旅立ちの朝

小学1年生の時のクラスメイトに、シバサキキョウコちゃんという女の子がいた。
もう、どういう漢字だったのかは思い出せない。というか、その頃はまだ、ほとんど平仮名しか知らなかった。
幼いながらに、馬が合うというか、相性がいいのを感じていた。
キョウコちゃんと一緒にいると、すごく楽だった。
私が、人生で初めて「友情」というものを具体的に感じた相手だったかもしれない。

キョウコちゃんは、1年生の夏休みに引っ越したので、私がキョウコちゃんと友達でいられたのは、1年生の1学期のみ。
夏休みになり、夕方、母の自転車の荷台に乗せられて、キョウコちゃんとお別れしに行ったことをはっきりと覚えている。
そこからはもう手紙のやりとりもしていなくて、ただ、シバサキキョウコちゃんという名前の響きだけが私の胸に残った。

今、どこで何をしているんだろう?
もし会えるなら、会って話したい。

朝早く目が覚めて、ふと、シバサキキョウコちゃんのことが脳裏をよぎった。
今日、ぴーちゃんがフランスに旅立つ。
約2週間の同居生活だった。
家にお客さんを呼んでご飯を食べ、山小屋で合宿をして、また東京に戻ってお客さんを呼ぶ日々だった。

ベルリンにいる頃から似ているとは言われてたけど、最近は本当によく言われるようになった。
一緒にいると、ひとつのことが、10倍楽しくなる。
この2週間、笑ってばっかりだった。
だから尚のこと、ぴーちゃんが帰ってしまうのが、寂しい。

なるべく湿っぽくならず、明るくサラリと送り出そうと心に決めながら布団を出て、お米を炊く。
これから、長い時間をかけて南仏に帰るのだ。
マルセイユのアパートに着いて自分のベッドで横になれるのは、ほぼ1日後。
その間、ひもじい思いをしなくていいように、朝、せっせとおにぎりを作った。

ロシアによる戦争の影響で、ヨーロッパへの輸送手段が船便だけになっているため、今回、ぴーちゃんは自分が使う画材なんかを全て自力で運ばなくてはいけない。
大型のスーツケースの他に、大きな段ボール、手荷物もパンパン。
日本を離れて外国で暮らすことの大変さを、久しぶりに思い出した。
本当は、梅干しなんかも持って行けたらよかったのだけど、そんな余裕はさらさらなかった。

駅まで行くタクシーを見送る時は、さすがに涙が出た。
ぴーちゃんも、泣いていた。
永遠の別れでもあるまいし、と思うのだけど、色々思い出してしまったのだ。

私がベルリンに行って、ぴーちゃんと知り合って、みゆきちゃんと3人で仲良く遊んで、みゆきちゃんが旅立って、私がベルリンを離れて、コロナが来て、ぴーちゃんもベルリンを離れて、そういう一連のあれ哉これやを思い出したら、涙が止まらなくなってしまった。

そして、一連のあれやこれやが、シュルシュルシュルッと、まるで巻尺みたいに自分の胸のうちに綺麗に収まるのを感じた。
私もぴーちゃんも、これまでのことがリセットされ、そしてまた新しい人生がリスタートする。
今日は、そんな旅立ちの朝だった。

ぴーちゃんを乗せたタクシーを見送り、部屋に戻ったら、ゆりねがキョトンとしている。
どうやら、私とぴーちゃんがふたりともどこかへ行ってしまい、また自分だけ置いてけぼりをくらったと勘違いしていたようなのだ。
私を見て、あれ? なんで? という表情をしている。
ゆりねはゆりねで、人知れず、感傷的になっていたらしい。
きっと人間だったら、こっそりハンカチで涙を拭う仕草をしただろう。

昨日も今日も、ゆりねはぴったりとぴーちゃんにくっついて、腕枕で寝ていたそうだ。
ゆりねもぴーちゃんが大好きだ。
動物と友達がおったら生きていける、と言ったぴーちゃんの言葉は、本当に名言かもしれない。

ぴーちゃんが空で食べるのと同じのを私も食べようと思って、自分の朝昼ごはんもおっぱいおにぎりにした。
気持ち、塩を強めにした。