルームを作るなんて無駄だもの。 ゲストが来た時だけ、臨機応変に、あるもので対応すればいい。 それが不服なら、近所の宿泊施設をお勧めする。 それで、全く問題ない。 ビールの後は、赤ワインを飲みつつ、お庭の植物たちに水を撒いた。 苔さんたちには、特に念入りに水をあげる。 おつまみは、おかき。 大好きなおかきをつまみながら、ホースが届かない場所にいる植物にはじょうろで水をあげる。 植物たちも、さすがに暑さでぐったりしている。 山小屋に戻ってから、ささっと素麺でお腹を満たした。 一把では足りず、二把では多かったので、お昼に思い切って二把まとめて茹でておいたのだ。 多い分は、水に浸けたまま冷蔵庫に入れておいた。 確か、素麺はそれでも大丈夫だったはず。 水を切った素麺に、あらかじめ用意しておいた、胡瓜の千切りと、お揚げの煮たのと、鶏のささみをさいたのをのせ、お出汁で伸ばした麺つゆとネギとオリーブオイルをかけて、豪快に食べる。 明かりは、蝋燭一本だけ。 夏になったとは言え、夏至を過ぎて、陽は確実に短くなっている。…

丸一年

森暮らしをはじめて、一年が経つ。 すごく早い。 これまでに生きてきた時間の中で、もっとも早いと感じた一年だった。 目の前の景色は刻一刻と変化して、一日だって同じ場所に止まっていない。 目まぐるしく変化する。 地球がぐるりと太陽の周りを一周し、その間に私は、夏、秋、冬、春とすべの季節を堪能した。 これでやっと、森での一年をなんとなく体感としてイメージできるようになった。 この一年で如実に感じたのは、自然のスピードの速さだ。 全然、もたもたなんてしていない。 一晩で、バーっと草木が芽吹いたかと思うと、一瞬にして裸木になったり。 植物たちの新陳代謝はものすごいスピードで行われていて、常に最新の状態が保たれている。 動的平衡は、体の中でも外でも、同じように行われている。 考えてみれば、地球だって、脅威的な速さで自転しているのだ。 自然は、駆け足でエネルギッシュに変化する。 なんといっても、この一年の、もっと大きな出会いは植物たちだ。 もちろん、今までだって植物はあった。 でも、彼らの偉大さ、賢さ、美しさに、日々心から触れるようになれたことが、この一年の最大のギフトかもしれない。 森暮らしも車の運転も、私はずっと自分には無理と思っていたけれど、やってみて本当に良かったと感じている。 やる前から無理だと決めつけてしまったら、そこで世界が閉じてしまう。 それは、とても勿体無いことだと思う。 だから、もし自分の周りで、やりたいことがあるのに立ち止まっている人がいたら、私は迷わずその人の背中を押す人間になりたい。 やってみてダメだったら、そこでまたどうするか、次の展開を考えればいい。 山小屋の窓からじーっと外の世界を見ていると、ははぁ、とか、ほほぅ、とか、そういうことだったのね、という発見がたくさんある。 その度に、自分がいかに何も知らないで生きてきたかを痛感する。 世界は私の知らないことだらけで、私が知っていることなんて、ほんと、アリの糞くらい小さい。 自然界は、常に神秘と美しさに満ちていて、こちら側さえそういう心づもりでいれば、いくらでも、なんの出し惜しみもせず、もっともっと、素晴らしさを見せてくれる。 山は、本当に気高くて、神々しい。 そういう地球の美しさに出会える度に、今、この星で生きていることを幸せに感じることができる。 40代の後半は、人生の、激痛を伴うほどの大改造だったけど、その痛みのおかげで、私は今、森に暮らしている。 60歳からこれをやろうとしても、体力的に、ちょっと難しかっただろうと思う。 私の人生に付き合ってくれているゆりねには、感謝しかない。 ゆりねには、鹿とか雷とか、本当に試練ばっかりで申し訳ないのだけど、彼女と共に夕方森を歩いていると、想像を絶するほどの幸福感に満たされるのだ。 少しでもゆりねが安心して暮らせることを願って、この春からせっせと庭に薬草を植えている。 最近また鹿が来るようになって、あともう少しで咲きそうになっていた花の蕾が喰われたり、やっと根っこがついたコシアブラの葉っぱが一枚残らず食べられたりすると、本当に落ち込むけれど、でも薬草たちのおかげで、私の庭には、ふわりと、爽やかな香りがするようになった。 庭に花が咲いている、それだけで心からの喜びを感じることができる。 森暮らし一周年を記念して、森で本を読むための椅子を買った。 この夏は、そこに座って本をたくさん読もうと思っている。

ほのぼの

先日、ゆりねの目の周りにおできができたので近くの動物病院に行ったら、お土産にレタスをいただいた。 さすが、レタスの名産地だけある。 ひとりでは食べ切れない量だったので、慌ててご近所さんにお配りした。 新鮮で、とってもおいしいレタスだった。 車の購入をした時は、契約の際、ディーラーさんが軽トラでりんごの薪を持ってきてくれた。 りんごの木を薪にするなんて勿体無い気がするけど。 どうやら、りんごの果実そのものの甘い香りがするらしい。 去年、火災保険に入る時は、担当の方が育てているという無農薬のカボチャをいただいた。 長野県、何かとお土産がほのぼのしている。 多分、それだけ豊かなのだろう。 東京だったら、あり得ない。 もうすぐ、森暮らしを始めて一年だ。 ついこの間は、温泉のサウナに入っていたら、先にいた女性に声をかけられた。 「初めて?」 「いえ、ほぼ毎日来てます」 「いいねぇ、朝早いんでしょ?」 「まぁ、そうですね」 「午前2時くらいでしょ、起きるの?」 「そこまで早起きではないですけど」 「でも、朝仕事して、ここきて、いいよね。夜も早く寝てさ」 「そうですね」 「今年は、値段上がるといいね」 「はぁ」 どうやら私、農家の人だと思われているみたい。 「せっかく作ってもさ、安いと、ガッカリだもん」 「ですね」 何作ってるの、とか深く突っ込まれたらどうしようと思いながら、面白いので、会話を続けた。 でも、本当にそう。 農家の方たちが、報われる社会であって欲しいと、切実に思った。 サウナに入っていると、いろんな人に出会う。 それにしても、サウナにはテレビも音楽もかけないでほしい。 誰もいないサウナでテレビがついているのは、エネルギーの無駄でしかない。 せっかくいいサウナなのに、そこにテレビがついていると、居心地が悪くなる。 消したくても、リモコンがないので消せない。 見たくもない番組を見せられたり、聞きたくもない音楽を聞かされるのは、本当にストレスだ。 せっかくリラックしたくてサウナに行っているのに。 テレビのないサウナ、音楽のかかっていないサウナが一番好きだ。 もちろん、テレビにだってラジオにだって、いい番組はあると思うけど。 ロシアの人々が洗脳されているのは、テレビの影響が大きいと言われている。 ワイドショーは、どうでもいいような話題を、さも大変なことみたいに、報道する。…

床屋さん

森暮らしを始めるに当たり、困ったなぁ、と思ったことのひとつが、髪の毛だった。 私は短くしているので、できれば一月に一回、最低でも一月半には一回、髪をカットしたい。 長ければそんなに頻繁に行かなくていいのだろうけど、短いと、どうしてもだんだん気分が鬱陶しくなる。 友達に尋ねたりしてようやく見つかった美容室があったのだけど、去年、私がうかがって程なく、彼女は産休に入られた。 それで再び、髪の毛問題が浮上した。 いっそのこと伸ばしてしまうか、とも思ったのだが、もう四半世紀ショートできているので、長くなるまで待つだけの根気がない。 一晩でロングになるならそれもありだが、途中経過に耐えられない。 一軒、今年になって、撮影でお世話になったカメラマンさんから新しい情報を得た。 どうやら、皆さん、髪の毛問題に困っているご様子。 二拠点生活で移ってくる人は増えているけれど、その割に美容室が少ないのだ。 聞くと皆さん、結構遠くまで髪の毛を切りに行っている。 そこは、駅からすぐの商店街にある床屋さんだった。 看板も何も出ていないので、初めて行った時は、場所がわからなくて店の前を行ったり来たり。 もうダメだ、と思って泣きそうになりながら開けた扉が、そこだった。 先日、2回目の床屋さん詣をした。 山小屋からだと、車で1時間半くらいかかる。 途中高速にも乗って、ちょっとした旅行気分だ。 でも、それが楽しい。 店主は、私より少し下の世代の男性だ。 もともとその場所は古くから続くお菓子屋さんだったそうで、建物は大正時代に建てられたとか。 空間自体がとってもおしゃれで、待っている場所は、現代美術のギャラリーのよう。 しかも、店主の腕がものすごくいい。 床屋さんなので、シャンプーとかはないけれど、椅子に座った瞬間バババババ、っと切ってくれて、それがとっても上手なのだ。 予約は基本、店に置いてあるノートに名前と連絡先を書くシステムで、一週間先まで可能。 ただし、私のように遠方から来る客には、電話での予約も受け付けてくれる。 お値段は、初回だけ女性2500円(男性は2000円)、2回目以降は女性2000円(男性1500円)。 私がカットしてもらっている間も、ガラガラガラと扉が開いて、おばあちゃんが顔を出す。 「あのさ、髪の毛切ってもらいたいんだけど」 「今日はもう予約でいっぱいなんです」と店主が言うと、 「明日は8時半から病院で検査が3つもあってさ」 「明日の午後なら空いてますよ。13時はどうですか?」 と店主。 「終わるかね?」 「そしたら、もう少し遅くして、午後3時にしますか?」 「そうだね。じゃあ、明日」 そう言って、帰っていく。 店主は、もうおばあちゃんの名前も連絡先もわかっているのだろう。 しばらくすると、今度はおじいちゃんが、同じように店にやってきて、翌日の予約を入れて帰って行った。 看板も何も出していないのに、どうやって店のことを知るのかと思ったら、おじいちゃん、おばあちゃん同士の口コミで広がるのだという。 町に一軒、こんな床屋さんがあったら、助かる人が大勢にいるだろうに、と思った。…

