落とし物拾い
この季節、私は落とし物拾いに忙しくなる。
森の地面には、たくさん落とし物があるから。
筆頭は、松ぼっくり。
薪ストーブの焚き付けに、もってこいである。
去年は、着火剤のお世話にならないと、なかなか薪に火をつけることができなかった。
マッチも、何本もダメにしていた。
原因は、私が通気口を開けるのを怠っていたからだ。
でもこの冬は、もう簡単に火がつけられる。
着火剤も、使わなくて良くなった。
マッチも、一本で足りる。
昼間のうちに、ムッティの中の灰を片付け(灰は地面にまく)、中に新聞紙や木の枝を仕込んでおく。
そうしておけば、夕方、お風呂から帰ったらすぐにムッティに火を入れることができる。
強風が吹くと、弱い枝がパキパキ折れて地面に落ちる。
これらは、乾燥しているのでとても良い焚き付けになる。
この季節、ちょっと森を歩いて枝を集めれば、すぐに一晩分の薪が確保できる。
基本的に薪は、間伐材から作ったものを軽トラで運んでもらっているけれど、自分で集めれば、それらも使わずに済む。
私はチェーンソーも持っていないし、薪割り用の斧も使えないけれど、そんなのなくても、乾燥した細めの枝だったら手で簡単に折れるし、手で折れなければ足を使って、バキッと短くする。
そうすれば、大体の枝は、ムッティに入るくらいの大きさになる。
松ぼっくりよりも更に火付材として優れているのは、シラビソの球果だ。
手のひらくらいの大きで、見た目はパイナップルに似ている。
これは本当に便利で、火がつくと、バーっと勢いよく燃える。
炎に元気がなくなった時は、この子を入れるとまたすぐに復活する。
私の、頼もしい助っ人だ。
今日は、松ぼっくりが豊作だった。
というのも、昨夜、ものすごい風が一晩中吹き荒れていたのだ。
そのせいで、私はあまり寝られなかったほど。
しっかりと傘が開いているということは乾燥している証拠で、そういう松ぼっくりを見つけると、私は無条件に拾ってしまう。
これが、楽しくて楽しくて仕方がない。
お金を介さず、地面にあるもので暮らしが一部分でも成り立つというのは、とても気持ちがいいことだ。
無心で松ぼっくりを拾っていると、自分が狩猟採集民族になったようで、嬉しくなる。
だから、行き場をなくした落ち葉がゴミとして袋に詰められ捨てられるのは、とても悲しい。
そんなこと、する必要がないのに。
落ち葉はゴミじゃなくて、お宝なのに。
落ち葉がまた地面に還ることで、土が豊かになる。
自然界には、無駄なものなんて、ひとつもないんだと思う。
無駄のように見えるのは、こちらの工夫が足りないだけで。
今日は、電線にかかった木の枝の伐採をしている人から、切り落としたもみの木をいただいた。
もみの葉っぱは、とてもよく燃える。
もみの木を焚き付けにするなんて贅沢だけど。
切り落とさざるを得なかった枝なので、最後まで無駄にせず、大事に使わせていただこうと思う。
森は、宝の山だ。
シラビソのある場所は、ゆりねの格好の運動場でもある。
全力疾走するゆりねを見ていると、なんだかベルリンにいるみたいな気分になる。
ゆりねは、落ち葉を蹴散らして走るのが大好きだ。