プルピエ
叔母から、手紙が届いた。
去年の暮れ、大晦日に出羽屋さんのおせちを届けた、そのお礼だった。
叔母は去年、大きな手術をして、少し、認知症の症状も出ているのかもしれない。
二日かけて頑張って書いてくれたという手紙を、夫であるおじさんが「翻訳(?)」してくれたものが送られてきたのだ。
叔母は、母の妹である。
手紙には、今まで知らなかったことが、いろいろ書かれていた。
まず、今はもうない実家の庭に、ゆり根が植えられていたということ。
叔母が出羽屋さんのおせちの中でもっとも印象的だったのが、ゆり根のきんとんだったそうで、実家に咲いていた百合の花のことを思い出したという。
実家にも、お正月にゆり根をとるための百合があったのだ。
そしてもっと驚いたのは、叔母にとっては姉である私の母が、おせち料理に毎年「ひょう」の干し煮を作っていたという事実。
叔母の手紙に、「おばあちゃんだけでなく、あなたのお母さんも料理を好きだったんだよ。」とあり、その一文を読んだら、涙が止まらなくなってしまった。
ところで、最初、わたしは「ひょう」が何かわからなかった。
でも、調べているうちにうっすらと思い出した。
「ひょう」は、野菜というよりはその辺に生えている雑草で、正式には「すべりひゆ」というのだそうだ。
お尻の「ひゆ」がなまって、「ひょう」になったのだろう。
ひょっとしていいことがありますように、との願いを込め、母もひょうのおせちを作っていたとのこと。
そんなこと、全然知らなかった。
「すべりひゆ」は、痩せた土地にも生え、日照りにも強い雑草だ。
住宅地や畑、垣根などどんな場所にも根っこを張る、ものすごく生命力の強い植物らしい。
江戸時代に米沢藩をおさめていた上杉家の上杉鷹山が、倹約のために食べるのを推進したそうだ。
それで、山形には「すべりひゆ」を食べる食文化が根付いた。
上杉鷹山って、なんか好きだなぁ。
彼が残した、「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」は、素晴らしい言葉だと思う。
日本でこの「すべりひゆ」を食べるのは、山形と、そして沖縄が多いとか。
夏は新鮮なものをお浸しにし、冬は塩漬けにして干したものを煮物などにして食べる。
そして、この「すべりひゆ」はヨーロッパでも食べられているらしく、向こうでは、プルピエというそうだ。
なんだかとってもかわいい名前。
見た目は、少し葉っぱをぷくぷくさせたようなクレソンみたいな雑草で、あー、確かに昔、祖母がお浸しにしたのを食べていたような気がする。
母とはもう話すことはできないけれど、こんなふうに叔母と交流することで、私のどこかが救われている。
私はずっと、母は料理が苦手で、作るのが好きではなかったんじゃないかと思っていたけど、それは私の誤解だったこともわかった。
きっと、いや間違いなく、母は、叔母からの手紙を喜んでいる。
それにしても、「ひょっとしていいことがありますように」なんて、いかにも奥手な山形の人らしい発想だなぁ。
叔母が、また来年も笑顔で、出羽屋さんのおせちが食べられるといい。