実生

雨が続いている。 草木たちは喜んでいるけれど、私はお庭に出られなくてつまらない。 朝、2階の窓から雨に濡れそぼる森を見ていたら、一匹、ミズナラの大木の下に鹿を見つけた。 春から鹿対策に精を出しているけれど、そのエリアはまだ手つかずの状態なので、鹿がいるのは致し方ない。 鹿は、必死に何かを舐めている。 最近は、鹿を見つけても追い払わないようにしている。 去年は、すぐに外に飛び出して、追っ払っていた。 でも今年からは、鹿の行動をつぶさに観察するようになった。 どこに抜け道があるか、どんな植物を食べているか。 そして、心静かに、森の木々たちを食べ尽くさないでほしいと伝えるようにしているのだ。 鹿は確かに森にとっては厄介者であるものの、私は、敷地に一歩も近づくな、とか、絶対に植物を食べるな、と思っているのではない。 少しくらい食べられるのは、仕方がない。 ただ、今私がいるところに鹿が増えているのは、人災という面が大きいので、鹿たちとうまく棲み分けができたらいいと思っている。 だから、鹿が嫌がる臭いの乾燥ヒトデや薬草を植えて、できればここには入ってこないでちょうだいね、というメッセージを発している。 というわけで、鹿がどんな行動を取るのか気になって、窓からじっと動きを見ていた。 一体、何を舐めているのか? 白い棒状のものが見えるけど、あれは木の枝だろうか? そんな疑問を抱いていたら、鹿のおなかの下に、もう一匹子鹿ちゃんがいた。 子鹿ちゃんはお母さん鹿のおなかの下に潜り込んで、熱心にお乳を飲んでいたのだ。 母鹿は、そんな子鹿の体を舐めていたのである。 まぁ、かわいらしい。 鹿対策をしている身だけど、やっぱり子鹿は超かわいかった。 そして、矛盾しているけれど、束の間の雨宿りに自分の森が選ばれたことに、ほのかな喜びを感じた。 しばらくして、鹿の親子は下の方へ行った。 子鹿ちゃんは、生まれてどのくらい経つのかわからないけれど、まだ歩き方もおぼつかなくて、お母さんの後を必死に追いかけていく。 なんだか朝からほのぼのとしか気持ちになった。 そして、どうかあの子鹿ちゃんが、この森で、健やかな生涯を送れますように、と純粋な気持ちでそう思った。 私も別に、鹿たちの不幸を望んでいるわけではない。 程よい距離を保ちつつ、お互いに気持ちよく暮らせたら、それが一番だ。 森暮らしを始めてから、「実生」という言葉を頻繁に聞くようになった。 実生(みしょう)とは、草木が種から芽を出して育つことで、森には実生がたくさんある。 それらを移植するなどして、お庭を作っていく。 実生もまた、子鹿ちゃん同様に超かわいい。 そうやって、命を繋いでいくのだ。 すべの実生が大きく育つわけではなく、また次の世代に命を残せるのは、ほんの一握り。 実を落とした場所とか、日当たりとか、たくさんの条件が重なり合って、森に樹木が育っていく。 子鹿も実生も、本当に美しいと思った。

食パン泥棒

天気予報を見ると、明後日から雨が続く。 いよいよ梅雨入りだろうか。 その前に薬草の苗を植えておきたいので、今日は朝からお庭仕事に精を出す。 午後は、苗を買いに里までひとっ走り。 二日連続で買いに行ったら、お店の人にびっくりされた。 ここぞとばかり、思いっきり大人買いする。 先日、ベルリン時代の友人が山小屋に遊びに来た。 まずは、駅まで迎えに行って、そのままお昼を食べにうどん屋さんへ。 もともとパン屋さんをしていたそうで、うどんを食べがてらパンも買える。 友人が、お土産にと食パンを買ってくれた。 うどんもパンも、どっちもおいしい。 その後、お店のある集落を散歩。 茅葺き屋根の民家の奥に、とても素敵な神社を発見する。 ものすごくいい気が流れていた。 それからコーヒーを飲みにカフェに立ち寄って、いつもの神社でお水を汲んだ。 その足で温泉へ寄って、お花屋さんに取り置きをお願いしていた植木をゲットし、夕方5時過ぎに山小屋へ到着。 まずは、外のテーブルで乾杯する。 私は、微発砲の白ワインを飲みながら、せっせせっせとお庭仕事。 植物たちに盛大に水をやり、なんとも気持ちのいい夕暮れを過ごす。 今年の夏至は、6月21日。 本当に日が長くなった。 辺りが薄暗くなってきたところで、山小屋へ戻った。 すると、ソファに何やら見慣れないものが転がっている。 小型のヘルメットみたいだけど、なんだろう? 拾い上げた瞬間、ギョッとした。 なんと、それはパンの耳のほんの一部。 ゆりねが、友人がカバンに入れておいたお土産の食パンを、ほぼ一斤丸ごと食べたのだ。 唖然として、言葉も出ない。 食パン泥棒は、しれっと明後日の方を向いている。 庭に出る前に、その日の晩ごはんもあげているのに。 ということはつまり、ゆりねは食パンほぼ一斤を、デザートとして食べたことになる。 恐ろしい食欲。 でもさすがに耳までは完食できなかったのか。 レーズンやチョコレートが入ったパンだったら、慌てふためくところだった。 プレーンの食パンだったので、かろうじて事なきを得たものの、これからお客さんがいらっしゃる時は、バッグに食べ物が入っていないか、重々気をつけていただかないといけない。 これじゃあまるで、人間の荷物から食べ物を奪っていく猿と同じ扱いではないかと途方に暮れた。 ゆりねちゃん、かわいい顔をしているけど、やることは恐ろしい。 仕方がないので、友人と、ゆりねが食べ残したパンの耳をほんの少しずつ分けあった。 なんておいしい食パン! ゆりねは、さぞ至福だったはず。…

おままごと

数日間仕事で留守にして森に帰ってきたら、見違えるように緑の世界が広がっていた。 葉っぱが芽吹き、空を覆うほどの緑の天蓋ができている。 木の枝たちが、ようこそ、美しい森へ! と手招きしてくれているみたいで、嬉しくなる。 たった五日間で、世界が一変した。 トウゴクミツバツツジも、満開になっていた。 暑い日が二日続いたので心配だったのだけど、どうやら植物たちは無事だったみたい。 良さそうな薬草の苗を見つけては、山小屋に連れて帰ってせっせと植えていた時期だったので、まだまだたくさんお水をあげないと枯れてしまう。 山小屋も庭の植物たちも、ゆりねと同じく私の大切な家族だ。 森に帰った瞬間、家族に再会し、ものすごくホッとしている自分がいた。 それにしても、今日の朝の光は最高に輝いていた。 庭と森が、キラキラ、微笑んでいる。 あまりに美しいので、日曜日ということもあり、6時前から庭仕事を始めた。 森の空気を吸っているだけで、幸福感に満たされる。 鳥の囀りを聞きながら、土いじりを楽しんだ。 今私が森でしていることは、大人のおままごとだと思う。 だって、土を捏ねてお団子にして喜んでいた子ども時代と、やっていることはそんなに変わらない。 ただ、それが本格的になっただけ。 本気のおままごとが、こんなにも楽しいとは知らなかった。 もっと早くこの喜びに出会えていればとも思うけど、でも今このタイミングだからこそ、思う存分楽しめているのかもしれない。 試行錯誤を繰り返して、少しずつ、自分の理想とするお庭ができていく。 山小屋の二階の窓から、ただ庭を見ているだけで、幸せな気持ちになる。 あそこにあれを植えようとか、あの場所は変えた方がいいかな、とか思考は尽きない。 庭を見ながら、いくらでも過ごせる。 思い返せば、母の父である祖父も、植物を愛する人だった。 温和な祖父は、いつも小さな庭の手入れをしていた。 私の山野草好きは、祖父から譲り受けたものかもしれない。 今回、コマクサの花の一番美しい瞬間を見逃してしまったことだけが、悔やまれる。 一見、死んでいるみたいに静かだった森が、一気呵成に活気付く。 そのダイナミックな変化に、私はただただ圧倒された。 あの枯れたように見えた樹木の姿の奥底に、これほどまでのエネルギーが蓄えられていたことを思うと、ますます植物たちを尊敬する。 今日は森でも気温が上がり、ハルゼミがうるさいほどだった。 夕方、ドイツの白を開けてオニワイン。 一日が無事に過ぎていく、それだけでとても恵まれた幸福なことなのだということを、改めて実感した。 今日は本当に本当に美しい日曜日だった。

しゃーない

昨日の朝、目が覚めて窓から外を見た瞬間、言葉を失った。 それほどのすごい雨だとは、気がつかなかった。 外に出ると、敷地に完全に川が流れている。 去年から雨が降るとミズミチができることは気にしていたのだけど、まさかそれほどの雨が降ったとは。 どうやら相当の雨量だったらしい。 前日までの景色が、完全に失われてしまっていた。 以前から気にしていたし、想定していた事態とは言え、気持ちは沈んだ。 それでも、この春に植えたハーブたちがほぼ無傷だったことは、不幸中の幸いかもしれない。 よくあの雨の中を耐えてくれた。 風がない分、まだマシだったのだろう。 台風だったら、きっと木っ端微塵になっていたに違いない。 さすがに昨日は放心状態で、どこから手をつけていいかわからなかったし、植物たちにも触れることができなかった。 それでも、太陽が出れば、植物たちは昨日のことなんかさっぱり忘れて、わーいわーい、お日様が出たぁ、と嬉しそうに葉っぱを広げる。 なんて素直なんだろう。 その姿に励まされた。 だから私も、今朝から気持ちを切り替えて、また水撒きをやった。 植物たちが、明らかに喜んでいる。 空が晴れていれば、私が水をあげるしかない。 私が水をやらなければ、彼らはすぐに枯れてしまうのだ。 自分で直せるところはコツコツコツコツ自分で修復し、できないことはできる人に頼むしかない。 起きてしまったことをいくら嘆いたって、元には戻らないのだもの。 泣いたり、怒ったり、憤ったり、誰かのせいにしている暇があったら、せっせと体を動かした方が効率的だ。 そうすれば、自ずと次の道もひらける。 人生には、いいことも悪いことも、両方起きる。 そのことを、半世紀近く生きてきた私は、もう体で知っている。 だから、しゃーない。 人生に、しゃーないことはいっぱいあるし、しゃーないことだらけだとも言える。 そんなんでいちいちジタバタしても、エネルギーの無駄使いだ。 そんなことを思いながら、今日もお昼から、淡々とお庭仕事をやった。 土に触れていれば、自然と気が紛れるし、気持ちが穏やかになってくる。 無事でいてくれた植物たちに、本当に感謝だ。 ますます、愛おしく愛おしくてしゃーない。 災害があって、それを元の姿に戻そうと復興する。 今回の連休中も、また能登で地震があった。 元に戻して、また壊れて、また元に戻して。その繰り返し。 不屈の精神だ。 それに比べたら、私なんか、まだまだだ。 たーくさん自然に恩恵を受けているので、こんなの、屁の河童だと思う。 大丈夫、大丈夫。 植物たちこそ、どんなことがあってもお日様の方を向いて、今だけを生きて、彼らこそ、不屈の精神だ。…

