火のある暮らし

前回の雪がようやくとけたと思ったら、夕方から、また小雪が舞い始めた。
この冬はずっと寒い気がする。そして、長い。
去年の今頃、里はもうお花が咲いていたように思うのだが。

今、ノラコヤで咲いているのは、ぽちぽちと黄色い花をつけた蝋梅のみ。
道端の水仙も、ようやく地面から顔を出し始めたくらいで、春爛漫の風情にはまだまだ遠そう。
この感じが、通常の季節感なのかもしれないけど。

ノラコヤの調理器具を何にするかは、頭を悩ませた。
最初は、薪を使ったイタリア製のキッチンストーブもいいかな、なんて思っていた。
でも、山小屋には薪ストーブがあるし、散々薪の世話をしている。
ノラコヤではもう薪の心配はしたくないなぁ、というのが正直なところで、結局IHコンロにした。

いろんな面で、山小屋と重ならないように、というのもある。
ベルリンで借りていたアパートのキッチンがIHだった。
それも、かなり旧式のだった。
お米を炊いたりするのはコツが掴めるまでかなり苦労したけど、圧倒的に掃除がしやすいことと火の心配をしなくていいのは、IHコンロの大きな利点であると思う。
最近のガスコンロは優秀で、優秀すぎて火加減が思うようにいかないという面もあるけど、自動的に消えたりしてくれる。
でもやっぱり、あれ? 火消したっけ? と思うことはたまにあり、どんなに自動で消えるとはいえ、やっぱり火をつけたまま家を留守にするのは心臓に悪い。

留守番中のゆりねもいるし。
そんなわけで、ノラコヤはIHコンロ。
歳をとったら、ガスよりもIHの方がいいんじゃないか、と思っている。

薪ストーブを置かない、と決めたら、ずいぶんと気持ちが楽になった。
冬の暖房は床暖房のみで、給湯は灯油ですることに。
ガスを使わないので、必要なのは電気と灯油だけ。

ただ、たとえ電気が使えなくなってもいいように、外では火を使って調理したりお湯を沸かしたりできるよう備えてあるし、焚き火場も設けた。
この焚き火場が、ことのほか便利なのだ。

今日も、なんとなくちょっと火に当たりたくなり、焚き火をした。
火種になりそうな紙ごみや落ちているのを拾ってきたマツの枝で、焚き火ができる。
もう少し暖かくなったら、お客さんのときは焚き火を囲みながら七輪でバーベキューもいい。
火のそばにいるだけで、なんだか心がスーッと落ち着くというか、原点に戻れる気がする。
家の中はほぼほぼ火がないけれど、外では火を焚くことができる。
このスタイルにして、大正解だった。

火って、本当にすごいと思うのだ。
一瞬にして、姿形を変えてしまう。
そのくらいパワーがあって、だからこそ危険な面もたくさんあるのだけど。
でも、ちょっとしたモヤモヤも浄化してくれるし、リセットもしてくれる。
私は、だいたい土曜日とか日曜日を、焚き火の時間に当てている。

そうそう、私も山小屋を建てるまでよくわかっていなかったのだが、薪ストーブと暖炉は違うのだ。
私の山小屋にあるのは、薪ストーブで、暖炉ではない。
でも、暖炉という人が少なからずいる。

薪ストーブは、火が起こしやすいように独立した空間が設けてあり、効率よく火が燃えるように設計してある。
だから、慣れれば薪ストーブで火を焚くのはそんなに難しくない。
私は、自分の山小屋の薪ストーブ(ムッティ)に関しては、世界で一番、上手に火を起こせると自負している。

一方の暖炉は、囲いがなく、周辺の影響を受けやすいので、火をつけるのはなかなか難しいのだ。
言ってみれば、室内で焚き火をするようなもの。
空気の流れを作るのが大変で、私は多分、うまくつけられない。

寒い日が続くので、なかなか森に帰れない。
もこもこの防寒具を着込むのにもそろそろ飽きてきたし、山小屋も恋しい。
春よ、来い!

前回の雪のときは、里が一面真っ白になり、本当に幻想的で美しかった。