雪の日は

今日もまた、まとまった雪が降る。
窓の向こうに広がる雪景色は、ずっと変わらずに続いている。
雪は、本当に美しい。
今日は特に出かける必要もないので、山小屋にこもってゆりねと過ごす。

雪の日にすることは、まず読書。
それから、キャンドルを作る。
蜜蝋がシート状になっているものがあるので、それを湯煎にかけ、柔らかくなったのを粘土みたいに手でこねて形にして、真ん中に芯を通してキャンドルにする。
少々歪な形ではあるけれど、自分の手のひらで生み出したキャンドルは、なんだか愛着があって憎めない。

ラトビアの人たちはかつて、蜜蝋キャンドルは貴重なので、クリスマスの時期しかともさなかったという。
その気持ちが、よくわかる。
大事に大事に、感謝してミツバチたちが生んでくれた蜜蝋を使わないといけない。

春分を過ぎて、だいぶ陽が長くなってきた。
活動できる時間が増えたのは、単純にとても嬉しい。
朝は朝陽を拝みながらお茶を飲み、夕方はお酒を飲みながら夕暮れの時間を味わう。
毎日そんなふうに過ごすのが、当たり前になっているけれど、本当にありがたいことなんだと実感する。

今は満月に向かっているので、夜になると、すごく明るい。
夏でもそうだけど、冬は地面が雪に覆われているので、余計、明るくなる。
今夜なんて、眩しいくらいだ。
陽が沈んでも、月明かりで、梢のシルエットがはっきりと見える。

この冬で、雪道運転にはかなり慣れた。
完全にハンドルが効かなくなって、勝手に車が「の」の字に動く、いわゆるスピンも経験した。
しっかりと雪が積もっている状態なら別に問題はないけれど、降り始めと降り終わり、特に今の時期のズブズブ雪は要注意だ。
私の車は四駆だけど、上り坂道を走っていて、完全にタイヤが雪にはまってしまい、何度もバックを繰り返しても前に進まず、いちいち車から降りて積んでいるスコップで雪をかきながら前に進んだり、いろんな経験をした。
一見大丈夫そうに見える雪道ほど、危険が潜んでいる。
だから、過信せず、とにかくスピードを出さずに、ゆっくり、ゆっくり。

このくらいの降り方だと下の国道にも雪が積もるとか積もらないとかも、この冬で大体わかった。
除雪さえしてくれれば問題はないが、除雪されていない道を走る時は、一か八かの賭けになる。
ご近所さんに言わせると、私の運転は、結構大胆とのこと。
だから、とにかく、初心忘るべからず、だ。

雪を雪だと思うと痛い目に遭うことも、この冬に学んだ。
降りたての雪は確かに柔らかいけれど、時間が経つと、雪は凍って硬い氷になる。
だから、雪の塊は岩だと思って、とにかくぶつけないように運転しないといけない。
除雪した後は道の両側に雪が積み重なり、壁のようになる。
気をつけないと!
同様に、屋根に降り積もった雪も、時間が経つと岩石の硬さになってある日いきなり落ちてくるから要注意だ。

それでもやっぱり、雪を悪く思う気持ちには全くならない。
雪の日には雪の日の過ごし方があり、楽しみがあり喜びがある。
冬で一回ちゃんと死なないと、春を迎える喜びが半減してしまう。
冬は、何もかもをリセットしてくれる。

私の森に常緑樹がなかったら、たったひとりで冬を越すのは無理だったと思う。
途中で、心が折れていただろう。
でも、目に見える場所に、必ず緑色の葉っぱを茂らす彼らがいてくれたから、冬を乗り越えられた。
常緑樹さんたち、ありがとう!

春まで、多分、あと少し。
今のうちに、思う存分この雪景色を楽しまなくちゃ。