春本番

水仙の花が咲いた。
里では一月にもう川べりで咲いていたから、やっぱり三ヶ月も季節が遅いということになる。
去年植えた球根が冬を越して、花開いたのだ。
一冬越さないと根付いたとは言えないから、これでようやく一安心。

それにしても、去年植えた時の身長の、半分以下だ。
まるでミニチュアみたいに背が小さくなった。
それだけ、環境が過酷で、これ以上大きくはなれないのだろう。
だからこそ、より愛おしく感じる。
よくぞ、あの厳しい冬を乗り越えて再び顔を出してくれた。

原種の黄色いチューリップも咲き始めた。
本当に本当に小さい。
爪楊枝ほどの大きさしかないけど、これが元の大きさなのか、それとも寒さでより小さくなったのかはわからない。
とにかく、シーに見つかりませんように! 毎日祈るような気持ちだ。
朝起きて、外を見て、ちゃんとお花たちが定位置にいると心底ホッとする。

昨日ムスカリも植えて、私の庭は俄然賑やかになった。
もう、この可愛らしさをどう表現したらいいのかわからない。
嫌なことがあっても、お庭を見れば全てが帳消しになってしまう。
毎日毎日、幸福度が更新される。

今日も、ちょっとした嬉しくない出来事があった。
せっかく車で一時間も走って行った日帰り湯が、なんとなんとまさかの臨時休業だったのだ。
メンテナンスのためだという。
もう、出鼻をくじかれガッカリだった。

だけど、夕方山小屋に戻って、お庭を見ながら白ワインを飲んでいたら、そんなのどうでもいいやと思えた。
春を迎え、お庭にお花たちが増えると、日に日に愛おしさが増してくる。
ぼんやりと外を見ている時間が長くなる。
もうオキシトシンがじゃぶじゃぶで、私自身がその海に溺れそうなくらいだ。
植物たちが可愛くて可愛くて、可愛くて可愛くて仕方がない。

地球の主役は、植物だ。
だって、植物がなかったから、動物の生命は成り立たない。
いざという時、人間を支えてくれるのは植物たちだ。

例えば、寒かったら薪になって火を提供してくれる。
お腹が空いたら、その実を分けてくれる。
植物の存在なくして、私たちは生きていけない。
生命を維持するために必要な酸素を恵んでくれるのも、植物だ。

なのに人間は、自分たちの都合で木を植えたかと思えば、今度はそれをいとも簡単に切ってしまう。
本当に傲慢だ。
でも、それに対して木々は何も抗議できない。
植物たちを、もっともっと大事にして、共に生きる仲間だと伝えていかないと、近い将来、とんでもないことが起こるだろう。

めでたく、薪だながいっぱいになった。
これで、もう当分、薪の心配をしなくて済む。
犠牲になってくれた木に感謝して、無駄なく使わせていただこう。
自分で切ったと思うだけで、薪に対してしみじみと愛情がわいてくる。