菌根菌(キンコンキン)

山小屋ができたら、どうしてもやりたいと思っていたことのひとつが、薬草講座に通うことだった。
茅野に、すごく好きな薬草店がある。
そこの店主の生き方や考え方、言葉、センス、全てが大好きで、その人に直接会いに行こうと決めていた。
探せば、共通の編集者がすぐに見つかるだろうし、仕事として取材を申し込んでお話を伺うこともできたのだが、私は個人として素の自分でお目にかかりたい、と思っていた。
その薬草講座が、今月から始まっている。

初日は、ものすごーく緊張した。
同じテーブルを囲んで学ぶ生徒は、全員で4人。
私はなぜこうも、自己紹介をする時に緊張してしまうのかな。
他の生徒さんは、どうして植物に興味があるのか、仕事は何をされているのか、今回講座に参加して何を学びたいか、スラスラと話せるのに、私は胸にあった言葉の1割も外に出せなかった。
自分でも、ちょっとおかしいんじゃないかと思う。

ベルリンでドイツ語スクールに通って以来の「学校」だ。
薬草店までは、山小屋から車で片道1時間10分ほどかかる。
朝出て、授業を受けて、買い物をして、温泉に寄って帰ると、山小屋に戻るのは夕方で、一日がかりの勉強会になる。
でも、すごく楽しい。
毎週末、先生にお会いして、仲間たちと植物について学び、最後に手作りのおやつをいただき、薬草店のお庭を眺めて帰ってくると、なんだかとっても満たされた気持ちになる。

お庭は、この季節、一週間でぐんぐんと色を増し、花を咲かせ、それはそれは美しくて平和だ。
私の大好きな、素朴な草花たちが楚々と寄り添う素敵なお庭。
ただそこに身を置いているだけで、あぁ、生きていてよかったと思えてくる。

植物は、本当にすごい。
最近、興味があって立て続けに読んでいる森に関しての本に、必ず登場するのが「菌根菌」という言葉。
菌根菌とは、植物の根に共生しているカビ(菌)のことで、植物たちはこの菌根菌を介して、土の中で多くの情報をやり取りしていると言われている。
私たち人間が手と手を取り合って困難に立ち向かったり喜びを分かち合うように、植物たちも、地面の下で互いに助け合い、協力しながら生存しているのだ。

冬、光合成のできない落葉樹に針葉樹が栄養を分けてあげたり、マザーツリーが小さな子どもたちへ養分を与えたり、自分が朽ちる時は、自らの子孫に持っている財産を分けたり、もう本当に知れば知るほど、植物たちは叡智にあふれ、ものすごい高度な社会生活を営んでいる。
植物たちは、人間が出す二酸化炭素を取り込んで、私たちが必要とする酸素に変えてくれるし、どう考えたって人間を支えてくれている。
共に地球に生きる仲間として。

森にいると、それを肌で感じることができる。
心にちょっとした黒い感情やモヤモヤがあっても、森の植物たちはそれをスーッと、まるで私の胸にハンカチを当てるように吸い込んで、心を健やかな状態に戻してくれるのだ。
植物たちには、どんなに感謝しても感謝しても足りない。

かつては、人間はもっと謙虚で、身の程を知っていて、植物たちがいかに賢く知性に満ちあふれているかも熟知していたのだと思う。
先住民の人たちは、そうやって植物たちと共に生きていた。
なのにいつからか人間は、とても大事なことを忘れて、植物を上から目線で見るようになって、どんどん搾取するようになった。
自らの欲望を満たすためだけに、平気で木を切り倒すようになった。

今、神宮外苑の再開発で木を伐採することが問題になっているけれど、それらの木々がどれだけ私たちの生命に恩恵をもたらしてくれたか。
そんな仲間を、経済優先の考えで切り倒すなんて、想像するだけで胸が痛くなる。

牛や豚も、屠殺される前には悲痛な声で泣き叫ぶと聞いたことがある。
犬や猫も、殺処分される時は、本当に本当に悲しい表情を浮かべる。
木だって、一緒のはず。
私たち人間にその声が聞こえないだけで、彼らは彼らなりの言葉で悲しみの声を上げている。
自分の身に置き換えれば、それがいかに非道で残酷な行いか、わかるだろう。

もちろん、生きていくために、私たちは植物や動物の命をいただく必要がある。
でも、それは必要最小限にとどめるべきで、そこに敬意や感謝の気持ちがなかったら成り立たない。
ラトビアでは、ご神木とされる何種類かの木があるが、その木がもし道路を作る予定の場所に生えていたら、木を切るのではなく、道路を迂回させる形で木を残す。
そういう優しさや謙虚さが、結果的には人々を幸せにし、植物も幸せにするとわかっているのだ。
人間が自分たちだけの目先の幸福に走ったら、それはいつか、とんでもない形でしっぺ返しがあるだろうと、私自身は確信している。

私のお庭(森)には、今、小さな小さな植物たちの芽がようやく顔を出している。
植物も動物も、もちろん人間も含めて、赤ちゃんは本当にかわいい。
見ているだけで、頬が緩む。

薬草講座の帰り、道の駅に寄って、いくつか植物の苗を買った。
ラトビアの手作りのカゴに入れて、山小屋へ連れて帰った。

今、私が願うことは、植物たちがこの森に根を下ろし、健やかに成長すること。
毎朝、植物たちの無事を確認することが、一番の日課になっている。