霧氷の世界
朝起きて、森に目をやり、おや?
最初、雪が降ったのかと思ったのだが、どうも違うようだ。
数秒後、そうか、これが噂の霧氷か、とわかった。
やっと出会えた、霧氷の世界。
今シーズンは、もう現れないかと諦めていた。
前の日が曇りで、夜、風が全くなく、気温がグッと下がるなど、いくつかの気象条件が重なると霧氷が出現する。
裸の木の枝に、産毛のような霧氷が棘のようにまとわりついている。
手で触れば、すぐにスーッと消えてしまう。
霧氷は、とてもとても儚い。
新聞を読んでいたら、ご近所さんから電話があった。
「出ましたね」
私が言うと、
「うちの霧氷を見に来ませんか?」
とのお誘いをいただく。
若干だが標高が違うので、霧氷の現れ方も違うのだという。
せっかくなので、カメラ片手に朝の散歩へ繰り出した。
ふだん、その時間帯に森を歩くことはほぼないので、新鮮だった。
見渡す限り、霧氷の世界が広がっている。
本当に綺麗だ。
一番の芸術家は自然だと、改めて思う。
こんな美しい世界を、人間の手で生み出すことはできない。
日の出の頃は曇っていた空が、ご近所さんのリビングでコーヒーをいただくうちに晴れてきて、最後は青空と霧氷のコントラストを満喫した。
この冬は、季節が一ヶ月も早く進んでいるという。
例年ならまだ雪景色のはずが、もう森にも雪はほとんど残っていない。
春に向けて猪突猛進しているかと思っていたら、最後の最後に、こんなにも美しい光景に出会えた。
森を歩いているだけで、幸せになる。
小一時間お喋りして、自分の山小屋に戻って、ホッと一息ついていたら、もう霧氷は消えてしまった。
ほんの一瞬で、まるで幻を見たような気分になる。
おそらく、次に霧氷が現れるのは、来冬だ。
先日、なんとなくタイトルと装丁が気になって、一冊、本を買った。
内容も著者名も知らないのだが、その本をパッと見た時、なぜかある友人の顔が浮かび、もしも自分が読んでみて内容が良かったら、その友人にプレゼントしようと思っていた。
友人は、美術家である。
それを、昨日読んでいた。
読んでいる最中も、なぜか友人のことが何度も何度も脳裏をよぎった。
そして、読み進めていたら、なんと、話の中に美術家の友人の名前が出てきたのだ。
びっくりした。
きっとその文章を読んだら、友人は喜ぶに違いない。
そして、伝える手段はないけれど、その著者も、私が友人にその本を送ったら喜ぶに違いない。
こういうことは間々あるけれど、自分の直感が外れていなかったことに、自分でもちょっと嬉しくなる。
今日は、カメラマンの鳥巣さんが山小屋に遊びに来る。
そういえば鳥巣さんまだ山小屋に来てないなぁ、と思っていたら、連絡が来た。
ほぼ一日前の昨日連絡があって、今日やって来る。
ちょうど私がリラックスモードの時期で、すんなり決まったのだ。
せっかくだから、彼女に霧氷の世界を味わってほしかったんだけど。
もう、森はいつもの姿に戻っている。
お昼はフキノトウのパスタを作って、鳥巣さんと一緒に食べよう。