火の力
里での仕事と用事を大急ぎで済ませ、速攻で山に戻ってきた。
一体、海と山の往復で、何度(宇多田)ヒカルちゃんの曲をリピートしたか。
長時間運転する時は、彼女の声でないと気持ちが乗らないのだ。
ふだん家にいる時は、まず聞かないのに。
山小屋に戻ったら、すっかり秋が進んでいる。
窓から見えるカエデの木の葉が真っ赤に色づいて、森全体が秋めいている。
たった半月会わないだけだったのに、自分の庭がとても懐かしい。
みんな無事だったかな、と庭と森の植物たちに目をこらす。
あぁ、やっぱりここは特別に美しい場所だと自画自賛した。
雨を受けて、苔たちが一際大きな歓声を上げて喜んでいる。
山小屋を建ててから、家もまた生き物だと感じるようになった。
たとえるなら、巨大な獣。
寡黙だけど、あったかくて、優しくて、頼もしい存在だ。
時には甘えたり。
だから、こちらがかまってあげないと、すぐにすねる。
毎日毎日、それこそゆりねと接するように、撫でたり、さすったり、かわいいね、と声をかけたり、そういう気持ちが大事で、その気持ちがなければ、家は生き物ではなく、ただの容れ物になってしまう。
どんなにお金をかけていい素材をふんだんに使った立派な家でも、住んでいる人から愛情をもらえなかったらいじけるだろうし、逆にどんなに粗末な掘立て小屋でも、住んでいる人が絶えず愛情を注いで自らの自慢のお城のようにかわいがれば、そこは唯一無二の魅力的な空間になる。
同じ空間でも、愛情次第で、全く違うものに変容するのだ。
だから、やっぱり家はそこに誰かが住んで日々大切にしなくては、いじけてしまう。
今回の里暮らしで、そのことをしみじみと実感した。
家は、住んでこそ、血の通った温もりのある「家」になると。
そこが、二拠点生活の難しさかもしれない。
どうしたって、体はひとつしかないのだから。
夜になり、寒くて薪ストーブに火を入れた。
今シーズン初の薪ストーブ。
やっぱり生の火は、見ているだけで心が落ち着く。
炎を見ていたら、しばらく頭が空っぽになり、動けなくなった。
冬の匂いがする。
いよいよ、本格的な寒いシーズン到来だ。
海辺の町のアパートは川沿いにあったので、常に水の音が響いていた。
そこから較べると、山小屋は本当に音がしない。
久しぶりに完璧な静寂に包まれて、脳が思いっきり覚醒している。
今年はどんな冬になるのかな。
その前に、球根を植えなくちゃ。
明日はノラコヤに会いに行こう。