一日一桃

産直へ買い出しに。
開店すぐを狙って行ったら、野良着を着たおばあさんが同じように買い物している。
歳は、80前後。
お店の人が、ティッシュを手にそのおばあさんを追いかけてくる。
そして、「洟が出てる」と言って、おばあさんの洟を拭いていた。

私が買ったものをレジに持って行って会計をしていると、
「奥さんの帽子に、かわいいのついてるね」と気さくに話しかけてくる。
そうそう、数日前、帽子がちょっと大きいので、鳥のブローチをつけたのだ。
確かに、そのブローチはかわいい。

おばあさんは、なんだか未来の自分を見ているような気がした。
たとえ洟を垂らしても、かわいいものをかわいいと素直に口にできる自分でいたい。

今日は朝から青空で、爽やかな風が吹いている。
こんな日は、森から一歩も出ずに過ごすのが一番の贅沢だ。
朝から、森で本を読む。
心がとろけそうになるくらい、幸せだった。

小腹が空いたので、桃の皮をむき、いただいたグラノーラとヨーグルトと合わせて食べる。
ついに、桃の季節がやって来た。
今回の桃は、山梨産ではなく、長野産。
一個百円で、決して上等な桃ではなく、かなり傷んでいる。
でも、おいしい。
勝手なイメージだが、おばあさんが、自分ちの庭からもいできたような、ざっくばらんな味がする。
贈答用の完成されたすました桃より、私はよっぽどこっちの桃の方が好きだ。
これからの季節、思う存分、果物が食べられるのが嬉しい。

ノラコヤの庭に生えていたヨモギを干して、煮出してから山小屋のお風呂に入れる。
ヨモギは、なるべく抜かないようにしている。
だから、ノラコヤの庭はヨモギだらけだ。
ヨモギは、土を耕してくれるので。

夕方、外で白ワインを飲んでいたら、ぐんぐん感覚が鋭くなり、遠くの音まで聞こえるようになった。
音が、どんどん近づいてくる。
しばらくすると、シーが現れた。
私がいることに、全く気づいていない。
そんなに野性を失って大丈夫かと、逆にこっちが心配になる。
シーを見ると、条件反射のように海と空を思い出した。
T家で、楽しい夏を過ごせますように。

今日森で読んだのは、『朝のピアノ』。
キム・ジニョンという韓国の美学者が、死の三日前まで綴った日記をまとめたものだという。
私も、願わくば死ぬ直前まで書いていたいけど。
そのためには、様々な条件をクリアしないといけない。
正直、最高に羨ましい死に方だと思った。

去年植えた除虫菊が、一輪だけ花を咲かせている。
冬を越して生き延びるのは、だいたい、10株中1株ほど。
そのくらい、この森で冬を越すというのは大変なことなのだ。
だからこそ、その一輪はものすごくかけがえのない存在で、愛おしく感じる。

今年は森の方は何も手を入れないと決めているので、私はただ見守るだけ。
生き延びた植物だけが、勝手に生えて、また勝手に枯れていく。
その姿が美しく、ただただ涙がこぼれてしまう。

誰とも話さず、誰にも会わず、あまりに満ち足りて、ちょっと酔っ払ってしまったかも。