秋一番

朝、新聞を読んでいたら、向こうからサーっと大波みたいに風が走ってきて、サワサワと梢がどよめき、秋一番が吹いた。
私が勝手にそう命名しただけだけど。
風が、秋を運んできた。

それにしても、目の前に広がる森の木々の葉っぱが、冬を前にほぼ全て地面に落ちるのを想像と、すごいことだと改めて思う。
森は、なんて生産性が高いというか(だって、毎年毎年、葉っぱを刷新するのだ)、新陳代謝がいいんだろう。
裸足で地面に足をつけていると、それを強く実感する。
落ちた葉っぱを微生物が分解し、大地が豊かになっていく。
その腐葉土が、水をきれいにする。

冬に一度地面がリセットされるけれど、春になると栄養満点の大地からは次々と植物の芽が顔を出し、成長する。
とんでもない速さでリサイクルして、常に新しい状態が保たれている。
大地が、文字通り生きているのを実感する。
これは、地球規模の、動的平衡だ。

日本が戦争に負けて、昨日で77年が経ったという。
この77年で、確かに日本は経済的に豊かにはなったけれど、自分たちが起こした戦争という負の教訓をきちんと学んでいるのだろうか。
自分も含めて、自省したい。

ちょうど一年前、政権が変わったアフガニスタンでは、生活費を得るために幼い我が子を売らざるを得ない人たちがいるというし、幼くして売られた娘が、13歳で妊娠し、子どもを産み、その子が栄養失調で苦しんでいる。

ロシアは、ウクライナを一方的に攻め、ウクライナの人々は、命を落としたり、体の一部を失ったり、心に大きな傷を負ったり、家族がバラバラになったり、想像を絶するほどの苦痛を味わっている。

この事態を「戦争」と呼ぶのに、私はすごく違和感があるけど。
だって、ウクライナの人たちは、戦いたくて戦っているのではない。
戦わざるを得ないから、どうしようもない究極の選択で、自分たちの自由を守るために武器を持って応戦している。
77年前に終わりを迎えた戦争も、実態はそういうことだったのだろう。

第二次世界大戦の戦勝国が国連の常任理事国になったけれど、その常任理事国が間違いを犯さないと、誰が保証できるのか。
現に、ロシアは暴走している。

飢餓の問題は、私が幼い頃から存在した。
食べ物が捨てるほどに有り余っている国と、食べ物がなくて空腹に泣き叫んでいる国がある。
必要以上に多くを持つ人と、最低限、生きるのに必要なものすら持てない人たちがいる。

地球規模の、ものすごい格差社会だ。
食料問題なんて、世界中の賢者が知恵を出し合えば、簡単に解決できそうなのにな。
どうして、これほど長く解決できないのだろう?
それとも、はなから解決する気がないのだろうか?
日本の百貨店では、今、高級時計が売れているとのこと。

一時、チェルノブイリ原発を占拠したロシア軍が、原発を甘く見て、周辺の放射性物質の値が高くなったらしい。
年配のロシア兵は原発の危険を理解したが、チェルノブイリの事故の記憶がない若いロシア兵たちが、放射能に汚染された枝を燃やして調理をしたり、赤い森と呼ばれる放射能に汚染された地面を掘り返したりしたそうだ。
記憶が薄れることの怖さを、如実に物語っている。

私たちも、77年前に起きた悲劇を意識して記憶に留めておかないと、また同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。
戦争は、絶対に絶対にしてはいけないと、今、改めて思う。

今日は、一日中、風が強かった。
そのせいで、木の枝に吊るしておいた洗濯物が、何度も風で飛ばされた。
そのたびに外に出て、またハンガーを元の位置に戻す。
その繰り返しだった。

夜から、雨。
山小屋の三角屋根を、雨が激しく打っている。