母に癌が見つかり、数年ぶりに電話で話した時、母はわたしに、「死ぬのが怖い」と言った。 それが、この物語を書くきっかけとなった。 わたし自身は、自分が死ぬことに対しての恐怖を感じたことがなかったので、その反応に驚いたのだ。 死には、主観的な死と、客観的な死のふたつがある。 前者は怖くないけれど、もちろんわたしだって、家族や友人の死は、想像するだけで足が震えそうになる。 今回書こうと思ったのは、自分自身が死に向かう、主観的な死の方だ。 もちろん、わたしもまだ死んだことがないから、想像することしかできない。 実際に死んで、死とは何かがわたしの中で明らかになった時、わたしはもうそれを言葉にすることができない。 そのことを、とても残念に思う。 わたしは、自分が死んだ後にどんな世界を見られるのかワクワクしているけれど、多くの人は、母と同じように、死に対して、漠然とした不安を抱いているのだろう。 ならば、死が怖くなくなるような物語を書いてみようと思ったのだ。 母の死には間に合わなかったけれど、母が、わたしの背中を押し、この物語へと導いてくれた。 価値観の全く異なる母とは、子どもの頃から犬猿の仲だった。 多くの時間を、不毛な闘いに費やし、お互いに傷つけ合い、くたびれ果てた。 けれど、それによってわたしの芯は叩き上げられ、わたしは、物語を書くようになった。 現実逃避の手段として書き始めた物語だったけれど、そこにわたしは、希望や光、生きる喜びを見出した。 母に余命が宣告されたことで、わたしの、母に対する立ち位置が変わった。 今まで見ていた方向から反対側に移動して母を見ると、そこには、わたしが全く気づかなかった母の姿があった。 認知症が出始めた母を、わたしは初めて、愛おしいと感じた。 そして、自分が母を本当は好きだったこと、母もわたしを、母なりの愛情を持って接してくれていたことに気づいた。 母が亡くなったことで、わたしはようやく、それまでずっと繋がっていたへその緒が切れたように感じ、そして母が新たに、わたしの胎内に宿ったような気がした。 母が生きている頃より、亡くなってからの方が、ずっと母を身近に感じる。 こんなふうに、死というものは、時に、それまでの関係性をくるっとひっくり返してしまうような、魔法を秘めた人生の切り札になるうると実感した。 この物語を書くにあたって、量子力学に関する本を、たくさん読んだ。 命の誕生、死、宇宙。 難しくてわからないなりに、そこには真実があるような予感がした。 執筆中、母に続いて、父と、そして友人のミユスタシアが、人生を終えて旅だった。 ミユスタシアとも、よく、死んだらどうなるんだろう、という話をして盛り上がっていた。 だからわたしは、この物語を、父と、母と、ミユスタシアに捧げたいと思う。 死がテーマの物語ではあるけれど、重く、悲しいお話にはしたくなかった。 人は、いつか必ず死ぬ。 だからこそ、今この瞬間瞬間を、大切に生きる。 この物語を通して、生きていることの喜びや愛おしさが表現できていたら、とても嬉しい。 ポプラ社の吉田元子さんには、六年ぶりに新しい作品を担当していただいた。 二人三脚の相手が吉田さんだったら、この物語を最後まで書けると思った。 『食堂かたつむり』のデビューから十一年。 その間、ずっと書き続けてこられたのは、ひとえに吉田さんが、時に間近で、時に遠くから、励まし、見守ってくださったから。 そして吉田さんだけでなく、これまでのわたしの担当をしてくださったすべての編集者のおかげで、この物語が書けたのだと思っている。 あれからもう十一年が経ったなんて信じられないけれど、これまでわたしの本を読んでくださったすべての読者の方に、心からの感謝を申し上げます。 温かく見守ってくださり、本当に、本当に、ありがとうございます。…