おままごと

数日間仕事で留守にして森に帰ってきたら、見違えるように緑の世界が広がっていた。
葉っぱが芽吹き、空を覆うほどの緑の天蓋ができている。
木の枝たちが、ようこそ、美しい森へ! と手招きしてくれているみたいで、嬉しくなる。
たった五日間で、世界が一変した。
トウゴクミツバツツジも、満開になっていた。

暑い日が二日続いたので心配だったのだけど、どうやら植物たちは無事だったみたい。
良さそうな薬草の苗を見つけては、山小屋に連れて帰ってせっせと植えていた時期だったので、まだまだたくさんお水をあげないと枯れてしまう。
山小屋も庭の植物たちも、ゆりねと同じく私の大切な家族だ。
森に帰った瞬間、家族に再会し、ものすごくホッとしている自分がいた。

それにしても、今日の朝の光は最高に輝いていた。
庭と森が、キラキラ、微笑んでいる。
あまりに美しいので、日曜日ということもあり、6時前から庭仕事を始めた。
森の空気を吸っているだけで、幸福感に満たされる。
鳥の囀りを聞きながら、土いじりを楽しんだ。

今私が森でしていることは、大人のおままごとだと思う。
だって、土を捏ねてお団子にして喜んでいた子ども時代と、やっていることはそんなに変わらない。
ただ、それが本格的になっただけ。
本気のおままごとが、こんなにも楽しいとは知らなかった。
もっと早くこの喜びに出会えていればとも思うけど、でも今このタイミングだからこそ、思う存分楽しめているのかもしれない。
試行錯誤を繰り返して、少しずつ、自分の理想とするお庭ができていく。

山小屋の二階の窓から、ただ庭を見ているだけで、幸せな気持ちになる。
あそこにあれを植えようとか、あの場所は変えた方がいいかな、とか思考は尽きない。
庭を見ながら、いくらでも過ごせる。

思い返せば、母の父である祖父も、植物を愛する人だった。
温和な祖父は、いつも小さな庭の手入れをしていた。
私の山野草好きは、祖父から譲り受けたものかもしれない。
今回、コマクサの花の一番美しい瞬間を見逃してしまったことだけが、悔やまれる。

一見、死んでいるみたいに静かだった森が、一気呵成に活気付く。
そのダイナミックな変化に、私はただただ圧倒された。
あの枯れたように見えた樹木の姿の奥底に、これほどまでのエネルギーが蓄えられていたことを思うと、ますます植物たちを尊敬する。

今日は森でも気温が上がり、ハルゼミがうるさいほどだった。
夕方、ドイツの白を開けてオニワイン。
一日が無事に過ぎていく、それだけでとても恵まれた幸福なことなのだということを、改めて実感した。
今日は本当に本当に美しい日曜日だった。