冬支度
ノラコヤに植えたツリーバジルが、ぐんぐん伸びてきた。
ツリーバジル、またの名を、ヴァナ・トゥルシーと言い、トゥルシー同様、とても神聖な植物だ。
インドでは、聖なるハーブとされていて、アーユルヴェーダでよく使われる。
トゥルシーは、ホーリーバジルとも呼ばれている。
とにかく、私はこのお茶が大好きなのだ。
飲むと、胸がスーッとする。
なぜかこの春、別々のルートで3人から、ほぼ同時期にホーリーバジルのお茶をいただいた。
偶然とは思えない確率で、みんながみんな私にホーリーバジルをくれるので、私はすっかりその味に魅了されてしまったのだ。
きっと、その時の私にホーリーバジルが必要だったのかもしれない。
畑ができるようになったら、まずホーリーバジルを植えようと思っていた。
それで、いつも買いに行く苗屋さんに行って探したのだが、ホーリーバジルは品切れで、葉っぱから同じような香りがするというツリーバジルがあったので、それを2本買い、すぐに植えたのだ。
行くたびに背が伸びていて、一体この子たちはどこまで大きくなるんだろう、と脅威にすら思っていた。
そのツリーバジルの葉っぱを、この間の大潮の日、ありがとう、の感謝の気持ちを伝えながら、摘み取った。
そして、山小屋に持って帰って、ザルに広げて乾燥させた。
生の葉っぱはそんなに匂わないので、ちゃんとお茶になるのか半信半疑だったけど。
今日、東京からお客様が3人いらした。
それでふと、食後にツリーバジルのお茶を飲んでみようかと思って、やってみたのだ。
いい感じに葉っぱが乾いたので、手で細かくしてから、急須に入れて熱湯を注ぐ。
飲むと、びっくりするくらい、おいしかった。
スパイシーで、ほのかに甘い。
ツリーバジルとはまた少し違う味わいだけど、やっぱり飲むと胸がスーッとしずまる。
なんて美しい味わいなんだろう。
来年はもう少し本数を増やして、ツリーバジルを育てよう。
それにしても、なんだか忙しい。
森、ノラコヤ、ノラコヤ、森、と日々やることがたくさんある。
特に森の山小屋の方は冬が迫っているので、今まさに冬支度をしなくちゃいけないのだ。
ずっと出しっぱなしにしてあったホースを片付け、薪の整理をし、薬草たちが冬ごもりするための落ち葉のお布団をかけてと、仕事はいくらでもある。
外に出していたテーブルもいったん畳んで定位置に戻さなくちゃいけないし、U字溝に詰まった落ち葉のかき出しもしなくちゃいけない。
1日が、あっという間に終わってしまう。
先日の雨で、森の葉っぱたちはすっかり落ちてしまった。
夏の間は葉っぱで見えなかった遠くの山の稜線も、窓からはっきり見ることができる。
山の姿が見えるようになると、冬が来るのを実感する。
あ、車のタイヤも、スタッドレスに変えなくちゃだ。
それでも、秋はゾッとするくらい美しい景色を見せてくれる。
晩秋はちょっと心が淋しくなるけど、その分、光の美しさが際立つ。
冬至に向けて、日に日に活動できる時間は短くなるが、その分、夜は長くなる。
今日は、郵便局に荷物を出しに行ったりしていたら、温泉から戻ってくるのに5時を過ぎてしまった。
5時15分くらいに山小屋に着くと、裸になった梢の向こうに、細い細い三日月が浮かんで、ものすごく綺麗だった。
思わず、エンジンを止めずに、その時かかっていたピアノの曲を最後まで聴いた。
それから外に出て、もう一度、月を見上げた。
吐く息が、白く濁る。
と、近くでカサカサと音がする。
薄闇の中に、一匹のシーがいた。
立派な角をはやした、オス鹿だった。
私との距離は、数メートル。
ノラコヤに通うようになってから、私の中にシーに対してのネガティブな感情はなくなった。
シーたちが以前より可愛いと思うし、車の近くにいたら、危ないからね、ぶつからないように注意するんだよ、と優しく声をかける。
後ろ姿を見かければ、どうしてシーのお尻はあんなに白いんだろうか、と毎回不思議に思う。
だって、どうしたってお尻が目立つのだ。
夏を過ぎた頃から、一頭、ものすごくよく鳴くシーがいる。
鹿の鳴き声は、ピーッという甲高い声で、知らないと人の悲鳴のように聞こえるかもしれない。
そのシーの声は更に凄まじく、立て付けの悪い木のドアを無理やり力ずくでこじ開けるような音なのだ。
しかも、夜中に至近距離で鳴く。
そのせいで、私は目を覚ましてしまうほど。
きっと、そのシーは夜になると山小屋の近くをねぐらにしているのだろう、と思っていた。
で、夕暮れ時に出会ったシー。
歩き方がおかしい、と思ったら、3本脚の鹿だった。
それで、私はすぐにピンと来た。
3年前の夏の終わり、森の大きな針葉樹の枝に、鹿の脚が一本、ぶら下がっていた。
まだ、森暮らしを始めて数ヶ月しか経っていなかった。
私は恐怖に震えて大騒ぎしてしまったけど、おそらく、あの脚を所有していたのが、彼なのだ。
俊敏な動きができないゆえに群れには入れず、単独行動しているのかもしれない。
だから、鳴いてばかりいるのかもしれない。
と、私は勝手に推測した。
「お腹空いてるの? またおいでね」
数メートル先にいる3本脚のシーに話しかけた。
彼は、私に近づいてはこなかったけど、逃げもせず、ただじーっとそこにいて私を見ていた。
一体、彼はどうして脚を一本、なくしてしまったのだろう。
彼がもし脚を失わなければ、また違った人生もあっただろうに。
でも、元気にちゃんと生きてくれていて、ホッとした。
見た感じ、そこまで痩せているという印象も受けない。
これから厳しい冬が来るけれど、またどこかで再会できたら嬉しい。
もしもあのシーと何らかの友情を育めるのなら、育んでみたいような気もする。
もしかすると、今もすぐ近くに身を潜めているのかもしれない。
今週末は、台湾だ。
高雄にある図書館に、招待していただいた。
台湾の読者の方とお会いできるのが、今から本当に楽しみです。