キンモクセイと虫の声

里におりてきた。

背中にゆりねを背負って最寄駅に降り立ち、真っ先に鼻に飛び込んできたのがキンモクセイの香りだった。
森では絶対にない香りなので、もううるさいくらいに、あちこちから私を目がけて流れてくる。
キンモクセイの香りを吸って、季節が一気に進んでいるのを実感した。
同じく、夜の虫の声にも圧倒されて、しばし言葉を失った。

どうやら、八ヶ岳と東京では、時差があるらしい。
いや、実際にはないのだけど、週末はずっと時差ぼけのようなものに苦しめられていた。
頭がぼーっとする。
眠くて眠くて、体が重く、なんだか、水の中を漂っているようなのだ。
まるで、長く滞在した海外から戻ってきた時のような感覚で、この擬似的な時差ぼけに戸惑っている。
モンゴルから戻ってきた時も、こんな感じだったかもしれない。

山小屋にいらしたお客さんが、皆さん、森の静けさに息を飲んでいらしたけど、確かに、都会にいると、いろんな音が絶えずどこかから聞こえてくる。
そのほとんど全てが、ヘリコプターだったり空調だったりと、人工的な音だ。
鳥の囀りは、滅多に聞こえてこない。
もう、森が恋しい。

だけど、客観的に見て、あの深い森で、山小屋でひとりで過ごすには、相当な精神力がいるかもしれない。
夜は、体ごとごっそりえぐられそうな深い闇に包まれる。
あの真っ暗な世界で孤独に耐えるというのは、都会生活に慣れてしまうと、なかなか難しいだろう。
ぴーちゃんをはじめ、女性では何人か、あの山小屋でもやっていけるだろう、という人がいるけれど、男性では、正直なところ思いつかない。

もし、ここで一晩ひとりで過ごしなさい、と言われたら、おそらく、暗闇と孤独に絶えられなくなって里に降り、人の気配のする駐車場にでも車を停めて、一晩、ラジオでも聴きながら車で夜を明かすのではないだろうか。

最初の頃は、私も夜が怖かった。
でも、だんだん慣れた。
今は、あの夜のしじまが懐かしく感じる。
早く、森に帰りたい。