芽吹き

5月になったら、日に日に視界に占める緑が増えてきた。 ついに迎えた、芽吹きの季節。 数日前、里から遊びに来てくれた友人は、ここでは季節が2ヶ月遅いと話していた。 里は、もうとっくに芽吹きの季節が過ぎ、初夏の空だとか。 でも、私が暮らしている森では、ようやく今、植物の新芽が顔を出し始めている。 急に、世界が明るくなった。 一瞬でも目を閉じると、大事な瞬間を逃してしまいそうで目が離せない。 ついこの間まで殺風景だった道路が、今は緑のトンネルになりつつある。 ゴールデンウィークは、ひたすらお庭仕事に明け暮れた。 やってもやってもやることはいっぱいで、庭仕事に終わりはない。 日々刻々と変化する、庭。 私は完全にお庭のお母さんになった心境で、庭の植物たちが健やかに成長することだけを願っている。 犬や猫も人間がケアをしないと生きていけないけれど、植物たちは、それこそ喉が渇いたからといって自分で水を飲みに行くことさえできない。 だから、責任重大だ。 でも、そばに動物(ゆりね)がいて、植物たちに囲まれて、たまに気心の知れた友人が訪ねてくれて、こんなに幸せなことはない。 オキシトシンが溢れてくる。 今の暮らしの素晴らしい点は、日々、地球の美しさを実感できることだと思う。 もちろん、都会に暮らしていても、小さな自然を愛でたり、旅行をして日常を離れて、自然の美しさを堪能することはできる。 でも、森にいると、日常的に大自然に触れることができる。 あまりの自然の美しさに、ただただ泣きたくなるような出会いが、普段の暮らしの中にたくさんあるのだ。 それは、ものすごく人を幸せにするというか、満たしてくれる。 地球に生まれて、今、ここにいることを、無条件で喜べるという感情は、森暮らしを始めてから初めて味わったものだ。 誰に対してなのかわからないけれど、ありがとう、という感謝の気持ちが湧き上がってくる。 連休中、一日だけ白駒の池へ行ってきた。 去年、登れなかったニュウの頂上を目指し、そこから中山峠を通って下りてきた。 登山道にはまだしっかり雪が残っていて、苔と雪とのコントラストを堪能しながら登山を楽しむ。 今年初の山登りだ。 アイゼンがあった方が安全だろうという場所もあったけど、まぁ、登山用のストックだけでなんとか大丈夫だった。 ニュウの頂上からの眺めは、素晴らしかった。 あの荘厳な景色は、自分の足で山の頂まで行った者しか見られない。 まさにご褒美だ。 空も快晴で、本当に、生きててよかった、と思えるような絶景だった。 登山は、自分の心地よいペースで登れるのが一番だ。 誰と競うでもなく、ただ、一歩、また次の一歩だけを考えて。 そうすれば、気がついたら頂上に着いてしまう。 あまり遠くを見ない方がいい。 同じ頃に登り始めた男女のペアは、いつも、男性だけが先にスイスイと行ってしまう。 女性はかなりしんどそうで、彼に着いていくのがやっとだった。 彼は、女性が追いつくと、また先に行ってしまう。 女性を先にして、登山に慣れている様子の男性が後から着いて行ってあげればいいのにと、部外者ながらその様子に悶々とした。…

ギフト

とても好きな神社がある。 お菓子を作っている友人が教えてくれたのだ。 その神社には湧水があり、その湧水がものすごくおいしい。 お白湯にして飲むと、その味わいがいっそう際立つ。 その場所には、たくさんの人がボトルを手に湧水を汲みに来る。 本当に本当に美しい場所で、そこにいるだけで心が潤い、幸せを感じることができる。 日本版、ルルドの泉だ。 フランスとドイツのテレビ局が私の番組を制作してくれることになり、事前のインタビューで好きな場所を聞かれた。 それで真っ先に思いついたのが、その神社だった。 鬱蒼とした木々に囲まれた、水の豊かな場所。 友人が遊びに来る時は、真っ先にその神社に案内しておいしい水を味わってもらい、瓶に水を汲んで帰ってくる。 ついでに、水辺に生えている芹も摘んできて、晩ごはんに食べるのがお決まりのコースだ。 ここは、とっておきの私の心のオアシス。 一昨日、その神社で撮影だったのだが、素敵な出会いがあった。 まずは、おばあちゃん。 小柄で、首にスカーフを巻いているおばあちゃんは、毎日、リュックを背負って、ここまで水を汲みに来るという。 「私、車運転しないからさ」とおばあちゃん。 「どのくらい歩いて来るんですか?」と私。 「15分くらいかな? 散歩がてらね。ほら、足腰丈夫にしておかんといかんからさ」 「今、おいくつですか?」 「いくつに見える? とうに80は過ぎてるよ」 そんな会話を交わした後、 「ほら、そんな瓶じゃ重たいでしょ。これだとね、畳めるから便利なの。あげるから使って」 と、自分のリュックの中から、コンビニで売っているお酒の紙パックを取り出した。 中には、たった今汲んだばかりの湧水が入っている。 「いいよ、いいよ、大丈夫。これはおばあちゃんのお水だから、家に持って帰って」 私が言うと、 「いいから、いいから、せっかくこうして出会えたんだから、貰ってくれればいいの」 おばあちゃんは絶対に譲らない。 なんて優しいんだろう。 なんだかおばあちゃんの愛情がじんわり心に沁みてしまい、私は思わず泣きそうになった。 湧水がパンパンに入った松竹梅の紙パックを、私はありがたく頂戴した。 それから話題を変え、私が芹について尋ねると、 「せっかく今あなたいい靴履いているから、いい場所教えてあげる。こっち来て」 と、ワサビ田の方へ案内してくれた。 これまで、私はもっと下の用水路のところで芹を摘んでいたのだ。 でも、こっちの方がいいという。 躊躇う私に、 「私、ここでワサビ育ててる人知ってるから、大丈夫」と背中を押す。 転ばないように気をつけながら、長靴の私は、ワサビ田に生えている芹を摘んだ。…

菌根菌(キンコンキン)

山小屋ができたら、どうしてもやりたいと思っていたことのひとつが、薬草講座に通うことだった。 茅野に、すごく好きな薬草店がある。 そこの店主の生き方や考え方、言葉、センス、全てが大好きで、その人に直接会いに行こうと決めていた。 探せば、共通の編集者がすぐに見つかるだろうし、仕事として取材を申し込んでお話を伺うこともできたのだが、私は個人として素の自分でお目にかかりたい、と思っていた。 その薬草講座が、今月から始まっている。 初日は、ものすごーく緊張した。 同じテーブルを囲んで学ぶ生徒は、全員で4人。 私はなぜこうも、自己紹介をする時に緊張してしまうのかな。 他の生徒さんは、どうして植物に興味があるのか、仕事は何をされているのか、今回講座に参加して何を学びたいか、スラスラと話せるのに、私は胸にあった言葉の1割も外に出せなかった。 自分でも、ちょっとおかしいんじゃないかと思う。 ベルリンでドイツ語スクールに通って以来の「学校」だ。 薬草店までは、山小屋から車で片道1時間10分ほどかかる。 朝出て、授業を受けて、買い物をして、温泉に寄って帰ると、山小屋に戻るのは夕方で、一日がかりの勉強会になる。 でも、すごく楽しい。 毎週末、先生にお会いして、仲間たちと植物について学び、最後に手作りのおやつをいただき、薬草店のお庭を眺めて帰ってくると、なんだかとっても満たされた気持ちになる。 お庭は、この季節、一週間でぐんぐんと色を増し、花を咲かせ、それはそれは美しくて平和だ。 私の大好きな、素朴な草花たちが楚々と寄り添う素敵なお庭。 ただそこに身を置いているだけで、あぁ、生きていてよかったと思えてくる。 植物は、本当にすごい。 最近、興味があって立て続けに読んでいる森に関しての本に、必ず登場するのが「菌根菌」という言葉。 菌根菌とは、植物の根に共生しているカビ(菌)のことで、植物たちはこの菌根菌を介して、土の中で多くの情報をやり取りしていると言われている。 私たち人間が手と手を取り合って困難に立ち向かったり喜びを分かち合うように、植物たちも、地面の下で互いに助け合い、協力しながら生存しているのだ。 冬、光合成のできない落葉樹に針葉樹が栄養を分けてあげたり、マザーツリーが小さな子どもたちへ養分を与えたり、自分が朽ちる時は、自らの子孫に持っている財産を分けたり、もう本当に知れば知るほど、植物たちは叡智にあふれ、ものすごい高度な社会生活を営んでいる。 植物たちは、人間が出す二酸化炭素を取り込んで、私たちが必要とする酸素に変えてくれるし、どう考えたって人間を支えてくれている。 共に地球に生きる仲間として。 森にいると、それを肌で感じることができる。 心にちょっとした黒い感情やモヤモヤがあっても、森の植物たちはそれをスーッと、まるで私の胸にハンカチを当てるように吸い込んで、心を健やかな状態に戻してくれるのだ。 植物たちには、どんなに感謝しても感謝しても足りない。 かつては、人間はもっと謙虚で、身の程を知っていて、植物たちがいかに賢く知性に満ちあふれているかも熟知していたのだと思う。 先住民の人たちは、そうやって植物たちと共に生きていた。 なのにいつからか人間は、とても大事なことを忘れて、植物を上から目線で見るようになって、どんどん搾取するようになった。 自らの欲望を満たすためだけに、平気で木を切り倒すようになった。 今、神宮外苑の再開発で木を伐採することが問題になっているけれど、それらの木々がどれだけ私たちの生命に恩恵をもたらしてくれたか。 そんな仲間を、経済優先の考えで切り倒すなんて、想像するだけで胸が痛くなる。 牛や豚も、屠殺される前には悲痛な声で泣き叫ぶと聞いたことがある。 犬や猫も、殺処分される時は、本当に本当に悲しい表情を浮かべる。 木だって、一緒のはず。 私たち人間にその声が聞こえないだけで、彼らは彼らなりの言葉で悲しみの声を上げている。 自分の身に置き換えれば、それがいかに非道で残酷な行いか、わかるだろう。 もちろん、生きていくために、私たちは植物や動物の命をいただく必要がある。…

