もう、本当に本当にかっこいいのだ。 ノラコヤを作ってくれている職人さんたちが。 今回お願いした地元の工務店さんには、世界各地からインターンで若い子たちが日本の建築技術を学びに来ている。 外回りをお願いしている庭師さんチームにも、外国から来ている子たちがいて、英語を交えながら、本当に楽しそうに働いている。 彼らは、10時くらいになると皆さん一度仕事をやめて、ノラコヤに作った焚き火スペースに火をおこし、火の周りで和気藹々、談笑している。 笑顔が溢れる現場というのは、すごくいいなぁ。 そういう明るいエネルギーが、ノラコヤに蓄積されていくのが嬉しい。 ノラコヤの建設は、地元の工務店さんにお願いした。 なるべく近場の素材を使い、山小屋以上に地産地消を目指した。 自然素材で作る家は、どうしても価格が高くなる。 でも、この先こういう家は作れなくなるかもしれないという思いもあり、自然素材にこだわった。 壁は、外も中も長野産の土で作った土壁だ。 誰かがこういう家を作らなければ、職人さんだって技を活かせなくなってしまう。 工務店さんも庭師さんチームも、志ある若者が集まり、そこだけ切り取ればとても希望を感じるものの、おそらくこれはほんの一部で、こういう仕事を選ぶ若者はどんどん減っているのだろう。 だけど、家を建てるお金を稼げる人間より、自らの手で家を建てられる人間の方が、これからの時代は、強いのではないかと思うのだ。 そういう意味で、今回、ノラコヤ建設に携わってくださった若者たちは、本当に人生のいい選択をしたなぁ、と感心する。 日本が世界に売り込める要素は、文化だったり技術だったり、まだまだあるはずなのに。 低賃金でなんとか労働力を確保しようとしなくても、向こうから積極的に日本に来てくれる人たちが増えればいいのに、とつくづく思った。 極論かもしれないけれど、私はこれからの時代、一人一軒、家を持つのが理想的なのではないかと感じている。 だって、大都市に、特に東京に持ち家を持つのは、年々、非現実的になってきている。 でも、地方だったらそれが可能だ。 生活の必需品ともいえない高級車を所有するくらいなら、地方にある程度の土地を買って家を建てることの方が有意義では? と思うようになった。 どんなに小さくても、粗末でも、安心して帰れる「わが家」があれば、相当生きやすくなる。 特に、女性が家を持つことは、これから先、とてもいいことだと思うのだ。 住宅ローンだって、今なら安く組めるのだし。 子どもを産み、育てる、という明確な目的があれば別だけど、これからは結婚という制度を取り入れる人も少なくなっていくだろうし。 自分の家を持ち、確固とした自分の居場所があるだけで、将来への安心感は全然違ってくる。 衣と食はなんとかできるから、あとは住さえ確保できれば、相当生きやすくなるのでは? というのが私自身の考えだ。 昨日、NHKオンデマンドで斎藤幸平さんの『人新世の地球に生きる』を見て、すごく感動した。 彼の言っていることに、私は以前からとても共感している。 でも、いきなり脱成長と言われても、確かに賛同できない人たちがいるのも事実だろう。 私は、消費すること自体は、悪いことだと思わない。 ただ、何にお金を使うかが、大切なのだと思っている。 その選択次第で、まだまだ変えていけることはあるんじゃないかと思うのだ。 先日ノラコヤを見に行ったら、左官屋さんが自家製のこんにゃくをくれた。 刺身で食べるのが一番おいしさがわかると言われ、さっそく刺身で食べてみたのだが、もう、これまでのこんにゃく感がひっくり返るほど、見事な味わいだった。 ふわふわで、清らかで、こんにゃくがあんなにおいしい食べ物だったとは、半世紀以上も生きてきて、知らなかった。 長野県民になって良かったと思うのは、自然と共に生きる魅力的な人たちにたくさん出会えたこと。 皆さん生き生きとして、この地で生きることを楽しんでいる。 そのたびに、東京にいた頃の自分はなんて傲慢だったのだろう、と反省する。…