ギフト
とても好きな神社がある。
お菓子を作っている友人が教えてくれたのだ。
その神社には湧水があり、その湧水がものすごくおいしい。
お白湯にして飲むと、その味わいがいっそう際立つ。
その場所には、たくさんの人がボトルを手に湧水を汲みに来る。
本当に本当に美しい場所で、そこにいるだけで心が潤い、幸せを感じることができる。
日本版、ルルドの泉だ。
フランスとドイツのテレビ局が私の番組を制作してくれることになり、事前のインタビューで好きな場所を聞かれた。
それで真っ先に思いついたのが、その神社だった。
鬱蒼とした木々に囲まれた、水の豊かな場所。
友人が遊びに来る時は、真っ先にその神社に案内しておいしい水を味わってもらい、瓶に水を汲んで帰ってくる。
ついでに、水辺に生えている芹も摘んできて、晩ごはんに食べるのがお決まりのコースだ。
ここは、とっておきの私の心のオアシス。
一昨日、その神社で撮影だったのだが、素敵な出会いがあった。
まずは、おばあちゃん。
小柄で、首にスカーフを巻いているおばあちゃんは、毎日、リュックを背負って、ここまで水を汲みに来るという。
「私、車運転しないからさ」とおばあちゃん。
「どのくらい歩いて来るんですか?」と私。
「15分くらいかな? 散歩がてらね。ほら、足腰丈夫にしておかんといかんからさ」
「今、おいくつですか?」
「いくつに見える? とうに80は過ぎてるよ」
そんな会話を交わした後、
「ほら、そんな瓶じゃ重たいでしょ。これだとね、畳めるから便利なの。あげるから使って」
と、自分のリュックの中から、コンビニで売っているお酒の紙パックを取り出した。
中には、たった今汲んだばかりの湧水が入っている。
「いいよ、いいよ、大丈夫。これはおばあちゃんのお水だから、家に持って帰って」
私が言うと、
「いいから、いいから、せっかくこうして出会えたんだから、貰ってくれればいいの」
おばあちゃんは絶対に譲らない。
なんて優しいんだろう。
なんだかおばあちゃんの愛情がじんわり心に沁みてしまい、私は思わず泣きそうになった。
湧水がパンパンに入った松竹梅の紙パックを、私はありがたく頂戴した。
それから話題を変え、私が芹について尋ねると、
「せっかく今あなたいい靴履いているから、いい場所教えてあげる。こっち来て」
と、ワサビ田の方へ案内してくれた。
これまで、私はもっと下の用水路のところで芹を摘んでいたのだ。
でも、こっちの方がいいという。
躊躇う私に、
「私、ここでワサビ育ててる人知ってるから、大丈夫」と背中を押す。
転ばないように気をつけながら、長靴の私は、ワサビ田に生えている芹を摘んだ。
同じ場所にクレソンも生えている。
と、おばあちゃんの隣に、もうひとり女性が現れた。
彼女も、芹を摘む私を興味深そうに見守っている。
「お持ち帰りになりますか?」
私が質問すると、にっこりされたので、彼女の分の芹とクレソンも摘んで、袋に入れて手渡した。
彼女は、今日初めてこの神社に来たという。
なんとなく具合が悪かったのだが、水がおいしいと聞いていたので、ナビにこの神社を入れて、車を走らせてきたというのだ。
なんと、彼女は、私の本をたくさん読んでくださっている方だった。
そして、いつか私に会いたいと思っていてくれたそうなのだ。
彼女はKさんといって、食べ物に関わるお仕事をされているそうで、最近独立したばかりとのこと。
それが、子ども食堂も兼ねた素敵な食堂だというのも、なんという不思議なご縁。
こんなにも素敵な方が自分の本を読んでくださっていると思うと、私はもう本当に本当に胸が熱くなってしまう。
私は、自分の読者の方と出会うたびに、毎回、背筋が伸びる思いを経験する。
こういう出会いは、決して偶然ではないと、今の私はそう思うようになった。
私が出会う人も出来事も、全て、私にとって必要なもの。
おばあちゃんにも彼女にも、私は出会うべくしてベストなタイミングで会ったのだろう。
私は、その神社に心の底から感謝した。
全てが、美しくてかけがえのないギフト。
ちなみに、どうしてその時私が長靴を履いていたかというと、その前に、ある農園に行って筍を掘らせていただいたから。
そこもまた素晴らしく、桃源郷のような場所だった。
翌朝、おばあちゃんにいただいた湧水で、カツオと昆布の出汁をとり、それでアク抜きをした筍と鶏ひき肉、芹を使って筍の炊き合わせを作った。
鶏ひき肉はスーパーで買ったものだけど、それ以外の水も筍も芹も、ごくごく近い場所からいただいたもの。
そのことが、とてつもなく豊かに感じた。
松竹梅の紙パックは、正直、私の山小屋には似つかわしくないのだけど、もうこれは神様からのギフトだと思って、これからは、水を汲みに行く際、ありがたく使わせていただくつもりだ。
私の、お守りかもしれない。
また、おばあちゃんにもKさんにも、逢えますように。