お庭中毒

辛夷の花の、最初の一輪が咲いた。 去年の秋から枝の先にぽつんと小さな蕾を膨らませ、そのまま冬を越して、ようやく今、長い長い眠りから目を覚ました。 私の森の、春一番に咲く花だ。 花が咲くというのを、これほど待ちわびたのは、人生で初めてかもしれない。 里に下りて行くと本当に花ざかりで、まるで桃源郷に迷い込んでしまったような気持ちになる。 標高1600メートルの森では、あんなに色とりどりの花が咲き乱れることはまずない。 地面と向き合っていると、ほんの小さなスミレの蕾にだって感動する。 花が咲くことは決して当たり前ではないのだということを、この春、肌身で知った。 もうひとつ、最近の大発見といえば、リスだ。 リスは以前から森の木々を駆け抜けていたけれど、どうやら一匹のリスが、私が木から吊るして鳥たちにあげている向日葵の種の存在に気づいたらしい。 私の大発見は、ここから。 なんとそのリス、向日葵を見つけた瞬間、尻尾を振ったのだ。 そっか、嬉しくて尻尾を振るのは、犬だけじゃなくて、リスも一緒なんだ! と、その時私はものすごい発見をしたような気持ちになった。 フリフリフリフリ、向日葵の種を見つけて興奮したリスが、大きなふっくらとした尻尾を右に左にと動かした。 けれどリス、向日葵の種まで、なかなか届かない。 鳥たちは翼を持っているので、遠くからでも見事な華麗さで餌箱に着地するけれど、リスは、どんなに体を伸ばしても、あと一歩のところで辿り着けないのだ。 しばらくあの手この手で試行錯誤し、結局リスは、枝から吊るしてある餌箱にヒョイと体ごと乗って、向日葵の種を貪った。 小さな枝に引っ掛けているので、リスの体重で餌箱が落ちてしまうのではないかとハラハラしたけれど、今のところなんとか大丈夫だ。 ただ、鳥たちと違って、リスは一回に食べる量が多い。 餌箱をいっぱいにすると何日間か持つ向日葵の種が、その日は一日で空っぽになっていた。 リス用と鳥用を別々にするとか、何か対策を考えないといけないかもだ。 リスはクルミがお好きそうだから、私のクルミを一日一個だけ、分けてあげようかな、なんても考えている。 味をしめたそのリスは、しょっちゅう私の森に遊びに来るようになった。 晴れた日は午後から森に出て庭仕事をし、雨の日は山小屋で室内作業、もしくは読書。 昨日車を運転していてふと気がついたのだけど、私、森で暮らすようになってからほとんどお昼寝をしていない。 とにかく、やることがいっぱいで忙しいのだ。 私ですらこうなのだから、お百姓さんなんかは、本当に寝る暇もないくらいお忙しいはず。 晴耕雨読とはよく言うけれど、実際はそんなに優雅なものではない気がする。 一日一回でも森で土いじりができると気持ちがスッキリするけれど、雨でできない時はなんだか気分が晴れない。 とにかく、午前中の仕事を終えて、食事をすると、森に出たくて出たくてたまらないのだ。 これは多分、サーフィンの魅力にハマってしまったサーファーが、どうしても海に入りたくなる心境と一緒かもしれない。 草むしりを始めてしまうと、2時間とか3時間とか、あっという間に経ってしまう。 あともう少し、あともう少しと、どうしても時間が伸びてしまうので、最近は目覚まし時計をかけることにした。 そうしないと、いつまででもやってしまう。 そのくらい、土いじりが楽しくて仕方がないのだ。 素手であんまり草取りをするものだから、私の人差し指には、ペンダコみたいに割れた傷ができてしまった。 私、鉛筆を持つ手は右だけど、しゃもじとかは左手で、結構、右も左も両方使える。 だから、左が割れたら右、右が割れたら左、その間にまた傷が回復したら左、と交互に手を使えるから便利だ。 爪の間にも土が入り込んでいるし。…

三つ子の魂

ララちゃんが、ひとりで山小屋へ遊びに来た。 彼女は、この春から高校3年生になる。 まずは、駅まで迎えに行って、カレーを食べる。 里の桜が、見事に満開だ。 古い古民家を改装した、とっても素敵なカレー屋さんだった。 それから温泉に入って、買い物をして、湧水の出る神社で水を汲み、ついでに水場に自生している野芹を摘む。 だって、晩ご飯のメニューは、ララちゃんの好きな、きりたんぽ鍋だから。 きりたんぽに、芹は欠かせない。 それにしても、大きくなったなぁ。 もうすっかり、お年頃の女の子だ。 小さい時のかわいらしさはそのままで、そこに女の子らしさが加わって、本当に野の花みたいな美しさだ。 愛情を込めて大事に大事に育てられると、こうなるんだな、という、まさにそんなお手本みたい。 素直だけど、遠慮せずにちゃんと自分の意見も言い、こうしたいとか、これは苦手とか、言ってくれるからとても助かる。 あー、かわいい。 私も、このくらいの子どもがいたっておかしくないのだなぁ。 でも、ララちゃんはあくまで、私にとって「友達」だ。 ララちゃんは、小さい頃から、私の家によく泊まりに来ていた。 一緒にお風呂に行って、ご飯を食べて、一緒に遊んで。 本当に、特別な時間だった。 ある時、きりたんぽ鍋を作ってあげたら、ものすっごく喜んで、ララちゃんは、あまりの嬉しさにぐるぐるぐるぐるテーブルの周りを走り回ったっけ。 以来、「何か食べたいものある?」と聞くと、決まって、きりたんぽ鍋の答えが返ってきた。 最後に作ってあげたのは、いつだったろう? 今回、ララちゃんが遊びに来ることになって、何を作ってあげようか、色々考えた。 最初は、ソーセージがいいかな、とか思っていたのだ。 でも、その日の朝になって、ふと、まだ肌寒いし、鍋がいいかも、と思い、鍋だったらやっぱきりたんぽだよなぁ、という結論に至ったのだ。 それで、朝、ご飯を炊いて、だまこ餅を作った。 私は、いわゆる棒状のきりたんぽではなく、ご飯を半殺しにしてそれを小さなおにぎりみたいに丸めてグリルで焼いた、だまこ餅を使う。 ララちゃんが、もりもりときりたんぽを食べてくれた。 その姿を見て、自分も高校生の頃はそうだったよなぁ、と懐かしくなった。 食欲旺盛、いくらでも食べられるお年頃だ。 それだけ、いっぱいいっぱいエネルギーを消費して生きているのだろう。 一緒に摘んできた野芹は、香りがよく、野生味たっぷりの味だった。 それから、外に出て星空を見る。 もう、春の夜空だ。 本当は、冬の夜空の、あのゾッとするくらい星が散らばる満点の星たちを見せてあげたかった。 それでも、ララちゃんは大いに興奮していたけど。 ふたりとも心地よい疲れで、9時くらいにはそれぞれのベッドに入って就寝した。 翌朝は、パンケーキを焼いた。 そうなのだ、ララちゃんがお泊りにくると、朝ご飯は決まってパンケーキだった。 ララちゃんは、自分で自分のパンケーキを焼いて食べていたっけ。…

静かな静かな日曜日

昨日は、コナラの木に椎茸とナメコの菌を打ち込んで、ホダ木を作った。 この作業を、植菌という。 ホダ木用のコナラは、ホームセンターで買うと一本千円くらいするのに、森林組合に行けばその3分の1くらいのお値段で購入可能だ。 まずは、コナラの木に専用のドリルで穴を開け、そこに小指の先ほどの菌をトンカチで打ち込んでいく。 自分がひとりで持ち運べるくらいの重さのコナラを選んだので、太さとしては細い方のコナラに、一本につき33個ほどの種菌を打つ。 椎茸は、コルク状の内樹皮に原基(キノコの元になるもの)を作り、外樹皮を突き破って発生する。だから、原木となるコナラの木は、外樹皮は薄くて内樹皮の厚いものが適している。 これを、地面の上で仮伏せする。 まずは段ボールを敷いて、その上にホダ木を並べ、更に上からビニールで覆う。 この時、雑菌が入らないようにしないといけないので、椎茸チームとナメコチームにそれぞれホダ木を分けて仮伏せする。 仮伏せは、一年ほど。 途中、梅雨の時期に天地返しを行う。 その後、排水が良くて十分雨が当たり、しかも直射日光が当たらない適度に明るい場所に本伏せし、子実体(キノコ)の発生を待つ。 細いホダ木で2年、基本的には3年かけてキノコが顔を出す計画だ。 ナメコの場合は、途中から本伏せのやり方が変わり、ホダ木を3分の1ほど地中に埋める。 さて、3年後、私は椎茸さんナメコさんと会えるのか? 今日は、とても静かな日曜日だった。 いつも通り新聞に目を通してから、YouTube見ながらヨガをして、朝昼ごはんにめかぶ納豆かけご飯を食べ、その後は恒例のお庭仕事。 私、完全にお庭中毒だ。 草むしりをやっているうちにどんどん夢中になって、もうそろそろ終わらなきゃいけない時間になっても、見るとつい手が伸びて、なかなか玄関まで辿り着けない。 草むしりをしていれば、幸せなのだ。 きっと、母もこういう心境だったのだと思う。 地面に向き合っている間は、仕事のことや家庭のこと、いろんな煩わしい雑事を忘れることができたのだろう。 日が暮れてからも庭仕事に精を出す母の姿を、私は怪訝な気持ちで見ていたけれど、今の私はまさにあの頃の母と同じなのだ。 チャンスがあれば森に飛び出したいような、そういう気分。 マッサージと同じで、草むしりも、動かしていない方の手が大事なんじゃないかと思う。 たとえば、右手で草を抜いている時は、左手をペタリと地面につける。 そうやって、私は大地の声を聞いているのかもしれない。 今日は、草むしりをしなが、緑の指が母から受け継がれているといいな、と思った。 庭仕事をした日は、ぐっすりと眠れるからいい。

