ヒマラヤ合宿④
(9月21日)
トレッキングへ。
4100メートルの山の頂を目指して歩く。
実は、ムンバイからレーに移動する飛行機の手荷物検査の時、日本から持ってきた大事なストックを没収された。
インディゴ航空のスタッフは、手荷物で問題ないと言ったのに、手荷物検査の係員は機内に持ち込めないという。
ジャンムー・カシミール州は政治的に不安定で、ラダックは軍事上の重要な場所。
とは言え、大事なストックをこれみよがしにゴミ箱に放り投げられた時は本気で腹が立った。
フランスの空港で、せっかく買ったラギオールのペーパーナイフを取り上げられて以来の没収だ。
手荷物検査のあのシステム、もうちょっとなんとかならないのだろうか。
着いた先の空港で受け取るようにするとか、もっと賢明なやり方があると思うのだけど。
そんな訳で、ホームステイ先で農具として使われていた木の棒をトレッキングの相棒にした。
でも、私は最初から不安だった。
インドに来て以来、あまり眠れないのだ。
ムンバイでは時差で、ラダックに来てからは高地による影響で、眠りが浅くなり、どうしても深夜に目が覚めてしまう。
しかも、その日の夜、寝ていたらものすごく頭が痛くなった。
これは、高山病だろう。
その上、パンゴン・ツォの寒さで、ぴーちゃん共々、風邪を引き、喉が痛くて痛くてたまらない。
とてもとても、トレッキングに行けるような体調ではなかったのだ。
出発予定時間の30分前まで、私は一日静かに寝ているつもりだった。
でも、頭痛薬を飲んで少ししたら、やっぱり行ってみようという気持ちになった。
せっかく日本から登山靴も持ってきたのだし。
荒治療ではあったけど、出発してダメだったら私だけ引き返してくればいいと腹を決め、まずはガイドさんと共に歩き始めた。
体力温存のため、言葉はほとんど交わさない。
思えば、富士山に登った時も、私は途中から軽い高山病だった。
頭がズキズキして、意識が朦朧としていた。
それでも、頂上には立てた。
富士山は、3776メートル。
今回は、更にそれよりも高い場所を目指す。
人生初の試みだ。
川に沿って、谷間を歩いていくのだが、途中何度か、川を越える必要があった。
それがまた至難の業で、場合によっては登山靴と靴下を脱いで、川を渡らなくてはならない。
水がものすごく冷たくて、凍えそうになる。
ガイドさんが先に川の向こうへ渡り、大きな石を川に落とし、飛び石を作ってはくれるものの、それでも、石から石へジャンプする時に危うく滑って転びそうになる。
ちなみに、この小川は、ガンジス川の源流だ。
ヒマラヤの山々から集まった水が、やがて合流してガンジス川となる。
空気が薄いので、すぐに息が上がってしまう。
それでも、道端に咲く高山植物や小川のせせらぎに励まされ、なんとかふたりについていく。
川の水が、すごくおいしい。
顔を上げれば、見事な岩山。
途中、何度も休憩を取りながら、トレッキングを楽しんだ。
最後、急な岩場を登るのが、本当に辛かった。
二歩前に進んでは休み、また二歩進んでは休み、本当にゆっくりゆっくり、自分のペースで歩く。
思いっきり空気をかき集めるようにして呼吸しないと、息が続かない。
あまりにしんどくて、涙が出そうになる。
ストック代わりの木の棒を借りてきて、本当に助かった。
あれがなかったら、途中で私は諦めていたかもしれない。
頂上へ辿り着いた時は、とにかく無事にここまで来れたことに安堵して、さしたる感動もなく、気が抜けたように地面に座り込んでいた。
あれほど体調が悪かったのに、どうして頂上まで登れたのか不思議だ。
自分でも、絶対に無理だと思っていたし。
確実に言えるのは、ひとりだったらこの奇跡はまず起こせなかったということ。
でも、登れた。
4100メートル。
自力で自分の体を運んだ、これまでで一番高い場所。
頂上で、絶景を見ながらランチを食べる。
その後、急に眠くなって、頂上に座ったままウトウト。
ふと振り返ったら、少し離れた場所で、ぴーちゃんが瞑想している。
そうだよな、と思って、私も頂上で瞑想した。
父と母のいる場所にこれまでで一番近くにいるんだな、と思ったら、急に涙が止まらなくなった。
こうして地球という星に生きていること。
こんなふうに、トレッキングをして、今この場所にいること。
それは全て、父と母が私に体というギフトを与えてくれたからなのだ。
自分はなんて幸せなのだろう。
そう思ったら、感謝の気持ちが泉のように溢れてきた。
ご先祖様の全てに、ありがとうを伝えた。
4100メートルの山の頂に立つのは、私にとって大きな挑戦ではあったけど、でもその頂上に立って思ったのは、世界にはもっともっと高い山がいくらでもあるということ。
と同時に、より高い山に登ることが大事なのではなく、どんな高さの山でも、その道中を楽しめるかどうかが重要なのだと痛感した。
あの体調で、どうして頂上に立てたのか、本当に今でもわからない。
よく頑張ったと、自分でも思う。
挑戦して本当に良かった。
頂上からの景色は、あの場所からしか見ることができないのだから。