朝の光

明け方まで雨が降っていたのだけど、止んだら見事な青空が広がった。
朝の光は何よりのご馳走だ。
身体の中の全ての細胞が、喜びに満たされる。

一昨日から、友人が山小屋に遊びに来ていた。
先々月東京で初めて会って、今回が2回目。
その人は私より一回り歳上で、私を糸ちゃんと呼んでくれる数少ない友人の一人で、素晴らしい芸術家。
とても繊細で美しく、けれど生命力の強い作品を生み出す。
私も、彼女が作り出す世界の大ファンだ。
出不精のその人が、はるばる山小屋まで来てくれた。
私がリクエストした、ヴァージンじゃない普通のオリーブオイルを携えて。

山小屋は、完全にひとり仕様だ。
あえてゲストルームは作らなかった。
そこまでの予算がなかったという現実的な理由もあるけれど、私は意図的にゲストルームを設けなかった。
森の中でまで、大人数でワイワイやるつもりは毛頭ない。

基本は、私がゆりねと共に静かに過ごす場所であり、仕事場という意味合いが強い。
だから、この山小屋にファミリーで泊まったり、複数の友人を呼んで合宿のように賑やかに過ごす、というのは、はなから想定していない。
そういうことをしたいゲストには、近くにいくつか宿泊施設があるので、そこを紹介するようにしている。

ただ、ソファベッドはあるので、そこで寝ても大丈夫という人なら、ひとり限定で、ゲストを呼ぶつもりだ。
私はふだん、そんなに人に会う方でもないし、正直、そういう余裕もなかったりする。
でも、心を許せる数人の大好きな友人はいる。
その人がもし山小屋まで来てくれるなら、森の中で心ゆくまで共に時間を過ごし、その間は濃密に過ごして、美しい時間を分かち合いたいと思う。
山小屋は、静かに、一対一で、好きな相手と向き合う場所にしたい。

2泊3日の滞在予定で来てくれた彼女とは、まさにそういう濃密な時間を過ごせた。
時にお喋りをし、時にお互い口をつぐんで空を見て、鳥の声に耳をすます。

今朝は、朝の光に包まれながら、いろんなことを語り合った。
本当に満たされた時間だった。

一緒にご飯を食べて、音楽を聴いて、仕事をしたい時にして、たまに庭に出て地面を撫でて、風を感じて。
都会では味わえない豊かな時間を味わえた気がする。
それもこれも、全ては森のおかげだ。

今日は、私が森暮らしを始めてから一番の青空だった。
直前まで、ずっと雨の予報だったのに。
きっと彼女が、山の神様に祝福されていたんだと思う。
特別なことは何もしていないのに、森にいると、あっという間に時間が過ぎて、夜になるのが不思議だった。

私の目の前に広がっている景色は、美しいという言葉以外では表現できないくらい美しくて、ただただ見惚れてしまう。
そこは、別に誰かがお金をかけて何かをした場所でもなんでもなくて、ただ、人が何も手を加えなかった、地球本来の姿が残っている場所。
私は、森を、地球を、ほんの一部ではあるけれど、手に入れたのだ。ということに、今日、はたと気づいた。
有り余るほどのお金があったら、そこら中の森という森を買い取って、このままの姿で残したいと本気で思う。

彼女は夕方、東京へ帰った。
精神的に満たされたこの3日間は、いつか私たちのお互いの作品に、見えない形で紛れ込んでいくのかもしれない。
彼女が山小屋にいた余韻を、今、ひっそりと味わっている。

今週末の課題は、庭に、裸足で歩ける小径を作ることだ。