今週は手前味噌作り。
スーパーで一年中生の麹が手に入るのはさすがだ。
信州にはおいしい味噌がたくさんあるから、わざわざ手作りしなくてもいいような気もするけど、でも自分の味噌に体が慣れてしまっているので、やっぱり今年も作ることにした。
大豆1キロを、500gずつ2回に分けて仕込む。
このやり方が一番楽。

今読んでいる本、『いきている山』(ナン・シェパード著)に、こんな下りがあった。

自分のほかにそこにもう一人いることは、それが適切な山の仲間であれば、静けさを損なうものではなく、静けさを豊かにしてくれる。申し分のない山の仲間とは、山行のあいだその人の本質が山のそれと一つに溶け合っている人のことをいう。自分の本質も山と一つになると感じているように。そういう時に発せられる言葉は、共有される生の一部となり、異質なものではなくなる。しかし、間を持たせるだけの話題作りは山行を台無しにする。山行に会話は必要ないのかもしれない。

この文章と出会った時、私は深く深く納得した。
脳裏に現れたのは、もちろんぴーちゃんだ。
ヒマラヤで、私が最悪なコンディションでトレッキングに挑んだ時、彼女は私に、大丈夫?とも頑張れとも、一切言わなかった。
ただ、時に前を、時に後ろを歩いてくれた。
その姿に、言葉よりもより多くのメッセージをもらった気がする。

三連休の二日目、麓に暮らす彫刻家の友人がわざわざおかえりを言うため山小屋まで来てくれた。
お土産は、庭に落ちた栗の実で作った栗きんとん。
私には砂糖を入れた大きい栗きんとんを、ゆりねには栗そのまんまの小さな栗きんとんを、それぞれ作ってきてくれた。
きっと彼女とも、私はいい山登りができる気がする。
同い年のその女友達は、私より一足早く50歳になった。
でも、50になろうが、おそらく60になっても70になっても、やっていることは小学生同士の付き合いとさほど変わらない。
交わす会話も、それほど進化はしていない気がする。

でも、平和だから、それが許されるのだと思う。
先日、イランの活動家、ナルゲス・モハンマディさんがノーベル平和賞を受賞した。
彼女は、51歳。
その彼女が、双子の息子と娘に宛てた手紙が新聞にあった。

あなたたちの状況がどれだけ大変かということも、私が状況を困難にしたということも、わかっています。私の道は(未来の)多くの子どもたちを助けるためであり、あなたたちが大きくなったら、私を許してくれることを願っています

母親として、本当に身を切るような究極の選択を迫られたに違いない。
母親なら、獄中ではなく、息子や娘のそばで愛しい子どもたちの寝顔を見ながら添い寝したいに決まっている。
それでも、自らの個人的な幸福や自由を投げ打ってまで、多くの子どもたちの未来のために闘っているのだ。
そのことを思うと、本当に尊敬する。
今回の受賞が、少しでも彼女の、そして彼女と同じように自らの人生を犠牲にしてまで自由や平等のために闘っている全ての活動家たちの心に、光をもたらしてくれたらいいと思う。

ロシアはウクライナへの攻撃をやめずに双方で犠牲者は増える一方だし、パレスチナとイスラエルの対立も深刻化している。
アフガニスタンでも、大きな地震があった。
自分の足元や周辺は平和でも、地球規模で見たら、世界はどんどん平和から遠のいているように感じて恐ろしくなる。

少しでも、世の中が平和でありますように。
人々の心に、明るい光が届きますように。
そう願わずにはいられない。

夜、なんとなくそういう気分になって、以前いただいた手紙の一部を読み返した。
大半は読者の方が送ってくださった手紙だけど、たまに友人からの手紙があったり、編集者からの手紙が出てきたり。
物語を通じて多くの方とこんなふうに心の交流ができることは、本当に本当に幸せなことだと改めて感じた。
そして、感謝した。

来月、『椿ノ恋文』が刊行される。
『ツバキ文具店』、『キラキラ共和国』に続く、ポッポちゃんシリーズとしては3作目となる新刊だ。
コロナの間は、サイン会もできなかった。
だから、私にとっても久々のサイン会となる。
来月、横浜で2回、京都で1回。
日時は、お知らせのページをご覧ください。