栗と温泉
栗が届いた。
箱を開けた瞬間、あ、と固まり、一瞬目を逸らして見なかったことにしそうになる。
今年は、道の駅や産直でその姿が見えそうになると、あえて近くを通るのを避けてきたのだ。
インドに行って山小屋を不在にしていた分、この時期はやることがいっぱいある。
栗は好きだけど、今、自分でちまちま落ち着いて仕事ができるほどの心の余裕がない。
それに、ここ数年はおいしい栗の渋皮煮を作って送ってくださる方がいるのである。
とは言え、栗も生きているしなぁ。
見れば、立派な丹波の栗。
とりあえず、大きい鉄鍋にお湯を沸かし、熱湯に放り込んだ。
あぁ、栗が来ちゃったよ、と内心ぼやきながら。
栗の皮剥きは、本当に本当に難儀な仕事だ。
随分昔のことになるけれど、以前、中津川の栗きんとんの取材に伺ったことがある。
私は当然、機械で栗の皮を剥いているのだろう、と思っていた。
でも、全て手作業で剥いていると聞いて、目が点になった。
途方もない仕事だ。
栗の皮剥きの仕事に従事される方達は、さぞ忍耐強いのだろう、と想像する。
イライラしながら栗の皮剥きなんかしたら、すぐに指が血だらけになってしまう。
鬼皮だけ剥くのだって、一苦労だ。
剥いても剥いても、まだ栗が鍋の底から顔を出す。
最後の一個を剥き終わる頃には、手がガチガチになっていた。
しかし、これで終わりではない。
むしろここからがスタートで、これから渋皮煮にするのである。
美味しい渋皮煮が届くと書いたけれど、今まだ届いていないということは、今年は私の分まで回ってこないのかもしれないし。
せっかくこんなに上等な栗があるのだから、やってみようじゃないか、という気に少しずつなってきた。
重曹を入れたお湯で20分ゆらゆら煮ては、水を変えて、またゆらゆら煮て、水を変えて。
ほぼ付きっきりで、お世話をする。
弱火で火を通すのは、栗が割れないようにするため。
そのため、慎重に慎重に火を入れる。
回を重ねるごとに、栗は柔らかくなるけれど、その分繊細ですぐに形が崩れてしまう。
途中で崩壊した栗は、味見も兼ねて、メープルシロップをかけて自分で食べた。
きっと、毎年送ってくださる渋皮煮の名人も、自分では崩れたのを食べ、形のきれいなものだけを、プレゼントしているのだろう、などと勝手に想像する。
でも、少しずつ渋皮煮に近づいていくと、嬉しく、栗たちへの情も深まってくる。
最後は、甘いシロップに浸し、薪ストーブの上に置いて、じっくりじっくり火を通す。
鍋に入れたまま、味を染み込ませた。
その間、私は温泉へ行ってきた。
いつもの日帰り湯ではなく、「休憩」と名のついた、部屋も借りられるちょっと贅沢な過ごし方をする。
そこの温泉のお湯が好きで好きで、去年の今頃通い詰めていたのだが、この春、施設の老朽化のため閉鎖になってしまい、そこに行けなくなっていた。
再開を待ち望んでいた矢先、他の旅館で「休憩」のサービスがあることを知り、早速行ってみたのである。
外から見る限りは、ザ・昭和。
その建物を見るたびに、うーん、ここに泊まるのは勇気がいるなぁ、なんて思っていた。
やっぱり中も、ザ・昭和だった。
昔は、こういう宿に新婚旅行で訪れたのかもしれない。
でも、なんだか風情があって良いのだ。
和室にコタツがあり、窓辺には椅子も2脚ある。
何より、掃除が行き届いていて、とても清潔。
だから、古い建物独特の淀んだ嫌な感じがなく、風通しがいいというか、常に空気が動いていて、空間自体に活気がある。
川沿いの部屋には常に水の流れる音が響き、ポットもあるし、ここで半日くつろぐことができるのは、なかなかありがたいと思った。
とは言え、私はお風呂が目当てなので、部屋はほとんど使わないのだけど。
やっぱりお湯が、素晴らしかった。
湯船でご一緒した方は、皆さん東京から、2泊3日で湯治にいらしているとのこと。
毎月来ているような強者ばかりで、それもこれも、お湯の魅力が人を引きつけるのだろうと感じた。
なんていうか、体が解けそうになる、しみじみとありがたい温泉なのだ。
お掃除の時間は内湯に入れないとか色々制約があるため、皆さん、時間割を組んで上手に移動する。
私は、内湯の後、お昼を食べに近くのうどん屋さんへ。
大きな温泉施設が閉鎖になり、お店がどうなっているだろうかと心配していたけど、ご健在でホッとした。
もりもりうどんを食べたい気分だったので、鳥天カレーうどんを注文する。
一口食べて、また来週もここに来ようと決めた。
うどんの後は、少し山道を上った所にある岩風呂へ。
もう、最高だった。
源泉は20度とかなり冷たいのだけど、源泉とあったかいお湯を交互に行き来して、お湯と馴染む。
内湯で顔見知りになった方達と、「私は3まで」とか、「私は5まで」(時計の長い針が指す数字)とか言い合いながら、冷たい源泉に体を浸した。
ずっと長く入っていたら、えらいえらいと褒められたりなんかして。
改めて、裸の付き合いはいいなぁ、温泉は神様だなぁ、と実感する。
それから再度内湯へと移動し、滞在可能な5時間をフルに満喫した。
今日でどんな様子かわかったので、次回はもっと楽しめるようにあれこれと準備を整えたい。
帰り際、来週も来ようと予約をお願いしたら、もう満室とのこと。
私が外観の雰囲気だけでちょっと敬遠していた昭和の宿は、なかなかの人気者だったのだ。
先入観っていけない。人も建物も、見た目で判断すると損をする。
またひとつ、大好きな温泉が増えた。
身も心もピカピカに浄化された気分だ。
山小屋に戻り、最後の栗仕事に精を出す。
栗と温泉、どちらも最高。