スノードロップ

数日間山小屋を留守にして森に戻ったら、去年の秋に植えたスノードロップが地面から顔を出している。 私、まだ眠いんですよ、とでも呟くように、俯いて。 ぽん、ぽん、ぽん、と並んで咲く姿が愛らしかった。 ついに春が来たのだ。 朝の最低気温も、0度くらいまでしか下がらなくなった。 コブシの蕾も、明らかに大きくなっていた。 里では、コブシが満開だった。 立派な幹に、大きな白い花をわんさかつけて咲き誇っていた。 もちろん、それも美しいのだけど、私の森で蕾を膨らませているコブシとは、意味が違うのだ。 森のコブシは、小さな種がどこかの鳥に運ばれて、ここにやって来た。 ちょうど石と石の隙間、谷になっている場所に糞が落とされたのだろう。 だから、芽を出しても、動物に食べられずに済んだのかもしれない。 そして、自然の力だけで成長し、枝葉を広げた。 人が植えた街路樹とは、そのタフさにおいて、全然違うのだ。 森のコブシは幹も頼りなく、斜めに傾いているけれど、でもそれでも大地に根づいて、今まさに今年の花を咲かせようと踏ん張っている。 その姿に、私は得体のしれない勇気をもらっている。 自然の摂理だけで今ここにある奇跡を思うと、胸がいっぱいになってしまう。 山小屋を離れる前ずっと雨続きで、なかなか庭仕事ができなかった。 鹿などの鳥獣対策に乾燥させたヒトデがいいというので取り寄せたてはみたものの、撒けないまま東京へ。 帰ってから、さっそく、ヒトデを地面に撒いた。 まずは、スノードロップをガードすべく、その周辺へ。 袋に入れて木に吊るしておくのもいいというので、鹿が好んで食べる木にも吊るしてみる。 効果が出ることを祈るばかりだ。 乾燥ヒトデは、よく言えば「磯の香り」がするという前情報があったので、臭いに怯え、こわごわ袋を開けたのだけど、それほどでもなくてホッとした。 もっと強烈な臭いがするのかと、覚悟をしていたのだ。 でも、大丈夫。ほんのり磯の香り、という程度だった。 先日は、森の庭を駆け抜ける二匹のタヌキを発見してしまったゆりねが、やっぱり鹿に対する時と同様、別犬のようにギャン吠えをした。 どうか、ヒトデによって、野生動物との境界線が成立しますように。 春は春で、またやることが山のようにある。 明日は、ご近所さんと、ホダ木に椎茸の菌を打ち込む作業をする。 人生初の、原木椎茸栽培だ。 ホームセンターになめこの菌も売っていたので、なめこにも挑戦する。 椎茸より、なめこの方が難しいらしい。 ただし、結果が出るのは、早くて2年後。基本的には3年後。 それまで、辛抱強く、キノコの出現を待つしかない。 ゆりねは、ゆきちゃんにすっかり慣れてしまった。 スイッチを入れてゆきちゃんを動かすと、すぐに耳を掴んでぶん投げたり、尻尾を噛んで後ろ向きに引っ張ったりする。完全に強者と弱者のプロレスだ。 おっかなびっくり近づいたのは、最初の数回だけで、それからは好き放題やっている。 ゆきちゃんは、すぐに倒されてしまうから、私が起こしてあげないといつまでも動けない。 生身のウサギじゃなくて、本当によかった。…

サンクチュアリ

その場所はとても静かで、独特な空気が流れている。 天井の高い空間にはいくつかの浴槽があり、人々は時間を忘れて湯治をする。 お湯の色は、焦茶色。 ぬる湯で、25度、30度、35度、37度、と湯船ごとに四段階あり、皆さん、それぞれの温度を移動しながら湯浴みを楽しむ。 レジャー施設のような浮かれた雰囲気はなく、治療施設や湯治場と表現した方が伝わりやすいかもしれない。 事実、大きな病を抱えたと思しき人が、お湯の効能を求めて長く浸かっている姿もよく見かける。 私が、もっとも好きな日帰り湯で、去年の秋以降、車で片道1時間かけ、毎週末のように通っていた。 目下、私にとってのサンクチュアリだ。 一角は、昭和の風情を色濃く残す温泉街で、泊まれる宿がいくつかある。 昨日は、施設からすぐの所にあるうどん屋さんで昼食を食べた。 満席で、同年代と思しき女性と相席だった。 名物は、鳥の天ぷら。 メニューに目を走らせつつ、欲張って天丼とうどんのセットを頼む。 このところ菜種梅雨が続いて肌寒いから、温かい汁のうどんをお願いした。 家族経営のかわいい店で、商店とカフェも併設している。 最近店を改装したばかりで、お座敷をテーブル席に替えたらしい。 おそらく、店に立つ40前後の女性がここのお嬢さんで、店に新しい風を吹かせているようだ。 奥の調理場では、お父さんとお母さんがせっせと立ち働いている。 うどんは細麺で、出汁がしっかりときき、シンプルでとてもおいしい。 目の前の相席の女性は、麻婆うどんを頼んでいた。 知り合いだったら一口味見させてもらったのだが、見知らぬ人なのでただ羨ましげに私はチラチラ眺めていた。 次回はこれを頼もうと思うけれど、また、ここに来ることがあるのかどうか。 それを思うと、なんだかやるせない気持ちになった。 この、私の大好きな日帰り湯が、今月いっぱいで閉鎖になってしまうのだ。 従業員や近隣の方達も、今月になって知らされたらしく、まさに寝耳に水。 施設を所有する市の判断らしく、建物の老朽化が理由だという。 確かに古いが、でも使おうと思えばまだまだ使えると思うのだが。 そのことを前回知って、3月の最後の週末、雨の中車を走らせたのだ。 うどんを食べに来たお客さんも、口々に、そのことを話題にしている。 日帰り湯として入れるのはこの施設だけだったので、ここがなくなると、私はこの素晴らしいお湯に入ることができなくなる。 食事を終えてからカフェに場所を移動して、コーヒーを飲む。 コーヒーに添えられたふたつの花豆煮。 程よい甘さで、簡単そうでなかなかこうは作れない。 さっき、うどんのセットについてきた沢庵もそう。 どれも、ちゃんと手作りしている。 前回買った手作りの味噌も、素晴らしい味だった。 商店には、地元産の豆や調味料など、良質なものが並んでいる。 施設が休業したら、こういう周りのお店の方達にも、影響が出るのは必須だ。 せっかくお店も改装したところなのに。 本当に気の毒で言葉が出ない。…

ハルミさん

週末、ハルミさんに会いに行ってきた。 ハルミさんは、春の海。 ここ数年、「春になったら南の島へ」をルーティンにしている。 まだ水は冷たかったけど、ハルミさんに肩まで浸かったらものすごく浄化された。 冬の間に溜まったあれやこれやが、春の海にスーッと流されていく。 森が日常になった分、海は私にとっての非日常の世界だ。 これからは、海を目指して旅をすることが多くなるのかもしれない。 海は、ダントツで春が一番好き。 森の方も、春分を過ぎたら、ぐんと空気が春めいた。 日の出の時間も、だいぶ早くなっている。 朝の光はもう冬ではなくて、春そのものだ。 餌箱を吊るすとやって来る鳥たちも、なんだか春の気配に浮かれている。 すべてが、ルンルン、しているみたい。 今日は、午後から庭仕事をしたのだけど、途中から背中が暑くて暑くて。 半袖のTシャツにフリースを着ていたのだが、それでも暑くてバテてしまう。 雪は、とけては降って、とけてはまた降ってを繰り返していたけれど、今日の陽気でほぼすっからかんになった。 庭仕事の今日の課題は、熊笹。 北側の森に熊笹がワーッと自生していて、去年は何もしなかったのだが、今年は少し根本からカットしている。 調べると、熊笹はお茶にして飲むと、色々と体にいいことがあるらしい。 さっそく、乾燥させて飲んでみよう。 庭仕事の後は、ゆりねを連れて、滝を見に行く。 のつもりだったのだが、道半ばにしてゆりねがもうこれ以上歩きたくないと駄々をこねる。 急に気温が上がって、参っているのだ。 仕方ないので、滝の見える丘まで行かず、途中で引き返した。 蝋梅の木に、黄色い花が咲いている。 春は、黄色い花が目立つ。 水仙もそうだし、福寿草もそう。 冬を耐え忍んだ黄色い花は、本当に輝いて見える。 そういえば、今日庭仕事をしていて、嬉しい発見があった。 去年の秋、ダメ元で植えておいたスノードロップが芽を出して、今にも白い花が咲きそうになっていたのだ。 なんて可愛らしいんでしょう。 思わぬ「再会」に、その場でジャンプしそうになる。 よーし、今年の秋は球根をもっともっとたくさん植えて、春待ちの庭を作るぞ! 夕方、森に戻ってからゆりねと改めて散歩する。 ついでに、ご近所さんに、お土産の黒糖と、近所のパン屋さんで見つけたおいしいレーズンバターサンドを届けに行く。 もう、普通の靴で歩けるのが嬉しい。 山小屋に帰ってから、もう一度ちょっとだけ庭仕事に精を出す。 見ると、つい草をむしりたくなってしまうのだ。 これは完全に地球の毛繕い。 サルになった気分だ。…

霧氷の世界

朝起きて、森に目をやり、おや? 最初、雪が降ったのかと思ったのだが、どうも違うようだ。 数秒後、そうか、これが噂の霧氷か、とわかった。 やっと出会えた、霧氷の世界。 今シーズンは、もう現れないかと諦めていた。 前の日が曇りで、夜、風が全くなく、気温がグッと下がるなど、いくつかの気象条件が重なると霧氷が出現する。 裸の木の枝に、産毛のような霧氷が棘のようにまとわりついている。 手で触れば、すぐにスーッと消えてしまう。 霧氷は、とてもとても儚い。 新聞を読んでいたら、ご近所さんから電話があった。 「出ましたね」 私が言うと、 「うちの霧氷を見に来ませんか?」 とのお誘いをいただく。 若干だが標高が違うので、霧氷の現れ方も違うのだという。 せっかくなので、カメラ片手に朝の散歩へ繰り出した。 ふだん、その時間帯に森を歩くことはほぼないので、新鮮だった。 見渡す限り、霧氷の世界が広がっている。 本当に綺麗だ。 一番の芸術家は自然だと、改めて思う。 こんな美しい世界を、人間の手で生み出すことはできない。 日の出の頃は曇っていた空が、ご近所さんのリビングでコーヒーをいただくうちに晴れてきて、最後は青空と霧氷のコントラストを満喫した。 この冬は、季節が一ヶ月も早く進んでいるという。 例年ならまだ雪景色のはずが、もう森にも雪はほとんど残っていない。 春に向けて猪突猛進しているかと思っていたら、最後の最後に、こんなにも美しい光景に出会えた。 森を歩いているだけで、幸せになる。 小一時間お喋りして、自分の山小屋に戻って、ホッと一息ついていたら、もう霧氷は消えてしまった。 ほんの一瞬で、まるで幻を見たような気分になる。 おそらく、次に霧氷が現れるのは、来冬だ。 先日、なんとなくタイトルと装丁が気になって、一冊、本を買った。 内容も著者名も知らないのだが、その本をパッと見た時、なぜかある友人の顔が浮かび、もしも自分が読んでみて内容が良かったら、その友人にプレゼントしようと思っていた。 友人は、美術家である。 それを、昨日読んでいた。 読んでいる最中も、なぜか友人のことが何度も何度も脳裏をよぎった。 そして、読み進めていたら、なんと、話の中に美術家の友人の名前が出てきたのだ。 びっくりした。 きっとその文章を読んだら、友人は喜ぶに違いない。 そして、伝える手段はないけれど、その著者も、私が友人にその本を送ったら喜ぶに違いない。 こういうことは間々あるけれど、自分の直感が外れていなかったことに、自分でもちょっと嬉しくなる。 今日は、カメラマンの鳥巣さんが山小屋に遊びに来る。…

