水と空気

ただいま!
森に帰ってきた。
今、私は、森の木々に両手を広げて抱擁されている気分だ。
約一月山小屋を離れていた間に、森には秋が訪れ、木々が紅葉を始めている。
思っていたほど、シーに庭を荒らされていなかった。

それにしてもインド、過酷な旅だったな。
予想も覚悟もしていたけど、なんていうかそれ以上だ。
インドは2度目で、前回は南インドに行ったけど、その時はホテルから一歩も出ずにひたすらアーユルヴェーダを受けていたので、実質、今回が初めてのインドに触れる旅。

まず、人が多い。
世界でもっとも人口の多い国になったのだから、当然かもしれないけど、それにしても人が多くて、しかも密度が濃いというか、人と人との距離が近すぎる。
普段の森暮らしでは、人に会うよりも鹿に会う方が多いくらいの私は、この一二年で、かなり人混みに弱くなっている。

そして、ムンバイの蒸し暑さは本当にこたえた。
体が全然順応できない。
その上、外はミストサウナなのに、一歩室内に入れば、もう震えるほどの冷房で、外を歩いても過酷、建物の中に入っても過酷で、どっちもしんどい。
インドでは、クーラーがステイタスなのだとか。
タクシーも、クーラーがあるのとないのとで、料金が違ってくる。

インドはおしなべて無秩序だったけど、特に車の運転は酷すぎると感じた。
どのドライバーも、自分のことしか考えていない。
みんながクラクションを鳴らすから、うるさくてうるさくて仕方ない。
歩行者は道を渡るのすら命懸けで、滞在中、何度も怖い思いをした。

先進国とは一体何なんだろうと、インドにいる間中、考えさせられた。
高層ビルがたくさんあれば先進国なのか。
もちろん、そうじゃない。
経済的に豊かなだけでは、先進国と言えない。
中身が伴わなければ、外側だけ立派に繕っても、ただのハリボテになってしまう。

人の命の価値に重きが置かれていること。
人だけでなく、動物や植物など、自然の全てに敬意が払われていること。
人としての人権が確立されていること。
人々が、幸福を感じながら日々の暮らしを営んでいること。
お金の使い道が、上手であること。

私は、先進国というのは、こういう点がきちんと確立されている国をいうのだと思う。
インドの街は、ヒマラヤも含め、どこもかしこもゴミだらけだった。
ムンバイには、下水の臭いがする。
路上には、野良犬があふれている。
極端に富を得ている人と、極端に飢えている人の差が激しすぎる。

そもそも、私にとってインドはわからないことだらけだ。
ブッダが誕生したはずなのに、今のインドに、ブッダの教えはさほど見られない。
過去には、ガンジーという素晴らしい人物もいた。
人々の多くは、カースト制をいまだに受け入れている。
レイプが多発しているのは、どこか人の心に大きく抑圧されている部分があるからなのだろうけど、それはなぜなのか。

この国が、近い将来、経済大国となり、他の国々に対して大きな影響力を持った時、本当に正しいリーダーシップを発揮できるのだろうか。
インド特有の混沌と無秩序が世界中に広がるんじゃないかと、私はかなり不安になった。
この先、世界は、地球は、どうなってしまうのだろう。

たまに、インドとの相性がすこぶる良く、インドが大好きだと公言する人がいる。
すごいなぁと、私はそういう人を尊敬する。それはもう、よっぽど懐が広いのだ。
私は全然人間ができていないので、インドを丸ごと受け入れるには、まだまだ修行が足りない。

先週末、森に帰ってホッとした。
自分の帰る場所はここなのだと、心からそう思った。
山小屋で暮らしてから、水と空気が綺麗なのは、当たり前になっていた。
でも、水も空気も、気を緩めればすぐに汚れてしまう。
一度汚してしまったものを綺麗にするのは、ものすごく労力がいる。

ヒマラヤでは、空気すら薄くて呼吸が苦しかった。
空気は目に見えないから存在しているのを忘れそうになってしまうけど、空気があるということもまた、かけがえのない奇跡的なことなのだ。
そのことを肝に銘じて、忘れずにいよう。
久しぶりの森暮らしで、ゆりねも大いにはしゃいでいる。

美しい水と空気に、心から感謝。
本当にありがとうございます。