小鳥とリムジン
本日、配本。
ということで、温泉から戻ってから、ひとり静かに物語の誕生を祝して乾杯した。
思い返せば、ここに辿り着くまでに、本当に色々あったなぁ。
もう次の作品は書けないんじゃないかと、本気で思っていたし。
『小鳥とリムジン』は、この山小屋で書いた物語、第一号だ。
どんなに順風満帆に追い風を受けながらルンルン気分でスキップしていても、すっ転ぶときはすっ転ぶ。
どんな人もそう。
すっ転んだり、穴に落ちたり。
そのときは、もうダメだ、生きていけない、と思う。
血を流し、たんこぶを作り、アザができて、痛くて、苦しくて、もう二度と笑ったりできないんじゃないか、と人生を悲観する。
私も、そうだった。
思いっきりすっ転び、ズボッと穴にはまって、身動きがとれない時期があった。
それでも今、私はご機嫌で森で暮らしている。
その現実を、あの頃の自分は全く想像できなかった。
でも、奇跡みたいなその現実が、実際に起きている。
多分これが、自然治癒力なんだと思う。
私は、大自然に本当に本当に助けられた。
そして、大自然が私に教えてくれた多くのことが、物語に反映されている。
人間関係で苦しんだり、自分が病気になったり、大切な人を失ったり、どうしたって人生には思わぬ辛苦がつきものだ。
もう、そういうのはあって当たり前と、はなから想定しておいた方がいいと思う。
でも、避けられる苦難は、出逢わないに越したことはないはず。
小鳥の人生は、相当に過酷だ。
これまで書いた物語の主人公の中でも、群を抜いている。
それでも、私は小鳥に幸せになってほしかった。
ハードな人生を背負わされたけど、思いっきりハッピーになってほしかったのだ。
どんなに大変な人生でも、最後、笑って死ねたら、もうそれでその人の人生そのものが肯定され、良きものになると信じているから。
生まれたからには、誰しもが幸せになる権利がある、と思うから。
私たちは、幸せになるために誕生したのだと思いたい。
今は、本当に過酷な時代だと思う。
自然環境もそうだし、社会もそう。
国内もそうだし、地球規模でも、もう何が起きても不思議じゃない。
日々、最短で最大の成果が求められるような息苦しい世の中で、心身の健康を損なわないでいること方が難しいんじゃないだろうか。
誰しもが、どこかに不調を抱えながらギリギリのところで生きている。
だから、自然治癒力が大事なんじゃないか、と思うのだ。
他人の力に頼るのではなく、自分で自分の傷の手当てができたら、もっと楽になるはず。
自然治癒力や生命力は、本来誰もが持って生まれてくるのだと思うけど、自然から離れた現代的な生活を続けると、どんどん目減りしていってしまう。
物語は、良いイメージトレーニングになる。
自分の癖を、物語を読むことによって、修正したり、選択肢を増やしたり、することができる。
私は、そんな物語の力を信じたい。
物語を書くことは、私にとって、聖域中の聖域に足を踏み入れるようなもの。
神聖で、汚れのない心で、祈るような気持ちで毎回書いている。
どうか、この物語を必要とする人の手に、『小鳥とリムジン』がちゃんと届きますように。