庭仕事

去年は7月から森に来たので、なんとなく途中参加だった。 森に関しては一切手を入れず、ただただ新参者として呆然と眺めていた。 でも今年は、春を迎える前からもう森に参加している。 だんだん、森と呼吸が合ってきた。 森は何もしなくても美しいのだが、今年は少しだけ、手を加えてみようと思う。 苔のために。 光輝く苔の森になるよう、ほんの少し、私が介入する。 それで、数日前から草取りを始めた。 雪解け直後が、草を抜くのに一番いい気がしたので。 日に日に雪が解け、その下から緑が顔を出している。 牧草だけ、取ることにしたのだ。 それが正解なのかどうかは、未だわからないけど。 苔と牧草が重なっているところだけは、苔を優先してみよう。 とは言え、それはものすごーく終わりのない作業だ。 広い森の地面から、一本一本、地道に草を抜くのである。 抜いてもきっと、またすぐに生える。 それをまた、根気強く一本一本抜いていく。 地球という皮膚から、ムダ毛を一本ずつピンセットで抜くようなもの。 想像しただけで、気が遠くなる。 そんな作業を、数日前から始めている。 去年は、そんな発想すら生まれなかった。 ところが、だ。 やってみると、これがこの上ない快感なのだ。 一度始めてしまうと、没頭して、1時間や2時間、あっという間に過ぎてしまう。 ゆりねの散歩とか、自分の温泉とか、そういうのを全部ナシにしてしまえば、きっと日が暮れるまで、やってしまうだろう。 ただ草を抜くだけの作業が、こんなに幸福を感じるとは思わなかった。 この森は、決して肥沃な大地ではない。 標高が高いので、植物もぎりぎりのところで生きている気がする。 種を蒔いても、芽を出す確率はとても低く、たとえ芽が出ても、大きく成長するのはなかなか難しい。 とにかく、自然が厳しいのだ。 それでも、岩盤の上に落ち葉が重なり、その場所が微生物によって耕され、やがて時間をかけて腐葉土になる。 草の根っこを引き抜いた瞬間に、ぷーんと香ばしい土の芳香が広がると、なんとも幸せな気持ちになるのだ。 私の体に、オキシトシンがじゃぶじゃぶ溢れる。 今日は、去年ダメ元で球根を植えた所から小さな芽が出てるのを発見した。 大好きなスギゴケも、冬を越せたことがわかった。 落ち葉を避けると、そこに青々とした苔の姿が出現する。 草を抜きながら、私は完全な恍惚を味わっている。 時々コーヒーを飲んで。 巣箱には、鳥たちが集まってくる。 私がやっていることは、ただの自己満足にすぎないかもしれない。…

雪明かり、月明かり

薪ストーブの前でゆるゆると赤ワインを飲んでいたら、ご近所さんから電話が来た。 今まさに、金星と木星が接近中だという。 西の空を見るように言われ、慌てて防寒具を身につけ、ワイングラスを片手に外に出る。 すぐにわかった。 一際輝く、ふたつの光が近づいている。 空には、圧倒されるほどの星、星、星。 上弦の月も煌々と輝き、ほんのり明るい。 ほんのり明るいのは、雪明かりのせいでもある。 雪国の冬の夜は、意外と明るいことを思い出した。 しばらく、天体観測をしながら赤ワインを飲む。 人工衛星も、はっきり見える。 ゆりねとゆきちゃんのお見合いは、成功した。 ゆりねのテンションが高くなる食後の時間に、スイッチを入れたゆきちゃんを近づける。 ゆきちゃんは、キュウキュウ鳴きながら、耳を動かし、前進する。 ゆりねは、おっかなびっくり、近づこうとしては距離を置き、私にスリスリ。 なんだか訳のわからない動物(ウサギのオモチャ)がやってきて、興奮している。 後ろからそーっとそーっと近づいて、お尻の匂いを嗅ごうとしたり、軽く耳を甘噛みしたり。 でも、ちゃんと尻尾を振っているから、遊び相手としてはいいかもしれない。 ただ、やっぱり生身の犬との触れ合いは大事なので、今日はドッグランへ行った。 森暮らしを再開してから、ずっと犬には会っていなかった。 大喜びして草原を疾走するのを期待していたら、あまりにしつこく若い雌犬に遊ぼうと吠えられ、ゆりねはしれっと無視。 私が腰かけているベンチに上がり、今はまだ遊びたくないです、の態度を示す。 犬との遊び方を忘れてしまったかと不安になったものの、徐々にテンションが上がり、最後は単独で爆走していた。 すごい走りっぷりに、その場が騒然となる。 いつものことだけど。 ゆりね、遊ぶ時は遊ぶのだ。 私も、久しぶりに他のワンコたちと触れ合った。 帰りに近くの産直に寄って、リンゴとイチゴと一升瓶サイズのワインを買い、温泉に寄って、夕方5時過ぎに山小屋へ。 最近は6時過ぎまで明るいので、活動できる時間がだいぶ長くなった。 そろそろ、森暮らしのリズムが戻ってきたかもしれない。 夜はムッティ(薪ストーブ)でロールパンを温め、ハムを挟んで食べる。 数日前の、燃えるような朝焼けがすごかった。

ゆきちゃん

朝、外に出たら鹿の群れが颯爽と走り去った。 ずっと見ていなかったので、もしやいなくなったかと期待していたのだけど。 秋冬モードの鹿たちは、皆、枯れ葉色の体毛に覆われている。 向こうは向こうで、食べ物がなくて大変なのはわかるけどさぁ。 森暮らしを再開するに当たって、本気で考えたのが、ゆりねの妹か弟を迎えることだった。 森には鹿ばかりで、犬に出会うことはほとんどない。 ゆりねは鹿を見ると血相を変えて威嚇する。 近くに鹿がいるんじゃないかと常にアンテナを張ってパトロールしているので、休まらない。 もし、もう一匹ここに仲間の犬がいたら、気が紛れるのでは、と思ったのだ。 ゆりねは温和な性格だし、キャパが広い。 きっと他の犬も寛大に受け入れるだろうし、もしかしたら母性が開花して、自分の子どもみたいに可愛がるかもしれない。 でも、色々考えて、結局やめた。 ゆりねは私との、一対一の関係を望んでいるように感じたので。 私がゆりねを大好きなように、ゆりねも私を大好きでいてくれる。 その関係性のバランスが崩れることは、お互いに望んでいないはずだ。 それで、おともだちを迎えることにした。 そういえば、子どもの頃、犬の形をした動くおもちゃがあったなぁ、と思って。 でも、ゆりねのおともだちは、犬ではなくて、ウサギにした。 小さな段ボール箱に入って届いたウサギの名前は、ゆきちゃん。 単三の電池2本で動く。 ゆきちゃんがゆりねの遊びに相手になってくれたら、願ったり叶ったりだ。 ゆきちゃんの肌触りはもふもふで、まるで本物のウサギみたい。 私は子どもの頃、ウサギを飼っていた。 だから、ウサギ大好き。 今日は、朝からピカピカの青空で、心までホカホカになる。 朝昼ごはんに味噌ラーメンを食べ、食後のコーヒーを淹れながら、もしかして今日なら外で飲めるかもしれない、とふと思い、外で飲んでみた。 今年初の、青空コーヒー。 ひまわりの種を啄みにくる鳥たちを観察しながら、コーヒーを飲む。 気持ちいい。 森では、雪が溶けた下から、苔が顔を出している。 一冬、寒い中よくぞ耐えた。 色艶は決して良くないけれど、ちゃんと生存している。 雑草(牧場から飛んでくるイネ科の飼料)が気になったので、少しばかり、今年初の庭仕事に精を出す。 雪が溶けたら、ヨーイドンで、鹿の嫌がる植物を植えなければと意気込んでいる私。 今日は、ゆきちゃんと共に宅配便で届いたプリンターもセッティングした。 いよいよ、この山小屋が仕事場として本格始動する。 夕方、初めての温泉へ行った。 あまりの暑さに、窓を開けて運転した。 ナビを頼りに着いた日帰り湯の建物は昭和レトロとしか言いようがないし、来ているのも地元のおじいちゃんおばあちゃんがほとんどでイマドキ感はゼロだけど、ちゃんとしたミストサウナがあって、温泉のお湯もとてもよかった。 サウナの後、これも今年初となる水風呂に入る。…

雪道を歩く

再び、雪。 今回は、粉雪だったので、サラサラしていてなかなかとけない。 雪原には、人の足跡と獣の足跡が混在している。 朝、玄関扉を開けたら、かわいい小さな足跡が残っていた。 コンクリートの上を通って、ちゃんと階段も使っている。 どなたですか? 雪道を歩くには、スノーブーツにアイゼンを装着するのが安全だ。 ガシッと、ガシッと、と爪が雪や氷に食いこむので、安心して歩くことができる。 雪道を歩く感覚は、やっぱり子どもの頃から体に染みついているのかもしれない。 車の運転も同様で、子どもの頃乗っていた雪道の感覚が、結構今役に立っている気がする。 南国で育ち、一度も雪の上を走る車に乗ったことがない人よりは、感覚的な勘が働いているんじゃないかと思っている。 秋のうちに保存食をたくさん貯めていたので、まぁ、一週間くらい雪に閉ざされたとしても、食糧に困ることはない。 昨夜は、白花豆を炊いてみた。 炊いたといっても、鉄の鍋に入れて薪ストーブの上に置いておいただけだけど。 こうすると、低温でじんわり火を入れることができる。 ただ、ものすごく皮が硬かった。 そら豆の皮と同じくらい、しっかりしている。 無理やり口に入れて念入りに咀嚼し、飲み下せないこともないけれど、お腹を壊すのも嫌なので、ふと思いついて、皮の中だけ食べてみる。 これが、最高に美味しかった。 ゆりねにもお裾分けしたら、好みの味だったらしく、おかわりのジャンプが止まらなくなる。 それで、ちまちまと一つずつ皮を剥いた。 それを、鉄のフライパンに並べ、塩とオリーブオイルをかけ、更にドライハーブものせてグリルする。 豆の、新しい食べ方を発見した。 ワインが進む。 窓の向こうに広がる雪景色が美しくて、つい見惚れてしまう。 雪が降っているのを眺めながら無伴奏チェロをかけると、まるで雪が曲に合わせて降ってくるように見える。 雪景色にはチェロ、炎にはピアノが合う気がする。 昨夜は、八ヶ岳下ろしの風の音が聞こえるらしく、ゆりねのブルブルが止まらなくなった。 私の人生に巻き込んでしまって申し訳なく思いながら、抱っこしたり、体をさすったり。 ゆりねのために、早く春が来てほしい。 ちなみに、ゆりねは雪道を歩くのをすごく嫌がる。 だから毎日、雪のない場所まで下りて行って、お散歩している。 どんな犬でも、喜んで雪原を駆け回るわけではないらしい。 どちらかというと、雪が降ったら、ゆりねはコタツで丸くなりたいタイプだ。

