百年前
台風が、夏を連れ去った。
今、森は乳白色の霧に包まれている。
お日様も顔を出さないし、おそらく外の気温は20度以下。
この先の天気予報を見ても晴れマークは皆無で、どうやら夏が終わったらしい。
本当に短い夏だった。
もっと夏とイチャイチャしたかったけど、これくらい去り際がいい方が、この先もずっといい関係が続くのかもしれない。
もうすでに、来年の夏が待ち遠しい。
一週間前の朝、トリスタンが蓄音機でコンサートをしてくれた。
百年以上前に作られた、ピクニック用のポータブル蓄音機だという。
まだ、レコードができる前。
蓄音機にSP盤をセットし、静かに針を落とすと、音が鳴り始めた。
百年前の音が響く。
今でこそ、望めば誰もが自分の声や音を簡単に録音して公開することができるけれど、当時は、本当に本当に限られた人しか、レコーディングはできなかった。
しかも、現代のような、一つずつの音を録音して重ねていくやり方ではない。
後から、音程を直したりすることもできない。
歌う人も楽器を演奏する人も、とにかく本番一発勝負だ。
故に、ものすごい緊張感と集中力が伝わってくる。
なんていう美しい声だろう。
百年前に録音されたロシアの女性ソプラノ歌手の歌声が、信州の森に響いた。
蓄音機を発明したのは、エジソンだ。
今わたし達が使っているオーディオ機器とは全く異なり、蓄音機は音の情報を電気に変換せず、そのまま空気を振動させて音を鳴らす。
蓄音機そのものが楽器だそうで、あの百合の花の花弁のようなところから音が出る。
ボリュームも、変えることはできない。
滑らかで、ふくよかな音。
音楽を聴くことは、それくらい貴重で、かけがえのないことだったのだと改めて思った。
それにしても、電気を使わずに音楽が聴けるなんて、なんてエコなんだろう。
もしかすると、わたしは生まれて初めて、蓄音機の音を耳にしたのかもしれない。
その後、これまた百年以上前のコーヒーミルでコーヒー豆をひいて、コーヒーを淹れた。
最近わたしは、自分で豆を挽くのをサボって、粉の状態で買っている。
だから、とても新鮮だった。
予想に反して、百年前のコーヒーミルは、滑らかに気持ちよく豆を砕く。
作りもしっかりしていて、きっと、一生物の道具だったのだろう。
コロンビア人が焙煎したというコーヒー豆も、抜群においしかった。