雨上がりの朝の森

昨夜から降っていた雨が上がった。
朝、外に出て森を見ながらお茶を飲む。
苔がキラキラ、葉っぱがキラキラ、お花もキラキラ。
梢からは春蝉の声が降り注ぎ、遠くから鳥の囀りが響いてくる。
雨上がりの朝の森ほど、美しいものはない。
地上のきらめきをギュギュッと凝縮みたいだ。

朝、森を見ながらお茶を飲みたいばかりに、一時間早く起きて、一時間ぼーっと過ごす。
至福のひととき。
ようやく、外でお茶を飲んだり本が読めような季節になった。

最近、木にもそれぞれ性格があるんじゃないかと思うようになった。
この春、合計何本の木を庭に植えたのか、数えていないのでわからないけれど、彼らを見ていると、そう強く感じる。
これまで、木は木でしかなかった私にとって、大発見である。

もちろん、犬も犬種によってその性質があるように、木にもそれぞれ、日向が好き、とか木陰が好き、とかその種の特徴はあるだろう。
でも、同じ犬種でもその子の性格があるように、木にも一本一本個別の性格を感じる。

陽気だけど、ちょっとおっちょこちょいの木。
人懐っこい木。ビビりの木。内向的な木。用心深い木。ちょっとひねくれた性格の木。
かまってもらうのが好きな木もいれば、ほっといてほしい木もある。
なかなか心を開いてくれないけれど、一度心がつながったら、ものすごく信頼してくれる木もある。

だから、それぞれの木の性格を把握した上でお付き合いすると、より関係が深まって、結果として木はうまくその場所に根を張ってくれるのではないかと思うのだ。
私は今、もっともっと木と仲良くなりたい。

日々があまりにもさらさらと、気持ちよく過ぎていくので、あれ? もしかして私、すでに死んでいるのではないのかな、と思う場面が時々ある。
私が生きているのは、死後の世界なんじゃないかと、本気で思うのだ。
全てに調和がとれていて、ストレスを感じる場面がない。
考えてみると、私は今、自分が嫌だと思うことをひとつもやっていない。
掃除をするのが嫌だからしない、とか、そういうことではなく。
魂の意志に反することはしない、ということ。
もちろん、突発的に厄介なトラブルが発生したりはするけれど、それも、まぁなんとなく片づいてしまう。

書くことは、ものすごーく楽しい。
イヤイヤ書いた文章なんて、ひとつもない。
好きだから書いている、ただそれだけ。
特に、物語を書きながら共に過ごす時間は最高に幸せだ。

こんなふうに肩の力を抜いて暮らせているのは、やっぱり森のおかげだろう。
森が、私の中に芽生える嫌な感情を、瞬時に吸い取ってくれるから。
本当に、ありがとう! と心から思う。

雨上がりの朝の森を周りの人たちにも味わってほしいと思うのだけど、今だよ! というときは、たいていゲストはおらず、結果的に私だけが恩恵を受ける。
これから梅雨を迎えるから、森はますますべっぴんさんになる。
森が、本当に輝くのだ。
もうすぐ10歳になるゆりねも、光り輝いている。