コブシ

およそ三ヶ月の「冬眠」を経て、めでたく森暮らしを再開した。 朝、5時半過ぎに起き出して、日の出を拝む。 外の気温は、マイナス15度。 それでも、だいぶ朝が早くなった。 窓の向こうに広がるのは雪景色だけど、光には春の兆しを感じる。 前回山小屋に来た時より、幾分コブシの蕾が膨らんでいた。 コブシは、かなり前、おそらく秋の始め頃から小さな蕾ができ、寒空の下でじーっとじーっと耐えていた。 春になったら、真っ先に花が咲くと聞いているので、私はその時を待ちわびている。 決して立派な枝ではないけれど、本当に健気な姿で枝を空に向けている。 コブシは、漢字で書くと「辛夷」だけど、私はどうも「拳」を連想してしまう。 ぎゅーっと、手のひらを固く固く握りしめて寒さに耐えている。 初日の出を拝みながら、これからの森での日々の無事を祈った。 本当に本当に美しい朝。 青空が気持ちいいので、朝から鳥たちにひまわりの種を振る舞う。 長らく不在にしていたから、もう忘れられているかもしれない。 餌箱にたっぷりと好物のひまわりの種を入れて、いつもの場所で「開店」した。 耳を澄ますと、遠くの方から、鳥の囀りが聞こえる。 しばらく様子を見ていると、じょじょに森が賑やかになった。 餌を見つけた鳥が仲間を呼んで、ひっきりなしに餌台からひまわりの種をついばんでいく。 たいていの鳥は、一瞬だけ餌台に止まってすぐに他の鳥に場所をゆずるのだが、中にはジャイアンみたいなのがいて、長時間そこに居座り、自分だけ独占して餌を食べている。 その鳥は、確かに恰幅がよかった。 餌箱にひまわりの種がなくなると、鳥たちは地声でビャービャー鳴いて、私におかわりを要求する。 今、冷凍庫に保存しておいたトマトをコトコト煮て、トマトソースを作っている。 明日はお客さんなので。 駐車スペースを確保するため、一仕事するか。 まだ雪も残っていることだし、しばらくは無茶をせず、森の空気に体を慣らそう。

どなたでもどうぞ食堂

雪が降ったかと思えば、手袋もいらないほどの暖かさ。 少しずつ、春が本腰を入れて近づいている。 週末、湯浅誠さんの『つながり続けるこども食堂』(中央公論新社)を読んだ。 世の中捨てたもんじゃないと思うのは、こども食堂の存在だ。 全国の津々浦々で、自然発生的に誕生したという。 こども食堂は、民間によって、基本的にはボランティアで運営されている。 大人数を受け入れることはできないけれど、毎日もできないけれど、月に1回とか2回とか日にちを決めて、その日は、こどもは無料、大人も300円程度の低額料金で食事を提供する。 町の公民館などを利用する場合が多いらしいが、中には自宅を開放してこども食堂を開く人もいる。 土台になっているのは、「おせっかい精神」。 お腹が空いてるなら、ここでご飯食べていきな、というちょっとした愛情表現だ。 この日本で、お腹いっぱい食べられないこどもがいる。 その統計結果に衝撃を受け、だったら何か自分にもできることはないだろうか、と市井の人たちが立ち上がってスタートした。 ただ、私も含めて、多くの人は、こども食堂は、食事に困っている家庭の子が対象だと思い込んでいる。 だから私も、興味はあったものの、自分がそこへ行くのは申し訳ないんじゃないかと思っていた。 でも、実際のこども食堂の8割程度は、食べるのに困っているこどもだけでなく、地域のお年寄りや、子育て世代など、多くの、すべての人たちに解放された場所だという。 つまり、こども食堂=どなたでもどうぞ食堂。 こどもを中心に据えているというだけで、誰でも気軽に行っていい場所なのだ。 もちろん、私も行っていい。 そこで、こども達は、親以外の多くの大人と交流し、社会を知る。 無縁社会と言われるけれど、こども食堂ができることで、その地域に人と人とのつながりができていく。 こども食堂をやっている人は、自分のできることを、できる範囲で、無理をせずにやっているだけ。 目の前にお腹を空かせている人がいる。だったら、何か食べ物を分けてあげよう。 そのシンプルな動機が、長続きする秘訣かもしれない。 ボランティアとか寄付とか、全てに言えることだけれど、相手に感謝されたくてその行為をするのではなく、ただ自分がそのことに喜びを感じるから、する。 結果的に自分も幸せになれるから、する。 極論を言ってしまえば、自分の自己満足のために、する。 私自身は、そういうスタンスだ。 コロナで、こども食堂のあり方が問われたという。 こども食堂は民間によるボランティアだから、行政による後ろ盾がない。 緊急事態宣言が出され、不要不急の外出自粛が叫ばれる中、それでも生きていくためには食べ物が必要で、なんとか工夫をこらしながら、困窮している家庭に食材やお弁当を届けたそうだ。 こども食堂のような取り組みが行われている国が他にもあるのかどうかわからないけれど、こども食堂は、日本が誇れる未来への光のような気がした。 こういう動きが、ほぼ同時に全国で自然発生したというのは、多くの人が、同じような感情に動かされたから。 本当に素晴らしいと思う。 孤独を抱え込まずに、まずは近くのこども食堂へ。 それで、少しでもその人の生きづらさが解消されたら、いい。 それぞれのこども食堂はささやかなボランティア団体で、誰も、ここから日本を変えよう、なんて大きな目標は掲げていないはず。 でも、その小さな存在のこども食堂が、地域に根を張って、間接的に地下で多くの根っこを張り巡らせれば、それはとても大きな力となって、結果的には日本を根底から支えるだけの原動力になるんじゃないかと思った。 自然界の森の木々たちのように。 彼らは、地下のネットワークを通して、情報を交換しあい、お互いに共存していく道を探っているという。 こども食堂は、災害などが起こるたびに数を増やしてきた。…

TKG

なんだか昨日から頭がぼんやりする。 朝、ベランダで洗濯物を干していたら、鼻の奥がむず痒くなった。 多分、花粉が飛んでいるのだろう。 今年は、いつもより格段に花粉の量が多いのだとか。 春になるのは嬉しい反面、これがあるので憂鬱でもある。 憂鬱といえば、週末、たまには見てみるか、とテレビの情報番組を見ていたら、本当に憂鬱な気分になった。 日本の良さといえば、治安がいいこと、そして食べ物がおいしいこと。 それなのに、強盗という物騒な言葉が飛び交い、飲食店では客による迷惑行為が横行しているという。 治安が悪くなって、食べ物も安心して食べられなくなったら、日本の良さが半減するんじゃないかと心配になった。 フィリピンに潜伏していたという、強盗犯の主犯格とされる4人の顔。 でも、この人たちも、幼稚園の頃は、きっと無邪気に、僕は大きくなったら○○になりたいです、とか言っていたんだろうなぁ。 よもや、○○の中に強盗の文字は入っていなかったはず。 みんなと一緒にお遊戯とかして、可愛らしい寝顔を浮かべてお昼寝していたんだろうなぁ。 施設に収容されていたにもかかわらず、犯罪を止められなかったのだとしたら、ものすごく腹立たしい。 一方で、日本を脱出して海外に永住する人が増えているという。 その気持ちは、私も数年だけど海外にいたので、とてもよくわかる。 周りにいる日本人の人たちは、外側から日本を冷静に眺め、ものすごく日本を愛していた。 愛しているが故に、日本の現状を憂いてもいた。 若者たちは、職を求めて海外で働いているというし。 少子化、そして人口流出。 この先、日本はどうなってしまうのか。 全て政治のせいにするつもりはないけれど、この国で子どもを産んで育てれば楽しいとか、この国にいれば豊かな老後が送れるとか、そういう明るいビジョンが欠けているような気がしてならないのだ。 なんだかなぁ、と、ついため息が出てしまう。 今朝の新聞の投書欄には、この冬3回も家庭菜園からネギを盗まれた92歳の方の嘆きが掲載されていた。 1年半前にタネを蒔き、天塩にかけて育てたネギが、まだ食べられる部分を乱暴に残したままの状態で盗まれてしまったという。 けれど、その方は最後、こんな世の中では仕方がないと諦めていらっしゃった。 お気の毒で、言葉も出ない。 昨日の新聞に載っていた、福岡の、ある介護施設の施設長さんの言葉が印象的だった。 「足手まといな者のリストの1番目にいる人を犠牲にすれば、2番目の人が繰り上がって次の犠牲となります。それを繰り返すだけの社会は、ほどなく弱体化する。日本社会はその状態にあると思います。それが私たちの望む経済でしょうか」 胸にグサリと刺さる。 せめて、誰もが食べ物に困らず、安心して眠れる社会であってほしい。 そうそう、香港では、日本の卵が人気だとか。 TKGは、卵かけご飯。 日本にいると、卵を生のまま食べられるのは当たり前のように思われるけど、海外の卵だと、なかなか怖くて生食はできない。 ベルリンでも、よっぽどいい生産者からいい卵を買わないと、卵かけご飯はできなかった。 だから、卵かけご飯はご馳走だった。 生で食べられる卵も、日本が海外に誇れるもののひとつ。 そんなことを思い出して、ほんの少し、楽観的になってみる。

