ハム富士
せっかく見本を送っていただいたので、『幸せって何だろう』を読む。
何に幸せを感じるかは、本当に人それぞれだ。
そうだよね! と大いに頷いたり、へぇ、そういう見方もあるんだぁ、と新しい世界が拓けたり。
で、ふと自分の状況を見て、あぁ、自分はこの瞬間も幸せだなぁ、と思った。
ゆりね、結構重たいけど。
今日1日を振り返っても、パラパラ漫画みたいに、幸せな瞬間は山ほどある。
まず、朝起きて富士山と対面する。
朝を迎えた里をゆりねと歩き(ゆりねのおトイレタイム)、ゆりねが元気よく排泄する姿を見るのも幸せ。
おいしいほうじ茶を飲むのも幸せ。
焚き火をするのも、
おいしいご飯を炊いて(やっと炊けるようになった!)、そこに納豆をかけて食べるのも、
コーヒーを飲みながら、お土産にいただいた焼き菓子を食べるのも幸せだ。
近所の温泉に行って、ミストサウナでおばちゃんと世間話をするのも幸せだし、
友人から手紙が来るのも幸せだ。
いろんな人の幸せについて読んだけれど、何人か共通していたのは、幸せのハードルを下げることが幸せにつながる、というものだった。
確かに確かに。
大きな幸せより、小さな幸せに焦点を当てた方が、幸せは断然見つけやすい。
あと、面白いな、と思ったのは、幸せって何? というお題を与えられて、幸福とは何かを客観的に分析しようとする派と、自分にとっての幸せを主観的に書く派がいるということ。
私は、後者だけど。
幸せは、頭で考えるよりも、体で感じる方がずっと得やすいのではないかと思う。
ノラコヤで、私は幸せな日々を満喫している。
だって富士山が、本当に本当に美しいのだ。
朝、富士山に会いたくて目を覚ます。
夜明けの頃、富士山は桃の果汁を絞ったような淡いピンク色に染まるのだ。
不思議だな、と思うのは、山小屋にいるときの方が朝、早く目が覚める。
そして、日の出も早い気がする。
標高が高いから、お日様が顔を出すのも早いのかな?
それと比べると、里の朝はゆっくり明ける。
三方を高い山に囲まれているから、お日様が出てくるのも遅いのかも。
その辺はまだちゃんとわかっていないけど、里にいると何だか朝寝坊をしたような気持ちになる。
今日は、かなり気温が高かった。
庭に植えてもらった梅や桜の蕾が膨らんでいる。
人も植物も、今か今かと春を待ち望んでいる。
私は早く庭仕事がしたい。
土が恋しくて仕方ないのだ。
朝同様、夕暮れ時も富士山にうっすらと色がつく。
雪山は、何故こんなに美しいのだろう。
上機嫌になり、ノラコヤに暮らし始めて、初めて外でワインを飲んだ。
明日から寒くなりそうなので、生ハムを開ける。
富士山を見ながらロゼワイン。
生ハムをつまみながら、あ、と思った。
富士山と生ハムが、同じ色をしている。
世の中にはいろんな◯◯富士が存在するけれど、今日は「ハム富士」だった。
冷蔵庫がないゆえ、ここ最近野菜ばかり食べていたので、久しぶりにお肉を食べて血が騒いだ。
ハム富士を眺めながら、生ハムをむしゃむしゃ。
幸せ以外のなんでもない。
山小屋は、まだまだ雪に覆われている。
標高が900メートルも違うと、見える景色もこんなに変わる。
そうそう、ちょっと前、山小屋の玄関先で息絶えていた生き物、あれはもしかするヒミズかもしれない。
日本固有種で、モグラ科に分類される哺乳類だとか。
「日不見・日見ず」で、モグラ同様、夜間のみ出歩き、日中は日のない場所に生息している。
何かの間違いで、つい、外に出てきてしまったのだろうか。
死んだヒミズは臭いらしく(でも私は感じなかったけど)、死骸を食べる動物は少ないという。
これが、今までにわかっている最新情報だ。
また明日くらいから寒くなりそう。
外に置いておいても大丈夫そうだから、久しぶりに牛乳を買ってこようかな。
冷蔵庫のない暮らしも、知恵と工夫と努力でなんとかなる。
というか、今は外が冷蔵庫になるので、なくても全然困らない。