三つ子の魂

ララちゃんが、ひとりで山小屋へ遊びに来た。
彼女は、この春から高校3年生になる。

まずは、駅まで迎えに行って、カレーを食べる。
里の桜が、見事に満開だ。
古い古民家を改装した、とっても素敵なカレー屋さんだった。

それから温泉に入って、買い物をして、湧水の出る神社で水を汲み、ついでに水場に自生している野芹を摘む。
だって、晩ご飯のメニューは、ララちゃんの好きな、きりたんぽ鍋だから。
きりたんぽに、芹は欠かせない。

それにしても、大きくなったなぁ。
もうすっかり、お年頃の女の子だ。
小さい時のかわいらしさはそのままで、そこに女の子らしさが加わって、本当に野の花みたいな美しさだ。
愛情を込めて大事に大事に育てられると、こうなるんだな、という、まさにそんなお手本みたい。

素直だけど、遠慮せずにちゃんと自分の意見も言い、こうしたいとか、これは苦手とか、言ってくれるからとても助かる。
あー、かわいい。
私も、このくらいの子どもがいたっておかしくないのだなぁ。
でも、ララちゃんはあくまで、私にとって「友達」だ。

ララちゃんは、小さい頃から、私の家によく泊まりに来ていた。
一緒にお風呂に行って、ご飯を食べて、一緒に遊んで。
本当に、特別な時間だった。

ある時、きりたんぽ鍋を作ってあげたら、ものすっごく喜んで、ララちゃんは、あまりの嬉しさにぐるぐるぐるぐるテーブルの周りを走り回ったっけ。
以来、「何か食べたいものある?」と聞くと、決まって、きりたんぽ鍋の答えが返ってきた。
最後に作ってあげたのは、いつだったろう?

今回、ララちゃんが遊びに来ることになって、何を作ってあげようか、色々考えた。
最初は、ソーセージがいいかな、とか思っていたのだ。
でも、その日の朝になって、ふと、まだ肌寒いし、鍋がいいかも、と思い、鍋だったらやっぱきりたんぽだよなぁ、という結論に至ったのだ。
それで、朝、ご飯を炊いて、だまこ餅を作った。
私は、いわゆる棒状のきりたんぽではなく、ご飯を半殺しにしてそれを小さなおにぎりみたいに丸めてグリルで焼いた、だまこ餅を使う。

ララちゃんが、もりもりときりたんぽを食べてくれた。
その姿を見て、自分も高校生の頃はそうだったよなぁ、と懐かしくなった。
食欲旺盛、いくらでも食べられるお年頃だ。
それだけ、いっぱいいっぱいエネルギーを消費して生きているのだろう。
一緒に摘んできた野芹は、香りがよく、野生味たっぷりの味だった。

それから、外に出て星空を見る。
もう、春の夜空だ。
本当は、冬の夜空の、あのゾッとするくらい星が散らばる満点の星たちを見せてあげたかった。
それでも、ララちゃんは大いに興奮していたけど。
ふたりとも心地よい疲れで、9時くらいにはそれぞれのベッドに入って就寝した。

翌朝は、パンケーキを焼いた。
そうなのだ、ララちゃんがお泊りにくると、朝ご飯は決まってパンケーキだった。
ララちゃんは、自分で自分のパンケーキを焼いて食べていたっけ。
今回は、私が焼いてあげた。
朝も、もりもり。
元気よく食べてくれると、こちらとしても作りがいがある。

その後は、朝風呂に入りに温泉へ行き、お昼は隣町のパン屋さんでランチを食べる。
ララちゃんは、すっかり森での暮らしを気に入ってくれたみたいだ。
こんなふうにララちゃんとふたりで楽しい時間を過ごせたことが、最高の幸せだと感じた。
きりたんぽ鍋もパンケーキも、ララちゃんの魂に、しっかり刻み込まれている。
まさに、三つ子の魂百までだ。

きっと、そう遠くない未来に、ボーイフレンドを連れてきたりもするんだろうな。
ララちゃん、ちょっと前まであんなに小さかったのに。
人生ってあっという間だな、としみじみ思った。

今、坂本龍一さんの最後の作品となったアルバム、『12』を聴いている。
夜の森に、染み入るよう。
自然に、スーッと違和感なく溶け込んでいく。
亡くなったのは残念で仕方がないけれど、最後の最後まで音楽家として音作りに励めたことは、本当に幸せなことだと思う。
ご冥福を、お祈りします。