ヒマラヤ合宿②
(9月18日)
ラダックは、インドの最北、ジャンムー・カシミール州にある。
標高3500メートルの山岳地帯で、水辺にだけ少し緑があるものの、基本は剥き出しの岩山だ。
昔はインドではなく、ラダック王国と呼ばれた。
ラダック王国は19世紀に滅亡し、現在はインド領になっている。
ラダックは、荒涼とした自然の厳しい場所で、雨が少なく、ものすごく乾燥している。
だから、洗濯物があっという間に乾く。
夏は30度まで上がり、冬はマイナス20度まで下がる。
私が生まれる頃まで、ラダックには外国人が入れなかった。
そこで人々は、昔ながらの自給自足の暮らしを営んでいた。
中国に占領されたチベットよりも、よりチベットらしい暮らしが残っていると言われている。
ラダック人と呼ばれるチベット系の民族が多く住み、チベット仏教をあつく信仰する。
話しているのは、チベット語の方言、ラダック語だ。
今日は、トリスタンとぴーちゃんと3人で、チベット仏教の寺院、アルチ・ゴンパを訪ね、11世紀に描かれたという壁画を見に行ってきた。
ここは、仏教美術の宝庫だと言われている。
よくぞこんな山奥に作ったものだと、ただただ感心するほど、奥地にある。
お堂には、神聖な空気が満ちていて、本当に久しぶりに、あれだけピュアな、純粋なものだけがある空間に身を置いた気がする。
祈りって、本当にすごい。
どこに行ってもダライ・ラマ法王の写真が飾られていて、人々に尊敬されているのがわかる。
中国経由で伝わった日本の仏教と違い、チベット仏教は、インドから直接入ったため、仏教の根本的な教えが色濃く残されている。
輪廻転生を信じ、人間の最終的なゴールを、宇宙と一体化することとする。
そのために、日々の暮らしに瞑想を取り入れる。
人が、よりよく幸福に生きるためのガイドブックみたいなものではないだろうか。
チベット仏教はとても科学的で、量子力学の世界とも重複するものだと、私自身は感じている。
タルチョと呼ばれる、五色の祈りの旗が美しい。
町の至るところにゴンパがあり、祈りの世界がある。
翌朝、早起きをしてティクセゴンパで行われる朝の勤行を見に行った。
小さなお坊さん達の合唱のようなもので始まるのだけど、その無垢な声を聞いているだけで意味もわからず涙がこぼれた。
ただただ無心になって祈ること。
それが、どれだけ有効なことか。
結果は目に見えないけれど、そういう祈りは、波動となって世界に広がり、世の中の幸福を支えている。
私は、そう信じている。