新しい日々
標高1600メートルでの暮らしが始まった。
右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを振り返っても、森、森、森、森。
私が山小屋を建てた土地は、ほぼほぼ原生林で、地球が誕生して以来、この地に住む人間は、おそらく私が初めてだ。
先週の半ばに荷物を移して、今日が森で過ごす最初の週末。
それにしても、標高1600メートルというのは、かなり高い。
富士山でいえば、1合目と2合目の間くらいだ。
それゆえ、お天気がコロコロ変わる。
朝晩は冷え込むし、一番気温が高くなる日中も、暑くてしんどいほどではない。
ちなみに、今日の最高気温は、22度。
だから、山登りの時みたいに、その都度、気温に合わせてこまめに服を着たり脱いだりする。
空気がびっくりするくらい美味しくて、一番のご馳走だ。
あとは、水。
水道の蛇口から、天然のミネラルウォーターが出てきてくれるのは、本当に本当にありがたい。
山小屋は、着いたその日から、ものすごく肌に馴染んだ。
それはもう、建築家の丸山さんと地元の大工さんたちのおかげ。
まるで、もう何年も前からここに暮らしているような気分になったのが、自分でも不思議だった。
もちろん、色々と不便なことはある。
ケータイの電波はあんまり届かないし、最寄りのコンビニまでも、車で10分くらいかかる。
スーパーはもっと遠いし、インターネットを繋ぐためすぐにルーターが必要だったのだけど、そういうのを買える大きな家電量販店までは、車で一時間くらいかかる。
忘れたからちょっとそこまで、という気軽な買い物ができないから、買い物も、どこで、何を買うか、計画的にやらなくちゃいけない。
そんな不便さを差し引いても、それを遥かに超える恩恵を、私はもうすでに受けている。
価値観も食生活も、きっとガラリと変わるのだろう。
周りの自然が美しいから、自分を着飾ることには全く興味がなくなるし、食事も、野菜そのものがとびきり美味しいから、それにちょっと手を加えるだけで十分満足だ。
感覚的には、ベルリンでの暮らしが形を変えて甦った。
ベルリンは、都会の中に自然があったけど、こっちは、自然の中に文化が点在している印象だ。
ちょうどコロナと重なったこの2年数ヶ月、私はずっと東京にいて、それはそれで、もちろん、有意義な時間だった。
でも、正直、限界も感じていた。
それが、森に移ったことで、それまでのベルリンでの暮らしがすぽっとチューブで繋がったみたいな感じがするのだ。
ベルリンのアパートで使っていた家具や食器類が、うまく山小屋に収まったこともすごく嬉しい。
今回、新たに買ったものはほとんどない。
中でも、ベルリンのアパートで使っていた、引き出しのついた大きな黒いデスクの用途が決まったことは、一番の喜びだ。
夏だけベルリンに通っていた頃から、その店の前を通っては、あのデスクで仕事ができたらいいのになぁ、といつもいつも指をくわえて眺めていた。
そして、もしいつかベルリンに暮らすことがあったら、あのデスクを手に入れよう、と思っていた。
ベルリンから引き上げることを決めた時、このデスクは、重いし大きいし、当然、もう手放すしかないだろうと、自分でもまさか日本に持って帰れるとは思っていなかったのだけど、分解して、持ち帰れることがわかり、はるばる海を渡って、日本の地にやってきたのだ。
でも、日本の住宅ではこのデスクは大きすぎて、ずっと、分解されたまま、部屋のあちこちに邪魔者のように置かれていた。
当初、山小屋の台所には、新たに調理台を置く計画だった。
でも、見積もりが出てみると予算オーバーで、その時にふと、このデスクを調理台代わりに台所に置いてみたらどうだろう、と閃いたのだ。
もし、どうしても合わなかったら、その時はその時で、また調理台を作るなりすればいいと考えていた。
でも、そんな必要は全くなかった。
黒いデスクは、ものすごくピッタリと、山小屋の台所に収まった。
これで、火にかけた鍋の様子を気にしながらでも、仕事ができる。
2階のリビングには、東西南北の全てに窓がある。
だから、家のどこにいても、視界のどこかに緑が見える。
私は、森の神様に守れている。
東京から仏様を持ってきたけれど、もう仏様に手を合わせる必要がなくなった。
そこら中に、八百万の神様がいる。
朝は、庭にある大きな大きな苔むした石に向かって、お祈りする。
窓から見える景色は、一瞬たりとも同じではない。
木々の葉っぱは、常に風に揺れて動いている。
空の色だって、刻一刻と変化する。
万物は常に揺れ動いていて、常はないのだと、私は目の前の木々達から早々に教わった。
夜明けと夕暮れに、鳥達の声が賑やかになる。
朝晩、鳥の声を聞きながら、ゆりねと森を歩く。
それだけで、私は心の底から生きている喜びを感じることができる。
無謀すぎる計画だったけど、森に山小屋を建てて正解だった。
私の人生に、また新しい日々が始まる。
今日は、選挙だ。
森の中で暮らしていても、元首相の安倍さんが銃弾に倒れたことは知っている。
どんな理由があっても、許されることではない。
もしまだ投票されていない方は、ぜひこれから投票所へ行ってください。