春待ち庭

ダンボールいっぱいの春が届いた。
中身は、球根。
それで今日は、朝からせっせと球根を植えた。
お庭仕事にはもってこいの土曜日。
春を待つ庭を作るべく、汗を流す。

リスは、この季節、胡桃を拾って土の中に埋める。
忘れられた胡桃が芽を出すと、やがて森が生まれる。

私がやっているのも、似たようなこと。
球根を埋めたそばから土で蓋をするので、すぐに、どこに埋めたかわからなくなる。
これは、自分へのサプライズだ。
厳しい冬を乗り越えた自分自身へのご褒美を、今のうちから仕込んでおく。
もう、春が待ち遠しい。

でも、その前に冬だ。
寒い寒い冬を乗り切ってこそ、春の日差しの温もりに感謝できる。
春を迎える前に、森は一回死ぬ。
完全に死んではいないのだけど、完全に死んだように見える。
そこで、全てがリセットされて、また新しい命が芽吹いてくる。

今年は、どんな冬景色が見られるのかな。
なるべく長く山小屋にいて、冬をたっぷりと味わいたい。

今日植えた球根は、水仙と百合。
ダンボールいっぱいあったのに、地面に隠してしまうと、物足りなく感じる。
この庭のどこかに宝石のように咲く花の源が潜んでいるかと思うと、ワクワクする。
どうか、シーに食べられることなく、春になったら、無事に芽を出し、花を咲かせますように。

今日、ぼんやり森を見ていたら、3本脚のシーがいた。
体毛を濃くした、立派なオス鹿だった。
おそらく去年、私の森の木の枝にぶら下がっていた脚の持ち主だろう。
後ろ脚を一本失っても、無事に冬を越し、生き延びたのだ。
そのことに、少し安堵した。

もしも、鹿じゃなくて、馬だったら、どうだったんだろう、なんてことを、昨日から考えている。
野生の馬が森にいたら、私はどう感じるんだろう。
おそらく、嬉しい。
与那国島には野生の馬がいるけど、増えすぎて人間との共存が難しくなっている、なんて問題はないのだろうか。
ヒマラヤにも、川の辺りに佇む野生の馬がいて、それはそれは美しかった。

遠くから見たら、鹿も馬も大差はないはずなのに、鹿はノーで馬はOKという道理も、それはやっぱり矛盾している。
鹿だって、見た目は馬と同じくらい愛らしいし、美しい。
馬とて、同じように増えすぎて森を荒らしたりすれば、やっぱり厄介者になってしまうに違いない。
と思ってちょっと調べたら、オーストラリアでは野生の馬が生態系に悪影響を及ぼすため、害獣として駆除されているとのこと。
殺処分にしろ駆除にしろ、人間の都合で動物の命を奪うというのは、本当に本当に心苦しい。

先日、近所にできた小さな本屋さんで、『人間がいなくなった後の自然』という本を買った。
まだ読んでいないけれど。
私たち人間がこの星から退散したら、自然はどんな姿になるのだろう。

明日は、鳥の巣箱を作りに行く。