鏡石
三が日は連日の晴れで、ノラコヤから見える富士山を堪能した。
山小屋で新年を迎えると、周りは大自然だけなので、あまりお正月気分というものが生まれない。
でも里にいると、元日の朝にご近所さんたちが近くの道祖神の周りに集まってお参りをしていたり、普段はほとんど人の通らない道を若い子たちが歩いていたり、子どもが凧揚げをしていたりする。
お屠蘇を飲んで健康を祈ったり、湧き水でお抹茶をたてて花びら餅をいただいたり、やっぱり日本のお正月はいいものだなぁ。
穏やかな、いい年越しだった。

近くの温泉が元日からやっていたので、私は毎日、朝風呂へ。
多くの人が休んでいるこんな時に働いてくれて、本当に頭が下がる思いだ。
三日の日、どうしても翌日までに届けなくてはいけないものがあり、宅配便の営業所へ行った時のこと。
私の前に、ものすごく大きなボストンバッグを三つと巨大な段ボールをひとつ預けようとしていた若者がいた。
係の人は、ふたり。
ひとりは顔馴染みの女性だったけど、もうひとりは見たことのない若い女性だった。
お正月に駆り出されたのかもしれない。
営業所には他にもお客さんがいて、荷物の受け付けが遅々として進まない。
私の前の若者は、何度もスマホで時間を確認し、明らかにイラついていた。
ようやく自分の番になったイラ男。
事前に送り先も登録し、決済も済ませていた。
ただ、バーコードを機械にかざして自分でラベルを印刷するのを、やっていなかった。
すると、「先に言えよな!」と、自分の無知を相手のせいにする。
渋々自分でプリントアウトし、戻ってくると、今度はまた、「電車に遅れるから、早くしろ」的なことを口にする。
だったら、もっと早い時間にこればいいだけのことでしょ。
全て自分の責任なのに、なんでそれを相手のせいにするのか。
お正月に、働いてくれているだけでも感謝しなくちゃいけないのに。
あんた、何様のつもりなの?
時間がないなら、この大量の荷物、全部自分で電車で持って帰れ!
一瞬だったけど、私の中でお正月のほのぼのとした気分が台無しになった。
どんどん機械化が進むと、相手を人とも思わないようなこういう横暴な人間が増えるのだろうな。
田舎の営業所だから、そんなにスタッフも多くないし、ギリギリでやっているのだ。
周りに機械が増えれば増えるほど、人間がわがままになる。
確かに人手不足は補えるだろうけど、それが果たして人を根底から幸せにするのだろうか。
暗澹たる気持ちになった。
働いて、働いて、働いて、働いて、働くのは、別にそれを本人が良しとするなら、いいと思う。
ただし、自分だけに影響が及ぶ範囲でだ。
でも、同じ態度を自分以外の誰かに求めたり、強要したりして、結果、働かせて、働かせて、働かせて、働かせて、働かせて、になるのは、大いに問題があるのではないだろうか。
あくまで、自分ひとりで完結する「労働」でない限りは。
昨日、サウナに入っていたら、他にもふたりがやって来て、狭い空間で一緒に汗を流す。
そのふたりの会話。
「〇〇さん、お客さん帰ったの?」
「やっと」
「ご苦労様でした」
「やっぱり、朝昼晩三食出して、それを三日間やるのは、大変よね」
「そりゃそうよ、ずーっと台所に立って、一日中何かしらやらなくちゃいけないもの」
「外に食べに行ってくれるなら、こっちはいくらでもご馳走するんだけど、一回外食してお腹壊してから、外に食べに行きたがらなくて」
来ていたのは、その方の息子さん一家らしい。
いくら身内とはいえ、それは想像するだけで大変だ。
本当にお疲れ様でした、と私も心から同情する。
以前、同郷の友人が、里帰りする時は、一家で近くのビジネスホテルに泊まると言っていた。
それは賢明な選択だと思った。
いくら親しい間柄でも、常に一緒に住んでいる相手ではない人と数日でも生活を共にするのは、何かと息が詰まる。
ましてや、夫の実家とか、妻の実家での滞在となれば、気を使うことも多くて、迎える側も迎えられる側も、双方に気苦労が絶えない。
だったら、宿泊だけでも別にした方が、何かと負担は軽くなるだろう。
三が日が過ぎて、ほっとしている人も多いのではないかとお察しする。
暮れに、NHKで以前放送した『されどクリスマス アイルランド それぞれの特別な日』をいう番組を視聴した。
この内容が、なかなか良かった。
キリスト教徒の多いアイルランドでも、みんながみんな、心からクリスマスを待ち望んでいるわけではない。
世の中がクリスマス一色になる様子を冷めた目で見つめたり、とほほな気分で迎えたりしている人たちがいるのだ。
ドイツもそうだったけれど、ヨーロッパにいるとクリスマスというのは本当に特別な行事で、家族揃って静かにお祝いするというのが当たり前の光景のように映る。
でも、その大きな枠組みから外れ、違う気持ちでクリスマスを過ごす人たちがいる。
そのことを知って、なんだかホッとした。
子どもの頃、私もクリスマスが好きになれなかったので。
私も、今日が仕事始め。
今年は久しぶりに小説の連載があるし、春先に本の出版も控えている。
書いて、書いて、書いて、書いて、休んで、また書いて、淡々と物語をうみ続けられたらいい。
ノラコヤの入り口に飾ったのは、鏡餅ならぬ、鏡石。
連日、防災無線で、クマ対策として外に食べ物を置かぬよう呼びかけているので。
もう、さすがに寝てくれていると良いのだが。
石は、二年前の夏、糸魚川の河口のヒスイ海岸で拾ってきたもの。
暑かったなぁ、重かったなぁ、と思うけど、姿形のいい丸石がゴロゴロしていて、やっぱりまた石を拾いに行きたい。
今年も、どうぞよろしくお願いします。