朝4時半に起床。 速やかに身支度を整え、5時に山小屋を出て、ノラコヤへ。 6時には野良仕事を開始する。 早朝に作業をしないと、暑くてもう無理なので。 今日は、昨日届いた苗をせっせと植えた。 おそらくこの春からだけで、ノラコヤの庭には百種類を遥かに超える数の植物を植えたはず。 根っこがつく来年の春を楽しみに待ちたい。 今日はゆりねの誕生日だ。 2014年の生まれだから、めでたく今日で11歳になる。 相変わらず食いしん坊で、相変わらずかわいい。 今はトリミング前で、まるでモップのようだけど、それでもかわいい。 どうしようもないくらい愛おしくて、大切な存在だ。 ゆりねは、私の太陽。 尽きることなく、我が人生に喜びや安らぎを与えてくれる。 『編むことは力』を、さっき読み終えた。 著者のロレッタ・ナポレオーニさんは、イタリア出身のエコノミスト。 ロンドンとアメリカに美しい家を持ち裕福な暮らしをしていた彼女だが、夫の裏切りにより全財産を失ってしまう。 想像を絶するほどの苦境の中、彼女の心を慰め、励まし、再び人生の舵をとるための光を与えてくれたのが編み物だった。 幼い彼女に編み物を教えてくれたのは、祖母である。 本の内容は、彼女の個人的なエッセイと、編み物を通して経済や社会を論じた二つの柱で成り立っており、彼女にしか書けない魅力的なもの。 編み物がそんなに奥深い社会的な行為だというのを、私は初めて知った。 どんなに間違っても、また解いて編み直すことができるというのは、編み物に限らず、人生もそうだとロレッタは言う。 まさに彼女は、編むことで、自分と向き合い、人生を軌道修正した。 その勇気ある行動に、拍手を送りたくなる。 住む家を失った彼女は、スーツケース二つと、編み物道具と毛糸の入った編み物用バッグ、コンピュータを持って世界一周の旅に出る。 編み物のおかげで、彼女は再び自らの人生に希望を見出せるようになった。 思い返すと、母は私の冬用の帽子や手袋を編んでくれた。 今、それらが手元にないのが残念でならないけど。 コタツに入って、黙々と指を動かしていた姿を覚えている。 本には、編み物にはセルフヒーリングの側面もあると書いてあり、なるほどと思った。 きっとその時の母も、無心になって何かの再構築をしていたのかもしれない。 毎年、今年こそは編み物に挑戦しようと思うのだが、私には未だ未知の世界だ。 ただ、私にとって文章を書くことは、編み物をしているのに近いと感じる。 こっちにある毛糸玉を、自分という針を通して、別の形に編んでいく。 編み物の一目一目が、言葉の一つ一つ。 そうやって、地道に世界を作っていく。 物語もまた、編み物の遠い親戚なのかもしれない。 ニッターにとって自らの人生と編むという行為が分かち難いものであるように、私にとっては書くことが、無上の喜びであると感じる。 書くことなしには生きられない。 昨日は夏至だった。…