整理整頓
気の早い葉っぱが、もう色を変え始めている。
一枚、また一枚と落ちてくるのを見ていると、季節は確実に秋へ、そして冬へと向かっているのを感じる。
友人が山小屋を訪ねてきたり、ノラコヤの上棟があったり、植物たちに水をやりに朝野良をしたり、湧き水に水をくみに行ったり、この夏は目まぐるしく時が過ぎていく。
気温が上がりそうな日は、里に下りると暑いので、温泉にも行かず、ひたすら森にこもっていた。
真冬と真夏は、山小屋から出ない日が多くなる。
冬同様、夏もまた読書が進んだ。
森暮らし3シーズン目を迎え、森と私の呼吸が合ってきた。
ここの空気が、すっかり自分の肌に馴染んでいる。
庭の植物たちは、去年よりはずっと健やかに成長している。
花が咲くと、やっぱり嬉しい。
花は、その植物の、「ここにいるよ!」の合図だと思う。
去年植えた植物たちと再会できるのは、最高の喜びだ。
もちろん、柵をしていないので、今年もシーに食べられている。
葉っぱが茂ってきて、もしやこのまま大きく成長するのでは、と期待に胸を膨らませていると、翌朝、あっさり丸坊主にされている。
木苺なんて、もう2回も丸坊主にされた。
それでも、恨みつらみを言うわけでもなく、いじけるでもなく、食べられても食べられても、また健気に葉っぱを芽吹かせる。
その姿が、本当に偉いなぁ、と感心する。
森の管理で大事なのは、整理整頓だ。
森の木々は、強い風が吹くと途中で折れて地面に落ちたり、枝の途中で引っかかったりする。
秋になれば大量の落ち葉も出るし、草取りをすれば、抜いた後の草がこんもりとした山になる。
でも、それらは決してゴミではない。
私が悲しいと思うのは、落ち葉を袋に詰めてゴミとして出す行為で、ちゃんと土に戻してあげれば、それは腐葉土となって地球に返っていくのになぁ、とはがゆくなる。
というか、ゴミ扱いされる植物が、本当に気の毒でならないのだ。
落ちた枝だって、ちょっとした手間をかければ薪になるし、柵にしたり畑の道具として使ったり、工夫次第でいくらでも使い道がある。
抜いた後の雑草だって、また抜いたところに戻しておけば、土の乾燥を防ぐのに役に立つ。
時間が経てば、また土に戻っていく。
そうやって、姿形を変えながら地球の巡りが成り立っているのに、人が余計な横槍を入れることで、その循環が途絶えてしまう。
森は、ほったらかしにしておくと、やがてヤブ化して、手がつけられなくなる。
だから、ヤブにならないよう、落ち葉は落ち葉、枝は枝、石は石、などとジャンル分けして、それらをまとめて置いておく。
それだけで、森はぐんときれいになって、気持ちよく風が通るようになる。
整理整頓ができるのは、人間だけの才能。
そんなにきっちりやらなくても、なんとなく場所を決めてくだけで、森がヤブになるのを防げる。
ということに、この夏私は気づいた。
大事なのは、緩やかな整理整頓である。