環境再生医、矢野智徳さんのドキュメンタリーを見た。
タイトルは、『杜人(もりびと)』。

「杜」というのは、この場所を傷めず、穢さず、大事に使わせてください、と人が森の神様に誓って紐を張った場所のことだそうで、矢野さんはまさしくこの「杜」の再生に励んでいる。

開発という名のもと、コンクリートで道路やダム、側溝を作り、その下には、グライ土壌と呼ばれる、空気や水が循環しない土の層が広がっている。
けれど、コンクリートで地面を覆ってしまったら、大地は呼吸できなくなる。
呼吸ができないと、地球は息苦しくなって、思いっきり深呼吸をしなくてはいけなくなる。
それが、昨今の大災害に繋がっていると矢野さんは指摘する。

人間の体がそうであるように、生きるためには空気と水を常に滞りなく巡らせることが大事。
滞ると、流れが悪くなり、そこが病の原因になる。
地球も同じ。
空気と水が巡ってこそ、本来の健やかさを維持できる。
今、地球は息が苦しくてアップアップしている状態だ。

矢野さんの解決方法は、斬新だった。
まず、コンクリートの下にある水脈を探って、そこに穴を開ける。
そして、水の流れを生む。
草も、全部を刈り取るのではなく、風の流れができるように下の方を残して、サクサクと刈り取る。

水脈を作るのも風の通り道を作るのも、大げさな道具は必要ない。
スコップと、小さなカマさえあれば、誰でもできる。
子どもでも、お年寄りでもできる。
地球に住む住人が、自分の足元の土地を、そんなふうにケアしてあげられたら、地球の空気と水の循環は途端に良くなる。

災害現場に駆けつけた矢野さんの再建方法が素晴らしいと思った。
彼は、瓦礫となった山の中から、木の枝や石などを取り出し、そこにあったものを使って再建するのだ。
災害が起きた途端に、全てがゴミとして扱われることに疑問を感じていたという。
私も、同じように感じていた。

コンクリートも、取り除くのではなく、穴を開けたら、また粉砕されたものを被せて再利用する。
それは、新たなゴミを産まないという点で、ものすごく画期的だった。
ただ、人間がちょっとした手を加えて周辺の環境を変えるだけで、そこにあった植物たちが、見違えるように生命力を取り戻していく。

矢野さんの、植物や動物たちに対する眼差しが、本当に愛に溢れていた。
息をしている限りは、最大限に命を生かす努力をする。
こういう人が同じ時代に生きていると思うだけで、嬉しくなる。
矢野さんは、本当に尊いお仕事を、全身全霊でされていらっしゃる。

今、植物たちは人間の奴隷のように扱われていると指摘する矢野さんの言葉が胸に刺さった。
確かに、そう。
本来は、動物も植物も、共に生きる仲間だったはずなのに、いつからか人間は傲慢になって、人間以外の生命を下僕のように扱っている。

映画を見ながら、自分が今、山小屋を作っている選択が、間違いではなかった気がした。
私が責任を持てるのは、地球全体からしたら本当にちっぽけな区画でしかないけれど、その土地は私が守ろうと心に誓った。
そして、その場所を「杜」にしたいと。