『ミ・ト・ン』
白泉社の森下訓子さんから連絡をいただき、吉祥寺のカフェでお会いしたのは、三年前の秋だった。
ちょうどわが家に犬のゆりねがやってきた頃で、それまでずっとつきっきりのように子犬の面倒を見ていた私にとって、数時間家をあけるというのは、大きな冒険だった。ゆりねにとっては、初めてのお留守番である。
森下さんは、やけにのどかな編集者だった。手に、かわいらしいバスケットを持っている。バスケットを持って打ち合わせに現れる編集者を、私はそれまで知らなかった。
仕事で初対面の方にお会いする時はいつも緊張するけれど、森下さんは、なんとなくその緊張を和らげてくれる大らかな雰囲気をまとっていた。
ラトビアを舞台にしたお話を書きませんか? という依頼だった。
そして、「これが、ラトビアの手仕事によって作られたカゴです」と、私が気になっていたバスケットを見せてくれた。
それから、ラトビアの魅力を、たくさんたくさん話してくださった。
実は、森下さんの中で、ずっと以前から温めてくださっていた企画だという。
画は、平澤まりこさんが担当することに決まっているとのこと。
帰り道、私たちは、結構長い距離を並んで駅まで歩いた。
森下さんがおいしいパン屋さんなどを教えてくださり、世間話をしながら路地裏を散策し、八百屋さんで季節の野菜をたくさん買った。
その途中、森下さんは、「三年後くらいに本を出せたらいいんですよね」とさらりとおっしゃった。
その言葉が、私の胸にずしんと響いた。
だって、三年後に本を出しましょう、なんて提案する編集者は、まずいない。
たいていは、来年はどうですか? とか、せっかちな場合がほとんどだ。
その言葉で、森下さんへの信頼度が一気に増した。
その時、私にとってラトビアは全く未知の国だったけれど、森下さんのお話を聞いて、きっと好きになるに違いない、と確信した。
帰りのバスの中で、ふと頭に浮かんだのが、『ミ・ト・ン』というタイトルだった。
それから、年に一回くらいのペースで、森下さん、平澤さんと一緒に取材旅行でラトビアを訪ねた。
一回目は、青少年による歌と踊りの祭典を中心に、ラトガレ州まで足をのばし、二回目は本格的な夏至祭に参加した。
三回目は、ラトビアの首都リガで、年に一回必ず開かれる森の民芸市へ。
そして私は、その後プライベートでも一回、ラトビアを訪ねた。
ラトビアには、美しいものが、たくさんある。
形あるもの、ないもの、そこは宝の山だった。
美しい歌や踊り、民族衣装、黒パン、祭り、地味あふれる食卓、森と湖、自然崇拝。そこには、かつては日本にもあっただろうものも含まれている。
そして、その中でもっともラトビアを象徴しているものが、ミトンだった。
ミトンは手袋のことだが、ラトビア人にとってのミトンは、神さまが宿るともいうべき、特別な存在だ。
ラトビアはバルト三国のひとつで、長きにわたり、他国からの侵略と占領を受けてきたが、特に、旧ソ連による占領時代は長く、人々は本当に過酷な生活を強いられていた。
歌や踊り、民族衣装を着ることも禁止され、ひっそりと隠れるようにしなが生きざるをえなかった。
けれど、そんな占領時代も、ミトンだけは咎められなかったそうだ。ミトンなしでは、冬を越せないから。
それゆえ、ミトンには、ラトビアの精神が深く根付いている。
そんな歴史的な背景を織り交ぜながら、あるミトンを巡る、百年間にわたるお話を書くことにした。
平澤まりこさんは画で、私は言葉で、私たちが見た風景や感じたことを表現する。
結果的に、たしかにあれから三年後、物語が本という形で産声をあげた。
私は、この物語を書き進める間、自分が馬になって走る喜びを知ったように思う。
私の背中に読者を乗せて、読者がまだ見ぬ世界へと案内するのだ。
本を読んでいる間は、美しい景色を見て、心地よい風を感じて、幸せを味わってほしい。
『ミ・ト・ン』が、そんな作品になれることを夢見ている。