ゆりまきタイム

青空の下、干し柿さんたちが健やかに成長している。
一本のロープの端と端に渋柿をくくりつけて風に晒し、太陽に当てると、渋が抜けておいしくなるという。
夜は雨や雪が当たらないよう室内へ移動させ、少々過保護すぎるかもしれないと思いつつ、穏やかな気持ちで成長を見守る毎日だ。
もうそろそろ食べてもいいのかもしれない。
でも、もしまだだったら一つ無駄にしてしまうのがもったいなくて、食べられずにいる。

ところで、今年に入ってから、ゆりねは2階で寝るようになった。
今年の森暮らしを始めて少しした頃、ゆりねは突如、私の布団を抜け出して、自力でドアを開け、階段を上がって2階に行った。
以来、一日も欠かさず2階で寝ている。
私は、特に冬場など、ゆりねがいなくて寂しいけれど、もしかするとそのことで、お互い、睡眠の質は上がったかもしれない。

1階の寝室で一緒に寝ている時は、よく、雷の音や稲妻の光や強風で、ゆりねがブルブル震えていた。
そのたびに、私はなすすべ無くただゆりねの恐怖が収まるのを待つしかなかった。
でも、2階だとその刺激が、和らぐのかもしれない。
人間の私には、1階と2階の情報量が同じに感じても、ゆりねにとっては、2階の方が安心できるのだろう。
ものすごい風が強い時でも、2階にいれば、ゆりねは平気で眠っている。
私の方が風の音に恐怖を感じて、なかなか寝付くことができない。

ゆりねが2階に寝ることを、お客さんは皆さん歓迎してくれる。
ゲストが寝ているソファに、ゆりねも途中から合流して一緒に寝るのだ。
場合によっては、腕枕をしてもらったり、一緒にお布団の中にまで入って寝るらしい。
そのことで、ゲストたちは大いに癒されている。
朝、私が階段を上がって、眠れましたか? と尋ねると、ゆりちゃんが一緒に寝てくれて幸せでした〜 と、なんだかとっても満たされた表情をなさるのだ。
そこにいるだけで相手を幸せにするなんて、なんと偉大な存在だろう。

ゆりねの日々は、完璧なルーティンで回っている。
私もなるべくそうしたいと思っているけれど、ゆりねのそれに比べたら、足元にも及ばない。

まず、一日の始まりは運動会。
夜明けが近くなると、寝ているソファから降りて、部屋の中をドタドタと駆け回る。
これは、私に対する、起きろの合図で、ゆりねが上に寝るようになってから、私は目覚まし時計がいらなくなった。
私が階段を上がっていくと、尻尾を振って出迎えてくれる。
ちなみに、ゆりねは階段を上がることはできるけど、自力で下りることはできない。
危ないし、腰にも負担がかかると聞いたので、あえてそうしつけた面もある。
それから、朝ごはんの催促が始まる。

朝ごはんを食べ、トイレを済ませ、そうすると決まってゆきちゃんを動かそうとする。
その時、半々の確率で、ゆりちゃんにスイッチが入って、ゆきちゃんが手足をバタバタさせながら鳴きだす。
あ、ちなみにゆきちゃんというのはウサギの玩具で、ゆりねの妹がわり。
ゆきちゃんを持ち出すのは、ゆきちゃんと遊びたいのではなく、(たまに遊ぶが)多くの場合は私にかまってほしい合図だ。
ゆきちゃんが鳴く中、ゆりねは私に体をこすりつけたりして、親愛の情を示す。
そして、一通り気が済むと、おまちかねのゆりまきタイムとなる。

それは大抵私が新聞を読んでいる時で、なんか視線を感じるな、と思うと、ゆりねがお座りの格好で、じーっと私を凝視している。
すぐに私は、毛布を四つ折りにして、クルンとゆりねを巻き込む。そして、抱っこする。
海苔巻きみたいに、ゆりねをしっかりと毛布で包むこむのだ。
そうすると、ゆりねは安心するのか、すやすやと、時にぐぷぷと鼾をかきながら、私の胸で眠ってしまう。
これが、一日のルーティンの中に必ず組み込まれている。
おそらく、一緒に布団で寝る時間が、ゆりまきタイムに形を変えたのだろう。
至福の表情で寝ているゆりねは、本当にかわいくて、愛おしい。
私の中に、オキシトシンがじゃぶじゃぶ溢れる。
熱くなると、突如起き出してゆりまきタイムは終了となる。
それまで、私はひさすら抱っこする。
まるで、巨大な海苔巻きだ。

でも、このゆりまきタイムがあるとないとでは、大違いだ。
あとは、午前中うとうとし、午後から散歩に行って、夕飯を食べ、また食後の惰眠をむさぼり、そのまま本格的な睡眠に入り、朝を迎える。

自分でそうしようと思って意識的にそうしているわけではないだろうから、これが全て無意識のうちに、ゆりねの体に刻み込まれている行動パターンだと思うと、本当にすごいなぁと感心する。
規則正しいったら、ありゃしない。
たまに、どうしても私のスケジュールやお天気の関係で午前中にお散歩に行ったりすると、本当に機嫌が悪くて歩いてくれない。
とにかく、ゆりねにとっては食後の惰眠こそが最高の幸せで、それを邪魔されるのは心底嫌なのだ。
わかるけど。
たまにはそうせざるを得ない時だってあるのだ。

先日、お天気がいいので外に干し柿さんたちを吊るして温泉に行った時のこと。
気分よく露天風呂に入っていたら、ふと向こうの山の頂上付近に怪しげな雲が広がっているのに気づき、慌てて山小屋に戻ってきた。
ゆりねも、干し柿さんたちも、私にとっては共に愛おしい存在だ。

今週末、満を持して味見をしてみようかな。
お日様の光を浴びている干し柿さんたちを見ているだけで、なんだか平和な気持ちになる。