キャン!!!

少し前から、どうもゆりねの様子がおかしい。
明らかに眠たいのに、頭を上げたままうつらうつらしている。
顔を一方にだけ傾け、たまに首をそらせると痛そうに顔を歪める。
決定的におかしいと思ったのは、今朝だ。
いつもなら明け方になると必ず2階で運動会をするのに、今日は全然音がしない。
そのせいで、私も寝坊した。

ご飯も残さずに食べるし、排泄も問題なさそうだ。
でも、なんかこう、元気がない。
10歳を過ぎているから、人間で言えばかなりいいお歳だ。
もしかして、平均よりも少し早く認知症が?
あれこれ考えると、モヤっとした気持ちになる。
でも、明らかに具合が悪そうでもなく、もしかしたら気のせいかな? とも思えてくる。

自分に関してはもっとそうだけど、ゆりねに関しても、滅多に病院へは行かない。
まずは数日様子を見る、というのがいつものパターンで、それでも、あれ? と思うときだけ連れて行く。
だけど今日の午後、ゆりねが首をそらせながら明らかに顔を歪めていたので、やっぱりこれは何かあるぞと思い、すぐに動物病院に電話した。
確証があるわけではなかったけど、直感でそうすべきだと思ったのだ。
すぐに行けるよう、一番近い動物病院を選んだ。

ただ、今日は予約でいっぱいで、明日は臨時のお休み、明後日も定休日で、早くても予約が取れるのは3日後になるとのこと。
このモヤモヤを3日間続けるのはしんどいし、第一ゆりねの具合が気になる。
予約と予約の間に空きが出たら診てくれるとのことなので、取り急ぎ、予約なしで行ってみることにした。

深刻な病気とかだったら嫌だなぁ、と思いつつ、車を走らせる。
いつかお別れが来ること自体はわかっているけど、でもそのお別れが今日であっては欲しくない。
動物病院に着いてからも、基本的にゆりねはいつも通りで、明らかに目立った症状はない。
やっぱり、私の気のせいかもしれない、とも思った。

そんなに待つこともなく、診察の順番がやって来た。
まずは首の骨に異常がないかを触診する。
前後左右、問題なく動く。
もしかすると、歯の問題かもしれない、ということは事前に伝えていた。
ゆりねは基本的には健康優良児だが、口の中だけは多くの問題を抱えている。
歯は大半がなくなっているし、残っている歯には歯石がびっしりついている。
歯磨きを強烈に嫌がるので、途中から、私も根負けしてやらなくなっていた。

予想は的中した。
下の犬歯の一本が、グラグラだという。

通常そういう歯は、全身麻酔をかけて抜歯するのだ。
でも、それはそれで負担が大きい。
できれば、全身麻酔は避けたい。
すると、一か八か、この場で一回だけ、抜けるかトライしましょう、と先生がおっしゃった。
若い女の先生だけど、いつも動物ファーストで診察してくれる、とても頼り甲斐のある先生だ。
それで、ゆりねの体を私も含めて二人がかりで抑え、先生が抜歯を試みる。
中途半端に失敗して、結局抜けませんでした、というのが、最悪のシナリオだ。
だから、一発で抜けますように、とただただ祈るような気持ちでゆりねを固定した。

キャン!!!
ゆりねの甲高い叫び声が響いた。
先生の持つ細い器具の先に、血にまみれたゆりねの犬歯が挟まっている。
やった〜 成功したのだ。

ゆりねは痛い思いをして散々だったとは思うけど、結果的にはこれがベストである。
抜かれた犬歯は、想像よりもずっと大きい。
どうしますか? と聞かれ、迷わず、持って帰りますと答えた。

その犬歯は、うっすらとだが、確実に臭い。
歯槽膿漏の臭いだ。
でも、これもゆりねだったと思うと愛おしくなって、つい匂いを嗅いでしまう。

当の本人は、動物病院を出た瞬間、頑張ったでしょ! と言わんばかりにご褒美のおやつをおねだりした。
本当に、ゆりねは痛みに耐えてよく頑張った。
そして、腕のいい先生に大きな拍手を。
ついでに、すぐに動物病院に連れてきた自分の直感にも、控えめに拍手を送る。
とにかく、大事に至らずに済んでホッとした。

ゆりねの犬歯、どうしようかな。
アクセサリーにするには、なんだか見た目がイマイチだし、かと言って捨てるのは忍びない。
ノラコヤの屋根には、高くて届かない。
お守りにする、というのもちょっと違う気がするけど、こうして逡巡する間にも、ついつい鼻に近づけて、匂いを嗅いでしまう。
お互い、今夜はぐっすりと眠れそうだ。