『オマルの日記 ガザの戦火の下で』を読み終えた。 途中、何度も足を止めては、現実逃避するかのように窓から空を見上げた。 これだけの残忍な行いができる人間とは、一体。 人は、人としての「枷」が外れると、これほどまで無邪気に相手を傷つけることができるのだろうか。 イスラエル側はパレスチナの人々を、「人間動物」と言ったが、人間性の欠片も失ったコントロールの効かない野獣は、イスラエルの側ではないのか。 イスラエルがパレスチナに対して行った行為はジェノサイド以外の何ものでもなく、世界がこれを止められず、黙認、容認、指示したことは絶望に値する。 この日記を戦火で綴り、Xに投稿を続けたのは、1996年にガザ地区のベイトハヌーンに生まれたオマル・ハマドさん。 大学で薬学を学んだ彼は、本や映画、故郷や家族、美しいものを愛してやまない、作家を夢見るひとりの青年である。 本には、これでもか、というくらい、悲惨な状況が綴られる。 家族や友人を失うことは当たり前となり、空からバラバラになった遺体の一部が雨の如く降ってくる。 亡くなった家族の遺体を、ビニール袋に集めながら彷徨い歩く。 地獄の、そのまた地獄の、そのまた地獄のようなあまりに惨たらしい現実が、日常になる。 これは、そこに書かれたほんのほんのほんの一部分だ。 封鎖されていた病院に、イスラエル軍がやって来た。 彼らは、女性と男性を両側に分け、女性たちに裸になるよう命令した。 その姿から目を逸らした夫たちは、殴られるか、殺されるかした。 夫たちの目の前で、女性をひとりずつレイプし、レイプが終わった女性に対しては、髪の毛を剃り、レイプ済みのスタンプを押す。 レイプされた上に殺された女性たちもいて、遺体が、山となって積み上げられた。 目を逸らした夫たちの遺体も、山となった。 夫の前でレイプされたある女性は、ほどなく目の前で夫を殺害された。 戦争が起こるたびに、兵士たちは強姦したり、拷問をしたり、弱き者に対して野蛮な暴力をむき出しにする。 この暴力性は、一体、人間のどこからやって来るのだろうか。 そんなことを、人間は延々繰り返していると思うと、本当にうんざりする。 彼の日記の中で、ナチ・シオニスト・ファシスト占領軍という言葉が繰り返し使われる。 第二次世界大戦の際、ヒトラーが扇動したホロコーストによって、ユダヤ人が大量虐殺され、時を経て今度は、ユダヤ人がパレスチナ人を大量虐殺する。 もしもあの時ドイツ人が、選挙でヒトラーを選ばなかったら、今目の前で繰り返されている悲劇は起きていなかったのだろうか。 もちろん、それは誰にもわからないけれど、でも、自分の投じる一票が、のちのち、世界にとんでもない事態を招くかもしれないのだ、という自覚は、誰もが持っているべきではないかと感じた。 ドイツ人がヒトラーを支持しなければ、という思いは、私の中で大きく膨らんでいる。 オマルもまた、義理の姉を失い、多くの友を失った。 残された甥のアフマドは、まだ幼い。 そのアフマドが、オマルに何度かいくばくかのお金をもらいに来たという。 そんなことをする子ではなかったので不思議に思い、そのお金をどうするのかオマルが尋ねると、アフマドは言った。 ママのお誕生日に、そのお金でデーツを買って、みんなに配って、ママのためにお祈りしてもらうの。 そうすれば、ママは天国から僕を見て喜んでくれるから。 オマルの日記は、今年の1月、最初の停戦が合意された場面で終わっている。 人々、特に子供たちが涙を、嬉し涙を流して歓喜している。 でも、その後、それよりももっと卑劣で過酷な第二次ジェノサイドが始まったことを、私たちはすでに知っている。 2024年1月15日、停戦を目前にしたオマルの日記には、こんなことが綴られていた。 「戦争によって僕が学んだのは、生き延びたければ誰かを救え、ということだ。自分の身を案じるな。他人を思いやれ。命に忘れられたすべての存在を思いやれ。貧しい人々を、持たざる者たちを思いやれ。家族を、友を、隣人を、自分にとって大切なすべての人たちのことを思いやれ。 生き延びたければ、他者を思え。」…