丸一年

森暮らしをはじめて、一年が経つ。
すごく早い。
これまでに生きてきた時間の中で、もっとも早いと感じた一年だった。
目の前の景色は刻一刻と変化して、一日だって同じ場所に止まっていない。
目まぐるしく変化する。
地球がぐるりと太陽の周りを一周し、その間に私は、夏、秋、冬、春とすべの季節を堪能した。
これでやっと、森での一年をなんとなく体感としてイメージできるようになった。

この一年で如実に感じたのは、自然のスピードの速さだ。
全然、もたもたなんてしていない。
一晩で、バーっと草木が芽吹いたかと思うと、一瞬にして裸木になったり。
植物たちの新陳代謝はものすごいスピードで行われていて、常に最新の状態が保たれている。
動的平衡は、体の中でも外でも、同じように行われている。
考えてみれば、地球だって、脅威的な速さで自転しているのだ。
自然は、駆け足でエネルギッシュに変化する。

なんといっても、この一年の、もっと大きな出会いは植物たちだ。
もちろん、今までだって植物はあった。
でも、彼らの偉大さ、賢さ、美しさに、日々心から触れるようになれたことが、この一年の最大のギフトかもしれない。

森暮らしも車の運転も、私はずっと自分には無理と思っていたけれど、やってみて本当に良かったと感じている。
やる前から無理だと決めつけてしまったら、そこで世界が閉じてしまう。
それは、とても勿体無いことだと思う。
だから、もし自分の周りで、やりたいことがあるのに立ち止まっている人がいたら、私は迷わずその人の背中を押す人間になりたい。
やってみてダメだったら、そこでまたどうするか、次の展開を考えればいい。

山小屋の窓からじーっと外の世界を見ていると、ははぁ、とか、ほほぅ、とか、そういうことだったのね、という発見がたくさんある。
その度に、自分がいかに何も知らないで生きてきたかを痛感する。
世界は私の知らないことだらけで、私が知っていることなんて、ほんと、アリの糞くらい小さい。

自然界は、常に神秘と美しさに満ちていて、こちら側さえそういう心づもりでいれば、いくらでも、なんの出し惜しみもせず、もっともっと、素晴らしさを見せてくれる。
山は、本当に気高くて、神々しい。
そういう地球の美しさに出会える度に、今、この星で生きていることを幸せに感じることができる。
40代の後半は、人生の、激痛を伴うほどの大改造だったけど、その痛みのおかげで、私は今、森に暮らしている。
60歳からこれをやろうとしても、体力的に、ちょっと難しかっただろうと思う。

私の人生に付き合ってくれているゆりねには、感謝しかない。
ゆりねには、鹿とか雷とか、本当に試練ばっかりで申し訳ないのだけど、彼女と共に夕方森を歩いていると、想像を絶するほどの幸福感に満たされるのだ。

少しでもゆりねが安心して暮らせることを願って、この春からせっせと庭に薬草を植えている。
最近また鹿が来るようになって、あともう少しで咲きそうになっていた花の蕾が喰われたり、やっと根っこがついたコシアブラの葉っぱが一枚残らず食べられたりすると、本当に落ち込むけれど、でも薬草たちのおかげで、私の庭には、ふわりと、爽やかな香りがするようになった。
庭に花が咲いている、それだけで心からの喜びを感じることができる。

森暮らし一周年を記念して、森で本を読むための椅子を買った。
この夏は、そこに座って本をたくさん読もうと思っている。