ずっと、いつまでも
夏至の晩、寒くて薪ストーブを焚いた。
もうさすがに今シーズンは出番がないだろう、と思っていたのだが。
また少しずつ、冬へ向けて陽が短くなっていくと思うと、とても寂しい。
その前に、思いっきり夏を謳歌しなくては!
ゆりねは今日で、10歳になる。
夏至の頃に生まれた彼女は、本当に太陽の分身みたいに、その場を明るくする。
ひねくれたところが少しもなくて、まさに天真爛漫そのものだ。
わが家に来たのは、ゆりねが三ヶ月の頃だったから、まだ丸10年一緒にいるわけではないけれど、ゆりねと共に歩んだこの10年は、私にとっても激動だった。
本当に、あっちに行ったりこっちに行ったり、振れ幅の大きい飼い主の人生に、よくぞ付き合ってくれていると思う。
10年は、あっという間だった。
これからも、ずっと、いつまでも一緒にいたい。
そう思うけれど、命には必ず区切りがあるから、私のその願いは叶わないだろう。
いつか、は必ず訪れる。
でも、その「いつか」に怯えて日々を送るより、それまでの共に過ごせる時間を、思いっきり味わい尽くしたい。
その時はその時で、ドーンと悲しみを引き受ければいい。
と思いつつ、でもやっぱりそろそろもう一匹、という考えがないわけでもない。
よく、人間に例えると何歳、という言い方をする。
一般的に、犬の10歳は、人間でいうと74歳となるらしい。
でも、私は最近つくづく、その考え方って現実にあっていないというか、ナンセンスなような気がしてきた。
確かに、肉体的にはそうなのかもしれないけど。
犬の10歳は、10歳でしかないと思うのだ。
ゆりねの行動なんかを見ていると、人間の10歳児と、中身はほぼほぼ変わらないんじゃないかと感じる。
だんだん知恵もついて、場合によっては悪知恵なんかもついて、処世術が身について、好き嫌いもはっきりして、自己主張が強くなる。
最近のゆりねは、私から出すマテの指示を、完全に無視するようになった。
マテの意味は、もちろんわかっている。
でも、対象が大好きなパンだったりすると、私がいくらマテを出したところで、しれっとパンを口に入れる。
おそらくこの10年で、ゆりねは学んだのだろう。
マテを守らなくても、別に何も悪いことが起こらない、と。
だったら、さっさと口に入れちゃっても問題ない、と。
母が入院していて、久しぶりに会いに行く際、何か食べたいものある? と聞いたら、間髪入れずにケーキと答えた。
ずっと、食べられなかったのだろう。
それで、ケーキをふたつ買って持って行ったのだが、はい、と渡すと、母は私が何かしている間に、いただきますも何もせず、黙々とケーキを食べ始めていた。
ふたつのケーキを、母はあっという間に平らげた。
よっぽどケーキが食べたかったのだと思う。
犬も人間も、歳をとるとそうなっていくのかもしれない。
ゆりねが私のマテを無視するたびに、私はあの時の母を思い出して、懐かしくなる。
今日はゆりねのバースデーだというのに、私は泊まりがけの仕事で出かけなくてはいけない。
お土産においしいパンでも買ってきて、お誕生日は明日改めてお祝いしよう。
どこにゆりねを預けようか真剣に悩んだ挙句、今回は、ここ何回かお世話になっているトリマーさんにお願いすることにした。
なんと、トリマーさんも今日がお誕生日なのだ。
ゆりねと、素敵なバースデーを過ごしてほしい。
たまに、家に来たばかりの、赤ちゃんだった頃のゆりねを思い出す。
かわいかったなぁ。
でも、今はもっともっとかわいい。
いい犬に育ってくれて、本当に感謝している。