ひとり時間

T子に会いに松本へ行ってきた。
ゴールデンウィークに入っていなければ車で行ってもよかったのだけど、今はちょっと道の状況がわからないので、あずさで行く。
松本は、すごくすごく好きな町。
東京に出るんだったら、私は松本に行って用事を済ませたいと思う。
松本は、ただ歩いているだけで楽しくなる。

ふだん、T子は九州に住んでいる。
私は歳上の友人が多いのだけど、そんな中でT子は貴重な存在だ。
歳下で、しかも私が呼び捨てで呼ぶ唯一の友人かもしれない。
ものすごくエネルギーが強くて、生々しくて、なんか、球根みたいな子だ。
この間、過去の手紙を整理していたら、T子からもらった手紙がたくさん出てきた。
とてもとても魅力的な人。

今回、T子はひとり旅。
結婚し、子育てをし、10年ぶりに「ひとり」の時間を過ごすという。
その旅先に、信州を選んでくれたことが嬉しい。
ひとり時間を満喫し、エネルギーを充填し、キラキラどころかギラギラ輝くT子と再会した。
前回会ったのは、石垣・黒島の旅の時だったから、3年前になる。

とはいえ、会える時間は2時間弱しかない。
T子は、夕方松本からバスで松本空港に向かい、そこから福岡へ帰るという。
まずは、駅の改札近くにあるコインロッカーにT子の荷物を預け、そこからお蕎麦屋さんへ向かう。
途中で一軒、私の好きな店が開いていたので、そこに立ち寄って、お揃いでバングラデシュのカゴを買った。
大きなカゴをふたりで持って、てくてく歩く。

私は群れるのが好きではないし、特定の誰かと常に連絡を取り合ってベタベタするのも性に合わない。
会う時は会う、会わない時は会わない、というメリハリのある関係の方が心地よく、だから数年間連絡もせず会いもしないという友がほとんどだ。
それでも、一度しっかりと絆を結んでしまえば、たとえ数年ぶりに会っても、またすぐに時間が巻き戻って、そこから更に関係性を深めることができる。

もちろん、中には疎遠になってしまう人もいるけど。
お互い異なる時間の中で、違う人間関係の中で生きていれば、価値観や生活環境が変わったりもするから、それはそれでどうしようもない。
そんな時は、無理して関係を続けず、自然消滅でいいのでは? と思っている。
遠い未来に、また友情が復活するかもしれないし。
自然の流れに身を任せるしかない。

T子が今回行ってみたいとリクエストしたお蕎麦屋さんは、私の大好きな店だった。
ものすごく着物の似合うかっこいい女将のいる店で、その店の暖簾をくぐるたびに、私は神聖な気持ちになる。
松本に行く時はなるべくそこでお蕎麦を食べるのが常で、私にとって、松本といえばそのお蕎麦屋さんなのだ。
粗相のないよう、ちょっと緊張しながら日本酒を飲み、静かにお蕎麦を食べてサクッと帰るのがいつものパターン。
こっそりと女将さんの所作や着物の着こなしを見つつ、短いが静謐な時間を過ごす。

どうやら、T子と女将さんには共通の知人がいたらしい。
いつもはただお蕎麦を食べて帰るだけなのに、昨日は女将さんと初めてお話することができた。
そして、あっという間に時間が過ぎる。
驚いて腰を抜かしそうになったのだけど、嬉しいことに、女将さん、私の本を読んでくださっていた。
それも、一冊だけじゃなくて。

これ以上は長居できないというギリギリの時間に店を出た。
小雨の降る中、T子とふたり、早足で駅を目指す。
でも、私はなぜか毎回松本駅を見失ってしまう。
そんな時に限ってしょうもない遠回りをし、泣きそうになった。

私は、3時50分発のあずさに乗らなくちゃいけないし、T子は4時のシャトルバスで空港に向かわないと飛行機に乗り遅れるのだ。
お蕎麦屋さんを出たのが、3時40分。
あずさのチケットは買ってあったけど、10分で駅に着くというのはかなり無謀な挑戦だった。

「姉ちゃん、もう走って先に行って!」とT子に言われたが、もう十分頑張って早足で歩いている。
しかも、そんな時に限って、脚が極端に短く見えるタイプの、走るにはものすごく不利なジーパンを履いている。
駅前の信号を渡る時点で、もう49分だった。
こりゃ、絶対に無理だな、と思ったのだけど、とにかく一縷の望みをかけ、猛ダッシュして改札を通り抜けた。
T子にちゃんとバイバイもせず。
ごめんよ! と思いつつ、とにかく最後は全力で走った。
走って走って、走りまくった。
時計はすでに50分。
電光掲示板の案内で、私が乗りたいあずさが点滅している。
でも、エスカレーターの乗り場の上から見たら、まだホームに電車がいた。
誰もいなかったので、ジャンプする勢いで駆け落り、「乗りまーす!」と叫びながら、飛び乗った。
その直後、ドアが閉まって電車が動き出す。

こんなに真剣に全力疾走したのは、小学校の運動会の100メートル走以来だ。
息は、ゼィゼィハァハァ、ゼィゼィハァハァ。
放心状態で、でもとりあえず電車に間に合ったことをT子にラインで伝えると、なんと、
「姉ちゃんのスイカがないと、ロッカーの荷物が取れ出せないんだって〜」と泣きのメッセージが。
さっき、荷物を預ける際、T子が万札しかないというので、代わりに私のスイカで払ったのだ。
それが、裏目に出てしまった。

今から引き返しても、バスの時間には間に合わない。
もうロッカーに荷物は預けたまま、とりあえずT子本体だけでも飛行機に乗って九州に戻り、荷物は私がまた明日来て取り出して宅急便で送ればいい、とか短い時間に色々と考える。
どうやら、松本空港を発着する飛行機は高額らしく、そのチケットを無駄にすることだけは避けたかったのだ。
その間も、一向にゼィゼィハァハァが止まらない。

結局、T子は駅員さんに涙ながらに事情を話して荷物を取り出し、あっちはあっちでやっぱり猛ダッシュしてバスに駆け込み、ギリギリセーフで間に合ったという。
最後の最後に、本当にびっくりなハプニングだった。
でも、その状況でふたりとも最終的に電車とバスに間に合ったのだから、奇跡としか言いようがない。

短い時間でも、会えてよかった。
T子のおかげで、女将さんともお話できたし、輝くT子にも会えた。

そして、私は改めて思った。
どんなに愛する家族と暮らしていようが、母だろうが妻だろうが、ひとりになって自分と向き合う時間は必要なのだ。
世の中的には、孤独というものを、マイナス要素として捉える風潮があるけれど、私は全然そう思わない。
私の場合は、しんしんと骨の髄まで染み入るような孤独があるからこそ、友と会う時間が喜べるのだし、逆にふだん誰かと共に暮らしている人は、ひとりの時間を持つことで、心を鎮め、うまくバランスをとることができる。

10年ぶりのひとり時間は、きっと、これからの彼女の人生に、たくさんの恩恵をもたらすのだろう。
そんな予感で、私は胸がはち切れそうになっている。