仕事というもの
可能な限り、夕方は銭湯に通っている。
今は徒歩ではなく自転車で行くようにしているのだけど、そうすると、最後の角を曲がる所に、たいてい、交通整理のおじさんが立っている。
おじさんは交通整備をするための棒を片手に、制服を着て、暑い日も雨の日も、嵐の日も寒い日も、同じようにそこにいる。
背格好が似ているので、最初は、ずっと同じ人かと思っていたのだ。
でも、ある日、おじさんが二人いることに気づいた。
一人のおじさんは、私が自転車で近づくと、車が来ないかを確認し、「はい、どうぞ、通ってください」などと声をかけてくれる。
私からは死角になる方から車が来る時は、「ちょっと待ってください、今、車が通りますので」などと、とても親切に誘導してくれる。
一方、もう一人のおじさんは、車が来ようが人が来ようが、全く無反応で、ただそこに立っているだけなのだ。
だからそのおじさんの時は、自分で安全を確認し、用心深く角を曲がらなくてはいけない。
どうせ、同じ時間、その場所に立っていなくてはいけないのに。
だったら、気持ちよくちゃんと仕事をしてくれたらいいのになぁ、と私は毎回毎回、同じように思う。
黙ったままのおじさんは、一体、何のためにそこに何時間も立っているのだろう。
せっかく同じ仕事をするのなら、相手に喜んでもらった方がやりがいがあるのでは、と考えてしまうのだが。
私はもう、日本で一番おいしい食パンをわざわざ取り寄せてまで食べたいとは思わない。
けれど、近所にあるパン屋さんで買ってきた食パンを、たった一枚を食べるのでも、最大限、美味しく工夫して食べたいとは思う。
仕事というのは、そういうものなのではないかと、最近しみじみ思うのだ。
自分のできる範囲で、最大限できることをする。
ウィンウィンという言葉があるけど、私はそれよりも、ハッピーハッピーがいいなぁ、と感じている。
自分が何らかの仕事をする。
自分もハッピーになるし、そのことで相手もハッピーになる。
そういう、ハッピーハッピーの関係で世の中がまわったら、余計なストレスが減って、お互い、生きやすく、幸せになるのに。
誰かの犠牲や不幸や我慢の上に成り立つ独りよがりの幸せは、あんまり嬉しくない。
私の場合で言ったら、まぁ、原稿を早く書き上げて遅れないようにする、とかそういうことになるんだけど。
自分も相手も気持ちよく仕事をする、というのが、最近のモットーだ。
銭湯に行って交通整備のおじさんの前を通るたび、私はいつも、仕事というものについて考えてしまう。