お粥さん
お昼に、お粥を炊いた。
今日は七草粥の日。
ただ、七草は買っていなかったので、白粥を炊き、イクラの醤油漬けやキムチなど、冷蔵庫の残りをおかずにしていただく。
七草粥を食べるのは、旧暦の方が季節的にも合っている気がするので。
お粥さん、時々むしょうに食べたくなる。
お米はほんのちょっとなのに、ちゃんとした量のお粥ができて、経済的だ。
私は、小さいお猪口を使って、そこに白米を入れ、あとはお猪口6杯分の水で炊く。
ふっくら炊き上がると、すごく嬉しい。
真っ白で、雪原みたいだ。
じんわりとお腹に染みて、滋養が広がる。
お粥さんを食べると、心も体もリセットされる。
年末、部屋の掃除をしていて、香合入れの中から小銭が出てきた。
これは、母の唯一の形見だ。
数年前の暮れに、母が入院している病院へお見舞いに行ったら、認知症の症状が出始めていた母が、これで新幹線で帰りなさいと、引き出しにあった小銭をかき集めて私の手に渡したのだ。
香合入れに入っていたのは、500円玉硬貨が2枚と、100円玉硬貨が2枚。
合計1200円。
確か、あと10円玉とか50円玉とかもう少し額はあったのだが、その後に入った母との思い出の喫茶店で、他の小銭は使ってしまったのだ。
これで母と会うのは最期になるだろう、というのがわかったから、あの時は切なくて、喫茶店で号泣した。
年末年始になると、そのことを思い出す。
あれから、何年経ったのかな。
多分、6年。
その時の大晦日の紅白で、宇多田ヒカルさんが『花束を君に』を歌った年として記憶に刻まれているから、調べればすぐにわかる。
昨日は、母の命日だった。
父も母も、個別のお墓ではなく、共同墓に入っている。
私は、その選択が大正解だったと、お墓参りに行くたびに痛感する。
だって、献花で溢れているのだ。
いつも、自分の持ってきた花束をどこに置こうか考えてしまうほど。
そのお墓に眠っている関係者が誰かしら花を供えるので、いつ行っても賑やかなのだ。
今年は、静かでいいお正月だった。
東京だけでなく、全国的に見ても晴れ続きで、気持ちがいい。
今日も、夕方温泉へ。
だいぶ、日が長くなったような。
夕方5時を過ぎても、まだ空がぼんやりと明るかった。
季節は着実に、春に向かって進んでいる。
帰りに、大きな満月と遭遇した。
あけまして、おめでとうございます。
2023年が、皆様にとって、平和で、笑顔の絶えない年となりますように!
今年も、どうぞよろしくお願いします。
明日は、岐阜へ参ります。