初日の出

大晦日の夜から雪が降り、元日の朝は雪景色だった。
早朝、麓まで車を走らせる。
富士山が見える場所には、初日の出を拝もうとたくさんの人が息を白くしながら待ち構えていた。
空は快晴で、山には細長い雲がたなびき、龍のよう。
2024年は、平和な年となりますように。
そんな願いを込めて、私も富士山に向かって手を合わせた。

山小屋での年越しは、あっけなく実現した。
八ヶ岳おろしさえ吹かなければ、特に支障はない。
雪道の運転も、スピードさえ出さなければそれほど問題ないし、お日様パワーで昼間は暖房すらいらないほど。
やっぱり、里の住まいより温かく感じる。
洗濯物は夏よりもずっと早く乾くし、私にとっては、夏以上に快適かもしれない。
雪が降ったら、ゆりねのお散歩に下までおりて行く必要はあるけど、それも温泉に行くついでに一緒に済ませるので、まぁ、今のところは冬の森暮らしも順調だ。
昨日は温泉から富士山もバッチリ見え、幸先のいい年明けだと喜んでいた。

それなのに、夕方、山小屋が揺れた。
今まで地震の揺れを感じたことがなかったので、これはどこかで大きな地震が起きているのだろう、とすぐにわかった。
震源は、また能登だった。
それから寝るまで、ニュースに釘付けになる。
夜は大音量で第九でも聴こうと思っていたけど、それどころではなくなった。

能登が好きで、これまでに何度も行っている。
2年前テレビの旅番組に出た時も、旅先は能登だった。
七尾の一本杉通りには、鳥居醤油店がある。
つい先日も、能登だしを注文したばかりだ。
鳥居醤油店の正子さんや、白井昆布店の奥さんや、奥能登にある旅館さかもとさんや、イタリア料理店ビラ・デラ・パーチェのシェフや、能登島のガラス作家有永さんや、これまでにご縁をいただいた多くの人たちの顔が頭に浮かぶ。
どうか、ご無事であってほしい。

もう、本当に能登の方たちが気の毒でならない。
いくらなんでも、こう大きな地震が度重なっては、気力だけではどうにも復興ができないのではないか。
能登の人たちは、本当に明るくて気風が良く、芯の強さを感じるけれど、それでももう、限界なのではないだろうかと想像する。
地震という自然相手の天災では、怒りのぶつけようもない。
その憤りを自分のお腹で消化するには、大きすぎる。

しかも、元日に起きた。
この日ばかりは、おせちをつまみながら昼酒を楽しんでいた方もいるだろうし、コロナがおさまってようやく家族でお正月を迎えられた方達もたくさんいると思う。
なんとも、不条理で仕方がない。

今日になって、徐々に被害の実態が明らかになってきた。
どうしたって、東日本大震災の記憶が甦ってしまう。
東北で良かったと言い放った政治家のデリカシーと想像力のなさに、憤りが再燃する。
そして、こういう時に嘘のデマを故意に流すというのは、一体どういう心理なのだろう。
全く理解できない。

平穏無事であることのありがたさを、痛感している。
これ以上大きな地震が起こらないことを祈るばかりだ。