祝福
右を見ても、左を見ても、キラキラ、キラキラ、キラキラ、キラキラ。
樹氷の上に雪が積もり、それがまたお日様の光で雪がとけて、木々の枝という枝にできた氷が、青空の下で輝いている。
もう、この世の景色とは思えない。
世界は、クリスタルで作られているかのように美しい。
あまりの美しさに圧倒され、私は、昨日からため息ばかりついている。
こんなにすごい樹氷が見られるのは、10年に1回あるかないか、とのこと。
車を走らせている時も、うわぁ、うわぁ、と目を奪われてばかりだ。
森は完璧なまでの静寂に包まれ、窓の向こうには氷の世界が広がる。
こういう時こそお客さんにこの景色を味わって欲しいと思うのだが、誰も来ない。
だから毎日、ゆりねと黙々と雪道を散歩して、ひとり、はしゃいでいる。
ただ、枝という枝に氷と雪がまとわりついているので、相当重くなっているのだろう。
枝や幹が、ぐにゃりと前屈している。
中には、嘘でしょう、と思えるほど立派な幹が、途中で無惨に折れてしまっている。
折れた幹が道路を塞ぎ、そういうことがあちらこちらで起きている。
改めて、自然の厳しさを思い知る。
美しさと厳しさは、常に背中合わせだ。
本当に、冬を越すというのは、大変なことなのだ。
数々の試練を乗り越えて、やっと春を迎えることができる。
だから、いくつもの冬を耐えて生き延びている木々は、本当にたくましい存在だ。
ひょろひょろっとして一見頼りなく見える木も、だからこそ、柔軟に枝をしならせ、環境に耐えられた結果、今まで生き延びられたと言えるのかもしれない。
雪が溶けたら、きっと、あちこちに折れた枝が積まれるのだろう。
そういう枝は、短く切って、乾燥させ、極力無駄にせず薪としてしたい。
それが、せめてもの私ができること。
このひかりかがやく森を、なかなか写真では写せないのが本当に本当にもどかしい。
全然、こんなんじゃない。
実際は、もっともっと、すごいのだ。
たとえるなら、神様から祝福を受けているような、そんな光景。
自分が祝福されているわけでもなんでもないのに、そう錯覚させてしまうほど、美しいのです。