タマゴダケのオムレツ

初めて尽くしの毎日だ。
ガソリンスタンドに行って、「レギュラー、満タンでお願いします」と言っている自分がおかしくて堪らない。
セルフはまだ怖くてやったことがない。
だからガソリンスタンドは、人のいるところを探して行く。

スピーカーとアンプを繋いだのも初めてだ。
大体、アンプというものが何か、知らなかった。
今もあんまりよくわかっていないけれど、とにかく自力でスピーカーとアンプを繋いでスピーカーから音が出たとき、私はものすっごく嬉しかった。
なんだ、やればできるじゃん! と思った。
今までは、誰かにやってもらうのが、当たり前になっていた。

コンビニが便利だということに気づいたのも、生まれて初めてかもしれない。
ちょっと前、出版社に書類を戻すのに、封筒がなかった。
近所に、気のきいた文房具屋さんなんて、ない。
私はこれまでほとんど、コンビニを使ったことがなかった。
せいぜい、お金を払う時とか、宅急便を出す時とか。

都会には、コンビニがものすごくたくさんある。
何もこんな近距離に複数のコンビニがなくても良いのにと思って生きてきたし、今もその考えは変わらないのだけど、都会におけるコンビニと田舎におけるコンビニとでは、ありがたみが全く違うのだということに、半世紀近く生きてきて、初めて知った。
切手もコンビニで売っているし、トイレットペーパーだって、コンビニで買える。
コンビニってなんで便利なんだ! と今現在の私は思っている。

ただ、私が欲しい封筒は、コンビニにも売っていなかった。
何も、特別な封筒が欲しいわけではなくて、ただ、白い事務的な封筒が欲しいだけ。
でも、置いてあったのは不祝儀袋ばかりで、さすがにそれに切手を貼って出版社に書類を送るのは憚られる。

結局、白い封筒は別ルートで入手したけれど、ここでの暮らしでは、意外な物が手に入らなくて困ったりする、ということに改めて気づいた。
私が住んでいる界隈では、結構卵を手に入れるのが困難で、道の駅や産直に行けば買えるのだけど、そこまでは片道車で30分ほど。
だから、他の買い物の用事がないと、なかなか卵だけそこまで買いに行こうという気にはならない。

先日東京から日帰りでお客さんがいらした時は、お土産の希望を聞いてくれたので、真っ先に卵をリクエストした。
今欲しいのは、間違って書いてしまった箇所を直すための修正テープと、薪ストーブを使うようになったら必要になるだろうチャッカマンだ。
バターは、売っている場所がようやくわかったので、一安心。

初めてといえば、週末、道の駅に寄ったらタマゴダケが売られていた。
八ヶ岳のキノコ、すごくおいしい。
しかも、都会のスーパーではあまり見かけないような珍しいキノコが結構ある。
タマゴダケは毒キノコみたいな派手なルックスだけど、おいしいのだという。
一度食べてみたいと思っていた。

早速、お昼にオムレツにする。

なるほどねぇ。
タマゴダケと卵、相性がいい。
まだ残っているので、残り半分はパスタにでもしてみよう。

今日は、東京から編集の方が見えられたので、山小屋でランチをご一緒する。
先日、農産物直売所で路地物のイチゴを見つけたので、久しぶりにイチゴのサラダを作った。
不揃いのイチゴたちがなんとも可愛くて、つい買ってしまったのだ。
しかも、一パック190円。
サマーリリカルという品種だった。

緑色のは、庭に植えたミントとバジル。

季節の営みの中でイチゴを育てたら、イチゴの旬は決して冬にはならないはず。
イチゴは冬の食べ物だと思われがちだけど、クリスマスに合わせてハウス栽培をしているだけのことだ。
サマーリリカルは、それほど甘くはなく、酸味があって、でもこれくらいでいいよなぁ、と私は思う。
わざわざ石油を使ってハウスの中を温めて、季節外れのイチゴを作らなくても。
結局、そのしっぺ返しは確実に自分たちに向かって来るのだから。
今年も、猛暑やら水害やら、本当に胸が痛くなる。

森の住人になって、ひと月が経った。
まだひと月しか経っていないのか、もうひと月も経ったのか、自分でもよくわからない。
両方の感じもする。
でも、森の空気がすごく肌に馴染んでいるのは確かだ。
もっとずーっと前から森に暮らしているような気がする。
風の冷たさ、太陽の温もり、木々のざわめき、全てがベルリンと繋がっているようで、私にはただただ懐かしい日々。

一日一回は、森に出て裸足にならないと、なんとなく一日が終わらない。
今日も、温泉から戻ってから、森に行ってビールを飲む。
夕方の風はもうひんやりしているけれど、精一杯、夏の名残を味わいたい。
ビールを飲みながら、茹でたてのトウモロコシを無心でかじった。

ふと見上げたら、梢の向こうにお月さまが輝いていた。
ものすごく久しぶりに月を見た。