アブルバイヤさん

元日の朝、5時に目が覚めて日の出を待っていると、雪の上を一匹のキツネが通っていく。
しばらく見ていなかった。以前よく来ていたキツネと同じかどうかはわからないけど、無事でいてくれたことにホッとした。
しばらくすると、さっきより一回り小さいキツネが、同じ方角へ向けて歩いていく。
ご夫婦だろうか。
年明けからキツネを見ることができ、おめでたい気持ちになった。

一年前の能登の地震のことがあるから、元日といえど、なんとなく両手を挙げてはしゃぐ気にはなれない。
当然のことながら、自然界には盆も正月もない。
ノラコヤに行って、近くの神社にお参りする。
お正月は、それでおしまい。
あとはひたすら、本を読んで過ごす。
森で過ごす静かなお正月、最高だ。

今朝の新聞に、ガザで生きるディナ・アブルバイヤさんの記事が出ていた。
24歳の彼女は、2024年の6月から、仮設テントを転々としながらも、今、目の前で起きている現実を彼女自身の言葉で書き続けている。
知り合いからなんとか手に入れたノートとペン、机がわりとなる小さな台を肌身離さず持ち歩いて。
電子書籍という形で発表された彼女の「戦争の物語」は、本当に悲惨な現実がこれでもかというくらい綴られているのだろう。
例えば、今朝の新聞に載っていた、母親の前で生きたままイスラエルの軍用犬に食い殺された、生まれつき障害のあった男性のように。

理不尽という言葉では、全く足りない。どこにも救いがない。
これが戦争の現実だと思うと、人として生きているのが本当に嫌になってしまう。
これのどこに大義があるのか。
どの良心を持って、その大義を支持できるのか。
こんな実話が、12編収められているという。

日本でもなんとか本にできないのだろうか?
私にできることがあれば、協力したいと思うのだけど。
これが、決して架空の物語ではないということを、私たちは肝に銘じていなければいけないと思う。

アブルバイヤさんの記事が胸に刺さったのは、昨日、『あしながおじさん』を読み終えたからかもしれない。
こちらはフィクションだが、主人公のジュディもまた、必死で書くことを志す。
ジュディは、孤児院で育った。
本来、大学になど行ける環境になかったが、素性を明かさない裕福な紳士「あしながおじさん」の援助を得て、大学へ通い、そこで様々な人と出会い、世界を知り、作家を目指して文章を書き続ける。
物語は、あしながおじさんへの手紙という形で進んでいく。

書くことに情熱を傾ける気持ちは、読んでいて、私も痛いほどわかった。
どうか、自分の言葉が誰かの心に届いてほしいと願う気持ちは、アブルバイヤさんもジュディも私も、変わらないだろう。
書くことで、救われる。
だから、書く。

世界はますます混沌としている。
日本だって、またいつ大きな災害があるかわからない。
そんな中、今、この瞬間を平和に生きていることが、どんなにありがたいか。

2025年が、希望に満ちた、光あふれる美しい年となりますように!