たべもの先生

ようやく昨日くらいから、普段の暮らしができるようになってきた。
お盆の頃、夏風邪を引いてしまったのだ。
最初に喉がやられ、丸3日食事もできずにダウンしていた。

ちょうどお盆休みでお医者さんはやっていないし、たとえやっていてもあのコンディションで自力で車を運転するのは逆に危ないし、手元にある漢方薬を飲み、とにかくひたすら寝て過ごす。
症状が一番ひどい時は、何をやっても焼石に水なので、本当なら、ちょっとおかしいぞ、という段階でやれることをすべて実行すればよかったのだけど、遅かった。

少し動けるようになってからやって効果的だったのは、大好きなバニラアイスにプロポリスをたっぷりかけて食べるのと、葛湯にかりん飴を溶かして飲む、そのふたつ。
せっかくなので精油も試したかったのだが、精油の蓋を開ける元気すらなく、それをオイルと混ぜたりなど、できる状況ではなかった。
改めて、プロポリスや葛の偉大さに気づかされた。
冷凍庫にアイスが残っていたのも、不幸中の幸いだった。

こんなに体調が悪くなるのはいつ以来だろう、と考えて、あ、インドのヒマラヤで具合が悪くなった時もこんな感じだったぞ、と思い出した。
あの時も夜中に喉が痛くなり、あれよあれよという間に、起き上がれなくなった。

そっか、あの時はこんな状態で登山したのだ、と気づき、よくぞあの状況で登ったものだと自分を褒めたくなった。
で、今だから明かせるけど、とにかくあの時は臭くて臭くてたまらなかったのだ。
ここに居て一日臭い思いをするくらいなら、山登りでもした方がいい、と判断した結果である。

その宿は、人から出る排泄物を農業に利用する循環型の暮らしを試みていた。
それ自体は、本当に素晴らしいことだと思うし、日本でも、そういう暮らしを実践している人たちがいる。
自分ではそこまでできないので、実際にしている人たちを私は心から尊敬する。
ただし、衛生面に気をつけて、気持ちよくそういう仕組みを取り入れなくては、意味がないと思うのだ。

そのインドの宿では、食堂のすぐ横にトイレがあって、しかもドアも常に開けっぱなしで、食事をしている時も臭いが筒抜けだった。
ハエも凄くて、居て当たり前という状況。
だんだん、気分が悪くなって、せっかくおいしい食事が出されても、おいしく食べられなくなっていた。

そんな環境下で、具合が悪くなったのだ。
そもそも、高山病がずっと続いていて辛かったし。
それでも登れたのは、やっぱりよほど臭かったのだ。
まさしく、耐え難い臭さだった。

今回、具合が悪くなってそんなことをリアルに思い出した。
やっぱり私、臭いのは嫌だ、と切実な気持ちになる。

普段、当たり前のように体を動かしているけれど、具合が悪い時は、山小屋の階段を上るだけでも息がハァハァになってしまう。
体が、私の命を生かしてくれているのだ。
なんてすごいことなんだろう。
体が元気じゃないと、ごはんもおいしくないし、音楽も聴く気になれない。
お酒だって飲みたくない。
だから、いかに体が日々の幸せを支えてくれているか。
具合が悪くなるたびに、身に沁みる。

昨日はようやく野良仕事に行けた。
約2週間ぶりだったけど、雑草たちの生命力にただただ圧倒された。
黙々と草を抜く。

そして今日は森のお手入れ。
自然は、疲れた心だけじゃなくて、弱った体も癒してくれる。
多分、もう大丈夫。
明日も朝から野良に行こう。
私の夏休みが、あと少しだけ残っている。