かわいいから

ゴールデンウィークが終わり、ようやく静かな日常が戻ってきた。
5連休のうち、3日間はノラコヤへ下りて庭仕事。
せっせせっせと苗を植え、黙々と草をむしる。

この一月弱の間に、私は計4回、花屋さんやナーセリーに植木やハーブの苗を買い出しに行ったのだが、その4回ともで、お店の人に間違えられた。
なんと名誉なことだろう。
きちんと質問にお答えできず、申し訳なかったけど。
植えても植えても、また新しい苗を植えたくなる。
私にとって、苗を植えるのは至福の喜び。

連休中、ノラコヤの庭で草むしりをしていたら、見知らぬ女性が通りかかり、「ヤギさんは、いないんですか?」と声をかけられた。
ここにいるのは冬の間だけで、春から秋は別の場所へ避暑に行っていると説明する。
私の知らないところで、どうやら海と空は、地域の皆さんに気にかけていただいていたようだ。
また冬になったら戻ってきますので、と言ったら、また会いに来ます、とのこと。
どうぞどうぞ、会いに来てやってください!

ヤギを飼っていると伝えると、必ずのように、理由を尋ねられる。
やっぱり、ヤギは家畜だから、なんらかの目的があると思われるのかもしれない。
ヤギは、ミルクをくれるし、そのミルクからチーズを作ることもできるから、そういう目的で飼っていると思われるらしい。

一応、草刈り要員というざっくりとした役割は想定していたものの、実際に海と空と暮らしてみると、ただそこにいるだけでいい、と感じるようになった。
海と空がそこにいて楽しそうにしてくれているだけで、平和になるのだ。
もちろん、生ゴミや雑草を食べてくれることはありがたいし、彼らのおかげで、私の理想とする巡る暮らしが実現できてはいるけれど、もし、海と空にそれができなくなっても、だから彼らが不要になるかというと、そんなことはない。
もう、本当にいてくれるだけでいいのだ。

だから、ヤギを飼っている目的を問われるたび、なんだか悶々とする自分がいた。
だって、犬や猫を飼う人に、なぜ飼っているのか、とはなかなか聞かない。
ましてや、子どものいる人に、なぜ産んだのか、なぜ育てているのかも、あまり尋ねない。
人それぞれ、何かしらあるのかもしれないけど、子を持つことに、明確な目的はないように思う。
私にとっては、ヤギもそれと同じ感覚だ。

犬を飼うことも、ヤギを飼うことも、植物を育てることも、ものすごく大雑把にいってしまえば、かわいいから。
彼らを見たり、彼らに触れたりしているだけで、私の中にはオキシトシンがじゃぶじゃぶ溢れてくる。
オキシトシンが溢れると、私自身が幸せを感じる。
つまりは、彼らといると、自分が幸せだから。
理由を言語化すると、そうなるのかもしれないけど。

とにかく、ゆりねもオハナも海も空も、ノラコヤにたくさんいる植物たちも、私にとってはかわいい存在なのだ。
もう、かわいくてかわいくて、仕方ない。
だから、かわいがる。
ただ、それだけのこと。

山小屋では、今、水仙が満開だ。
こっちもまた、かわいい。
あの極寒を、よくぞ乗り越えてくれた。
ぼちぼち、新緑も芽吹き始め、森中から、賑やかな産声が聞こえてくる。

オハナには、ヒートが来た。
ポタポタと血液が落ちるので、パンツを履かせたいが、どういうのを履かせたらいいのか、わからない。
一応、それ用のオムツみたいなのがあるにはあるけど。
そんなのをいきなり履かされたら、気持ち悪いだろうなぁ、というのも容易に想像がつくので、躊躇している。

それにしてもオハナ、お迎えした当初より、少し、体格が良くなっているような気がする。
スーパーモデル並みの、ガリガリちゃんだったので。
めでたし、めでたし。