里暮らし
週の半ばから、ノラコヤで寝起きしている。
ノラコヤに関しては、性格も特徴もまだまだわからない。
山小屋も、息が合うまでに3年かかった。
だからノラコヤとも、焦らずにこれから少しずつ距離を縮め、いつかは肌の延長のように馴染むことができればいいと思っている。
初日、ゆりねは階段を上がることができなかった。
山小屋より、少し急なのだ。
どんなにおやつを差し出しても、足を踏み出すことができずにいた。
けれど、二日目、私が2階にいたら、タタン、タタン、とゆっくりと、だが確実に階段を上がってくる音がして、自力で2階まで来ることができた。
ゆりねは今10歳で、今年11歳になる。
人間の年齢に当てはめたら、相当なお歳なのだ。
それでも、新しいことに挑み、昨日出来なかったことが今日はできるようになった姿に、感激した。
ゆりねにとっては、大きなチャレンジだったに違いない。
ノラコヤからは、富士山が見える。
朝、その姿を見られることが、楽しみで仕方がない。
森には森の、里には里の、美しさがある。
標高差が900メートルあるので、山小屋とノラコヤでは、気候が全然違う。
やっぱり、山はそれなりに過酷なのだ。
というわけで、私は久しぶりにお気楽な里暮らしを満喫している。
里は便利だ。
ノラコヤから山小屋までは、車で30分ほど。
二拠点がそのくらいで移動できると、暮らしはかなり楽になる。
この一年、大変ではあったけど、思い切ってこの方向に舵を切って正解だった。
今日は昼間、ちょっとだけ山小屋の様子を見に行ってきた。
だいぶ雪が解けている。
数日ぶりに会う山小屋に、再会の喜びを伝えながら玄関へ向かうと、おや? 見慣れぬものが玄関前に置いてある。
それは、小さくて丸い、黒い毛のかたまりだった。
そしてよく見ると、小さな小さな手足がある。
ネズミ? ヤマネ??
しかも死んでいる。
どうしてここで?
何かに襲われた形跡もなく、玄関のドアの前でひっそりと息絶えていた。
こんなこと、これまでに一度もない。
あまりの寒さに、凍死してしまったのだろうか。
本当は、暖を求めて山小屋の中に入りたかったのだろうか。
わからないことだらけだったけど、コンクリートの上では冷たくて可哀想なので、亡骸をスコップにのせて、土の上に運び、落ち葉を被せて埋葬した。
これは一体、どんなメッセージなのか?
ノラコヤには冷蔵庫がない。
冷蔵庫がなくてもやっていけるかどうかの実験である。
ついでに、換気扇もない。
ここでは、なるべく電気に頼らずに生活したいと考えている。
冷蔵庫がないので、ちょくちょく買い物に行く。
が、野菜が高くてなかなか手が出ない。
ここですら、こんな値段なのだ。
都会では、どうなってしまっているのだろう。
だから、春が来たら、早く畑で野菜を育てたい。
自分に畑の才能があるとはなかなか思えないのだが、まずは何か植えて育ててみよう。
幸い、ノラコヤの周りは畑だらけで、お手本がたくさんある。
ここ数日、農家さんは畑の枯れ草に火をつけて、焼畑をしている。
今はそういう時期なのだろう。
気温が低くなると、温泉が混む。
農作業ができないから。
でも春になって、仕事が忙しくなると、温泉はガラガラだ。
そういうことも、少しずつわかってきた。
みなさん、お天道様と共に生きている。