防寒対策

さっき、ゆりねと外を歩いていたら、道路を横断した先で、急にゆりねがおじさんの方へ近づいていった。 そのまま、おじさんの足元に体を寄せて、すりすりする。 基本、人懐こいゆりねだけど、そこまで自然に近づくのは珍しい。 おじさんも、しゃがんでゆりねをナデナデ。 マスクをしているので、顔はあまりわからないけど、とても優しそうな方だった。 それから、いつもの散歩コースに戻って遊歩道を歩いていたら、またおじさんがやってくる。 向こうから手を振って、ニコニコ顔でゆりねに近づいた。 今度はマスクを外しているので、表情がわかる。 ゆりねは、またおじさんの方へ吸い寄せらせ、まるで旧知の友人に再会したかの気やすさで、おじさんに撫でられていた。 目を細めたおじさんが言った。 「ちょうどね、1年前の1月28日に、うちのワンコが旅立ったんですよ。 だから昨日は、一歩も外に出られなくて。 でも今日は、お天気もいいし、外に出てみようと思ってね」 「何犬だったんですか?」 「コッカースパニエル。15歳と2ヶ月だったから、天寿を全うしたんですけどね」 おじさんにとって、この1年は、愛犬を失った悲しみと向き合う、辛い時間だったのだろう。 「ゆりねは偉いね」 おじさんと別れてから、ゆりねに話しかける。 だって、ゆりねはちゃーんと、自分の役割を果たしている。 きっと、ゆりねは何かをおじさんに感じたのだろう。 そういう優しさが、ゆりねには確かに備わっている。 自分を必要とする人の元へそっと自ら寄り添って、ふわりと抱きしめるような包容力が。 天性の才能かもしれない。 この冬は暖冬だと思っていたら、ここに来て寒波がやって来た。 雪こそ降らないものの、東京も寒い。 山小屋に、最強の防寒ブーツを置いてきたことが悔やまれる。 先日、新潟の山奥で湯治をしていた時、脱衣所で着替えていたら、隣合った女性にびっくりされた。 「随分、厳重ですね」 私の重ね着に驚いたらしい。 「お風呂上がりに、冷えちゃうと嫌なので」 私は言った。 防寒対策には、自信がある。 まず、最近のお気に入りは、マタニティー用のスパッツ。 スパッツと腹巻きが一体になったようなもので、これだと、お腹をすっぽりと覆ってくれるので暖かい。 私は、その上から毛糸のパンツを重ね着する。 これも、おへそまでしっかり隠れるタイプで、冬場は決して手放せない。 靴下は、もちろん、2枚重ねてはく。 最近気に入っているのは、登山用の靴下で、これはとてもしっかりしている。 あと、看護師さんなんかが勤務中に履く、膝上まである五本指ソックスも愛用している。 その上から更に保温性の高い分厚い靴下を履き、室内でもブーツを履く。…

湯治納豆

旧暦のお正月に合わせて、新潟の山奥へ湯治に来た。 さすが、日本有数の豪雪地帯だ。右を見ても左を見ても、雪景色。 分厚く積み重なる雪の層を前にして、この雪がお米を美味しくしてくれるんだなぁ、と思った。 お風呂に入って雪見風呂を楽しみ、お風呂上がりは雪見ビール、ご飯の時は雪見酒と、雪見放題だ。 最近の傾向として、私はメシよりフロだ。 ご飯かお風呂(温泉)、どっちか選ばなくちゃいけない究極の選択を迫られたら、温泉を選ぶ。 以前は、何よりもメシを優先していた。 でも、毎日温泉に入っていたら、何はさておきフロの人間になった。 今年に入ってから、まだ自宅のお風呂に1回も入っていない。 昨日から、温泉三昧だ。 まず、チェックインしてから連続4時間湯船に浸かり、夕飯の後も2時間半。 今日も、午前中3時間、夕方2時間。 多分、夕飯を食べてから、また3時間近く入るだろう。 子宮の中の羊水に浮かぶ胎児のごとく、ただただゆらゆらとお湯の中に体を解き放っている。 ほどけて、しまいには溶けてしまいそうなほど気持ちがいい。 ぬる湯なので、何時間でも入っていられる。 感心するのは、浴槽に一本も髪の毛が入っていないこと。 本当に、一本も、だ。 どんなに気をつけていても、髪の毛が入ってしまうもの。 それに遭遇すると、私はギャッとなってしまう。 仕方のないことなのだろうけど。 でも、それが皆無なのだ。 ここを利用する皆が、お湯に対して最大限の敬意を払っているというか、お湯をきれいに使おうという気持ちが根底にあって、とても清潔に保たれている気がする。 箱根にも一軒、ものすごく好きな日帰り湯があるけど、そこと匹敵するくらい、今回の温泉もお湯自体が神々しい。 温泉が、神様の化身みたいに感じる。 旧知の担当編集者に教えてもらって初めて泊まった宿だけど、ものすごくいい。 常連さんはまるで、実家に帰ってきたような気軽さでふらりとやって来る。 それを出迎える若女将と大女将のホスピタリティーも最高だ。 高級旅館のようなサービスはないけれど、随所に気が効いていて、必要十分を大いに満たしてくれる。 いい意味で放っておいてもらえるのが、ありがたい。 今夜は、夕食前のビールを我慢して、食事の時の日本酒からスタートしようと思っていたけれど、誘惑に負けた。 図書室の一角に冷蔵庫があって、そこにずらりとお酒やビールが並んでいる。 客はそこから好きな飲み物をとってよく、自分で伝票に書いてチェックアウトの時に精算してもらうシステムだ。 売店で買ったおかきをつまみに、飲み始めている。 幸せだ。 あくまで湯治なので、料理が目当てではないけれど、料理もものすごく美味しい。 そうなんです、そうなんです、私が食べたいのはまさにこれなんです! と大声で叫びたくなるくらい、湯治にドンピシャの料理だ。 おかずも、基本は肉、魚、天ぷら、お刺身とつくが、たくさん食べられない場合は2品まで間引くことができ、その分料金もお安くなる。 私も、2品省いてもらったが、それでも十分な量だった。…

ピーター・イズ・ピーター

急ぎで郵便物を出す必要があり、今しがた最寄りのポストまで夜道を歩いた。 夜なのに、町が明るくてびっくりする。 ポストまで歩いて行ける環境はありがたいけれど(山小屋からだったら、一番近くのポストまでも、多分歩くと30分近くかかってしまう)、あの森の夜の暗さが恋しくなった。 今頃、私の山小屋はどうしているかな? 寒さに負けず、元気にしているかな? 早く会いたくて、うずうずする。 ポストまで行く途中、普通に青信号を渡りかけたら、車が横断歩道に突っ込んできて、そのまま目の前を渡って走り去った。 はぁ? 思わず、中指を突き立てそうになるが、グッと堪えた。 逆恨みされて轢き殺されたら、あまりに無念すぎる。 自分はゆめゆめ、あんなドライバーにはなるまい、と心に誓った。 日本には、横断歩道を渡ろうとしても止まってくれない車が多すぎる。 しかも、今回の場合は、ちゃんと信号を見て渡っているのに。 思い出すと、いまだに腹立たしくて、むかむかする。 数日前の新聞に出ていた、池端慎之助さんの言葉が素晴らしくて、頭から離れない。 「1億人いれば1億通りの人間がいる。私は私。あなたはあなた。『ピーター・イズ・ピーター』」 特に日本にいると、どうしても右や左の人と自分を見較べて判断してしまうけれど、大事なのは、自分は自分の尺度で物事を決めること。 自分が幸福だと思えるなら、人からどう思われようと、関係ない。 今夜のメニューは、これ。 少し前に作ったトマト味のショートパスタを冷凍しておいて、解凍したのち、チーズをかけてオーブンで焼いてグラタン風にした。 今は、こういう、ちょっと気の抜けたご飯が好きだ。 ロングパスタはひとり分を作る気にならないけれど、ショートパスタなら、多めに作って、次の日とかにも持ち越せるので、最近の私は、もっぱらショートパスタのお世話になっている。 午前中、登場人物たちがビールを飲む場面を書いていたら、お風呂からの帰り道、自分もビールが飲みたくなってムラムラした。 でも、家に帰って冷蔵庫を探したら、冷えたビールがなくてがっかり。 代わりに、丹波ワイナリーの泡をあけた。 朝はものすごい寒いけど、きっと春はもうすぐそこまで来ている。 旧正月まで、あと少しだ。

お粥さん

お昼に、お粥を炊いた。 今日は七草粥の日。 ただ、七草は買っていなかったので、白粥を炊き、イクラの醤油漬けやキムチなど、冷蔵庫の残りをおかずにしていただく。 七草粥を食べるのは、旧暦の方が季節的にも合っている気がするので。 お粥さん、時々むしょうに食べたくなる。 お米はほんのちょっとなのに、ちゃんとした量のお粥ができて、経済的だ。 私は、小さいお猪口を使って、そこに白米を入れ、あとはお猪口6杯分の水で炊く。 ふっくら炊き上がると、すごく嬉しい。 真っ白で、雪原みたいだ。 じんわりとお腹に染みて、滋養が広がる。 お粥さんを食べると、心も体もリセットされる。 年末、部屋の掃除をしていて、香合入れの中から小銭が出てきた。 これは、母の唯一の形見だ。 数年前の暮れに、母が入院している病院へお見舞いに行ったら、認知症の症状が出始めていた母が、これで新幹線で帰りなさいと、引き出しにあった小銭をかき集めて私の手に渡したのだ。 香合入れに入っていたのは、500円玉硬貨が2枚と、100円玉硬貨が2枚。 合計1200円。 確か、あと10円玉とか50円玉とかもう少し額はあったのだが、その後に入った母との思い出の喫茶店で、他の小銭は使ってしまったのだ。 これで母と会うのは最期になるだろう、というのがわかったから、あの時は切なくて、喫茶店で号泣した。 年末年始になると、そのことを思い出す。 あれから、何年経ったのかな。 多分、6年。 その時の大晦日の紅白で、宇多田ヒカルさんが『花束を君に』を歌った年として記憶に刻まれているから、調べればすぐにわかる。 昨日は、母の命日だった。 父も母も、個別のお墓ではなく、共同墓に入っている。 私は、その選択が大正解だったと、お墓参りに行くたびに痛感する。 だって、献花で溢れているのだ。 いつも、自分の持ってきた花束をどこに置こうか考えてしまうほど。 そのお墓に眠っている関係者が誰かしら花を供えるので、いつ行っても賑やかなのだ。 今年は、静かでいいお正月だった。 東京だけでなく、全国的に見ても晴れ続きで、気持ちがいい。 今日も、夕方温泉へ。 だいぶ、日が長くなったような。 夕方5時を過ぎても、まだ空がぼんやりと明るかった。 季節は着実に、春に向かって進んでいる。 帰りに、大きな満月と遭遇した。 あけまして、おめでとうございます。 2023年が、皆様にとって、平和で、笑顔の絶えない年となりますように! 今年も、どうぞよろしくお願いします。 明日は、岐阜へ参ります。